aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
全56件中、21~40件目を表示
何回も見ないとだめじゃん
他人のホームビデオを2時間鑑賞する映画。
大どんでん返しがあるわけでもないので、
少し眠い、というかちょっと寝ちゃいそうでした。
ホームビデオでもありながら、
ソフィと父親の脳内を覗いているような印象を受ける映画で何度か過去と現代が交差するシーンがありました。記憶を辿る時も通常の映画や小説のように全てをありありと思い出すのは難しく、断片的かつ時系列もバラバラになってしまうのでそういうところを再現したのかな?とも思いました。
正直、一度の試聴で全てを感じ取ることはできず、
なんとなく謎が残ったままでした。
それも、ソフィが父親の全てを理解できなかったことの示唆なのか?よくわかりません。
もう一度観たい映画ですが、
またあの睡魔と戦いながら見るのはちょっとなぁ、ということで3.0でした。連続では見れないです。
映画ファンの間で話に上がるわりには、、と自分は思いました。皆さんのレビュー・考察をみて満足しました。
・明確に語られない部分が多く、その解釈を鑑賞者側に委ねている -父...
・明確に語られない部分が多く、その解釈を鑑賞者側に委ねている
-父はこの夏からそう遠くない将来に亡くなってしまったのか
-父は故郷のエディンバラでどんな日々を過ごしたのか
-ソフィはそれから手紙や電話で父とやり取りを続けていたのだろうか
-ソフィは父の死に目に会えたのだろうか
・何度も、「父が死んでしまった…?」となるシーンがあった
-俺だけ?
・非日常を日常的に、脚色過多にならず自然体で描いている
-演技という感じがせず、リアルな親子の様子をそのまま眺めているようだった
・カットの構図が洗練されていて、芸術的な美しさを感じさせてくれる画面が多くあった
-芸術的:無駄が削ぎ落とされており、本質的な美しさだけがそこにある
-特に海のシーンなどは引きのカットが多く、地中海の風景はずっと眺めていたくなるほど胸に焼き付いた
-水中のカットもまた神秘的で美しいものだった
-フィルムカメラの質感が、この時間が過去であることを突きつけてくるようで胸を締め付ける
まあまあだった
11歳の女の子がお父さんと同じ年になった31歳に過去のビデオ映像とトルコ旅行を振り返るという構成なのだけど、スケッチ的な場面描写で非常に淡々としていてドラマとしてフックがない。女の子はかわいいし、とても自然で映像も美しいけど、飽きる。
その後お父さんがどうやら自殺か何かで亡くなっていることが匂わされる。死の匂いが漂っている感じがするくらいで、読み取れと言わんばかりだ。物語が面白くて、深読みしたくなるようなものなら、読み取りたくもなるのだけど、全体的に退屈でさあ読めと言われても別にとしか思わない。制作のスタンスとして厚かましい。
息子サン
劇場入場時に上映館内がモヤッと暑かった…
お金払ってるんだから、節電もほどほどにして欲しい…
横の同列に他人が居ないので、Tシャツから腹出しで鑑賞
全然涼しくない…
通報しないで
本作はあらすじをチラ見程度で鑑賞
上映開始後しばらくして、やや涼しくなる…
劇中の涼しげなプールサイド映像と腹出しで、数年ぶりに上映途中でトイレに行きたくなる
色んな意味でバチが当たる
八味地黄丸 飲んでるのに…涙
あまり話が進まないので、上映1時間ぐらいでトイレに行く
トイレ後も話は進んでなかった
トイレのタイミングが良かった
トイレ後はゆったりしんみり鑑賞
他にもトイレに行きたそうなオジさんが数名…
あんまり ソワソワ しないで ♪
あなたは いつでも キョロキョロ〜 ♪
脱線しないで
そして しつこい
劇中の旅先は何処へ行ったのか、イマイチ僕には判らなかったが、その場に居合わせた様な、旅行番組より鮮明な空気感がとても良かった
あまり話が進まないが、父親が自殺するのでは?と、ドキドキしながら鑑賞
死ぬ死ぬ詐欺効果抜群だった
プールの映像で「水の中のつぼみ」を思い出した
似てないけど
この手の映画にありがちな、映像的伏線多め
やや不明な点が多いが、自分の経験と被る部分もあって、あまり気にならなかった
デジカメ映像が無ければ、曖昧な記憶…
今の時代、スマホに簡単に記録出来るが、僕はあえてしてません
記録を見て、記憶が鮮明に思い出されるのが少し怖い
思い出から戻れなくなりそう
結局、父親はもう生きてない気がする…
やんわり漂う喪失感
赤ちゃんは息子サン? 養子サン?
アフターサン
なるほどね
【”娘は父に、11歳の頃に想像した31歳ってどんなだった?”と聞いた。別れて住む父が愛娘とリゾート地で過ごした夏を、成人した娘がビデオで再生し、父が如何に自分を愛し人生に苦しんでいたかに気付く物語。】
■父カラム(ポール・メスカル)はある夏休み、離れて住む愛娘ソフィ(フランキー・コリオ)とトルコのリゾート地に出掛ける。
カラムは優しくソフィに日焼け止めオイルを塗ってあげ、護身術を教える。
ソフィは同い年位の男の子、マイケルに好きと言われてキスしたり、カラムと水球をしたりして楽しく夏休みを過ごす。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・父カラムは手首を骨折しギブスを嵌めていたり、毎日太極拳をしている。
予約したホテルの部屋がシングルだった事に激昂する事もなく、ソフィにベッドを譲り自分はエクストラベッドで寝ている。
・二人は楽し気に夏を過ごすが、時折カラムは時折表情を曇らせたり、生きづらさを垣間見せる。カラムは裕福でもないようだ。
ダイビングをしたときに、インストラクターから”40歳まで生きるとは思わなかったよ。”と言われた時のカラムの複雑な表情。
・トルコ絨毯を買いに行った時も、一度は買わずに帰るが、その後カラムはその絨毯を買う。
ー 成人したソフィの部屋に敷かれている。高額な絨毯をお土産として娘に渡したのだろう。ー
・カラムが31歳になった時にソフィが観光客に頼んで、お祝いの歌を歌って貰った夜にカラムは、ソフィに宛てた手紙を足元に落としながら、号泣している。
その前には、夜の海に独りで入水したりしている。
■最後の夜、カラムとソフィーがパーティ会場でダンスするシーンで流れた曲が、カラムが抱えていた問題を暗喩している気が私はした。
激しく流れていたのは、クイーンとデヴィッドボウイがコラボした名曲「アンダー・プレッシャー」である。
歌詞は、ヘビーなモノである。
推測だが、シャーロット・ウェルズ監督は、人生に行き詰っていたカラムの想いを伝えたかったのではないかな。
<そして、成人になったソフィは赤ん坊の泣き声が聞こえる部屋で、ビデオにとった20年前に父と過ごした一夏のリゾートの風景の中、当時は分からなかった父の姿を見たのではないだろうか。
あの夏から、20年後、カラムは何となくだが、生きてはいない気がする。
だが、20年前のビデオの中には、確かに自分を愛してくれた父カラムが写っているのである。
11歳のソフィを演じたフランキー・コリオの名演も相まって、ミニマリスティックな作風ながら、エモーショナルな映画だなと私は思ったのである。>
<2023年7月22日 刈谷日劇にて鑑賞>
余白に家族への思いを巡らす
私は「近くにいない」家族を思う映画を好んでしまう。「近くにいない」とは物理的な距離のことでもあるが、死別しているとか蟠りを抱えているとか、そういう複雑さを持った関係性のことでもある。
また同時に、ホームビデオやフェイクドキュメンタリーのような「キャラクターが映画内でカメラを回している」映像も好んでしまう。ジョス・ウェドン版ジャスティスリーグの、冒頭のスーパーマンのシーンのような演出などである
アフターサンは、そんな私が心惹かれてしまう要素を入れ込んだ映画な気がして、とても気になっていた。
しかしこの映画はそんな私の期待を良い意味で裏切ってくれた。
ホームビデオのような映像を軸に、大人になった主人公が今は亡き父の記憶に思いを馳せていく映画なのかと思っていたら、大人の主人公はほとんど出てこず、父とのとある夏休みの旅行についてひたすら語られていく映画だった。
だがその「ある時間」を非常に丁寧に描くことで、父と娘、この家族が一体何を抱え生きているのかということがとてもありありと映し出されていた。大人になった主人公の恋人の女性が一瞬映ることで、夏休みの間に主人公が何を思って周りのカップルを見ていたのか、何を思って少年とキスをしたのかなどについて、良い広さの余白で考え巡ることが出来た。
実際にその夏休みの間に起きた出来事しか映していないにも関わらず、その出来事一つひとつに、キャラクターの葛藤が結びついて効果を発揮しており、よく練られた演出だと唸ってしまう。
「ある時間」だけを使って、こんなにも深い家族の物語を仕上げることが出来てしまうのかと思った。私はこの映画を見ている最中、自分の家族のことを思ったし、この映画がエンドロールに入ったあとは、この映画にでてきた家族のその後についてとても気になった。そうやって感情移入したり、キャラクターや物語のその後を思える映画は良い映画なんだと思う。
父親の誕生日を祝うシーン、あれは本当に良いシーンだ。
時間が経つほどに心を抉るビターな作品
31歳の誕生日を迎えた主人公が、11歳の夏休みに父親と旅行した時の記憶を、ホームビデオの映像とともに蘇らせていくストーリー。ビデオに映る父は、現在の娘と同じ31歳だった。
四つ折りにして持っていた古い写真を広げたかのような質感のポスタービジュアルに"良作の予感"しかなかった本作。どこにでもいるような父親を、こんなにも繊細で弱い存在として描いた作品はこれまで無かったように思う。観終わった瞬間は、ほろ苦い、という表現がしっくりきたが、時間が経つにつれ心が抉られるような感覚だ。
この父にとって、日に日に成長していく娘は生きる糧でもあったが、それと同時に目を逸らしたい「未来」の象徴であり、自己嫌悪に陥れる存在でもあったのだろう。どうにか父親然と振舞おうとする姿が脆くて切なかった。
そんな父との旅を思い返す主人公の表情は暗い。8ミリフィルムの映像の外で、父が独りで過ごしているシーンは、あくまで娘の想像でしかないのだが、ようやく当時の父の苦しみや焦りを理解できる立場になったからこそ、もっと違う風に接していたら…あんな言葉を発しなければ…と、後悔しているように見えた。
親と子は、どうしたって、心からの相互理解なんて不可能だ。この映画の父と娘もそうであるように。そんな二人が、旅先のホテルの一室で、コットンに含ませたアフターサンをお互いの顔に塗り合うシーンは、切なくて涙がこぼれた。
とても静かで美しい作品だけど、もう一度観るにはビターすぎる。
やっぱり正面から向き合いたくない幼少期の記憶なんて、うっかり掘り起こさないほうがいい。
とりわけ、父親との関係が複雑な人は閲覧注意かもしれません…
隠されたメインテーマについての解説!
この作品わからないから面白くないで終わらせるのがめちゃくちゃ勿体無いと思うのでこれから色々説明していきます、アフターサンは映画祭で賞を71も獲得してますが完全同意ですね!
静かで何も起こらず単にバカンスに行ったホームビデオを見るだけの映画だから つまらなくて面白く無くて低評価を付ける人がかなり多いのもめちゃくちゃ理解出来ます!(低評価になる理由は激しい出来事ゼロで色々な説明が全く無いから考察しないと何も無く終わるだけだし普通入れて来るであろう説明的なシーンや具体的な会話をワザと無くしてるので観る人によって解釈が相当変わるように計算されていてワザと大事な場面を抜きつつ考察で理解して二度目の鑑賞で完璧に辻褄が合うのでそこで驚くような構造になってます)
この映画実は1番重要な部分を隠しながら物語が進行して行きますから!
見ていて最初は何も起こらないし仕掛けに気づく訳もないし静かで眠いなあとか思ってたら途中から父親の様子がおかしい事に気づきバカンスの途中から大丈夫か?となって不穏な空気が立ち込めていき どういう事だ?ってなってからが面白いですね(実は伏線というか暗示するような場面は初めから色々仕掛けられているけど一回目の鑑賞ではわかるはずがないから2回目の鑑賞で発覚するように作られています)しかも2回目に見たら絶句するんですが最初の2分くらいでラスト付近の重要な部分をほぼ見せてます!
更に言うと初めて見た時は最初静かで眠いなくらいの感じでしたが 2回目に見て気づくんですが娘はそもそも母親に父の様子がオカシイから見ておいてって言われているとか いちいち全ての行動や言葉に意味があって(前半退屈だと思ってたシーンがマジで完璧に言葉一つ一つ全て意味があって暗示になっていて驚愕しました!)
2回目の鑑賞で全く見える部分があまりにも違いすぎて父は最初から不安定だったというのもわかります。
そもそも何故腕を怪我してるのか?(腕にケガをした記憶が無いみたいな話をしていて海に行った後も肩にケガをしていて記憶に無いと言ってたので情緒不安定な時に何かやらかしてるのがわかる)
何故太極拳をしてるのか(精神の安定を図るためとバカンスの間は何回か死のうとしているがソフィの為に死なないように頑張ってた) あと娘にお金無いんでしょって言われて沈黙したりしてるのに 何故高級な絨毯をお金が無いのに必死に買ってあげようとするのかとか(形見)
ベランダで手すりの上に何故居たのか(これも普通にベランダで景色の眺める為に上に乗るはずが無いし死のうとしてるけどそれを普通にスルーする確率が高いシーン)何故いきなり鏡にツバを吐いたのか(ソフィが楽しい事の後に落ち込むよねぇって話を聞いたあとに自分が正にその状態だから自分が許せなくて自分が写ってる鏡にツバをはいた)別れた妻に何故愛してると言ったのか?(ソフィもなんで別れたのに愛してるって言うのって質問しているが最後の会話になると自分で思っていて言っている)何故夜に海に行ったのか?(あれが自殺未遂だったって気づかない人も多いと思うし度々死のうとしていて最初のほうでバスが走って来てるのに普通に歩いて行ってそのせいで惹かれかけていてここの時点で惹かれて死んでもいいと思っているのがわかるしその直後にバイクのゲームでゲームオーバーという文字を写して暗示している)更にはバカンスが終わりそうになるほど父親が娘には普通にしてるけどかなりおかしいぞ!ってなっていきますし娘もまだ幼いしよくわからんからなんか父が変だけど・・・くらいなのも絶妙なんですよね(だからこそ31歳になったソフィが自殺した父親との最後のバカンスの時の映像を見ながら気づくという内容に上手くなっている)
カラオケのシーンもソフィが歌う歌の歌詞(父親の心情を言っている)もかなり重要で二回目の鑑賞でやっと気づきました!
バカンスの最終日の夜に向かって進行していきながらのクライマックスのダンスで途中途中に散りばめていたフラッシュバックしてる映像と繋がるダンスフロアのシーン(映画の最初から途中途中で入り込むダンスフロアの映像は最初は小さい頃のソフィだがすぐに成長した今のソフィの映像になるんですが実際のクライマックスのダンスフロアのシーンは11歳の時です!父親と大きくなったソフィがダンスフロアで抱き合える訳が無いので、あれはソフィが大人になって父の事を理解してきているのを表していて最後は完全に理解できたのを抱き合う場面で表していると読み取れます!しかもダンスフロアの31歳のソフィは楽しい場所のはずなのに真顔でめちゃくちゃ険しい顔をしていて瞬きしながら観てる時点でフラッシュしてる映像なので見逃す可能性が高いですよ!最後空港のドアの向こうがダンスフロアなのを考えても現実世界では無いし確実に父親が死んだ事を暗示していてますがドアの向こうがフラッシュしているのを気づいて居ない人がかなり居まして超重要な部分なのに見逃しがちなポイント!)名シーンですね!(しかもラストダンスのシーンの涙腺崩壊させる瞬発力の異常な高さは驚異的!)
更に言うと 父親が娘に将来の事を聞くんだけど父親は死ぬつもりだからあの会話での未来の娘を見る可能性が無いと思うとめちゃくちゃキツイシーンなのに自殺しそうな父親って事に気づいて居ないと単なる会話なので
2回目見た時のほうがダメージ受けます!
結局父親が鬱病で自殺に追い込まれる寸前の状態でバカンスを娘と行ってるっていうテーマを隠しているので 実際それに気づかないで終わる人もかなりいるとはおもいますがそれがわかるとこれは遺言だとか護身術を真剣に教えたりしてる意味を考えるといちいち悲しいんだよなあ!
娘の年齢の設定が絶妙であれより年齢が低いと単に父親が世話するだけの作品になるし娘が15歳とかだったら思春期に突入していて父親と旅行行くどころか父親と一緒なんて恥ずかしいし気持ち悪いからあっち行ってって年齢だしよく考えられてると思いました。
更にいうと娘もビデオの映像は今まで一切見てなくて
父親の誕生日の日に父親と同じ年になってやっと意を決して見たというのも語られて居ないけどわかりますね、
最後に父親が形見として買ってくれた絨毯をさりげなく娘が使っていたり 細かいところが良く出来ている繊細な映画ではあります。
ただ色々と深掘りするとめちゃくちゃ切なくて悲しい作品で、父親が死ぬ寸前の状態で最後の時間を娘と過ごしたっていう部分がセリフで全く言わないのに映像だけで語る手法って相当難しい事をやっていてますね、病んでる時に見るとかなり危険で相当ダメージ喰らいますよこれ。
最後のほうで 高いところに魅入られて遺跡かなんかの上に居たらソフィのサプライズでそこに居る人みんなにハッピーバースデーって祝われて そのあとのシーンで号泣してる背中を見せつつ ソフィ愛してるよ忘れないでって旅先から送る手紙が映るんですが ソフィに手紙が届く時には父はこの世に居ないので あのシーンはマジで泣けます(普通の映画だと父が死ぬシーンの後に娘がその事を知ってあの手紙が届いて読んで泣く場面いれてきます)
あと最期に娘を空港で見送ってドアの向こうに行くシーンですがこのシーンに行く前はビデオを見終わる、次に見終わって呆然としてるソフィがうつりながらカメラがゆっくりスクロールして空港のラストシーンになる流れが見事です。
この作品父が自殺するシーンも無いから病んでた事に気づかないどころか自殺してソフィと2度と会って無いの想像するしか無いからそれも分かった人には余韻になるような構造なので 理解出来るとベスト級作品になる確率高いと思います。
オチがわかってからの2回目の鑑賞で最初から父親の事がわかってる状態で映画を見れるので父親の心情がより深く読み取れますし脚本の作り込みが異常というか全て計算された演出なのが一回目で気づかないように仕組まれてるのが天才的です!
まあ監督の実体験と言う事で自分の過去の辛い体験を映像化している訳で 雇われ監督がそつなく作った作品とかでは無いのは納得ではありますね。
あと悪い言い方をさせてもらうと父が死ぬ直前の娘との最後の旅行に行く感動モノって部分を全面に押し出した予告にしてさあさあ泣いて下さいってやるのが定番の手口だと思うしタイトルもソフィ最後の旅行とか間抜けな日本タイトルにされなくて良かったです!
アフターサンて原題も日焼けみたいな言葉でヒリヒリするような感覚を味わう作品なのでナイスタイトルだと思います。
しかもその事を隠しつつ映像で表現するとか めちゃくちゃとんでもない事を成し遂げてる作品なのは間違いないですね。
一回見た時にわからないと言うのはこの作品は当然なのでここを見て色々わかった上でもう一回鑑賞するだけで全く違う部分が見えてくるので わからないからつまらないので低評価!終わりじゃなくて 2回目チャレンジしてほしいものです!
2回目の鑑賞でここまで印象の変わる作品も珍しいってのが他に類を見ない内容で パンフレットもめちゃくちゃ凝っていて思い出のアルバムみたいな作りでパンフレット見ただけで泣きそうになりますよ!
ちなみに1回目の鑑賞だと娘目線でよくわからんないなあって感じで見てるのが2回目だと父親目線で鑑賞するので観る目線が変わるので全く違う作品見てるくらい違いますよ!
これに関しては評価がハッキリわかれる作品ですしむしろ面白く無いって言う人の方が多いだろうし誰にでもお勧め出来ないけど父親の真意に気づいて鑑賞出来た人だと年間ベスト級の良作品だとおもいます。
悲し過ぎるかも・・と思ったけど
なんでこんなに悲しい映画を・・・と、まず思って、監督の体験に基づいたものだったと知って、更に悲しくなって・・・
映画の中ではお父さんがどうなったのかは明示されないけど、楽しく過ごしているシーンでも、切な過ぎる・・
監督インタビューで、「悲しみと喜びは対極にあるが、同じコインの裏表のようなもの」(cinra net)と話していたけど、この映画の明るさは、かえって悲しみや絶望を際立たせる。生きるエネルギーを感じるような映画が、私は好みだけど、悲しみを描くものがあったって、いい、でもこの映画は弱ってる時には観れないかも。
ソフィがステージでLosing My Religion を歌うところ、お父さんが好きな歌!とリクエストして、カラオケなので歌詞が出ていてそれを見ながら、お父さんの内面を覗いてしまう、カラムもまた、思いもかけないところで、自分の内面の葛藤と対峙してしまう。ソフィはお父さんの不安を、薄々は気付いている。カラムが太極拳をしたり、必死に心の安定を求める姿が痛々しい。
カラムがこれからのことを語るシーンや、ソフィにこれからも色々なことを話して欲しいと言うシーン、未来へ希望を持とうとしていたり・・・
ソフィの無邪気な発言に、心を乱されてしまうカラム・・・それを父と同じ歳になって思い返しているソフィ・・・
ラストダンスで、レイブのシーン、ストロボの中、断片的に浮かび上がるカラムに、大人になったソフィが重なって、それは、お父さんの悲しみや葛藤を、同じように理解出来るようになったのか、それはソフィにとって、救いになるのか・・・
ダンサーインザダークを観たあとのように落ち込んでしまって、でも映画のことが頭から離れずに、監督インタビューを読んでいくうちに、「自伝ではなく、自分の父との関係のエッセンスを取り込んだ作品」(fansvoice)と話していて、そうだ、ほんとのことではなく映画なんだった、と、やっと目が覚めて、全部本当にあったことと錯覚してしまうほどリアルな悲しみだったから。
fansvoiceのインタビューによれば、カラムが1人のシーンは、現実にあったことではなく、大人になったソフィの想像で、海に入っていくシーンも想像ととることが出来る。
映画の中で、視点がシームレスに変わっていくところが面白い。大人になったソフィの視点が主なのだろうけど、実際にあったこと・想像の部分・誰の視点かわからないところ、とあって、記憶の再構築と、映画を構築していくこと、というのもまたシームレスに繋がっているようだった。
今まで観た悲しい映画の中で1番悲しく、心に残った。語り過ぎず、観客に委ね、でも細部まで丁寧に作り込まれていた。
父と娘の幸福なバカンスの裏にひそむ不穏な影。語り尽くさない「余白」の映画。
●『アフターサン』は「記憶」の映画だ。
最初はいまひとつ様子がわからない。
でも、観ているうちになんとなくつかめてくる。
11歳の娘と31歳のパパの、ひと夏のバカンス。
それを、20年後、パパと同い年になった娘が、
そのときに撮ったホームヴィデオを見返しながら
回想しているのがこの映画というわけだ。
幼い頃の記憶というのは、得てして感覚的で、断片的で、どこかしら「皮膚感覚」や「特定の視点」の記憶と結びついているものだ。
ソフィ(監督の分身)にとって、それは「肌にアフターサンオイルを塗ってくれた父の手の感覚」であり、「父と並んで見上げた空に浮かぶパラグライダー」であり、「ふと触れ合いそうになったバイクゲームの少年の脚」である。
幼少時の断片的な記憶を呼び起こす感覚を、監督は驚くほど生々しく再現してみせる。
切り取られた視覚。ふとした部屋の薄闇。目の前のドア。車窓に流れる街の明かり。
ふと怖さを感じた父の様子。いさかいの記憶。二人で息を合わせた太極拳。
そこには、常に「目」の記憶と「肌」の記憶が絡み合っている。
そして、もうひとつ重要なのが、「耳」の記憶だ。
●『アフターサン』は「音」の映画だ。
冒頭のハンディカメラの起動音から、朝さえずる鳥の声、プール際の喧騒、水音、潮騒、流れているBGM、オイルを容器から出す音などなど、とにかくありとあらゆる環境音、生活音を拾い続ける。「記憶」と結びついた「音」への異様なこだわりは、ひとつの本作独特の味わいとなっている。
「記憶」を呼び起こすというと、ふつうは「香り」と相場が決まっているのだが、この映画で「嗅覚」を思わせる描写はあまり出てこない。かわりに、
何かをやっていて聴こえてきた「音」(聴覚)
何かに触られて感じた「皮膚感覚」(触覚)
低め(ソフィー)の視点から見た「印象的光景」(視覚)
が、偏執狂的なこだわりをもっててんこ盛りで和えられている。
●『アフターサン』は「気配」の映画だ。
この映画で描かれるのは、有り体にいえば11歳の娘と31歳(にしてはえらく若く見える)パパとのトルコでのバカンスの様子、ただそれだけである。
父娘のたわいのない一日が繰り返される。
父は娘を優しく気遣い、娘も自然体で父親になつく。
自然すぎるほどに。仲良すぎるくらいに。
多少つくりものめいた、極端なまでの「関係の良好さ」。
そのうち観客は、彼らはただのんべんだらりと夏休みを過ごしているわけではないらしいことに、なんとなく気づく。
仲良し親娘の楽しいバカンスには、どこかしら「張り詰めた」気配があり、「差し迫った」何かに追い立てられるような空気がまとわりついているのだ。
最初はそれは単純に、離婚家庭の、普段は会わない父と娘で、それぞれがお互いに気を遣いあって、殊更陽気にふるまっているからそう感じるのかとも思う。
要するに、滅多に会えない二人はなんとかこのひと夏をかけがえのない思い出にするべく、必死で「最高のバカンス」を「演出」しようとしているのだ。
ところが、何度か挿入される現在の31歳になったソフィの陰鬱な様子や、父親の示すちょっとドキっとするような衝動的な行動や、「ほのめかし」を秘めた謎のショットを観ているうちに、この映画には、それだけではとどまらない「不穏さの原因」がどこかに用意されているらしいことが、うすうす感じられてくる。
この監督は、こういったあるかないかのような「気配」を漂わせるのが、本当にうまい。
●『アフターサン』は「予感」の映画だ。
明るく楽しい父娘のバカンス描写に、うっすらと差す「影」。
今に何かが起こる、今にカタストロフが来る、という「負の予感」。
この映画の「サスペンス」は、その瞬間を待ち構える観客の心の持ちようそのものに由来する。
通常の映画なら、この「不穏さの原因」には「種明かし」が用意される。
ところが、本作ではいつまでたってもその瞬間が訪れない。
「今に幸せを覆す何かが起きるぞ」「そのうち何らかの秘密の暴露があるぞ」
観客は宙ぶらりんの不安な気持ちのまま、陽光降り注ぐトルコの、喧噪にあふれたリゾートホテルでの、愛情豊かな父親と物分かりのよい娘の「仲良しごっこ」を見続けることになる。
で、結局どうなるのか。
じつは、どうもならないのだ。
二人のバカンスは、多少の行き違いはあっても翌日にはすぐに歩み寄りと和解があって、無事に最終日を迎え、二人は「愛してる」と言葉を交わし、娘はスコットランドに住む母のもとに帰っていく。
それだけだ。それだけなのだ。
父と娘の「最高のバカンス」を演出するというひと夏の冒険は「成功裡に終わる」。
二人はなんと、「不穏な予感」から、映画内時間においては「逃げ切った」のだ。
では、一件落着なのか?
そうではない。そうではないから、観客は映画が終わって自問する。
なぜなら「不穏な予感」は間違いなくあったから。
決して報われない何かが起きないと、この映画は終われないから。
要するに、「不穏な予感」はバカンスの「外」に持ち越されたのだ。
永遠にわれわれには確認のしようのない、オフスクリーンの時空へ。
この宙ぶらりんの感覚。それこそが本作の与えようとしている真の「サスペンス」だ。
― ― ― ―
敢えて「答え合わせ」の用意されていない映画に、敢えて「答え合わせ」を試みることに、どれくらいの意味があるかはわからない。
でも人間は、基本的に「謎を謎のままでおけない」性分の生き物だ。
だからこそ人間は進化してきたし、だからこそあれだけ2サスや探偵ものが人気なのだ。
やはり、この映画のような終わり方をされると、結局「何が不穏だったのか」、観終わったあともずっと考えてしまう。
ギプスで固定されたぽっきり折れた腕。
気付かないうちに肩にできているあざ。
いらいらとベランダで煙草を喫う様子。
やけに押し付けがましい護身術指導。
ふと見せるほの暗く懊悩を秘めた表情。
突発的な衝動で夜の街を徘徊する様子。
事故寸前の飛び出し。夜の海への投身。
父親の様子がどこかおかしいのは、間違いない。
表面上とりつくろって、優しいパパを必死で演じ続けているが、彼は何か暗いものをうちに抱えてずっと苦しんでいる。
娘に金の心配をされるシーンを観ると、仕事もうまくいっていないのかもしれない。
彼の場合、ただ悩んでいるだけではない。
あせっている。
あんなに護身術を必死に伝えようとするのは「今しかそれを伝える時がない」からだ。
さらに言えば「このあと彼には娘を守ってやることができない」からだ。
だから彼は「最後のダンス」に娘を誘うのだ。
彼には、残された時間があまりないから。
父親が、現代の時点で「すでに亡くなっている」ことも、ほぼ間違いないだろう。
ホームビデオを眺める31歳のソフィの顔は、どこまでも沈鬱で、暗い。
それは懐かしむ顔ではない。悼む顔だ。
そもそもこのビデオが手元にあるのは、父親がもういないからだ。
おそらく、これは二人が過ごした最後のバカンスだ。
このあと、オフスクリーンで「不穏な予感」は実現される。
二人だけのバカンスのあと、きっと何かが起きた。悲しい何かが。
だからこの旅の記録は、ソフィにとってかけがえのない大切な思いでであると同時に、重くのしかかる呪いでもある。彼女は抱えきれないほどの「なぜ?」を抱えて大人になった。そうして、旅の記録でもあり心の負債でもあるホームヴィデオを見返すのだ。
なぜ、自分は父を喪うことになったのか。
あのとき自分に見せた最高のほほえみは噓だったのか。
その明確な答えは、彼女にも、われわれ観客にも用意されていない。
ただ、なんとなく推測することはできるかもしれない。
この映画には、いくつかの「ほのめかし」がある。
たとえば、成長したヒロインのソフィには「同性の恋人がいる」こと。
元妻のことも娘のことも愛しているようなのに、離婚して離れて暮らす父親。
ホテルでソフィが見かける、男どうしで貪るようにキスを交わす二人組のショット。
かかる曲がクイーン&デヴィッド・ボウイだったり、R.E.Mだったり(ヴォーカルのマイケル・スタイプもカミングアウト・ゲイである)。
夜の遠浅の海にカラムが飛び込んでいくシーンは、ロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』を強く想起させるが、あのとき同じような夜の海に入っていった作家(ヘミングウェイが元ネタ)はそのまま死んでしまった。彼は覚悟の自殺だった。で、ヘミングウェイもまたバイセクシャルであった可能性が今もって指摘されている。
父親がセクシャリティの問題を抱えていたとするのは、いたって自然な考察だと思う。
もちろん、いろいろな可能性は考えられる。
単にゲイであるだけでなく、すでに免疫系の死病を患っていて先が長くなかった可能性(折れやすい腕、身体のあざ)もある。
逆に、そこまで深刻な話ではなかった可能性だってある。
そこに明快な回答を与えないことがシャーロット・ウェルズ監督の意図であるなら、われわれもまた、そのまま受け止めるしかないだろう。
トルコの陽光のもと、若い父親と11歳の少女が過ごしたひと夏の幸せなバカンスのかけがえのない記録を至近距離から追体験し、行間から漂う不穏な予感を感じるままに受け止めているだけで、この映画はもう十分なのかもしれない。
『アフターサン』は、寸止めの映画だ。
「あわい」の映画といってもいいかもしれない。
語り尽くさないことに、積極的な意味を見出している。
かつて美術史の学生だったころ、中国・宋代の水墨を観て、描き切らないことの心の強さを知った。あと少し濃く描けば安心なところを、ぎりぎりの淡さで墨をひく勇気。
そう、それは間違いなく勇気だ。
伝わらないリスクを背負って立つ、勇気だ。
シャーロット・ウェルズ監督は、その「勇気」をもって、映画に余白と余韻を残した。
この映画にちゃんとした「オチ」(父の死、父のセクシャリティ、父の本意)が用意されていたら、それはそれで観客もだいぶとすっきりしたかもしれない。
だが、ラストの余韻やもやもやした感じ、自ら映画を反芻して咀嚼したくなるような衝動は、ずいぶんと薄まったことだろう。
比較的薄っぺらなLGBTQ映画として、印象は軽くなっただろう。
だから敢えて、ウェルズ監督はリスクを取った。
これはこれで正しい方法論だし、物語の真相にピントを合わせ過ぎず、ぼやかし過ぎもしない絶妙の「とらえにくさ」を、きちんと意図通り演出できていると思う。
僕自身は泣けたとか、感動したといった感覚は残念ながら共有できなかったが、こだわりと良識のある映画で、じゅうぶんに観た甲斐はあった。
まあ、予備知識なしで観に行って、どちらかというとセルジュ・ゲンズブールみたいな真正変態パパが実の娘に欲情しながらサンオイルを塗りまくるような映画を内心期待していたから、当てが外れたというのもある(笑)。
なお、最初20:30から有楽町で観ようと思ったら、僕の前でまさかの「満席」!
仕方なく渋谷に回って21:10からの回を観た(こちらは半分くらいの入り)。
けっこう人気あるんだなあ。さすがA24が北米配給権を取得しただけのことはある。
観客が解釈で補う必要がある。
はっきり明示されていなかったと思うが、父はもう死んでるのかな?
大人になったソフィが、20年前の映像と記憶で父の姿を探る物語。
父は何かで苦悩しているが、なんでかは不明。
無理やり解釈するのならば、同性愛者あるいは両性愛者だった?かも?
と思いました。
大人になったソフィのパートはかなり短く、
真っ暗から音楽に合わせて光が点滅して人の顔が時々半分映るくらいの
ダンスフロアでソフィが踊っていたら、
多分、昔のまんまの父が踊っていたシーンがある。
ソフィは、女性パートナーと、赤ん坊を育ててるっぽいし、
父がトルコで買ったじゅうたんをベッドの下に敷いている(敷いてたよね?)
そんなソフィが、懐かしさとともに、不可解だった父を思い出し、
内面に思いをはせるならば、もしかしたら、性的な葛藤があったのかもという
思考がちらついたかもね…
と思いました。
どうやら描かれなかったことの、公式な見解はないことにするのが、
監督の意向であるっぽいことを、インタビュー映像で見たので、あくまで
偏見を持つ1観客の解釈ではあります。
音楽が印象的なシーンがいくつかありましたが、洋楽にはそんなに詳しくないので、
わからない曲が多かったです。
ホテルのカラオケショー(父が参加を渋ったやつ)で、ソフィが選んだ曲が、R.E.M. のLosing My Religion、
信仰を失うという意味の歌らしいです。
ラストで、父がおどけた感じで踊る曲は、Under Pressureで、クイーンとデヴィッド・ボウイの曲なんだけど、
別の曲にそのままつながった曲名が聞き覚えあるんだけど、わかんなかったです。
えーっ!モヤモヤモモヤモヤ……
えーっ!
モヤモヤするんですけど!!!
なになに、
お父さんは何に悩んでいたの??
最後にネタバレされるのかと思いきや、一切なし!
なになに!
お父さんは
同性愛者であり、
余命いくばくもなく、(痣が出来やすかったからエイズ??)
お金もあんまりない。
けど、
娘のことは大好きで、別れた妻とも良好で、ビジネスパートナー(恋人??)もいる。
って、だからなになに?
お父さんが何に悩んでいたかっていうのは、
観客も一緒に考えてみて下さいね、って、そういうこと??
えー、
なになにーーー。
なんかわけあり?
前知識なしで
親娘の旅行の話かなって
なんか事情あるん?
お父さん31歳 娘さん11歳
場所は、トルコ
ホテル受付なかなかしてくれないし
ベッドが一つだけやん。
お母さんとは、別で暮らしてるんやな。
これが、最後の旅?
お父さん、太極拳してる。黙示録のウィラード大尉みたい。バイクゲームの僕ちゃんとチューしたね。
旅の思い出だね。
カラオケ歌ってあげたいね。でもダンスはお断り
ラストは、考えますね。
カメラフラッシュはなんなん?
ハッキリさせたがりの私にはちょっと向いてなかったかな…
いわゆる匂わせ映画ですよね?
離婚して離れて暮らしてる娘と過ごした夏の思い出を、父の年齢になった娘がその時のビデオを見ているという設定なのですが、それも何とかチラシで前情報があったからわかる。それがなかったら、え?何なの?的な思いを抱えながら見続けないといけない。父親の悩んでる事も多分ゲイなのかな?ってくらいしかわからない。海に入って行ったとき死んだと思ってしまったもん。(でも娘と別れた後自殺するのかな?
すみません!私には向いてなかったです!も少しわかりやすい映画が好き!
No More
予告編に惹かれたが最後…。この作品、何も起こらないし、面白さがあるわけでも無い、この作品に合わないと、知らない親子のホームビデオを延々と見せられる100分という、もどかしい時間を過ごすことになりました。
この作品に言いたいことは山ほどありますが、説明が無いと言えばサッと片付いてしまいます。何故こうなっているのか、父親のこの行動の意味とは、ビデオに残している理由とは、全て観客に委ねるというかぶん投げているので、その辺でも映画としてダメだなと思ってしまいました。
過去と現代の思い出を行き来する人間ドラマと予告で謳っている割には、現代パートはほとんど無く、親父のヘンテコな動きと、娘の顔面のアップが何度も何度も繰り返されるので、またこれ観るの?という感情が何度もひしめき合います。
親父はきっと旅行前も旅行中も娘を見送っている時も、きっと病んでいたんだろうなと思います。だと思わないと、旅行中の不可解な行動が理解できません。でもそれに対しての描写が殆ど無いので、ただのてんてこ舞い親父にしか見えませんでした。見せ方として間違えてるなと素人ながら思いました。
自分が親になったら、もしくは何か小さなものを守る存在になったらこの作品の見方が変わるのかもしれませんが、現時点では映画館でホームビデオを観た以上の感想は出てきませんでした。んーモヤモヤ。
鑑賞日 6/8
鑑賞時間 20:30〜22:20
座席 C-4
キラキラしたものとモヤモヤしたもの
映像のハレーション、マイクのハウリング、低解像度の映像、懐かしさを感じるキラキラした夏休み。
父親は何でギブスをしているのか、何で故郷に居場所がないのか、何で母親と結婚しなかったのか、なぜ歌は嫌いなのに踊るのは好きなのか。
疑問が当時のソフィーの気持ちとリンクする。
真夜中の漆黒の海。
彼はいつもああいう場所にいるのだろう。
打ち付ける波の音が大き過ぎて痛さと恐怖を感じた。
最後の長めのbye-byeを観ていて不安で仕方がなかった。
父が出て行った扉が病院の扉に見えてしまい、その後の展開を想像し、涙が止まらなくなった。
今となっては父親が分かったところで当時のソフィーには何も出来なかっただろう
少しわだかまりを残す作品でした
「お金がないのにそういうこというのやめて」
娘から父親からのかなり厳しい受け答えである 今作は監督の極々私的な作品であることを想像させるのは、自身の小さい頃、又は監督の父親のその時の両写真が、俳優とソックリであることを観賞後の考察サイトで確認したからである なのでその後の父親はどうなっているのかの状況も確認出来るかも知れないが、敢えてそこまでは知らないでおくこととする
とにかくミニマルなストーリー展開であり、単に離婚で家を出て行った父親とトルコのリゾートビーチでの観光旅行に来た娘の滞在中の出来事を淡々と描く内容である そして父親や娘が撮影する家庭用minidvカメラの映像が印象深く差込まれる そしてその映像を時代を経て当時の父親と同じ年齢(と思われる)になった娘が振り返りながら観賞しているという、懐かしむというには意味が違っている印象の表現を全面を通して進む構成なのだ
実は、今作品の前に幾つか考察サイトを読んでしまった 普段は決してそんな勿体ないことをしないのだが、予告のティーザームービーだけだと、一体この作品は何がテーマなのか読み取れなかったというのが真相である
なので、父親の死の匂いや、希死念慮、鬱的症状等は、先に情報を得てしまったが為に、ミスリードかもしれないと思う程の先入観、フィルターを作り出してしまった 何も情報がなければ、自分はこの若い父親の危うさに気付けたのだろうか?、そもそも単に精神的に弱っている(仕事が無い状態は誰だって参っている)事を気付けてもそれがストーリーの推進力成り得る程の展開があるのだろうかと、不穏さを漂わせる映像をまんじりともせず観賞していたかもしれない観方が正解なのかも知れないと、今でも迷っている
若い父親と思春期に差掛かっている娘 一般的にはその思春期特有の親離れを発動すべきなのだが、どうも娘は父親にそれ程邪険に思わないばかりか、兄妹と間違われる程の若い父親ということを気に入っている様子である と同時にリゾートホテルで知り合う青年達のバカンスの恋愛模様にときめきを感じつつ自分の幼さに不満を抱くというアンバランスさも女の子特有の思春期アルアルであろう
とはいえ、メランコリックさとサッドネスが始終挟み込まれる雰囲気に、当時の娘は気付かなかった筈 親子ならではの遠慮無い言葉に、実は傷つく父親 娘も又裕福では無い事への辛さ、その全てがリゾートという経済格差社会としては勝ち組のみが訪れることを許される世界の中で、かき集めたなけなしの金をそこにベットした父親の最後の子供への養育と愛情なのだというのは、勿論情報が分っていての事だが、しかし厳しい現実に対する容赦ない描き方は、観客に一抹の寂しさを与える
カラオケの歌は歌えない しかし、ダンスは踊ろうと誘う 勿論、娘視点では父親の我儘、しかし、そこには父親の心の変遷があったことは、背中越しの嗚咽に充分確認出来る 勿論娘は知らないところで・・・
そしてラスト、撮影を終えた父親は、ストロボが光り続けるあの野外ダンス会場に消えるシーンは、今作品の一番の白眉である 今迄のリアリズムを、最後の幻想的なシーンでのクライマックスで、娘が父親の本当の置かれた立場とそれでも娘に尽くしてくれた優しさを噛みしめるのではないだろうか?
もう、この親子は再会することは叶わない、その予感を物語の全ての演出で、寂しさを表現した監督の手腕の確かさを感じた作品である
もし将来、邦画リメイクする企画が上がったら、是非追いかけたいと強く願う自分である その際は、大事な挿入歌は、日本の曲で 絶対に当てはまるピースは在る筈だ
さっぱりわからん! でも尊い
思春期を迎えた少女と何か問題を抱えた父親のバケーションということはわかりました。予告ではもう少し不穏な何かを予期させるものがあったのですが、そんな下心は裏切られます。
とはいえ、子供と大人の狭間にいるソフィの佇まいと娘に向き合おうとする父親の映像は尊い。
それ以上のことはさっぱりわからないんですけどね。
寝息を聞かせる程静かで、優しい映画
この映画は構成が複雑で、時間軸もバラバラだし、誰の視点なのかわかりにくいし、物語にあまり関係なさそうなシーンが続いて中々読解力を求められる映画です。
しかし、ストーリーが進んでいくとこの映画は大人になったソフィがホームビデオを観ながら当時を思い出している映画だということに気付きます。ビデオテープをカチャカチャ動かす音やテープを巻き戻すような音が入るのはこのためです。
そうして映画を観ていくとお父さんちょっと様子がおかしいことに気付いてきます。それはこのホームビデオを観ている娘もきっと同じ。例えばお父さんが最初に手首に包帯を巻いていることやホテルの予約が上手く出来ていなかったり、身に覚えのない痣が出来ていたり、夜も寝ないでバルコニーでボーッとしていたり、大人になった今観ると心配で声を掛けたくなります。
しかし当時11歳のソフィには気付けません。彼女は純粋にお父さんとの旅行を楽しんでいます。
お父さんは31歳の誕生日になるということで、20歳で産んだということ。この娘の存在は大分彼の人生に影響を及ぼしたでしょう。お父さんが1人でいるシーンは基本真っ暗で、夜の海だったり、謎のクラブシーンだったり、何か闇を抱えているだろうということは映像のみで語られます。
ここから少しネタバレですが、
劇中に何回か挟まれるクラブシーンは恐らく死後の世界で、最初は何が映っているのかわからないのですが段々とお父さんが映っているのがわかり、粉語終盤では大人になった娘ソフィがお父さんを見つけて抱きしめます。← 良いシーン!!
お父さんとの旅行の最後では思春期を迎えた娘はお父さんとのダンスを拒否してしまいます。← このシーンに流れるクイーンとで デヴィッド・ボウイの「アンダープレッシャー」の使い方が良かった。
夜に真っ暗な海へ入っていき戻らないお父さん。
ラスト。娘を空港で見送り、娘の最後の姿をビデオに収めるお父さん。そして満足そうな笑みを浮かべて暗間のクラブへと戻っていくお父さん。断片的なシーンが多く頭の中で編集して考えないといけないのですが、それはそのまま大人になったソフィがやっていることで、ビデオテープを編集している音が聞こえるのもそういった意味です。シャーロット・ウェルズ監督自身が体験したことが元になった話で監督は30代前半。ソフィの世代であり、私と同世代!20年前といえばiPhoneなんてないのでホームビデオ。色々懐かしい!
同世代が描いた少しワケありな「お父さんとの思い出」
ボール・メスカルはワケあり男の演技抜群だし、ソフィ役の新人フランキー・コリオちゃんは可愛いし、バリー・ジェンキンス製作の効果なのか音楽の使い方も良い。良い映画でした。
ハートの形と色と質
目に見えないものを見る感覚だったなぁ。
作品の内容を知らずに鑑賞したので、勝手にストルゲーの内容だと思ってたから、正直、なんだこれ…と思ったが、ラストシーンまでの流れは秀逸だ。
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