aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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記憶は、時と共に見えてくるものが変わる。だけど、、、
人生の一瞬を、誰かと共にすること。
それが、愛する娘であれ 愛する恋人であれ、配偶者であれ、そのひとときは過ぎ去っていくもので、二人は異なる人間だからいつか別々の道を歩んでいったり、お互いが知らない世界を築いていく時もある。
だけど、そのひとときは確かな形で、二人の心に永遠に残っていく。
たとえ、お互いが、二人の世界の外側で悲しみや涙で、心が折れそうな時、壁に覆われてしまった時、そんな時でも、輝いていた一瞬を記憶の底から取り出して、見直す時、当時とは異なる色をしてるかもしれない、だけど、それは確かにその人の生を彩り、今生きてることを肯定してくれるのだろう。
子を持つ親、かつて幼い娘で今は大人になった女性。涙腺崩壊に注意な映画です。
人によってはものすごく刺さる映画になります。普通の父娘のアットホームな家族ドラマと思う人も。アップダウンのない淡々とした話運びなので、途中で眠り込んでしまうことになりかねません
映画ならではの繊細かつ先鋭的な手法で、深遠なる感情の揺らぎを表現しようと試みた野心作だ。
英スコットランド出身のシャーロット・ウェルズ監督の長編デビュー作。
11歳の娘がまもなく31歳になる父と過ごしたある夏の思い出に基づく自伝的作品ですが、ありふれた家族ドラマではありませんでした。
20年後、父と同じ年齢になった娘は、ビデオテープの映像からその数日間の記憶をよみがえらせ、父の新たな一面を見いだしていくのです。
文学に例えれば「行間」。映っていることではなく、映っていないことが、この作品を豊かにしています。そのため説明的なセリフを徹底的に省き、映像と音を研ぎ澄ましているのです。あえて残した余白の解釈を観客の感性に委ねるスタイルで、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描きだし、鑑賞後に深い余韻を残す、記録と記憶の傑作です。
11歳の夏休み、思春期のソフィ(フランキー・コリオ)は、31歳の父親カラム(ポール・メスカル)とともにトルコのひなびたリゾート地を訪れます。カラムは母と離婚し、普段は別々に暮らしていました。同伴者の快活なソフィと優しいカラムの親子仲は良好で、カラムが若いため2人は兄妹に見間違えられることもあったのです。
まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごします。
父は娘の背中に、日焼け止めを塗り、娘は父の顔に塗る。そのかすかな匂い。空には、パラグライダーが緩やかに舞い、海は、その地の名に相応しくターコイズブルーに輝くのです。
カラムと共に、トルコのリゾート地で過ごす数日間。ここに物語はありません。あるのは、ソフィにとって、一瞬が永遠にも感じられる現在なのです。
20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆきます。
プールの中で水中カメラを構える父、隣り合ってバイクゲームに興じた同じ年頃の少年、若い父を兄と思った少年たちとのビリヤード、プールサイドでの昼寝で空に浮かぶパラグライダーを眺めたり、草原で2人で並んで太極拳の動きをしたり。それら鮮やかな光の中に浮かび上がる断片と共に、父としたスキューバダイビングを、いままでの人生でサイコーだったと、ソフィはビデオの中で語ります。
そんなたわいない旅のスケッチ描写は一見ほほ笑ましいバカンス映画のようです。しかし本作には意外な仕掛けがあるのです。
まばゆい光と鮮烈な色彩に満ちた35ミリフィルムの映像には、ソフィが撮影した粒子の粗いホームビデオが挿入される。大人になった“現在”の彼女が、20年前の旅の記録と向き合うという構造になっているのです。
けれども、その一方で、どこか謎めいた父の姿があるのです。ホテルに着いて間もなくの、ベランダで身体を揺すりながら煙草を吸っている父。あるいは、部屋の壁に掛けられた鏡に映るかと思うと消える、父の腕。また、裸の背中を見せながら号泣する父。それを見ているのは誰か。黒画面の中に走る光に一瞬浮かび上がる、大人になったソフィでしょう。そこには11歳のソフィが知らなかった父がいたのです。
すると、幸福感に包まれていた旅の見え方が変わってくるのです。逆光や後ろ姿で撮られた父は孤独の影をまとい、経済的な問題を抱え、精神的にも行き詰まっているようです。幼いソフィには気づかなかった人間や人生の暗い断面がせり上がってきて、父の自死をほのめかす不吉なイメージも映し出されます。愛する者を追想するこの映画は、切ない追悼の映画でもあるのです。
背伸びをしたソフイのひと夏の経験、のような挿話もありますから、父と娘がこれほど親密に過ごした夏休みは、この年が最後だったのでしょう。時折挿入されるビデオカメラの古ぼけた映像、R・E・M・の「ルージンク・マイ・レリジョン」など要所で流れる往年の名曲が、感傷的な気分を盛り上げるのに一役買っていました。
この映画が非凡なのは、時々物語が“飛ぶ”こと。当時30そこそこだった父の姿が、ふとよみがえる記憶のように、断片的に差し挟まれます。20年後、同い年になった私だから、あのときの父の気持ちが分かる、といった具合に。
11歳のソフィと現在。その前後に何かあったかは描かれません。説明しないことで、観客の想像力に働きかけてくるのです。これが映像の力というものでしょう。
そしてクイーン&デビッド・ボウイの名曲「アンダー・プレッシャー」が流れる終盤のダンスシーン。親子のかけがえのない絆と喪失の悲しみが、時を超えてフラッシュするその場面は鳥肌ものでした。
記憶のみならず、写真や映像といった記録も曖昧なものという視点が、この映画を特別なものにしています。どれほど対象に近づいた記録でも全てを映し出すことは不可能で、その部分を補うようにして人の記憶は形作られていくのかもしれません。
ウェルズ監督はそれを説明しすぎることなく、パズルのピースをはめていくように緻密な構成で描き出しています。生活音や呼吸音を際立たせた映像には親密感があり、見る者が自分の個人的な思い出を振り返ってしまう効能も。早くも次回作が楽しみになる新鋭監督の登場です。
最後に、本作は、人によってはものすごく刺さる映画になります。また別の人には、ごく普通の父娘のアットホームな家族ドラマにしか見えません。ものすごくアップダウンのない淡々とした話運びなので、疲れている時に観るのは、注意が必要です。ヘタすると途中で眠り込んでしまうことになりかねないのです。
鑑賞後感とは裏腹に残酷な話
今作はメンタルヘルスを扱っていることは明らかで、今年3月に公開された大傑作(と自分は思っている)『The Son/息子』と重なる。
非常に期待していた作品なのだが、自分とは合わない点が多くモヤモヤした。
まず個人的に、カルムと自分で重なる部分がほとんどなかった。『The Son/息子』では、ニコラスが「人生に押し潰されそうだ」と言っていたことにティーンの時の自分を重ねずにいられなかった。何のための勉強?俺は何を期待されている?そして俺はそれに応える力量を持っている?何も確かなものがなく、一寸先は闇としか思えない人生感を持っていたあの頃の自分が甦ってきて非常に辛い作品だった。
今作のカルムもまさしく「人生に押し潰されそう」になっているが、でもお前には娘という絶対的に確かな存在がいたじゃないか!故郷もなく職もなく頼れる友人も恋人もおらず、ただ人生が過ぎてゆく中で唯一生きる意味を見出せた娘の存在。その彼女から「お金ないのに無理しなくていいよ」と言われたのは胸に突き刺さっただろうが、どれほどのダメージだったかははっきり言って想像するしかない。現在の自分はカラムの年齢に近づきつつあるが、職もあるし、辞めても帰る場所があるし、友人も少ないがいる。それらが全てなくなったとしても、映画が慰めてくれる。ストッパーが多すぎて、彼の気持ちが分からなかった。
また、映画的な決着も『The Son/息子』と比較してモヤモヤした。ソフィはカラムと同じ歳になり、彼の気持ちを理解して、自分の中であの時のまま時を保っていたカラムを行かせることができた。それは美談的な描かれ方で表現されている(と自分は受け取った)が、そこに非常にモヤモヤを感じる。
どんな理由であれ、若者があのような末路に至ることは嘆かわしいことだと思う。彼を理解するだけではなく、救うためにはどうするべきだったのか?メンタルヘルスに関して話すきっかけを作るという観点からも『The Son/息子』から後退している印象を受けた。
11歳の時、将来何してると思った?
映画は、完成した時点でもう観た者のもんというので解釈は勝手にするが。
"sun"は父親との懐かしくも輝かしい、まるで太陽のような思い出のこと、とでも言おうか。おそらく、親父はもういない。たぶん、このバケーションのすぐ後にでも亡くなっているんだろう。だから、この時が親父との最後の思い出でもある。そのムービーを、自分があの時の親父と同じ歳になった時にふと思い出して、引っ張り出し、久々に見た。そして、その時の思い出が走馬灯のように、記録画像を補完するように蘇る。
言ってみれば、ただ、それだけの映画。たいした事件もなく、ただダラダラと過ごした数日間の休暇の記録ってだけのこと。
この映画を消化するには、苦い思い出を持っている大人でなければなるまい。もう会えない肉親を持つ、そしてその人に何かしらの心残りのある大人でなければなるまい。そんな大人であれば、間違いなく、最後の空港の見送りのソフィの笑顔が胸に焼き付いて仕方がないはずだ。
クレジットで涙…
全てが描かれてなくて
全く腑に落ちてないはずなのに
クレジットに入った瞬間
涙が止まらなかった
自分の父の記憶を辿っているかの様な
体験させられるし、録画したビデオを
ふとした瞬間に取り出して想い出に
浸る様に観たくなる大切な映画だった
私的に過ぎてわけわかめ
いやいやいや。
Grade6終了後のバケーションを、同居していない父親とトルコで過ごした少女の記憶。もう、そんだけです。それだけ。思い出なぞってっただけ。劇場用映画として、どこに価値があるのか?
って突っ込みたくなりますよ。普通。
ところがところがところが。
雰囲気、良いんすよ。女の子、可愛いんですよ。思春期のクソガキ感が、無いんですわ、これが。
なんで、ふわっとして良い雰囲気だけを満悦しました。
好き。割と。
わかりづらく感動できないが嫌いにもなれない
本作のような娘と父親の旅行とは少し違うが、小学生の時に父親と釣り旅行に行っていた。月曜には学校に行かなければならないから、日曜の夕方に電車で1人帰らされたこともしばしば。父はもう一日釣っていくからと。でも、大人になって思う。父には違う理由があったんだなと。
本作は11歳のときに31歳になる父親とトルコ旅行に行った娘ソフィの話。当時撮影したビデオ映像と、彼女の記憶と、こうだったんだろうという想像で描かれる。さらに、31歳になったソフィのシーンもあり、当時はわからなかったことも今なら理解できるって演出がされている。
ただ、その演出はとてもわかりにくい。結局父親に何があったのか、その理由は?なんてことはハッキリと描かれない。それこそ娘のソフィの想像を超えることはないのだろう。本来もっと感動していい話だ。
ただ、わかりづらいし、話の山場はないなんだけど、嫌いにはなれない。1つには音楽の影響。R.E.M.とかQueen&David BowieとかChumbawambaとかがかかって嬉しくなる。特に「Under Pressure」は歌詞も含めてとても印象深い使われ方だった。あと、自分の父との思い出もいい方向に作用したこともある。他の女性のところに遊びに行っていた(という息子の勝手な憶測)父親の姿とは似ても似てつかないんだけど、なぜだか思い出してしまった。
意味不明で退屈でつまらない
若い父親と思春期手前の娘が、海辺のリゾートでバカンスを楽しむ様子が延々と映し出される。大した出来事が起こる訳ではなく、ストーリーとも言えない断片的なエピソードがダラダラと続くだけで、何が言いたいのか一向に分からない。
アカデミー賞にノミネートされた演技はさぞかし素晴らしいのだろうと楽しみにしていたが、目につくのは娘を演じる子役の自然な演技ばかりで、ポール・メスカルの何がそれほど評価されたのかが全く理解できなかった。
こんなに退屈でつまらない話がいつまでも続くはずがない。最後にきっと、あっと驚くような「種明かし」が用意されているに違いないと期待していると、本当にそのまま終わってしまって、思いっ切り肩透かしを食う。
解説にあるような「父親と同じ歳になってビデオを見返す」という設定も、映画を観ただけではよく分からないし、「初めて父親の気持ちを理解する」というプロットも、決して成功しているとは思えない。
何の説明もせずに、思わせぶりな映像を見せただけで、「後はご自由に想像するなり、考察するなりしてください」といった独りよがりで尊大な作り方には、怒りすら覚えてしまった。
とーちゃんはつらいよ
何といってもソフィー役フランキー・コリオの芸達者に驚かさる。
様々な場面で大人の世界に入りかけて入り損ねる感じの痛々しさや微笑ましさを上手く撮っているなぁと思っているうちに終わってしまった。
キス云々より、父親のああいう面を容認することで大人に一歩近づいたという事か。
もう一回観たくなった。
処女作には、その作家の全てが詰まっている
自分自身がシネフィルなのかどうかは自分では分からないのだが、客観的にはシネフィルが好みそうな作品という印象がありました。
早い話、自分の嗜好だけで単純な判定はせず、個性的であったり新しい表現にトキメク習性があるのがシネフィル特性ですからね。
物語は凄く単純で欧米人父娘の昔の夏の旅行の思い出であり、娯楽映画では無いので特別な出来事がある訳でもなく坦々とした数日間の物語なので、当然エンタメを期待した人にはただ退屈なだけの、人を選ぶ作品になっています。
単調であるからこそ、その奥にある物語に対する描写の作家の特徴や工夫が観客を刺激し、特に今までに経験したことのない新しい描写に出合うことこそ映画好きの醍醐味でもあるのです。
だから、小説や映画に於いてタイトルの「処女作には、その作家の全てが詰まっている」という台詞がよく使われるのでしょうね。
本作はこの言葉の為に作られた様な、まさにその代表例の様な作品でした。
本作も少し前に見た『TAR』のように映像描写されている情報だけで、物語のテーマや本質についての台詞やストーリーでは一切語られていないので、あくまでも観客が想像し察するしかない(映像情報は沢山散りばめられています)作品になっています。
別にそれが分からなくても、観客自身が(私が)今まで体験してきた出来事、例えば青空を見上げた時の感覚、プールや海に飛び込んだ時の感覚、父親(母親でも可)との何げない会話の思い出等々、映画とリンクすることが必ずあり、それが本作のテーマと交わる時に何か胸に刺さる感覚を味わうだけでも、映画を観る意味はあると思っています。
しかし、情けない事に70代目前になると、本作の父親(31歳)娘(11歳)の年齢の時期の記憶は殆どなく、あの時期の精神状態がどんな感じだったのか思い出せないのが悲しいですね。特に思春期前の少女の成熟感は分からないなぁ~。父親の年齢の時はなんとなく思い出せるが私には子供はいなかったしね。
しかし、断片的な記憶が小さなシャボン玉の様に湧き上がり、この歳でもこのような作品でこういう感覚になれることは喜びでした。
ストーリーは難解だけど映像と音楽はとても素晴らしい作品。 本年度ベスト級!!
結末は観ている貴方が考えて下さいみたいな自分が苦手な作品。
だけど映像と音楽は自分好み。
併せて斬新なカメラワークがとても素晴らしかった。
妻と離婚。娘のソフィと数日間のバカンスを楽しむ元父親のカラム。
この二人にスポットを当てて展開するストーリー。
カラムと娘のソフィが終始リゾート地でまったりと楽しく過ごすシーンがメイン。
だけど、終わってみれば自分的にソフィが少女から大人になって行く姿を表していた感じ。
リゾート地で色んな大人と接している描写が多め。
大人達がお酒を飲んだりキスをする場面に、ソフィが知らず知らずに大人の世界を知って行く様に思えた。
同年代の男の子とバイクゲームをする中、肌が微かに触れあうシーンも印象的。
途中で大人になったソフィの場面。
ある人と2人でいるシーンがその現れだったと自分的に解釈。
多分、父のカラムと同年代になったソフィの姿は、11才だったソフィがカラムと過ごした時間がそうさせた感じ。
カメラワークがとにかく巧み。
今まで観たことの無いアングルが多目で映像に引き込まれる。
娘のソフィがとても可愛い(笑)
ってかメッチャ素晴らしい演技!
ラストシーンが良く解らず(笑)
自分的に解釈したけど、カラムが肌で号泣するシーンや、ソフィに渡せなかった手紙等から悲しい結末と解釈。
結末が難解だけど、こんなに引き込まれた作品は初めてかも( ´∀`)
ラストの高揚感は、そこまでの苦行に値するのか?
私小説から地の文を削って映像化したアート作品。余白だらけで、よく言えば想像が物語を補完する。想像を掻き立てられるエモーショナルなシーンは、合計10分くらいで、残りは、退屈で早送りしたくなるシーンが延々と続く。
退屈なシーンの中で、父親が抱えている経済的苦境や精神的な悩みが少しずつ明らかになって、ラストへと繋がって行く。ラスト5分間は、目が覚めるような美しい映像と音楽に包まれる。
ラストの高揚感が、そこまでの苦行に値するかと問われると、他人にはおすすめできない。
常磐ハワイアンセンター
子供にとっては最高とは言い難いリゾートホテル、そんなひなびた場所で過ごす父親と娘のひと夏。
もしかしたら、私自身の感覚で例えるなら常磐ハワイアンセンターみたいな感じなのかもしれない。
ビデオ映像で振り帰ると、キラキラと眩しい思い出になる過去。
子供の頃に連れて行ってもらった観光地って、こんな位置付けかもしれない。
子供の勘で父親の闇を見ないフリをしている感じと相まって、懐かしくもほろ苦い感じがこそばゆい。
子供の頃、ひなびたリゾートに家族旅行に行った際、当時大ブームだった、村上春樹のノルウェーの森とダンスダンスダンスのハードカバーを買い込んだ父。
開いた痕跡もなく本棚に並んだ、日焼けした背表紙を思い出していた。
脆くて儚い、いつか消えてしまう大切な─
普通の思い出を、複雑かつかなり分かりづらい構成で、とかくノスタルジックに仕上げられた作品。なので、多分ずっと退屈な感じだと思います。説明も全くないし、決まった筋もありません。でも、不思議と内容は結構理解できたような気がします。正直つまらんなぁと思ったりもしましたが、色々と見せ方がうまいと思ったし、何にもないのに何度か感情を持っていかれたし、終いには誰しもが持っている思い出に少しでも引っかかるんじゃないかなぁなんて思っちゃいました。
個人的には、最後のunder pressureがかなりのツボでした。聴いたことのないバージョンでもあったし。なかなかイカした演出ホロリとした次第です。
好きな人は好きだろうな
洋画好きの家族とともに見に行った。事前情報も何も、一切知らずに。
二時間、苦痛だった。
正確に言えば、結果的に苦痛だった。最終的になにかがわかるのかもしれないと期待してた節があったが、結果的に何もわからなかった。エンドロールの途中で涙が出てきた。あまりにもなにもわからないまま、ただ二時間と千数円をここに溶かしたのかと思うと悔しくてたまらなかった。自分の理解力のなさゆえなのだろうか。(高評価が多いのでおそらくそうだと思う。)メッセージ性を無理やり考察するとすれば、LGBTQ⁺という面の主張があるのだろう。ほのめかす程度に同性のパートナー同士のいわゆるイチャイチャや、惹かれるようなシーンがあった。主人公の女の子はサンオイルを塗りあうカップルに惹かれていたのではなく、サンオイルを塗られている少女に惹かれていたのかもしれない。ただ、勝手な考察に過ぎない。これで「ね?正解でしょ?」となるかと言われれば、また、すっきりしたりいい気持ちになったりするかと言われればならない。
冷静になって考えると「好きな人は好きだろうな」という感想だった。こういう映画が好きな人はきっと、これを見終わったら「エモい」気持ちになるだろう。私の無理やりの浅いそれとは違い、深く考え考察しているかもしれない。私の好みには合わなかった。それだけなのだ。ポップな大衆向けアニメ映画でも見て感動するのが一番いいとわかっただけでもきっと収穫だ。作った人は楽しかっただろうなというのは伝わってきたので星1とした。
観たい度○鑑賞後の満足度◎ 映像で綴る短編小説のよう。素直に映画って本来こういうものだな、と思わせる。新人監督ながら映画をよく分かっていると云うことで(新人)監督賞を取ったのかな。
①映像(ただ撮っているだけではない)・構成・編集・音楽そして少ない台詞(私達だって、“私はね、私はね”と自己主張する時、議論する時、口論する時なんか以外は、日常、家族や友人と話をする時は必要最小限しか話さないものね)で、でも伝えるべきものは伝えて(表現して)いる。そういう意味でとても映画らしい映画。
内容よりも其方の方に感心する。
②11歳の少女にとっての世界は大好きなパパとママと親族と友達と学校(先生も含め)。自分もそうだった。反抗期や今までただ好きだった人の欠点が見えてきたり否定したくなる年頃の少し前。
そんな頃の一コマを捉えた父親が撮ったビデオを観ている、ビデオの中の父親と同じ年齢になった娘。
ただ、それだけの物語。
でもまだ若い父が自分を愛していてくれた事はビデオを観れぱ分かる。
③31歳で11歳の娘がいると云うことは20歳で父親になったということ。
若すぎる結婚、出来ちゃた婚?駆け落ち?娘と暮らせない何かがあるんだろうね。
その辺り何の説明もないけれども、伝わるものはちゃんと伝わってくる。
二人の最後の夜に流れるボウイとクイーンのコラボ曲「Under Pressure 」の歌詞が実に意味深。
④他の映画と比べることはあまりよくないとは思うけど、こういう映画に出会うと一昨日観た『波紋』なんかは如何にもあざとい、作り物の映画に思えてしまう。
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