「アーサー」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
アーサー
上手い幕引きだなと思う。
オリジナルが死ぬ事で、以降、ゴッサムシティを混乱に陥れバットマンと敵対する「ジョーカー」を模倣犯として切り離せる。
ジョーカーの信者が、あのメイクとあの衣装を身につけて「ジョーカー」を名乗ればいい。
ジョーカーを産んだのはアーサーでも、その後のジョーカーはアーサーでは無いわけだ。
アメコミを知らないから、作中に語られるエピソードは原作にあるものの解釈を飛躍させたものなのかと思って見ていたのだけど、どうにも違和感が拭いきれない。あまりにも狭い主観のような世界観で物語が進んでいく。
1番の違和感は「歌」だ。
コレをどう理解するべきなのか…。
外の世界観はほぼ漏れ聞こえてくるような状態で、熱狂だけが伝わってくる。
時折、挟まれるジョーカーとしての怒り…アレを具現化して第1作がジョーカーのカリスマ性を生み、大衆が感化されていくのだろう。アーサーである時にでも彼を発端に周囲が狂乱していくようなシーンもあって、ジョーカーとしての立ち位置が分かり易いなとも思った。
だが…
「歌」がなぁ…。
それまでのアーサーの人生には無かった感性が「歌」なんだろか?「歌」自体にも含まれるモノはありはするが…アーサーにとっては異質にしか思えない。
彼はずっと周囲に翻弄されてた。
リーには特に。
利用されようとしていたのか、騙されていたのか、恋愛を知らないアーサーが愛に絡め取られていく。
でもさ…アーサーには妄想癖って設定があって、コレがどこで発揮されてたのかと思うと、リーとの時間自体が嘘くさく思えてもくる。
つまりは歌が絡んでくるシーンは、全て彼の妄想とか。とても厄介な構成になってしまう。
そんな事は無いのかもだけど、どうにも作品としても整合性があるような無いようなで、始末が悪い。
どれがホントでどれか嘘なのか?
ジョーカーってキャラの本質を問うてるようにも思うけれど、作品としてはホアキンの芝居も相まって高尚すぎてタチが悪い。
ホアキンは流石であった。
ホントに。
ジョーカーであるアーサーも
アーサーであるジョーカーも
しっかり背負ってた。
冒頭、収監され痩せこけたアーサーからは、ジョーカーの片鱗なんか微塵も感じない。
が、その佇まいが異様で、居るだけで異様だ。
無気力な瞳、生気のない体つき…ジョーカーの燃えカスみたいだった。このアーサーを作り上げた時点で、本作におけるホアキンの仕事の8割は終わったんじゃないかと思える。
そして、あの笑い方…あんな声量で笑うのに、なんとも寂しくてやるせなくて、ホントによくぞアレに辿り着いたと賞賛の雨霰である。
アーサーの最期なんかは、息を呑む。
ボロ雑巾みたいに朽ちていく。
俺の中でホアキンと言えば、必ず出てくるカットになった。
ガガは…なんなんだろなぁ。
あんま彼女である事に必然性は見出せなかった。
ホアキンのジョーカーは、これで見納めだろう。
めでたくバットマンシリーズへの橋渡しも無事に終え、「ジョーカー」の名前と存在だけが1人歩きしていく。
狂人の如きジョーカーはアーサーではなく、突如笑い出す奇病も持ち合わせてはいない。
冒頭のアニメにはたまげたけれど、思い返してみるとアレはプロットみたいなもんだったのだな。
ジョーカーってタイトルで、アーサーを克明に描いた作品だったのだな。