「所詮敗者は敗者でしかない」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
所詮敗者は敗者でしかない
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カリスマジョーカーが“躁”だとしたら、囚人アーサーは“鬱”。“躁”と“鬱”の振り幅が大きい作品だと思いましたが、“鬱”が9割を占めてました。興行が悪いのも皆さんがトリッキーな“躁”ジョーカーを見たいからではないでしょうか。だって、ほとんどの人が貧しくて惨めでしみったれた“鬱”状態で生きていますよね?映画くらい“躁”になって現実逃避させてくれよ?みたいな。
アメリカは“ジョーカー”公開時の5年前より、さらにカオスになってきて、アーサーやリーみたいな人がキャラクターではなくリアルになってしまった。社会が貧困化してテロもありうるかもしれないし、全体的に理解ができない状況。ジョーカーという存在がジョークではなくなってしまった。
リーはアーサーがジョーカーになれば歓喜し求めてくれましたが、アーサーがアーサーのままだと失望し去ってしまいます。つまり、ジョーカーを求めるリーは私たち観客の象徴であり、本作でそれを断固拒否したアーサーは監督の心情そのものに思えました。ジョーカーは単なるアメコミのキャラクター。それがひとり歩きしただけ。
あのギャグ映画“ボラット”や“ハングオーバー”を撮った監督とは思えないくらい大きな不安感を作品から感じましたが、これも監督流のジョークなのでしょうか?
“所詮敗者は敗者でしかない”のか?
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