ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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浮遊するような現実感のなさ
ミュージカルは妄想?
もし妄想と現実を行き来する映画だったとしたら、
最後の爆破はホントにあったのか?
そんなことより、リーちゃんはホントに実在していたのか?
全てがわからなくなる。
現実と妄想の境界が見えぬまま浮遊する感覚
自分と重なって共感
あえて「観客の期待を裏切る」という挑戦
一般論として、映画は「登場人物の成長」を描くものだ。
あとは「行って、戻る物語」も定番。
その前提で本作について。
観客が期待する「続編」は、
ジョーカーが脱獄し、彼女と一緒に大暴れして、街を破壊と混乱の渦に巻き込む、
という話だろう。
それは素人でも分かること。
もちろん、監督もスタジオも分かっていること。
でも、それをあえて裏切る、違う物語で攻めたのが本作。
2作で見ると、
1は、優しい男が狂気に堕ちる物語。
2は、狂気に堕ちた男が正気に戻る物語。
つまり、「成長」であり「行って戻る」物語でもある。
しかし、それは主人公ジョーカーの話。
では、もう一人の主人公、ハーレイ・クインはどうか?
彼女が愛したのは「狂気の男」であり、「優しい男」ではない。後者を拒絶してしまう。つまり、成長しない。
そしてもうひとり、重要人物。
「狂気」に熱狂した男は、それが裏切られたことで、ジョーカーを殺してしまう。
監督は否定するだろうが、トランプとそれに熱狂する人々を描いたのでは。(否定しても、そう思われることは否定しないだろう)
トランプを熱狂的に支持する人々は、その期待が裏切られたらどうするだろうか?
拒絶するのか?それとも同じく「狂気」に堕ちるのか?
いや「題名に偽りあり」なのが最大の問題なんだって
そんな難しい話じゃなくてさー 前作からしてDC映画で「ジョーカー」ってタイトルだったじゃんかよ。
前作の後半で「おー いよいよジョーカーになってきたねえ!」みたいな感じになってたくだり、あれ何だったの? 二作続けて観たらちゃんと筋が通ってるとかいうけど、「織田信長」っていう二部構成の映画のラストシーンで、じつは信長だと思ってたこの男は三日天下の明智光秀でしたってオチ、許されると思う?
「前作のラストでバットマンの敵役としてのジョーカーでないことは示されてた」とかいうけどさー。ウェイン家との遺恨も描いて、ジョーカー誕生秘話っぽく締めくくったのちに、「幻想かも」ってオチがエクスキューズとして追加されてただけだったじゃんか。主人公が完全に倫理に反した映画じゃ、公開が難しくなるからっていう製作側の事情だったんだよ、前作の時点でのあのラストの存在意義は。
前作ではアーサーの犯すひとつひとつの殺人に、動機がちゃんと描かれていたにもかかわらず、今作では十把一絡げに「まちがってました」と反省の弁。SNSの言い訳投稿みたいなオチ。前作におけるアパート同居の黒人女性母娘や、最後のカウンセリング相談員の女性を「殺しちゃったかもしれない」という危うさを、上手く間接的に描写していたくだりを、全員裁判に登場で「殺してませんでした」と言い訳する腑抜けぶり。
そんなにジョーカーの肯定が怖いのなら、ただ前作のエンディングクレジット後(今作でもいい)のワンカットにバットマンが登場して、一瞬でジョーカーをやっつければいい。それがDC映画における善悪のバランスなのだから。ジョーカーでない人を主人公にして、「いやアーサーの物語として観るのが正解」だとか、「ジョーカーとは集団社会現象の悪意の総称であってうんぬん」だとか、何言ってんの? DC映画で「ジョーカーの映画」だっていうから観に行ったんだよ。だからつまんなかったっていってんのに、なにがまちがってんだよ。
なお私見であるが、酷評がさんざん入ってきて、どういう種類の映画であるかが喧伝された後で観に行って、「案外悪くなかった」「これはこれで」というのは別にいいのだが、だからといってアメリカで初日から観た観客より頭のいい感想というわけではない。事前に何の説明も受けずに観に行けば、アーサーがいつぶち切れて看守に復讐を始めるか、そのあたりを期待しながら待つのが当然だろう。情報を得たうえで観に行っておきながら、当初の「がっかりした」という人たちを馬鹿にするような意見は、現に慎むべきだと思う。感想は人それぞれなので、良作だという意見も尊重するが、個人的にはDC映画「ジョーカー」だという宣伝を鵜呑みにして観に行ったので、そうじゃなかった時点でただつまらなかった。
人々の持つ虚像
「期待外れだ」と、思った。
ジョーカーことアーサーはルーという女性と恋に落ちる。二人は奈落の底で情熱的に愛し合う。
人々もジョーカーことアーサーを熱狂的に愛している。
「ジョーカー」ことアーサーにだ。
ルーはアーサーと恋仲になったあと、性行為の前にアーサーの顔にジョーカー特有のピエロのメイクを施す。
ルーは面会の際も、ガラスに口紅を塗り、アーサーをジョーカーに重ねている。
ルーが愛していたのはアーサーではなく、
狂気的で悪魔のような「ジョーカー」だったのだ。
民衆も同じであった。
誰もが彼への愛を叫ぶとき、必ず「ジョーカー」と彼を呼ぶ。
誰も彼も「アーサー」なんて愛しちゃいなくて、
「ジョーカー」という理想像を愛していただけだった。
この映画は軽率な人々の抱く理想像と現実の違いを訴えているのだろう、そう思った。
私は映画鑑賞中、ジョーカーが恋愛をしているのにとても違和感を覚えた。殺人をするシーンが見たかったなぁ、とも思った。
上映終了後、隣の男性がその友達に向かって言った。
「これじゃない感がすごい」と。
私は大きな共感と同時に、水を面に被ったような衝撃を感じた。
この映画を観た私たち、きっと全員がまた、
映画の登場人物と同じく、
アーサーに「ジョーカー」という大きすぎる虚像を見て、押し付けていたのかもしれない。
アーサーだけではない。
私達は知らず知らずのうちに、
悪気なく理想像、虚像を押し付け、誰かを苦しめてはいまいか?
この気づきまでが、この映画の味噌なのだと感じる。
この映画はただのミュージカル恋愛映画ではなかった。
私達の見ている「虚像」すなわち「偏見」に目を向けさせてくれる、美しい傑作だったのだ。
期待に応えない凄さ
待望の『ジョーカー』続編、賛否両論(むしろ「否」の方が多い?)のようですね。
確かに自分にとっても期待した内容ではなかったですし、前作より面白いかと問われれば “Yes”とは言えなさそうです。しかし「期待通り」というのはある意味、観客が想定できる範囲内に映画が収まってしまっている、とも言えるわけで、本作のようにファンであればファンであるほど、その期待を裏切るかのような展開は、むしろ観客の想定を超えてきた制作者の勝利とも言えそうです。
そう、本当にラストは意外でした。むしろこの後ってどうなるの?という疑問だらけになります。それと同時に人それぞれに解釈が生まれてくると、期待外れの本作がファン心理を手玉に取るように巧妙に仕組まれた傑作のようにも思えてきます。
冒頭でなぜか流れるアニメーション、ミュージカルのように歌でつなぐ演出とその歌詞(これは最初はレディ・ガ・ガがキャスティングされているからかなぁと思いましたが、もちろんそんな理由ではなさそうです)、劇中で熱狂する者たちへのジョーカーの裏切り、ジョーカー脱走のきっかけとなる爆破犯の正体、そしてラストシーン。とにかく「?」も多いのですが、その答えを求めることでこの映画は完成するのではないでしょうか?
もちろんこのままではずっとモヤモヤしますので、その答えが得られる続編が早くくることを切に願います。
さよならホアキンジョーカー
向かって右がオレンジ、左に青っていうガッツリ分かれたRRRみたいな照明がずっと気になっていて
弁護士が最初にジョーカーに話しかけるシーンでボンヤリ日が差したから「オッこれはアーサーがジョーカーのモードに入るとオレンジの光が差すのですか?」と思ってずーっと光を追ってました。
全然違いました。ジョーカーなんていなかった。
独房に忍び込んだリーが、事に至る前にしっかりジョーカーメイクさせてたところでラストがなんとなく想像できてしまいました。リーはアーサーになんて興味ないんだなと。
その後の華やかな妄想シーンは素晴らしい地獄でしたね。ミュージカルの中の2人が素敵であればあるほど悲しくなりました。そんなことになるわけないのだから早く目を覚まして欲しかった。もはやDC映画としては観てませんでした。ヒューマンドラマすぎます。
弁護士団やキスした囚人はアーサーに寄り添ってたように見えるのが余計に悲しいです。
女性の弁護士ふたりともお母さんみたいな雰囲気なのもグロかったですね。
悲しくて辛い過去と障碍をもったジョーカーなんていないし、いちゃいけない。
素晴らしいストーリーではありましたがやっぱりエグくて辛かったので次のジョーカーはエンタメに振り切ってくれると嬉しい。
よくわからない
ジョーカーのキャラクターは好きなので、もう少しちゃんと深堀りして、悪になっていく所が出来れば良かったのに。
ほぼ裁判の話でよくわからないうちに終わる。
ミュージカル映画が苦手なので、回想が歌詞で表現されているのはかなり嫌い。
見やすさ○
ストーリー○
キャラクター◎
没入感◎
個人的好み○
悪くはない。
このジョーカーはスマートさに欠け、安っぽくて、弱くて、同情できてしまう。自分の思い描くジョーカーとは全く違うためガッカリしてしまった。ジョーカーに対する理想像とかない人はガッカリしないと思う。
ジョーカーの心理は読み解けない方が怖さが増すと改めて実感した。
大衆や女に操られるジョーカーは見てて辛かった。
最後リーを突き落としてJOKERになるみたいな展開を期待してしまった。
ただの模倣犯に殺されるのもなんかもう悲しかった。タイトルはJOKERだけどJOKERではなく、愛に飢えたネグレクト被害者。
好きなシーンはゲイリーだけアーサーを見ていた事が伝わる所です!
なんのために作ったのか…
きっと深い物語なんだろう。
ジョーカーへの思い入れが強けれは強いほど、鑑賞後に受ける印象は、良くも悪くも、上下に大きく振れてしまう気がする。
俄な感想としては、もっとジョーカーとして暴れて欲しかったかな。
しかしジョーカーを演じる役者は、魂を削っているね。鬼気迫るわ。
浮遊感は無い あるのは現実
概念としてのジョーカー
ジョーカーのオリジンを描いて世界的大ヒットした前作は、デニーロを出して確信犯的なスコセッシの『キング・オブ・コメディ』の影響が大き過ぎて、今一つ乗れなかった。
ジョーカーのキャラを使って語る物語としての必然が低い様な気がしたし、いっそのこと『キング・オブ・コメディ』のリメイク撮った方がスッキリするとまで思った記憶がある。
確かにアーサーと云う男が、ジョーカーと呼ばれるまでの経過を、観る者に納得させる悲惨な負のスパイラルを無駄なく表す物語ではあった。
しかしそのジョーカー像は、後にバットマンと対峙するジョーカーとは思えないものだったので、ジョーカーになった時の自己の解放にカタルシスは感じなかった。
ただホアキンの演技は凄いし、評価も高く、ベネチア獲ったりオスカーの主演獲ったりしたので、個人的にはこのジョーカーは始祖の話だと勝手に決めて、納得しようとしてた。
バットマンに対するジョーカーはもっとシンプルで絶対悪な存在だと思ってるので。
その続編「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、レディ・ガガが参加してのミュージカル仕立てだと聞き、一体何を観せられるんだろう、ガガちょっと苦手だしなぁと重い腰をやっと上げて鑑賞しました。
結果、物凄く納得しました。
ミュージカル風な部分は全く違和感を感じませんでした。
前作の最後で、アーサーが鼻歌を歌う延長だと思うし、そもそも妄想癖のある人物なので。
ただ画一的なリーの人物像と、リーとアーサーの関係もそれほど深く描く気が無いのか、台詞でドラマを作ろうとせずに歌だったのは、リーはアーサーを取り巻く環境の一部だっただけで、
2人の関係性から前作に無かった何かを描こうとしてるとは、思えませんでしたし、もっと短いシークエンスのものをミュージカルで引き伸ばしたとも、とれました。
前作も含めてジョーカーではなく、ずっとアーサーの話だった訳で、結局ジョーカーを否定して自己確立する所で、物凄く納得しましたし、何よりジョーカーは個人では無く、悪意の概念だと示唆してると思うので、素晴らしい落とし所だと思います。
ゴッサムシティに悪の象徴を産んだアーサーは退場したが、概念としてジョーカーがゴッサムに生まれた訳で、これである意味ジョーカーは、不死性を孕んだキャラクターとなったと思います。
監督のトッド・フィリップスが、自分で描いたジョーカー像の落とし前を見事につけてくれたので、とても良かったです。
アーサーに落胆するリーを含めた信者達の姿と、本作を酷評し興業的に失敗したアメリカの人々が被って見える所は狙ってなかっただろうけど、そう言う所も含めて見事だったと思います。
願わくはフォリ・ア・ドゥで描かれた要素を含めて(ミュージカル部分を省いて簡素にして)、前作で1本にまとまって語り尽くされていれば、凄い映画になったのではと思いました。
Close to you
ミュージカルのシーンがよかった。
Close to you 、印象に残った。
彼の夢の中の世界は優しく、現実は暗い。
現れた彼女はジョーカーのマニアだった。
彼はゴッサムシティのヒーローで、街にはファンがたくさんいる。
法廷劇とは思わなかった。
ジョーカー自身が弁護士になり、裁判を進めていくところは面白いのだが、これも彼の夢なのだろうか。
夢の設定で話を進めていくと、どこまでが現実なのかわからなくなる。
ストーリーはあまり上手くなかった。
これってミュージカル映画!?
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