ミッキー17のレビュー・感想・評価
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人間の愚かさや醜さをブラックユーモアで包んだ作品
ジャンル分けをするとしたら、ブラックユーモアたっぷりのSFコメディと言ったらいいんだろうか。
見終わった後、なんと表現したら良いのか難しく、好き嫌いが別れそうな作品だなというのが率直な感想だった。
死んでは生き返らせ、文字通りの使い捨てワーカーとして働かせる究極のブラック企業の世界観は斬新。けれどそんな世界観の中に過去の歴史や現在の社会問題が見え隠れした。
清々しいほど好感度ゼロの権力振りかざし夫婦は、ヒトラーや某国のトップを思い浮かべたし、人間が人間を実験台にする姿は、ホロコーストや第二次世界大戦の捕虜への仕打ちに思えたし、クリーパーへの仕打ちは先住民を追い出した侵略者たちに思えた。
一部の雇用主が、人権無視の労働を従業員に強いて、周りも職業による差別をし、本人もその環境に麻痺して受け入れていく様子も、現代の闇と近い。
そんな人間の愚かさや醜さのオンパレードで胸焼けしそうになるけれど、シュールな演出と主役のミッキーのキャラクターのおかげで、暗くなりすぎないで見ることができた点は良かった。
あと、私の中でヴァンパイアの恋愛もので記憶が止まっているロバート・パティンソンの、ミッキー17と18の演じ分けは素晴らしかった。表情や話し方だけで瞬時にどちらなのか判別できるので、見ていて楽しい。
しかし「そのシーンいる?」と思うところが何シーンかあったり、モノローグに頼りすぎやしないかい?と思ったり、モヤモヤする部分もあった。
見終わった後に、あれは結局なんだったの?と置いてけぼりをくらった感じにもなり、不完全燃焼感が否めなかった。
原作を駆け足で描いたゆえの脚色かもしれないが、個人的には可もなく不可もなくの評価でおさまる作品だった。
翻訳(不)可能な存在者
本作をSFとして、リプリントされ増殖するであろうミッキー(ロバート・パティンソン)の闊達な姿を求めていたのなら期待外れと言っても仕方ない。
しかし『パラサイト 半地下の家族』(2019)のように、誰がみても面白い物語で社会風刺を痛烈に盛り込むことを期待するのなら、素晴らしいし、さすがポン・ジュノだなと思う。
まさに製作国アメリカの政治パロディー。宇宙船内でキャップを被って権威主義的に振る舞う為政者なんて、再び偉大な国にするといいながら、政府職員を大量に解雇し、関税を課して世界経済を混乱させるどこかの大統領や、宇宙に何かと行きたがる世界一の富豪でありながら、クソダサいコラ画像でしか笑いがとれない任期付き特別政府職員のキメラ体じゃないですか。
だが残念ながら本作で描かれるアメリカ政治/社会に対するブラックジョークをただ笑っていられる状況でもない。韓国では大統領が罷免されるし、日本でも躍動とか再生とか、性加害に向き合わない元市長の出馬とか、何かとぶっ壊したり、統一したがるカルト宗教が蔓延っていて散々だ。そして悲しいことに現実は『パラサイト』の時よりも深刻だ。それは「底」の描写からも窺える。
以下、ネタバレを含みます。
『パラサイト』では半地下と富裕層の家族のドラマを描くことにより、階級格差による経済的不均衡を描いた。だが階級は違えど、労働力の供給と受益の共依存により生存は保障されていた。故に殺人が生存を脅かす異常な出来事として描かれたのだが、本作は違う。
ミッキーは経済的不均衡によって搾取されるのは同様であるが、生存は保障されない。エクスペンダブル=使い捨てな「死ぬべき」存在者としてより過酷な扱いを受けるのだ。
それはファーストシーンの「底」からも彼の状況が分かる。
ミッキー17が落下し死にそうになる場所は、救助のロープが届かない氷雪の地下深い「底」である。彼は半地下の家族よりも底辺な位置にいる。そして死に体となった彼を廃棄する焼却炉も「底」にある。本作の「底」とは、生存が保障されない死の階層なのだ。
そんな「底」にいるミッキーは地球外で生存できず“移民”として宇宙に行こうと、さらに酷使されるのが階級上昇の不可能さと皮肉である。だが彼はエイリアンのクリーパーに殺されるのではなく、助けられる。そして底から這い上がることができる。
さらにタブーとされるミッキー17と18の同時存在も起こってしまう。ここからミッキーはどのように、底へと追いやる権力≒為政者に反逆するのかが見所であるが、注目する点は「翻訳」である。
倒されるべき敵は翻訳不可能な存在者である。それは人間ではない未知の生物であり、話が通じない存在者の場合もあれば、悪の組織など自身の正義や主義とは反し、理解ができない存在者の場合もある。
本作においては、クリーパーが敵のように思える。しかしミッキーの救出のように、彼らは人間に加害を与える存在ではないし、翻訳機の発明というテクノロジー的克服によって、言葉を通じ合うことができる。むしろ翻訳不可能な存在者であり、未知の生物たり得るのは為政者の夫妻である。
彼らには話が通じない。同じ言語を喋っているはずなのに。同じ人間であるはずなのに。ミッキーの頭を撃つかどうかで心配するのは、殺傷への良心の呵責ではなく、カーペットが血で汚れるかであり、クリーパーの身体はソースにすると言って無惨に斬る。この通じなさは、「宗教」が原因である。彼らは為政者として政治的に優位な存在である。というか為政者になることができるのは、宇宙船事業を主導する会社の経営者でもあるからだ。
本作の会社とはおそらく株式会社であるが、この組織体もよく考えると不思議に存在する。株式をもっていればいるほど偉くなり、そこに民主主義による平等はない。事業方針はあるとも、目的はただひとつ利潤の獲得である。利潤のためなら、法も犯すしなんだってする。そして利潤を獲得する手段に労働力の行使もある。だが会社の財務諸表に、労働者は資産計上されることなく、人件費として費用計上される。それなら利潤の獲得のために、人件費を使い捨てにしても構わない。そんな株式会社という組織体は資本教とも言うべき、ある種の宗教の教えに従って組織されるものであり、為政者にとって教えに背く反逆者の言葉など翻訳不可能で理解できないものなのだろう。
こういった宗教≒会社が一体となっている考えは、セリフからも確認できるし、ポン・ジュノが意図したことでもあるだろう。昨今の政治によるコミュニケーション不全は、資本教で組織される株式会社の論理の侵入とでも言いたげだ。
ミッキーは為政者の妻のソース作りという「事業」のために、クリーパーの尻尾を切り落とす労働を行おうとする。しかしその労働は、17と18が獲得競争で負けた方が死ぬというデス・ゲームであり、違法なものである。
だがミッキーはこの労働を放棄し、クリーパーとの対話と融和を試みる。そして18はその隙に為政者の男を襲撃し、自爆によって反逆を達成する。
これでミッキーは解放されて幸せなはずである。しかし為政者の打倒がテロリズムによって果たされるのは容認されることなのだろうか。それは現実でも有効な手段になってしまっているが、暴力に解決を求めるのは許されることではない。
もちろん本作がテロリズムだけを解決の道としていないのはよく分かる。為政者の部下がハラスメントを告発する描写があるし、ナーシャが組織のトップに立ち、再建する展開も準備されている。しかしそれらはテロリズムの乗り越えとするには描写が稀薄であるし、現実離れした理想のように思えてしまう。
それならテロリズムにしか、為政者≒権力を打倒する手段はないのだろうか。
いや、そんなことはない。
為政者を話の通じない未知の生物とするなら、クリーパーとは何ものだろう。
きっと私たち民衆のはずである。外見が気持ち悪い存在者を私たちであるとするのは喜ばしいことかは分からない。だが彼らはコミュニケーション可能であるし、決して暴力によって危害を加えない。抵抗の手段は「声をあげること」だ。
その声は悲鳴とも呼ぶべき、翻訳不可能なものである。だがそんな声をあげること、声をそれでも理解可能なかたちで翻訳しようとすること、それがこの散々な世界で私たちが生存するための抵抗のはずだ。
さすがポン・ジュノ監督作品!見応えのあるブラックユーモア映画の誕生です♪
ポン・ジュノ監督のアカデミー賞受賞作「パラサイト 半地下の家族」をはじめて観たときは、度肝を抜かれました。アジア圏初めての受賞作品がこの作品だったのも納得でした。この監督の描く人間はどこか愚かで、どこか小賢しく、けれどなぜか憎めない。
今作品もポン・ジュノ監督のどこまでも深い人間観察力が否応なく発揮されています。楽して仕事が得たいと考えた主人公のミッキーや権力を手に入れて万人から称賛されたいと願うボス夫婦などあからさまに愚かしい人間がストレートに描かれています。その中で、一見優等生にも見えるミッキーの彼女ナーシャでさえ、ミッキーが2人になった時、2人から愛されたいという素直な己の欲望を露わにするのです。思うにこの監督の作品に登場する人物はみな己の欲望に素直なのだ。誰しもが心の奥底にしまい込んでいる密やかな欲望ーそれを叶えた人がどんな人生を送るのか観客は遠目から俯瞰して観察することができるのです。自己満足だけの権力を手に入れても愚かなラストを迎えるだけだ。何度も生き返るなんて愚の骨頂!一度きりの人生だと思うから今を大切にできるんだよ、などなど反面教師による教訓を得ることになる。
同時にこの映画には、人間社会の環境に対するエゴを批判する内容も含まれている。終盤のストーリーは風の谷のナウシカを思わせる王蟲もどきの先住民との抗争になるのだが、ここがもう少し違う終着点だったら私はもっと好きだったかもしれない。なぜなら簡単に予想ができてしまったから😅そこからのラストも結構長いです。ナーシャ、ナーシャ、ナーシャってかんじ😊なんせ137分なんで、見応えは十分です!!
毎回思うのですが、過剰な宣伝が逆に評価を悪くしてしまう映画をたまに見かけますが、この作品もそれですかね。もったいない。確かな実績のある監督作品ですから、宣伝したくなるのも分かりますが、ひとり歩きする宣伝文句に踊らされないようにしましょう。常にニュートラルな気持ちで鑑賞するのが吉でございます♪
ポン・ジュノ式格差社会 in 未来宇宙(逆襲エンタメは少なめ)
ポン・ジュノ作品なのだから、スカッと逆転劇よりも格差の描写に軸足が置かれるのは当然なのかもしれない。
とはいえ、エクスペンダブルであるミッキー17の扱われ方がシビア過ぎて、そしてそのシビアな状態が思ったより長くて、宣伝文句に踊っていた逆襲エンタメとか反撃といった言葉に触発された期待とは裏腹に、キツさが先に立ってしまった。
キツさを感じたのは、彼の設定やマーシャル夫妻の振る舞いによって寓話的に表された現代社会の病巣が、妙に生々しかったからかもしれない。
格差社会の下層にいる人間は使い捨てのリソースであるということ。物理的に使い捨てにされるというデフォルメされた設定により、その残酷さが可視化される。
上層の人間の傲慢さ。新興宗教をバックグラウンドに持つケネスの横暴ぶりには、現実の政治家を連想する人もいるだろう。だが彼は地球の議員選挙には落ちているので、この作品世界の世論は此方の現実よりはマシなのかもしれない。
俳優陣が素晴らしかった。17と18の二役を演じたロバート・パティンソンはやっぱりすごい。同一人物のコピーだがちょっと性格が違う2人を絶妙に演じ分けていて、きちんと表情が違うので胸に数字を書かれる前でも区別に困らなかった。
そして、何と言ってもトニ・コレットですよ。「陪審員2番」での悩める法曹役が記憶に新しいが、一転してこの憎たらしいささやき女将ぶり。終盤でナーシャに首4の字固めをかけられた時の表情で笑わせるかと思えば、ラストでミッキーの妄想に出てきた時には、一瞬でその場の空気をホラーに変える。最高です。
マーク・ラファロと組んでの無敵な悪役ぶりが、ミッキーの環境の残酷さを際立たせていた。
ニフルヘイムの先住生物クリーパーって、あれ……ナウシカの王蟲っぽいような……造形が似てるし、有毒な大気の中で生きていて、主人公とコミュニケーションが取れて、主人公を助けるってところも。王蟲を連想しつつ観ていたので、貞子のような目が見えた時は勝手に違和感を覚えた。まあ、気のせいということにしておく。
入植地の惑星ニフルヘイムは雪と氷に閉ざされていたが、この名称は北欧神話に登場する、九つの世界の下層にある氷の国ニフルヘイムに由来する。SF、ニフルヘイム、コピー人間ときて、80年代の岡崎つぐおの漫画を思い出したりした。
よく言えば親しみやすい、悪く言えば既視感のある設定。驚きが少なかったので没入出来ず、終始どこか客観的に観てしまい、細かいことが気になってくる自分がいた。
冒頭にも書いたように、「逆襲エンタメ」「予想を超えたミッキーの反撃」(公式サイトより)などと銘打っている割に、なかなか逆襲が始まらない。終盤の逆襲も何だか地味で、「予想を超え」てこない。もっとも、これは監督ではなくプロモーションの問題なのかもしれないが。
途中で出てきたカイ(アナマリア・バルトロメイ)の方がナーシャより命の重さを理解しているのでは?と思う瞬間があったが、結局ミッキーとはくっつかずモブキャラのようにフェードアウトしたのにはもやっとした。
生への執着が強かったハバネロタイプのミッキー18が、いつの間にかものわかりのいい人間になり、自らケネスと共に自爆するのは若干ご都合感があった。18の心境の変化をもう少し細かく描いても良かったのではという気がする。逆に、人間コピー機の発明者であるアラン・マニコバのエピソードは説明しすぎで、まるっと削ってもさしたる影響はないのでは(個人的な感想です)。
トータルでの印象としては、俳優はとてもいいがそれ以外の設定やらキャラの動きやらが何となくまとまりがなく、言いたいことが若干ピンボケしている感じだった。
ところで、作中ではミッキーの記憶をレンガに保存して彼のコピーがデータを受け継いでいたが、記憶は同期出来たとしても自我は別なのではという気がする。17と18がそれぞれの自我を持っていたことはその証左ではないだろうか。
そういう観点で考えると、回想に出てきた4年前のミッキーの自我の部分はミッキー2がプリントアウトされる前にとっくに死んでいることになる。でも、記憶さえ同期されていれば傍目には同一人格という認識になる。そこを意識すると、ラストが単純なハッピーエンドには見えなくなってくる。
自我が透明化されているから使い捨てを厭わない存在になってしまう。よく考えると背筋が寒くなる設定ではある。
韓国作品のが面白いけど
ポン・ジュノ監督はアメリカでもしばしば作品を発表しているのだけど、やっぱり韓国で作る作品の方が面白いなと思ってしまう。とはいえ、この作品がつまらないということはなく、充分に水準以上の娯楽作品に仕上がっているとは思う。
何度も死んでやり直すというアイディアは、『All You Need is Kill』に共通するけれど、あれは自分の運命を切り開くために、死んだらリセットできるその能力を活用していく。こちらは、他人がそれをやるために生体データと記憶をコピーして再現可能にしてしまうというもの。未知の惑星には人類にとって未踏の危険がいっぱいなので、人柱にさせられるのである。
なかなかにエグイアイディアなのだけど、ポンジュノらし諧謔さで重苦しく見せていない。上流階級の人々の滑稽さ、人類の傲慢さを皮肉たっぷりに描いて、自分が自分であるために必要なものは何かと問う。
身体は3Dプリントで、記憶もコピーだが、それでも自分は自分なのか、人間の範囲が拡大していく時代にふさわしい作品だった。
おなじみのジャンルでも彼が撮ればこれほど面白く輝く
生と死の弛まぬ反復。自分と全く同じ容姿を持つコピー(代用品)との対峙。そんなSFモノの定番をこれまで何度も観てきた気がするが、いざポン・ジュノ監督によるストーリーが起動すると、いささか説明の不可欠な主人公の紆余曲折が実に流麗かつ小気味よいタッチで語られていく様に驚く。さらに感激するのはパティンソンの起用法だ。従来のハリウッドでいかに彼の才能が無駄使いされてきたかがよくわかるほど、この監督はパティンソンの鈍臭いまでのフツーさを巧みに抽出し、これまでにない形で見事に輝かせている。加えてあらゆる面で『パラサイト』より大規模でありながら、常にリラックスして決してリキまない。だからこそ我々はラストの高揚に至るまでゆったりと身を委ねつつギアを上げていくことができる。このペース配分もハリウッドの教科書にはない独自の匙加減。決してポン・ジュノの最高傑作ではないが、名匠らしさが詰まった秀作なのは確かである。
傑作映画群を想起させる特徴的な物語要素と描写
ポン・ジュノ監督が「スノーピアサー」や「パラサイト 半地下の家族」などで描いてきた格差社会への風刺や底辺で生きる人々の悲哀と闘争が、最新作「ミッキー17」でも反復される。原作はアメリカ人小説家エドワード・アシュトンが2022年2月に発表した「ミッキー7」(3年ちょっとで映画化・劇場公開というスピードにも驚かされる)。
ざっくりくくるなら、ブラックユーモアの効いたSFコメディだろうか。SFやファンタジーのファンなら、過去の傑作・話題作を想起させる場面に出会うたび、にやりとさせられるだろう。本作の肝となる空想科学のアイデアである人間の身体だけでなく記憶もコピーする技術は、クローン技術をさらに発展させたものと位置付けられるが、フィリップ・K・ディック原作でタイトルもずばりの映画「クローン」や、ダンカン・ジョーンズ監督のデビュー作「月に囚われた男」などを思い出させるし、人間扱いされない“使い捨て”の存在が宇宙での過酷な仕事に従事させられる点では「ブレードランナー」も近い。
惑星ニヴルヘイムの先住種族であるクリーパーについては、監督自身が「風の谷のナウシカ」をインスピレーションの1つに挙げている。地球外生命体とのコミュニケーションに関しては、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作「メッセージ」も思い出した。
大航海時代にヨーロッパ人がアフリカや南北アメリカで繰り広げた植民地政策(征服と収奪、先住民族の大虐殺や奴隷化)を宇宙時代に再現させたような地球人の蛮行は、「アバター」シリーズ2作でも見られた。「アバター」ではまた、ネイティリがジェイクを抱きかかえる構図がミケランジェロの彫刻「ピエタ」を再現していたが、これとよく似た構図が「ミッキー17」でも反復される。人間の業を引き受け命を落としては復活するミッキーに、イエスを重ねるキリスト教圏の観客も多いのではないか。
独裁者的リーダーがアメとムチで派遣団の人心をつかもうとするあたりは、ポール・バーホーベン監督がアメリカ的愛国主義を皮肉った「スターシップ・トゥルーパーズ」に通じる。「ミッキー17」の開拓団のリーダーであるマーシャルの優生思想は当然ヒトラーを想起させるものの、トランプの時代にも重なって見える。民主党支持者で反トランプ発言でも知られるブラッド・ピットが製作総指揮に、彼のプランBエンターテインメントが製作会社に名を連ねていることと、米国の政治情勢からの影響が少ない外国人監督が起用されたことも、けっして無関係ではないだろう。
予想は外れたが面白かった。少し長すぎ。
面白かったか?と聞かれたらYESと答える。ナーシャがミッキーにDAY1から好意を持ちいきなり結ばれたのには絶対裏があるだろうと思って観ていたのだが思い切り外れた。倫理観の欠落している登場人物が多く、所々不快になる(そもそもこの監督は左翼思想を持っているようだし、僕には合わなくて当たり前なのだが)。不要なのでは、というシーンもいくつかあり、120分くらいには出来たと思う)。クリーパーのハッタリには笑えた。彼等が助かって良かった。
評価が自分の中でも定まらない、非常に優秀な佳作といったところ
公開時に鑑賞して楽しめたけどレビューしておらず、ディスク化してから9月に再鑑賞。
どうしてもハリウッドで製作するとSF要素が…、ドラマがあんまり…という評価になりがちなポン・ジュノ監督。要約すると韓国で作れや!クオリティ下がってるぞ!と言われているわけだが、そんなことないと俺は思う。そう言われがちな理由を考えるとシリアスの中にコメディが入っているというよりはコメディの中にシリアスがまぶしてあるのがハリウッド製作だからだ。なんならコメディパートとシリアスパートの融合が不完全で、前半後半でパートが分かりやすく分かれているからなんじゃないのか。
やっぱり本作は特にそうで、後半になると目に見えて切迫した状況がミッキー周辺にもあの組織全体にも、クリーパー側にも差し迫りシリアス要素が濃くなる。それはこれまで韓国で製作された作品だと徹頭徹尾シリアスな雰囲気で、骨太なサスペンスが展開されているため、宇宙・ディストピアといったSFというジャンルが色濃い本作は観客はその前後半の温度差についていけず乗り切れないのだと思う。
かわいい
ポン・ジュノ監督作品だから観ようと思ってたのに映画館に観に行けなかったやつ。年内ギリギリでやっと観れたよ〜。
なんだか不思議な映画でしたね。
借金から逃れるために使い捨て人間になっちゃったミッキーのお話。17番目のミッキーだからミッキー17なのね。別の惑星で危険な仕事をさせられて、死んだら新しい自分が生まれる。記憶は引き継がれるけど人格形成はちょっと違う。
死にそうになってる17番目のミッキーを仲間は見捨てたのに、キモかわいいクリーチャーはミッキーを食べずに助けてくれる。17番目は死んだと思われて18番目のミッキーが生まれちゃったもんだからミッキーが2人になっちゃって、さてどうする?って。
なんかシュールで面白かったけど万人受けはしないかもな〜。私はオクジャとか好きなのでクリーチャーのキモかわいさにちょっとやられた。面白かった。
ミッキーの材料
後半は、ナウシカのオマージュなのかな?
再生を繰り返す「人間モルモット」の物語。
原作があるらしいけど、おもしろい設定で、ストーリーも
よくできていると感じました。SFなんだけど、クールな
感じではなく、クスッと笑えるシーンが挟み込まれてるのがいい。
出てくるエイリアンは、「風の谷のナウシカ」の王蟲(オーム)
そのもの。赤ちゃんが吊るされてるシーンとか、まさにナウシカ。
ポン・ジュノさんって、ジブリが好きなのかな。
マーク・ラファロって、アベンジャーズを卒業してから、
この手の役が多いですね。
WOWOW鑑賞
僕はポン・ジュノ監督という人を知らないので、過去作も観た事ありませんし、とりあえずその事で話題作になっているという事意外は予備知識としてありませんでした。なのである種フラットな気持ちで観れました
結論から言うと傑作でした
全体的には平均点という印象でいたのですが
ラストシーンのミッキー・バーンズのセリフで、評価が爆上がりしました、ここだけで
・エクスペンダブルプログラムを廃止が決まり、ミッキー・バーンズが赤いボタンを押し、プリンターを爆破するとこ
まず赤いボタンの伏線が素晴らしい
(ミッキーはこの死の実験台となってしまう不幸な人生を、幼少時代ドライブ中に赤いボタンを押してしまったことで、母親を殺してしまったという罪の意識から受けた罰だと思っていた)
そしてラストのこの爆発はトラウマとの決別を意味しているのだと◎
この時ミッキーは
“嬉しいと同時に罪悪感も覚えていた”と
ここでの罪悪感は2つ。1つは本人が言うように、もうミッキーを再生する術がなくなったということ。
そしてもう1つは推測になりますが、ほぼ間違いなく幼少時代のトラウマによる罪悪感をさしていると思います◎
※※(この爆発は自分自身を爆破する意味もあった。そしてもう蘇る術も無くなった)
・そしてラストのミッキーのセリフ
「でも罪悪感は捨てよう、幸せになったていいんだ」
幼少時代のあの日からはじめて、自分の今の心が今までの心を許せた瞬間でした◎
少なからず生きていれば誰しも罪や後悔の念はあるもので、なかなかそれを精算できずにいるものですが、そこから見事に解放された瞬間を描写しているなと思いました。
他にも見所はたくさんあるのでしょうが、自分はここだけを特筆しておきます◎。観てよかった
身の丈に合った映画が1番良い。
まって...超つまらない。
結局なにがいいたいのやら🤷♀️
デスワームみたいなエイリアンと会話?
翻訳機そんなすぐ開発できる?
ルコ殺されたから一人人間殺せ?
ゾコを返せ?
リプリント?
イルファのソースおたく?
二股?
顎ピアスしてる側近が怪しい伏線かと思いきや全くナシ🤷♀️司令官の座を奪おうとしてるのかと思ったゼ、ちゃうんかーい、最後に細かく指示してたんなんやねーん、オマエ黒幕でもなんでもなくただの側近やったんかーい、じゃ最後の方馴れ馴れしく司令官の肩触りながら偉そうに喋んなやー。
パラサイトが超超面白かっただけにチョーがっかり。期待はずれ、、。
伏線がなんにもなく、点と点が繋がる解決した感もなく、つまらない。
ロブ様、撮影お疲れ様でした。
見なくてもよかった
不気味で低能なのは
ミッキーの成長を画いた作品
ミッキーの成長を画いた作品
繰り返し同じ人間ができるというテーマだが、
肉体と記憶は、同じなのにクローンによって行動が違うことにより、転回が読めず最高に面白い。
そしてクローンを作っても魂は同様ではないという事から、
主人公の命が作品の中で、非常に重く感じられるように作られている。
そしてその重さは主人公以外にないので、命を軽んじられ、危険が常につきまとう。
素晴らしいロジックとなっている。
幼い時、いたずらに赤いボタンを押したことで母を亡くしたと思い自己嫌悪に陥っている主人公だが、
同じ記憶を持つクローンから学び、
最後には勇敢に立ち向かい赤いボタンを押すことができた、
押すと同時に爆発が起き、観客に同時にカタルシスを与えるという方法は素晴らしい。
この作品における唯一の欠点は、敵の愚かさである。
調べると原作では、そんなに馬鹿でないようで、
他のキャラクターの細やかさに比べ、敵のキャラクターだけ浮いていたので、やはりと思った。
敵だけが行動が読め、愚かに死ぬのだろうなと見えすぎてしまった。
ココは愚かな人間ではなく、クレーバーな考えゆえに主人公の命を軽んじるといった感じでどう追い詰められるのだろうという感じで良かったと思う。
搾取は愚かといったような、風刺的な解釈はやめてほしかった。
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