「奸計を巡らせる者たち(監督含む)」チャレンジャーズ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
奸計を巡らせる者たち(監督含む)
いや〜、凄いテニスの映画だった!こう書くと何だか小学生みたいなペラペラの感想になっちゃうが、何よりも最高で究極のテニスを求めた映画だったと思う。
さらに映画的に面白いのは、構成はサスペンスで撮影はアクション、表面上のストーリーはラブロマンスという、豪華幕の内弁当みたいになっていながらも、やはり全体の柱としてテニスのラリー的面白さが際立つ仕掛けになっているところだ。
時間軸が飛ぶ構図はそれ自体が決勝と過去を往復するボールのような効果を生み出している。
それもこれもラスト・シーンの最高の瞬間のために設計されていると言って過言ではない。
監督がルカ・グァダニーノなので何度も同性愛を示唆するようなカットが差し込まれるのだが、それについては書かない。
映画のタイトルにも捻りがある。
テニスが題材なので、審判に異議を申し立てるチャレンジと掛けている部分もあるだろう。そもそも大会が「チャレンジャーズ」なので、シンプルにそこから取っているのかもしれない。
英語の「challenger」は「対決する者」「異議を唱える者」という意味になる。何かに挑戦するというニュアンスではなく、映画に出てくる単語で表すなら「Game Changer」の方が馴染みが良いかもしれない。
さらに遡ってラテン語だと「陰謀を巡らせる者」という意味になり、なるほどそれが一番しっくりくるのかもしれない。
タシもパットもアートも、己の欲するものの為に色々と策謀を巡らせている描写があるからだ。タシは最高のテニスを見るためにパットとアートを張り合わせ、パットはタシとよりを戻そうと画策し、アートはタシとパットの関係を裂こうとする(しかも相手を気にかけているように装って!)。
めくるめく愛の駆け引きが最終盤まで続く事を考えると、「奸計者」と訳すのが一番良いように思う。
色々書いたが、やはりこれはテニスの映画。いや史上最高のテニス、の映画である。
タシは「テニスを通して相手と絆を築く」「自分も、相手も、観客席も、全て一体になる」最高のテニスを切望していた。
そして同時にパットとアートが自分を巡って訣別することを嫌がってもいた。
競い合いながらも貶め合うのではなく、ライバルでありパートナーでもあるという複雑で美しい絆が目の前に現れた時、何もかも忘れて喝采を送りたくなるこの気持ちは、タシだけでなく観客席にも、画面の前の我々にも響く感動と興奮の瞬間なのだ。
ボールを追うだけの人生、などと卑下する必要なんて全然ない。その人生が全てコートで出尽くしたからこそ、最高の瞬間が訪れたのだから。
