「ジョーカーはひとりじゃない」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ TRINITY:The Righthanded DeVilさんの映画レビュー(感想・評価)
ジョーカーはひとりじゃない
 本国で社会現象化するほど大ヒットした前作の人気を受けて製作された続編。
 高い評価を受けた前作だが、個人的には不満がいくつか。なので、まずはそちらから。
 一つ目は「このタイミングでこれ作ってる場合?」という不満。
 2000年前後に日本でも放送され、評価が高かったアニメシリーズの人気を受けて企画が持ち上がった実写版『ジャスティス・リーグ』。
 監督の降板などの混乱で大幅に立ち遅れるうちにマーベルに先を越され、『アベンジャー』シリーズから大きく水をあけられる羽目に。
『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)を経て『ジャスティス・リーグ』が公開されたのが2017年。結局、シリーズ化は頓挫。
 その翌々年に、過去のどのDC作品とも関連しない前作が公開されて、「今やることか?」と当時思ったのは自分だけ?!
 もう一つは設定上の不満。
 狂人でありながら化学工学の知識に長け、武器や毒物をみずから開発するほどの天才でもある原作コミックのジョーカーの基本設定と、アーサー・フレックのキャラクターに乖離が有り過ぎ。
 一方、どの関連映像からも独立しているとしながらも、ウェイン家の関係者は登場するが、ブルースの見た目年齢は10歳前後。
 40手前の年齢設定のアーサーとの歳の差は、バットマンに成長したブルースとの対決が描かれないと分かっていても違和感が残る。
 それら前作からの不満に加え、本作にもあらたな不満が。
 独自の世界観で他のDC作品と無関係という同じ設定の下、前作の2年後が描かれる本作品。
 当然、前作のブルース君はまだ少年。バットマンの登場は有り得ない。
 なのに、ハービー・デントやハーレイ・クインといった原作シリーズのキャラクターをあらたに投入。一体、何がしたいの?
 一方で前作とは異なり、ミュージカルの要素が採用された本作品。
 監獄内で上映されているのはMGMのミュージカル映画『バンドワゴン』。
 レディー・ガガ演じるリーがたびたび口ずさむ『ザッツ・エンターテインメント』は同作のオリジナルナンバーで、のちに同名のアンソロジー映画が大ヒットし、日本でエンターテインメントという言葉が広く認知されるきっかけに。
 ほかにも多くの有名曲が劇中で使用されるが、冒頭の古いカートゥーンショー風のアニメーションの中で、かなり暴力的なシーンのBGMとして使われているのはバート・バカラックの楽曲。
 自分も大好きなアーティストだが、バカラックは昨年他界したばかりの現代アメリカが誇る歴史的偉人(バッハ、ビートルズと併せて3Bと称されていたことも)。誰か止める人間はいなかったのだろうか。
 そもそも、「何ゆえミュージカル仕立て?」との疑問は残るし、冒頭のアニメシーンも不要だったと自分は思う。
 本来は善人ながら、精神疾患の影響と強い疎外感から自我が崩壊するアーサーが罪を重ねるうち、意図せずアンチヒーローに祭りあげられる過程が描かれた前作。
 続編の本作では、獄中生活や法廷闘争を経たアーサーがさらに脱皮を重ねてあらたなジョーカーの完成形が見られるかが焦点…のはずが、作品は想像のつかない衝撃の結末に。
 このラストシーンは次なる続編の拒絶であるとともに、アーサーは実はジョーカーになれなかったという元も子もない宣告をも意味する。
 作品の副題「フォリ・ア・ドゥ」は、解説によればフランス語で「二人狂い」という意味なんだそう。
 そのうちの一人は多分リー(ハーレイ・クイン)。
 でも、アーサーが本当のジョーカーではないとすると、もう一人は?
 これまでも複数の俳優が演じてきたジョーカー。本作でも多数のジョーカー・ワナビーが登場する。
 ロビンがそうであったように、ジョーカーも一人でなくてよいのではと思う。
 アーサーと最後に対峙する囚人は自分のジョークを披露する以外、それまでの作中、目立った登場シーンもなければ、特別な演出も施されてはいない。
 でも、もし彼にジョーカーの交代劇を予感させるだけの個性が与えられていればあらたな続編への暗示となっただろうし、アーサーの原作コミックからの乖離やブルースとの年齢差、ハービー・デントらの投入に感じる矛盾も一拠に解決できたのにと考えると、さらに残念。
 作品全体の印象を簡潔に述べると、J・フェニックスやガガらの演技に甘えすぎ。
 前作からの時間もかかり過ぎたし、フットワークが悪いのでは?!
 映画が大衆文化である以上、社会的メッセージを込めておけばいいってものでもない。
 ザッツ・エンターテインメント。

 
   
  
  
  
  
 