aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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Under Pressure
カラオケうまくなっただろうか
鑑賞者に解釈が委ねられる余白が大きい作品で、予備知識のあるなしに関わらず観る人を選ぶ。なにかの女性向けメディアで話題なのか、劇場は女性比率がかなり高く、隣の座席は終映後に洟をすすっていたし、前方の女性は途中から頭が横になっていた。正直、自分自身はこのような作品とのシンクロ率は低いタイプで、瞼の重力に耐える覚悟だったのだが、意外や明るいリゾートの映像が心地よく、ソフィとカラム親子とのトルコ観光に付き合う気分でほんわり観届けられた。
とにかくなにかと思わせぶり。父のこともソフィ自身のことも昔のことも今のことも断片でしか伝えてくれない。ツアー先の広っぱで看板に書かれた文も「We know the perfect p…」までしか映さない(pに続く単語はなんだったのか?)。はっきりしているのは親子揃ってビデオを撮るのがヘタすぎるということ!
11歳のときどんな大人になると思ってた?というソフィの質問や、彼はいい人〜♪と誕生日に歌われて(自身がそうではないと思うから)泣きじゃくったり、アンダープレッシャーの劇伴だったり。自分には娘がいるので父親視点で観てしまったけど、こんな大人になっちまったという後悔が胸に刺さるにはやや歳をとりすぎてしまった。
確かにそこにあったもの
粗い家庭用のビデオカメラの映像から始まり、基本的に時系列通りに時間が流れる。
途中時系列が乱れる瞬間が何度かあり、段々と観客はその意味を想像できるようになる。
粗い記録映像と鮮明な映像のシャッフルで進むが、どちらもその瞬間がとてつもない宝物のような瞬間だと画面を観ていると伝わってくる。
つまり、この映画のすべての映像は何物にも変えられない瞬間の真空パックなのだ、とわかる。
時折挟まれる現代の映像と過去の映像の幸福度の落差に観ているこちらは喰らわされる。
そして、劇中、父親はその落差を想像できてしまっている。
それが後半、漏れ出してくる、その瞬間。
夜の真っ暗な海に真っ黒な服を着た父親が迷いなく振り返ることなく入って消えていくシーン。
このシーンはいつの時系列なのか?
そしてこれは何を意味するのか?
最後の夜のダンスシーン(this is our last dance)と娘を見送りカメラを閉じる父親。
そしてそのカメラは数十年後娘のもとにある。
もう全身で浴びてしまった。
カットが変わる毎に何も起きていないことがこんなに嬉しい映画もなかなかないよ。
娘をもつ父親として、そしてもう後戻りできない歳になった大人として、これはやられてしまいました。
素晴らしい。
難しさと凄みの同居
観る側へ読み取る力を求める、難しい作品でした。
大人になった娘が、自分が子どもの時に父と旅行したときのビデオカメラの映像を再生するスタイルで、過去を回想する内容。
そこに映っているのは、早く大人になりたいと願い、父とともに幸せになる未来を疑っていなかった娘の姿。
しかし、再生ビデオの外には、死への願望を抱き、歳を取ることに絶望感を抱いていたような発言を繰り返す(または同性愛者なのかもという疑念もあり)、鬱の父の姿を対比として映す。
映画に具体的には描かれていないが、おそらくこの旅行からそう離れていないタイミングで、父はこの世の人ではなくなっているように思いました。
父のことが分からなかった幼かった自分が、子どもを持つ母親になったいま、父に想いを馳せる姿は沁み入りました。
そう感じさせる役者陣の「凄み」みたいなものがありました。
ひと夏の経験
11歳の娘ソフィともうすぐ131歳😁になる父親カラムが過ごした夏休みを描いた物語
娘ソフィ目線で進むストーリーからか
父カラムの情報はほとんど無く彼の背景や抱えていた物、事は全く分からない
彼は娘と別れ空港の長い通路を歩いた後どうしてるのか?
そして娘ソフィはどんな風に大人の階段を登って行ったのか?
観手それぞれの感性や想いが「結末」を創り上げ委ねて行く…
大切な人と愛おしい時を過ごし沢山の物が詰まった記憶の結晶になる様に…
帰り道、物語の大きな役割になっていたアンダー・プレッシャー🎵を口ずさみながら
もしかしたら映画を見続け劇場に通うのはこんな作品に出会う為なのかも…と思える程、深い感動と感傷を得られた秀作でした!
視点はかわる。
あの日に帰りたい
陽の光、夜の海、彩度で心が現れる
まぁ、いろいろありますよね...
記憶は、時と共に見えてくるものが変わる。だけど、、、
人生の一瞬を、誰かと共にすること。
それが、愛する娘であれ 愛する恋人であれ、配偶者であれ、そのひとときは過ぎ去っていくもので、二人は異なる人間だからいつか別々の道を歩んでいったり、お互いが知らない世界を築いていく時もある。
だけど、そのひとときは確かな形で、二人の心に永遠に残っていく。
たとえ、お互いが、二人の世界の外側で悲しみや涙で、心が折れそうな時、壁に覆われてしまった時、そんな時でも、輝いていた一瞬を記憶の底から取り出して、見直す時、当時とは異なる色をしてるかもしれない、だけど、それは確かにその人の生を彩り、今生きてることを肯定してくれるのだろう。
子を持つ親、かつて幼い娘で今は大人になった女性。涙腺崩壊に注意な映画です。
人によってはものすごく刺さる映画になります。普通の父娘のアットホームな家族ドラマと思う人も。アップダウンのない淡々とした話運びなので、途中で眠り込んでしまうことになりかねません
映画ならではの繊細かつ先鋭的な手法で、深遠なる感情の揺らぎを表現しようと試みた野心作だ。
英スコットランド出身のシャーロット・ウェルズ監督の長編デビュー作。
11歳の娘がまもなく31歳になる父と過ごしたある夏の思い出に基づく自伝的作品ですが、ありふれた家族ドラマではありませんでした。
20年後、父と同じ年齢になった娘は、ビデオテープの映像からその数日間の記憶をよみがえらせ、父の新たな一面を見いだしていくのです。
文学に例えれば「行間」。映っていることではなく、映っていないことが、この作品を豊かにしています。そのため説明的なセリフを徹底的に省き、映像と音を研ぎ澄ましているのです。あえて残した余白の解釈を観客の感性に委ねるスタイルで、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描きだし、鑑賞後に深い余韻を残す、記録と記憶の傑作です。
11歳の夏休み、思春期のソフィ(フランキー・コリオ)は、31歳の父親カラム(ポール・メスカル)とともにトルコのひなびたリゾート地を訪れます。カラムは母と離婚し、普段は別々に暮らしていました。同伴者の快活なソフィと優しいカラムの親子仲は良好で、カラムが若いため2人は兄妹に見間違えられることもあったのです。
まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごします。
父は娘の背中に、日焼け止めを塗り、娘は父の顔に塗る。そのかすかな匂い。空には、パラグライダーが緩やかに舞い、海は、その地の名に相応しくターコイズブルーに輝くのです。
カラムと共に、トルコのリゾート地で過ごす数日間。ここに物語はありません。あるのは、ソフィにとって、一瞬が永遠にも感じられる現在なのです。
20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆきます。
プールの中で水中カメラを構える父、隣り合ってバイクゲームに興じた同じ年頃の少年、若い父を兄と思った少年たちとのビリヤード、プールサイドでの昼寝で空に浮かぶパラグライダーを眺めたり、草原で2人で並んで太極拳の動きをしたり。それら鮮やかな光の中に浮かび上がる断片と共に、父としたスキューバダイビングを、いままでの人生でサイコーだったと、ソフィはビデオの中で語ります。
そんなたわいない旅のスケッチ描写は一見ほほ笑ましいバカンス映画のようです。しかし本作には意外な仕掛けがあるのです。
まばゆい光と鮮烈な色彩に満ちた35ミリフィルムの映像には、ソフィが撮影した粒子の粗いホームビデオが挿入される。大人になった“現在”の彼女が、20年前の旅の記録と向き合うという構造になっているのです。
けれども、その一方で、どこか謎めいた父の姿があるのです。ホテルに着いて間もなくの、ベランダで身体を揺すりながら煙草を吸っている父。あるいは、部屋の壁に掛けられた鏡に映るかと思うと消える、父の腕。また、裸の背中を見せながら号泣する父。それを見ているのは誰か。黒画面の中に走る光に一瞬浮かび上がる、大人になったソフィでしょう。そこには11歳のソフィが知らなかった父がいたのです。
すると、幸福感に包まれていた旅の見え方が変わってくるのです。逆光や後ろ姿で撮られた父は孤独の影をまとい、経済的な問題を抱え、精神的にも行き詰まっているようです。幼いソフィには気づかなかった人間や人生の暗い断面がせり上がってきて、父の自死をほのめかす不吉なイメージも映し出されます。愛する者を追想するこの映画は、切ない追悼の映画でもあるのです。
背伸びをしたソフイのひと夏の経験、のような挿話もありますから、父と娘がこれほど親密に過ごした夏休みは、この年が最後だったのでしょう。時折挿入されるビデオカメラの古ぼけた映像、R・E・M・の「ルージンク・マイ・レリジョン」など要所で流れる往年の名曲が、感傷的な気分を盛り上げるのに一役買っていました。
この映画が非凡なのは、時々物語が“飛ぶ”こと。当時30そこそこだった父の姿が、ふとよみがえる記憶のように、断片的に差し挟まれます。20年後、同い年になった私だから、あのときの父の気持ちが分かる、といった具合に。
11歳のソフィと現在。その前後に何かあったかは描かれません。説明しないことで、観客の想像力に働きかけてくるのです。これが映像の力というものでしょう。
そしてクイーン&デビッド・ボウイの名曲「アンダー・プレッシャー」が流れる終盤のダンスシーン。親子のかけがえのない絆と喪失の悲しみが、時を超えてフラッシュするその場面は鳥肌ものでした。
記憶のみならず、写真や映像といった記録も曖昧なものという視点が、この映画を特別なものにしています。どれほど対象に近づいた記録でも全てを映し出すことは不可能で、その部分を補うようにして人の記憶は形作られていくのかもしれません。
ウェルズ監督はそれを説明しすぎることなく、パズルのピースをはめていくように緻密な構成で描き出しています。生活音や呼吸音を際立たせた映像には親密感があり、見る者が自分の個人的な思い出を振り返ってしまう効能も。早くも次回作が楽しみになる新鋭監督の登場です。
最後に、本作は、人によってはものすごく刺さる映画になります。また別の人には、ごく普通の父娘のアットホームな家族ドラマにしか見えません。ものすごくアップダウンのない淡々とした話運びなので、疲れている時に観るのは、注意が必要です。ヘタすると途中で眠り込んでしまうことになりかねないのです。
鑑賞後感とは裏腹に残酷な話
今作はメンタルヘルスを扱っていることは明らかで、今年3月に公開された大傑作(と自分は思っている)『The Son/息子』と重なる。
非常に期待していた作品なのだが、自分とは合わない点が多くモヤモヤした。
まず個人的に、カルムと自分で重なる部分がほとんどなかった。『The Son/息子』では、ニコラスが「人生に押し潰されそうだ」と言っていたことにティーンの時の自分を重ねずにいられなかった。何のための勉強?俺は何を期待されている?そして俺はそれに応える力量を持っている?何も確かなものがなく、一寸先は闇としか思えない人生感を持っていたあの頃の自分が甦ってきて非常に辛い作品だった。
今作のカルムもまさしく「人生に押し潰されそう」になっているが、でもお前には娘という絶対的に確かな存在がいたじゃないか!故郷もなく職もなく頼れる友人も恋人もおらず、ただ人生が過ぎてゆく中で唯一生きる意味を見出せた娘の存在。その彼女から「お金ないのに無理しなくていいよ」と言われたのは胸に突き刺さっただろうが、どれほどのダメージだったかははっきり言って想像するしかない。現在の自分はカラムの年齢に近づきつつあるが、職もあるし、辞めても帰る場所があるし、友人も少ないがいる。それらが全てなくなったとしても、映画が慰めてくれる。ストッパーが多すぎて、彼の気持ちが分からなかった。
また、映画的な決着も『The Son/息子』と比較してモヤモヤした。ソフィはカラムと同じ歳になり、彼の気持ちを理解して、自分の中であの時のまま時を保っていたカラムを行かせることができた。それは美談的な描かれ方で表現されている(と自分は受け取った)が、そこに非常にモヤモヤを感じる。
どんな理由であれ、若者があのような末路に至ることは嘆かわしいことだと思う。彼を理解するだけではなく、救うためにはどうするべきだったのか?メンタルヘルスに関して話すきっかけを作るという観点からも『The Son/息子』から後退している印象を受けた。
11歳の時、将来何してると思った?
映画は、完成した時点でもう観た者のもんというので解釈は勝手にするが。
"sun"は父親との懐かしくも輝かしい、まるで太陽のような思い出のこと、とでも言おうか。おそらく、親父はもういない。たぶん、このバケーションのすぐ後にでも亡くなっているんだろう。だから、この時が親父との最後の思い出でもある。そのムービーを、自分があの時の親父と同じ歳になった時にふと思い出して、引っ張り出し、久々に見た。そして、その時の思い出が走馬灯のように、記録画像を補完するように蘇る。
言ってみれば、ただ、それだけの映画。たいした事件もなく、ただダラダラと過ごした数日間の休暇の記録ってだけのこと。
この映画を消化するには、苦い思い出を持っている大人でなければなるまい。もう会えない肉親を持つ、そしてその人に何かしらの心残りのある大人でなければなるまい。そんな大人であれば、間違いなく、最後の空港の見送りのソフィの笑顔が胸に焼き付いて仕方がないはずだ。
クレジットで涙…
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