劇場公開日 2024年10月11日

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ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価

全761件中、1~20件目を表示

4.0ノーランの影に苛まれたトッド・フィリップス

2024年10月19日
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鑑賞方法:映画館
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まぬままおま

2.5ずっとミュージカルじゃないか!

2024年10月19日
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鑑賞方法:映画館

単純

難しい

公開前から賛否が激しいのは知っていましたが、実際に観て「あーなるほど、これは意見割れるな」と納得しました。

私は名作の続編をあまり悪く思っておらず、一作目とは違った魅力があれば楽しめるタイプです。しかし、ここでは二作目の方向性が曖昧になっており、刑務所と裁判所を往復するだけに留まっていました。さらに、前作から作風が大幅に一変し、つまらないの一言では言い表せないぐらい複雑な感情を抱きました。

中でも戸惑ったのがミュージカル要素です。歌唱シーンが予想以上に多く、「ずっとミュージカルじゃないか!」と思わずツッコんでしまいました。エンタメ路線に特化している印象が強く、曲の入りも衝突すぎて本当に必要だったのか疑問に感じました。

レディー・ガガ演じるリーの立ち位置は漠然としていました。アーサーとの関係性について多少描写があるものの、2人が街に飛び出して大きな犯罪を起こさないので、これと言った見せ場が少なかったのが勿体なかったです。

それと、今作のレーティングがPG12になっているのが気になりました。本編では「f*ck」などの下品なセリフが多数出てきて、血が飛び散るほど過激な場面もありました。これならば、R15のままでよかったのではないかと思いました。

良かった点もいくつかあり、ホアキン・フェニックスの前作に劣らない演技には圧倒されました。作品考察の甲斐があり、終盤ではアーサーの行動が彼自身に返ってきたのではないかと解釈しました。

2024年公開の映画では間違いなく一番の問題作になっていました。今回は珍しく辛口になりましたが、またの機会に観て理解を深めたいと思いました。

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Ken@

3.0いいも悪いも、全てをその目で見届けたい貴方にオススメ🎶

2024年10月16日
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ななやお

1.5「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)

2024年10月13日
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日本公開を前に、フランシス・フォード・コッポラが本作の全米での興行不振について、トッド・フィリップス監督を慰めた、という報道がなされた。記事だけを観ると、ほぼ同時に公開され、巨額の製作費をかけた自身の最新作「Megalopolis」の不振と合わせての発言かと思いきや、Instagramでは続きがあり、その発言には、もう少し深い同情、共感のコメントがされていた。

オレからすれば、ちょっと笑ってみたりしたもので、「あの作品」を褒めてもらったら、そりゃまあ、コッポラもうれしはずかし、コメントは残すよね。というか、「あの作品」も巨額の製作費をもって、大コケしたわけで、ジジイも勝手に老婆心が走ったんだろうが、それにしても、このジャンルに、当時も今も信じられないくらいの巨額の製作費を充てる(ことができる)のは、全くの謎だ。

ジョーカー フォリ・ア・ドゥ




前作「ジョーカー」でも短く語ったが、「作者ジョーカー」という関係者のスタンスは本作も変わらないことも素晴らしいし、前作はその辺がうまく機能せず、必要以上の支持を得たことへの反省からくる、落とし前の内容と、「妄想」をあえてわかりやすく「ミュージカル」で表現したことへの勇気は買う。

しかも巨額の製作費をぶち込んで、しかも「ワン・フロム・サ・ハート」に敬意を表したなんて、フィリップス監督はキャリアを棒にする覚悟だったと思うが、それ以上にワーナーは頭がどうかしたのか、と思った。

レディ・ガガの役もオレの中では、ずーっと「妄想の産物」=「アーサーの妄想内のジョーカー」という認識は変わらず、「ジョーカー」=「トッド・フィリップス」の落とし前に付き合った結果。

それはそれでいいのだけれど、「否」が多いのは、結局「ミュージカル」が「信者」に合わなかった、というのと、「信者」を裏切ることこそ、「ジョーカー」というのは「信者」もわかっているはずだが、作り手の方では、本作の製作意義において、別の理由のほうが大きくなり、単純に「面白くなかった」ということ。

前作が「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」等、70、80年代のオマージュというのは、あくまでその設定において「パクリのレベル(デ・ニーロ免罪符)」で必要だったからであり、本作では「妄想」「逃避」を「ミュージカル」という、分かりやすい舞台を使っただけで、そうである必要はない。

「ワン・フロム・サ・ハート」のトム・ウェイツにゲンナリしたオレでは、この映画のミュージカル・シーンを楽しむことはできなかった。ただ単に、どこをどうして、どう見たら製作費2億ドルになったのか、わからないが、「ミュージカル」ってカネかかるんだな、と思っただけ。

ただね、

真実はわからないし、未来もわからないんだけれど、

「世間を騒がせてごめんなさい」・・・・・・・・・(フフフ)

のようにもオレには見えたので、厄介だ。

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しんざん

3.0ジョーカーではなくアーサーの物語

2024年10月11日
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前作のジョーカーで、これは根っこは同じだけどダークナイトとは違う世界線のジョーカーなんだと割り切っていたので、今作はジョーカーというより「アーサー」の行く末を見に行くつもりで見た。

その結果、ストーリー展開や結末があまりにも自分の予想通り過ぎてしまって、前作のようなインパクトは正直感じることができなかった。

妄想シーンを全てミュージカルにする手法がハマる人は評価が高めになると思うけど、私はどうもその分量が多すぎると思ってしまい、歌わないホフキンの演技をもっと見せてくれー!と思ってしまった。(タイトルが妄想障害という意味のフォリアドゥなので、妄想シーンが多いのはわかるが…)
できれば、ミュージカル以外の手法で、妄想と現実の演出をしてほしかった!

ただ、監督の意図は伝わったし、結局ジョーカーのような犯罪者を英雄視して、ヒーローのように崇める世間は異常なので、そこに対して冷や水ぶっかける感じは良いと思った。

それにしてもアーサーの人生ってなんだったんだろう。
唯一アーサーとして見てくれていたゲイリーと友情を築いていれば、アーサーの人生は変わったのかな…

ありのままの自分を受け入れて愛してほしい男が、皮肉にも世間から祭り上げられたジョーカーという仮面に踊らされる姿は、あまりにも苦しく悲しかった。

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AZU

3.5いろんな意味で目を覚まさせられる一作

2024年10月29日
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本作を観ながら二つの両極端な感情に引き裂かれた。ひとつは抑圧された個の暴走を前作であれほど鬼気迫る熱量で描きながら、続編では「嘘だろ!?」と思うほどのローテンションに終始し、カタルシスを放棄していることへの落胆。そしてもうひとつは、心のどこかでこの展開を「あるべき形」として受け入れている自分への驚きだ。何もかもが恐るべきスピードで移り変わる現代を見渡せば、これが写し鏡であることに気づく。世間によって虚像へと祭り上げられた男は、いつしかたどるべき道を辿るのだ。社会でも政治でもエンタメ界でも、こんなことは日常茶飯事。夢は醒めなければならない。彼を救うヒーローも現れない。なるほどそれはよく分かったし、切ない愛をミュージカル調に紡ぐ感情描写も二作目独自の趣向として見応えはある。が、魔法の効果は限定的だ。これは作り手たちが生み出した「ジョーカー」という現象に対し自らけじめを付けた一作のように思える。

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牛津厚信

4.0大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡

2024年10月20日
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鑑賞方法:映画館

“フォリ・ア・ドゥ”とは“ふたり狂い”を意味する言葉。狂信者が共鳴し合い、更に狂うという意味らしい。
だけど、ジョーカーことアーサーも、彼にある想いを秘めて近寄る女性ハーリーンも、微塵も狂ってはおらず、地に足を着けて生きている。
つまり、これは荒唐無稽なヒーロー映画ではなく、殴られれば痛いし、食事の量が減れば痩せ細るし、空想の世界で大好きな映画のことを思い出せば、一瞬ではあるが、どうしようもない世界から解放される。その術を知ってしまった“フォリ”を描く作品なのだ。

作家の同時代性という意味で、IMAX撮影には素晴らしい進化がある。
定説とされる景観を美しく描写することに執心せずに、切実な顔に寄ることで表現できる画面には、IMAXだから伝えられる映像の力が宿る。そのことを圧迫する映像で教えてくれた作品がクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』であり、この映画である。意識的な作家はIMAXに潜在する表現力に気づいている。だからこそ、躊躇せずにクローズアップする。画角が伝える力を信じたその映像が訴えかけることを決して観逃してほしくない。

この映画には、生理的な痛みがある。言い換えれば、それは当たり前の痛みだ。
フランチャイズの呪縛を解いた時、アーサーという、孤独で、どうしようもない男の等身大の姿が露わになる。殴られたり、蹴られたり、裏切られたり、信用できなかったり。期待なんかしていない。でも、、、

心せよ。この映画は大いなる勘違いをしてしまった“自分”を映し出す鏡なのだから…。

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高橋直樹

3.5やっぱミュージカル仕立てだと

2025年4月8日
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鑑賞方法:DVD/BD

進行がややかったるかった
ストーリーも地味めだし
もちろん悪くはなかったですけどね
最後はなるほどそういうことなのと思いました

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Sparks

3.0ミュージカル法廷劇

2025年4月5日
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鑑賞方法:映画館

本作で何が驚くかって、実はコレが本格的なミュージカルであり、ガチな法廷劇であること。しかも音楽は本当にスタンダードな名曲ばかり。

言うまでもなく、2019年の『ジョーカー(Joker)』の続編。本当は事前に前作を見直してから行こうと思っていたのだが、気力体力が足りなく……。でも、余裕がある人は(マストではないが)配信ででも観ておいた方がいいかも。

冒頭で、バックスバニーなどで知られるルーニーチューンズっぽいアニメが流れる(さすがにそこはワーナー作品)。Me and My Shadow というピエロとその影が競い合う内容。

フランス語は、1年程度勉強しただけでほとんど解さない私でも、さすがに "deux" が数字の「2」であることくらいは知っている。そして、賢明な皆さんとは違って、映画館で初めて予告編が流れるのを見たときに、何も考えずにサブタイトルの folie à deux は "part 2" をフランス語で言っているのだろう程度にしか思っていなかった。しかし、ちゃんと調べてみると、ひとりの妄想が別の人に共有される精神疾患を表す「2人狂い/感応精神病」ということだと分かった。考えてみれば、一作目の最後でもジョーカーの影響を受けて暴徒化していく人々が描かれ(貧富の差による社会の分断の象徴)、実際に日本でも感化された人物が京王線の車内で放火する事件が起きたりしていたことを思い出す。

本作を観ながら、アーサーがリーに影響を与えているのか、リーがアーサーに影響を与えているのか、はたまた彼らが群衆を感化させているのか、あるいは大衆の声が彼らを変えているのか、と答えの出ない問いが頭の中を巡っていた。

ひとりのカリスマ、あるいはインフルエンサーが何万〜何十万人もの人々を動かす一方で、一気に誰かを祭り上げたかと思うと、手のひらを返すように避難が起きたり、顔の見えない大衆の声、即ち世論が世の中を動かすこともある。そんな現代社会を動かす相互作用が象徴的に描かれているのであろう。

また、映画冒頭のアニメで描かれる自分と自分の影の如く、素顔のアーサーとピエロの仮面を被ったジョーカーのどちらが真の姿なのだろうか?そんな内省的な心の作用も描かれる一方で、どちらが本物かを周りが勝手に決めつけて崇めたり、逆に落胆したりするという身勝手な行動も同時に描かれる。

という訳で、かなり多重構造な話ではあるのだが、上映後のエスカレーターで前に立っていた女子二人組がこんなことを言っていた。「これってレディ・ガガの映画だよね」 うん、実はオレもそう思っていたけど、それを言っちゃぁ、お終めぇよ!😂

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Tofu

3.5ジョーカー誕生秘話

2025年4月2日
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ダークナイトのジョーカーみたいな悪のカリスマを見たかった人は知らないけど続編で異常者では無いという結果を見せるのはびっくりで全て環境がそうさせたし、リーもガッカリするくらいにアーサーはジョーカーを無理に演じれない。歌詞にもあったけどやっぱりジョーカーってどこから来たのかと思えばトランプにいるあの薄気味悪い孤独な男!そこから取って名乗ってたらしい。
賛否両論の作品だから配信を待つために期間を置いたのではなくて期間が過ぎただけだから安く済む500円で見た。最後のシーンで、アーサーを刺した若い囚人は『ジョーカーは思ったより大したことないんだな』と観客視点で言っていて、感情を押し殺して生きている孤独な男の憧れる(像)がジョーカーと言う社会現象だと気づかせてくれた。犯罪を犯してしまう人もどこかそういうのがあるらしい。

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RRR👑《共感:1000》

3.5単体としては決して悪くはないのだが…

2025年3月26日
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タクシードライバーの雰囲気を纏った前作がアーサー=ジョーカーと社会との関係性を描くものだったのに対し、今作はアーサー=ジョーカーの内面の二面性をミュージカルとして表現した。映画単体としては決して悪くはないのだが、前作を期待して本作を見た人には肩透かしを食らう(食らった)し、他のバットマン作品のジョーカーしか知らない人が本作を見るとも思わないし、監督は大きすぎる冒険をしてしまったなあ…それが狙いでわざとやっているかもしれないが

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アヤックス

2.0いかにも

2025年3月22日
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大成功した作品の続編という感じ。

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ginger

0.5全てが不快

2025年3月21日
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鑑賞方法:その他

難しい

感想

まずこの映画を見るにあたって、殆ど全ての人が1を見ているでしょう。
ジョーカー1があれほどに評価を受けた理由として、過去の作品を意識、模倣するなど、建物で言えば建材や構造への細かな配慮が優れていた点。そしてDCの有名悪役を通して描く人間、社会の難しさを描いた点が挙げられます。
最近では鬼滅の刃に代表されるように、悪役にも過去があり、成り立ちがあり、心理学的素因や家庭環境に起因する歪みなどが受け手にはっきりと表される事が多くなりました。
悪役の背景を描出することで、悪役の深みを感じ同情を誘う事で物語への没入を強めることが可能となります。
ジョーカー1でも悪役をメインに配置しその背景を描く事で、どうしてこの姿になったか、その過程においては自分自身と何ら変わりない状況におかれていたのではないかと想起させました。これにより同一視した視聴者が行動に出る意思を抱くほど影響力が高い作品となりました。
ではジョーカー2はどうか。ジョーカー1との明確な違いは何か。視点にあると考えます。
ジョーカー1はアーサーに共感した大多数とそれ以外の少数がいました。
ジョーカー2ではアーサー視点、社会視点、視聴者視点、自己中心視点の4つに分類されるます。
社会視点は、事情はわかるけど許されることではないかなと感じた視点です。
視聴者視点は、ミュージカルが良かった、悪かったといった独特の表現技法への感受性や耐性を重視した視点です。
そして自己中心視点は、むしろこれが良いという所謂逆張りの視点です。
アーサーの立場になればこの映画は酷評でしょうが、それよりも賛美している側は大体が後者3種に属しています。そして何よりもこの3つの視点がジョーカー1の時点では、ほとんどがアーサー視点に立っていたということが重要です。
ジョーカーと呼ばれる存在がひたすら叩かれる映画を、ジョーカー可哀想、わかると同情していた視聴者が賛美している構造になっています。監督はこの構造がジョーカーぽいと言いたいんでしょうか。

今作はアーサーの攻撃的な限界よりも自棄的な限界をクローズアップしています。
とにかく弱い。とにかく弱者。ここで間違ってはいけません。とにかく悪者ではないのです。監督がアーサーは皆の知ってるジョーカーじゃないよ。だから辻褄が合うよねと言わんばかりのエンディング。アーサーがジョーカーとしてより暴力的に、よりカリスマ的に振る舞う様子を見たかったという気持ちももちろんあります。それにしてもあれほどまでに弱者が痛めつけられている様子を見せつけられ、次作ではより救いがない。とてつもない暴力描写があるわけでもなく、大人から子供まで誰もが知るキャラを使う事でまるでポップ寄りの作品であるかのような面構え。
そこら辺にある拷問映画の方がまだ大事な何かがある。この映画を作る意味とは何なのかが全く伝わってこない。映画における一発屋という表現が全くに当てはまる。
前作の視点による感情表現の示し方や独特とも思わせたライティングや、ある意味一本道なストーリー構成は、キャッチーと十二分に言える要素でした。しかし今作はただの二番煎じ、学校で学んできましたという様な監督の技術発表会でしかありません。
この映画を褒める人に問いたい。本当に面白かったですか。また見たいと思いましたか。この映画を褒める自分を好きなだけではありませんか。
でもここは良かったよねと思われる方もいらっしゃると思われますが、そんな犯罪者が更生したから偉いみたいな評価方法は他の映画を否定することになりませんか。
死ぬほど映画を見た上でむしろこういう映画が良いんだという様な超有名監督の考えも分かりますが、それは限りなく特別なケースであり、そこと同一視するほど自惚れた視聴者に喜んでもらったところで何年後には記憶の深くに消えて無くなるのが落ちです。
とにかく監督の思うジョーカーぽさ、ジョーカーぽい要素を映画っぽく詰め込んだぽい映画です。不快。

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Boss

1.0話がつまらなかったです

2025年3月20日
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鑑賞方法:DVD/BD

ジョーカーは刑務所で暮らしていた
裁判が始まり、地元の人達は裁判を気にしていて、判決が下ったという内容だった
話の構造のほとんどが歌とダンスのミュージカルで話の内容がほとんど入ってこなかったです

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やっすー

4.0狂気

2025年3月20日
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鑑賞方法:DVD/BD

相変わらず最後の最後まで、
人間の中の「狂気」に満ちた作品。
恋に落ちたり、
息子とのハッピーエンドを夢見たり、
他人の暖かさや、
やはり悪いところに触れ、凶悪性が増したり、
人間「アーサー・フレック」が描かれるのかと思いきや…。
ラストシーンを見ると、
人間って性悪説な生き物なのではと思ってしまう。

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上みちる

4.0ジョーカーの本質を明確にした作品

2025年3月14日
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鑑賞方法:映画館
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mac-in

見ていて、 何を表現しようとしているのか、 映画の意図がうまく伝わ...

2025年3月9日
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見ていて、
何を表現しようとしているのか、
映画の意図がうまく伝わらなくて、
見ているのがしんどくなって、
途中で止めてしまった。
記録用。

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あとぅーし

5.0まあこれはこれでありかな

2025年3月7日
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たくみ

4.0なかなか

2025年3月7日
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鑑賞方法:DVD/BD

なかなか面白かったです☆

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hide1095

5.0バットマンなき現実の世界

2025年3月2日
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鑑賞方法:その他

悲しい

怖い

興奮

ラジー賞にノミネートされたらしく、どんなものか観てみた。が、実は名作だった。
ご存じ人気悪役ジョーカーを描いた作品で、前作は世界的に大ヒットだった。その2作目と言う事で期待値の大きさと、皆さんの期待にそぐわない内容が不評の理由かな。

しかし、この作品はジョーカーを描きながらもバットマンが登場しなかった前作の続きなのだ。つまりは現実世界に近い世界を描いている。
前作では精神疾患を抱え、親からの精神的な虐待に耐えながら貧しい日々を生きる若者の残酷な現実と、その中で抱え込んだ妄想、そこからついに犯罪者になってしまった流れを見事に描いていた。
同じように夢を持てない現実の日々を生きる町の人の一部から、彼が「ジョーカー」としてシンボル化されるまでの悲劇の物語が前作だ。

今作はその後を描いたもので、ミュージカル仕立てとなっているのだが、視聴するまではこのミュージカル部分が不安だった。
レディ・ガガがハーレクイン役と言う事で(歳行き過ぎなのでは?)という不安だった。(私の頭の中にハーレクイン像としてマーゴット・ロビーの素晴らしいハーレクインがあったから)
ところが、この作品ではガガでなければならないとさえ言える。なぜなら、このミュージカル部分こそ、この作品の本筋を描いているからだ。
しかもその演出が(監督が天才なのでは?)と思わざるを得ない。
「聖者の行進」の曲で作品内の登場人物たちの気分が高揚する場面ほど、画面のこちらで見ている視聴者は悲しくなるという、巧妙すぎる作りだ。
リー(ハーレクイン)がピアノを弾き歌うシーンでは、まさにジョーカーの扮装をしたアーサー青年が「踊って」いる。ハーレクインに操られ上手いこと踊らされているかのようなシーンだが、その前に担当弁護士から彼女の本当の姿を聞かされていたアーサーは「わかっていて踊っていた」演出だ。この青年の本来持つ純粋さや悲しさがポップな音楽で表現されている皮肉。

アーサーは本人が言うとおりで「馬鹿じゃない」。
だが、強くないし、何かを逆手に取るほど賢くもない。悪人になるには優しすぎるし、善人として生きるには精神的に痛めつけられすぎてその精神が弱り過ぎていた。そのあたりも裁判のシーンでうまく表されている。
世間でいうところの毒親に近い母親に育てれたために、「他者を笑顔にすること」が彼の人生の縛りになっている。「他者を笑顔にすること」そのものは良いことで彼を救いもするが、ある種、アーサーにとっての呪いでもある。
結局いつも「誰か」の期待にそう行動をやっているに過ぎない。その「誰か」はアーサーの周りの人間でアーサーが「優しく接してほしい誰か」だ。
他人の笑顔を無意識に期待しているアーサーの優しさや弱さ、悲しさが観ていてつらい。
こんな悲劇が彼だけではないから、この町では彼はシンボルとして祭り上げられたのだろうと言う事は想像の領域である。この作品にバットマンは登場しない。

しかし、アーサーが感じているほど世間は実は冷酷ではないことは随所に描かれていて、それが観ている視聴者をより悲しくさせる。
この物語は最初から最後までアーサーという青年の悲劇であり喜劇だ。ある意味ホラーでさえある。
この哀れな主人公が救われるのは最後のシーンだろう。
ネタバレになるので詳細は省くが、「報い」という言葉はこの作品の結末としてはおさまりが良いと感じた。
主演のホアキンも天才だ。
監督の表現したいものをここまで表現できるなんて、どんな精神を持ってるんだと考え(なるほどホアキンじゃなきゃこの役は無理だな)と納得。

と、上げていけばきりがない。
私の結論としては、「バットマンがいないDCコミックの世界は厳しい現実だけがそこにある」だ。
そのあたりの表現も挙げればきりがないほど見事なのだが、あまり長すぎるのもあれなのでこのあたりで終わろう。
この内容でラジー賞候補というのはあんまりなのでは、と思うが、今年のアカデミー賞があの状態だからね。

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てん
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