「処女作には、その作家の全てが詰まっている」aftersun アフターサン シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
処女作には、その作家の全てが詰まっている
自分自身がシネフィルなのかどうかは自分では分からないのだが、客観的にはシネフィルが好みそうな作品という印象がありました。
早い話、自分の嗜好だけで単純な判定はせず、個性的であったり新しい表現にトキメク習性があるのがシネフィル特性ですからね。
物語は凄く単純で欧米人父娘の昔の夏の旅行の思い出であり、娯楽映画では無いので特別な出来事がある訳でもなく坦々とした数日間の物語なので、当然エンタメを期待した人にはただ退屈なだけの、人を選ぶ作品になっています。
単調であるからこそ、その奥にある物語に対する描写の作家の特徴や工夫が観客を刺激し、特に今までに経験したことのない新しい描写に出合うことこそ映画好きの醍醐味でもあるのです。
だから、小説や映画に於いてタイトルの「処女作には、その作家の全てが詰まっている」という台詞がよく使われるのでしょうね。
本作はこの言葉の為に作られた様な、まさにその代表例の様な作品でした。
本作も少し前に見た『TAR』のように映像描写されている情報だけで、物語のテーマや本質についての台詞やストーリーでは一切語られていないので、あくまでも観客が想像し察するしかない(映像情報は沢山散りばめられています)作品になっています。
別にそれが分からなくても、観客自身が(私が)今まで体験してきた出来事、例えば青空を見上げた時の感覚、プールや海に飛び込んだ時の感覚、父親(母親でも可)との何げない会話の思い出等々、映画とリンクすることが必ずあり、それが本作のテーマと交わる時に何か胸に刺さる感覚を味わうだけでも、映画を観る意味はあると思っています。
しかし、情けない事に70代目前になると、本作の父親(31歳)娘(11歳)の年齢の時期の記憶は殆どなく、あの時期の精神状態がどんな感じだったのか思い出せないのが悲しいですね。特に思春期前の少女の成熟感は分からないなぁ~。父親の年齢の時はなんとなく思い出せるが私には子供はいなかったしね。
しかし、断片的な記憶が小さなシャボン玉の様に湧き上がり、この歳でもこのような作品でこういう感覚になれることは喜びでした。