ミッキー17のレビュー・感想・評価
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人間の愚かさや醜さをブラックユーモアで包んだ作品
ジャンル分けをするとしたら、ブラックユーモアたっぷりのSFコメディと言ったらいいんだろうか。
見終わった後、なんと表現したら良いのか難しく、好き嫌いが別れそうな作品だなというのが率直な感想だった。
死んでは生き返らせ、文字通りの使い捨てワーカーとして働かせる究極のブラック企業の世界観は斬新。けれどそんな世界観の中に過去の歴史や現在の社会問題が見え隠れした。
清々しいほど好感度ゼロの権力振りかざし夫婦は、ヒトラーや某国のトップを思い浮かべたし、人間が人間を実験台にする姿は、ホロコーストや第二次世界大戦の捕虜への仕打ちに思えたし、クリーパーへの仕打ちは先住民を追い出した侵略者たちに思えた。
一部の雇用主が、人権無視の労働を従業員に強いて、周りも職業による差別をし、本人もその環境に麻痺して受け入れていく様子も、現代の闇と近い。
そんな人間の愚かさや醜さのオンパレードで胸焼けしそうになるけれど、シュールな演出と主役のミッキーのキャラクターのおかげで、暗くなりすぎないで見ることができた点は良かった。
あと、私の中でヴァンパイアの恋愛もので記憶が止まっているロバート・パティンソンの、ミッキー17と18の演じ分けは素晴らしかった。表情や話し方だけで瞬時にどちらなのか判別できるので、見ていて楽しい。
しかし「そのシーンいる?」と思うところが何シーンかあったり、モノローグに頼りすぎやしないかい?と思ったり、モヤモヤする部分もあった。
見終わった後に、あれは結局なんだったの?と置いてけぼりをくらった感じにもなり、不完全燃焼感が否めなかった。
原作を駆け足で描いたゆえの脚色かもしれないが、個人的には可もなく不可もなくの評価でおさまる作品だった。
翻訳(不)可能な存在者
本作をSFとして、リプリントされ増殖するであろうミッキー(ロバート・パティンソン)の闊達な姿を求めていたのなら期待外れと言っても仕方ない。
しかし『パラサイト 半地下の家族』(2019)のように、誰がみても面白い物語で社会風刺を痛烈に盛り込むことを期待するのなら、素晴らしいし、さすがポン・ジュノだなと思う。
まさに製作国アメリカの政治パロディー。宇宙船内でキャップを被って権威主義的に振る舞う為政者なんて、再び偉大な国にするといいながら、政府職員を大量に解雇し、関税を課して世界経済を混乱させるどこかの大統領や、宇宙に何かと行きたがる世界一の富豪でありながら、クソダサいコラ画像でしか笑いがとれない任期付き特別政府職員のキメラ体じゃないですか。
だが残念ながら本作で描かれるアメリカ政治/社会に対するブラックジョークをただ笑っていられる状況でもない。韓国では大統領が罷免されるし、日本でも躍動とか再生とか、性加害に向き合わない元市長の出馬とか、何かとぶっ壊したり、統一したがるカルト宗教が蔓延っていて散々だ。そして悲しいことに現実は『パラサイト』の時よりも深刻だ。それは「底」の描写からも窺える。
以下、ネタバレを含みます。
『パラサイト』では半地下と富裕層の家族のドラマを描くことにより、階級格差による経済的不均衡を描いた。だが階級は違えど、労働力の供給と受益の共依存により生存は保障されていた。故に殺人が生存を脅かす異常な出来事として描かれたのだが、本作は違う。
ミッキーは経済的不均衡によって搾取されるのは同様であるが、生存は保障されない。エクスペンダブル=使い捨てな「死ぬべき」存在者としてより過酷な扱いを受けるのだ。
それはファーストシーンの「底」からも彼の状況が分かる。
ミッキー17が落下し死にそうになる場所は、救助のロープが届かない氷雪の地下深い「底」である。彼は半地下の家族よりも底辺な位置にいる。そして死に体となった彼を廃棄する焼却炉も「底」にある。本作の「底」とは、生存が保障されない死の階層なのだ。
そんな「底」にいるミッキーは地球外で生存できず“移民”として宇宙に行こうと、さらに酷使されるのが階級上昇の不可能さと皮肉である。だが彼はエイリアンのクリーパーに殺されるのではなく、助けられる。そして底から這い上がることができる。
さらにタブーとされるミッキー17と18の同時存在も起こってしまう。ここからミッキーはどのように、底へと追いやる権力≒為政者に反逆するのかが見所であるが、注目する点は「翻訳」である。
倒されるべき敵は翻訳不可能な存在者である。それは人間ではない未知の生物であり、話が通じない存在者の場合もあれば、悪の組織など自身の正義や主義とは反し、理解ができない存在者の場合もある。
本作においては、クリーパーが敵のように思える。しかしミッキーの救出のように、彼らは人間に加害を与える存在ではないし、翻訳機の発明というテクノロジー的克服によって、言葉を通じ合うことができる。むしろ翻訳不可能な存在者であり、未知の生物たり得るのは為政者の夫妻である。
彼らには話が通じない。同じ言語を喋っているはずなのに。同じ人間であるはずなのに。ミッキーの頭を撃つかどうかで心配するのは、殺傷への良心の呵責ではなく、カーペットが血で汚れるかであり、クリーパーの身体はソースにすると言って無惨に斬る。この通じなさは、「宗教」が原因である。彼らは為政者として政治的に優位な存在である。というか為政者になることができるのは、宇宙船事業を主導する会社の経営者でもあるからだ。
本作の会社とはおそらく株式会社であるが、この組織体もよく考えると不思議に存在する。株式をもっていればいるほど偉くなり、そこに民主主義による平等はない。事業方針はあるとも、目的はただひとつ利潤の獲得である。利潤のためなら、法も犯すしなんだってする。そして利潤を獲得する手段に労働力の行使もある。だが会社の財務諸表に、労働者は資産計上されることなく、人件費として費用計上される。それなら利潤の獲得のために、人件費を使い捨てにしても構わない。そんな株式会社という組織体は資本教とも言うべき、ある種の宗教の教えに従って組織されるものであり、為政者にとって教えに背く反逆者の言葉など翻訳不可能で理解できないものなのだろう。
こういった宗教≒会社が一体となっている考えは、セリフからも確認できるし、ポン・ジュノが意図したことでもあるだろう。昨今の政治によるコミュニケーション不全は、資本教で組織される株式会社の論理の侵入とでも言いたげだ。
ミッキーは為政者の妻のソース作りという「事業」のために、クリーパーの尻尾を切り落とす労働を行おうとする。しかしその労働は、17と18が獲得競争で負けた方が死ぬというデス・ゲームであり、違法なものである。
だがミッキーはこの労働を放棄し、クリーパーとの対話と融和を試みる。そして18はその隙に為政者の男を襲撃し、自爆によって反逆を達成する。
これでミッキーは解放されて幸せなはずである。しかし為政者の打倒がテロリズムによって果たされるのは容認されることなのだろうか。それは現実でも有効な手段になってしまっているが、暴力に解決を求めるのは許されることではない。
もちろん本作がテロリズムだけを解決の道としていないのはよく分かる。為政者の部下がハラスメントを告発する描写があるし、ナーシャが組織のトップに立ち、再建する展開も準備されている。しかしそれらはテロリズムの乗り越えとするには描写が稀薄であるし、現実離れした理想のように思えてしまう。
それならテロリズムにしか、為政者≒権力を打倒する手段はないのだろうか。
いや、そんなことはない。
為政者を話の通じない未知の生物とするなら、クリーパーとは何ものだろう。
きっと私たち民衆のはずである。外見が気持ち悪い存在者を私たちであるとするのは喜ばしいことかは分からない。だが彼らはコミュニケーション可能であるし、決して暴力によって危害を加えない。抵抗の手段は「声をあげること」だ。
その声は悲鳴とも呼ぶべき、翻訳不可能なものである。だがそんな声をあげること、声をそれでも理解可能なかたちで翻訳しようとすること、それがこの散々な世界で私たちが生存するための抵抗のはずだ。
さすがポン・ジュノ監督作品!見応えのあるブラックユーモア映画の誕生です♪
ポン・ジュノ監督のアカデミー賞受賞作「パラサイト 半地下の家族」をはじめて観たときは、度肝を抜かれました。アジア圏初めての受賞作品がこの作品だったのも納得でした。この監督の描く人間はどこか愚かで、どこか小賢しく、けれどなぜか憎めない。
今作品もポン・ジュノ監督のどこまでも深い人間観察力が否応なく発揮されています。楽して仕事が得たいと考えた主人公のミッキーや権力を手に入れて万人から称賛されたいと願うボス夫婦などあからさまに愚かしい人間がストレートに描かれています。その中で、一見優等生にも見えるミッキーの彼女ナーシャでさえ、ミッキーが2人になった時、2人から愛されたいという素直な己の欲望を露わにするのです。思うにこの監督の作品に登場する人物はみな己の欲望に素直なのだ。誰しもが心の奥底にしまい込んでいる密やかな欲望ーそれを叶えた人がどんな人生を送るのか観客は遠目から俯瞰して観察することができるのです。自己満足だけの権力を手に入れても愚かなラストを迎えるだけだ。何度も生き返るなんて愚の骨頂!一度きりの人生だと思うから今を大切にできるんだよ、などなど反面教師による教訓を得ることになる。
同時にこの映画には、人間社会の環境に対するエゴを批判する内容も含まれている。終盤のストーリーは風の谷のナウシカを思わせる王蟲もどきの先住民との抗争になるのだが、ここがもう少し違う終着点だったら私はもっと好きだったかもしれない。なぜなら簡単に予想ができてしまったから😅そこからのラストも結構長いです。ナーシャ、ナーシャ、ナーシャってかんじ😊なんせ137分なんで、見応えは十分です!!
毎回思うのですが、過剰な宣伝が逆に評価を悪くしてしまう映画をたまに見かけますが、この作品もそれですかね。もったいない。確かな実績のある監督作品ですから、宣伝したくなるのも分かりますが、ひとり歩きする宣伝文句に踊らされないようにしましょう。常にニュートラルな気持ちで鑑賞するのが吉でございます♪
ポン・ジュノ式格差社会 in 未来宇宙(逆襲エンタメは少なめ)
ポン・ジュノ作品なのだから、スカッと逆転劇よりも格差の描写に軸足が置かれるのは当然なのかもしれない。
とはいえ、エクスペンダブルであるミッキー17の扱われ方がシビア過ぎて、そしてそのシビアな状態が思ったより長くて、宣伝文句に踊っていた逆襲エンタメとか反撃といった言葉に触発された期待とは裏腹に、キツさが先に立ってしまった。
キツさを感じたのは、彼の設定やマーシャル夫妻の振る舞いによって寓話的に表された現代社会の病巣が、妙に生々しかったからかもしれない。
格差社会の下層にいる人間は使い捨てのリソースであるということ。物理的に使い捨てにされるというデフォルメされた設定により、その残酷さが可視化される。
上層の人間の傲慢さ。新興宗教をバックグラウンドに持つケネスの横暴ぶりには、現実の政治家を連想する人もいるだろう。だが彼は地球の議員選挙には落ちているので、この作品世界の世論は此方の現実よりはマシなのかもしれない。
俳優陣が素晴らしかった。17と18の二役を演じたロバート・パティンソンはやっぱりすごい。同一人物のコピーだがちょっと性格が違う2人を絶妙に演じ分けていて、きちんと表情が違うので胸に数字を書かれる前でも区別に困らなかった。
そして、何と言ってもトニ・コレットですよ。「陪審員2番」での悩める法曹役が記憶に新しいが、一転してこの憎たらしいささやき女将ぶり。終盤でナーシャに首4の字固めをかけられた時の表情で笑わせるかと思えば、ラストでミッキーの妄想に出てきた時には、一瞬でその場の空気をホラーに変える。最高です。
マーク・ラファロと組んでの無敵な悪役ぶりが、ミッキーの環境の残酷さを際立たせていた。
ニフルヘイムの先住生物クリーパーって、あれ……ナウシカの王蟲っぽいような……造形が似てるし、有毒な大気の中で生きていて、主人公とコミュニケーションが取れて、主人公を助けるってところも。王蟲を連想しつつ観ていたので、貞子のような目が見えた時は勝手に違和感を覚えた。まあ、気のせいということにしておく。
入植地の惑星ニフルヘイムは雪と氷に閉ざされていたが、この名称は北欧神話に登場する、九つの世界の下層にある氷の国ニフルヘイムに由来する。SF、ニフルヘイム、コピー人間ときて、80年代の岡崎つぐおの漫画を思い出したりした。
よく言えば親しみやすい、悪く言えば既視感のある設定。驚きが少なかったので没入出来ず、終始どこか客観的に観てしまい、細かいことが気になってくる自分がいた。
冒頭にも書いたように、「逆襲エンタメ」「予想を超えたミッキーの反撃」(公式サイトより)などと銘打っている割に、なかなか逆襲が始まらない。終盤の逆襲も何だか地味で、「予想を超え」てこない。もっとも、これは監督ではなくプロモーションの問題なのかもしれないが。
途中で出てきたカイ(アナマリア・バルトロメイ)の方がナーシャより命の重さを理解しているのでは?と思う瞬間があったが、結局ミッキーとはくっつかずモブキャラのようにフェードアウトしたのにはもやっとした。
生への執着が強かったハバネロタイプのミッキー18が、いつの間にかものわかりのいい人間になり、自らケネスと共に自爆するのは若干ご都合感があった。18の心境の変化をもう少し細かく描いても良かったのではという気がする。逆に、人間コピー機の発明者であるアラン・マニコバのエピソードは説明しすぎで、まるっと削ってもさしたる影響はないのでは(個人的な感想です)。
トータルでの印象としては、俳優はとてもいいがそれ以外の設定やらキャラの動きやらが何となくまとまりがなく、言いたいことが若干ピンボケしている感じだった。
ところで、作中ではミッキーの記憶をレンガに保存して彼のコピーがデータを受け継いでいたが、記憶は同期出来たとしても自我は別なのではという気がする。17と18がそれぞれの自我を持っていたことはその証左ではないだろうか。
そういう観点で考えると、回想に出てきた4年前のミッキーの自我の部分はミッキー2がプリントアウトされる前にとっくに死んでいることになる。でも、記憶さえ同期されていれば傍目には同一人格という認識になる。そこを意識すると、ラストが単純なハッピーエンドには見えなくなってくる。
自我が透明化されているから使い捨てを厭わない存在になってしまう。よく考えると背筋が寒くなる設定ではある。
韓国作品のが面白いけど
ポン・ジュノ監督はアメリカでもしばしば作品を発表しているのだけど、やっぱり韓国で作る作品の方が面白いなと思ってしまう。とはいえ、この作品がつまらないということはなく、充分に水準以上の娯楽作品に仕上がっているとは思う。
何度も死んでやり直すというアイディアは、『All You Need is Kill』に共通するけれど、あれは自分の運命を切り開くために、死んだらリセットできるその能力を活用していく。こちらは、他人がそれをやるために生体データと記憶をコピーして再現可能にしてしまうというもの。未知の惑星には人類にとって未踏の危険がいっぱいなので、人柱にさせられるのである。
なかなかにエグイアイディアなのだけど、ポンジュノらし諧謔さで重苦しく見せていない。上流階級の人々の滑稽さ、人類の傲慢さを皮肉たっぷりに描いて、自分が自分であるために必要なものは何かと問う。
身体は3Dプリントで、記憶もコピーだが、それでも自分は自分なのか、人間の範囲が拡大していく時代にふさわしい作品だった。
おなじみのジャンルでも彼が撮ればこれほど面白く輝く
生と死の弛まぬ反復。自分と全く同じ容姿を持つコピー(代用品)との対峙。そんなSFモノの定番をこれまで何度も観てきた気がするが、いざポン・ジュノ監督によるストーリーが起動すると、いささか説明の不可欠な主人公の紆余曲折が実に流麗かつ小気味よいタッチで語られていく様に驚く。さらに感激するのはパティンソンの起用法だ。従来のハリウッドでいかに彼の才能が無駄使いされてきたかがよくわかるほど、この監督はパティンソンの鈍臭いまでのフツーさを巧みに抽出し、これまでにない形で見事に輝かせている。加えてあらゆる面で『パラサイト』より大規模でありながら、常にリラックスして決してリキまない。だからこそ我々はラストの高揚に至るまでゆったりと身を委ねつつギアを上げていくことができる。このペース配分もハリウッドの教科書にはない独自の匙加減。決してポン・ジュノの最高傑作ではないが、名匠らしさが詰まった秀作なのは確かである。
傑作映画群を想起させる特徴的な物語要素と描写
ポン・ジュノ監督が「スノーピアサー」や「パラサイト 半地下の家族」などで描いてきた格差社会への風刺や底辺で生きる人々の悲哀と闘争が、最新作「ミッキー17」でも反復される。原作はアメリカ人小説家エドワード・アシュトンが2022年2月に発表した「ミッキー7」(3年ちょっとで映画化・劇場公開というスピードにも驚かされる)。
ざっくりくくるなら、ブラックユーモアの効いたSFコメディだろうか。SFやファンタジーのファンなら、過去の傑作・話題作を想起させる場面に出会うたび、にやりとさせられるだろう。本作の肝となる空想科学のアイデアである人間の身体だけでなく記憶もコピーする技術は、クローン技術をさらに発展させたものと位置付けられるが、フィリップ・K・ディック原作でタイトルもずばりの映画「クローン」や、ダンカン・ジョーンズ監督のデビュー作「月に囚われた男」などを思い出させるし、人間扱いされない“使い捨て”の存在が宇宙での過酷な仕事に従事させられる点では「ブレードランナー」も近い。
惑星ニヴルヘイムの先住種族であるクリーパーについては、監督自身が「風の谷のナウシカ」をインスピレーションの1つに挙げている。地球外生命体とのコミュニケーションに関しては、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作「メッセージ」も思い出した。
大航海時代にヨーロッパ人がアフリカや南北アメリカで繰り広げた植民地政策(征服と収奪、先住民族の大虐殺や奴隷化)を宇宙時代に再現させたような地球人の蛮行は、「アバター」シリーズ2作でも見られた。「アバター」ではまた、ネイティリがジェイクを抱きかかえる構図がミケランジェロの彫刻「ピエタ」を再現していたが、これとよく似た構図が「ミッキー17」でも反復される。人間の業を引き受け命を落としては復活するミッキーに、イエスを重ねるキリスト教圏の観客も多いのではないか。
独裁者的リーダーがアメとムチで派遣団の人心をつかもうとするあたりは、ポール・バーホーベン監督がアメリカ的愛国主義を皮肉った「スターシップ・トゥルーパーズ」に通じる。「ミッキー17」の開拓団のリーダーであるマーシャルの優生思想は当然ヒトラーを想起させるものの、トランプの時代にも重なって見える。民主党支持者で反トランプ発言でも知られるブラッド・ピットが製作総指揮に、彼のプランBエンターテインメントが製作会社に名を連ねていることと、米国の政治情勢からの影響が少ない外国人監督が起用されたことも、けっして無関係ではないだろう。
飛行機で視聴。 なんとなく、セックスシーンがくる!!とビビったシー...
飛行機で視聴。
なんとなく、セックスシーンがくる!!とビビったシーンがあり、一時停止したものの続きが気になり見始めたら、セックスシーンはありませんでした(何の話)
ロバートパティんソンは、トワイライトとTENETくらいしか知らず、逆に、ナオミアッキーはイギリスのドラマで最高だった事を記憶しており、スティーヴユアンはかなり好きで、マークラファロも「死ぬまでにしたい10のこと」の頃から好きな状態で鑑賞し、
ロバートパティンソンの魅力全開でとても小気味良かったです。コミカルさと皮肉と、なんかとっても安心して心地よく観れました。
私はオクジャがとっても好きでポンジュノのこれ系の作品が多分とても好きなのだと思うけど、今回のクリーチャーにも好感触でした。でもなら、オクジャの方が好きな話の筋ではあって、でもこの作品は作品として可愛くまとまってて、良かったです。
吐き気がするほどひどい設定
選挙に落ちた、カルトがバックについてる中身空っぽのポンコツ政治家が、独裁国家を作るために口車に乗せられた希望者を引き連れて別の星を目指す。主人公のミッキーはどん底の生活から抜け出すために中身をよく知らないまま契約を結び、エクスペンダブル(使い捨て人間)としてその宇宙船の一員となる。
星間旅行や植民地開拓には危険がつきもの。エクスペンダブルはその危険な任務を一手に押し付けられる役。船外活動で死んでも未知のウィルスで死んでも、人間のコピーを3Dプリンティングする技術で、バックアップデータから再生される。材料は自分自身の死体を含む、船内の廃棄物。なんせ何度でも生き返り可能なのをいいことに、安全性の確認はいい加減だし、科学者の雑な人体実験に延々と付き合わされたりもする。何度も何度も。
吐き気がするほどひどい設定だけど、嫌いじゃない。むしろ好きかも。
人間プリンタからミッキーがギコギコと出力されるときに、途中でちょっと機械の中に戻る演出がよかった。
設定はひどいが最後はわたしの思う正義が勝つ、後味のいい納得のいくラスト。カルトがバックについてる中身空っぽのポンコツ政治家が選挙に落ちすらしない国があるぐらい、現実だってたいがいひどい。こっちも映画みたいな納得のいくラストだといいんだけど、なんてことを考えた。
ロバート・パティンソンの演技はオモシロい
ロバート・パティンソンの百面相演技を堪能、
それだけの映画なのか。
この俳優は、こんなに人間味に溢れているのかと驚かされた。
コピー人間なのに、という所がミソなのか。
ただ、それだけで観るには面白さが持続しない。
素材単品ではきっと美味しいだろうに時間が経ち、のびてどんよりしたマズいラーメン、みたいな。
ポン・ジュノ監督の過去作『グエムル〜』『パラサイト〜』の出涸らしのお茶、みたいな。
139分、マズいラーメンと出涸らしのお茶に、もう飽き飽き。
もう、こんな店は来ない!と老害のようにちゃぶ台をひっくり返した。
ポン・ジュノ監督、まだ還暦前だぞ。フランソワ・オゾンだってまだまだ感性が衰えていないぞ!
(そんなに好みの監督ではないのでライトな感覚です。
また韓国に帰って韓国韓国した作品を撮るでしょう。
それがいい、それでいい。)
オモロかった。
マイルド君とハバネロ君。
“バーガーよりマカロンが売れる日が来る”と言った友人の言葉を信じ、ある紳士に借金をしたことでミッキーに起こる話。
マカロン店閉店で借金返済出来ないとこうなるよ!地球の果てまで追いかける!と言われ宇宙へ逃亡、植民計画応募・契約書読まずに「エクスペンダブル」選択で死んでは生き返るを繰り返す使い捨てワーカーとなるが…。
本来で死ぬはずの場所でクリーパーと呼ばれるモンスターに助けられたミッキー17とプリントアウトされてたミッキー18が出会ってしまい、これからナーシャとカイのいいオモチャになるのかな何て思ったら。
星を仕切る独裁者マーシャルの講演会で披露した岩、その岩から現れたクリーパーの子供殺っちゃって、もう1体も実験材料で捕らえられてで、まさかの序盤で助けられた事が後々効いてくる展開になるとは予想出来なかった。
クリーパーと翻訳機を使って交流するホント終盤から面白くなった、とりあえずゾコ助けてあげて~だった。
ヒロインがいてくれてよかった
4DX版を鑑賞。
うろ覚えだが、予告編で「何度も生き返る男」っていうのが気になりストーリーを確認せず事前知識なしで観に行きました。
鑑賞前は1つの体で何度も生き返るのだと思ってましたが、クローン体にバックアップした記憶を入れ替えて「体ごと新しくしてる」のにビックリ。
主人公がなかなか悲惨な目にあいますが、、ヒロインが生き返る度に主人公を受けれ寄り添う。そのシーンに感動しました。
戦闘シーンや主人公が亡くなる時の(衝撃)動きはどれもマッチしていて、最後まで没入できましたが色々考えさせられました。
でもここ迄引き込まれのは4DX版だったからなのかとも思ったので、もしリバイバル等の機会があったらまた観るかも。
ふつうにおもしろい
ふつうにおもしろい。ぎゅっと考えると「オール・ユー・ニード・イズ・キル」だけど、エイリアンとの関わり方や何度も死ぬという描写や復活の仕方は、手の届きそうな範囲のSFで現代的。窮地に陥った人間は、独裁的な考えの人間について行ってしまう。迷いのある人間社会では、これだ!と思い込む人間に引っ張られてしまう風刺も効いてる。宗教という目に見えない何かを信じる心が弱くなって、目に見えるものが全ての現代人には、やはり目に見えるこれだ!が心の拠り所になる…風刺も効いてる気がする。
予想外に出てくるエイリアン
いや、彼らからすると我々こそがエイリアンなのだ。
人権を無視した科学だから、地球の外でやっちゃおうという無茶苦茶な理論。
死んでも記憶が引き継がれるので、なんとなくオールユーニードイズキルのような、タイムリープと似ているが、時間軸を戻るわけではなく、身体は新しいものに入れ替わる。
それにより、周りの人間からいいように人体実験されるわけだ。
おぞましい。
つまりあれだ。漫画の「亜人」に近い設定だな。
あっちより復活するラグは長いけど。
そして、あくまで記憶を引き継いで新しい身体に移すということなので、うっかりすると同じ人間が複数存在することになるわけだ。
そこから物語は展開していく。
そんなわけないやろ、という知能が高い生物が出てきたりと、意外な展開もあったりするが、そんなに期待は超えてこなかったかな。
ポン・ジュノ節が炸裂する
微妙な評価の人が多いようだったので観るのが遅れてしまった。これは...ポン・ジュノ節が炸裂する秀作じゃないか。
SFになっても、格差社会への痛烈な風刺と人間の愚かさ、欲望、理性の白々しさ、底辺で不幸を被ることの暗さや悲しみを、ユーモアを交えて描く上手さは健在。むしろ進化し磨きがかかっている。
ジャンルを横断しつつ社会を冷静に見つめる視点が、植民地を目指すハードSFに載せて描かれる、なかなか大人向けな映画だなと思う。
「バットマン」、「テネット」のロバート・パディンソンとは別人のよう。ミッキー17とミッキー18その他との芝居の違いも面白い。役者は凄いなと思ってしまう。
クローン技術と死の概念を問い直しつつも、深刻になりすぎない、コメディになりすぎないトーンになっているバランスがお見事。
人は様々な困難に出会う
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