「ミュージカルとタバコの映画」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ バーネットさんの映画レビュー(感想・評価)
ミュージカルとタバコの映画
評価が分かれるのも納得の作品だが、私は好みだった。ミュージカル仕立ての構成に最初は戸惑うが、現実と妄想が曖昧で虚構の自家中毒に苦しむジョーカーことアーサーの内面を表現するのに最も適してた表現ではなかったか。
アーサーは裁判の最後に「本当の僕を見て!」と叫ぶが、アーサーの思う僕と他人から見えているジョーカーの僕と、そもそもアーサーが統合失調症の疑いが濃い(弁護人はそれを立証し無罪を勝ち取ろうとしていた)ことを踏まえると、彼にとってはミュージカルや歌が本当の自分なのかもしれない。そう思わせるだけの演出があり、個人的には楽しめた。
次に面白いと思ったのがタバコの描写である。
令和の映画とは思えないほど、みんなタバコを吸っている。作中は1980年代前半がモデルらしいので、電子タバコは当然ない。よって、紙タバコをガンガン吸う。喫煙者は嫌なやつか、何か病んでる人ばかりで、もちろんアーサーもそのひとりだ。屈辱的な扱いを受け、ジョークを言った褒美に看守からタバコを分けてもらい、美味そうに吸う。
レディガガが演じるリーと鉄格子越しでキスをしていると、接触禁止だと注意され、その代わりに吸った相手がタバコの煙を吸い込む。もしかしたら、唾液の交換よりも煙の交換の方が脳に直接響くのかもしれない。僕は筋金入りの喫煙者だが、この演出でめちゃくちゃタバコが吸いたくなってしまった。
喫煙者がぐっと減った現在では、この演出がどこまで理解されるかわからないが、ニコチン中毒者は精神が乱れてる時に深くタバコを吸い込むと脳に直接ニコチンが注入されているような感覚に陥ることがある。その心理が映像を通じてとても伝わってきた。ヤニカスで良かったと思う映画である。
物語は自己演出したアーサーの裁判ショーが不発に終わるところ、突然の爆破テロで裁判が無くなり、リーとの関係も終わり、最後はジョーカーファンの若者に刺されて終わる。
結局はアーサーそのものに誰も関心がなく、唯一、「本当の僕」を理解しようとしてくれた小人症のゲイリーとも決別する。アーサーはゲイリーの訴えを聞いて自己演出を止めたはず。そしてそれを見て、リーは去る。
その後リーの拳銃自殺を仄めかすシーンがあり、まさか…と思ったが、リーは死んでなく、髪を切り、彼女もまたジョーカーファンの自分と決別したのだろう。リーが拳銃で撃ち抜いたのはジョーカーに傾倒していた自分だったんじゃないか、というのが僕の感想だ。
結論は凡庸な映画かもしれないし、人々が求めていたジョーカーの続編ではないのかもしれない。しかし、暗いながら音楽の演出がよい。動画配信されたら案外何回も見たくなるようなタイプの映画かもしれないなと思った。