aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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31歳の父親と11歳の娘
主人公(フランキー・コリオ)の両親は離婚、母親と暮らしていたが、11歳の夏、父(ポール・メスカル)とトルコへバカンスに行く。
父が持ってきたビデオカメラでお互いを撮り合う。
それを20年後に観る娘、気が付かなかった父親の内面を知ることに。
大きくなってから気付く親の気持ち、ってあるよねぇ。
楽しかったけど悲しい思い出
久しぶりに余韻のある映画を見たと思います。
自分が親と同じ年齢になった時、初めて理解できることと、やっぱり理解できないこと。
自分が子供だったときの、無邪気で楽しかった思い出と、後悔の気持ち。
自分の中の思い出と感情を、この映画を通して回顧すると、さらに味わいは深まります。
This is our last dance
自分が子供に帰り、親が自分に乗り移る。子供が親に成長し、自分と重なる。世代をワープするような感覚にとらわれ、互いを許しあいひとつになる。ただ涙が溢れ出る。
じわじわと襲い来る「記憶」
私の場合、見た直後はポカンとしてしまい、「え、、、これで終わり?」となってしまったので、初見で感動は全然できなかった。
映像綺麗だねー女の子かわいいーくらいのもんだった。
全然逆張りとかではないんだけど、所謂シネフィル人気系の映画っていうのはどうも鼻につくことがある。
そんな感じで全然評価しないレビューも書いたんだけど。
何故か数日間この映画のことが頭に纏わりついて忘れられず、何かの呪いのようになっていた。
この映画を評価できない私は見る目がないのだろうかと落ち込んだりもした。
でも、ふとしたときに違う感覚が襲ってきた。
あれは映画じゃなくて記憶そのものだったのでは。少なくとも今までの私が知ってる「映画」ではなかった。
記憶というものは厄介だ。変に美化されていることもある。とてもパーソナルなものだ。だから他人の記憶をそのまま盗み見ているような変な感覚に陥った。それが不快でもあった。
私の父はカラムとは真逆のタイプの人間なのもあり、感情移入はできなかった。私には私の記憶がある。
でもそれだけリアルな手触りの他人の記憶に触れたのだという感覚を獲ると、急にゾクッとした。そして、意識するとあの2人の何でもない姿が何度も脳裏に浮かぶ。
あの2人の「記憶」を獲て、これからの私の人生は何か変わるのだろうか。わからない。
私は多分違った角度からの感動を得たのだと思う。この映画は全くハートウォーミングではなかった、私にとって。とても冷たくあたたかい、要は「チル」 な作品なのだと思った。
カットバックで時空を行き来する
とても悲しいと思うし、
愛にあふれた温もりも感じる。
誰かにおすすめしたい訳でもないけど、
映画として視覚的にも脚本としても
残る作品。
いつだったか
短編でオスカーを受賞したCURFEWが大好きで、
ちょっとシンクロするところがあるように感じた。
大人のソフィが思い出す記憶は鮮明で、
実際に残っている映像はザラザラで粗い。
この2つと、現在のソフィ、現在に存在する父の跡形を
カットバックをはさみながら重ねていく
父と娘の数日間。
家族を思うとき、
色々あったはずなのに、
思い出すのはいつも同じことだったりする。
何の遮りもなく互いだけに向き合った瞬間があれば
過去や未来のあれこれも全部包みこむ
引力となって、
ずっとつながっていけるのかもしれないと
2回鑑賞した後にはそんな希望が生まれていた。
記録と記憶と想像が織り込まれている、と理解して観るべし
11歳のソフィは離れて暮らす31歳の父カラムと、夏のトルコ旅行へ。プールや海で遊んだり、ゲームセンターで同年代の男子や、少し年上の男女らと知り合ったり。ビデオカメラで父を撮影したりして、楽しく過ごす。31歳になったソフィは悲しい様子。
時折カラムの不穏な様子が挿入されるも、楽しそうな他愛もないシーンが続きます。少し理解に苦しむところもあって、アート系かなと思いました。ただ、ビデオの記録とソフィの記憶に加え、彼女の想像と後悔も織り交ぜてあると知って納得できました。そして、君は悪くないと慰めたい。
すごい余韻
離れて暮らす父と娘。娘が11歳の時の最後の旅行。思春期を迎える娘、反抗期もあり、コレが最後の旅行だったのかな?と思っていたら、、、なんか違うぞ?
いくら宿泊先のホテルとはいえ、夜、娘を残して1人で部屋に戻ったらいけないよねパパ。でも、きっとパパはその時はもういっぱいいっぱいだったんだろう。1人で海に行き、肩に怪我をして、戻って、裸で寝てしまったんだろうね。
観終えた後で、パパの後ろ姿や影だったり、反射だったりの場面が多かった理由が、納得。はっきり言葉にも映像にもしないで、あの表現の仕方、すごい。すっごい余韻、いつまでも悲しさが残る映画。
もう一度観たら、もっと良さがわかるだろうな。必ずいつか観よう。
大切な思い出
記憶を映像で表現するとこうなるのか。
一番強烈に残っていること、ああ!そういえばあの後あの子がやってきて・・・でどうなったっけ?お父さんあそこにいたんだっけか?とか、やけに鮮明に覚えていることもあれば時系列がめちゃくちゃになっていることも、途中々々はもう適当な記憶で埋めてしまって、あ~楽しかったな〜あのホテル、みたいな。少し悲しいその後があったのかもしれないが、とにかくあの父親と過ごした夏休みは大事な時間だった、てどういう経緯で手にいれたか分からないがビデオを見ながら思い出していく彼女の思い出をいっしょに追体験する作品。
何故好きだよと
父が亡くなった時、それまで今までの彼との記憶が薄れていって寂しくなるのではと思っていたが違う事に気が付いた、あーこれから新しく思い出が増えていく事が無くなるのだと。
さて、この作品だが他の人のレビューを見て成程と思ったがなにしろフラッシュ映像が私の目に辛く何が起こっているのか分からなかった。最初から星印の高さからそういう展開の話と思って見たのだが、んー何?映画で二回も見ないと分からないなんて映画館で見るのもタダでは無いし、時間もかなりかかる。楽しい映画でも無いしそれはどうかなぁと。低めの評価で分からんやつはわからん!と言われても分からんものはわからんので
家族のビデオ
父と子のひと夏の思い出をビデオに取る。二人の演技がとても秀悦で、とても自然体な演技。まるで自分の家族のビデオを見てる様な錯覚さえ感じる。プールでの思い出が強く心に残る。
ポールマスカル初見、なんて繊細な演技ができるのだろう、本当に自然体で、もっと沢山の作品見てみたい。
子役の演技?とは言えない、素晴らしい演技に魅せられ、余韻が残る作品。
納得して良作と唸らねばか。
DVD初見。
なるほど新味あり。
父の危うさの具体理由が描かれず納得感低いが、
今はさしたる理由も無く誰でも病む時代よ、
と無理にも納得して良作と唸らねばか。
そこが引っ掛かる。
評判の終盤の選曲にもピンと来ず。
大騒ぎする程でも、かな。
貴方の気持ちに気づいたときには、貴方はもういない。
『aftersun/アフターサン』を劇場で3回鑑賞した。
本作が長編デビューの監督・脚本:シャーロット・ウェルズが
巧みすぎる紡ぎ上げ方をしている映画だと思う。
父と娘の最後の夏休み&トルコのリゾート旅行を
Panasonicのビデオカメラで撮影した映像と、
父(ポール・メスカル)視点と娘(フランキー・コリオ)視点に加え、
客観的視点で描かれていて、父親が自死に至る布石が多々見受けられる。
やっぱり強烈にグサっときたのは、
「ソフィへ 愛しているよ 忘れないで」のポストカードのメッセージ。
時制的には旅行中に書いたものだと思うのだけれど、
もう完全に死を意識していたに違いなく、確定要素のように見えた。
旅行中、ふたりがハッピーな雰囲気に見えても
音楽が不穏だし、徐々に父の不安定さが露呈されていくところが
なんともせつない。
実は冒頭からその示唆出しはされていて、
娘ソフィのビデオインタビューでの「変な動き」との発言に被せて
きつめに「変じゃない」と言うあたり、もうおかしな反応だったりする。
父の様子が変なのは、別れた元妻もわかっていて、
娘ソフィにある種、監視役を任せているわけだけど、
11歳のソフィは大人へ憧れる多感な少女なので、
父の様子の不穏さには当時気づかず、父と同じ年齢になった今、
ビデオを見ながら、
ようやく父の気持ちというか思いに気づいたのだと思う。
主演の父役、ポール・メスカルは背中で語る俳優だなと思う。
本作ではポール・メスカル演じる父の背中が雄弁だ。
この映画を観ると、身近にいる人を大切にしなきゃと思う。
失ってからだと遅く、後悔しか残らないよ・・・ということを
教えてくれている映画でもあると思った。
新年1本目に選んでみた。画、音がとにかく綺麗。解釈を鑑賞者に任せて...
新年1本目に選んでみた。画、音がとにかく綺麗。解釈を鑑賞者に任せてる映画なので正直よく分からない所もある(時間軸が前後するので)。映画に出会うタイミングが合えばとんでもなく心に残るのだろうが、自分はそうではなかった
今まで観た中で一番難解な映画です
そもそも映画を観る際に事前情報を全く入れない質ですので、本作品のように過去と今がフラッシュバックするような複雑な映画は難解でした。海外映画の良いところは、舞台が異郷(今回はトルコ)というだけで、新しい情報がスクリーンに溢れ、長い映画でも退屈することなく観れるところと思います。父娘のバカンスが少し昔風の映像っぽく流れます。父親が30歳、娘が11歳。パパは娘を楽しませようと少し空回り、娘は少しパパと距離を保ちつつ無理しても楽しもうと小さな気遣い。父娘ものなら定番の「ペーパームーン」バカンス映画で個人的に好きなのはジェニファー・グレイとパトリック・スウェイジの「ダーティーダンシング」ですが、両映画のようなドラマチックなエピソードはあまり無く、淡々と物語は進みます。終盤でのダンスシーンは1984年の「テスタメント」の同じく家族でのダンスシーンを思い出してしまいました。
ラスト近く、娘のひょこひょこバイバイ?は同じ娘を持つ身としては落涙ものです。ラストシーン、突然キューブリック映画を彷彿させる演出で、更に脳内で「???」が駆け巡りました。(その後、本作の背景を調べて再度落涙)
ただただリゾート地での懐かしくも美しい風景と父娘の楽しくも微妙な関係を楽しむだけでも価値ある映画ですし、父親役のポールメスカルは若くして貫禄の演技ですし、ソフィー役のフランキー・コリオもおとなになる前の儚い時期をすごく魅力的に演じていて将来が楽しみです。
事前情報無く観ても良い映画ですが、映画の背景を知って、「そうだったの!」と気付きがありもう一度観たくなる魅力があります。
何れにせよ私自身数多の映画を観てきましたが、また一つ宝物が増えたと満足できる作品でした。
良かったです。
思い出のなかの父
31歳の父カラムは別れた妻との娘ソフィ11歳とトルコへ休暇旅行に来ている。
カラムはやさしいが自信がなく迎合的。鬱々とした内面を隠し、子供と過ごす夏休みをうまくやり抜こうとしている感じ。
ソフィは多感で好奇心旺盛。周囲を観察しロマンスや性的な気配を吸収している。父は親切で楽しいが、なんとなく掴み所がない。
成長して大人になったソフィが、このトルコ旅行を回顧・俯瞰している。
大人になったソフィの夢寐にいつもあらわれるのはフラッシュライトが明滅するレイブで、はげしくダンスしている父親だ。
何かを忘れようとするように父は踊っている。近寄って抱き寄せようとするが抜け落ちるようにして目が覚める。
幼少期のトルコ旅行、その記憶と荒いビデオ映像から、ソフィの気持ちを揺さぶるメランコリー(憂愁)の正体を描いてみせる。
──
映画は批評家から絶賛された。
監督のCharlotte Wellsは(ショートフィルムを除き)これがデビュー作。本作を“エモーショナルな自伝”と称しており、人物やプロットには自身の体験が反映されている。
imdb7.7、rottentomatoes96%と81%。
RottenTomatoesの批評家はそろって下にも置かない歓待ぶり。映像、脚本、編集、音楽などのフレッシュな扱いについて『映画を再発明した』とまで褒められ、父役Paul Mescalと娘役Frankie Corioの演技も賞賛され、カンヌ映画祭ほか各所で賞にあずかった。
『第76回BAFTA賞では4部門にノミネートされ、ウェルズは「英国の脚本家、監督、プロデューサーによる優秀デビュー賞」を受賞。
メスカルは第95回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
Aftersunは、ナショナル・ボード・オブ・レビューの2022年ベスト映画のひとつに選ばれ、Sight and Sound誌の2022年ベスト映画投票では第1位を獲得した。』
(Wikipedia、Aftersunより)
批評家は誰も指摘していなかったが、本作はソフィアコッポラのSomewhere(2010)と似た心象を描いている。
Somewhereはソフィアコッポラの少女期の思い出にもとづく話。有名な映画俳優である叔父(ニコラスケイジ)と過ごしたひとときを描いている。(と言われている。)
売れっ子の映画俳優のマルコ(スティーヴンドーフ)は高級ホテルに滞在し、贅沢な暮らしをしているが心は満たされていない。前妻から娘のクレオ(エルファニング)を預かってほしいと頼まれ、しばし一緒に時を過ごす。
娘は天真爛漫で、父はその無邪気さに接することで、じぶんを見つめ直す。──という構造が同じで、手を捻挫してギプスをしているのも同じだった。が、帰結するところはちがう。
明白には描写されていないが映画Aftersunは喪失を描いている。失ったのは父親と幼心で、それには普遍性がある。わたしたちがAftersunに共感できるのは大人への行程で誰もが同様の喪失を味わうからだ。
父親を肉体的に失ったのか、あるいはどこか遠いところへ行ってしまったのか、それは人それぞれであろうが、ふと幼い時に遭遇した甘やかな親心を思い出すことがある。
もうそうやってわたし/あなたを大事に思いやってくれる親はいない。それは亡くなっているからいないのかもしれないし、わたし/あなたが既に大人になってしまっているからいないのかもしれない。いずれにしろ、いない。
そのことが幼かった自分自身とともに思い出される。父はあのとき何を言おうとしていたのか、とか。あるいはもっとあのとき従順であるべきだった、とか。何らかの悔恨とともに、今はいない親が思い出され、メランコリーに沈むことがある。──という大人の誰もが味わう心象をAftersunは描いてみせる。
その気持ちがラスト近くに流れるデイヴィッドボウイとクイーンの有名なデュエット曲、アンダープレッシャーの歌詞と重なる。
この世界を知るのは恐ろしい
友たちが叫ぶ「ここから出せ」
明日に祈ろうもっとよい日々を
のしかかるプレッシャー
路頭に迷う人々
世の中すべてから目をそらし
知らん顔では変わらない
愛を求めても傷だらけに
なぜ?どうして?
愛、愛、愛
もう一度だけ試せないのか
もう一度だけ愛にチャンスを
なぜ愛を与えられない
だって愛は時代遅れの言葉だから
だけど愛は君に勇気を与える
夜の片隅にいる人々に想いを寄せて
愛が勇気を与え君が変えていく
お互いに思いやるように
これが最後のダンス
これが最後のダンス
これがわたしたちの姿
父カラムは鬱病をわずらっている。明白には描かれていないが社会生活ではダメな人間なのかもしれない。Paul Mescalが演じる父は懇篤だが頼れる気配がまるでない。父親の気配がなく、わずか11歳のソフィと兄妹と間違えられるシーンさえある。
すなわち大人になったソフィはトルコ旅行を回顧・俯瞰して、父の鬱と、抱えていたであろう焦燥を察して、悔恨とメランコリーに浸っている。
カラムはSomewhereのマルコ同様まるで兄か友人か、あるいは“父親役をやっている男”のような父親だった。だけど今振り返ってみると、あのぎこちなさの理由がわかる。それを思い出すとむしょうに悲しい。──という心象を切り取ってみせる。
それは普遍性があり、よくわかる。
親が自分自身の屈託に沈んでいるときがある。妻とケンカしたのかもしれない。金に困っているのかもしれない。会社でいやなことがあったのかもしれない。何かわからないが子供だったわたし/あなたがいつもの親だと思って接したら違う親だったということはあるだろう。その理由や気持ちについてずっと後年になって気づくことがあるだろう。
Aftersunは謂わばそういう映画だと思う。
とりわけ編集が斬新。諸処にPOV(演者が演者を撮影している映像)を挿入し、その粗粒な絵づらがCharlotte Wellsのノスタルジックな気分を語ってみせる。
批評家たちの絶賛がじゅうぶんにうなずける映画だった。
が、個人的には、わかりにくいというか観衆の解釈に依存しすぎるところがあるように感じた。思わせぶりすぎるところもあり、カラムが夜の海に消えていくシーンは自死したようにしか見えなかった。異才なのはわかるが2作目が見たい。
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