aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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記憶や映像のフレームを超えて想いが沁み渡っていく
かつての父親と同じ年齢になった女性ソフィが、あの灼熱の陽光が照りつけるトルコで父と過ごした幼少期のバカンスを思い出すーーーこれは想像していた以上にシンプルな物語。だが味わいはとてつもなく深い。日頃は離れ離れの父娘が仲睦まじく時を刻む様に、まるでずっとホームビデオを見続けるような感覚を覚える人もいるかもしれないが、しかし時折「20年後の私」が挟み込まれることで、本作は味わい方がガラッと変わる。今だからこそわかる「父の想い」がソフィを介して我々の身にも切なく流れ込んでくるのだ。最愛の娘の成長に寄り添えない痛み。煌めきのバカンスが終わってしまう悲しみ。ありったけの愛を抱えながらうまくかたちにできないこの気持ち。記憶や映像をきっかけに、むしろそのフレームを超えたところにまで想いを馳せようとする創造的な試みがこの作品にはある。ダンスフロア。そしてラストのささやかな旋回。涙があふれて止まらなくなった。
アカデミー賞がなければスルーしていたかもしれない「隠れた名作」。何だかんだとアカデミー賞は凄いと感じる。
まず本作は、構成が面白い作品です。
基本は、「11才の思春期の娘と、31才になる父親との夏休みの風景」を描いています。
ただ、これらの映像は「20年前のモノ」なのです。
当時11才の娘が、20年後に「父親と同じ31才になった時」に、20年前に撮ったビデオカメラを再生し、楽しかった父親との思い出を振り返る構成になっています。
途中に巻き戻すような乱れた映像が出てくるのは、そのような背景があるからです。
この親子のやり取りが、妙に微笑ましくて、リアルな存在となっていて、ずっと眺めていたくなるレベルなのです。
それは、本作で監督・脚本を手掛け、長編映画デビューとなるシャーロット・ウェルズ監督の自叙伝的な要素があるからかもしれません。
加えて、父親と娘の演技が驚くほど「自然体」なのです。
父親役は、2000年に公開されアカデミー賞の作品賞と主演男優賞を受賞した「グラディエーター」の続編「グラディエーター2」で主役に抜擢されたポール・メスカルです。
そして、この何気ない自然な演技が評価されて、第95回アカデミー賞で「主演男優賞」にノミネートされたのです!
個人的には、娘役の新人フランキー・コリオも負けていないかと。
「ジュリア・ロバーツの子役時代」と言われたら信じてしまうほど女優然としていて、良い役者になりそうです。
さらに本作で鮮烈なデビューを飾ったシャーロット・ウェルズ監督。
この3つの才能が詰まった作品として見ると、より味わい深い作品になるかと思います。
いずれにしてもアカデミー賞に絡んだ作品は、何だかんだと出来の良い作品が多く、見る作品を選ぶ上での指標にした方が良さそうです。
2度と戻らない父親との時間へ観客諸共誘う
自分が親と過ごした記憶は、その後の人生で繰り返し蘇るもの。あの時、父はなぜそんなことを言ったのか?なぜそんな表情をしていたのか?子供の目には謎でしかなかった親の言動が、大人になって、何となく理解できることがある。でも、過ぎ去った時間は2度と戻らない。
これが長編デビュー作になる監督、シャーロット・ウェルズの自伝的作品と言われる本作は、父親と娘が互いにカメラを向け合い、撮り合った他愛のないトルコでの夏の映像から、謎めいた父親の姿が浮かび上がる。人目には父親というより兄にも見える若い父親は、表面的には屈託がないが、全裸で夜の海に飛び込んだかと思えば、人知れず号泣することがある。
ウェルズの演出は理由を明確にせず、観客に想像を促す。まるで、一緒にあの夏の日へ、父親と過ごした楽しく、ミステリアスな時間へ飛ぼうと言わんばかりに。
これは、近頃多くなった余白を楽しむべき映画の代表作。見終わった後、気になったショットの意味を誰かと語り合うことで、その楽しさが増幅する映画。そして、親との関係を改めて思い出させる映画。
震える肩の演技で父親の苦悩を表現するポール・メスカルが、さりげなく強烈過ぎてしばらく脳裏から離れない。つくづく俳優のクリエイティビティって凄いと思う。
気づかないうちに深淵を覗き込んでしまっているような映画
鑑賞三回目にして、ようやくこの映画の本質が少し見えてきた気がする。
初回の鑑賞後からずっと残っていたこの映画に対する違和感の正体がようやくわかった。
超現実感。
何てことない父娘の旅行を描いているだけなのに、全編に渡ってどこか現実を超越している空気がこの映画には漂っている。
まるで、いい夢なのか悪夢なのかわからないが、目が覚めたら泣いているような夢を見ている感覚。
楽しい思い出や、父娘の絆を描いているようでどうしようもない絶望と無力感を描いている。
一回観ただけではわからなかったが、思っていたよりもずっと深い闇が存在していたようだ。
このまま、4回、5回と見続けたら理解がさらに深まるのだろうか?
今のところ、現実とソフィの記憶と幻想、深層心理が交錯する詩的な映画であると理解。
気づかないうちに深淵を覗き込んでしまっているような映画。
この不安は何なのか
成りたい人間に成ればいい
フランキー・コリオ
観客に全てが委ねられたドキュメンタリー風作品
キラキラ眩しいような、感傷的で物悲しいような不思議な気持ちになる作品でした。
父の悩みも現在の状況も全てが観る側の想像に委ねられる余白だらけの作り。
私自身、父とは疎遠になっているので、
少しソフィの心情に重ねながら見てしまいました。
おそらく、本作の父カラムは既に亡くなっていると想像しますが、
まだ若い父の年齢に自身の年齢が追い付いてしまうのはとても切なく、あの時もっとできることがあったのではと後悔してしまいそうだなと思いました。
私自身は父と疎遠になって随分経ちますが、本作とは違ってまだまだ元気でいてくれているようです。会えなくても、どこかで元気に生きている、それだけで心が救われているのだなと改めて思いました。
映画というよりもドキュメンタリーのようで、鑑賞中も個人的な体験や心情をたくさん思い出しながら観ていました。それらも含めて見る側それぞれの中で本作が完成されていくような感覚があり、映画の作りとしても新しさを感じました。
また、カラムの「何でも話していいんだよ」という言葉がとても素敵で、
こんな風に言える親になりたいなと思いました。
キラキラとした思い出は
見る人を選ぶ作品
思春期の不安、冒険心
垣間見える親の人間としての顔、リゾートの中で見える大人の世界。気づいたら11歳のソフィに13歳の自分を重ねて見ていた。特に、音の使い方が見事だ。いちいち琴線に触れる。思春期当時の心情の音だ。当時の心の音を思い出すのだ。
なんの予備知識も入れずに見てしまったものだから、思わせぶりな演出で、ド派手な転調が来るのかとハラハラとずっと構えすぎつつ見ていた。どれが現実の時間軸で、どれが妄想か分からなかったし、まさかのホラー展開もあるのかと身構えた。結果なんも起こらんかったなぁ、でもそんなわけないよなぁ。からの解説を読んでようやく腑に落ちた。私の感じた音は思春期ならではの音かと思ったが、さらにすごいものです。2回見るか、または見た直後にしっかりと解説を読むべきなんだろうが、映画の中でそこまで補完してれば完璧だった。
全編悲しくなってしまい普通の気持ちでは観られない
昇りゆく太陽と、沈んでゆく太陽。 アフターサン。 同じ太陽、同じ星を、僕たちは離れている場所から一緒に仰ぐことが出来るのだろうか。
父親と娘。
別れて暮らす二人が、一夏の旅行を楽しみ、ビデオをたくさん撮る。
そして20年後に、あの時の父親と同じ年になったその娘が、父親との一夏を回顧するストーリーだ。
僕も、
早くに離れて暮らすことになった娘のことを、思い出しながら観た。
「お父さんにもっと可愛がってもらいたかったな・・」と、
面会に行った日に、夜の公園で、ガードレールに腰掛けて告げられた。
娘と遊ぶこと、
娘を叱ること、
娘に護身術を教えること。
すべて娘あってのことなのだ。
エジンバラ訛りの父親と娘が、たくさんのおしゃべりをし、お互いに気を遣い、少し疲れて無口な時間を挟みながらバカンスを過ごす。
誰だってそうだろう。
程度の差は有りこそすれ、一緒にいる時間が足りなかったし、愛し方が足りなかったと、自分に悔いるのだ。
夏の日はあっという間に過ぎ去る。
その痛みを、若き女性監督がみずみずしい感性でカメラに刻んだ。
「生きたい場所で生きろ」
「なりたい自分になれ」
父親は遺言のように娘に語り、自分自身にも言い聞かせる。
父も、そして娘も、
漂泊の人生を生きながら家族を想うのだ。
娘と遊ぶこと、
娘を叱ること、
娘に護身術を教えること。
すべて自分あってのことなのだ。
大人になった自分と、子供時代の自分の、ちょうど中間の世代に立って、監督はこの父親と娘の物語を
よくここまで頑張って優しく撮ってくれたと思う。
生きてて欲しいと強く願ったが、
心象風景は冒頭からのヤバい雰囲気。そしてたくさんの伏線のシーンと、「さようなら」のカードが、
「やっぱり駄目だった事」を僕に教えてくれるから、
ものすごく辛い映画だった。
子供だったのだから、どうしようもなかったではないか。
名作だけど、あまりにも悲しい映画だった。
酷だ。
ソフィには見せたくないビデオだった。
まさかこんなに泣かされるとは‥予想外でした
グラディエーターⅡで初めてポール・メスカル氏を知ったので
どのような俳優さんなのかみてみたくて
この作品を鑑賞してみました
芸術性が強い難解な作品を予想していました
でもとりあえず観てみたら
退屈なところもなくて
とても良かったです
父と娘の微妙な関係
離れて暮らす親子の繊細な感情
不安定な気持ちの動き
そいうところがうまく表現できていました
めちゃくちゃ感情移入できました
音楽も良くて
特に最後の「アンダー・プレッシャー」が長めに流れて
感極まりました
本作は実際に娘がいる父親さん達には
特別な思いで鑑賞できる作品ですね
父と息子ではまた違ったものになるだろうし
父親を嫌いじゃない娘さんが
大人になった時に父親の若い頃を思う感情が
うまく表現されている作品
それにしても
グラディエーターⅡとは全く印象が違う
ポール・メスカル氏
繊細な役もいいですね
今後もご活躍が楽しみな俳優さんです
自分には合いませんでした
わかりにくい映画でした。2回見たいとは思いません。眠たくなります。このストーリーならショートムービーで充分だと思います。
ホームビデオで撮影された他愛もない親子の映像を見せる意味はラストの伏線なのはなんとなくわかりましたけど、あまりにも長い。他人の結婚式の動画を見せられてる感じでした。そしてラストのオチも途中から何となく読めてしまいました。
こんなにほのぼのしてるならラストはひっくり返してくるだろうと。予想通りでちょっと拍子抜けでしたね。
2時間使ってホームビデオで撮影した映像から親子関係を間接的に訴えるよりも、もうちょっとしっかりストーリーを作り込んで欲しかったです。視聴者に丸投げしすぎです。オチまで間接表現でボヤけまくっる印象しかなかったので、何を伝えたいのかわかりませんでした。
ものすごく高評価なので気になって見たので時間を返して欲しいくらいです。
伏線だらけ
悲しい
同年代の娘を持つ母として、また離れて暮らしているのも同じの私としては泣ける
我が娘と我が夫と重ねて観たらなかなかヤバイ。。。
我が娘が大きくなったら、時が来たら、アフターサンを観せようと思う。夫は亡くなったわけじゃないが。
終始パパが暗かったのはそういうことだったのか、、
形見にしようとお金も無いのに背伸びして買った高級絨毯。。。。
購入した時も死を考えていたなんて、辛い、、
伏線がたくさんあった
伏線で、このパパは長生きしないんだろうなあ、、と読み取れた。(自分が40代なんて想像できないという青年との会話や、スキューバダイビングでソフィがビデオ撮影した際に『バイバイ、バイバイ、バイバイ、バイバイ、』と少し茶化した口調で連呼していた、)タバコ吸っていて伏線で娘が「タバコはガンになるよ」と言っていたからガンなのか?とも思い、娘に余命短いけど隠してるんだろうなあ、と思っていた。
鬱で自殺を考えていたんだね、パパ。。
だから終始暗かったんだね。
暗いと思いきやダンスはノリノリだったり感情の浮き沈みもあったんだね。
残されたソフィは悲しすぎる。。
父親が自殺は辛すぎる。
、、、なんとも良い映画だった。
私の中で星四つはなかなかない。
よっぽど、余韻に浸ることができたか、もう一度観たい、と思えるか、心にシーンが残るか、で評価するがこれは星四つ。
ちなみに星5つはモダンタイムスやタイタニックなど。
暗喩が多すぎてわかりにくい
両親が離婚して母親と暮らすソフィが、久々に父親とトルコ旅行する話。映画の大部分は父親と娘との交流であったが、非常に素晴らしく描かれていた。
父親が深夜の海に行ったので、自殺するんじゃないかと心配したが、ちゃんと部屋に戻って裸で寝ていたシーンがあったので安心した。いずれにしても、所々に忍ばせている暗喩がなかなかわかりにくいので、ややフラストレーションが溜まった。
深い傷跡を癒すローション
この作品のほとんどがビデオ映像で構成されている。
そこにあるものが、11歳の誕生日の記念に父が娘ソフィと一緒に出掛けたトルコ旅行
タイトルは「日焼け後のローション」という意味で、この作品のテーマと一致する。
このローションは彼らの旅で何度も登場する。
それは単なる日常の光景だが、日焼けという疼くような痛みとそれを癒すローションを、ソフィの心の痛みとそれを癒すビデオ映像に被せている。
単なるビデオではあるが、実はこのビデオを見ているのは成長したソフィだということが最後にわかる。
さて、
ソフィはこの11歳の記念バカンスに父と出かけた際、「パパは11歳の誕生日のこと憶えてる?」と聞く。
父は当然「そんな記憶はない」と答えるが、これがこの作品の大きな伏線となっている。
何故ソフィはそのビデオを見ていたのだろう?
時折挟み込まれる謎の映像がある。
それはクラブの様子やこの旅のものではないと思われる映像だ。
それは父の記憶だと思われる。
最初は何を意味しているのか全く分からないが、おそらくソフィの11歳の誕生日を最後の想い出にして、父は自殺したのではないかと想像する。
彼女がトルコの遺跡で、観光客に依頼しみんなで一斉に父の誕生日を祝う歌を歌ったことが、彼の心の奥に深く突き刺さる。
娘のために最後のプレゼントとして用意した旅で、自分自身が彼女に祝福されることなど夢にも思わなかったことが要因の一つだが、それとは別にすでに自殺を決意していたこと、つまり妻との出会いとソフィの誕生と彼女らがすべてだったことが、もうすでに取り戻せない過去になってしまった父の絶望感がその背後にある。
ソフィに宛てたハガキ 大泣きする父 そこに描いた別れの言葉がそれを示唆している。
成長したソフィは、何故父が自殺したのかを、あの時のビデオの中から見つけ出そうとしているのだろうか?
その背後にあるのが、現在の自分自身がこれでいいのかどうかわからなくなっているのではないかと、つい考えてしまう。
しかしこれは日本人的思考だろう。
さて、、
当時彼女は思春期を迎えていたが、周囲にはまだ小さな子供たちや高校生ほどの大人たちしかいなく、ゲームセンターで出会った同年代のマイケルも彼女のタイプではない。
しかし、長期バカンスの間に何度か彼らと交流したことで身の丈を知ったというのか、彼らとの違いを肌で感じたのだ。
それでもマイケルに誘われ秘密のプールに行き、変な告白を受けてキスを体験する。
そんなことも父に話した。
父は「何でも話してくれ」と言った。
二人はカラオケ大会に行く。
すでにソフィーは曲を申し込んでいて、それは父が好きな歌だった。
彼女は父と一緒に歌いたかったのだが、何故か父はステージに上がってこない。
仕方ないので一人で歌うが、その目はチラチラと父を見ている。
中途半端な気分で席に戻ると、父は「歌のレッスンを始めればいい」というが、「お金もないくせに」とダイレクトに言葉にしてしまう。
急に気分が落ち込んだ父はすぐに部屋へと帰ってしまった。
しかし父はトルコの絨毯屋で、850ポンド(17万ほど)もする絨毯を購入している。
これはおそらく有り金全部をこの旅で使い切るつもりだったのだろう。
思わず口に出た「歌のレッスンを始めればいい」という嘘を娘に見透かされ動揺してしまったことが伺える。
同時にこれが父の問題だったのだろう。
好きだった歌とはすでに過去のもので、その歌の中にはきっと妻がいたのだろう。
すでに過去になってしまったその歌を、どうしても父は歌うことなどできなかったと思われる。
どうしても無理だったのだ。
11歳という中途半端な数字
そこに合わせた通常ではない豪華なロングバケーション
ソフィが最初から違和感を持つのもよくわかる。
当時彼女はそんな違和感を感じていながらも、それは楽しい旅行としか認識しなかった。
しかし、
楽しさと同時に言葉にできない不安のようなものは、二人の間にある妙な無言の間に感じることができる。
楽しいひと時と平行線上に見え隠れするどんよりとした謎の気分
妻との離婚
それはおそらくソフィが7歳になる前のことだったのだろう。
電話で話していた父と母との会話で聞こえた「エンゲージ」という言葉が、11歳になっても耳に残っていた。
無邪気な11歳はその時の記憶を父に言う。
「パパとママがこれから結婚するんだと思ってた」
しかし実際は、すでに離婚し今後の話をしていたに過ぎなかった。
そんな正直な思いをつい言葉にしてしまう。
父にはすでに帰る場所などないのだろう。
父とチェスをしながら、ソフィは故郷スコットランド・エジンバラには戻らないのかと尋ねるが、父はそこは自分の故郷ではないと答える。
ソフィは父の言葉に乖離を感じ、母とやり直してほしいことは言えない空気を感じる。
この時のソフィの隠された気持ちに加え、父の押し殺している気持ちを彼女は見つけ出したかったのだろうか?
これはソフィにしかできない作業だ。
父はソフィに「生きる場所を見つけ、なりたい自分になりなさい」という。
人生や運命やその他多くの普遍的問いかけについて、ソフィは普段から考えているのだろう。
父が残した、おそらく後日送付してくれたビデオを見返しながら、父という人物像について考え続けているのが、この物語の根底にあるものだ。
思春期の最初のころ
大人が遣う言葉の意味を知るころ
そしてソフィが持つ哲学的思考
考えても答えが見つからない父の死の真相と心理
現在の彼女は、パートナーである彼女と同棲し、自分または彼女が生んだ子と一緒に暮らしている。
ベッドの下に敷いてあるのは、あの日父が買った絨毯
赤ちゃんの泣き声
「私が見てくる」
そう言ってソフィは立ち上がる。
パートナーが「ハッピーバースデイ、ソフィ」という。
おそらくこの言葉によってソフィは11歳の誕生日を思い出したのだろう。
決して忘れることができなくなったあの誕生日
パートナーが出掛けた後に一人でこのビデオを見始めたと思われる。
そこには彼女の心の傷と父という癒しそのものが映っている。
ソフィはこの時、この「誕生日おめでとう」という言葉を聞く度にあの日の誕生日を思い出しているのかもしれない。
現在の彼女の様態から、当時思い描いた姿とはかけ離れているように思われるが、彼女の心に今も日焼け痕のように疼いている痛みこそ父の自殺だ。
彼女にとって癒しとなるのは生きていたころの父の映像を見ることだけ。
それだけがローションとなって父の存在を感じることができ、癒しになるのだろう。
この作品にはストーリーはない。
しかし、
誰にでもある愛する人の死という心の痛みが描かれている。
現在の自分がどうであれ、その痛みは間違いなくあるのだ。
それを癒すことができるのは、生きていた証
特に当時の映像は、当時そのもので、見るたびに繰り返される痛みに対する赦し、つまりローションがそこにあるのだろう。
かなり深く心がえぐられる作品だった。
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