「偶像崇拝」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ マークロス子さんの映画レビュー(感想・評価)
偶像崇拝
始めに個人の感想としては普通の作品である。前作より、平凡な作品なったなーと。
しかし今回の作品は、自分の主観かもしれないが「非」の評価が多いかなと。
まずは何故ここで「非」の評価が多いのか考えてみた。
①ミュージカル映画でしたっけ?
前作と比べて圧倒的なシーン比率を誇ってたのが、歌唱シーン。それもミュージカル調。
ここの好き嫌いが激しいのだと思う。前作がここまで振り切ってるならともかく(フランク・シナトラの曲は意味をもっていたが)、さらには日本人はあまりミュージカル慣れしておらず、受けれている人は少ないように思う。
また、好きな方から観てもここまで数が必要か?シーンごとの意味のある楽曲になっているのかという点も多い。
近年のミュージカルを舞台にした映画、人気アーティストの伝記ものは楽曲が意味をもつし、それぞれ2つとも転換の時として曲が区切りとして機能し、観る側もそのシーンに期待を寄せる。
ここがこの作品には一つもない。ただ「風」になっているかなと感じた。(この楽曲はこういう作品に使われてて、こういう意味があるかもとかあれば教えてください。)また、曲数ももう少し少ないと思う。
「アリー スター誕生」の時の作品をもう一度と考えたのかもだが…(※トッド・フィリップスが制作に参加してた)
②カタルシスが全くない
こういうダークな作品というのは苦悩、葛藤や非道、残虐さを描き続ける負の画を描き続ける。
または、そのダークヒーローが最期に意味のある死を迎えるかどうかとか、報いや、最期に自分の美学を貫いた、回りまわって人の支えになっていたとか だ。
この2つの作品が個人的に多いと思う。
今回の作品は、上記2つに該当しない。
悪も貫かない、1人の人間、アーサーとしてJOKERはいないと宣言し、そしてハーレークイン(今回の役名はリー)に愛を求めふられる。
そして、刑務所内で囚人aにさされて、死んでしまう。
ハーレークインに殺される、悪を貫き死刑になる、脱獄しジョーカーとして君臨する。
そういう結末はない。スカッとする、かっこいいと思えるような描写はないのだ。
前作はやはり、アーサーがJOKERとして変貌していく様がキレイに描かれていた。
一番は皆、悪のカリスマとしての描写、ハーレークインとの共闘等期待していたのではないのかなと考えている。
JOKERを悪のカリスマとして描かないのは個人的には、悪くないとは思うのだが、ミュージカル調とこの地味エンディングは相性が悪いかなと。
単純に画がpopになるだけでなく、心理描写が楽曲によって直接的になるからだ。
それによってこの作品が重くも、軽くもなく、とっ散らかった印象を与えているのである。
上記の点だけなら、本当なら2.5とかなのだが、この作品の唯一輝いてる点を一つ上げたい。
理想像(偶像)の肥大化への注意喚起をこの作品で感じたところだ。
群衆にしろ、弁護士のスチュワートにしろ、ハーレークインすら、アーサー自身を見ず、自分が思うJOKERとしてしか見てなかった。アーサーとしては、1人の人間として見てほしい、そこは爆破された後の助けてくれたピエロからの逃走からも確認できると思う。あくまで彼らが助けたのはJOKERでありアーサーではないのだ。
また、現実でもこのイメージに大きく縛られてるところが大きいと思う。アイドルや、芸能人と呼ばれるかたがたは常にここに苦しん出るのではないのだろうかと思ったり…
あと、単純にレディ・ガガのthat's my life、ホアキン・フェニックスの色気はたまらなかったです。劇中の小ネタ(バットマンとの繋がり、劇中で流れてた映画 etc…)も含めてのこの点数で。