「幻の「初代ジョーカー」の男のストーリーとも受け取れます」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ もふ毛玉さんの映画レビュー(感想・評価)
幻の「初代ジョーカー」の男のストーリーとも受け取れます
この作品にガッカリした人々の気持ちも分からなくはありません。美しく色気たっぷりの赤いスーツのジョーカーが完全ヴィランとして楽しそうに踊りながらも、一方で暴力や殺戮に走り街を混乱に陥れる内容だと期待した人も多いと思います。確かに私もそういう世界線を見てみたかった思いもあります(アーサーの妄想の中でチラッと「そういう世界線」も一応描かれてはいますし、タップを踊るジョーカーは格好良いです)。しかし、この作品はかえってそういう路線に行かないことがむしろ良かったのかな?とも感じます。反発が来ることを怖れずこの内容にした監督や俳優、スタッフらに敬意を表します。米国では酷評とのことですが、アメコミや原作バットマンにそこまで深い思い入れがない日本人の方がこの「情緒・わびさび」のある人間ドラマを理解できるような気がします。
映画の最後で確かにアーサーは亡くなりました。しかし「ジョーカー」という概念はほかの人物の体を借りて、永遠に生き続けることとなりました。アーサーを匿おうとしたジョーカーコスプレ兄さんや、アーサーを最後あんな目に遭わせたサイコ男など、アーサーが「ジョーカーとして生きるのを止める」と決意しても、別のジョーカーが生まれる土壌は既に出来てしまっている。ある意味アーサーは、「完全な悪にはなり切れなかったが、確実に初代ジョーカーだった」と言えるのではないでしょうか。もしかしたら二代目になるのはサイコ男やコスプレ兄さんかもしれない。そして二代目ジョーカーが、大人になったブルースウェインと対峙することになるのかもしれない。そうすればバットマンの本来の世界とも繋がる。
日頃ほとんど映画を見ない私が、ホアキン主演のジョーカー映画2本だけはチケットを買って見に行きたいと思ったほどの魅力ある作品でした。批判の多いミュージカル部分も、色彩のないアーカムの生活にカラフルな色を添えていて、衣装を変えて新たな魅力をふりまくジョーカーが見られて良かったです。こういう人が現れたらそりゃ人々は熱狂するよなあ…と思わせる説得力があります。
前評判が良くないという理由だけで「見るの止めた」と決めるのはもったいないような気がします。