ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ノーランの影に苛まれたトッド・フィリップス
ホアキン・フェニックス/アーサーの肩甲骨がみたかった?
ファーストシーンはアニメーションで、本作の概略と共にジョーカーが戯画として描かれていた。だから、実写になってホアキン・フェニックス-アーサー-ジョーカーの痩せ細り浮き出た肩甲骨と肩の不均衡さがまざまざと映し出されたのは衝撃だった。
ただ本作をみた10人中の8人、いや9人がきっとこう思っただろう。
「そんなのみたくない…」
マジで誰も期待していないし、望んでもいない彼の肩甲骨。凄いのは分かるけれど、そんなのがみたいわけじゃない。あのジョーカーが、今回はどんな狂人ぶりで死体の山/丘を築くのかそれがみたいのだ。なのにアーサーはいっこうに監獄のままだし、故に裁判劇だし、妄想以外では全く加害行為に及ばない。本作の彼はいつまでも暴力に受け身で何もできない無力の存在だ。さらにミュージカル調でもある。頭を抱えざるを得ない。
観客の期待外れは興行収入や、いまいち盛り上がっていない様からも明らかだろう。
なんでこんな物語にしたんだ???
気になって監督をしたトッド・フィリップスを調べた。すると彼が1970年生まれであることが分かった。では他に1970年生まれの映画監督が誰か調べると、一人の監督が現れる。そうクリストファー・ノーランである。
その時、私は納得した。トッド・フィリップスは本気でアカデミー賞作品賞を獲りにいったのだと。単なるDCコミックスシリーズの一作ではなく、現代の批評性を備えつつ娯楽性にも富んだ作品にしようとしたのだと。そのことはジョーカーのファンの期待に背くことになる。けれど期待通りであれば、ジョーカーという「影」を追従するだけに留まるし、それではいけないと困難な道を選択したのだろう。
さらに私がしているようにトッド・フィリップスはクリストファー・ノーランと比較をされ続けたに違いない。ノーランは『ダークナイト』でジョーカーを描いているし、『オッペンハイマー』でアカデミー賞作品賞を受賞した。ではトッド・フィリップスは?『ジョーカー』で第76回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞しているけれど、作品賞は獲れてはいない。
なんだかトッド・フィリップスはアーサーその者に思えてきた。では彼がノーランと同格となるにはどうするか。
ノーランができない心理描写を『ジョーカー』以上に深化させる。そのことは悪のカリスマであるジョーカーをアーサーという一人の人間に近づけることを意味する。ノーランができないミュージカル演出を『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』で第67回ゴールデングローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)で受賞した彼は採用する。『雨に唄えば』や『ウエスト・サイド・ストーリー』、『ラ・ラ・ランド』、『ショーシャンクの空に』へのオマージュ/目配せもする。その選択の結果が本作の物語化に違いない。続編でアカデミー賞作品賞を獲ろうとするならば『ゴッド・ファーザーPARTⅡ』以来の快挙ではないだろうか。それほど困難な道をトッド・フィリップスはノーランと同等と認められるために、選択したのだ。そう考えると本作の物語化にも納得がいく。
ではその選択が功を奏したか。残念ながら私は全面的に肯定はできない。
ミュージカル演出においても、監獄や法廷を舞台化できたとは言える。けれど、レオス・カラックスの『アネット』をもう観てしまったからね…トイレ/排泄を舞台化したり、ミュージカルの本質を抽出してしまった『アネット』と比べたら見劣りしてしまうし、裁判劇で画変わりしないことをミュージカル調で補っているようにしか思えない。しかもミュージカルシーンは説明描写に留まるしーあえてそうしているのか?ー、典型的な感情の吐露や心理描写になってもいないのはどうかと思うーアーサーが弁護士を解雇するミュージカルシーンは見応えがあったー。
確かにジョーカーを人間に近づける描写はよかった。裁判に当たって、アーサーの担当医を登場させ、彼の殺意が精神疾患由来であることを導出しようとしている。それはジョーカーのパフォーマンスを狂人のカリスマ性から普通の人の精神疾患へと横滑りさせる描写だろう。けれどアーサーが本当に求めていることは精神疾患だと診断されることではなく、むしろジョーカーという影を纏い、その影に魅了されるリーと性愛的に結ばれることに見出すシニカルさは最高だと思う。
ただアーサーの責任能力についての描写はどうかと思う。彼の裁判劇は殺人の事実の有無ではなく、責任能力の有無が焦点ではある。そして彼の自己弁護も虚しく、有罪になってしまう。けれどその責任能力について彼のバックグラウンドや精神疾患の判定を考慮に入れた主文が述べられることもなく、法廷が爆破されて省略される。それを映画だからと、省略するのは構わないが、ヒューマンドラマに仕立てリアリティラインを上げたのならちゃんとみせてほしいと思ってしまう。むしろこの爆破はリーと再会するために準備されたもののように思えるし、精神疾患だと診断する以上の答えを映画≒フィクションが持ち合わせていないようにも感じさせる。この物足りなさが、現実やモッブのドキュメントとしては適当ではあるが、その乗り越えとしては不十分という印象をもたらしてしまっている。
さあ、本作の描写する現実はかなり厳しい。ジョーカーの存在は否定される。存在するのは、監獄に収監され、看守に虐められ、肩甲骨を浮かび上がらせるひ弱な白人中年男性・アーサーのみ。彼に惹かれるリーも、セックスのときはアーサーにジョーカーのメイクをさせるようにアーサーその人を決してみていない。ヒロインのリーもまたカリスマ的なジョーカーの「影」を追う一人でしかない。アーサーが自由になる爆破もリーが引き起こしたわけではない。しかも彼が外の世界で彼女に会っても、見放され、再び監獄に戻ってしまう。あげくには彼は監獄の中で物語で全く焦点が当てられないモッブの男に刺し殺されて死んでしまう。華麗な脱獄劇もヒロインの駆け落ちもない。ヒロインに殺されることも許されない。ひ弱な男はダークヒーローにもなれず、誰にも救済されず死ぬしかない。この残酷な事実を誰がみたいというのだろうか。
ノーラン作品にも裁判のシーンは多いから、きっと現代のアメリカは映画≒フィクションで真面目に残酷な現実を提示しないとどうしようもない世界なのだと思う。アリ・アスターの世界線を突っ走ったら崩壊するんだ。
本作は前述のようにジョーカーファン以外にも届くようにウェルメイドなつくりになっている。ただ良くも悪くも秀作の域に留まっている。それをアカデミー賞はどのように評価するのか。少しは楽しみになってきた。
ずっとミュージカルじゃないか!
公開前から賛否が激しいのは知っていましたが、実際に観て「あーなるほど、これは意見割れるな」と納得しました。
私は名作の続編をあまり悪く思っておらず、一作目とは違った魅力があれば楽しめるタイプです。しかし、ここでは二作目の方向性が曖昧になっており、刑務所と裁判所を往復するだけに留まっていました。さらに、前作から作風が大幅に一変し、つまらないの一言では言い表せないぐらい複雑な感情を抱きました。
中でも戸惑ったのがミュージカル要素です。歌唱シーンが予想以上に多く、「ずっとミュージカルじゃないか!」と思わずツッコんでしまいました。エンタメ路線に特化している印象が強く、曲の入りも衝突すぎて本当に必要だったのか疑問に感じました。
レディー・ガガ演じるリーの立ち位置は漠然としていました。アーサーとの関係性について多少描写があるものの、2人が街に飛び出して大きな犯罪を起こさないので、これと言った見せ場が少なかったのが勿体なかったです。
それと、今作のレーティングがPG12になっているのが気になりました。本編では「f*ck」などの下品なセリフが多数出てきて、血が飛び散るほど過激な場面もありました。これならば、R15のままでよかったのではないかと思いました。
良かった点もいくつかあり、ホアキン・フェニックスの前作に劣らない演技には圧倒されました。作品考察の甲斐があり、終盤ではアーサーの行動が彼自身に返ってきたのではないかと解釈しました。
2024年公開の映画では間違いなく一番の問題作になっていました。今回は珍しく辛口になりましたが、またの機会に観て理解を深めたいと思いました。
いいも悪いも、全てをその目で見届けたい貴方にオススメ🎶
観てきました〜♪
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
「フォリ・ア・ドゥ」=
フランス語で「2人狂い」の意味だそうです。もう略して、「ジョーカー2」ってことでいいかしらん🙄
感想は、
賛否両論分かれる内容でした。
ミュージカル映画が嫌いな人は、苦手かもしれません。私はというと、昔は嫌いだったミュージカル映画が、昨今の名作ミュージカルによってその魅力に開眼。今はミュージカル映画大好きな方の人です。
で、そんな私ですが、
おっとこれは、もしかして?
ミュージカル映画的なやつかいな?
と、気がついた時には、
既に遅し…。
想定外のパンチに肩透かしを喰らい
若干、感情のスタートラインが出遅れてしまった模様…。
う〜ん、
やりたいことは十分に分かるのだけれど、残念ながら感情が追いつきませんでした。私の有り余る想像力と妄想力をフル稼働しても、主人公たちの気持ちに寄り添うことはできませんでした。
だってね、ひと6人も殺した極悪犯になったことないし🙄
極悪犯だって人間やし、恋するのも分かるよ。分かるけどもや…
えぇ?いつ?そんなに好きなん?
って、突っ込みたくなっちゃう悪い癖でちゃった。ミュージカル映画が苦手だった頃をほんのり思い出す苦い後味となりました😅
でもでも、
見どころは沢山あったよ🤭
レディ・ガガ好きなあなたは、もうそれだけで最高よ。主演のジョーカーを演じたホアキン・フェニックスも一作目同様、物凄い演技なのよ。すごい俳優さんなのよ。私の感情さえ追いついて、ストーリーに入り込めていたら、きっと物凄いお洒落でいてなおかつ、悲哀に満ちた傑作映画になっていたに違いない。
そもそもだ、
一作目が名作すぎた問題よ。
こちら気合い入れすぎて、前日にAmazonプライムでしっかり復習済みだから、感情の期待値はもうMAXなのよ。チラッとみた不評らしきレビューには目もくれず、かなり前のめりで観に行ったのも、よくなかったのかもしれません。
とにかく、
いいも悪いも、
全てをその目で見届けたい貴方😎
レッツ、フォリ・ア・ドゥ♪
でございます。
「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)
日本公開を前に、フランシス・フォード・コッポラが本作の全米での興行不振について、トッド・フィリップス監督を慰めた、という報道がなされた。記事だけを観ると、ほぼ同時に公開され、巨額の製作費をかけた自身の最新作「Megalopolis」の不振と合わせての発言かと思いきや、Instagramでは続きがあり、その発言には、もう少し深い同情、共感のコメントがされていた。
オレからすれば、ちょっと笑ってみたりしたもので、「あの作品」を褒めてもらったら、そりゃまあ、コッポラもうれしはずかし、コメントは残すよね。というか、「あの作品」も巨額の製作費をもって、大コケしたわけで、ジジイも勝手に老婆心が走ったんだろうが、それにしても、このジャンルに、当時も今も信じられないくらいの巨額の製作費を充てる(ことができる)のは、全くの謎だ。
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
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前作「ジョーカー」でも短く語ったが、「作者ジョーカー」という関係者のスタンスは本作も変わらないことも素晴らしいし、前作はその辺がうまく機能せず、必要以上の支持を得たことへの反省からくる、落とし前の内容と、「妄想」をあえてわかりやすく「ミュージカル」で表現したことへの勇気は買う。
しかも巨額の製作費をぶち込んで、しかも「ワン・フロム・サ・ハート」に敬意を表したなんて、フィリップス監督はキャリアを棒にする覚悟だったと思うが、それ以上にワーナーは頭がどうかしたのか、と思った。
レディ・ガガの役もオレの中では、ずーっと「妄想の産物」=「アーサーの妄想内のジョーカー」という認識は変わらず、「ジョーカー」=「トッド・フィリップス」の落とし前に付き合った結果。
それはそれでいいのだけれど、「否」が多いのは、結局「ミュージカル」が「信者」に合わなかった、というのと、「信者」を裏切ることこそ、「ジョーカー」というのは「信者」もわかっているはずだが、作り手の方では、本作の製作意義において、別の理由のほうが大きくなり、単純に「面白くなかった」ということ。
前作が「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」等、70、80年代のオマージュというのは、あくまでその設定において「パクリのレベル(デ・ニーロ免罪符)」で必要だったからであり、本作では「妄想」「逃避」を「ミュージカル」という、分かりやすい舞台を使っただけで、そうである必要はない。
「ワン・フロム・サ・ハート」のトム・ウェイツにゲンナリしたオレでは、この映画のミュージカル・シーンを楽しむことはできなかった。ただ単に、どこをどうして、どう見たら製作費2億ドルになったのか、わからないが、「ミュージカル」ってカネかかるんだな、と思っただけ。
ただね、
真実はわからないし、未来もわからないんだけれど、
「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)
のようにもオレには見えたので、厄介だ。
ジョーカーではなくアーサーの物語
前作のジョーカーで、これは根っこは同じだけどダークナイトとは違う世界線のジョーカーなんだと割り切っていたので、今作はジョーカーというより「アーサー」の行く末を見に行くつもりで見た。
その結果、ストーリー展開や結末があまりにも自分の予想通り過ぎてしまって、前作のようなインパクトは正直感じることができなかった。
妄想シーンを全てミュージカルにする手法がハマる人は評価が高めになると思うけど、私はどうもその分量が多すぎると思ってしまい、歌わないホフキンの演技をもっと見せてくれー!と思ってしまった。(タイトルが妄想障害という意味のフォリアドゥなので、妄想シーンが多いのはわかるが…)
できれば、ミュージカル以外の手法で、妄想と現実の演出をしてほしかった!
ただ、監督の意図は伝わったし、結局ジョーカーのような犯罪者を英雄視して、ヒーローのように崇める世間は異常なので、そこに対して冷や水ぶっかける感じは良いと思った。
それにしてもアーサーの人生ってなんだったんだろう。
唯一アーサーとして見てくれていたゲイリーと友情を築いていれば、アーサーの人生は変わったのかな…
ありのままの自分を受け入れて愛してほしい男が、皮肉にも世間から祭り上げられたジョーカーという仮面に踊らされる姿は、あまりにも苦しく悲しかった。
いろんな意味で目を覚まさせられる一作
本作を観ながら二つの両極端な感情に引き裂かれた。ひとつは抑圧された個の暴走を前作であれほど鬼気迫る熱量で描きながら、続編では「嘘だろ!?」と思うほどのローテンションに終始し、カタルシスを放棄していることへの落胆。そしてもうひとつは、心のどこかでこの展開を「あるべき形」として受け入れている自分への驚きだ。何もかもが恐るべきスピードで移り変わる現代を見渡せば、これが写し鏡であることに気づく。世間によって虚像へと祭り上げられた男は、いつしかたどるべき道を辿るのだ。社会でも政治でもエンタメ界でも、こんなことは日常茶飯事。夢は醒めなければならない。彼を救うヒーローも現れない。なるほどそれはよく分かったし、切ない愛をミュージカル調に紡ぐ感情描写も二作目独自の趣向として見応えはある。が、魔法の効果は限定的だ。これは作り手たちが生み出した「ジョーカー」という現象に対し自らけじめを付けた一作のように思える。
大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡
“フォリ・ア・ドゥ”とは“ふたり狂い”を意味する言葉。狂信者が共鳴し合い、更に狂うという意味らしい。
だけど、ジョーカーことアーサーも、彼にある想いを秘めて近寄る女性ハーリーンも、微塵も狂ってはおらず、地に足を着けて生きている。
つまり、これは荒唐無稽なヒーロー映画ではなく、殴られれば痛いし、食事の量が減れば痩せ細るし、空想の世界で大好きな映画のことを思い出せば、一瞬ではあるが、どうしようもない世界から解放される。その術を知ってしまった“フォリ”を描く作品なのだ。
作家の同時代性という意味で、IMAX撮影には素晴らしい進化がある。
定説とされる景観を美しく描写することに執心せずに、切実な顔に寄ることで表現できる画面には、IMAXだから伝えられる映像の力が宿る。そのことを圧迫する映像で教えてくれた作品がクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』であり、この映画である。意識的な作家はIMAXに潜在する表現力に気づいている。だからこそ、躊躇せずにクローズアップする。画角が伝える力を信じたその映像が訴えかけることを決して観逃してほしくない。
この映画には、生理的な痛みがある。言い換えれば、それは当たり前の痛みだ。
フランチャイズの呪縛を解いた時、アーサーという、孤独で、どうしようもない男の等身大の姿が露わになる。殴られたり、蹴られたり、裏切られたり、信用できなかったり。期待なんかしていない。でも、、、
心せよ。この映画は大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡なのだから…。
映画ファンのために作成した映画ではなかったようだ。
この映画の正体が解ったのでレビューしたい。
ジョーカー1のテーマはごく単純で「何も持たない奴隷が金持ちや権力者に対抗する術は
暴力しかない」とするものだった。
しかし世界中でヒットしたこのジョーカー1は、金持ちや権力者たちの多大なる不興を買ったことは間違いないだろう。
Showbiz業界なんて所詮は金持ちや権力者の後ろ盾がないとやっていけない業界である。
映画製作会社は彼らの冷たい反応に完全にビビってしまったのだと思われる。
そこでジョーカー2では、アーサーは女に見捨てられ、看守たちにレイプされ反抗心もなくなり、仲間であった別の弱者に殺されるという、金持ちや権力者好みのストーリとした。
ジョーカー2のテーマは「弱者は何をやっても無駄で金持ちや権力者には決して勝てない」である。
ミュージカル風に粉飾された映像には映画製作者の姑息さを感じないではいられない。
莫大な製作費を使ってでも彼らの機嫌を取り戻したかったのであろう。
また前回のヒットを利用してある程度は回収できると計算し、発生する損失もそれで彼らの機嫌を取り戻せるなら許容できると考えたのであろう。
世界中の映画ファンを裏切ってでも金持ちや権力者に媚びを売るアメリカのShowbiz業界の姿にリアルジョーカーを待望する気持ちが自然と沸き起こった。
映画ファンのために作成した映画ではなかったようだ。
熱烈バットマンシリーズファンの感想
はい。よく私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画って、メッチャ毀誉褒貶が激しい。高低差ありすぎで耳キーンってなるわ!
暫し個人語りなんですが、この映画ってバットマンシリーズのスピンオフ。私はバットマンは全部観てる。スピンオフも全部観てる。マイケルキートン版から。
私の血の半分はバットマンで出来ているんです。冗談ぬきで本籍地をゴッサムシティを移そうと思っていましかからね。
ツッコミその1 とっとと行けよ‼️
ツッコミその2 お前は獄門島に行けよ‼️
まずこれって、ジョーカーの話しじゃねえ。アーサーの話しじゃねぇの。そう思っちゃったんですよ。
なんかね、拘置所と裁判所の無限ループが続きます。何回も何回も。
ツッコミその1 スシローか‼️
ツッコミその2赤坂五丁目のミニマラソンか‼️
拘置所では看守から迫害を受けてます。まあそりゃあそうだ。ジョーカーだもん。でも憧れる若者もいます。
裁判所では弁護士を排除して自分で弁護します。ところがなんと、タバコを吸いながら!ありえへん。今時ですよ!
ツッコミその1 昭和のブロマイドか‼️
ツッコミその2 お前は市川崑か‼️
いやね妄想なんでしょうね。前作はリアルと妄想の際を楽しむ映画でしたが、本作は妄想前提です。
ツッコミその1 お前はカイザーソゼか‼️
ツッコミその2 お前はウソップか‼️
それでね、アーサーがカリスマじゃねえのよ。これがまた。リンダカラー♾️のDENの方がよっぽどカリスマだわ。今作は人殺してないしね。頭が悪い人には慕われています。なんなら獄中から指示して、そいつらが人を殺せよ。
組織の名前は、死ね死ね団!
ツッコミその1 不適切にもほどがある‼️
ツッコミその2 昭和生まれしかわかんねえわ‼️
あとね、タイトルが覚えられん。ジョーカー フォリ・ア・ドゥとか言いづらいし覚えられんのよ。
フランス語らしいけど知らんよ。フランス語って役にたたねえな!エスペラント語ならペラペラなんだけどね。
ツッコミその1 絶対嘘だろ‼️
ツッコミその2 エスペラント語なんて、最高に役にたたねえわ‼️
それから興行収入が激ヤバ!北米の1週目は3700万ドル、しかし2週目はそこから81%ダウン。しかも負けた相手が、あのゲロ映画だぜ!全米が嘔吐したって言う。
損益分岐点が世界で3億5000万ドル。色々金かかってるからね。
絶対って言葉は言っちゃいけない。でも無理。絶対。しかも出演者もボロクソに言ってる。沈みゆく船から逃げ出すネズミか!タイミングはえーだろ!
責任者は監督、脚本、制作の、トッド・フィリップス。次のメガホンはあるのか?
関係者はそのメガホンを取り上げてトッドの頭をポカリ。
全部、お前のせいだよ‼️
とにかくね、瀬戸際のトッドちゃんだわ!
いやね主演のホアキン・フェニックスだってやばい。加担したんだからね。大丈夫かホアキン?次はあるのかホアキン?
ツッコミその1 フェニックスだから大丈夫なの。
ツッコミその2 愛があるから大丈夫なの。
おいおい、瀬戸の花嫁か‼️
ガガ様だってやばい。瀬戸際の花嫁か‼️
さて、私の感想は…残念ではあるが、例えば金返せとか時間を返せとか…そうは思わない。それはオーバーキルでしょ。お暇なら来てよね…くらい。
例えばだよ、私はカードゲームを考えたんですよ。
トランプ【53】枚を使います。それを参加者に配るんです。順番に隣の人から1枚抜いて、同じ数字だったらペアで場に出します。
それを繰り返すわけです。しかし絶対にペアにならないカードが有ります。それを持っていた人の負け。そのカードは…
JOKER‼️‼️
ツッコミその1 それって、ババ抜き‼️
ツッコミその2 長々と無駄話‼️
ふざけてごめんなさい。長くてごめんなさい。お付き合い頂きありがとうございました。
これは酷い
前作ジョーカーは人々を喚起させて行動させる凄い力を持った作品だった。惨めな人生にクヨクヨしてないで、みんなで立ち上がって金持ちや政治家やぶっ殺しに行こう!というもので、格差社会においてジョーカーを題材としてとんでもない作品を作った。監督はその結果として世界中でこの映画に感化された人々が殺人事件を起こしたことにビビって、本作であれは妄想でした。ジョーカーも悪のヒーローにはなれませんでした。それで虚しく死にました。って……前作をも亡きものにするかのような手のひらがえしで観客はガッカリした。映画は悪徳でもいい。歴史的に繰り返されてきた表現の自由に乗り切れなかった監督の日和によって、ジョーカーという映画は永遠の名作とはならず一過性の流行のような映画のレベルの地に落ちた。
1作目が素晴らしかっただけに
1作目が完璧に素晴らしかっただけに
2作目は残念でした。
映画館に行って寝る事はほとんど無いのですが
5回ぐらい寝落ちしてしまうぐらい
面白くありませんでした。
前半の15分だけが面白くて
後は……
煙が眼に染みる
どうしても「ダークナイト」の印象が強烈すぎて観る側としては、あれ以上のものを期待するのは無理もないこと。その為「なぜ殺人鬼と化したか?」という前作には退屈感を感じてしまいましたが、今回は あの「ジョーカー」にミュージカルを融合させるという アイディアに感服。 煙草を吸って煙を吐くシーンが今の時代では新鮮で印象的。次作の主人公は レディガガ?
ジョーカーの内面を知る
本作の劇場公開を楽しみにしていたが、なかなかタイミングが合わず、いよいよ劇場公開最終日に滑り込みで鑑賞。
なるほど、そういうことか。これは確かに評価分かれると思う。ホアキン・フェニックスもレディー・ガガも迫真の演技を繰り広げるのだが、コンセプトが明らかに前作と変わってしまっているので肩透かし感がどうして目立つ。そして、まさかのラストシーン。
個人的には、前作はあまりの狂気に気持ちが萎えてしまったのだが、本作は本来の優しい内面を中心に描いているので、ある意味で安心して観ていられた。とはいえやはり、全体を通して物足りなさが拭えないのが正直なところかな。
え?
非常に満足度は低いです。
まず、ミュージカル映画に変わってて、え?
それから、看守とアーサーとの距離感が謎すぎて、え?
なにより、悪行がなくて、え?
前作のジョーカーが完全に消えてて、え?
監督とか脚本家が変わってるのかと思って確認して、え?
ここまで、めちゃくちゃに仕上がってるとは思わなかったのである意味ハーレークインでした笑
評価できるところはラストと予告の見せ方ぐらいですかね笑
もし、裁判所にいたジョーカー信者達のように『ジョーカーは存在しない』という言葉通りにがっかりさせたかったという裏が込められてたとしたら相当評価できる映画に変わるけどな、、、
酷評が分かりました
観る前にこちらの口コミを見たら賛否両論でしたが、酷評が分かりました。
高評価の皆さんのそれは深くてなるほどと思いましたが、単純に私は期待外れで退屈してしまいました。
刑務所や裁判所であんなにタバコを吸ったり簡単に面会が許されたりするのを違和感を感ずる方が先に立ってしまいました。
想像ばかりで、中身は半分に短縮できると思いました。
単純に面白かったパート1を観たいという気持ちになりました。
理解度が低くてすみません。
(↓以下はネタバレ)
これもよく理解してないだけかもしれませんが、気になるのは最後。
面会に来たのは誰なのか?あるいは嘘で罠で呼び出したのか?
ジョーカーへの期待に対するアンサー
これはジョーカーへの期待に対する現実的なアンサーなんだろうな。「みんな!鬱屈したものがあるんだろうけど、ジョーカー的なものを期待しちゃだめだよ」っていう。
前作はアーサーの怒りに共感してその爆発に期待して満足し、今回はリーのジョーカーへの期待に共感して失望させる構図なのかなと。
カタストロフィはないけど、複雑な感情の坩堝を味わえる。
ジョーカーなんていない。
アーサーが裁判所で最後に言った言葉が全てだった。
この物語では誰もアーサーを見ていない。常にアーサーは孤独だった。
ジョーカーは多くの人から熱狂的に支持されているのに、誰もアーサーのことを理解しようとしない。
1作目で孤独な青年が歪められ怪物になっていく様を見せておいて結局、怪物なんてもの(ジョーカー)はいなかったとアーサーに言わせている。誰もが思い描く悪人らしい悪人なんていないんだ、恵まれなかったり不条理に巻き込まれたりしたら誰もがジョーカーになり得るんだと言われているような気になった。
アーサーの最期はジョーカーが好きな女に見捨てられ、ジョーカーを信じていた囚人に殺される。アーサーはジョーカーになれなかったから殺された。最後の最後までひとりぼっちだった。
言い訳映画
延々と監督の釈明を聞かされてるような映画。よほど前作公開後にあった「ジョーカー信者」たちの動きがいやだったんだろうね。
信者でもなんでもない人間からすると「ジョーカーなんていない」と言われてもそれは当たり前の話で衝撃的でもなんでもない。「それはそうだよね」としか。
多少サービスしとかなきゃということで挟み込まれるミュージカルシーンもちょっとね。ストーリーの動きを止めるだけで、特に後半は退屈した。
まとめると「監督の言い訳+ダンサーインザダーク」といったところか。
ジョーカーとハーレイクインの「ミュージカル」は楽しい。
世界的な評判になった前作「ジョーカー」の続編であり、謎多きジョーカーという存在を深堀したものと言える。凶悪な殺人犯のジョーカーはアーサーの単なる演技なのか多重人格障害による別人格なのかが、裁判では争点になっている。結局よく分からないし、どちらでもいいように思う。アーサーは「悪のカリスマ」でもなんでもなく、愛を渇望し、人から正当に扱われたいと思っている普通の人間に思える。社会からひどい仕打ちを受け、暴発した結果が「ジョーカー」というだけである。そんなアーサーが、「ジョーカー」を崇拝?する謎の女リーと出会って恋に落ちる姿が物語の見どころである。
この映画はミュージカル仕立て(楽曲と踊りで心情を表現するという意味で)になっている。この作品の為のオリジナル曲が入っているのかどうかよく分からないが、有名な曲も実にシーンによくマッチしていて心情がストレートに伝わる。ホアキン・フェニックスとレディ・ガがの表現力に思わず引き込まれる。ミュージカル仕立てにすることには、賛否あるようだが、とても効果的で楽しめる作りになったと思う。
アーサーは最後に、リーから見限られ支持者からは失望される。人間らしく生きたいと願っただけなのに、人々の勝手な期待に押しつぶされた格好だ。「正義の仮面を被った悪」に憧れてはいけませんよと言っているようでもある。結局「ジョーカー」という存在が何だったのかははっきりしないまま、アーサーの恵まれない境遇だけがクローズアップされた作品でした。
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