aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
全202件中、121~140件目を表示
ラストダンスが意味するもの
11歳のソフィが父親とのトルコ旅行の思い出をを20年後ビデオカメラで振り返る。 11歳のソフィの視点と 31歳のソフィの主観 とが混ざりながら緩やかに物語は展開していく。 父親は別れた妻を愛しているようだが、何らかの理由があって別居している。父親はトルコ旅行は娘とおそらく最後になることも分かっていて、娘に最高のバカンスをプレゼントしたいと思っている。 父と娘のたった数日間の物語ではあるが、とても自然体で感情移入される人も多いだろう。 最後の父と娘のダンスは、欧米圏では非常に意味深いものであるが、日本人には馴染みがない。 本来欧米圏で『最後のダンス』と言うと、結婚式の披露宴での父と娘のダンスであり、それまで手塩にかけて育ててきた愛娘を手放さなければならないニュアンスがある。 ここでは、今世の別れになることを示唆しているが。 劇中に何度か挿入される31歳の父と同い年の娘のダンスシーンは、永遠の一瞬がフラッシュバック的に立ち現れる。 説明がない分、あらゆる解釈が可能となる本作。 このラストシーンが意味するものをじっくりと考えてみたい。
本当に大事な人にだけ勧めたい
予告編負け感は否めませんが、不思議と心に残る作品。 特に何も無くても、大事な思い出って誰にでもあって、でもそれって他人がどうこう言うものでも無いし、その素敵さとか大事さって説明しても伝わらないんだけど、それをよくここまで形にしたよね、と。 今のソフィがどんな状況にあるのかとか、父親がどんな境遇にあったのかとかは、会話や意味深なシーンから推しはかるしか無いんだけど、これは説明したら面白くない。 ある程度観客に委ねる部分を作る事で、その余白で共感を誘うのではないかと思うのです。 …ってここまで書いたらやっぱり予告編含めて素敵な作品で、強烈なおすすめと言うより、大事な大事な友達に勧めたくなる作品でした。
無駄なショット意味の無いカットの連続
無駄なショット、 意味の無いカット (狙い過ぎ)、 の連続で、 荒削りのつくりでも、 気持ちの切り取りを伝える事ができれば成立する例のような作品。 気持ちを伝えるというのは、 急に走ったり、 大声を出すだけではない。 Life is biggerから、 under pressureまでの、 小さな仕掛けの積み重ねと、 空港まで、 そして、 扉の向こうではまだ踊っているのだろう。
23-080
父31才、娘11歳、 20年前の最高の夏休みの記録。 娘を持つ父親として、 父親目線で終始鑑賞。 娘を愛しているが、 それ以上に娘に愛されたい。 娘の行動に、言葉に、仕草に心が留まる。 なんとも形容し難い気持ちになりました😊
ハッキリさせたがりの私にはちょっと向いてなかったかな…
いわゆる匂わせ映画ですよね?
離婚して離れて暮らしてる娘と過ごした夏の思い出を、父の年齢になった娘がその時のビデオを見ているという設定なのですが、それも何とかチラシで前情報があったからわかる。それがなかったら、え?何なの?的な思いを抱えながら見続けないといけない。父親の悩んでる事も多分ゲイなのかな?ってくらいしかわからない。海に入って行ったとき死んだと思ってしまったもん。(でも娘と別れた後自殺するのかな?
すみません!私には向いてなかったです!も少しわかりやすい映画が好き!
記憶と記録
まさに記憶を覗いているようでノイジーな画づくりが好きです。 あらゆる情景が美しい故に、視線や表情までも拾いきるのは難しいのにもかかわらず、鑑賞後はなぜかすっきりとした気分になる。 2人のあの時間にあった確かな愛を映している映画。
何か起きる?
映画全体を通してときどき思わせぶりなシーンがさしはさまれて、この後何か重大なことが起きるんじゃないか? と思いながら見ていましたが、とくにそういうことはありませんでした。凝った演出ということなのでしょうが、普通に作ったほうがよかったのではないかなぁと思いました。勝手に期待して肩透かしを食らったような感じがしました。
お父さんの幸せを願う
大人になる過程の少女の繊細さと、普段一緒にいられない父との、宝箱のようなキラキラした過去の大切な時間を振り返っているという素敵な作品。夏の休暇というシチュエーションが余計に眩しく、今は手にすることができない幻想的な印象が際立っている。時折現れる、色味が少ない印象の凛とした現在の彼女の場面が、ノスタルジックな過去と少し対照的に感じられて、作品を引き締めてくれている。 父は一見普通に楽しそうに過ごしているように見える。だが娘がビデオを撮りながら「11歳頃何になりたかった?」と質問した時に、笑いながらはぐらかして「撮影をやめろ」、と質問に答えていない。おそらく父が子供の頃想像したような未来にはなっていないのであろうことが、会話からうっすらと汲み取れる。 このような細かな父の態度から、娘は「大人の事情があるのだろう」と何となく察しているのも彼らの会話からどことなく感じられる。 テーブルや鏡に人物が映っているところを一瞬分かりづらく見せるカットや、壁が画面の半分以上を占めた構図(父が部屋で1人静かにいる場面)などは、映画を撮っている作為的な感じではなく、間接的に一歩引いて見せることで、より日常に入り込んで傍観しているような感覚がした。 時々挿入されるディスコのようなチカチカしたシーンに、現在の彼女と過去の父や自分自身の姿が入り混じる見せ方も、幻想的で良かった。 映画を見終わった後、父の幸せを願う映画なのではないかと感じた。
Under Pressure
父親と娘のビデオライブラリーの映画。 自分も子供と家族を動画で撮っているので、思い入れは大きかった映画。 お父さんが動画を撮っているのが8mmビデオだと思うのだが、その動作音が自分が所有していたSONYの動作音とそっくり。 映画自体はまあまあ。 ここまでは1回目の鑑賞のレビュー。 その後、何か気になって、3回観てしまった。 傑作です、映画史に残る位。楽曲のセレクトも最高。 観れば観るほど、監督が残した映像メッセージが届いてくる。 BD買います。
No More
予告編に惹かれたが最後…。この作品、何も起こらないし、面白さがあるわけでも無い、この作品に合わないと、知らない親子のホームビデオを延々と見せられる100分という、もどかしい時間を過ごすことになりました。
この作品に言いたいことは山ほどありますが、説明が無いと言えばサッと片付いてしまいます。何故こうなっているのか、父親のこの行動の意味とは、ビデオに残している理由とは、全て観客に委ねるというかぶん投げているので、その辺でも映画としてダメだなと思ってしまいました。
過去と現代の思い出を行き来する人間ドラマと予告で謳っている割には、現代パートはほとんど無く、親父のヘンテコな動きと、娘の顔面のアップが何度も何度も繰り返されるので、またこれ観るの?という感情が何度もひしめき合います。
親父はきっと旅行前も旅行中も娘を見送っている時も、きっと病んでいたんだろうなと思います。だと思わないと、旅行中の不可解な行動が理解できません。でもそれに対しての描写が殆ど無いので、ただのてんてこ舞い親父にしか見えませんでした。見せ方として間違えてるなと素人ながら思いました。
自分が親になったら、もしくは何か小さなものを守る存在になったらこの作品の見方が変わるのかもしれませんが、現時点では映画館でホームビデオを観た以上の感想は出てきませんでした。んーモヤモヤ。
鑑賞日 6/8
鑑賞時間 20:30〜22:20
座席 C-4
カラオケうまくなっただろうか
鑑賞者に解釈が委ねられる余白が大きい作品で、予備知識のあるなしに関わらず観る人を選ぶ。なにかの女性向けメディアで話題なのか、劇場は女性比率がかなり高く、隣の座席は終映後に洟をすすっていたし、前方の女性は途中から頭が横になっていた。正直、自分自身はこのような作品とのシンクロ率は低いタイプで、瞼の重力に耐える覚悟だったのだが、意外や明るいリゾートの映像が心地よく、ソフィとカラム親子とのトルコ観光に付き合う気分でほんわり観届けられた。 とにかくなにかと思わせぶり。父のこともソフィ自身のことも昔のことも今のことも断片でしか伝えてくれない。ツアー先の広っぱで看板に書かれた文も「We know the perfect p…」までしか映さない(pに続く単語はなんだったのか?)。はっきりしているのは親子揃ってビデオを撮るのがヘタすぎるということ! 11歳のときどんな大人になると思ってた?というソフィの質問や、彼はいい人〜♪と誕生日に歌われて(自身がそうではないと思うから)泣きじゃくったり、アンダープレッシャーの劇伴だったり。自分には娘がいるので父親視点で観てしまったけど、こんな大人になっちまったという後悔が胸に刺さるにはやや歳をとりすぎてしまった。
確かにそこにあったもの
粗い家庭用のビデオカメラの映像から始まり、基本的に時系列通りに時間が流れる。 途中時系列が乱れる瞬間が何度かあり、段々と観客はその意味を想像できるようになる。 粗い記録映像と鮮明な映像のシャッフルで進むが、どちらもその瞬間がとてつもない宝物のような瞬間だと画面を観ていると伝わってくる。 つまり、この映画のすべての映像は何物にも変えられない瞬間の真空パックなのだ、とわかる。 時折挟まれる現代の映像と過去の映像の幸福度の落差に観ているこちらは喰らわされる。 そして、劇中、父親はその落差を想像できてしまっている。 それが後半、漏れ出してくる、その瞬間。 夜の真っ暗な海に真っ黒な服を着た父親が迷いなく振り返ることなく入って消えていくシーン。 このシーンはいつの時系列なのか? そしてこれは何を意味するのか? 最後の夜のダンスシーン(this is our last dance)と娘を見送りカメラを閉じる父親。 そしてそのカメラは数十年後娘のもとにある。 もう全身で浴びてしまった。 カットが変わる毎に何も起きていないことがこんなに嬉しい映画もなかなかないよ。 娘をもつ父親として、そしてもう後戻りできない歳になった大人として、これはやられてしまいました。 素晴らしい。
難しさと凄みの同居
観る側へ読み取る力を求める、難しい作品でした。 大人になった娘が、自分が子どもの時に父と旅行したときのビデオカメラの映像を再生するスタイルで、過去を回想する内容。 そこに映っているのは、早く大人になりたいと願い、父とともに幸せになる未来を疑っていなかった娘の姿。 しかし、再生ビデオの外には、死への願望を抱き、歳を取ることに絶望感を抱いていたような発言を繰り返す(または同性愛者なのかもという疑念もあり)、鬱の父の姿を対比として映す。 映画に具体的には描かれていないが、おそらくこの旅行からそう離れていないタイミングで、父はこの世の人ではなくなっているように思いました。 父のことが分からなかった幼かった自分が、子どもを持つ母親になったいま、父に想いを馳せる姿は沁み入りました。 そう感じさせる役者陣の「凄み」みたいなものがありました。
キラキラしたものとモヤモヤしたもの
映像のハレーション、マイクのハウリング、低解像度の映像、懐かしさを感じるキラキラした夏休み。
父親は何でギブスをしているのか、何で故郷に居場所がないのか、何で母親と結婚しなかったのか、なぜ歌は嫌いなのに踊るのは好きなのか。
疑問が当時のソフィーの気持ちとリンクする。
真夜中の漆黒の海。
彼はいつもああいう場所にいるのだろう。
打ち付ける波の音が大き過ぎて痛さと恐怖を感じた。
最後の長めのbye-byeを観ていて不安で仕方がなかった。
父が出て行った扉が病院の扉に見えてしまい、その後の展開を想像し、涙が止まらなくなった。
今となっては父親が分かったところで当時のソフィーには何も出来なかっただろう
少しわだかまりを残す作品でした
「お金がないのにそういうこというのやめて」
娘から父親からのかなり厳しい受け答えである 今作は監督の極々私的な作品であることを想像させるのは、自身の小さい頃、又は監督の父親のその時の両写真が、俳優とソックリであることを観賞後の考察サイトで確認したからである なのでその後の父親はどうなっているのかの状況も確認出来るかも知れないが、敢えてそこまでは知らないでおくこととする
とにかくミニマルなストーリー展開であり、単に離婚で家を出て行った父親とトルコのリゾートビーチでの観光旅行に来た娘の滞在中の出来事を淡々と描く内容である そして父親や娘が撮影する家庭用minidvカメラの映像が印象深く差込まれる そしてその映像を時代を経て当時の父親と同じ年齢(と思われる)になった娘が振り返りながら観賞しているという、懐かしむというには意味が違っている印象の表現を全面を通して進む構成なのだ
実は、今作品の前に幾つか考察サイトを読んでしまった 普段は決してそんな勿体ないことをしないのだが、予告のティーザームービーだけだと、一体この作品は何がテーマなのか読み取れなかったというのが真相である
なので、父親の死の匂いや、希死念慮、鬱的症状等は、先に情報を得てしまったが為に、ミスリードかもしれないと思う程の先入観、フィルターを作り出してしまった 何も情報がなければ、自分はこの若い父親の危うさに気付けたのだろうか?、そもそも単に精神的に弱っている(仕事が無い状態は誰だって参っている)事を気付けてもそれがストーリーの推進力成り得る程の展開があるのだろうかと、不穏さを漂わせる映像をまんじりともせず観賞していたかもしれない観方が正解なのかも知れないと、今でも迷っている
若い父親と思春期に差掛かっている娘 一般的にはその思春期特有の親離れを発動すべきなのだが、どうも娘は父親にそれ程邪険に思わないばかりか、兄妹と間違われる程の若い父親ということを気に入っている様子である と同時にリゾートホテルで知り合う青年達のバカンスの恋愛模様にときめきを感じつつ自分の幼さに不満を抱くというアンバランスさも女の子特有の思春期アルアルであろう
とはいえ、メランコリックさとサッドネスが始終挟み込まれる雰囲気に、当時の娘は気付かなかった筈 親子ならではの遠慮無い言葉に、実は傷つく父親 娘も又裕福では無い事への辛さ、その全てがリゾートという経済格差社会としては勝ち組のみが訪れることを許される世界の中で、かき集めたなけなしの金をそこにベットした父親の最後の子供への養育と愛情なのだというのは、勿論情報が分っていての事だが、しかし厳しい現実に対する容赦ない描き方は、観客に一抹の寂しさを与える
カラオケの歌は歌えない しかし、ダンスは踊ろうと誘う 勿論、娘視点では父親の我儘、しかし、そこには父親の心の変遷があったことは、背中越しの嗚咽に充分確認出来る 勿論娘は知らないところで・・・
そしてラスト、撮影を終えた父親は、ストロボが光り続けるあの野外ダンス会場に消えるシーンは、今作品の一番の白眉である 今迄のリアリズムを、最後の幻想的なシーンでのクライマックスで、娘が父親の本当の置かれた立場とそれでも娘に尽くしてくれた優しさを噛みしめるのではないだろうか?
もう、この親子は再会することは叶わない、その予感を物語の全ての演出で、寂しさを表現した監督の手腕の確かさを感じた作品である
もし将来、邦画リメイクする企画が上がったら、是非追いかけたいと強く願う自分である その際は、大事な挿入歌は、日本の曲で 絶対に当てはまるピースは在る筈だ
さっぱりわからん! でも尊い
思春期を迎えた少女と何か問題を抱えた父親のバケーションということはわかりました。予告ではもう少し不穏な何かを予期させるものがあったのですが、そんな下心は裏切られます。
とはいえ、子供と大人の狭間にいるソフィの佇まいと娘に向き合おうとする父親の映像は尊い。
それ以上のことはさっぱりわからないんですけどね。
寝息を聞かせる程静かで、優しい映画
この映画は構成が複雑で、時間軸もバラバラだし、誰の視点なのかわかりにくいし、物語にあまり関係なさそうなシーンが続いて中々読解力を求められる映画です。
しかし、ストーリーが進んでいくとこの映画は大人になったソフィがホームビデオを観ながら当時を思い出している映画だということに気付きます。ビデオテープをカチャカチャ動かす音やテープを巻き戻すような音が入るのはこのためです。
そうして映画を観ていくとお父さんちょっと様子がおかしいことに気付いてきます。それはこのホームビデオを観ている娘もきっと同じ。例えばお父さんが最初に手首に包帯を巻いていることやホテルの予約が上手く出来ていなかったり、身に覚えのない痣が出来ていたり、夜も寝ないでバルコニーでボーッとしていたり、大人になった今観ると心配で声を掛けたくなります。
しかし当時11歳のソフィには気付けません。彼女は純粋にお父さんとの旅行を楽しんでいます。
お父さんは31歳の誕生日になるということで、20歳で産んだということ。この娘の存在は大分彼の人生に影響を及ぼしたでしょう。お父さんが1人でいるシーンは基本真っ暗で、夜の海だったり、謎のクラブシーンだったり、何か闇を抱えているだろうということは映像のみで語られます。
ここから少しネタバレですが、
劇中に何回か挟まれるクラブシーンは恐らく死後の世界で、最初は何が映っているのかわからないのですが段々とお父さんが映っているのがわかり、粉語終盤では大人になった娘ソフィがお父さんを見つけて抱きしめます。← 良いシーン!!
お父さんとの旅行の最後では思春期を迎えた娘はお父さんとのダンスを拒否してしまいます。← このシーンに流れるクイーンとで デヴィッド・ボウイの「アンダープレッシャー」の使い方が良かった。
夜に真っ暗な海へ入っていき戻らないお父さん。
ラスト。娘を空港で見送り、娘の最後の姿をビデオに収めるお父さん。そして満足そうな笑みを浮かべて暗間のクラブへと戻っていくお父さん。断片的なシーンが多く頭の中で編集して考えないといけないのですが、それはそのまま大人になったソフィがやっていることで、ビデオテープを編集している音が聞こえるのもそういった意味です。シャーロット・ウェルズ監督自身が体験したことが元になった話で監督は30代前半。ソフィの世代であり、私と同世代!20年前といえばiPhoneなんてないのでホームビデオ。色々懐かしい!
同世代が描いた少しワケありな「お父さんとの思い出」
ボール・メスカルはワケあり男の演技抜群だし、ソフィ役の新人フランキー・コリオちゃんは可愛いし、バリー・ジェンキンス製作の効果なのか音楽の使い方も良い。良い映画でした。
ハートの形と色と質
目に見えないものを見る感覚だったなぁ。
作品の内容を知らずに鑑賞したので、勝手にストルゲーの内容だと思ってたから、正直、なんだこれ…と思ったが、ラストシーンまでの流れは秀逸だ。
全202件中、121~140件目を表示