夜明けのすべてのレビュー・感想・評価
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私的感じた、この映画を優れた作品にしている点とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
※重要作品ながらレビューを書けていなかったので、今更ですが‥
この映画『夜明けのすべて』は、PMS(月経前症候群)の藤沢美紗(上白石萌音さん)とパニック障害の山添孝俊(松村北斗さん)が、それぞれ勤めていた会社を辞め、PMSやパニック障害に対して理解ある栗田科学という会社で働いているという物語です。
この映画が特に優れていると私的感じたのは、物語の状況を、ほぼ一切セリフで説明せず、モンタージュの積み重ねで説明し切っているところにあると思われました。
例えば、パニック障害の山添孝俊は元の勤めていた会社に戻ろうとしているのですが、そのことを元の会社の上司である辻本憲彦(渋川清彦さん)とのビデオ通話で表現しています。
そして上司の辻本憲彦の背中で、山添孝俊が元の会社に復帰することは難しいことも伝えています。
なぜ山添孝俊が今の栗田科学で働いているのかというと、上司の辻本憲彦は姉を自死で失っていて、同じく弟を自死で失った栗田科学の社長・栗田和夫(光石研さん)と、同じ境遇の遺族の集まりでつながりがあり、その関係で山添孝俊が栗田科学で働いていることが示唆されます。
なぜ上司の辻本憲彦がそこまで山添孝俊を助けようとしているのかというと、辻本憲彦の姉は過労による自死で亡くなっていて、仕事にまつわる精神的なことで姉のような犠牲者がもう出ないように彼が尽力しているからだと伝わります。
驚くべきことに、これらの事について、この映画は直接的なセリフで一切説明していないのです。
上司の辻本憲彦はこの映画でほとんど出てこないのですが、わずか数シーンの彼の立ち居振る舞いの積み重ねで、全てこちらに伝わるようになっています。
そして最後の、山添孝俊が栗田科学で引き続き働こうと思うと上司の辻本憲彦に伝えた時の辻本の涙は、姉への自死の想い、山添孝俊を自社に復帰させられなかった自身の力不足、山添孝俊の心からの願いが叶っているとの安堵感、など、幾重にも重なった感情を全くのセリフの説明なしにこちらに感じさせる、感銘を受ける映画的なシーンになっていたと思われます。
この事は例えば、山添孝俊の彼女であり元の会社で同僚だった大島千尋(芋生悠さん)が、映画の後半に山添孝俊の部屋に訪ねて来て、海外への栄転の話をした上で「外で話せるかな?」との一言だけで、彼女が別れ話を言いに来たと伝わるシーンでも同様です。
この映画は、説明的なセリフをほぼ一切排除して、あくまでシーンの積み重ねによって映画的に表現しているのが本当に素晴らしいと私的には思われました。
言葉は真意からズレたり矛盾したり完全に一致するのはマレなのですが、その事に無頓着で、真意を全て言葉で表現できると(時に傲慢に)思い違いしている日本の脚本家や演出監督が少なくない中で、この映画『夜明けのすべて』の三宅唱 監督は、言葉が常に本心を裏切って行く人間の本質を、実に深いところで理解しているのだと思われました。
今作を多くの思い違いしている脚本家や演出監督は観た方が良いですよと、僭越ながら思われたりもしました。
この映画は、PMS(月経前症候群)の藤沢美紗の矛盾に満ちた言動も含めて、見事に人間の深さを、そしてその問題解決の困難さを描いている、素晴らしい作品だと個人的にも思われています。
ただ、作品としては、藤沢美紗のPMS(月経前症候群)の問題も、山添孝俊のパニック障害の問題も、本来はそれぞれの元の会社で解決される必要があり、栗田科学といういわば理解ある理想的でオアシス的な場所に押し付ける問題ではないとは一方では思われました。
本来であれば、藤沢美紗や山添孝俊が元居た会社が舞台となってこの問題の解決を引き受ける作品である必要性を感じ、”栗田科学があって良かったね”という解決の仕方で作品が終わるのは違うようにも感じ、私的な点数としてはこのようになりました。
ただ、その点を除けば、それぞれ俳優陣の着実で優れた演技を含めて、映画表現として素晴らしい作品であったと、他の人達の評価が高いのも当然だなと一方で思われています。
キネマ旬報第1位おめでとうございます!
夜明け前がいちばん暗い。でも必ず夜は明ける。
PMSの途轍もないイライラもパニック障害の激しい発作も、でも必ずおさまる。
藤沢も山添もそれぞれの症状を和らげる術を探し、お互いが助け合う関係になるのだが、紡いでいくそのさりげない日常のやり取りが、とても素敵である。
そして、取り巻くひとびと(とりわけ栗田科学の皆さん)が皆、自然体に藤沢、山添と関わり、ちゃんと支えになっているのもとても良い。
監督の前作「ケイコ 目を澄ませて」でもそうだったが、物語に悪い人や意地悪な人やすごく無神経な人が1人も登場しない。不幸に陥れるような大きな事件も事故も起きない。
栗田科学ののどかな昼休みの風景のエンディングを観て、観客もいい気分で映画館を出れる。
いい映画です。
じんわり暖かくなる
生きるのが少し楽になる。
知り合いにパニック障害の方がいたり、芸能人でもよく耳にするので見に行ってみた。見終わった後、これは傑作だと思った。変に恋愛に持っていくわけでもなく、ただ日常を描いただけなのに、こんなにも心にくるものがあるのかと。上白石萌音さんのPMSの演技は共感できる部分もあり、こんなに仕事に支障が出るほど重い人もいるんだと改めて再認識した。松村北斗さんのパニック障害の演技もリアルで今までの普通の人生が病気一つで全く変わってしまったことへの虚無感みたいなものがひしひしと伝わってきた。でも、二人が出会ったことにより、少しずつ前向きになれたりちょっと勇気を出してみようと変わっていく様子がすごく勇気をもらえた。これは少し生きにくかったり、悩みがある人にこそ、響く作品だし、見てもらいたいと思った。自分にとってお守りのような、出会えて良かった映画。
初めての感覚
支え合って生きることの美しさ
例えば、ふつうの健常な人でも、日によって気分の浮き沈みは必ずあるもの。
その浮き沈みの振幅が異常に大きく、それ故、日常生活に支障を来す場合には、疾患として投薬などの治療をしなければならないので、その前提として、具体的な診断名(病名)をつけて診断をしなければならないと聞いたことがあります。
病気を持っている人や、いわゆる障害を抱えているという人たちを、決して特別視する(ましてや差別視などする)理由は何もないことも、また当然かとも思います。
それにつけても、病気をお持ちの方(と言ってしまって良いのか、もっと別の言い方で、少しだけ他の人と比べて個性が目立つとでも言うべきなのか)に対しての「周囲の受け止め」の大切さ、そういう周囲の受け止めの美しさに、改めて気づかさせてもらえた一本になりました。
本作は。
その点でも、十分に佳作としての評価に値する一本と思います。
評論子は。
時々メンタルの制御がきかなくなる人々、疾患は人それぞれ。 処方薬を...
時々メンタルの制御がきかなくなる人々、疾患は人それぞれ。
処方薬を服用しないと生活がおぼつかないとか、かつて心当たりがある、身につまされるお話でした。
教科書的には、傾聴 受容 共感 とか、焦らずじっくり付き合う、いうところですね。
物語の中の演者さん、知ってか知らずか、疾患患者さんとの接し方が、丁寧にできているように見えました。
こちら、いち鑑賞者にすぎませんが、この映画を見させていただいて、
心が軽くなる、荒れたものが解けてゆく感覚を抱きました。
心が軽くなった後、題目の夜明けってなんだ? と気になりだした頃、
ラストのプラネタリウムのお話が。
純朴にあこがれを抱いて聞けました。
丁寧に描かれた、すてきなお話でした。
栗田工業が潰れませんように、ずっと存続してくれますように
上白石萌音と松村北斗の自然なところが良い。
特に、大企業(多分)勤務から町工場勤務になって腐っていた山添くん=松村北斗が少しづつ変化を見せていくところが嫌味なく自然で良かった
ふたりの掛け合いが結構笑える
山添くんはかなりユーモアのセンスがあるヒトだと思う
ふたりとも自分を悲劇の主人公にしないところが好感が持てる
淡々と自分たちができる対策を出し合い協力し、困った症状に向き合う
「言いたいこと言って、PMSのせいにすれば良いからいいじゃん」とか冗談交じりに言っていたりする
世の中には「自分は〇〇なので配慮してほしい」と職場で協力を求める、それは当然だがすぎて振り回す人がいる。
配慮は当然だが度を越した我慢を周囲が強いられることがある
いくら病気でも、藤沢さんのような暴言吐かれたら私なら傷つく
こちらのメンタルがオカシクなりそうなことがある
それでも当人には感謝も謝罪もない。職場的に「配慮」は当然なので。
藤沢さんも山添くんも、そうなりたくなくて職場で自分たちの「病気」を黙っているのだろうと思った。
藤沢さんがPMSで荒れまくった後に職場の皆さんにお菓子を配って謝って回り、周囲もはいはい、とお菓子を当たり前のように受け取って終わり。月に一度の荒ぶる神への儀式のよう。彼女は「自分は〇〇なので周囲に迷惑をかけて当然」のようにはしないのだ。
周囲が配慮するのは当然だが、病気を抱えた当人が周囲に気遣いすることがあっても良いと思う。
お互い様とはそういうことではないか。
みんな問題を抱えて生きている。
悩みのない人はいないのだ。
栗田社長、山添くんの元上司、多分外国人と結婚していたシングルマザーの久保田磨希と、周囲の人達も公言しないが生きていくうえでの問題を抱えている。それ故に他人への思いやりがある人達なのだろう。重荷にならないようにそっと二人を支えてくれる良い人たちだ。
久保田磨希さんの息子を含む中学生の放送部のドキュメンタリーのシーンがちょっと多すぎる気がする。
プラネタリウムでの解説に、社長の弟が遺したものが云々が少々過剰気味だったかも。
ふたりが恋愛関係にならず、ずっと良い友達、同志、親友なのがとても良い。
藤沢さんは転職先で周囲とうまく折り合いがつけられますように
栗田社長の優しさと器の大きさが心に染みた。
さりげなく相手の重荷にならないように気遣いしてくれ、従業員の皆さんも、それに応えて真面目に一生懸命働いているという、しんどいところを持つ人達には理想的な職場。
栗田工業が潰れませんように、ずっと存続してくれますようにと祈ってしまった。
藤沢さんが思い出せなかった「おじいちゃんたちが宇宙に行く映画」は、
「スペース・カウボーイ」では?
啓発映画かも
出てくる人が全員優しい稀有な作品です。
またPMSやパニック障害についての啓発映画でもあります。
パニック障害に関しては有名人などの告白もあり、比較的よく知られてはいますが、実際自分の周りにそういうつらい思いをしている人がどれくらいいるでしょう。PMSに関しては、昔なら「ヒステリー」で片付けられてたかもしれませんが、生理のある女性なら大なり小なりこういう症状があって当然のようで、この映画のヒロインはとても極端なのかもしれませんが。それこそ人格が変わるくらいの変貌ぶりでした。
原作とはちょっと違う職場のようですが、子どもたちに科学を楽しんでもらうキット制作販売会社というのがとても良かったです。また、光石研演じる社長を始め社員のみんなが心の問題を抱える主人公二人にとても優しいのが良かったです。もっとも社長が、一緒に仕事を頑張ってきた弟が自死を選んだことが原因で、社長自らが大切な人を自死で失った人達が集まるサークルで長年の活動をしていることも、心の病に関してとても理解されていたようです。
松村北斗演じるパニック障害を持つ男の子の前の会社の上司役である渋川清彦も、こんなに優しい彼はなかなか珍しいです。「ゴールデンスランバー」でのトラック運転手以来かな?(笑)
で、正直言うと一番ショックだったのは5年間で母親があんなふうになってしまったこと・・・
何が彼女を襲ったのか?
優しくなりたい
受け止めれる人になりたい。
ストレスが蔓延してる昨今で擦り潰されていく人達。様々な理由から"普通"が出来なくなる。
生き辛いのだと思われる。
彼の台詞が印象的だった。
「自分の体はどうにもならないけれど、あなたの体の事はどうにか出来るような気がする」
ほんの少しの思いやり。
その人の全てを背負う事は出来なくても、近くで見守る事は出来る。
人と人との関わり合い方の定義みたいだ。
ずっと同じな訳はない。急激な変化はなくとも、ゆっくりゆっくり変わっていける。
自分の手が伸ばせる範囲が穏やかになっていくのであれば、それを平和と呼ぶ日も来るかもしれない。
愛を説くこともなく、代償を求められるわけでもない。ほんの少しだけ、寄り添ってあげるだけでいい。それが増えていけばいい。
抗えない人は一定数いる。
向き合うにあたり何も背負わなくていい。
ただ、ほんの少し歩み寄る。それだけでいい。
そんな事を、気づかせてくれた作品。
本作が優れている点は、好意は描くけども恋愛を描かない点だと思われる。
処方箋が恋愛に由来される事はないのだ。
それにより人物を特定する事なく、広い範囲に発信できる。誰にでも出来る事なんだと教えてくれる。
抑揚のない退屈なドラマ
各々精神疾患(PMS(月経前症候群)・パニック障害)を抱えて、人付き合いが下手でぎこちない日々を送る会社の同僚の二人、上白石萌音扮する藤沢さんと松村北斗扮する山添くんを主役に据え、その窮屈でもどかしい互いの日常を粛々と追った作品です。
カメラは彼らに同情的でもなく、フィックスの長回しを多用し、寄せアップも殆どなく、ゆったりとした緩いテンポで淡々と、まるでドキュメンタリーのように映していきます。しかし彼らが抱える、病気による苦悩や悲哀は描かれないので、鋭く問題提起するわけでもなく、終始メリハリのない滔々とした映像が延々と続きます。ラブロマンスはなく、謎解きミステリー要素もなく、サスペンス性もありません。つまり起承転結のない2時間のドラマが本作といえます。
それでも前半は、藤沢さん視点で映されていきます。そこでは山添くんも藤沢視点で胡散臭い客体の一つとして描かれますが、中盤藤沢さんが山添くんの整髪をする長回しカットから山添視点にカメラが移り、藤沢さんも面倒くさい人として映されつつも、暖かく見つめられていることが感じられます。
そして徐々に二人の視点が重なり合っていきますが、決して恋愛関係には至らない淡泊な関係のままエンディングを迎えます。
斯様に抑揚のない退屈なドラマで、その上、登場人物が悉く善人ばかりなので、事件もなくハラハラドキドキすることもなく、ただただ安心して観ていられたに過ぎないのですが、不思議に飽きることなく観賞できたのは、リアルな生活感を実演した役者たちの演技力によるのでしょう。
ただ、つい近所でもありそうな、あまりにも身近な話であり、夢やロマンといった快感は得られず映画的なスケール感は全くありません。巷間、非常に高評価なのが、率直に言って私にはよく理解できません。
一服の清涼感は得られた気はしますが、非日常空間である映画館で観客に披露する作品とは言い難いと思います。
映像作品としては悪くはありませんが、BSでのドキュメンタリー風ドラマが向いているのではないかと思ったしだいです。
温かい世界観
原作者である瀬尾まいこさん特有のあの温かな世界観がそのまま映像化されていて本当に嬉しかった。
瀬尾まいこさんの作品に触れると陽だまりの中にいるかのような気持ちになり読み終わると心にじんわりと温かなものが残る。映画では陽の光をとても繊細に映していて、作品を読んだときのようなぽかぽかした気持ちをそのまま視覚化してくれたかのような新鮮な気持ちになった。
原作とは随分と話の展開が異なっていたけれど、この物語の芯となる部分はぶれずにちゃんと伝わったし映像だからこそ感動できる素敵な演出も沢山あってよかった
自分の気づかないところでみんないろんなものを抱え込んで生きていると思うし自分自身もまた、他人には言えずに抱えているものは確かにある。
自分で自分を助けられなくても、自分が助けられる人たちは周りにいるはずだ。
この作品の温かさをちゃんと心に温存して今日から自分が生きる世界に持っていきたい。
ADHDとPSMを持つ私より。
あの世界は理想郷だけど、この映画と出会えたことは理想郷への入り口だった気がする
生きづらさを描く作品が増えてきて、天邪鬼もあり観るのを先送り。
その人の苦しみに共感でも、受け入れるでもなく「寄り添う」。静かに、誠実に、温かく物語が描かれているからこそ、胸の奥にストンと登場人物の言葉が落ちてくる。
PMSしんどいよ、どうしても強く当たってしまう。
ADHDしんどいよ、どうしても集中できない。
強く当たってはいけないことを覚えておけない。
今にも崩れそうななかで、どうにか踏ん張ってる。
そんな私に、そんな誰かに、この映画自体が寄り添ってくれる。本当にありがとう。周りが敵に見えても、きっとこの映画だけは味方でいてくれる。
太陽と星と差し入れ
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