aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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記憶が想い出に変わる時
両親が離婚し、母親とエジンバラに住む
『ソフィー(フランキー・コリオ)』。
十一歳になった夏休み
離れて暮らす父『(ポール・メスカル)』と
トルコに在るリゾートで数日のバカンスを過ごす。
日頃、連絡は取り合っているものの、
一緒に過ごすのは(たぶん)久方振り。
楽しいこともある一方、
ちょっとしたすれ違いや諍いも当然のように起き。
また、ひと夏の
すこし大人びた体験もしてみたり。
通してみれば、彼女にとっては、
ある夏の美しい記憶。
本作では、それから二十年が経ち、
当時の父親と同じ年齢になった彼女が
その時に撮ったビデオを見ながら
昔の記憶をよみがえらせる。
ビデオの撮り手は、時に娘、時に父と入れ替わり。
また描写の主体も、第三者的な視点も含め
都度都度変化する。
鑑賞者は度毎に夫々に感情移入、
自分などはとりわけ父親の側に立った見方になってしまう。
とは言え、同年齢になったことで、
また、ビデオを見直すことで
以前には気付かなった父の思いにふれ、
意識していなかった側面に娘は気付く。
百分ほどの短尺ながら、
ドラマチックな展開があるわけではなく、
淡々と綴られる日々はやや冗長にも感じられる。
ただ、眩しい陽光のなかや夕闇のなかで交わされる親子の情は、
観ていても切なくなってしまう。
ほんの些細な出来事でも
互いへの思いやりがひししと感じられ。
それはおそらく、ラストシーンから予見される未来が
あまりにも悲しいから。
ふたりはこの先、二度と逢うことはなかっただろう、
それを踏まえ冒頭からを反芻すれば、
更に心を揺さぶられる想いが込み上げて来る。
父親が右手にギプスをしている。
娘に「貧乏なくせに」と冗談めかして言われるのに
リゾートで数日間を過ごし
加えて高価なビデオや絨毯を購入する。
ベットに腰掛け、独りさめざめと泣く、
等の劇中の不可解なエピソードが
かちっと嵌る瞬間でもある。
何も起こらない、何も語らない、なのにどこか愛おしい映画
父親と2人で行った思い出のトルコ旅行を、ノスタルジックな映像と共に淡々と描いた作品。当時10代前半と思われる、思春期真只中のソフィーの視点が印象的。
ソフィー役のフランキー・コリオはこれがデビュー作とのこと。自然体の演技が素晴らしかった。
それから、本作の思い出の舞台となっている20年〜25年ほど前、スマホが無い時代。あの当時、ほとんどのことは今と同じように満たされていたけど、困った時に片手で検索すれば何でも答えが得られるほど便利な時代では無かった。同じく、今ほど価値観の多様性が許容されている時代でもなかった。
一方で、ほどよい不便さや生きにくさが、今思い返せば、何故かそこはかとなく愛おしい時代でもあった。
青を基調としたノスタルジックな映像を眺めながら、つい自分の思い出にも重ねていた。
何も起こらないし、何も語らない。
それなのに、どこか愛おしい作品でした。
父の記録。娘の記憶。
舞台はトルコのビーチリゾート(行ってみたい!)。父娘のそれはまるで恋人同士にも思えるほどの感情の交感とメランコリックな不穏さを絡ませながらストーリーが展開される。個人的には、どことなくフランソワオゾンにも似た匂いを感じた。
父が撮影した映像が物語る事実に娘の記憶や感情のコンテクスト重なり、二人で過ごした時間が豊かなものとして描かれる。
ただ、記録の中の父と同い年を迎えた娘から感じる悲哀さには、20年の年月に起きた二人を分つ出来事を、つい想像してしまう。
最後に、音楽がBGMではなくて本編にしっかり刻み込まれている、その効果は計り知れないことを付け加えておく。
タイトルなし(ネタバレ)
一夏の親子の思い出ムービーとしか思わない人もいそうだが、、、
淡くて儚くて、繊細でエモーショナルな演出なんだけど、結構えげつない内容だし、メンタル整ってないと食らう人は食らうはず。結構危ういから今しんどい人は見ない方がいいかもしれない。
思いの外、うわ、、、な内容で後からジワジワ来た。明らかな匂わせが要所要所であって、たぶんそうだろうな〜って思っていると、クライマックスで数人泣いていた。彼が抱えているものが何とかハッキリ明示はされない。
娘視点で、わからないものはわからないままに
見たままを感覚的に描いているから対象に入り込むとか、過去のストーリーが説明的に挟まれるとかはない。故に分かりにくさはある。セクシャリティで悩んでいるのかとも取れなくもないが、はっきり描かれていないので断定は出来ない。
親が自分を産んだ年齢に来たり、越したりすると何かしら思うことはあるけれど、あの時の痛みが今になって分かることは、往々にしてある。わからない事実の亡骸だけが転がっていて、後から感情などの理解が追いついた時に、謎がゆっくり紐解けて、亡霊のように残像からストーリーが立ち現れるあの感じ。
あの時は分からなかったし、分かってはいけなかった、けど嫌でもわかる年齢に自分が追いついてしまった。分かりたくはなかったし、分からないままが幸せだった、永遠に記憶は記憶のままに冷凍保存で封じ込めて、思い出の解体はしたくない。そう思ってしまう自分には終始苦い感情体験だった。
偏愛すべき映画
一度でも父親に愛されたことのある娘、
一度でも娘に愛されたことのある父親には
突き刺さってしまうであろう作品だった。
中盤までは意味がよくわかんないし、
終始不穏な雰囲気が怖いのだけど、
ラスト5分で本作の意図に気付かされ、
それを知った途端に溢れる涙が止まらなくなる。
久々に嗚咽レベルで泣いてしまう映画だった。
映画としてとっても素晴らしい
というわけではないと思うが、
私には響きすぎて偏愛してしまう映画。
QueenのUnder Pressureは
個人的に父親との思い出がある曲なので
ラストシーンは余計に泣けてしまった。
人生最後のダンスだってさ。
思い出やら記憶は、時に残酷だよ……。
あと現在のソフィの生活がちょっと気になって、
現在シーンがもっと多くていいんじゃないかと
思ったけれど、ソフィと父親との時間が
あれだけ綿密で細かいからこそ、
その全てが愛おしく思えるんだよね。
説明と推察有りき。
11歳の頃、離れて暮らす130歳のパパとトルコのリゾートで過ごしたバカンスをパパと同じ歳になった娘が振り返る話………で良いのかな?
両親が離婚してママとエジンバラで暮らすソフィと、別の町で暮らすパパということは判ったけれど、20年後にビデオをみて振り返っているとか、当時知らなかった一面を知るとかはあらすじ紹介を読まなければ全然判りません。
というか現代パートはハッピーB.D.やストロボダンス等細切れでトータルでも1~2分位しかなかったんじゃ?
時々ビデオカメラを回しながら、バカンスを楽しむソフィと、たまに空回りしたり噛み合わない様子をみせるパパ…病んでいるのかな?
そんな2人の様子をひたすらみせていくだけで、後は推察しろってことなんだろうけど…。
あくまでも個人的推測だけど、病んでいたであろうことに当時は気づかなかったとか、これが最後のパパとの思い出とか、何ならこの後パパは…とか、そんなことを思わせたい感じですかね?
もうちょい描いてくれないとちゃんと伝わらないし、みせられているものはノペーっとしたものだけだし、あらすじ紹介読まなきゃほぼ解らないよね?ってことで、映画として完結しているようには感じられなかった。
きつい
当時の記憶と父への想像が繊細にそして鮮明に蘇る
この作品は、前半は正直「演出がよくわからんな」と感じることもあったが、次第に以下に示すような構造に気づき、ぐっと惹き込まれた。
本作で描かれるシーンは、「少女時代のソフィアの記憶の想起」「父に対する想像」「少女時代に撮影された映像」の3つが混じり合っている。
例えばパラグライダーや若者同士の飲酒、濃厚なキスシーンなどは、当時のソフィアが目撃した「大人の世界」の記憶を描いたものであり、冒頭に父がバルコニーで踊るシーンや夜の海辺に消えるシーンは、当時のビデオから想像する「こんなことをしていたのだろう」という父の姿を大人のソフィアが想像したものと思われる。
そしてそうした記憶は、肌触りや鼻息が聞こえるほど繊細で鮮明に蘇る。
監督の他の作品や影響受けた作品が気になってパンフレットを購入してしまうほど印象的な作品だった。
同じ空の下で太陽を見ているぼくらを、太陽(=楽しいバカンス)のあとに何が待っているのか?パパのニンジャムーブではなくパパの愛
"空"が印象的、今にも消えそうな2人が象徴的な本作。父カラムと娘ソフィのホームビデオのようなこの作品は、この愛すべき2人をいつまでも見ていたくなり、最後にどうなるのか気になる旅の記録。そして人生の。旅行とかすごく楽しいことの後に、家に帰って一息ついたときどっと疲れが出て、もう何もできなく骨も動かなくなるような、突然やってくる寂しさ…。それは決して交わらない水平線と地平線のように。
思い出といつか大人になってわかること。自分が30歳になるなんて、と20年もあれば変わる。芽生え始めた性への興味と違和感、自分はそうじゃないとも確信がなくとも。親になれば。折られたポスタービジュアルも象徴的。ふとあの日のビデオを見返す。日焼け止めクリームを背中に塗ってくれる人がいる(た)こと、誰かと一緒にいても孤独や色んな感情がつきまとうこと。優しくてほろ苦くて切なくて胸しめつけられてしまうよ、ノスタルジックでセンチメンタル。
だからか劇中で流れる歌もTender/ブラーやUnder Pressure/クイーン&デヴィッド・ボウイなど、"愛"を歌われるものが多かった気がした。詳しく説明しないことで膨らむ想像。素晴らしいショットを積み重ね、それぞれ意外性のある導入から巧みにシーンを構築するストーリーテリングとごくごく自然な空気から目が離せないで、自然と惹き込まれてしまうようだった。本当に演出がいい気がした。映画史上屈指の気まずいカラオケシーンも見られますよ?
だけど、だから終わりが近づくにつれて……
勝手に関連作品『SOMEWHERE』『カモン・カモン』『夏物語』『みんなのヴァカンス』『女っ気なし』『サマーフィーリング』『アマンダと僕』『悲しみに、こんにちは』『さよなら。いつかわかること』『WEEKEND/ウィークエンド』
かなり観る人を選ぶ映画 注意!
父親と娘の一夏の思い出・・・ほぼ全編を通して大きな出来事が起こることはなく、はっきりいって映像の美しさより退屈さが上回る。
例えば父親と娘の一夏のバカンスというと、ソフィアコッポラのサムウェアも連想させるが、彼女の作品のように分かりやすく父親が再起するような物語ではなく、心の揺さぶりも少ない。
本作はこの世にはいない父親を、亡くなった父親と同い年になったソフィが過去の思い出のビデオを観ながら、父親がどのような人物だったのかを追憶していく。
ソフィの思春期前の性への好奇心と父親の不安定さを描いているのだが、とにかく映像から読み取らせようとするため、説明が少なくわかりづらい構成。
個人的にはもう少し現代の映像で説明的な映像なりセリフがないと、この旅が彼女にとってどのようなものであるのか=大好きだった父が最後に残してくれたものが伝わらないと思う。
THIS IS OUR LAST DANCE!!
本作の予告や前半を見た感じでは、ソフィアコッポラのSOMEWHEREを彷彿とさせ、父と娘が過ごす短く淡い夏のひとときを切り取ったような作品かと思っていたが、とんでもない。
まさに日焼け跡に塗るオイルのようにヒリヒリとしていて、優しいようで痛い作品である。
ひとまず、淡くノスタルジックでヴァカンス気分にさせるカメラワークが見事で、
ゆったりとした緩慢な旅行の休日の、
その一つ一つの細部が粒のように際立つ感覚を我々に与える。
それは、照りつける太陽、他人の肌の産毛や艶やかさ、くっきりとした日焼け跡や汗で肌に張り付いたTシャツ、プールの匂い、旅先で浮かれ気分の人々の残像、これらは極めて個人的な思い出であるにも関わらず、誰もが体験してきた長く退屈なあの頃の夏休みの感覚を
追体験させる。
それはホームビデオというよりは、それらを通して一つ一つの記憶をなんとか思い出そうとしているかのような作りだ、
つまりホームビデオを通した11歳の瞳を通した現在(31歳)の瞳があの頃の父をみつめているのだ。
おそらく彼女にとって父とは、
永遠にあの頃の姿のまま暗闇に消えていってしまったのだ、それが度々現れる不穏な映像やラストシーンで明らかになる。
度々暗闇に消えては浮かぶ父の姿。
その背中の孤独感。
また、度々挿入されるクラブシーンが忘れられない。
大人になった彼女の声は父には届かない。
愛していると何度も何度も泣き叫ぼうとも、
全て混沌と騒音の中に掻き消され、抱き合おうとしても引き剥がされる。
おそらく彼女は父との記憶を心の奥深くに封印しながら長い間過ごし、ようやくあの頃の父と同じ歳になり、親になったタイミングで意を決心してビデオを再生したことが伺える。
そしてそこまでしなければならなかったようなことが、この映像の後で二人の間に起きたことも、なんとなーくでわかるのだ。
そういうことを、何一つ説明することなく
描ける脚本や演出の手腕が際立つ。
昨今の説明過多な作風とは真逆で、
処女作にして極めて洗練された出来である。
また、鬱の人間の感情の機微をちゃんと描けていたのがよかった、私も個人的に似たようなことがあったような感じなので、この欝の人間のリアリズムには感心した。
そして問答無用で名シーンの、アンダー・プレッシャーで踊るシーンと、ラストのカメラのパン。、この2つのシーンだけでも名作であることは確定した。
フレディが give love!!give love!!と叫び、ボウイがTHIS is our last dance、this is ourselfと締めくくる、ここまで歌詞がシンクロすることがあるのかと。
映像、音楽、脚本、俳優、まさに
奇跡のマッチングです。
二度視聴することで理解が深まると思います。
Tai-Chi(太極拳)
私、劇場で映画鑑賞してもパンフレットは買いません。後から解説や考察を調べるとも殆どないですし、他の方のレビューすらサラッと目を通す程度です。なので、自分の解釈が正しくなくてもあまり気づかずにレビューを書いているため、詳しい方からしたら「何も解ってない」と思われるかもしれないですが、それでも、意地でも、、、いやぁ、、それにしても、本作はかなり難解ですね。。。
本作、IMDbなどで評価が高いだけに、観ている最中、どこかで一気に何かが解けるのかと思いながら観続けましたが、結局、最後の最後まで悩みながらもうエンディング。。。正直、書くことが見つからずに、こんなことをツラツラ書いています。
父であるカラム(ポール・メスカル)が、別れた妻と暮らす娘・ソフィ(フランキー・コリオ)と二人で過ごす夏休み。ソフィがハンディカムで撮影する(カラムの)映像で始まりますが、これが兎に角観辛い。その後も、大事そうな場面でこれが繰り返されますが、そもそもこれは、当時の父と同い年になったソフィが、そのビデオを観て回想しているというのがこの映画の設定だからこその演出。ただ、元々トレーラーすら観ていなかった私に、それを気づかせるのもだいぶ後半になってからで、まぁ、集中力が要る映画です。当然、そういう代物だから映写されるものは全く以て巧くないので、下手すると気を失いそうになります(苦笑)。
ソフィ11歳に対し、父カラムは31歳。要するに、20歳の頃出来た娘で、背伸びする年頃で大人びた表情をする娘と、若い父親の関係性は他者から見ても「兄妹」と間違えられることも。とは言え、決して「禁断の愛」みたいな単純な話ではないのですが、カラムは時折観ている我々を不安にさせる「危うさ」をチラつかせることがあります。そして、本人がそれを自覚しているのか、常にそのことを意識しているようでTai-Chi(太極拳)で呼吸を整える様子、また実際に研究しているのか(Tai-Chiの)本が映されるシーンもあります。
それでもまだまだ若い彼。娘との別れの日が近づくと更に不安定さを抑えられない様子。当然、ソフィも父の様子に気づいていますが、そこはやはり11歳の少女です。それでも、周囲の大人たちの「言動」を微妙な距離感でやり過ごすところなどは、若い父との付き合いの中で自然に会得しているよな大人びたところがあります。
とまぁ、解らないながらというか、あまりの解らなさに結局飽きずに観終わりましたが、未熟な私には楽しむまでの余裕はなく、どうしても高い評価は付けきれませんでした。すいません、難しかった。。
自撮旅行
2022年のベストムービーにあげる評論家も多い、イギリス期待の新星シャーロット・ウェルズによる自伝的ヒューマンドラマ。しかし、公開初日に見た感想を正直に申し上げるならば、その評価少々盛られすぎのような気がする。何せ本人がカミングアウトしているのかどうかもよくわからないのだが、そのファッションや髪型からして監督シャーロットおよびその分身ソフィはレズビアンであり、その父親カラム(ポール・メスカル)も(劇中はっきりとは説明されてはいなのだが)多分自分がゲイであることに苦悩していたのだろう。
つまり本作は、離婚した父親と母方に預けられている一人娘のトルコ旅行を描いているとともに、LGBTQのエコーも感じとらなければならない作品なのである、そして、日本の濱口竜介にまさるとも劣らないスコットランド人シャーロット・ウェルズの映画エリートとしての経歴が、本作高評価の一翼を担っていることは間違いないだろう。年齢的にはちょっと上になるけれど同じ女流フェミニスト監督のケリー・ライカートやセリーヌ・シアマと比べると、実力的にはまだまだという感は否めないからだ。
ほとんどの客がイギリス人で占められているトルコにあるファミリー向け観光ホテルで過ごした数日間を、娘ソフィがホームビデオで撮った映像と、通常のカメラ映像とで綴られている。大人に成長したソフィと父カラムが真っ暗闇のディスコで踊り狂うシーンが意味深に登場する以外、父娘がプールサイドやレストラン、ホテルのベッドでダラダラと過ごす様子が淡々と映し出されるだけ。その〈ディスコ〉が何を意味しているのかわからないと、この映画の良さがまったく伝わらないのである。
これはシャーロット・ウェルズがインタビューで答えているので別にネタバレにはならないと思うのだが、このカラム(おそらく市川猿之助と同じ理由で)、旅のある時点で自殺して帰らぬ人になってしまったのだろう。その生前に撮ったビデオを大人になってから見直したソフィは、とごろどころ抜け落ちている記憶を埋めるために、〈ディスコ=アフターライフ〉をさ迷っていたカラムの亡霊とともに妄想の中で、最期の父娘旅を完結させようとしたのではないだろうか。ラスト、自分との別れを惜しむ娘の愛らしい表情を撮り終えた亡き父は安心してあの世へと旅立っていったのである。
大林宣彦監督『異人たちとの夏』や黒木和雄監督『父と暮らせば』にも通じる感覚はどこか東洋的で、日本人の方が見てもわりとすんなり受け入れられる気がする。私なんぞは、一人旅で間違えてファミリーホテルにチェックインしてしまった時の居場所のなさを、この映画を見てふと思い出してしまった。のんびりとした昼下がり、他に何もすることがなくホテルのベランダで海パンを干している時に、階下から微かに聞こえてきた子供たちのハシャギ声。その声にボッチ感を増幅されて、いたたまれなくなった時の記憶がよみがえって来たのである。
(精子提供を受けて出産した?)赤ちゃんの鳴き声が隣室がら響いてきた時、大人になったソフィもまたトルコのファミリーホテルで居場所をうしなった時のなんともいえない孤独感を思い出したのではないだろうか。死んだ父親と同じ31歳になったソフィは、あの時の父と同じく自殺願望にとりつかれたのではないだろうか。その心の穴は意外にも深く、ソフィを〈あの夏の断片的な思い出〉へと、〈父のいるバルド〉へと導いたのではないだろうか。「パパ安心して、こんな私でもちゃんと家族ができたのよ、私は大丈夫」と伝えるために。
映画というよりアートっぽい
父親の心情に注目したい傑作
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