ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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煙が眼に染みる
ジョーカーの内面を知る
え?
酷評が分かりました
観る前にこちらの口コミを見たら賛否両論でしたが、酷評が分かりました。
高評価の皆さんのそれは深くてなるほどと思いましたが、単純に私は期待外れで退屈してしまいました。
刑務所や裁判所であんなにタバコを吸ったり簡単に面会が許されたりするのを違和感を感ずる方が先に立ってしまいました。
想像ばかりで、中身は半分に短縮できると思いました。
単純に面白かったパート1を観たいという気持ちになりました。
理解度が低くてすみません。
(↓以下はネタバレ)
これもよく理解してないだけかもしれませんが、気になるのは最後。
面会に来たのは誰なのか?あるいは嘘で罠で呼び出したのか?
ジョーカーへの期待に対するアンサー
ジョーカーなんていない。
アーサーが裁判所で最後に言った言葉が全てだった。
この物語では誰もアーサーを見ていない。常にアーサーは孤独だった。
ジョーカーは多くの人から熱狂的に支持されているのに、誰もアーサーのことを理解しようとしない。
1作目で孤独な青年が歪められ怪物になっていく様を見せておいて結局、怪物なんてもの(ジョーカー)はいなかったとアーサーに言わせている。誰もが思い描く悪人らしい悪人なんていないんだ、恵まれなかったり不条理に巻き込まれたりしたら誰もがジョーカーになり得るんだと言われているような気になった。
アーサーの最期はジョーカーが好きな女に見捨てられ、ジョーカーを信じていた囚人に殺される。アーサーはジョーカーになれなかったから殺された。最後の最後までひとりぼっちだった。
言い訳映画
直訳は二人狂い
ジョーカーとハーレイクインの「ミュージカル」は楽しい。
世界的な評判になった前作「ジョーカー」の続編であり、謎多きジョーカーという存在を深堀したものと言える。凶悪な殺人犯のジョーカーはアーサーの単なる演技なのか多重人格障害による別人格なのかが、裁判では争点になっている。結局よく分からないし、どちらでもいいように思う。アーサーは「悪のカリスマ」でもなんでもなく、愛を渇望し、人から正当に扱われたいと思っている普通の人間に思える。社会からひどい仕打ちを受け、暴発した結果が「ジョーカー」というだけである。そんなアーサーが、「ジョーカー」を崇拝?する謎の女リーと出会って恋に落ちる姿が物語の見どころである。
この映画はミュージカル仕立て(楽曲と踊りで心情を表現するという意味で)になっている。この作品の為のオリジナル曲が入っているのかどうかよく分からないが、有名な曲も実にシーンによくマッチしていて心情がストレートに伝わる。ホアキン・フェニックスとレディ・ガがの表現力に思わず引き込まれる。ミュージカル仕立てにすることには、賛否あるようだが、とても効果的で楽しめる作りになったと思う。
アーサーは最後に、リーから見限られ支持者からは失望される。人間らしく生きたいと願っただけなのに、人々の勝手な期待に押しつぶされた格好だ。「正義の仮面を被った悪」に憧れてはいけませんよと言っているようでもある。結局「ジョーカー」という存在が何だったのかははっきりしないまま、アーサーの恵まれない境遇だけがクローズアップされた作品でした。
違う映画みたいだけど
おお。。こうきたか。。なるほど。。
前作はついこの間ようやく見たばかり。
しかしあれ、これ同じ監督?と不思議な気分。
ホアキン様のガリガリなお姿はさすがです。ホアキンではなくアーサーにしか見えない。そして今回はジョーカーすらほとんど出てこない。
ボーの映画見たの今年だったよね!?撮影の間がどれだけ空いてたのかわからないけど、あっちが小太りでこっちが骨だけって、健康大丈夫なのかしら。どうやって痩せてるのか気になる。。
レディーガガはさすが歌上手いねえ。ピエロの化粧した時は本当にガガ様にしか見えないよ。ん?そんな感想でいいんだっけ?
ミュージカル好きだけど、これはミュージカル映画ではないところが気持ちの切り替え難しかった。最初のホアキンがテレビの部屋で踊りまくるシーンは妄想で終わったから、このシーン限りかなと思ってたらその後何度も出てくる。完全ドレスアップした妄想シーンは良いとしてどういう気持ちで見たらいいのかずっと落ち着かない感じはあった。
後から有識者レビューを読んで、最後のシーンも含めアニメのあとは妄想?など聞くとちっとも分かってなかったな、とは思うものの。
まあひたすら人を殺し続けてたらまた勘違いした犯罪者を現実に生み出すことになるよりは今回はこれで裁かれて良かったのやも。
最後の訪問者誰だったのかな。
哀れな男の結末
前作同様、哀れな男が主役の物語。
物語自体は超現実であるが、舞台がゴッサムシティということもあり、
観客として、この映画はファンタジーだから、と心の何処かで甘えやら希望を抱きながら鑑賞してしまう。
でも現実って、こんなもんだよね。
ストーリー自体は目も当てられないようなひどい仕打ちが続いていくのだが、ミュージカルを駆使した演出や美しい映像のせいで、最後まで集中して見れた。
そして胸が苦しく、見終わった後も、しばらくこの映画について思いを馳せていた。
この映画は、あのジョーカーではなく、あくまでもひとりの哀れな男が主人公の話。
愛の賛歌は世界を救うか
アーサー(ダンサー)インザダークやないかい。監督は自ら創ってしまった怪物を自らの手で裁判にかけて葬った。こんな辛いことはないだろう。しかし監督以前にアーサーを懲らしめジョーカーを彼を誕生させたのは他でもない観衆たちであり、反省すべき加害者は私たちなのかもしれない。本人がジョーク(嘘)を辞めても、ジョークだけがマンモスのように肥大化しやがて独り歩きしてやがて真実を殺し制御不能になる。いまの世相を完全に反映しているじゃないか。その数多のジョーカーたちへの対抗策を、愛またはウタ(歌)という名のこれまたジョーク(妄想)で挑むという。最後の望みが愛なんて、でも映画でできることはもはやそれしかないよな改めて。ラストのアーサーへの面会者がゲイリーであると信じたい。
自分事として。アメリカの事だけではない。
解離性同一性障害の殺人が罪になるかどうかは横に置いておきましょう。専門家でも相当な慎重さと労力が要りましょうから。でも、その辺りの裁判でのやり取りも、丁寧な印象は受けました。アーサー自身が悪いのか?精神疾患がそうさせたのか?心神喪失状態だったのか?単なるお芝居や道化なのか?幼少期のトラウマが解離させたのか?等々。私が想像していたよりも、きちっと考えさせてくれる構成でした。上手い具合に、ミュージカルの挿入あるからこそ、息抜きしつつ陰惨にならず、返って集中してみることが出来た気がします。このやり場のない混沌(ジョーカーそのもの)がアメリカ社会だわ、と遠目に観たのでなく、きっと誰しもこんな矛盾を抱えているのでは?と問うていました。
ダークヒーロー
これは、ジョーカー🃏ではない。
レディーガガを起用したことで失敗だと感じました。
ミュージカルせいが強くハレーが、ジョーカーを騙すなんてあり得ないし、爆発シーンも曖昧な感じが否めない。
階段でジョーカーを待っているシーンもあり得ない感じがしました。
最後のシーンも最初からこいつ何にかやらかすなと、思ってたらやっばりかって感じで残念極まりない。
ジョーカー役は、最高の演技です。
やっぱり普通に役者をあてるべきです。
所詮、レディーガガは、歌手でしかないと感じます。
「ジョーカー」は伝播し象徴となる
見終わった後に私も「ジョーカーはこんなに弱い人間なわけがない」と思ってしまった。それじゃあ劇中のリーと同類じゃん…とヴィランに強さを求めてしまう心を打ち砕かれた気がした。 現実世界にはジョーカーなんていない。それを作り出すのは、民衆の欲求なんだ、と。
徹底的にアーサーを「人間」として描くことで、現実世界で、反社会的な人間に悪のカリスマ性を求めてしまう集団心理に、監督はノーを突き付けた。
罪を憎んで人を憎まず。アーサーへ共感してもいいが、悪しき行為は賞賛されるべきではない、と。
そしてそれと共に、一人の男の真実にさえ近づけない社会の残酷さを訴えかける。他者の痛みに鈍感なのは、あなた自身もそうなのでは?と。映画の中だけ弱者に共感して、現実世界ではだれにも手を差し伸べていないのでは?と。
アーサーをアーサーとして扱い、関わってくれた人間がいないことが、同情を誘う。
弁護士も寄り添うようでいてその実、アーサーの苦しみからは目を背けているようにみえるし、裁判中はアーサーの母親も彼を愚弄していた事が赤裸々に語られる。
信奉者のリーも民衆も、ジョーカーの仮面をつけたアーサーしか求めない。というか、アーサーには興味がないのだ。
(もしかしたら裁判所爆発も、アーサーごと殺すつもりでリーが仕込んだか?)
アーサーに一番近い人間はやはり唯一、「こんなのは君らしくない」と言ってくれたゲイリーだけだったのかも。彼を知るがゆえに、本来は優しい人間が犯した狂気に、本当に恐怖したのかもしれない。
振り返ると、心象風景のミュージカルパートがじわじわと胸を抉ってくる。 第二作目は、アーサーとジョーカーの対決と言ってもいいかもしれない。
そしてアーサーからジョーカーが切り離され、象徴化していく…。
ラストは、ジョーカーが別の者に伝播する…と捉えることもできる。
または、リーが新たなジョーカーになるのかもという予感すら与える。
ホアキン版ジョーカーも、ノーラン版とはまた違う傑作。
無類の愛が”伝染”する
孤独な大道芸人の男が絶対的な悪へと変貌するさまを題材にした前回「ジョーカー」(‘19)での出来事から2年後を舞台に悪のカリスマとして祭り上げられアーカム州立病院に収容されていたジョーカーが謎めいた女性リーと出会い初めての愛を知る様を描きだす。アーサーが無類の愛を見つけ、それが映画の全てに”伝染”する。しっかりストーリーに昇華されていた。世の中の不平不満の代弁者として祭り上げられた男の想像を遥かに凌駕した深淵を138分かけて、ミュージカルや空想のケレンを駆使して魅せ切る。おもに法廷やミュージカル、ラブストーリーとジャンルが停滞せずつねに往来して感情がぐちゃぐちゃになったり、突き抜けたカタルシスは不在だったりするため、前回の思い出補正があるぶん観客のレンズがボヤけてみえてしまう箇所もあるだろう。またレディ・ガガが今回演じたリーという女の事実上ハーレイ・クインを彷彿とさせる含みだったり、ハービー・デント検事の立ち回りから退場の仕方まで、我々に対して馴染みのある要素もあればそうでないものもありDCユニバース自体の括りに落とし込んでるあたりは意図してか巧妙。まさに前回から一転し(今回の続編は)トッド・フィリップス監督からの挑戦状に感じた。観客それぞれが世界中で大論争なり社会問題を巻き起こしたこの問題作を、(続編を鑑賞し)それぞれのレンズからどう裁くか。アーサーは最後にどのような審判をくだされるのか。前回より視覚上の衝撃的な目を覆うシーンは少ないため、ジョーカーに対して賛否両論を唱え続ける事自体がこの映画が真に発信する狙いなのではないかと感じました。
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