夏の終わりに願うことのレビュー・感想・評価
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なかなか会わせてもらえない父
ある夏の日、7歳の少女ソルは大好きな父トナの誕生日パーティのため、母と一緒に祖父の家を訪れた。病気のため祖父の家で療養中の父と久々に会えると喜ぶソルだったが、父になかなか会わせてもらえず、いらだちや不安を募らせていった。ようやく父との再会を果たしたソルは、それまで抱えていた思いがあふれ・・・てな話。 あそこまで父をソルに会わせない必要があったのか、そしてお金の問題は切実なんだろうな、と思った。 ただ、ちょっと冗長な印象。途中で退屈になった。 ソル役のナイマ・センティエスは可愛かった。
誰もが辿る物語
病気療養の為に祖父の家で静養している父の誕生日パーティの為に、家族が久しぶりに集まり、娘のソルも久しぶりに父との対面を果たします。その1日をドキュメンタリー的に記録した物語です。 父はかなり重篤な病で、それほど先も長くなさそうである事が暗示されます。ソル以外の大人たちは皆、その事を理解しているというコントラストが残酷に映ります。いや、ソル自身も薄々分かっているのかもしれません。大人たち一人一人にはそれぞれ生活の事情もあるのですが、なんとか明るくパーティーを盛り上げようとします。 この歳になってこんな映画を観ると、視点は完全に父親側になります。「みんなの気持ちは嬉しいけど、もう静かに逝かせてくれ」って思うかなぁなどという思いが頭の中でグルグルしました。 ソルのアップでフッと途切れるエンディングは、人の死の象徴なのかなぁなどと感じました。
予告とチラシでだいぶミスリードされた作品
亡くなる寸前であろうお父さん(主人公ソルの)に、家族・親族・友人たちが いろんなメッセージを送るパーティーのシーンがクライマックスになっていて 最近母を亡くした私は、母のことを思い出しながら観ていました。 そもそも、そういう映画だと思っていなかったんですね。 主人公の女の子ソルの視点で、お父さんにお別れをしていくまでのプロセスを 描いた映画で、きっと号泣するに違いないと思っていたわけですが 全然違いましたね(笑) 家族なんですよね。家族としての視点。 視点というと、やはりそこは子ども視点なんだけれど、そこから観た お父さんにお別れをしていくための準備と生前のお別れパーティー的な そういう話でしたね。 これってドキュメンタリー?というくらい、その1日だけを切り取った映画なんですよね。 ストーリーがあるというより、お父さんとお別れをするためのパーティー実施の1日を描いています。 なかなかな切り口ですし、つくりあがりも素晴らしい映画だなとは思いましたが、 私としては、『コット』的な主人公の女の子視点を期待していたので、 そこはちょっと期待とは違っていましたね。 ※予告とチラシを観る限りは、そういう映画だと期待してもおかしくないかと思うんですね それにしても主人公ソルは良い味を出していました。 演じた子役、ナイマ・センティエスちゃんには今後も期待しております。
母娘でトーテムポールオペラ
ソル(太陽)ちゃんがとてもかわいい美人さんなので鑑賞。お母さんはなかなか色っぽいエキゾチックな美人さん。ストリッパーかと思ったら、オペラ歌手みたい。公衆トイレで親子で長居。いつまで入ってるのよ~早く出なさいよと怒られる場面から始まる。お母さんの放尿音がこれまたすごい。お父さんの姉妹も二人いて、ソレちゃんの従姉妹と短髪のお母さんもシャワーが長い。バースデーパーティーのために白髪染め中のおばさんは台所の流しで洗浄。キッチンペパー使いすぎ。 メキシコの大家族のトイレ事情。 たぶん膵臓がん末期のお父さん。おばあちゃんは亡くなっているので、お父さんの世話を焼くあのおばちゃんは誰かと思ったら、お手伝いさん。おじいちゃんは盆栽に夢中。松じゃないヒノキみたいな針葉樹。 原題は Totem. ト ーテムポールのトーテム。確かに一族結集するバースデーパーティーはさしずめ生前葬。カタツムリ、インコ、犬、カマキリなど動物たちがアクセント。メキシコの大家族(一族)はつよい。 ソルちゃん。 最後は大泣きかと思ったら、全然泣かない。 お父さんに似て芸術家になるんでしょうか。
新しい名作の誕生。傑作というよりは名作と呼ぶ方が相応しい気がする。 期待度◎鑑賞後の満足度◎ リピート:是非 シェア希望度:映画ファンとしみじみと…
①作風も描き方も全く違うが小津安次郎の作品(特に『麦秋』)を思い起こされた。
末期癌の弟の、恐らく最後になるだろう誕生パーティーの準備を姉達をはじめとする家族達が
願いの彼方
「夏の終わりに願うこと」実家で療養中の末期癌の父親の誕生日パーティーに訪れた少女。単純な父娘愛の話ではなく、家族が迎える死という抗えない現実に苦悩苦闘する人たちと、父親の回復を祈りながら、その不穏な空気を観察する少女の物語。誰もが直面する普遍的な話を少女の1日として描いた秀作。 「何も起こんないじゃねーかよー」という声もあるみたいだけど、個人的には起こりまくりで疲れました。
家族3人のイマジネーションあふれる時間に比べ、きょうだいらの愚か...
家族3人のイマジネーションあふれる時間に比べ、きょうだいらの愚かしさ、騒がしさ。父親も盆栽に引きこもる。妻はこの家族と距離をとってるのか、仕事が忙しいのか。ベロベロになってゴッホのケーキを作る姉。お祓いも愚かしい。量子療法? 彼はやっとのことなのに、このパーティは本当に彼が望むものなのか。 娘の側の繊細な視点に自伝的要素も感じる。 それでも彼は優しい。 死を恐れ、動物が好きだからこその自然なのか。 声を失っている父とカラスのエピソードもうまい。子どもはおじいちゃんの発声器もおもちゃにしてしまうのだけど、おじいちゃんはそれを許せない。
旅立ちを抽象的に描いた作品
あらすじにも記載されているように、主人公のソルが病気療養中の父親トナの誕生日パーティーに参加するために祖父の家へ母ルシアと共に向かっている道中に橋に差し掛かると、渡っている間に息を止めていたら願いが叶うというゲームをやり始める。橋を渡りきりソルがルシアに願ったことを打ち明ける。
パパが死にませんように。
7歳のソルには、父親が今どんな状況におかれているのかも、祖母の死ですら何で亡くなったのかがわかっていない。つまり、人の死という概念がないから理解が出来ない。
わかっていなくて当然だと思う。
だから、父親といつになってもあえず苛立ちを募らせ落ち着いていられない心情が伝わってきた。
その一方で大人たちが話す、トナの治療費をどうすべきか、父親ではもう金銭面で工面が出来なくなっている、延命治療を受けるべきか否かって話も、治療する期間が長くなればなるほどお金が消えてしまう。そんな会話のやりとりで次第に答えが見えてきた。今まさにあの世への階段を上ろうとしている最中なのだ。
そして迎える誕生日パーティーの際に、トナが立つのも支えがないぐらいの弱った身体を、来てもらった招待客に決して弱っている様子もみせずかたやトナが来年の誕生日にはもう祝えないことを重々わかっているから精一杯祝ってあげる。
パーティーが終わり、トナが寝ていたベッドは綺麗に整っていた。たくさんの方々に祝ってもらい旅立ったということだろう。
生きていてほしかったというソルの願いは叶わなかったが、トナがソルに生前に話した"いつもそばにいる"という言葉は間違いないだろう。
別れは残酷
通常スクリーンで鑑賞(字幕)。
病気の父親の誕生日の1日を追うドキュメンタリーを観ているような、自然体の演技が胸に迫って来る。
7歳のソルを中心に据えた作劇で、家族のそれぞれの行動などから、様々に揺れ動く感情が溢れ出していた。
誕生日と云う「生」を祝福する日なのに、目前に迫っている別れから連想させられる「死」がどうしてもまとわりついて来て、心がざわつき、掻きむしられるように痛んだ。
誕生日ケーキを前にしたソルの姿が印象に残る。果たして来年も父の誕生日を祝えるだろうか。台詞無しの表情だけの演技だが、少女の内面を見事に表現していて胸が詰まった。
星はいつも三つです。
リラ・アビレス監督『夏の終わりに願うこと』
奇跡のような作品。
主人公は七歳の少女。闘病中の父の誕生パーティーに親戚や知人が大勢集まる。パーティーの一日を描く。
冒頭、少女と母親が公衆トイレで用を足す場面。少女が便器を空けないものだから母親は我慢できずに洗面台で用を足して
しまう。
また父はもう起居もひとりではできず、失禁してしまうのが厭だといってパーティーに出たがらない。
集まる親類たちの細やかな気遣いや、気遣う者同士であるがゆえのちょっとした諍いの場面がフラットに重ねられていきます。
夜になってパーティーが始まるが父はなかなか姿をあらわさ
ない。少女はいらだち、パーティーの参加者がふざけて操作するドローンに棒を投げつけたたき落とす。
ようやく父が登場。ひとりひとりと心のこもった交流。小さな気球があげられるが、炎が燃え移り気球は落ちる。炎に照らされた少女の表情の美しさ。息を呑みました。
父へのプレゼントとして母
親に肩車された少女がオペラ『ルチア』のアリアを口パクで歌う。見惚れるほどの少女の表情の豊かさ。
そしてバースデーケーキのロウソクに照らされた少女の顔。パーティーのざわめきがスニーフアウトしてなにやらわからぬノイズになる。一分間以上、少女の顔だけを押さえ続ける。目を伏せ、目をあげ、微妙に移り変わる少女の顔。スクリーンを凝視していると少女が急に大人になったようにも見えます。
このカットの演技、監督は少女にどういう指示を出したのか。どうすればこのような表情が可能なのか。ラスト近くの奇跡のカットでした。
予告見なきゃ良かった。。。期待外れの映画
父親と娘の絆の感動物語を期待してたのに、ガッカリ(^^;; 主人公の女の子は可愛いのに、逸材を生かしきれてない(^^;; それぞれのシーンも、ブツ切れで、観てる者に、何を伝えたいのか、監督の意図がわからない??? 睡魔に勝てなかった(^^;;💦つまらなかった。
アフターソル
ひたすらホームビデオを見せられる、『アフターサン』の亜種のような印象。
父の病状を隠しながら接する親族と、それを受けて何かを感じていく主人公…
といったものを想像していたのだけれど、あまりそういった揺らぎのようなものは感じなかった。
子供たちは当然としても、大人たちもそれぞれ勝手なことをしていて若干苛立つ。
パーティの準備もするが、トナに想いを馳せるような様子はあまり見られない。
多少のピリピリ感はあるが、それが日常かもしれず、必死に取り繕ってる雰囲気でもない。
ソルに対しても「ナイーブな状況だから」という台詞はあるものの、気遣ってるようにも見えず。
そもそも一番複雑なハズの母親が大半で席を外している。
肝となるべき再会も、中途半端なタイミングと状況でヌルッと成され、その後のパーティもダラダラ長い。
トナの喜びや刹那さや遣る瀬無さなどが綯い交ぜになった表情は見事。
最後はケーキの蝋燭に照らされながら、いきなり真顔になったソルのアップで終劇。
無邪気な幼さから、急に大人びた表情を見せる主演の子は素晴らしい。
最終的には父の死期を悟り、覚悟をしたように見えたが、そこに到る流れがまったく見えない。
母を離れさせたのが孤独にさせるためだとしたら、もっとそこを映すべき。
親族、友人など誰が誰だか分からないキャストを大勢出すのでなく、主役を掘り下げてほしかった。
ってか、途中のDAIGOみたいなアルファベット略語は何?
本当の願いは心の中にしまったまま、その灯火の熱とともに昇華されていく
2024.8.13 字幕 アップリンク京都
2023年のメキシコ&デンマーク&フランス合作の映画(95分、G)
少女が大人の事情を理解する過程を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はリラ・アビリス
原題の『Tótem』は「伝統的な家族や部族が信仰する、動植物や自然現象」のことを意味する言葉
物語の舞台は、メキシコシティ
疎遠の父トナ(マテオ・ガルシア・エリソンド)の誕生パーティーのために祖父ロベルト(アルベルト・アマドール)の家を訪ねることになった7歳の娘ソル(ナイマ・センティエス)は、母ルシア(イアスア・ライオス)とともに公衆トイレでパーティーの出し物の練習をしていた
トナは病気療養のために実家に帰っていたが、ソルはそのような事情は全く知らされていない
実家では、トナの姉で次女のヌリア(モントセラート・マラニョン)とその娘エステル(サオリ・グルサ)がケーキなどの準備をしていて、長女のアレハンドラ(マリソル・ガセ)は霊媒師のルディカ(マリセラ・ビラルエル)を連れて部屋の浄化作業などを行なっていた
煙を使う施術にロベルトは怒り出し、そして遅れて、トナの兄ナポ(ファン・フランシスコ・マルドナド)がやってきては、量子療法の儀式を始めてしまう
ソルは意味がわからないまま、なかなか父と会えないことに苛立ちを隠せずにいた
父はヘルパーのクルス(テレシタ・サンチェス)が面倒を見ていたが、家計は逼迫し、クルスや主治医の支払いも滞りがちになっていた
モルヒネによる緩和ケアを選択したものの、姉兄の間では抗がん剤を使用した方が良いのではという意見も飛び出し、それでも本人の意思を尊重すべきという意見がそれらを封じ込めていた
映画は、何も知らないソルが、父の実家に来たことで「いろんな大人たちの会話」を耳にする様子が描かれていく
そして、彼女の中で父に起こっていることを理解していく様子が描かれていたが、その理解をあっさりと壊してしまうのが、父がバースディケーキの前でこぼしたひと言だった
おそらくは末期癌の状態で予後も悪く、ひとりで起き上がれない父なのだが、彼を取り巻く人々は愛情いっぱいに彼に接していく
それぞれには思惑があるものの、そこに溢れるものは確かな愛であって、彼のために何かをしたいと考えていた
また、今回の誕生日が最後になる可能性もあり、それぞれはどことなくそれを感じている
そういった言葉に出さないものをソルが理解する、という流れになっていた
映画のラストでは、バースディケーキを眺めるソルが描かれ、それが長回しの映像になっている
それを吹き消すことなく映画は終わるのだが、これは「ソルがケーキのローソクを父の寿命に見立てている」という意味合いになるのだと思う
直前の父のセリフ「願うことは、ないかな」という言葉によって、ソルは父が長くないことを悟り、その火を自分では消せないというニュアンスになっているのだろう
映画のラストショットはきれいに整えられたベッドが描かれ、それは父の死を意味するのだが、言葉で語ることなく、映像で状況や感情を描いているのはすごいと思った
いずれにせよ、物語としては「ある家庭の日常を眺める」という内容になっていて、一同に介すると、それぞれの諸事情をぶつけ合うというのは家族あるあるのように思える
彼らはトナの病気のために何かをしたいと考えているが、その方法論が彼らの人生を表しているようで面白い
それでも、事情を知らない子どもたちの前では隠語を使って話したりするので、これまたリアルな家族模様になっていると感じた
ひと夏のある1日の出来事だが、ラストのソルの表情を観るために、それまでの時間があるように思えた
パンフレットには人物相関図(家系図)が載っているので、ややこしい人間関係を把握するには最適の素材だったので、迷っている人は「買い」であると言える
太陽の子
病気の為離れて実家で暮らす父親の誕生日パーティに参加する為、祖父母の家を訪れた7歳の少女の話。 母親と共に祖父母の家を訪れてたものの、母親は仕事の為にしばしお出かけとなり、伯母さんや従姉妹や祖父母や伯父さんと交流をするけれど、夜パーティに参加する為に今は寝ているという父親にはなかなか会えず…というストーリーで、一応みんなと過ごしてはいるけれど、寂しさや孤独や壁や疎外感が…という感じ?かと思ったら、なんかそういう話してもない感じ? やっと父親に会えて、そして母親とも合流し、まさかのそこから「夏の終わりに願うこと」? しかもその表情? お国柄が違うからにしても、なんかイマイチしっくりこない終わり方だし、作品自体もそれを言いたいだけ? なんかそれまでは何だった?な、とっ散らかってしまっている印象でなんだか思った感じと違った。
恐れ入りました
重病患者がパーティーの後に人知れず息を引き取る(あの風に揺れるカーテンはそれを暗示しているのだろう)という展開はプッチーニの「ボエーム」を思い出させるが,それだと冷たくなったトナを最初に見つけるのはソルなんだろうなぁ…それでも,あの蝋燭シーンを見ているとそれを受け止める準備は既に出来ているようでもある。真相を悟り決意を固め仄かに色気すら漂わせるとは,なんという演出と演技力だろう!
夏には死の匂いがした。
7才の少女ソルを中心に重病(ガン?)で明らかに最後の時が近いその父親、歌手の母親、叔母達、従兄弟達等の近い将来大事な一員を失うであろう家族の一日を淡々と映した映画でした。 本物の家族としか見えない役者さん達の素晴らしい演技を過不足なくとらえた監督は死の匂いの立ちこめた夏の空気をフィルムに閉じ込めたと感じました。 「ミツバチのささやき」の様な少女を主人公とした映画なのかなと何となく想像して観賞しましたが全然違いました、情け容赦なく淡々と死にゆく人とその近しい人達を描写した冷徹な映画です。
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