ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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疎外感
前作はちょっと極端?に感じて個人的にそこまで面白いと思わなかったけど今作は前作よりリアルに寄せていて考えさせられた。アーサー(主役)が感じてきた疎外感…10年以上前に日本で起きたショッキングな事件を思い起こさせました。(ジョーカーものまねの事件ではありません)
前作ではそのアーサーが感じていた疎外感や歪んだ承認欲求などに感化されて影響を受けた人間が現実にも出てきましたが、今回の作品はもうちょっとリアルに寄せて前作をザッツ・エンターテインメントと言う言葉で回収しているような感じも受けました。
アーサーが終盤告白してからミュージカル(エンターテイメント)の描写がなくなって歌だけになった所らへんの見せ方も良かった。最後まで断片的に夢(妄想)は観ているようだけど…?
ラストはアーサーにとっての救いと自分は感じた。
またバッドマンのストーリーに繋げたい人には繋がるような小ネタも用意されていたように感じます。
題名はフォリ・ア・ドゥなので作者の意図しない所かもしれませんが、人どうしの結びつきの希薄さや疎外感など現社会のシステムのアンバランスを改めて考えさせられました。
ラブコメミュージカル映画。前作は見た方がいい。
とりあえずこの作品は前作のジョーカーの続編。前作を見ていないとついて行くのは難しいかもしれない、、、。
前回は、ジョーカーの狂い具合やジョーカーになるまでの物語等々が上手く作られていてとても良かった。
今回のは、、、。
まず、ミュージカルというか歌が多い。それも感情が昂った時の音楽、ストーリーの中での音楽というよりは常に歌っている感じ。あんまり求めていない方のミュージカル映画で少し残念。ストーリー展開はそこまでは悪くはないんだけど終わり方辺りがなんだかなぁって。求めているジョーカーではなくてすごい残念。今回はただの彼女?に振られたヤツやん、、、。
超がつく悪役、でも惹かれる何かがある。そんなジョーカーが今回はあまり感じられなかった。どういう風に進みたいのかがよく分からないし、急に妄想の中で歌い出すから分かりづらいし、終わり方もこんな感じかって。終わり方に関してはまぁそこまで悪くはないんだけど。
ホントに、レディーガガの歌を聴いたって感想。ジョーカーの続編って気持ちで見ると足りない。
賛否両論なのかな?個人的には前作だけでいいなって思ってしまった。ただ、レディーガガの歌が聴けたっていうのと、アーサーの様々な葛藤が見れたのは良かったかな。
思ったより、普通の人間すぎて少し興醒め。あんだけ色々あったんだから狂っていて欲しかった、、、
ミュージカル?
監督のインタビューにもあったんだけど、ミュージカル作品であって、ミュージカルではない仕上がりだそうです。
そのインタビューを読まずに見たため、最初のあらすじがアニメ調で始まった所から「あれ?」と感じつつ、いくつかの場面でジョーカーの妄想、回想シーンがミュージカルになっていて、そのシーンの切り替えが唐突すぎてみてて私は違和感を感じました。
ホアキンやレディガガの歌はとても良いんですが、映画全体としては、うーんって感じで星3つにしました。
残念ながら見たいものではなかった
1作目を超えるのは難しいだろうなあ、とは思ったけど、だからといってこの続編はないだろう、というのが正直な感想。
観終わっても、特に胸に残るものもなかったし、もちろんホアキンのジョーカーはまったく悪くないし、ガガだって悪くはなかったと思う。ただ話として何がいいたいんだか、という。
ジョーカー2
看守4人組こそこの映画の肝
一個人を苛み続ける社会機能を刑務所に象徴させ、ひたすらミニマルに個人を服従させるための暴力を描く。暴力こそが支配の肝であるというメッセージは、イスラエルの虐殺を放置し続けたアメリカの2024年に相応しい。傑作!
看守の中で1番キャラクター豊かに描かれる歌の上手いやつはナチものでよくある芸術に通じてワーグナー好きでなんならピアノも上手に弾きこなすナチ高官と同様の効果をもたらす。
最悪度合いを引き立てる演出だけどわかっていてもコレが効く。
妄想ミュージカル
本作は「ジョーカー・ビギンズ」
本作の評判はあまり良くないが、レビューを読むとこれまでのジョーカー像や前作のジョーカー像と本作のアーサーのイメージが乖離していることと、唐突なミュージカルシーンが原因のようである。しかし自分としては前作でのジョーカー像に大きな違和感を抱いていたんで、本作のストーリーやラストがとても腑に落ちた。
まず、前作での違和感であるが、ジョーカーの本質は「知性」と「狂気」である。しかし前作のアーサーには「知性」を感じることはできなかった。それに「狂気」も反射的なそれであり、"本能的"なそれには程遠かった。なので当時はアーサーがジョーカーにつながるなんて、なかなか想像できなかった。
そして本作。オープニングのアニメで、アーサーが影(ジョーカー)に振り回されてて、その時点で前作の違和感が解消されるかもという期待を持って観始めることができた。それは法廷ラストの「俺はジョーカーじゃない」というセリフで完全に腑に落ちた。
また、タイトルの「フォリ・ア・ドゥ」も、もしかしたら多くの人が誤解しているのではないだろうか。これは「二人狂い」を意味し、「妄想を持った人物と親密な関係になる健常者が、外界からの影響を受けずに過ごすことで、妄想が感染して共有される精神障害」であるらしい。ここで多くの人は前者をアーサー、後者をリーだと思ってるような気がする。しかし自分は逆だと解釈した。アーサーは健常者とは言えないが外界から隔離されているし、リーはまさしくサイコである。ミュージカルシーンはアーサーの妄想だけど、それはリーから感染した妄想だといえる。ミュージカルシーンではリーに主導権がある。リーは同じ妄想を持てるパートナーとしてアーサーに狙いを定め、わざわざアーカムアサイラムに出向いてアーサーを見つけて全愛情を注いだのである。しかし「俺はジョーカーじゃない」と言ったアーサーに幻滅し、法廷を退席するし、階段で再会したアーサーを冷たく突き放した。「蛙化現象」である。
しかしアーサーが表れたことで真のジョーカーの出現の下地は作られた。もしかしたらリーのおなかの子供が真・ジョーカーかもしれないが、だとするとべたすぎるし、ブルースとの年齢差も矛盾してくる。次作があるとしたら面白いかもしれない。
納得
前作を観ていなかったので公開から暫く経っても未鑑賞でした。
その間にSNS等で様々な考察がされていました。
自分はネタバレとか気にしないのでそれらに目を通した上で前作、今作を鑑賞しました。
それほど前作に思い入れがあるわけではないので、今作は割と好きです。
「好き」か「嫌い」かで言うなら、「好き」というだけで何度も鑑賞したい!とか、人に勧めたい!という訳ではないです。
正直アーサーが痛々しくて見ていられなかったです。
彼の弁護士は、「事件当時、犯行に及んだのはアーサーではなく別人格の『ジョーカー』であり、アーサー本人の意思ではない」といった感じに話を持っていこうとするわけです。
その裁判前に出会った女性、リーと恋仲になるわけですが良くも悪くもアーサーは滅茶苦茶影響を受けます。
彼女やジョーカーを支持する群衆は、アーサーではなくジョーカーを求めている…
アーサーも罪を犯した罪人なので、彼を可哀想というのは可笑しいとは思います。
ただ、どうしても彼に感情移入してしまって見ていて辛かったです。
最期、アーサーが面会室に向かうために看守のあとをついて行く際、彼と少し距離が空くと「はやくしろ!」と怒るのに、なんであんなことになっていても引き返して来ないの???!ってなりました。笑
いや、他にも気になる点はいろいろあるんですけどね!
期待は満たせなかったがアーサーの物語としてはアリ?
前作と『ダークナイト』視聴済みです。本作視聴直後の評価は終幕で苦笑いしながら星1、改めて考えて演技音楽表現で+1、ヴィランは無理だったけどアーサーを表現しきった点で+1しました。①ヴィラン(ジョーカー)の物語として➁アーサーの物語として2点で感想を述べます。
①まず本場アメリカでの興行収入が伸びない様子。おそらく前作を観たファンが期待するのはジョーカーに覚醒したアーサーがどのようにヴィラン(悪役)として飛躍するのか。これまでのジョーカーのイメージは劇場型犯罪を好む知能犯です。
例えば法廷劇の中で法の目を搔い潜って無罪を獲得する、あるいは脱獄劇で外部の信望者や虜にした看守を利用するといった話、ハーレークインは協力者でジョーカーが理想。
しかし描かれているのは一般人としてのアーサーです。前作で針が振り切れて倫理観や善悪の概念は捨て去っていますがあくまでジョーカーという悪意が突然宿って人格が切り替わったわけでなく正気のままでジョーカーを演じていただけ。だから終盤で「ジョーカーなんかいなかった」(うろ覚えです)そんなセリフが出てしまう。
彼の弁護人が無罪にしようと尽力したりハーレークインや外部の信望者もいて期待のストーリーになるフラグはあったのにあえて全部回避して最後●●?です。前作でバットマン自体がアーサーの空想であるかのような描写ありましたけど●んだら空想も伝えられません。アメリカの方からすると幼いころから知っているヴィランも暴れる前に●んでバットマンも無かったことになるような描写は受け入れがたいのではないでしょうか?
ただ俳優さんの演技力や歌唱力、最新の表現技術は素晴らしいです。ガガはモチロン、ホアキンはタップダンスも踊れるんだと感心。
➁要はアーサー=どん底の男性いう視点からですけどこれは良くも悪くも表現しきったと思いました。前作でどん底を演出しておいて2作目でさらに二番底を用意してくるという徹底ぶり。全てを失った所からジョーカーをあえて演じることで承認欲求の充足や恋人を手に入れた。でもあくまで一般人アーサーの感覚ではジョーカーは続けられないので断念する。終盤で信望者と逃げてヴィランに祭り上げられるとか彼からすると有り得ないのです。
一般人として恋人と自由に暮らしたいのが最後の願いでしたがリーが愛しているのはジョーカーでありアーサーではない。結果彼女も離れていき梯子を外された挙句、再逮捕され●●●エンドでは本当に何の救いも無い。
その罪を考えれば当然と言えますし加害行為は全く共感しません。●しか終着点がなかったとも感じます。ただよくここまでどん底感を表現できたなと思います。
落ち込みますけどあえてどん底を表現しきった先にあるカタルシスなるものは想像できますがそこまで気持ちの整理をつけるには時間がかかりそうです。これは初見の評価なので他の方の評論も参考に理解を深めたいです。
前評判の超酷評を信用しなくて良かった傑作
完全な私用の為にマ王、古巣の名古屋に一時帰還😁
職場で、名古屋は田舎、と吹聴してきたマ王だったが名駅の雑踏に立つと和歌山には無い高カロリーに圧倒されて、都会だなぁ、と今更になって感慨に耽った😅
さて時間が余ったマ王の行動なんだが、ショッピングでも観光でもマ王の縁の地への凱旋でも無く自然と映画館へ向かっていた😆
こんな時でも映画を忘れないのよ、マ王は💦
チョイスしたのは「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
ドルビーアトモスの高めの料金設定に目を剥きながら(時間的にコレしか無かった)ジックリ鑑賞してきました✨
海外での公開時の酷評をマ王が知らないハズがない😐
嫌でも耳にするD評価に一時期マ王のテンションは下がっていた⤵️
けど観たいもんは観たい!
良し悪しの評価はマ王が判断すればよいだけなので他人よりも自分を信じての鑑賞だったんだけど、海外でのアノ酷評は何なのか理解出来ない良作だった🎉
見事な完結編である👍
確かに理解が困難な部分も無いワケではない😬
オープニングのアニメや挿入されるミュージカルを観て拒絶反応を示す方々もいるとは思う😵
しかし最後まで観るとアニメはアーサーの本心の暗喩とラストへの布石だし、ミュージカルの大半はアーサーの妄想と現実が混同した感覚を映像化したまでで精神病を患っている(二重人格ではない)人間の世界観の描写に気付けば受け入れられる🥸
DCファンならラストで、これで辻褄が合った、みたいな安心感が存在したのではないかな🤪
海外での酷評は悪人の心理を考慮せず映像と構成だけを観て、つまらんわ、と書き殴った感が否めない🌀
まぁ確かに全編通してアップダウンはあまり無いし、アーサーの裁判がメインの作りへ恋愛要素を組み込んでる複雑な部分もある💦
だけど全ての救いから見放された男が漸く手に入れた愛を守る為、最後までピエロを演じる悲哀とそこからピエロを脱ぎ捨てる覚悟までを物語は描ききっているのよ😶
マ王的には映像、内容、演技、構成共に満点に近い映画だと思っている⤴️
ただし、前作のアーサーという男の結末とジョーカーという存在の誕生を描いた作品だというのを頭の隅に置いた上での鑑賞をオススメする(唯一のネタバレ)
同席した方も(マ王のワガママで映画まで付き合わされた)マ王と同じ感想だったので概ね間違っては無いと思う🫡
毎度思うに、この手のシナリオは海外ウケが良くない😂
敢えて言うなら日本人向けの映画とも言えよう✌️
帰りは銘菓赤福の購入も忘れずに帰路についたマ王でした🤣
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
ドルビーアトモスまでは必要ない度★★★☆☆
名古屋銘菓じゃ無いけど赤福は美味い度★★★★★
浮遊するような現実感のなさ
ミュージカルは妄想?
もし妄想と現実を行き来する映画だったとしたら、
最後の爆破はホントにあったのか?
そんなことより、リーちゃんはホントに実在していたのか?
全てがわからなくなる。
現実と妄想の境界が見えぬまま浮遊する感覚
自分と重なって共感
あえて「観客の期待を裏切る」という挑戦
一般論として、映画は「登場人物の成長」を描くものだ。
あとは「行って、戻る物語」も定番。
その前提で本作について。
観客が期待する「続編」は、
ジョーカーが脱獄し、彼女と一緒に大暴れして、街を破壊と混乱の渦に巻き込む、
という話だろう。
それは素人でも分かること。
もちろん、監督もスタジオも分かっていること。
でも、それをあえて裏切る、違う物語で攻めたのが本作。
2作で見ると、
1は、優しい男が狂気に堕ちる物語。
2は、狂気に堕ちた男が正気に戻る物語。
つまり、「成長」であり「行って戻る」物語でもある。
しかし、それは主人公ジョーカーの話。
では、もう一人の主人公、ハーレイ・クインはどうか?
彼女が愛したのは「狂気の男」であり、「優しい男」ではない。後者を拒絶してしまう。つまり、成長しない。
そしてもうひとり、重要人物。
「狂気」に熱狂した男は、それが裏切られたことで、ジョーカーを殺してしまう。
監督は否定するだろうが、トランプとそれに熱狂する人々を描いたのでは。(否定しても、そう思われることは否定しないだろう)
トランプを熱狂的に支持する人々は、その期待が裏切られたらどうするだろうか?
拒絶するのか?それとも同じく「狂気」に堕ちるのか?
いや「題名に偽りあり」なのが最大の問題なんだって
そんな難しい話じゃなくてさー 前作からしてDC映画で「ジョーカー」ってタイトルだったじゃんかよ。
前作の後半で「おー いよいよジョーカーになってきたねえ!」みたいな感じになってたくだり、あれ何だったの? 二作続けて観たらちゃんと筋が通ってるとかいうけど、「織田信長」っていう二部構成の映画のラストシーンで、じつは信長だと思ってたこの男は三日天下の明智光秀でしたってオチ、許されると思う?
「前作のラストでバットマンの敵役としてのジョーカーでないことは示されてた」とかいうけどさー。ウェイン家との遺恨も描いて、ジョーカー誕生秘話っぽく締めくくったのちに、「幻想かも」ってオチがエクスキューズとして追加されてただけだったじゃんか。主人公が完全に倫理に反した映画じゃ、公開が難しくなるからっていう製作側の事情だったんだよ、前作の時点でのあのラストの存在意義は。
前作ではアーサーの犯すひとつひとつの殺人に、動機がちゃんと描かれていたにもかかわらず、今作では十把一絡げに「まちがってました」と反省の弁。SNSの言い訳投稿みたいなオチ。前作におけるアパート同居の黒人女性母娘や、最後のカウンセリング相談員の女性を「殺しちゃったかもしれない」という危うさを、上手く間接的に描写していたくだりを、全員裁判に登場で「殺してませんでした」と言い訳する腑抜けぶり。
そんなにジョーカーの肯定が怖いのなら、ただ前作のエンディングクレジット後(今作でもいい)のワンカットにバットマンが登場して、一瞬でジョーカーをやっつければいい。それがDC映画における善悪のバランスなのだから。ジョーカーでない人を主人公にして、「いやアーサーの物語として観るのが正解」だとか、「ジョーカーとは集団社会現象の悪意の総称であってうんぬん」だとか、何言ってんの? DC映画で「ジョーカーの映画」だっていうから観に行ったんだよ。だからつまんなかったっていってんのに、なにがまちがってんだよ。
なお私見であるが、酷評がさんざん入ってきて、どういう種類の映画であるかが喧伝された後で観に行って、「案外悪くなかった」「これはこれで」というのは別にいいのだが、だからといってアメリカで初日から観た観客より頭のいい感想というわけではない。事前に何の説明も受けずに観に行けば、アーサーがいつぶち切れて看守に復讐を始めるか、そのあたりを期待しながら待つのが当然だろう。情報を得たうえで観に行っておきながら、当初の「がっかりした」という人たちを馬鹿にするような意見は、現に慎むべきだと思う。感想は人それぞれなので、良作だという意見も尊重するが、個人的にはDC映画「ジョーカー」だという宣伝を鵜呑みにして観に行ったので、そうじゃなかった時点でただつまらなかった。
人々の持つ虚像
「期待外れだ」と、思った。
ジョーカーことアーサーはルーという女性と恋に落ちる。二人は奈落の底で情熱的に愛し合う。
人々もジョーカーことアーサーを熱狂的に愛している。
「ジョーカー」ことアーサーにだ。
ルーはアーサーと恋仲になったあと、性行為の前にアーサーの顔にジョーカー特有のピエロのメイクを施す。
ルーは面会の際も、ガラスに口紅を塗り、アーサーをジョーカーに重ねている。
ルーが愛していたのはアーサーではなく、
狂気的で悪魔のような「ジョーカー」だったのだ。
民衆も同じであった。
誰もが彼への愛を叫ぶとき、必ず「ジョーカー」と彼を呼ぶ。
誰も彼も「アーサー」なんて愛しちゃいなくて、
「ジョーカー」という理想像を愛していただけだった。
この映画は軽率な人々の抱く理想像と現実の違いを訴えているのだろう、そう思った。
私は映画鑑賞中、ジョーカーが恋愛をしているのにとても違和感を覚えた。殺人をするシーンが見たかったなぁ、とも思った。
上映終了後、隣の男性がその友達に向かって言った。
「これじゃない感がすごい」と。
私は大きな共感と同時に、水を面に被ったような衝撃を感じた。
この映画を観た私たち、きっと全員がまた、
映画の登場人物と同じく、
アーサーに「ジョーカー」という大きすぎる虚像を見て、押し付けていたのかもしれない。
アーサーだけではない。
私達は知らず知らずのうちに、
悪気なく理想像、虚像を押し付け、誰かを苦しめてはいまいか?
この気づきまでが、この映画の味噌なのだと感じる。
この映画はただのミュージカル恋愛映画ではなかった。
私達の見ている「虚像」すなわち「偏見」に目を向けさせてくれる、美しい傑作だったのだ。
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