ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ミュージカルではなく純粋なホラー映画
ジョーカーとハーレイ・クインの悪事で馬鹿騒ぎ、エベレスト級の山を作る…たしかに期待していた。だけどそれは無かった。ここまでは全然良い。
ただ歌が多過ぎて、早い段階でもう歌うな!とキレていた。映画で人が歌い出して、気持ち悪くなるのは初めて。楽しいシーンが始まると思うと歌が始まり、はい妄想でした、これの繰り返し。拷問の手法かな?
結果ミュージカルではなく純粋なホラーだった。誰一人、アーサーの味方はいない。一人の優しい男が殺人を犯し狂人と祭り上げられ、誰も彼の話を聞くことなく死んでいく。
薬はずっと飲んでないって言うところ、一番カッコ良かった!
あと冒頭のタイトルが出るところ、看守の傘選びのセンスは賞賛に値する。
映画館で観てる時はお金返せって思ったけど今は観て良かったかな、とは思う。ただ4DXの料金は返してほしい。意味あった??
ジョーカーとは何だったのか
【ジョーカーとは何だったのか】
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は期待外れの映画だった。
社会的弱者が悪のカリスマに変身して更なる大暴れをしてくれるのを多分世界中の人が期待していたのだが、それは裏切られた。
ではジョーカーとは何だったのか?
ネットでいろいろな人の考察や感想を聞いて、そこそこ腑に落ちた。
有識者の考えを自分なりにまとめてみる。
『ジョーカー』
心優しい頭の弱い男が社会に追い詰められ凶悪犯罪を犯し、神として世間に祭り上げられる話。
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
神に祭り上げられた頭の弱い男が、一生懸命神を演じようとするがやっぱり無理で自滅する話。
ミュージカルシーンにも理由があって、現実が苦しいアーサーにはミュージカルの妄想しか救いがなかった。
可哀そうなアーサー。(;_;
『ダークナイト』
数年後アーサー信者の誰かがジョーカーになり、そのころには成長したブルース・ウェインがバットマンになっていたという流れ。
こう考えると、ジョーカー二作品はバットマンの前日譚として、とても良くできた物語であったと思える。
アーサーとジョーカーを演じ分けたホアキン・フェニックスの演技力が物凄かったらしいが僕にはよくわからなかった。
2回目を観るといろいろわかるのだろうが、そこまではしなくていいだろう。
レディー・ガガが美しかったのでALL OK!ってことで。
(^_^
そもそもジョーカーという存在を知らなかったら
作品中に出てくる「ドラマ」がもし私たちの知る前作なら?
そう思ってしまう程、前作との視点の変化に少し戸惑いを感じる部分はある
前作がジョーカーという崇拝される存在の誕生を描いたものであるならば
今作はアーサーという1人の男を描いていた
随所に描かれる、子供のように裸にされ、髭は伸び、排泄や性欲もある人間としての日常が、彼をただのアーサーに引き戻していく
それが重なるたびに、彼がただの1人の人間だというギャップが私たちの知る「ジョーカー」というキャラクターの間に生まれていく
ただ本当に作品としての徹底した細やかさに感動してしまう
最初に描かれる印象的な肩甲骨
前作の流れを引き継ぐのであれば、タバコを吸う際に使うのが右手ならばアーサー、左手はジョーカーということになる
となれば、最初のカットから歪んだ左側の肩甲骨がこれから始まるアーサーの中になあったジョーカーの崩落を意味しているようにも見えるのだ
前作でゴッサムで生まれたものは、ジョーカーという概念であって
アーサーという人間ではなかった
彼は自分という存在を世間に認知して欲しいだけだったのに、人々はジョーカーしか求めていない
アーサーの最後まで他人を想う心は確かにあって
今まで見せることのなかった笑顔が本当のアーサーだった
今作で何よりも恐ろしいのは、ジョーカーへ変貌する姿を今か今かと待ち侘びる私たちが誰よりもアーサーにジョーカーを求めていたという事だ
だからガガなのか??
俺は好きよ
前作とセットで完結
ミュージカルシーンが多いだの、期待するようなジョーカーのシーンがないだの、という本当に前作を観たのかと首を傾げたくなる様な批判的なレビューが散見されますが、前作がアーサー→ジョーカーだったのに対し、ジョーカーになりきれずにアーサー自身に戻る、そしてアーサー自身が欲しがった息子が、真のジョーカー誕生につながっているように思え、作品の出来に感嘆しています。
おそらく本作の大部分はアーサーの妄想シーンと思われます。
元々続編はつくるつもりはない、と監督は述べていた記憶あり、前作の完成度の高さから、続編は蛇足になるのでは?という不安はありましたが、見事な続編に脱帽です。そして、アーサー≠ジョーカー であることは前作でも描かれていましたが、きちんと、バットマンにつながる様な要素もあちこちに散りばめてくれています。
最後に面会にきたのは、きっと黒人のカウンセラーなのかなと想像しています。
疎外感
前作はちょっと極端?に感じて個人的にそこまで面白いと思わなかったけど今作は前作よりリアルに寄せていて考えさせられた。アーサー(主役)が感じてきた疎外感…10年以上前に日本で起きたショッキングな事件を思い起こさせました。(ジョーカーものまねの事件ではありません)
前作ではそのアーサーが感じていた疎外感や歪んだ承認欲求などに感化されて影響を受けた人間が現実にも出てきましたが、今回の作品はもうちょっとリアルに寄せて前作をザッツ・エンターテインメントと言う言葉で回収しているような感じも受けました。
アーサーが終盤告白してからミュージカル(エンターテイメント)の描写がなくなって歌だけになった所らへんの見せ方も良かった。最後まで断片的に夢(妄想)は観ているようだけど…?
ラストはアーサーにとっての救いと自分は感じた。
またバッドマンのストーリーに繋げたい人には繋がるような小ネタも用意されていたように感じます。
題名はフォリ・ア・ドゥなので作者の意図しない所かもしれませんが、人どうしの結びつきの希薄さや疎外感など現社会のシステムのアンバランスを改めて考えさせられました。
ラブコメミュージカル映画。前作は見た方がいい。
とりあえずこの作品は前作のジョーカーの続編。前作を見ていないとついて行くのは難しいかもしれない、、、。
前回は、ジョーカーの狂い具合やジョーカーになるまでの物語等々が上手く作られていてとても良かった。
今回のは、、、。
まず、ミュージカルというか歌が多い。それも感情が昂った時の音楽、ストーリーの中での音楽というよりは常に歌っている感じ。あんまり求めていない方のミュージカル映画で少し残念。ストーリー展開はそこまでは悪くはないんだけど終わり方辺りがなんだかなぁって。求めているジョーカーではなくてすごい残念。今回はただの彼女?に振られたヤツやん、、、。
超がつく悪役、でも惹かれる何かがある。そんなジョーカーが今回はあまり感じられなかった。どういう風に進みたいのかがよく分からないし、急に妄想の中で歌い出すから分かりづらいし、終わり方もこんな感じかって。終わり方に関してはまぁそこまで悪くはないんだけど。
ホントに、レディーガガの歌を聴いたって感想。ジョーカーの続編って気持ちで見ると足りない。
賛否両論なのかな?個人的には前作だけでいいなって思ってしまった。ただ、レディーガガの歌が聴けたっていうのと、アーサーの様々な葛藤が見れたのは良かったかな。
思ったより、普通の人間すぎて少し興醒め。あんだけ色々あったんだから狂っていて欲しかった、、、
ミュージカル?
監督のインタビューにもあったんだけど、ミュージカル作品であって、ミュージカルではない仕上がりだそうです。
そのインタビューを読まずに見たため、最初のあらすじがアニメ調で始まった所から「あれ?」と感じつつ、いくつかの場面でジョーカーの妄想、回想シーンがミュージカルになっていて、そのシーンの切り替えが唐突すぎてみてて私は違和感を感じました。
ホアキンやレディガガの歌はとても良いんですが、映画全体としては、うーんって感じで星3つにしました。
残念ながら見たいものではなかった
1作目を超えるのは難しいだろうなあ、とは思ったけど、だからといってこの続編はないだろう、というのが正直な感想。
観終わっても、特に胸に残るものもなかったし、もちろんホアキンのジョーカーはまったく悪くないし、ガガだって悪くはなかったと思う。ただ話として何がいいたいんだか、という。
ジョーカー2
看守4人組こそこの映画の肝
一個人を苛み続ける社会機能を刑務所に象徴させ、ひたすらミニマルに個人を服従させるための暴力を描く。暴力こそが支配の肝であるというメッセージは、イスラエルの虐殺を放置し続けたアメリカの2024年に相応しい。傑作!
看守の中で1番キャラクター豊かに描かれる歌の上手いやつはナチものでよくある芸術に通じてワーグナー好きでなんならピアノも上手に弾きこなすナチ高官と同様の効果をもたらす。
最悪度合いを引き立てる演出だけどわかっていてもコレが効く。
妄想ミュージカル
本作は「ジョーカー・ビギンズ」
本作の評判はあまり良くないが、レビューを読むとこれまでのジョーカー像や前作のジョーカー像と本作のアーサーのイメージが乖離していることと、唐突なミュージカルシーンが原因のようである。しかし自分としては前作でのジョーカー像に大きな違和感を抱いていたんで、本作のストーリーやラストがとても腑に落ちた。
まず、前作での違和感であるが、ジョーカーの本質は「知性」と「狂気」である。しかし前作のアーサーには「知性」を感じることはできなかった。それに「狂気」も反射的なそれであり、"本能的"なそれには程遠かった。なので当時はアーサーがジョーカーにつながるなんて、なかなか想像できなかった。
そして本作。オープニングのアニメで、アーサーが影(ジョーカー)に振り回されてて、その時点で前作の違和感が解消されるかもという期待を持って観始めることができた。それは法廷ラストの「俺はジョーカーじゃない」というセリフで完全に腑に落ちた。
また、タイトルの「フォリ・ア・ドゥ」も、もしかしたら多くの人が誤解しているのではないだろうか。これは「二人狂い」を意味し、「妄想を持った人物と親密な関係になる健常者が、外界からの影響を受けずに過ごすことで、妄想が感染して共有される精神障害」であるらしい。ここで多くの人は前者をアーサー、後者をリーだと思ってるような気がする。しかし自分は逆だと解釈した。アーサーは健常者とは言えないが外界から隔離されているし、リーはまさしくサイコである。ミュージカルシーンはアーサーの妄想だけど、それはリーから感染した妄想だといえる。ミュージカルシーンではリーに主導権がある。リーは同じ妄想を持てるパートナーとしてアーサーに狙いを定め、わざわざアーカムアサイラムに出向いてアーサーを見つけて全愛情を注いだのである。しかし「俺はジョーカーじゃない」と言ったアーサーに幻滅し、法廷を退席するし、階段で再会したアーサーを冷たく突き放した。「蛙化現象」である。
しかしアーサーが表れたことで真のジョーカーの出現の下地は作られた。もしかしたらリーのおなかの子供が真・ジョーカーかもしれないが、だとするとべたすぎるし、ブルースとの年齢差も矛盾してくる。次作があるとしたら面白いかもしれない。
納得
前作を観ていなかったので公開から暫く経っても未鑑賞でした。
その間にSNS等で様々な考察がされていました。
自分はネタバレとか気にしないのでそれらに目を通した上で前作、今作を鑑賞しました。
それほど前作に思い入れがあるわけではないので、今作は割と好きです。
「好き」か「嫌い」かで言うなら、「好き」というだけで何度も鑑賞したい!とか、人に勧めたい!という訳ではないです。
正直アーサーが痛々しくて見ていられなかったです。
彼の弁護士は、「事件当時、犯行に及んだのはアーサーではなく別人格の『ジョーカー』であり、アーサー本人の意思ではない」といった感じに話を持っていこうとするわけです。
その裁判前に出会った女性、リーと恋仲になるわけですが良くも悪くもアーサーは滅茶苦茶影響を受けます。
彼女やジョーカーを支持する群衆は、アーサーではなくジョーカーを求めている…
アーサーも罪を犯した罪人なので、彼を可哀想というのは可笑しいとは思います。
ただ、どうしても彼に感情移入してしまって見ていて辛かったです。
最期、アーサーが面会室に向かうために看守のあとをついて行く際、彼と少し距離が空くと「はやくしろ!」と怒るのに、なんであんなことになっていても引き返して来ないの???!ってなりました。笑
いや、他にも気になる点はいろいろあるんですけどね!
期待は満たせなかったがアーサーの物語としてはアリ?
前作と『ダークナイト』視聴済みです。本作視聴直後の評価は終幕で苦笑いしながら星1、改めて考えて演技音楽表現で+1、ヴィランは無理だったけどアーサーを表現しきった点で+1しました。①ヴィラン(ジョーカー)の物語として➁アーサーの物語として2点で感想を述べます。
①まず本場アメリカでの興行収入が伸びない様子。おそらく前作を観たファンが期待するのはジョーカーに覚醒したアーサーがどのようにヴィラン(悪役)として飛躍するのか。これまでのジョーカーのイメージは劇場型犯罪を好む知能犯です。
例えば法廷劇の中で法の目を搔い潜って無罪を獲得する、あるいは脱獄劇で外部の信望者や虜にした看守を利用するといった話、ハーレークインは協力者でジョーカーが理想。
しかし描かれているのは一般人としてのアーサーです。前作で針が振り切れて倫理観や善悪の概念は捨て去っていますがあくまでジョーカーという悪意が突然宿って人格が切り替わったわけでなく正気のままでジョーカーを演じていただけ。だから終盤で「ジョーカーなんかいなかった」(うろ覚えです)そんなセリフが出てしまう。
彼の弁護人が無罪にしようと尽力したりハーレークインや外部の信望者もいて期待のストーリーになるフラグはあったのにあえて全部回避して最後●●?です。前作でバットマン自体がアーサーの空想であるかのような描写ありましたけど●んだら空想も伝えられません。アメリカの方からすると幼いころから知っているヴィランも暴れる前に●んでバットマンも無かったことになるような描写は受け入れがたいのではないでしょうか?
ただ俳優さんの演技力や歌唱力、最新の表現技術は素晴らしいです。ガガはモチロン、ホアキンはタップダンスも踊れるんだと感心。
➁要はアーサー=どん底の男性いう視点からですけどこれは良くも悪くも表現しきったと思いました。前作でどん底を演出しておいて2作目でさらに二番底を用意してくるという徹底ぶり。全てを失った所からジョーカーをあえて演じることで承認欲求の充足や恋人を手に入れた。でもあくまで一般人アーサーの感覚ではジョーカーは続けられないので断念する。終盤で信望者と逃げてヴィランに祭り上げられるとか彼からすると有り得ないのです。
一般人として恋人と自由に暮らしたいのが最後の願いでしたがリーが愛しているのはジョーカーでありアーサーではない。結果彼女も離れていき梯子を外された挙句、再逮捕され●●●エンドでは本当に何の救いも無い。
その罪を考えれば当然と言えますし加害行為は全く共感しません。●しか終着点がなかったとも感じます。ただよくここまでどん底感を表現できたなと思います。
落ち込みますけどあえてどん底を表現しきった先にあるカタルシスなるものは想像できますがそこまで気持ちの整理をつけるには時間がかかりそうです。これは初見の評価なので他の方の評論も参考に理解を深めたいです。
前評判の超酷評を信用しなくて良かった傑作
完全な私用の為にマ王、古巣の名古屋に一時帰還😁
職場で、名古屋は田舎、と吹聴してきたマ王だったが名駅の雑踏に立つと和歌山には無い高カロリーに圧倒されて、都会だなぁ、と今更になって感慨に耽った😅
さて時間が余ったマ王の行動なんだが、ショッピングでも観光でもマ王の縁の地への凱旋でも無く自然と映画館へ向かっていた😆
こんな時でも映画を忘れないのよ、マ王は💦
チョイスしたのは「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
ドルビーアトモスの高めの料金設定に目を剥きながら(時間的にコレしか無かった)ジックリ鑑賞してきました✨
海外での公開時の酷評をマ王が知らないハズがない😐
嫌でも耳にするD評価に一時期マ王のテンションは下がっていた⤵️
けど観たいもんは観たい!
良し悪しの評価はマ王が判断すればよいだけなので他人よりも自分を信じての鑑賞だったんだけど、海外でのアノ酷評は何なのか理解出来ない良作だった🎉
見事な完結編である👍
確かに理解が困難な部分も無いワケではない😬
オープニングのアニメや挿入されるミュージカルを観て拒絶反応を示す方々もいるとは思う😵
しかし最後まで観るとアニメはアーサーの本心の暗喩とラストへの布石だし、ミュージカルの大半はアーサーの妄想と現実が混同した感覚を映像化したまでで精神病を患っている(二重人格ではない)人間の世界観の描写に気付けば受け入れられる🥸
DCファンならラストで、これで辻褄が合った、みたいな安心感が存在したのではないかな🤪
海外での酷評は悪人の心理を考慮せず映像と構成だけを観て、つまらんわ、と書き殴った感が否めない🌀
まぁ確かに全編通してアップダウンはあまり無いし、アーサーの裁判がメインの作りへ恋愛要素を組み込んでる複雑な部分もある💦
だけど全ての救いから見放された男が漸く手に入れた愛を守る為、最後までピエロを演じる悲哀とそこからピエロを脱ぎ捨てる覚悟までを物語は描ききっているのよ😶
マ王的には映像、内容、演技、構成共に満点に近い映画だと思っている⤴️
ただし、前作のアーサーという男の結末とジョーカーという存在の誕生を描いた作品だというのを頭の隅に置いた上での鑑賞をオススメする(唯一のネタバレ)
同席した方も(マ王のワガママで映画まで付き合わされた)マ王と同じ感想だったので概ね間違っては無いと思う🫡
毎度思うに、この手のシナリオは海外ウケが良くない😂
敢えて言うなら日本人向けの映画とも言えよう✌️
帰りは銘菓赤福の購入も忘れずに帰路についたマ王でした🤣
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
ドルビーアトモスまでは必要ない度★★★☆☆
名古屋銘菓じゃ無いけど赤福は美味い度★★★★★
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