夜明けのすべてのレビュー・感想・評価
全434件中、41~60件目を表示
この時代にマッチした作品
SNSは主流になり、財布も仕事も携帯電話でできてしまう、そんなデジタル化が進む日本で、
時代に逆行するかのようにフィルム写真やアナログなものを好む人も増えているように思う。
今作は画質の荒い、平成初期のようなアナログな映像であることが印象的だった。
登場人物の服装や街も派手なものはなく、どこか質素で古い。
それでいて軸となるのは「パニック障害」と「PMS」。
このふたつの症状についてはここ数年で世の中に広く浸透したものと思う。
この作品が何年の設定なのか不明だが、
時代背景も映像も音楽も物語の進み方も、なんだかとてもちょうどいいものだった。
至ってシンプルで、ちょうどよかった。
職場でのあれこれに共感もした。
コピーを取って欲しい態度でない社員、ああ今日中に辞めようと決める時、逃げ出したい気持ち、お菓子を配る社員たちと群がりたくない気持ち、
誰もが一度は共感したことのある所謂「詰んでる」あの気持ち。
とってもよくわかると思いながら見ていました。
また、藤沢さんの着ているもの、お家のインテリア、携帯ケースなどの物たちは『上白石萌音』ってこうだよね。と言いたくなるようなコーディネートだった。
着てそう。暮らしてそう。冬のコートに髪を一つに結んでお顔が少し埋まるくらいマフラーぐるっと巻いて温かくしている萌音ちゃん。これは藤沢さんなのか?萌音ちゃんなのか?と錯覚に陥る。
みかんを食べて歩いているのはたまらなくかわいかった。
🧣🍊❄️
そしてなんといっても、メインキャストのお二人の共演はあの朝ドラなしでは語れないだろう。
いつどの時代で出逢っても、ふたりはバランスがよい。
「普通」を演じることに抵抗の無さを感じる。
人はどんな環境に身を置くかで顔色がうんと変わる。生き心地がうんと変わる。
そのことを無理矢理とか、強制とか、語りかけるでもなく、
ひとりの人の生活に寄り添うように見せてくれた作品だった。
今作を観ながらふと、
ああ、いい映画だな。とおもった。
大変さはその人本人しかわからない
こんな風に手を取り理解し合えたら。同じ不安を抱える人達へ。
なんだろう。とても心地良いです。
静かで、穏やかで、真っ直ぐで。
終始共感しながら鑑賞しました。
私は7年程前にパニック障害の診断を受けました。
この作品の描写にもありますように、電車やバスといった公共交通機関に乗ることが難しく、又自分でコントロールできることではないので、突然パニック発作が訪れます。
そのため出かける際は、私がパニック障害であることを知っており、万が一の際にサポートしてもらえる友人とのみ休暇を楽しんでいます。
理解のある友人に救われていると幸せに感じます。
ただ時と場合によっては、どんなに親しい人物でも近くにいることによって「自分の酷い有様を見られてしまう」という恐怖心から発作が起きることがあります。難しいですね。
現在はすぐに目的地に到着する安心感がある乗り物、例えば新幹線。そういった自分の中で安心感を保てる選択肢を取れるようになりました。
電車も短い距離ならたまには乗ることができます。
薬を持ち歩くことは欠かせませんし、作品の中にあったように、不安をかき消すための材料としてガボガボ水を摂取することも欠かせません。
パニック障害の人間(総てに当てはまるわけではなく)にとって、夜の闇は強大です。
実際に死にたくなるなどの極端な思想も度々生まれます。本編で使用されていた「飲み込まれる」という表現はとても理解できます。
私はこの作品を通してパニック障害がどんなものであるか、今よりもっともっと理解され、支え合う世の中になればいいなと感じました。
「人と違う」ことを恐れず、何かを抱えていても生きやすい世の中になることを願って。
支え合う魂の飛び立ち
「ケイコ目を澄ませて」より私は好きでした。
同じようにドキュメンタリー・タッチで時系列に沿って進行するのですが、
まるで、水が流れるように、
感情が込みあげる、
沸々と溢れる、
それを汲み上げる、
手ですくって飲み込む、
とても全てが自然に感じました。
《ナチュラル》
まず第一に松村北斗さんが素晴らしかったです。
全てのスターオーラやアイドル臭さから、遠く離れた存在でした。
こんなに気配を消して、川添になり切れるんだ!!
ある意味で、川添を生きていました。
ちょっぴり「PERFECT DAYS」の役所広司さんの在り方、
演じるのではなく川添として生きる・・・
少し似ている・・・
そんな気がしました。
無理してないおおらかさ、演じてない自然さ。
もう1人の主役、
PMSの症状に苦しむ藤沢(上白石萌音)は、松村北斗のナチュラル・・・
に対比するリアリティある存在でした。
川添は当初とても儚い存在です。
いつ消えてもおかしくないような脆さ危うさ、
それに対比した藤沢はPMSの症状が出ると、目つきが変わる。
険しく邪悪な光を放つのです。
そして親しい人にまで攻撃的になり、別人です。
(普段は優しく気が利いて気配りの人で、有能なのに、
(人間関係を壊してしまいそう・・・)
そのリアルな演技でPMSの怖さを体現していました。
松村さんとは真逆のアプローチで、彼女も凄かったです。
藤沢と川添は途中から、良き理解者を超えた
まるでお互いがお互いをサポートする同志のような役割を果たして行きます。
★パニック障害になると、味覚も無くなるんですね。
私も2人が抱える悩み・・・と言うより、
衆人の見守る中で、【自分を失う】
【自分の感情をコントロール出来なくなる】
藤沢なら【別人格が現れる】
発作を起こす・・・と一口で言っても、
自分を自分の意志や理性で制御できないなんて、
正にパニック症状に恐怖を覚えました。
《どんなに不安だろう》
川添に欠けている部分、
☆他者を思いやる、気持ちを汲み取る、
☆感受性の鈍さ、
☆殻に閉じこもる、
藤沢の場合は、川添のできない3つのこと、
普段は問題なく行動出来ます。
しかし生理日の前後の何日感は、感情をコントロール出来なくなる。
その藤沢が川添をサポートする。
仕事への向き合い方、
★仕事の中身を深く考える、そして調べる姿勢、
つまり興味を深くする。好奇心を持つ、
この映画での大きなイベントは、テントを張って会社が毎年
開催している「移動式のミニプラネタリウム」
その企画や構成、アナウンス原稿を担当する川添と藤沢。
川添は社長(光石研)の自殺した弟さんの遺した資料や日記を、
倉庫から掘り起こします。
それまでは単純作業で腰掛けで意欲のない仕事を
仕方なくしていました。
その仕事が、俄然と輝き始めるのです。
藤沢のお節介から始まったような川添との関係が、
次第に川添の自信になり、目が生き生きしてくる、
歩きながら食べるお菓子を、
「美味しい!」と思い、口に出して言う、
しかし藤沢は母の看病のための故郷のPR会社へ転職・・・
2人が男女の恋愛感情を挟まず、友情を高めるのが
とても素敵です。
男女の愛情を絡めると起きる、
互いにもたれあったり、要求したり、ギブアンドテイクみたいな
余計な打算的部分が生まれる可能性を排除しているのは、
とても良いと思います。
男と女である前に人間と人間として向き合う。
三宅唱監督のこの作品も、清々しく清潔で品があり、
とても好きです。
夜明け前が一番暗い
私的感じた、この映画を優れた作品にしている点とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
※重要作品ながらレビューを書けていなかったので、今更ですが‥
この映画『夜明けのすべて』は、PMS(月経前症候群)の藤沢美紗(上白石萌音さん)とパニック障害の山添孝俊(松村北斗さん)が、それぞれ勤めていた会社を辞め、PMSやパニック障害に対して理解ある栗田科学という会社で働いているという物語です。
この映画が特に優れていると私的感じたのは、物語の状況を、ほぼ一切セリフで説明せず、モンタージュの積み重ねで説明し切っているところにあると思われました。
例えば、パニック障害の山添孝俊は元の勤めていた会社に戻ろうとしているのですが、そのことを元の会社の上司である辻本憲彦(渋川清彦さん)とのビデオ通話で表現しています。
そして上司の辻本憲彦の背中で、山添孝俊が元の会社に復帰することは難しいことも伝えています。
なぜ山添孝俊が今の栗田科学で働いているのかというと、上司の辻本憲彦は姉を自死で失っていて、同じく弟を自死で失った栗田科学の社長・栗田和夫(光石研さん)と、同じ境遇の遺族の集まりでつながりがあり、その関係で山添孝俊が栗田科学で働いていることが示唆されます。
なぜ上司の辻本憲彦がそこまで山添孝俊を助けようとしているのかというと、辻本憲彦の姉は過労による自死で亡くなっていて、仕事にまつわる精神的なことで姉のような犠牲者がもう出ないように彼が尽力しているからだと伝わります。
驚くべきことに、これらの事について、この映画は直接的なセリフで一切説明していないのです。
上司の辻本憲彦はこの映画でほとんど出てこないのですが、わずか数シーンの彼の立ち居振る舞いの積み重ねで、全てこちらに伝わるようになっています。
そして最後の、山添孝俊が栗田科学で引き続き働こうと思うと上司の辻本憲彦に伝えた時の辻本の涙は、姉への自死の想い、山添孝俊を自社に復帰させられなかった自身の力不足、山添孝俊の心からの願いが叶っているとの安堵感、など、幾重にも重なった感情を全くのセリフの説明なしにこちらに感じさせる、感銘を受ける映画的なシーンになっていたと思われます。
この事は例えば、山添孝俊の彼女であり元の会社で同僚だった大島千尋(芋生悠さん)が、映画の後半に山添孝俊の部屋に訪ねて来て、海外への栄転の話をした上で「外で話せるかな?」との一言だけで、彼女が別れ話を言いに来たと伝わるシーンでも同様です。
この映画は、説明的なセリフをほぼ一切排除して、あくまでシーンの積み重ねによって映画的に表現しているのが本当に素晴らしいと私的には思われました。
言葉は真意からズレたり矛盾したり完全に一致するのはマレなのですが、その事に無頓着で、真意を全て言葉で表現できると(時に傲慢に)思い違いしている日本の脚本家や演出監督が少なくない中で、この映画『夜明けのすべて』の三宅唱 監督は、言葉が常に本心を裏切って行く人間の本質を、実に深いところで理解しているのだと思われました。
今作を多くの思い違いしている脚本家や演出監督は観た方が良いですよと、僭越ながら思われたりもしました。
この映画は、PMS(月経前症候群)の藤沢美紗の矛盾に満ちた言動も含めて、見事に人間の深さを、そしてその問題解決の困難さを描いている、素晴らしい作品だと個人的にも思われています。
ただ、作品としては、藤沢美紗のPMS(月経前症候群)の問題も、山添孝俊のパニック障害の問題も、本来はそれぞれの元の会社で解決される必要があり、栗田科学といういわば理解ある理想的でオアシス的な場所に押し付ける問題ではないとは一方では思われました。
本来であれば、藤沢美紗や山添孝俊が元居た会社が舞台となってこの問題の解決を引き受ける作品である必要性を感じ、”栗田科学があって良かったね”という解決の仕方で作品が終わるのは違うようにも感じ、私的な点数としてはこのようになりました。
ただ、その点を除けば、それぞれ俳優陣の着実で優れた演技を含めて、映画表現として素晴らしい作品であったと、他の人達の評価が高いのも当然だなと一方で思われています。
じんわり暖かくなる
生きるのが少し楽になる。
知り合いにパニック障害の方がいたり、芸能人でもよく耳にするので見に行ってみた。見終わった後、これは傑作だと思った。変に恋愛に持っていくわけでもなく、ただ日常を描いただけなのに、こんなにも心にくるものがあるのかと。上白石萌音さんのPMSの演技は共感できる部分もあり、こんなに仕事に支障が出るほど重い人もいるんだと改めて再認識した。松村北斗さんのパニック障害の演技もリアルで今までの普通の人生が病気一つで全く変わってしまったことへの虚無感みたいなものがひしひしと伝わってきた。でも、二人が出会ったことにより、少しずつ前向きになれたりちょっと勇気を出してみようと変わっていく様子がすごく勇気をもらえた。これは少し生きにくかったり、悩みがある人にこそ、響く作品だし、見てもらいたいと思った。自分にとってお守りのような、出会えて良かった映画。
初めての感覚
支え合って生きることの美しさ
例えば、ふつうの健常な人でも、日によって気分の浮き沈みは必ずあるもの。
その浮き沈みの振幅が異常に大きく、それ故、日常生活に支障を来す場合には、疾患として投薬などの治療をしなければならないので、その前提として、具体的な診断名(病名)をつけて診断をしなければならないと聞いたことがあります。
病気を持っている人や、いわゆる障害を抱えているという人たちを、決して特別視する(ましてや差別視などする)理由は何もないことも、また当然かとも思います。
それにつけても、病気をお持ちの方(と言ってしまって良いのか、もっと別の言い方で、少しだけ他の人と比べて個性が目立つとでも言うべきなのか)に対しての「周囲の受け止め」の大切さ、そういう周囲の受け止めの美しさに、改めて気づかさせてもらえた一本になりました。
本作は。
その点でも、十分に佳作としての評価に値する一本と思います。
評論子は。
時々メンタルの制御がきかなくなる人々、疾患は人それぞれ。 処方薬を...
時々メンタルの制御がきかなくなる人々、疾患は人それぞれ。
処方薬を服用しないと生活がおぼつかないとか、かつて心当たりがある、身につまされるお話でした。
教科書的には、傾聴 受容 共感 とか、焦らずじっくり付き合う、いうところですね。
物語の中の演者さん、知ってか知らずか、疾患患者さんとの接し方が、丁寧にできているように見えました。
こちら、いち鑑賞者にすぎませんが、この映画を見させていただいて、
心が軽くなる、荒れたものが解けてゆく感覚を抱きました。
心が軽くなった後、題目の夜明けってなんだ? と気になりだした頃、
ラストのプラネタリウムのお話が。
純朴にあこがれを抱いて聞けました。
丁寧に描かれた、すてきなお話でした。
栗田工業が潰れませんように、ずっと存続してくれますように
上白石萌音と松村北斗の自然なところが良い。
特に、大企業(多分)勤務から町工場勤務になって腐っていた山添くん=松村北斗が少しづつ変化を見せていくところが嫌味なく自然で良かった
ふたりの掛け合いが結構笑える
山添くんはかなりユーモアのセンスがあるヒトだと思う
ふたりとも自分を悲劇の主人公にしないところが好感が持てる
淡々と自分たちができる対策を出し合い協力し、困った症状に向き合う
「言いたいこと言って、PMSのせいにすれば良いからいいじゃん」とか冗談交じりに言っていたりする
世の中には「自分は〇〇なので配慮してほしい」と職場で協力を求める、それは当然だがすぎて振り回す人がいる。
配慮は当然だが度を越した我慢を周囲が強いられることがある
いくら病気でも、藤沢さんのような暴言吐かれたら私なら傷つく
こちらのメンタルがオカシクなりそうなことがある
それでも当人には感謝も謝罪もない。職場的に「配慮」は当然なので。
藤沢さんも山添くんも、そうなりたくなくて職場で自分たちの「病気」を黙っているのだろうと思った。
藤沢さんがPMSで荒れまくった後に職場の皆さんにお菓子を配って謝って回り、周囲もはいはい、とお菓子を当たり前のように受け取って終わり。月に一度の荒ぶる神への儀式のよう。彼女は「自分は〇〇なので周囲に迷惑をかけて当然」のようにはしないのだ。
周囲が配慮するのは当然だが、病気を抱えた当人が周囲に気遣いすることがあっても良いと思う。
お互い様とはそういうことではないか。
みんな問題を抱えて生きている。
悩みのない人はいないのだ。
栗田社長、山添くんの元上司、多分外国人と結婚していたシングルマザーの久保田磨希と、周囲の人達も公言しないが生きていくうえでの問題を抱えている。それ故に他人への思いやりがある人達なのだろう。重荷にならないようにそっと二人を支えてくれる良い人たちだ。
久保田磨希さんの息子を含む中学生の放送部のドキュメンタリーのシーンがちょっと多すぎる気がする。
プラネタリウムでの解説に、社長の弟が遺したものが云々が少々過剰気味だったかも。
ふたりが恋愛関係にならず、ずっと良い友達、同志、親友なのがとても良い。
藤沢さんは転職先で周囲とうまく折り合いがつけられますように
栗田社長の優しさと器の大きさが心に染みた。
さりげなく相手の重荷にならないように気遣いしてくれ、従業員の皆さんも、それに応えて真面目に一生懸命働いているという、しんどいところを持つ人達には理想的な職場。
栗田工業が潰れませんように、ずっと存続してくれますようにと祈ってしまった。
藤沢さんが思い出せなかった「おじいちゃんたちが宇宙に行く映画」は、
「スペース・カウボーイ」では?
啓発映画かも
出てくる人が全員優しい稀有な作品です。
またPMSやパニック障害についての啓発映画でもあります。
パニック障害に関しては有名人などの告白もあり、比較的よく知られてはいますが、実際自分の周りにそういうつらい思いをしている人がどれくらいいるでしょう。PMSに関しては、昔なら「ヒステリー」で片付けられてたかもしれませんが、生理のある女性なら大なり小なりこういう症状があって当然のようで、この映画のヒロインはとても極端なのかもしれませんが。それこそ人格が変わるくらいの変貌ぶりでした。
原作とはちょっと違う職場のようですが、子どもたちに科学を楽しんでもらうキット制作販売会社というのがとても良かったです。また、光石研演じる社長を始め社員のみんなが心の問題を抱える主人公二人にとても優しいのが良かったです。もっとも社長が、一緒に仕事を頑張ってきた弟が自死を選んだことが原因で、社長自らが大切な人を自死で失った人達が集まるサークルで長年の活動をしていることも、心の病に関してとても理解されていたようです。
松村北斗演じるパニック障害を持つ男の子の前の会社の上司役である渋川清彦も、こんなに優しい彼はなかなか珍しいです。「ゴールデンスランバー」でのトラック運転手以来かな?(笑)
で、正直言うと一番ショックだったのは5年間で母親があんなふうになってしまったこと・・・
何が彼女を襲ったのか?
優しくなりたい
受け止めれる人になりたい。
ストレスが蔓延してる昨今で擦り潰されていく人達。様々な理由から"普通"が出来なくなる。
生き辛いのだと思われる。
彼の台詞が印象的だった。
「自分の体はどうにもならないけれど、あなたの体の事はどうにか出来るような気がする」
ほんの少しの思いやり。
その人の全てを背負う事は出来なくても、近くで見守る事は出来る。
人と人との関わり合い方の定義みたいだ。
ずっと同じな訳はない。急激な変化はなくとも、ゆっくりゆっくり変わっていける。
自分の手が伸ばせる範囲が穏やかになっていくのであれば、それを平和と呼ぶ日も来るかもしれない。
愛を説くこともなく、代償を求められるわけでもない。ほんの少しだけ、寄り添ってあげるだけでいい。それが増えていけばいい。
抗えない人は一定数いる。
向き合うにあたり何も背負わなくていい。
ただ、ほんの少し歩み寄る。それだけでいい。
そんな事を、気づかせてくれた作品。
本作が優れている点は、好意は描くけども恋愛を描かない点だと思われる。
処方箋が恋愛に由来される事はないのだ。
それにより人物を特定する事なく、広い範囲に発信できる。誰にでも出来る事なんだと教えてくれる。
全434件中、41~60件目を表示