ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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皆が望む僕
…確かに俺は悪い奴だよ。だが、俺を裁こうとするあんたはどうなの?。俺を裁く資格あるの?。あんたは、BAT MANか?、あるいはBAD MANか?。どうなの?。キスしてやろうか?。
私にとって、トリックスターと云うか、頭が良すぎる確信犯と云うか。そういう奴なんですよね。あいつは…。
やっぱり私、前作と同じ理由で、この映画を、全面的には支持しません。ジョーカーは、いるんです。解き放たれたジョーカーに、エールが届くのは、今、そこに、ジョーカーがいるからです。何処にいるのか?。もう、お分かりですね。ジョーカーと踊りたがっている歌姫は、スクリーンの中にだけ、いるわけではないよね。
そういえば、市販のトランプには、ジョーカーが普通、2枚いますよね。あれは、きっと…。
ゴッサムは、誰の心の裡にある?。
この映画は、可哀相なヒトの可哀相な映画なのでしょうか。あるいはヒトに寄り添うことができない世界を、バカにする映画なのでしょうか。もっと言えば、この映画の主人公は、アーサーなのか、あるいは、彼の中のジョーカーを見物したがっている私達なのか。どう思います?。
ここで少しネタバレしますが、とある人物の証言で、この映画のジョーカーは、沈黙します。あの沈黙は、誰に宛てたものだと思いますか?。欲しくても、手に入れられないもの、手に入れていたのに、気づかなかったもの、そこまでして、皆が望む僕であろうとした理由…。
あの沈黙を引き受ける覚悟、皆様はお持ちですか?。
それとも、ジョーカーが抜けたトランプ、皆様はごみ箱に棄てますか?。
追記
この映画、評判悪いそうですね。知らなかった。前作大ウケ、本作大コケの理由は、皆様方の方が、良くご存知のようなので、ここは個人的なジョーカー観を…。
J.ニコルソンや、ヒース.レジャーに自分の裡のジョーカーを託したことのある方なら、等身大のジョーカーに、納得するわけないよね。つまり、皆が望む僕(皆が望むジョーカー)でないことを知ったうえで、ホアキン兄さんは現れたことになります。ジョーカーは、喝采の対象なのか、哀れなるものなのか?。そもそも人生は、舞台であり、エンタメであるとすれば、誰もが皆、ジョーカーのようなもの。憧れのジョーカーを追いかけ、ありのままのジョーカーに背を向けるのは、ヒトとして普通です。たださ、ヒトは、普通であることに耐えられない。この映画を観た皆様は、普通のままでいるのか、その先の世界を見るのか、今、鏡に写る、貴方と同じ顔をしたジョーカーが決めることになります。覚悟してね。
この作品を一言でいえば「キツイ」
最初に、今回の評価は見終えた瞬間の気持ちを
そのまま表している為、変わるかもしれない
改めて感想: キツい
日本公開から5日経過して遅めの鑑賞
公開前から多くの酷評から「酷いなら当日に観なくてもいいか」と思い、正直結末も観る前に知ってしまった。それでもどんだけ酷いのか、そこまでの結末がどんな流れで終わりに向かうのか、そうした気持ちでの満を持しての鑑賞
もしかしたら皆が思う「酷い」と訳が違うかも
結論で言うととんでもない問題作であった。
・本作冒頭やミュージカルの多さ等
「うん?何を観させられてるんだ??」と言わんばかり
「ジョーカー」としての面
・前作さながら重すぎるBGMから繰り広げる「アーサーフレック」としての心情や行動
これらによって「思っていた酷さ」と全く異なった躁鬱を直に体験しているかのような138分であったと思う。
もしかしたらジョーカー/アーサーフレックの心の入れ替わりは作品のように動いているのではないか、だからこそ観客を置き去りにしていたのかもしれない。
私は鑑賞直後にこうして感想を綴っているが書いている時点でも思考停止したかのような呆然が続いている。
こんなに心を引き裂かられたような映画は「プライベートライアン」以来ではないだろうか、
今年公開された「哀れなる者たち」でもかつて観たことない表現からポップコーンを食べるのを止めてしまう程であったが、今考えればあれは絵画みたいな物であり、一周回って清々しい気持ちになっていたと改めて感じる。
プライベートライアンのようにそれまで見たことないグロテスク要素であり、これまた実際に起きた戦争を基に映し出していた為心を引き裂かられただろう。今作は要素として全く異なるがあの作品を見た時と似たような「ジョーカー/アーサーフレック」の心情を感じ取るように、躁鬱のような気持ちで見終えたのは間違いない。
改めてこの映画は本当に問題作であったと思う。
公開前からの酷評も含めて私が思っていた本当につまらない「酷さ」ではなく、強制的に呆然とさせられ心の心情としての「酷い」そして今作を一言で表す「キツイ」
私は前作を人にオススメしたいほど高校生の時に鑑賞した時に「ジョンウィックのような人を軽く殺すよりも今回の重々しく人を殺す」ようなとてつもない衝撃を感じていた
前作と比べ毛色が相当異なっているが、鑑賞する者に鬱を与えるような問題作であったと改めて考える。
最後の最後に
この作品が良くも悪くも主演のホアキンフェニックス・
レディガガは普通の人には感じ取れない心境で作ったのではないだろうか。彼らに大きな賞賛を贈りたい。
監督自ら
アーサー、ジョーカーを殺したんだと感じます
前作から5年を経てあまりに影響が大きい存在になったジョーカーを葬った。ケリをつけたとも取れます。
ジョーカーはあのジョーカーではなかったという結末ですね。 アーサーはアーサーを取り戻したとも。
全編にわたって妄想だった(髭剃りの出血から刺されて殺されるまで)という解釈もできます。
1番悪いやつはリーだった、これは本作にもっと悪い事をしでかすジョーカーを望んだ観客を揶揄する人物だったのかも。。
ただ、ミュージカルパートがありすぎる!彼の言葉を歌で表現するのはわかるが、彼からのセリフでパンチラインとして見たかった。
まぁ酷評するのもわかる気がしてますw
かつてジョーカーと呼ばれた、人間アーサーの話。
多すぎるBGMとミュージカル的な展開に終始戸惑う。特にアーサーの下手な歌と上手すぎるハーレークインのギャップは、没入感を妨げるものだった。
鑑賞後の帰り道。ひとり反芻でふと思いついたのは、ハーレークインの存在や脱獄、法廷劇そのものがアーサーの妄想、すなわちミュージカルという仮説。
前作では妄想由来の破壊衝動だとすると、今回は妄想による恋愛劇。そのキッカケはクスリ。妄想が真逆に転じた。
その対象はハーレークイン。なるほどねぇー。
ファナティックな彼女は法廷を取り囲む群集の、言わば代表。アーサーの最終弁論での発言により洗脳から醒めたハーレークイン。残酷にも簡単に気持ちが離れていく。妄想でも気持ちが踏み躙られ、群衆からも走って逃げおおせる。
ミュージカルパートを除けば、単なる模範囚のアーサー。今やジョーカーは伝説状態で、カリスマ感は皆無。そのかつてジョーカーと呼ばれたアーサーを仕留めることで新たなジョーカーが・・・、プロローグとエピローグを繋げるだけでも十分に成立する。
前作はepisode.0的な位置付けなので、今作はヒースレジャー越えのジョーカーを期待してしまうのは世の必然。トッドラングレンとホアキンはその期待を淡々と裏切りながらも、1作目のコンセプトを貫き徹底して人間アーサーを描いたのではないだろうか。今作では誰も殺していないにも関わらず、オーディエンスはジョーカーを求め、メディアや看守には蔑まされ続けられ、八方塞がり。そんな状態で迎えるエンディングのカタストロフィ。
法廷劇の結末。アメリカ合衆国議会議事堂襲撃そのもの。あの時の恐怖が蘇る。
観たい画はわりとみれた。
ジョーカー2観てきた。
ネタバレあり。
首尾一徹わかりやすい映画で、これだけわかりやすいという事が、監督がいかに曖昧さを排して「ジョーカーはいない」というメッセージを伝えなきゃという使命感を持っているのかわかる映画でした。
アーサーは多分あのまま頑張ればジョーカーになれたと思う。
けど、それを阻止したのが、小人症の人の涙や、キスをした囚人青年の死だったのだと思った。
彼らは、アーサーとお同じように周りからバカにされてるけれど、アーサーだけは彼らをバカにしなかったからアーサーを慕ってくれた人たちで、そんな彼らを結果的に傷つけたり死なせてしまった。その罪悪感がアーサーをジョーカーにしなかったのだと思う。
最終的にジョーカーではなく、アーサーの分身のようなモブ囚人に殺される…というのが徹底して「ジョーカーはいない」を貫いているなと。
最後にホアキンがダニエルジョンストンを歌ってるのが、アーサーはジョーカーじゃなく、ダニエルジョンストンだったんだ…と思えて切なかった。
最初の面談のビデオ映像をみてすぐにビリー・ミリガンを思い出し、自分で自分を弁護するのはテッド・バンディを思い出した。
昔仰天ニュースでみたミリガンの面談映像思い出した。
ガガ様とホアキンのダンスも歌もタップも観れたし、観たいものは観た気になった。
面会室でカーペンターズ歌うところはとても良いシーンだった。
ジョーカーを昇華してアーサー
第一作は、ジョーカーの名を借りたレベルの高い心理ドラマだったけど、その救いようのない重さと暗さに、本作品を観るのは正直二の足を踏んでました。ところが、蓋を開けたら、監督のトッド・フィリップスの鮮やかな演出と主役二人のパフォーマンスに圧倒されました。舞台はほぼ刑務所と裁判所という閉塞感、天気は常に雨が降っている陰鬱さ。こんなシチュエーションで、主人公アーサーの心の叫びをまさかのミュージカルで表現するアイデアにビックリしました。さらに自分の理解者リーとの出会いによる内面の高揚感をさらに明るくポップなミュージカルシーンにしていく演出が素晴らしいです。そして、歌唱力には定評のあるホアキンとガガのデュエットはパンチがあって最高です。また、ストーリーにおいても、裁判の過程でアーサーが自分の本当の姿に気づいてしまい、リーから見放されてしまう展開は、あまりにも残酷で呆然とします。賛否両論ありますが、前作のような重厚な心理ドラマの二番煎じではなく、冷たい現実ときらびやかな幻想を織り込んでアーサーの真実を描き切ったトッド・フィリップスの度胸と才能には本当に感服しました。
織田裕二の気持ちがようやく理解できました。
非常に印象深い作品であった「ジョーカー」の続編。
鑑賞前は「あの作品に続編なんていらないのでは?」「レディ・ガガとくっつくジョーカーを見たいのか?」という思いもありました。
が、実際に劇場に足を運んでみると、いやいややっぱり見ていて興奮する訳です。ミュージカル仕立てでストーリーは進み、アーサーは理解者を得て、ジョーカーになることを一旦は決断するわけです。
私自身も裁判所の前の信者たちの如く、「悪の権化」であるジョーカーの復活を待ち侘びてしまっていました。アーサーはジョーカーになり、リーはハーレクインとになり、悪逆非道の道に突き進む、というそんなラストを……。
しかし、物語はそう簡単に展開せず、アーサーに対して、アーサーであることを踏みとどまらせるのです。
「振り返れば奴がいる」というドラマがあります。織田裕二がある種のダークヒーローを演じた傑作です。彼は物語の最後の最後に唐突に殺されます。それはなぜかというと、演じた織田裕二自身が自分の役は「絶対に死ぬべきだ」と強く主張したそうです。
ダークヒーローはどこかでそのツケを支払う必要があるのです。ジョーカーを再度復活させれば非常に魅力的な終わり方として前作の支持者に喝采されたでしょうし、どこかでそれを期待している自分もありました。ですが、それをやってしまうと単なる前作の繰り返しの作品でしかありません。
そのような状況の中、ある種の因果応報をきちんと描き切った製作陣や出演者たちの勇気とケジメの付け方に拍手を送ります。
この映画の違った終わり方をどこかでいまだに求めてるもう一人の自分と向き合いながら、筆を置きます。
違和感の連続からの納得の最期
ジョーカーが裁判にかけられる話。
ハーレイクイン、ハービーデントの参戦!
と聞いて興奮してたのですが、
思ってた展開とは全く違いました。
カリスマが覚醒していく物語と思いきや、
病院でも裁判所でも前作同様の悲しい扱いを受ける
主人公アーサー。
これまでのバットマン映画のすりこみもあるせいか
ハーレイの言動もなんか気になるし
ジョーカーぽくないなあとも思い、
違和感を抱えながら観てたのですが、
ラスト5分でやっと納得できました。
とは言え前作ほどの興奮は無かったのは残念。
1人の男の人間ドラマとしては
ちゃんと成立してました。
気持ちいいものではないですが。
にしてもガガ歌いすぎじゃないですか?
「もうええわ」って心の中で何回も言ってました。
悪を誘うカリスマとして、担ぎ上げられたピエロ・・・
賛否両論!数々の想いが訴えられるのも納得です。
DC作品の中でも異彩を放った前作「ジョーカー」!本作は、更に異なる様相を現し、また違うジョーカーを見せてもらった気がする。
まるでミュージカル?作品のほとんどを占めるような歌声の数々。
勿論、レディ・ガガの起用も影響しているのかもしれないって言うより、この為に彼女をキャスティングしたのか?
ジョーカーに絡む女性と言えば、ハーレイ・クインが浮かぶんだけど、レディ・ガガが彼女なのか?
妄想シーンで歌い、踊る、二人の姿が見事にエンタメしてます。
この時点で、前作とはかなり雰囲気が違う。
こんなところが賛否両論の要因じゃないかな。結局は好き嫌い?
自分的には満足で、面白かった。ただし、途中で長い瞬きしちゃったけどね。まぁ、もう一度しっかり見てみようとは思ってます。
【ネタバレ。ラストに触れます】
そして、本当に衝撃的だったラストシーン。
まさか、あんなことになるなんて・・・
エンドロール後にオマケ映像でもあるのかと思ったら、そのまま終わってしまった。(これも賛否両論の要因かも)
結局、アーサーは、ジョーカーではなかった?
正確に言えば、バットマンのヴィランとなるジョーカーは、彼の意志を継いだ者だったということなのだろうか?
こっ!これは!!
精神疾患のある個人の妄想が、他者に伝染して同じ妄想を共有していく。。
こっ!これは!!
私の大好きな「パーフェクトブルー」
(今敏監督)でしょうか?!
本作の公開を前に、先月劇場公開された
「ジョーカー」を鑑賞したばかり。
心優しかったアーサーが貧困や差別、母親からの裏切りなどの様々な理由から精神を蝕まれていく。
(それは幼少期から続いた悲劇でもある)
そして衝撃的な殺人事件を起こす。
民衆に煽られ巨大な悪に変貌。。
私は「ジョーカー」でのアーサーの事を、
どーしても"悪のカリスマ"として見れない部分があった。
孤独だが優しかったアーサー。
彼を変えたのは歪んだ社会であり私達だ。
アーサーだからジョーカーになったのではなく、誰でもジョーカーになりうる可能性を秘めていると思えてならない。
だからこそ、彼の意図しない所で勝手に民衆の代弁者として、弱者のカリスマとして崇めたてられたアーサーを、肯定は出来ないのだが、否定も出来ずにいた。
正常な判断が出来なくなるまで追い詰められたアーサーに、むしろ同情してしまう気持ちも大きかった。
そんな
現実と妄想が混在するアーサーの世界を追体験させられた、信じられない語り部であった前作の「ジョーカー」のその後を描いた本作。
冒頭のアーサー(ホアキン)の姿にフリーズした。
痩せこけた、、を通り越す変わりよう。
もう骨と皮だけの背中に涙が出そうになった。
州立病院とは名ばかりの、酷いそこでの生活が想像出来た。
"外"に出れば彼は悪のカリスマだが、
結局は殺人鬼であり、裁判を待つ身。
院内での扱いは酷いものだった。
そんな日々の中リー(ガガ様)と出会い、
愛を知り、止まっていたアーサーとジョーカーの時間が動き出す。。
と、上辺だけすくって観ればあのままなのだが、、違う気がしてならない。。
少し乱暴だが、リーと初めて出会ったシーン。目が合う。
それは現実で、それ以降は全てアーサーの妄想だ!なんて観方も出来る。
(たぶんDTのままだと思う( ; ; )
観客が自分の見たいように都合良く見ているだけで、それは実は自分の内面なのかも、、と思うと怖くなるし、そしてその解釈が実は全てアーサーの妄想なのでは?と思うとかなり戸惑う。
しかし私は、本作は、アーサーが
「ジョーカーなんていない」と言えた事こそに意味があるのだと思った。
注目して欲しいのに!愛して欲しいのに!誰からも注目されず愛されず、底辺で生きてきたアーサー。
殺人鬼ジョーカーとなり神格化されていく過程で皆から注目され崇拝されて
(愛されて)いく皮肉。
正直心踊ったかもしれない。
しかし、アーサー自身がジョーカーと決別出来た事にこそ意味があるのではないか。
(あの彼の証言に泣いた( ; ; )
アーサーだけが僕を馬鹿にしなかった。
その証言の後のアーサーの表情の変化と、より乱暴に振る舞う姿に泣きました。
あれがあったからアーサーは心を取り戻したんじゃないかな)
悪のカリスマとしてのジョーカーが見たかった人からすれば本作は肩透かしだったろう。
だけど、それは少し危険かもしれないなんて思ってしまったのも本音。。
ゴッサムシティのジョーカー信者と同化している?!(否定してません)
SNSを通して良くも悪くも誰しもが、一瞬で世界中から注目される存在になる(なってしまう)世界。
自分の意思とは関係なく勝手に
"造られた自分"が1人歩きしてしまう恐怖。
そんなターゲットになり得る人物の登場を望んでいるのは我々で、そこに勝手に自分の欲求をくっ付けてくっ付けて巨大化させているのではないか。
そして自分の欲求を満たしてくれないのだと分かると一瞬で興味を無くす。
見捨てる。
(いつも見捨てられてきたアーサー。
だから彼の妄想は皆が笑っていても歌っていてもいつも哀しい。。)
それはリーと同様で私達にも当てはまるのではないか。
リーは自身の欲求からアーサーがジョーカーとして"存在し続ける"事を望む。
もはやリーがジョーカーであり、私達もジョーカーなのではないかと、考えると怖くなる。。
所々に差し込まれるアニメーションの意味。
前後のシーンとの関連性ももっと考えたかったのですが、一回だけでは理解及ばずで不甲斐ない( ; ; )
又、ラストの解釈も何通りも考えられる。
私はアーサーは死んだと思う。
それは身も心もアーサーという人物の命が消えたという解釈。
でも気になった事がある。
あの患者はアーサーを刺した後、ナイフを何度も舐めているように見えた。
最初は彼はジョーカー信者だから、ジョーカーの血を舐めているんだと思った。
だけど。ん?ってなって。
口裂けってジョーカーのシンボル?的な意味がありますよね?
だからあれって口裂いてた?!?!
アーサーのジョーカーは死んだけど、悪のジョーカーは絶えない!引き継がれる!って意味なのかなと思うと、嫌なラストだな、だけど、ある意味リアルだな、と、恐ろしくなりました。
でもやっぱり私では一回見ただけでは読めませんでした。
もっと仕掛けがあるのだろうに、たぶん全然わかってなくてごめんなさいw
そしてガガ様やミュージカル、音楽についても何も触れていなくてごめんなさいw
ここまで書いて力つきました( ̄∇ ̄)
スケジュール的にいけたので、エマちゃんと連続鑑賞しようかな〜( ・∇・)とか一瞬でも思っていたバカな私。
いや、頭パンクするわ我慢して正解!
自分のキャパを知る女で良かった。
遅くなったが、エマちゃん。明日観っから♪
賛否あってヨシ!
トッド・フィリップス監督の描いた
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
私は好きでした。
大人の事情
1が大好きだったので、2が作られると知ったとき、正直不安だった。でも興行として考えてみれば、2を作れば確実に客が入るのだから、作らない選択肢は無いですよね。結果、不安は的中し、モヤモヤ感たけが残った。監督は、「悪のカリスマなんて居ませんよー、皆さん目を覚ましてー」と仰りたいのでしょうが、なんだかそれって、説教臭く有りません?私たち映画ファンは、説教されるために、時間とお金をかけて映画館に向かうのでは無いのてすよ。ミュージカルも微妙だった。基本、他のミュージカル映画ば大好きなのだけれど、この映画のミュージカルシーンは全然乗れなかった。裁判シーンもカタルシスが無く、全然乗れなかった。ゲイリーの演技が良かったというコメントも見かけるが、私は、なんだかわざとらしい演技に見えた。1で登場した、片思いの彼女が、今作では、実は、あのときはこんな気持ちだったと語るのは、正直、1への冒涜、聞きたくなかった。
というわけで、私としては、2は無かった、1で完結、と思ってこれこら生きていこうと思います。
”ジョーカーが何をするか”にしか興味がない我々に突きつけられた、社会から見捨てられた男の物語
前作は”バットマン最大のヴィラン、ジョーカー”の誕生を描いた物語として見ることが出来たが、2作を一連の作品としてみると、アーサーという哀れな男が狂気と正気の間で振り回され、もがいた様子を映し出した作品であった。現実というメタ視点でもジョーカーはとてつもなく人気のヴィランであるし、とても強力でまばゆい力を持っている。そういうあまりに強力な概念としてのジョーカーにアーサーは殺された被害者のようにも感じた。作品の低評価からもわかるように世間は「ジョーカーらしさ」を求めてるんだろうなあと思う。実際自分も鑑賞直後はなるほどねーくらいの感想しか持たなかったわけだし。
さて、最初のカートゥーンでジョーカーの影が本体をクローゼットに閉じ込めて独り歩きするシーンがあるが、まさにそれが今回の映画のすべてだと思う。アーサーが「ジョーカー」という自らが作り出した幻影にすべてを奪われていく物語だった。
弁護士は「ジョーカーという別人格が起こしたことだといいなさい」といい、取材に来たテレビクルーはジョーカーについてばかり聞きアーサーは「今の私について聞いてくれ」と叫ぶ。ハーレイと惹かれ合うが、ハーレイ側は”素敵なジョーカー”に会うために嘘までつく。
TVショーという非現実の舞台の上ではジョーカーという役回りを演じられても、法廷という現実ではただのアーサーでしか無く精神的にも問題を抱えていて学もない彼は無力であり、見ていて悲しくなるほど滑稽であった。そんななかで裁判の最後にでてきた小人症のゲイリーが「君だけは僕を馬鹿にしなかった」といった相手はアーサーであり、それで重荷を捨ててようやく本人はアーサーとして振る舞えたわけだが、それでも結局一般人やハーレイなど周りが求めているのはジョーカーでしか無いというのが哀れに思う。
ジョーカーの魔力がなくなったアーサーは最後にはあのような結末を迎えて、ただただ悲しい物語だった。弱者男性という言葉が流行ったが、その言葉を想起せずにはいられなかった。
追記:制作側から観客に向けて「君たちはジョーカーが何をしでかすかに興味があるだけで、このアーサーという男には何の興味もないだろう?」と突きつけられているように思う。それが映画内と現実とで二重構造になっており、社会から見捨てられた人間の辛さ、孤独さ、悲しさが一層胸に刺さる。
鑑賞直後から時間をおいて考えれば考えるほどいろんな感情が出てくる作品だと思う。
ジョーカーになりきれなかった男
まず最初に言っておきます。作品としての出来は傑作だと思います。
では何故酷評が多いのか?それは求めていた物語ではなかったから。
落胆して拒否反応で批判的な感想が多かったのでは?
ハーレイ・クインも私たち観客達も「ジョーカー」を期待していた
だけどアーサーはそれになる事を降りた。
だから彼女も観客達も彼のもとを離れてしまったのだろう。
ジョーカーというよりジョーカーになりきれなかった男の話
物語はほぼ妄想ミュージカルと法廷劇
「Folie à Deux」(フォリ・ア・ドゥ)はフランス語で「二人狂い」という意味
文字どおりアーサーはハーレイ・クインとの妄想に思いを巡らす
法廷では証人として前作の登場人物たちが証人として出廷
裏で母親がアーサーをどのように言っていたか等、
アーサーが知らぬ現実を突き付けられ精神が崩壊していく・・・
精神を保つ為に、自らジョーカーになるが・・・
ある1カットで俺には容易にラストが想像出来てしまった。
実際に想像どおりになった。
このカットは要らなかったと個人的には思いました。
(どの1カットかは分かる人には分かる)
ホアキン・フェニックス
相変わらずの上手さ!狂気!飛び抜けている!素晴らしい!
レディー・ガガ
ワザと下手に歌ってくれと監督に言われた
それでも歌唱力は抜群!演技も素晴らしかったです!
もっと評価されてもいいのでは!?
純粋に作品として楽しめれば
前作程ではないけど、個人的には傑作だと思います!
ただ「ジョーカー」を期待して行く人にはお勧め出来ないかも?
追伸:全編IMAX撮影だと思ってたけど、
妄想ミュージカルの部分だけがIMAX撮影で
他のシーンは下部が黒くマキシングされています。
ラストが意味することとは
まさかこんなミュージカル映画とは思わなかった。
ガガが出演するならいっぱい歌ってもらいたくなる気持ちはわかるけど(笑)
ラストでアーサーが刺されて死ぬのは
刺した男が『ジョーカー』を乗っ取ったってこと?口裂いてたけど。
それともアーサーの『殺されるシリーズ』の妄想オチ?
どっちだろ?どっちでもないのかな?
モヤモヤするー
モンローよりセクシー、ノーマ・ジーンよりさびしがりや
ジョーカーについては、何となくの知識しかなく鑑賞。
ジョーカーのモデルはマリリンモンローかと思いましたね。
アーサーは、ヴィーナスの肢体を持つ悲劇の少女ノーマ・ジーン。
悲惨な少女時代への復讐のように、手段を選ばず国家権力にまで近づく、マリリンモンローというセックスシンボルが巨大になるたび、心優しい少女ノーマ・ジーンは、ボロボロに傷ついていく。
ただ、貴女を救うためだけに現れたのに。
大衆からの愛?そんなもん、彼女が夢に現れて歓迎しない男はいないだけの話し。
モンローが愛した男達は、ノーマ・ジーンの前から去って行く。
涙で化粧がはがれ、素顔の少女に戻るとき、男達の怨情の刃が彼女を貫き続けるのだ。
今さら清らかな乙女に戻らせやしないぜと。
自分もジョーカーに期待していた
ダークナイトのような悪のカリスマ、何をするかわからない恐怖を味わせてくれるのかとワクワクしてしまったが、違かった。私もアーサーなんて見てなかった。ジョーカーに期待していた。ごめんねアーサー。
これは...
やってしまっている。
なぜミュージカル、なぜガガ。
終始ガガが邪魔している。
これはハーレイではなく、ガガ。
ジョーカーの変貌ぶりはさすがだと思うけど、ホンマにガガがいらん過ぎた。
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