「核抑止について考える契機にはなるが、それを絵空事にしないためにも、最低限のリアリティは必要なのではないか?」沈黙の艦隊 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
核抑止について考える契機にはなるが、それを絵空事にしないためにも、最低限のリアリティは必要なのではないか?
海江田の海将補の階級章は海上自衛隊のものなのに、帽子はアメリカ海軍で、しかも将官用ではなく佐官用・・・
殉職した(ことになっている)79名全員が2階級特進のはずなのに、海江田(2等海佐から海将補に昇任)以外の乗組員は元の階級のまま・・・
物語に直接関係はないものの、こういう細かい所がしっかりと作り込まれていないので、あるいはきちんと説明されていないので、すんなりと作品世界に入り込むことができなかった。
そもそも、死亡を偽装した海上自衛隊員を米海軍に所属する原子力潜水艦に乗り込ませて、日本政府が何をやりたかったのかがよく分からない。例え、自衛官が運用するにしても、指揮権はあくまでも米海軍にあるはずで、日本が自由に「シーバット」を使うことはできないのではないか?
冒頭、海江田が反旗を翻すまでの展開が早すぎて、そういったことがまったく説明されないため、完全に話に取り残されてしまうのである。
その海江田の独立宣言にしても、「世界を1つの国家にして、戦争をなくすため」という理由は、あまりにも突拍子もなく感じられ、絵空事にしか思えない。これは、言わば、核抑止を絶対視する考え方で、「核による恫喝」の下での平和の維持に他ならない。
それ以前に、核抑止は、こちらが「本当に核兵器を使う」と相手に思わせることによって初めて成り立つものであり、デモンストレーションとして実際に核爆発を起こしてみせるならまだしも、「弾頭は通常にあらず」という通知だけでは、とても抑止にはならないだろう。
米海軍の第7艦隊にしても、せっかく「やまと」が浮上して、衝突、砲撃、爆雷攻撃(アスロックなのに、なぜか魚雷ではなく爆雷!)と、3回も無力化するチャンスがありながら、いずれも警告だけに留めたのは、腰が引けているというか、間が抜けているとしか思えない。
いくら、相手が核兵器を保有している可能性があるとはいえ、あの状態でハープーンで攻撃されるおそれはないので、核の脅威を早期に取り除くためにも、躊躇せずに攻撃・撃破するべきだっただろう。
いずれにしても、「やまと」の抑止力を機能させるためには、たった1隻で、世界最強の米海軍を凌駕するだけの戦闘能力があることを示す必要があるはずだが、本作の目玉である潜水艦同士の戦いにしても、あまりにもリアリティがなさ過ぎて、「やまと」の強さに説得力が感じられないのは、作品として致命的ではないか?おそらく、海江田は、海底の地形や沈没船の位置を把握していて、それを利用して、敵の魚雷を迷走させ、敵艦を海底や沈没船に突っ込ませたということなのだろうが、そんなことはあり得ないし、基本的に方位しか分からない「音」だけが頼りの潜水艦戦の醍醐味を、自らぶち壊してしまっているとしか思えない。
どうせなら、海江田の原子力潜水艦と深町のディーゼル潜水艦の戦いも見てみたかったが、そうなると、どうしても性能的に大きなハンディのある深町の方を応援してしまうので、海江田の「主人公」という位置付けが危うくなってしまうだろうが・・・
なぜ、「やまと」の乗組員全員が海江田の考えに賛同し、行動を共にしているのか、特に、兄を海江田に殺されたといっても過言ではない隊員が、なぜ海江田に付き従っているのかなど、説明不足で消化不良な部分が多いのも気になる。
物語としては、まったく完結していないし、当然、シリーズ化も見越しているのだろうが、もし、次回作が作られるのであれば、そういったところもしっかりと描いてもらいたいものである。