「ミュージカル法廷劇」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ Tofuさんの映画レビュー(感想・評価)
ミュージカル法廷劇
本作で何が驚くかって、実はコレが本格的なミュージカルであり、ガチな法廷劇であること。しかも音楽は本当にスタンダードな名曲ばかり。
言うまでもなく、2019年の『ジョーカー(Joker)』の続編。本当は事前に前作を見直してから行こうと思っていたのだが、気力体力が足りなく……。でも、余裕がある人は(マストではないが)配信ででも観ておいた方がいいかも。
冒頭で、バックスバニーなどで知られるルーニーチューンズっぽいアニメが流れる(さすがにそこはワーナー作品)。Me and My Shadow というピエロとその影が競い合う内容。
フランス語は、1年程度勉強しただけでほとんど解さない私でも、さすがに "deux" が数字の「2」であることくらいは知っている。そして、賢明な皆さんとは違って、映画館で初めて予告編が流れるのを見たときに、何も考えずにサブタイトルの folie à deux は "part 2" をフランス語で言っているのだろう程度にしか思っていなかった。しかし、ちゃんと調べてみると、ひとりの妄想が別の人に共有される精神疾患を表す「2人狂い/感応精神病」ということだと分かった。考えてみれば、一作目の最後でもジョーカーの影響を受けて暴徒化していく人々が描かれ(貧富の差による社会の分断の象徴)、実際に日本でも感化された人物が京王線の車内で放火する事件が起きたりしていたことを思い出す。
本作を観ながら、アーサーがリーに影響を与えているのか、リーがアーサーに影響を与えているのか、はたまた彼らが群衆を感化させているのか、あるいは大衆の声が彼らを変えているのか、と答えの出ない問いが頭の中を巡っていた。
ひとりのカリスマ、あるいはインフルエンサーが何万〜何十万人もの人々を動かす一方で、一気に誰かを祭り上げたかと思うと、手のひらを返すように避難が起きたり、顔の見えない大衆の声、即ち世論が世の中を動かすこともある。そんな現代社会を動かす相互作用が象徴的に描かれているのであろう。
また、映画冒頭のアニメで描かれる自分と自分の影の如く、素顔のアーサーとピエロの仮面を被ったジョーカーのどちらが真の姿なのだろうか?そんな内省的な心の作用も描かれる一方で、どちらが本物かを周りが勝手に決めつけて崇めたり、逆に落胆したりするという身勝手な行動も同時に描かれる。
という訳で、かなり多重構造な話ではあるのだが、上映後のエスカレーターで前に立っていた女子二人組がこんなことを言っていた。「これってレディ・ガガの映画だよね」 うん、実はオレもそう思っていたけど、それを言っちゃぁ、お終めぇよ!😂