ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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映画詐欺。ジョーカーで客呼んでクソ裁判映画を観せられる
裁判映画×ミュージカル映画みたいな内容で、女性受けを狙ったのか無意味にオシャレなダンスシーンとか歌唱シーンを挟んできて興ざめした。
こんなやわな内容なら主人公がジョーカーである必要無かった。
観客がジョーカーに求めるものは、狂気に駆られて大それた犯罪に走る姿だよ。
それなのにまあ、牙を抜かれたライオンというか⋯ジョーカーが全く怖くなかった。
前作では止むに止まれぬ思いで狂気に落ちていく姿に感情移入出来たし怖さがあったけど、今作では自らの欲求で行動せずに全部人に言われるがまま。弁護士とか、ハーレイ・クインとか。
そして妄想の中で歌って踊って恋だとか愛だとか言う始末。そんな腑抜けジョーカーを2時間半見せられる。退屈すぎて何度も寝落ちしそうになった。
そして何より夢オチとか妄想オチのミュージカルシーンってマジでいらない。
昔見たシカゴって映画もミュージカルシーンを夢で描いてたけど、あれだと現実のドラマ描写と乖離が生まれて興醒めする。
本物のミュージカルって、なんの脈絡もなくいきなり歌って踊り出す。全ての感情を歌と踊りで表現するものなんだよ。
サウンド・オブ・ミュージックや、レ・ミゼラブルみたいなやつ。それが出来ないならミュージカルなんかやるべきじゃない。
みんなジョーカーになろうよ
前評判が最悪だった本作
自分の目で確かめるべく鑑賞したが、いやはやこれはどうなんだと…
前作と比べてスケールは小さく、ミュージカルシーンばっかりでこれはないわーと映画館をあとに
だが、シネマトゥデイのネタバレレビューを読んで、評価が変わった
そもそも前作と本作はジョーカーのオリジンを描く物語である
サイコパスなジョーカーが暴れ回る映画なら既にダークナイトがある、あれは超えられない
ならば、とことんジョーカーのオリジンに向き合おうとしたのが本作なのだろう
敢えて暗く陰湿な監獄だけの舞台と時折挟むミュージカルによって、アーサー個人に強烈に焦点を当て、ジョーカーの思想や振る舞いに共感する人間たち、最後にアーサーを殺し、次なるジョーカーとなり得る人物を描写する
冒頭のアニメーションで語られるジョーカーの影が暴走するのは比喩表現で、アーサーの死が真のジョーカーの始まりを示しているとも言えるのではないだろうか
哀れな1人の男がジョーカーを生み出したのである
王道を外したトッド・フィリップス監督の度胸に拍手を送りたい(但し、ハングオーバー2、お前は駄目だ)
ただ、ストーリーは単調で面白いとは言い難い
不評のレビューが吹き荒れるのも納得な傑作まで紙一重の作品
アーサーの話し
歌パートは確かに多い。だが、セリフを歌にして会話しているわけでも無く、その時のキャラクターの心情や裏テーマ的なことを表現する手段として歌が使われているだけで、アーサーの妄想癖をうまく使った演出として観ることが出来た。
妄想だけでは無く、実際に登場人物達が歌っている場面も多くあったが、そこには必然性を感じたし、シーンと演出で矛盾があったようには感じなかった。
でもまあ、こんだけ歌ってたらミュージカルって言われても仕方ないか。
副題であるフォリアドゥ。パッと見ではアーサーとリーが共感者のようにみえるが、その実、リーはアーサーからジョーカーを引き出すイタコのような存在だったように思う。
裁判の最後、ジョーカーを演じる事をやめアーサーでしか無いことを告白し、自分の罪を認めた。前作、わたしの評価は決して高くはなかった。なぜなら自分の不幸を理由に様々なことを社会や他人のせいにして自分の罪を認めない行為が好きになれなかったからだ。今回、しっかりと自分自身の罪を認めたことに人間的な成長を感じた。
これぞいま作るべきジョーカー作品
力強い圧倒的な悪のカリスマを描いた
ノーラン版ジョーカーとは異なり
精神的な脆さを抱えながら
言わば神輿に担がれるようにして世に放たれた
か弱く繊細な悪を描いた
トッドフィリップス版ジョーカー。
儚く切なく美しく、胸が締め付けられ
ジョーカー、と言うよりもアーサーのことが
たまらなく愛おしくなる…そんな作品だった。
ダーク法廷バイオレンスミュージカルとでも言うべき
革新的な新規ジャンル開拓。
ホアキンフェニックスとレディガガ、
2人の才能が溶け合う数々のシーンに
ゾクゾクしっぱなし。素晴らしい。
誰かの期待に応えようと自分を偽り
人生を翻弄されてきたアーサーは
刑務所で出会った運命の女性に希望を見出すが
ふとふと溢した弱い素顔によって
またしても孤独な暗闇に堕とされていく…。
観客が望む展開とは真逆をいくエンディング。
裏切りのない物語なんてクソ喰らえ。
マーケティングじゃ作れない高み。
過去のジョーカー作品に倣うのは愚かの極み。
映画の思考停止に未来はない。
これぞいま作るべきジョーカー。
期待していただけに
当方レディガガの単独ライブに行くほどにファンだった者ですが、嫌な予感はしていました。的中しました。これはミュージカルですよ。
レディガガの歌はライブで聴けばいいんですよ。私からするとライブとかミュージックビデオとかだいぶ観てたもんだからレディガガ出てくるともうレディガガなんですよ。映画に入り込めないんですよ笑
私は”ジョーカー”を観たかったんです。ミュージカルの要素も取り入れてアーサーの妄想シーンを描くなど演出に色をつけていくのかな?なんて思っていたらだいぶミュージカル引っ張るもんだから途中から冷めてました。
全くの前情報を入れずに望んだのですが、もともと賛否分かれる作品だったみたいですね。
前名作の時でもずぶずぶと作品に没入していく感覚が好きだったので、今回もそれを期待して、期待して期待してたら終わっちゃった感じです。ほぼ監獄と歌と裁判所で終わってしまいました。
しばしばホアキンフェニックスお馴染みのジョーカーっぷりは出てたのでその演技力はさすがと言ったところですが、また一作目を観ることになりそうです。
ありがとうございました。
アーサーとジョーカー
悪のカリスマじゃなかったのか?
「バットマン」に悪役として登場したジョーカーの誕生秘話なのに、バッドマンの重要人物二人が死んじゃったらダメじゃん。誕生秘話じゃなくなっちゃう。とモヤモヤが残った。ガガ様に忖度があったのか?
ジョーカーの哀しきラストショー
衝撃的な前作からの続編、というイメージだったが、内容は全くノーマークで鑑賞。GAGAが出ているってことは二人で踊ったりする??ぐらいなイメージで。
しかし、この描き方はなかなかすごいアイディアだと感心。ジョーカーのエンターテイナーとしての(という思い込み、心の中の俺)をここまで華やかに、豪華にぶち上げるとは思い切った描き方。ゴッサムシティなので、あくまで仮の世界だが、一応ストーリー上での現実と、彼の心の中の乖離、差が大きく、派手に歌い踊る程哀愁がにじみ出る。 ホアキン・フェニックスの素晴らしさ、そこにレディ・ガガが煽るのだから、一流のエンターテインメントショーもどきが繰り広げられる迫力。 残酷な現実と無意識に心の傷をえぐられる辛さがスクリーンからにじみ出ている。そして本人ではない、想像の存在の狂気にカリスマ性を勝手に感じて奉り上げる輩たちの盛り上がりは、アメリカならさもありなん、というところ。 バカがジョーカーを気取るような騒ぎにならないようなラストも、うまい終わり方と言えるかと思う。 この映画がバットマンとリンクしていないの残念、というのは個人的なわがままです。
色メガネを外して見るべき傑作!
もしも自分が重度疾患あるいはハンディキャップ持ってたら、あるいはマイノリティでもなんでもいい、そういう人たちだったら。
そして世界に馴染めずにいたら。
頑張って何かを達成出来るかもしれない。そういう人達はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーみたいな事が起こるかもしれない。
そうでない人たちは、、、。
今作は理解してもらえず、抵抗出来ず、逃げることも出来ない人間の物語。その末路。
誰だって仮面を持っいる。本当の自分なんて自分でもわからない。
前作、妄想にしか居場所がなかったアーサーは世界で上手くやっていけるジョーカーという仮面を手に入れた。
今作では、なぜそうなったかの話しも聞かずに勝手に二重人格にさせられる。
影としてのジョーカー?
光を当てているのは誰か?
アーサーではなく、ジョーカーはこうあるべきという信者。
共同妄想の信者たちはアーサーという人間はジョーカーではないと言う。
笑いという悲鳴を上げるが、誰にも届かない。
逃げ込む妄想。そこだけは綺麗でピュア。
そんなアーサーを信者たちが破壊する。
そして壊れたアーサーは嘘をつく。自分を否定する嘘を。
前作を通して初めてつく嘘。
ジョーカーは実在しないと。
自殺行為。
ラスト、信者に殺されるが、アーサーは死ねて嬉しかったのか、それとももっと生きたかったのか。カメラは静止したまま死んだアーサー を映すだけ。
批判的な意見の多くは望んだ映画(望んだジョーカー)とは違うというのが多数で、しかもラストのシーンはルーニー・テューンズ的な画面がしぼんでいくホールで終われと言う。セリフで言ってたから尚更だと。あんな死に方をしたのに。(私にはどのセリフかは分からなかったけど)
人はどこまで無慈悲になれるんだろう。
たかだか映画だけど、私は主人公が生き残る映画が好きだ。
(どんな人でも)
あなたの周りの人は本当に笑ってますか?
5分に一回くらいミュージカル
これが人生というのなら、一体どうすればよかったのか
映像・演出・演技(20)
ホアキン・フェニックスの怪演とレディ・ガガの歌唱力は間違いなく垂涎ものであろう。ただミュージカルシーンがやっぱり多すぎる気がする。
15点
世界観(20)
ある種、現実以上に救いのない世界観。
15点
脚本(20)
個人的にはこの作品をエンタメとして分類していないので問題はないと思うのだが、ミュージカルを挟みつつローテンションでゆっくりとラストに向かって進むストーリーは退屈に感じる場面があった。
13点
キャラクター造形もしくは心理描写(20)
『ジョーカー』そして『アーサー』としての面を持つ決して認められることのない彼の心情を、前述したミュージカルシーンと名俳優を使いつつ見事に表現したと考える。
15点
メッセージ性(20)
前作と一貫したものを感じる。ここで語る意味は特になさそう。
20点
総評
作中で登場した彼の弁護士の言葉を借りるのなら、この物語はまさしく『悲劇』以外の何でもないだろう。作中の、そして私も含めたこの作品を観た大衆には彼の一側面の一つにすぎない『ジョーカー』を望まれ、『アーサー』としての彼はすり潰される。しかし、弁護士の言う通り『ジョーカー』を殺し、愚かで哀れな『アーサー』として精神病患者としての生を全うするのが彼にとっての幸いなのだろうか?そもそも誰も彼も殺さずに抑圧されたまま涙を流し、ピエロとして生きてゆくべきだったのだろうか?
この問いの数々は決して解決されることのないものとして、言語化されないままラストまで彼の頭いっぱいに渦巻いていたのだろう。エンディングが流れる間際の、彼の独特な表情の真意をぜひ知りたいものである。
ジョーカーが登場する他作品に明るくないのと、救いのない話は個人的に嫌いではないので高評価をつけた。2作を独立した作品として評価すれば間違いなく名作に該当すると考える。どうか映画館に足を運んでみてほしい
78点
ミュージカル・ジョーカー
色々と噂があったので、これはこれでまあいいんじゃないかと。
知らなくて、前作のイメージをそのまま期待して観るとガッカリ感はありますが、、
私はアニー以来、レディガガの歌声も期待していたので、なかなか良い仕上がりになっていたのかと思います。
ただ、ジョーカーと言うより、アーサーでしたね。
ピエロメイクの下の悲しい瞳が印象的でした。
アーサー強め
低評価は映画の評価じゃない!気になる人は見て欲しい
ミュージカルではなく純粋なホラー映画
ジョーカーとハーレイ・クインの悪事で馬鹿騒ぎ、エベレスト級の山を作る…たしかに期待していた。だけどそれは無かった。ここまでは全然良い。
ただ歌が多過ぎて、早い段階でもう歌うな!とキレていた。映画で人が歌い出して、気持ち悪くなるのは初めて。楽しいシーンが始まると思うと歌が始まり、はい妄想でした、これの繰り返し。拷問の手法かな?
結果ミュージカルではなく純粋なホラーだった。誰一人、アーサーの味方はいない。一人の優しい男が殺人を犯し狂人と祭り上げられ、誰も彼の話を聞くことなく死んでいく。
薬はずっと飲んでないって言うところ、一番カッコ良かった!
あと冒頭のタイトルが出るところ、看守の傘選びのセンスは賞賛に値する。
映画館で観てる時はお金返せって思ったけど今は観て良かったかな、とは思う。ただ4DXの料金は返してほしい。意味あった??
ジョーカーとは何だったのか
【ジョーカーとは何だったのか】
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は期待外れの映画だった。
社会的弱者が悪のカリスマに変身して更なる大暴れをしてくれるのを多分世界中の人が期待していたのだが、それは裏切られた。
ではジョーカーとは何だったのか?
ネットでいろいろな人の考察や感想を聞いて、そこそこ腑に落ちた。
有識者の考えを自分なりにまとめてみる。
『ジョーカー』
心優しい頭の弱い男が社会に追い詰められ凶悪犯罪を犯し、神として世間に祭り上げられる話。
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
神に祭り上げられた頭の弱い男が、一生懸命神を演じようとするがやっぱり無理で自滅する話。
ミュージカルシーンにも理由があって、現実が苦しいアーサーにはミュージカルの妄想しか救いがなかった。
可哀そうなアーサー。(;_;
『ダークナイト』
数年後アーサー信者の誰かがジョーカーになり、そのころには成長したブルース・ウェインがバットマンになっていたという流れ。
こう考えると、ジョーカー二作品はバットマンの前日譚として、とても良くできた物語であったと思える。
アーサーとジョーカーを演じ分けたホアキン・フェニックスの演技力が物凄かったらしいが僕にはよくわからなかった。
2回目を観るといろいろわかるのだろうが、そこまではしなくていいだろう。
レディー・ガガが美しかったのでALL OK!ってことで。
(^_^
そもそもジョーカーという存在を知らなかったら
作品中に出てくる「ドラマ」がもし私たちの知る前作なら?
そう思ってしまう程、前作との視点の変化に少し戸惑いを感じる部分はある
前作がジョーカーという崇拝される存在の誕生を描いたものであるならば
今作はアーサーという1人の男を描いていた
随所に描かれる、子供のように裸にされ、髭は伸び、排泄や性欲もある人間としての日常が、彼をただのアーサーに引き戻していく
それが重なるたびに、彼がただの1人の人間だというギャップが私たちの知る「ジョーカー」というキャラクターの間に生まれていく
ただ本当に作品としての徹底した細やかさに感動してしまう
最初に描かれる印象的な肩甲骨
前作の流れを引き継ぐのであれば、タバコを吸う際に使うのが右手ならばアーサー、左手はジョーカーということになる
となれば、最初のカットから歪んだ左側の肩甲骨がこれから始まるアーサーの中になあったジョーカーの崩落を意味しているようにも見えるのだ
前作でゴッサムで生まれたものは、ジョーカーという概念であって
アーサーという人間ではなかった
彼は自分という存在を世間に認知して欲しいだけだったのに、人々はジョーカーしか求めていない
アーサーの最後まで他人を想う心は確かにあって
今まで見せることのなかった笑顔が本当のアーサーだった
今作で何よりも恐ろしいのは、ジョーカーへ変貌する姿を今か今かと待ち侘びる私たちが誰よりもアーサーにジョーカーを求めていたという事だ
だからガガなのか??
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