ミッキー17のレビュー・感想・評価
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SFが向いていないのか、アメリカとの相性なのか
【”エクスペンダブル人生はもう嫌だ!”今作は、ポン・ジュノ監督風味のシニカルSFコメディホラー(なんじゃ、そりゃ!)からの、ヒューマンコメディである。後半の展開は、風の谷のナウシカみたいです。】
■地球から新天地を求めて人々が宇宙を目指す近未来が舞台。
借金塗れのミッキー(ロバート・パティンソン)は、返済のため契約を結び、議員に落選したマーシャル(マーク・ラファロ)&妻のイルファ(トニ・コレット)が作った開拓団に応募する。
その契約とは、命懸けの任務を遂行し、死んだら機械で何度でも生まれ変わるという”エクスペンダブル”契約だった。
だが、ある日手違いからミッキー17と18の二人が出来上がってしまう。それは、マルティプル違反という厳重な違反行為だったのである。
二人のミッキーはそれを隠すために、様々な行動に出るのであった。
◆感想
・マア、奇想天外なSF映画である。そして、覇気のないミッキーが船内でナーシャ(ナオミ・アッキー)と良い仲になり、様々な体位を番号を付けて試すシーンが、マサカノ再後半に効いてくるとはなあ。
・漸く、雪と氷の星に到着した時のマーシャル(マーク・ラファロ)&妻のイルファ(トニ・コレット)が表した、独裁者としての顔がもう堪りません。
特にイルファを演じたトニ・コレットは、元々オッカナイ顔なんだけど、狂気性まで滲み出ていて、大変に宜しい。ハッキリ言って、あの人が作ったソースは食べたくないなあ。
・マルティプル違反とか、惑星に元々住んでいたクリーピーの造形が、ナウシカの”王蟲”に似ているなあ、と思っていたら、物語もナウシカみたいだったよ。けれども、出てくるのは美少女ではなくオジサン達(ミッキー17と18&マーシャル)でありました。クスクス。
又、覇気のないミッキー17と、逞しいミッキー18の違いなども、上手く物語に寄与していて、宜しいなあ。
・技術陣の眼鏡の女の子が開発したクリーピーとの会話の翻訳機やアヤシイ機械も沢山で、それもナカナカである。
<そして、ナーシャが決死でクリーピーの子を助け、ミッキー18の献身によりマーシャル夫婦に搾取されていたミッキー17達、最下層の宇宙船の住民達が、決起し、新たなる秩序を生み出し、民主的な組織を作るラストシーンもナカナカでありましたよ。
今作は、ポン・ジュノ監督風味のシニカルSFコメディホラーからの、ヒューマンコメディである。後半の展開は、風の谷のナウシカみたいです。>
上書き保存という新しいSFテーマ
盛りすぎた?!
この雰囲気でのSF映画久しい。
ストーリーの雰囲気は黒と白の間、
でもダークじゃなくて、……なんだろう。
SF映画として雰囲気はダークスターとか未来都市ブラジルとか時計じかけのオレンジ、
月に囚われた男、そんな感じに思えた。
……生死を簡単に処理する、他生物への怠惰しきった感情。それを対比する臨機応変な
感情、で、ストーリーが進む。
面白い?深い?まあ、今回、この映画としては高評価は多分ないだろうが、今後このセンスは超大作になる物だと思った。
この様な寡黙なストーリーを考えさせるだけではなく感動させる作品の企画と監督を期待したい。
ポン・ジュノ監督の作家性を堪能できます
面白いとは思うが、2時間17分は長い。
ポン・ジュノ監督らしさ満載のSFブラック
『パラサイト 半地下の家族』で、アカデミー賞外国作品賞を受賞したポン・ジュノ監督が、今度は、未知の惑星を舞台にして描いたSFブラック・アクション。彼の作品は、『パラサイト…』は勿論、『スノー・ピアサー』等でも、格差社会の底辺で蠢く者からの、苦痛な叫びをテーマとしている作品が印象的。本作もまた、権力者の命令で、自分の命を投げうって何度も生死を繰り返す任務を課せられるという、搾取された男の不条理な境遇を描いている。
舞台を未知の惑星にすることで、SF作品としての重厚感もある一方で、ポン作品らしく、やはり現代社会への痛烈な批判を含めたブラック・ユーモアとしての面白さもある。絶対的な権力を持つラスボスの言動は、最近、大国で大統領に就任して、自分さえよければ良いと、やりたい放題しているアイツをパロっているのだろうとも思う…(笑)
借金を抱え、取り立て屋から命の危険を感じたミッキーは、地球から逃れる為に、内容もよく読まないで、未知の惑星での仕事の契約書にサインしてしまう。その仕事とは、自分がレプリカントとなり、命がけの任務に就いて、何度も生死を繰り返すという、虐げられた内容だった。ミッキー自身、最初こそ死への恐怖はあったものの、それを17回も繰り返す中で、「どうせまた、レプリカントとなってた生まれ変わる」と、死の苦しみを受け入れ始めていた。
そんな矢先、ミッキー17号が、未知の生物の餌食となり死んだと思い、新たな18号をコピーしてしまったが、実は17号は生きていて、18号と遭遇してしまう珍事が発生する。当初は、互いに受け入れられなかった17号と18号だったが、次第に2人の境遇を生み出した共通の敵は、その権力者であると気づき、権力者への叛旗を翻し、反撃を始める。そこにまた、惑星の未知の生物との戦闘が絡めることで、SFアクション的な要素も高めていく。しかし、この生物がどこかで観たことのある生物で、そのフォルムや群れとなって蠢くシーン、ミッキーとその生物が心通わせる辺りは、『風の谷のナウシカ』のオームにそっくりだった。
出演者は、主役のミッキーには、最新の『バットマン』を演じたロバート・パディンソンが務めたが、個人的には、『バットマン』より『ハリー・ポッター』のセドリック役の方が印象深い。悪役の権力者には、『ハルク』のマーク・ラファロが演じ、ミッキーの悪友ティモ役には、『ウォーキング・デッド』でグレン役を務めた、スティーブン・ユアンが久しぶりに懐かしい顔を覗かせていた。
奇妙な設定と世界観、だけど、現実世界の問題とリンクする。流石な作品。
面白い!?
期待してたのだけど、お腹を抱えて笑えるような作品ではなかった。パラサイト半地下の家族では、前半はユーモアに溢れて楽しかったのだけど、本作はそうではなかった。むしろいつ死ぬんだろう、って不安が多かった。
ミッキー17は17体目のミッキーってこと。
借金取りに追われるミッキーは惑星移住計画にエクスペンダブルとして応募し、見事採用されるw。というよりも応募者が居なかったので、採用されるのは当たり前。
エクスペンダブルとは、実験で死んだらリプリントと言う技術で生き返らされる実験体のこと。地球ではリプリントは禁止されているが宇宙では許可されていて、エクスペンダブルのミッキーは実験で死んでは生き返っている。
それでミッキー12〜16は惑星到着後の空気中の致死性のウィルスに対するワクチン作りのために死んでいる。
映画冒頭ミッキー17は惑星の化物クリーパーに襲われ命を落とす。なのでミッキー18が生まれるのだが、実はミッキー17は生きていて、2人のミッキーが同時に存在することになる。
複数同時に現れた場合は即死刑になるのだけど、宇宙船外にクリーパーが多数現れてそれどころではなくなる。
ミッキー17と18は宇宙船外に出て、ボスクリーパーに会い、翻訳機を通して会話をする。ボスクリーパーは囚われている子クリーパーの解放と殺された子クリーパーの代わりとして人間1人の死を求めた。
ミッキーの彼女は無事子クリーパーを解放し、ミッキー18は人間側ボスを巻き沿いにして自身に仕掛けられた爆弾を爆発して死んでしまう。
ミッキーの彼女は、リプリントのためのプリンターを爆破しリプリントを放棄した。
ナウシカ味や貞子味を楽しむ
思ってたより全然面白かった。グエムル、スノーピアサー、オクジャ系だろうと思ってそれほど期待してなかった。なんとなくポンジュノを大林宣彦や森田芳光のように今度は何塁打かな、という風にみているが、よくよく考えてもハリウッドでこんな変な癖のある映画を予算かけて撮れてるだけでも大したもんだ。
前半ちょっと眠くなるところもあるけど、後半、映画にナウシカ味が出てくる頃になると着地が気になって、というか、ナウシカとか実写化できんじゃね?くらい想像しながら見てるとスターシップトルーパーズとリング貞子味まで出てくるので、この映画の中にはいろんな娯楽映画のカルチャーが混じってるなぁと感心したり。
全体がコメディであるのが構えとしてはよかった。ただコメディはそんなには面白く感じはしない。途中からマーク・ラファロとトニコレットの俗物コンビがどうやって消滅してくれるか待っているとなるほど、、という終わり方である。ポンジュノは後日談まで語り尽くすぞという監督だったのを思い出した。
AIに訊ねてみました。
ミッキー17 Mickey 17
16回の死は経験知とはならない。
17号は普通に見えてとても優秀だったことが分かる。
優秀なナーシャとソールメイトとなり、カイにも好かれる。
そして怪獣とも仲良くなれる。
🤔難しいテーマだなぁ
こんな時はAIに聞こう!
ミッキー17で、16回も死ぬと言うことなんだけど、肉体は溶解され再生し、記憶はバックアップで再生れる。
しかし、知識は累積され、感情は豊かになる。
これを繰り返すことは死なのか、成長ではないか?
ミッキー17の物語では、彼が16回「死ぬ」とされるプロセスについて、肉体が溶解され再生し、記憶がバックアップから復元されるという設定が描かれています。そして、その過程で知識が累積し、感情が豊かになるとされています。この一連の出来事を「死」と見るか「成長」と見るかは、非常に興味深い問いです。ここでは、その両方の側面を丁寧に検討してみましょう。
### 死とは何か?
まず、一般的な「死」の定義から考えてみます。死は通常、生命の終わり、つまり生物学的機能が不可逆的に停止することを指します。例えば、心臓が止まり、脳が活動を прекраすような状態です。しかし、ミッキー17の場合は、肉体が溶解されても再生され、記憶もバックアップから復元されます。このため、死の「不可逆性」という条件が当てはまりません。
むしろ、肉体の再生と記憶の復元は、「死」というより「転生」や「再起動」に近いプロセスと言えるかもしれません。
- **ポイント**: ミッキーの場合、生命が完全に終わるわけではなく、再生されるため、伝統的な意味での「死」とは異なる。
### 成長とは何か?
次に、「成長」の視点から見てみましょう。成長は、経験や知識の蓄積を通じて個体が発展するプロセスです。ミッキー17は、16回の「死」と再生を繰り返す中で、知識が累積し、感情が豊かになるとされています。これは、まさに成長の特徴です。例えば、失敗や試練を経験することで人は賢くなり、感情的に深みを増すことがあります。ミッキーも同様に、16回のサイクルを通じて、より賢く、感情的に豊かな存在へと発展している可能性があります。
- **ポイント**: 知識と感情の豊かさが増すことは、成長の明確な兆候と言える。
### アイデンティティと意識の連続性の問題
しかし、このプロセスを単純に「成長」と呼ぶには、1つの重要な問いを避けて通れません。
それは、**ミッキーのアイデンティティや意識が連続しているのか**という点です。もし、再生されるたびにミッキーの意識が途切れず続いているのであれば、これは「死」ではなく、単なる変化や成長と見なすことができます。一方で、再生されたミッキーが以前のミッキーとは別の存在であり、意識が新たに生まれ直しているのだとすれば、それは「死」と「新たな生命の誕生」のサイクルと解釈することも可能です。
哲学では、個人のアイデンティティを定義する要素として、以下の3つがよく議論されます:
1. **肉体**: ミッキーの肉体は再生される。
2. **記憶**: バックアップから復元される。
3. **意識**: これが連続しているかどうかは、物語の中で明確に示されていない。
もし意識が連続しているなら、ミッキーは「死んでいない」と考えることもできます。しかし、意識が途切れ、新たな意識として再生されるなら、それは「死」に近いプロセスと言えるでしょう。
### 死と成長の両方の側面を持つ
ここまでの考察を踏まえると、ミッキー17の16回の「死」は、**死と成長の両方の側面を持っている**と言えます。
- **死の側面**: 肉体が溶解されるプロセスは、死に似た劇的な変化であり、一時的に存在が途絶えるように見えます。
- **成長の側面**: 記憶と知識が累積し、感情が豊かになることは、成長そのものです。ミッキーは経験を通じて進化しているのです。
### 結論
ミッキー17の16回の「死」を「死」と見るか「成長」と見るかは、明確な答えがない曖昧な問題です。
それは、死と成長の定義や、個人のアイデンティティをどう捉えるかに依存します。肉体の溶解は死に似ていますが、再生と知識・感情の累積は成長を意味します。
このプロセスは、死と再生を通じて成長するユニークな旅路を描いており、最終的には個人の解釈や物語の文脈に委ねられる問いと言えるでしょう。
ミッキー17の物語は、単なるSFの枠を超えて、私たちに「死とは何か」「成長とは何か」を深く考えさせる哲学的なテーマを投げかけているのです。
(^ω^)
ミッキー17 Mickey 17
「パラサイト 半地下の家族」のポン・ジュノ監督がロバート・パティンソンを主演に迎え、
エドワード・アシュトンの小説「ミッキー7」を原作にブラックユーモアたっぷりに描いたSFエンタテインメント。
失敗だらけの人生を送ってきた男ミッキーは、
何度でも生まれ変われる“夢の仕事”で一発逆転を狙おうと、契約書をよく読まずにサインしてしまう。
しかしその内容は、身勝手な権力者たちの命令に従って危険な任務を遂行し、ひたすら死んでは生き返ることを繰り返す過酷なものだった。
文字通りの使い捨てワーカーとして搾取され続ける日々を送るミッキーだったが、
ある日手違いによりミッキーの前に彼自身のコピーが同時に現れたことから、彼は反撃に出る。
共演は「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」のナオミ・アッキー、
「NOPE ノープ」のスティーブン・ユァン、
「ヘレディタリー 継承」のトニ・コレット、
「アベンジャーズ」シリーズのマーク・ラファロ。
ミッキー17
Mickey 17
2025/アメリカ
配給:ワーナー・ブラザース映画
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