「ミッキーは17(セブンティーン)」ミッキー17 TWDeraさんの映画レビュー(感想・評価)
ミッキーは17(セブンティーン)
『パラサイト 半地下の家族』がきっかけとなり、日本でも多くの方にとって「有名な映画監督」の一人となったポン・ジュノ。そして本作の宣伝でも枕詞のように『パラサイト 半地下の家族』が付いて回ります。ところが個人的な印象としては、癖が強めな作品が多くて決して解りやすい監督ではないと思いますし、本作についても米国映画レビューサイトでの評判は高そうですが、あくまで過剰な期待はもたずに劇場へ。公開初日、9時20分からのTOHOシネマズ日本橋は平日の割にまあまあの客入りで、やはり注目度の高さが伺えます。
主人公ミッキー(ロバート・パティンソン)はエクスペンダブル(消耗品)として文字通り体を張り、やらされていることは概ね「実験動物」ごとき扱い。そして利用不可となればそのボディは処分され、専用の3Dプリンターで再生された健全なボディにそれまでの記憶がロードされて「再生」。その都度ナンバリングが更新される設定ですが、映画の冒頭、クレバスに落ちて身動きが取れない「ミッキーは17(セブンティーン)」。それだけ聞けば何だか青春ドラマのタイトルのようですが、いまある状況は正に「死亡確定の宣告」そのもの。その様子を確認した「抜け目のない元相棒」ティモ(スティーブン・ユァン)によってミッキーの「雇い主」へ報告されますが、意外な展開によって危機を脱するミッキー17。這う這うの体で自分の部屋に戻るとそこには…。
この手のジャンルが苦手な人にとって、複雑になって混乱しそうなことも「これはこういうもの」とシンプルに説明を済ませ、鑑賞者にはあくまで「ドラマそのものの状況展開」に集中させています。その結果、SF作品に有りがちな「オタクみ」を殆ど感じることなく、あくまで独自の「世界観」として描かれていて、そこで扱われるのはポン・ジュノ監督の十八番である「格差社会」に生きる人々。搾取社会の犠牲者であるミッキーにとって、行き着く先は「消耗品」と呼ばれるエンドレスな奴隷人生。現実にあり得る問題を軸に描かれたストーリーは、想像に難くなく感情移入もしやすいのですが、そこにさも恐ろし気な「未確認生物」が絡むことで、中盤以降は予測不能な展開が繰り広げられまず。
と言うことで、総論としては上映時間137分も長くは感じないくらい楽しめる内容になっていると思います。ですが個人的には、一歩突き抜けるだけの驚きまたは感動、或いはバカバカしさが感じられず、総じてこじんまりとまとまってしまっている印象。過剰な期待はしていないとは言え、やはりポン・ジュノ監督の「実績」を考えれば多少評価も辛くならざるを得ません。と言うことで、また次作に期待したいと思います。