夜明けのすべてのレビュー・感想・評価
全449件中、41~60件目を表示
太陽が向こうから近づいてきていると信じている人のレビュー
新しい映画なのにレトロ感がある映像。
劇中に登場するカレンダーを見ると、まさに今の日本が舞台になっている。
藤沢美紗(上白石萌音)が、親元を離れて自立してから始まる夜明け前の苦しみの時期と、のちの夜明けに至るまでをじっくり丁寧に描いている。
藤沢は、薬を見付けて山添(松村北斗)に渡したり、自転車を譲ったり、髪を切ってあげたりするが、今作に登場する男女は誰一人として月と太陽のごとく一線を越えず、お互いを欲したり交わろうとしない。
性欲が存在しない架空の世界なのだろうか。
整列している星の夜空の見えかたからは、プラネタリウムのように空のほうがゆっくり動いている考え方のほうがしっくりくるし、もし誰かが言うように地球が自転公転していたら、物理の法則によると夜明けの度に定期的に地震のような衝撃があるはずである。
世界の仕組みも人の體の仕組みも、すべてが解き明かされてしまわないように、知識の共有を阻む何かがあることを感じざるを得ない。
夜空のように全てが繋がったまま、徐々に明るい方向へ好転していく。
栗田和夫(光石研)の弟が残した数十年前の記録が、内容はともかく時空を超えて未来の誰か(藤沢たち)に届いたのは素敵なことである。
ずっと穏やかなBGMで、刺激的なことは特に無いまま終わったので拍子抜けしたが、なぜか余韻が抜けない作品。
同情ではなく理解を
PMS(月経前症候群)の女性とパニック障害の男性が生活の中で職場で居場所を探そうとするお話です。僕が、PMSという言葉を知ったのはほんの1~2年前の事なので、男性として知っておきたいと思える物語でした。しかし、『ケイコ目を澄ませて』の三宅唱監督はそれを力こぶの「障害者映画」にはしませんでした。
病や障害を持つ人に安易に「同情」するのではなく「理解」する事でこそ自らをも癒し得ることを語るとても穏やかで優しい物語でした。悪い人は出て来ないのですが、「それもいいじゃないか」と僕はスクリーン前で大きく頷きます。そして、安っぽく恋愛映画にしなかったのがとてもよかったなぁ。映像には独特の間(ま)があり、そこで見せる上白石萌音さんの素の表情の演技が素晴らしかったです。
抑揚のない退屈なドラマ
各々精神疾患(PMS(月経前症候群)・パニック障害)を抱えて、人付き合いが下手でぎこちない日々を送る会社の同僚の二人、上白石萌音扮する藤沢さんと松村北斗扮する山添くんを主役に据え、その窮屈でもどかしい互いの日常を粛々と追った作品です。
カメラは彼らに同情的でもなく、フィックスの長回しを多用し、寄せアップも殆どなく、ゆったりとした緩いテンポで淡々と、まるでドキュメンタリーのように映していきます。しかし彼らが抱える、病気による苦悩や悲哀は描かれないので、鋭く問題提起するわけでもなく、終始メリハリのない滔々とした映像が延々と続きます。ラブロマンスはなく、謎解きミステリー要素もなく、サスペンス性もありません。つまり起承転結のない2時間のドラマが本作といえます。
それでも前半は、藤沢さん視点で映されていきます。そこでは山添くんも藤沢視点で胡散臭い客体の一つとして描かれますが、中盤藤沢さんが山添くんの整髪をする長回しカットから山添視点にカメラが移り、藤沢さんも面倒くさい人として映されつつも、暖かく見つめられていることが感じられます。
そして徐々に二人の視点が重なり合っていきますが、決して恋愛関係には至らない淡泊な関係のままエンディングを迎えます。
斯様に抑揚のない退屈なドラマで、その上、登場人物が悉く善人ばかりなので、事件もなくハラハラドキドキすることもなく、ただただ安心して観ていられたに過ぎないのですが、不思議に飽きることなく観賞できたのは、リアルな生活感を実演した役者たちの演技力によるのでしょう。
ただ、つい近所でもありそうな、あまりにも身近な話であり、夢やロマンといった快感は得られず映画的なスケール感は全くありません。巷間、非常に高評価なのが、率直に言って私にはよく理解できません。
一服の清涼感は得られた気はしますが、非日常空間である映画館で観客に披露する作品とは言い難いと思います。
映像作品としては悪くはありませんが、BSでのドキュメンタリー風ドラマが向いているのではないかと思ったしだいです。
生きづらさを抱えた人へ
事前に原作など読まず見に行きました。
様々な理由で生きづらさを抱えた人たちと
それを理解して見守ってくれる人たち。
一緒に見ていた主人はPMSについて知らなかった、知れてよかったと。
人は色々なバックグラウンドがある。
表面的にはわからないかもしれないけど
それを心に留めておくだけで、
人と関わるときに少しだけ心配りができるようになればいいな。と思わせてくれた映画でした。
悲しい時も嬉しい時も必ず終わる
ファンタジー
松村北斗の演技が好きなので鑑賞してみた。やっぱり演技上手だなー
日常を描く物語だから激しい起承転結は求められないけど、山添さんの結末はこれでよかったのか些か疑問が残った。
不自然に恋人になるよりかは友達以上恋人未満で終わるのが自然で良かったのかな。若干後ろ髪を引かれる映画
音楽とともにじんわり心に沁みる映画。夜中にどうぞ
良かったです。全編柔らかい音楽とともにゆったり進んでいきます。発作などのシーンもありますが、出てくる方々の優しさや人間性で包まれしんどくなく見ることができました。最後変に恋愛にならないところも、パニック障害の彼が残る選択をしたことに対してとても前向きなところもよかったです。
また、働き方も考えさせられる映画でした。私は今東京の資本主義の真っ只中にいて、年収競争出世競争に面しています。そんな中でパニック発作がまさに出ていて、何が本当に幸せなのかなと。
効率化資本主義の中では論理と数字が揺るぎなき正とされるけれど、栗田科学のように会社が潰れなければ、社員がむりせず楽しくやれるならそれでいいと言うのもまた正なんだと思いました。
お金稼ぎ終わった後に人が求めるものは結局家族や身近な人との幸せなのだから、お金はそこそこで身近な幸せが手に入るならそれはそれでとても良いことなんだと思います。背負ってるものをおろしたい。
夜明け前が一番暗い。この言葉もちょうど今沈んでいる私の心に響きました。ありがとう。
気まずい
リアルというよりawkward。
awkwardの翻訳を見ると、気まずい、ぎこちない、不味い、照れくさい、重苦しい、ぶざまな、不器用な、不具合な、不為な、など。
ドキュメンタリータッチのリアル演出だが、な~んか、いちいち気まずい。びみょうな不自然さがついてまわる。それが気持ちわるかった。ぬるっとしていて、からっとしてくれない。
その形容は気まずいがしっくりくるが、ぎこちなさ、照れくささ、重苦しさ、ぶざまさもあり、つまりawkwardだった。
同僚男性のアパートで女性が髪を切るのも、お菓子やたいやき買ってくると「栗田科学」が色めく様子も、喫茶店でコーヒー注文するのも、ヘルメット前後逆にかぶる光石研も、移動式プラネタリウムも、全シーンがawkwardで終始ぬるぬるの映画だった。
月経前症候群の藤沢(上白石萌音)とパニック障害の山添(松村北斗)が助け合う話。栗田科学の職員はみんなつましく、まじめ。藤沢母(りょう)は要介護、栗田社長(光石研)や山添の元上司(渋川清彦)は大切な人を亡くして心に傷を負っている。
主題は誠実かつ人道的で、移動式プラネタリウム上演とその解説文作成を頂点とし、藤沢と山添が干渉しながらなんとか自分なりの道を見つけていく展開には切実さがあった。
映画は丁寧につくられており、人々は善良で辛い病や体験に向き合い、小さな幸せにしっかりとつかまって生きている。コンセプトにも志にも咎はない。が、なにしろawkwardで見づらかった──ので、そっちを点数にした。
じぶんは健常で悪いところはないが、厄介ごとに直面したとき、ADHDとか鬱病とか無呼吸症とかなんでもいいがなんかもっともらしい病名の症状がないものか──と思ったことがある。
この映画にもその命題、病を人生の言い訳にできるか──がでてくる。
PMS(月経前症候群)発症中に面罵してしまった知人にどうやって謝ったらいいか悩んでいる藤沢を見て──、
山添『でも便利っちゃ便利ですよね、好きなこと言っても病気のせいにすりゃいいんですから』
藤沢『パニック障害だってたまには使えるでしょ、行きたくない誘いとか、発作が出るからって断れるし』
山添『いやでもぼく周りに言ってないですもん』
有名人が負っている疾病や過去の壮絶体験などを披露することがあるが、それはPR=芸能活動の一環でもあり、ビジュアルと連立でもある。すなわち現実のPMSやパニック障害は同情をさそう見た目をしていないのかもしれない。
なおメンタルクリニックの女医役が(女優さんに罪はないが)鷹揚な感じを出そうとしていながら、たんに雑なだけでかなり外していたと思う。
夜明け前の闇の中で、誰かを支える星となれ
こんな事を言ったら山添くんに疑問を持たれるかもしれないが、私も少しは境遇や気持ちが分かる。
私の場合持病ではなくヘンな症状なのだが、夜寝ている時に、突然の痙攣発作、激しい発汗と心臓が飛び出そうなほどの動悸に襲われる事がある。
暫く原因が分からなかったが、ようやく思い当たったのが、数年前の胃の全摘手術。胃を摘出した人に見られる“ダンピング症候群”。
胃が無く、食べた物がダイレクトに腸へ。その時消化が追い付かず、腸が痙攣。それが身体全体に広がる…というもの。
そういや退院の時そんな説明受けたな…と後になって思い出したが、まさかまさかこんなしんどくて、こんなにも続くとは思ってもみなかった。さほど大した事なく、一時の事だと思っていたので。
胃が無い身。これがこれからずっと…と思うと嫌になってしまう。
実は言うと、本当にこれが原因なのかも定かではない。勿論病院にも言ったが、医者はただ話を聞いて、じゃあ薬出しますねだけ。もっと色々診てくれるとか、原因を調べてくれたりとかしてくれない。なので、暫く通院し薬も飲んでいたが、今は通院も薬も飲んでいない。だって結局、通院しようがしまいが、薬を飲もうが飲まないが、同じ。起きる時は起きる。起きない時は起きない。
これも不思議なもんで、これまでは一ヶ月に2~3回、酷い時は4~5回、立て続けに起きる時もあれば、暫く起きない時もある。ちなみに今、4ヶ月ほど起きてない。最長記録!
ほとんどが夜寝てる時。でもごく稀に、昼間や起きている時に起きる時もある。いつぞや何か昼間外歩いている時に、突然くらっと目眩みたいなのが…と思ったら起きた。あの時はびっくりしたなぁ…。
それで日常生活や仕事に支障をきたすほどではないのだが、またいつ起こるか分からない症状に悩まされている。
藤沢さんや山添くんの抱える持病とは毛色が違うかもしれないが、それでも少しは分かるのである。
恥ずかしながら“PMS”という言葉を初めて聞いた。月経前症候群。調べてみたら人によって症状は様々らしいが、藤沢さんの場合は月に一度イライラが抑えられない。
それによって転職。大きな企業から子供用科学キットを作る町工場へ。
PMSは続く。そんな時、同僚の山添くんのやる気の無さ、炭酸を明ける音にイライラをぶつけてしまう。
それには訳が。山添くんもパニック障害を抱える身で…。
パニック障害もよくは聞くが、詳しくは知らない。
突然パニックや発作に襲われ、動悸や目眩、身体の不調、不安に駆られる。
原作者の瀬尾まいこもパニック障害の経験ある身。
山添くんの場合は発作。人ゴミの中や電車にも乗れない。やる気や気力の無さも心体の気だるさ。炭酸も身体にいいと聞いて。
そんな二人が出会って…。
ありがちな難病を抱える苦悩をお涙頂戴で…と一見思うが、そうではない。
あくまで持病を抱える二人の日常を綴っていく。
異常が無い時は二人共、ごく普通なのだ。藤沢さんはPMSの反動で周りに対して気を遣ったり(職場にお菓子の差し入れ)、山添くんはドライな面もあるけど。
ごくごく普通。だから、突然の症状が堪らなく怖いのだ。
私も例の症状がいつ起きるか、夜寝るのが怖い時がある。
山添くんがパニック障害と知った藤沢さん。お互い頑張ろうと励ます。
ちょっと違う気がするんですけど…なんて言われ、鳩が豆鉄砲を食らう藤沢さんだが、以来気に掛ける。
山添くんも藤沢さんがPMSと知り、イライラが始まったなと感付くと、さりげなく外へ連れて行ったり、イライラを自分に向けさせたりする。何だかんだ好青年。
二人の関係がこれまたありがちな恋愛に発展する事なく、あくまで友情や同志なのがいい。それが作品への清々しさや爽やかさにも表れている。
遠慮せず物を言い合ったり。ナチュラルなやり取りに笑いがこぼれたり。
上白石萌音と松村北斗の好演。
上白石萌音はどんどん素敵な女優さんになっていくなぁ…。松村北斗も良作に恵まれて。
二人を支え、見守る周りもいい。
二人が働く町工場の雰囲気が温かい。
経営者の栗田と山添くんの前職の上司の辻本は昵懇で、山添くんを見守る。
何かを抱えているのはこの二人も。栗田は共同経営者で科学好きだった弟を、辻本は姉を自死で亡くし、自死で大切な人を亡くした人たちが集う会に参加している。
『ディア・ファミリー』では嫌味な役所だった光石研、クセのある役所が多い渋川清彦の温助演。本当に演技巧者。
山添くんの友人たちや彼女、藤沢さんの友人や転職エージェント、パーキンソン病の藤沢さんの母…。
皆が何かを抱えつつも、気遣い、見守り、支え合って。
現実はこんなもんじゃない。理想的過ぎかもしれない。しかし私は、これが人の本来の姿と心だと信じている。
『ケイコ 目を済ませて』で絶賛された三宅唱監督の丁寧な演出。
作風も話も優しく、映像も音楽も美しい。
過剰宣伝の見世物的やアニメーションばかりヒットする昨今の日本映画界に於いて、これこそ良質良心作と言える。
世の中や大宇宙が変化していくように、私たちも。
母親の介護をする為、藤沢さんは地元へ戻って転職。決まった時、「栗田金属で働けて幸せでした」。
山添くんは前の会社に戻らず、栗田金属に残る事を決めた。
それを辻本に告げた時、辻本が流した涙には二つの意味があると思った。
一つは、パニック障害を抱え生きがいを失っていた山添くんが自分のやりたい事を見つけた嬉しさ。もう一つは、また戻ってくると思っていた可愛がってた後輩が戻って来ない寂しさ…。
このシーン、あの涙、ジ~ンとしたなぁ…。
誰もそれらに待ったなんて言えやしない。持病と向き合いながらも、各々が決めた事。
印象的な宇宙や星座、夜明けの話。
この壮大で神秘的な大宇宙の中で、私たち人間の営みなんて、些細でちっぽけな事とよく言う。
宇宙に全く変化など起こす事もない些細でちっぽけな存在かもしれないけど、私たち各々が光を放っている。
星々が巡り合うように、私たちも出会って。
光の中には影もある。夜の闇は夜明け前が最も深いという。
それは持病や悩みなど、時折不安にも陥る私たちそのものだ。
しかし、夜があるから朝をより感じられる。
悩みや不安を感じるからこそ、人の善意や良心をより感じられる。
誰かを照らし支える星となれ。
そして夜が明ける。
心をほぐされる 音、映像、ストーリー
お互いの痛み
PMSとパニック障害を抱える2人が社会とは、上手くやっていけずに苦しんでいた。
生きる事の難しさを感じながらもなんとかもがき今という自分でやってきている。それでも思わぬ部分で自分がそうではないのにその症状が顔を出してしまう。
生きる事に苦しんでいる人が全て救われるのが難しいかもしれない。
それでも誰かがその痛みを少しだけ理解してあげる事が出来る優しい世の中になってほしいと思える映画でした。
PNSとパニック障害
主人公(上白石萌音)はPNS、生理前に突然イライラして怒り出し、手がつけられなくなる。
会社を辞め、中小企業に勤めるが、同僚にパニック障害の青年(松村北斗)がいて、障害者同士の連帯を感じる。
移動プラネタリウムにて、二人はそれぞれの生き方を考えることに。
居心地がいいことを最優先で考える。
この時代にマッチした作品
SNSは主流になり、財布も仕事も携帯電話でできてしまう、そんなデジタル化が進む日本で、
時代に逆行するかのようにフィルム写真やアナログなものを好む人も増えているように思う。
今作は画質の荒い、平成初期のようなアナログな映像であることが印象的だった。
登場人物の服装や街も派手なものはなく、どこか質素で古い。
それでいて軸となるのは「パニック障害」と「PMS」。
このふたつの症状についてはここ数年で世の中に広く浸透したものと思う。
この作品が何年の設定なのか不明だが、
時代背景も映像も音楽も物語の進み方も、なんだかとてもちょうどいいものだった。
至ってシンプルで、ちょうどよかった。
職場でのあれこれに共感もした。
コピーを取って欲しい態度でない社員、ああ今日中に辞めようと決める時、逃げ出したい気持ち、お菓子を配る社員たちと群がりたくない気持ち、
誰もが一度は共感したことのある所謂「詰んでる」あの気持ち。
とってもよくわかると思いながら見ていました。
また、藤沢さんの着ているもの、お家のインテリア、携帯ケースなどの物たちは『上白石萌音』ってこうだよね。と言いたくなるようなコーディネートだった。
着てそう。暮らしてそう。冬のコートに髪を一つに結んでお顔が少し埋まるくらいマフラーぐるっと巻いて温かくしている萌音ちゃん。これは藤沢さんなのか?萌音ちゃんなのか?と錯覚に陥る。
みかんを食べて歩いているのはたまらなくかわいかった。
🧣🍊❄️
そしてなんといっても、メインキャストのお二人の共演はあの朝ドラなしでは語れないだろう。
いつどの時代で出逢っても、ふたりはバランスがよい。
「普通」を演じることに抵抗の無さを感じる。
人はどんな環境に身を置くかで顔色がうんと変わる。生き心地がうんと変わる。
そのことを無理矢理とか、強制とか、語りかけるでもなく、
ひとりの人の生活に寄り添うように見せてくれた作品だった。
今作を観ながらふと、
ああ、いい映画だな。とおもった。
大変さはその人本人しかわからない
こんな風に手を取り理解し合えたら。同じ不安を抱える人達へ。
なんだろう。とても心地良いです。
静かで、穏やかで、真っ直ぐで。
終始共感しながら鑑賞しました。
私は7年程前にパニック障害の診断を受けました。
この作品の描写にもありますように、電車やバスといった公共交通機関に乗ることが難しく、又自分でコントロールできることではないので、突然パニック発作が訪れます。
そのため出かける際は、私がパニック障害であることを知っており、万が一の際にサポートしてもらえる友人とのみ休暇を楽しんでいます。
理解のある友人に救われていると幸せに感じます。
ただ時と場合によっては、どんなに親しい人物でも近くにいることによって「自分の酷い有様を見られてしまう」という恐怖心から発作が起きることがあります。難しいですね。
現在はすぐに目的地に到着する安心感がある乗り物、例えば新幹線。そういった自分の中で安心感を保てる選択肢を取れるようになりました。
電車も短い距離ならたまには乗ることができます。
薬を持ち歩くことは欠かせませんし、作品の中にあったように、不安をかき消すための材料としてガボガボ水を摂取することも欠かせません。
パニック障害の人間(総てに当てはまるわけではなく)にとって、夜の闇は強大です。
実際に死にたくなるなどの極端な思想も度々生まれます。本編で使用されていた「飲み込まれる」という表現はとても理解できます。
私はこの作品を通してパニック障害がどんなものであるか、今よりもっともっと理解され、支え合う世の中になればいいなと感じました。
「人と違う」ことを恐れず、何かを抱えていても生きやすい世の中になることを願って。
支え合う魂の飛び立ち
「ケイコ目を澄ませて」より私は好きでした。
同じようにドキュメンタリー・タッチで時系列に沿って進行するのですが、
まるで、水が流れるように、
感情が込みあげる、
沸々と溢れる、
それを汲み上げる、
手ですくって飲み込む、
とても全てが自然に感じました。
《ナチュラル》
まず第一に松村北斗さんが素晴らしかったです。
全てのスターオーラやアイドル臭さから、遠く離れた存在でした。
こんなに気配を消して、川添になり切れるんだ!!
ある意味で、川添を生きていました。
ちょっぴり「PERFECT DAYS」の役所広司さんの在り方、
演じるのではなく川添として生きる・・・
少し似ている・・・
そんな気がしました。
無理してないおおらかさ、演じてない自然さ。
もう1人の主役、
PMSの症状に苦しむ藤沢(上白石萌音)は、松村北斗のナチュラル・・・
に対比するリアリティある存在でした。
川添は当初とても儚い存在です。
いつ消えてもおかしくないような脆さ危うさ、
それに対比した藤沢はPMSの症状が出ると、目つきが変わる。
険しく邪悪な光を放つのです。
そして親しい人にまで攻撃的になり、別人です。
(普段は優しく気が利いて気配りの人で、有能なのに、
(人間関係を壊してしまいそう・・・)
そのリアルな演技でPMSの怖さを体現していました。
松村さんとは真逆のアプローチで、彼女も凄かったです。
藤沢と川添は途中から、良き理解者を超えた
まるでお互いがお互いをサポートする同志のような役割を果たして行きます。
★パニック障害になると、味覚も無くなるんですね。
私も2人が抱える悩み・・・と言うより、
衆人の見守る中で、【自分を失う】
【自分の感情をコントロール出来なくなる】
藤沢なら【別人格が現れる】
発作を起こす・・・と一口で言っても、
自分を自分の意志や理性で制御できないなんて、
正にパニック症状に恐怖を覚えました。
《どんなに不安だろう》
川添に欠けている部分、
☆他者を思いやる、気持ちを汲み取る、
☆感受性の鈍さ、
☆殻に閉じこもる、
藤沢の場合は、川添のできない3つのこと、
普段は問題なく行動出来ます。
しかし生理日の前後の何日感は、感情をコントロール出来なくなる。
その藤沢が川添をサポートする。
仕事への向き合い方、
★仕事の中身を深く考える、そして調べる姿勢、
つまり興味を深くする。好奇心を持つ、
この映画での大きなイベントは、テントを張って会社が毎年
開催している「移動式のミニプラネタリウム」
その企画や構成、アナウンス原稿を担当する川添と藤沢。
川添は社長(光石研)の自殺した弟さんの遺した資料や日記を、
倉庫から掘り起こします。
それまでは単純作業で腰掛けで意欲のない仕事を
仕方なくしていました。
その仕事が、俄然と輝き始めるのです。
藤沢のお節介から始まったような川添との関係が、
次第に川添の自信になり、目が生き生きしてくる、
歩きながら食べるお菓子を、
「美味しい!」と思い、口に出して言う、
しかし藤沢は母の看病のための故郷のPR会社へ転職・・・
2人が男女の恋愛感情を挟まず、友情を高めるのが
とても素敵です。
男女の愛情を絡めると起きる、
互いにもたれあったり、要求したり、ギブアンドテイクみたいな
余計な打算的部分が生まれる可能性を排除しているのは、
とても良いと思います。
男と女である前に人間と人間として向き合う。
三宅唱監督のこの作品も、清々しく清潔で品があり、
とても好きです。
夜明け前が一番暗い
全449件中、41~60件目を表示