アダマン号に乗ってのレビュー・感想・評価
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説明最初に欲しい
2023年劇場鑑賞104本目。
内容ほぼ知らずに鑑賞。セーヌ川の船のドキュメンタリーということで面白観光客エピソードかなと思っていたらなんかずっと一般人がしゃべっているのを映すだけ。
日本のドキュメンタリーなら一回客観的視点からこの施設の紹介をして、この人たちがどういう人か教えてくれるのでしょうが、彼らの会話からどうも病院に通う話が多いな、それもだんだん精神科っぽいなということがやっと分かってきて初めてこの映画の意味がわかります。
あくまで精神病患者なので会話は知的障害者の話す内容とは異なり普通の事を話しているだけに思いました。ありていに言って面白くもなんともなかったです・・・。自分は障害者と関わる仕事をしていて、、普段自分からは絶対生まれない思考回路からの対話をしているので、日々の体験の方がよっぽど映画になるかな(笑)
せめてラストのようなディベートみたいなのがもっとあればよかったのかもですが、あれだって患者とカウンセラーがちょっと話し合っただけで、患者同士がその場にいる相乗効果みたいなものは全く感じられませんでした。
いや最後に説明するんかい!
動かないけれども、セーヌ川に浮かんだ『ひょっこりひょうたん島』の実写化かも…
①私はこの映画を前にして自分の言葉で表せるものが見つからない。(タイトルも必死に頭を絞って今朝浮かんだ。頭を絞ってもこの程度ですが)
映画の最後のクレジットでとても印象深い言葉が綴られた。
“世の中の風潮に抗って個人の尊厳をあくまで守る場所が実在する”そんな文章だったと思う。
それを確かめたくて珍しく鑑賞語にパンフレットを購入したが残念ながら載っていなかった😢これは「もう一度観なさい」ということかな。
②監督の言葉を借りると「精神科医療の世界に押し寄せる均一化、非人間化に抵抗し、個人個人に共感的なケアをする場所が実在することを知って欲しかった」というのが本作作成の動機ということだが、ただ、精神疾患のある人に限定した言葉ではなく、現代に生きる我々全員に向けられた言葉の様に思えたから。
③「デイ・ケアセンターの話」という前知識だけ仕込んで見たら(母親が後期高齢者のデイ・ケアセンターに通っているので)、なんとメンタルケアセンターの話だった。それも非常にユニークな形の。(弟が統合失調症患者なので、何とも不思議な巡り合わせ)
④セーヌ川に浮かぶアダマン号の船頭の鎧戸の様な窓が、営業開始と共に徐々に開いていく映像が好きだ。
まるで眠っていたアダマン号がゆっくり目覚めていくように。
⑤冒頭、一人の男性が熱唱するフランスのロックバンド「テレフォン」の曲という『人間爆弾』の歌詞に先ずは心が鷲掴みにされた。「自分を手放すべきじゃない、絶対にダメだ」という部分が本作のテーマの一つと共鳴しているが、私はそこより「心の近くに爆弾のスイッチがある」という歌詞に心がより反応した。
⑥他にも印象的な言葉が幾つも出てくる。特に患者さん達の口から。まるで哲学者のようなことばもある。
⑦最初は精神疾患者のケアセンターとはわからない。だって患者とお医者さんとの区別がつかないもの。そのうちに、それらしい人が出てきたり見分けが付いたりしてくるけれども。
⑧ある女性患者が描いた絵の色使いが大変美しかった。絵を描いたり曲を作ったり。各自の創造性を引き出そうとするプロジェクト。
有名な画家や芸術家、小説家、ミュージシャンには精神病を患っていた人が多いというのも知る人ぞ知る事実。多すぎてここで名前は上げないけれども。
⑨劇映画は、どんなに現実や事実を反映したものであっても、あくまでも作り話、フィクションであるから、必ずしも現実や事実通りでなくとも良いと思う(あまりにも荒唐無稽なのも困るが)。そこに人間や世の中の真理・真実を突いていれば、感じ取れれば、それは良い映画であり立派な芸術だと思う。
では、ドキュメンタリー映画はどうだろうか。
事実を撮っているわけだが、撮り方や編集の仕方で監督の恣意を押し付けられたり思惑に引っ張られる危険性はある。
それに対して本作は監督の作家性は勿論感じるけれども(それがなければ単なる撮影した映像の垂れ流しに成っちゃうだけ)、かなり誠実に目の前の現実を赤裸々き捉えつつ、といって変に美化しないで、一つの真理を提示している。そこが正に映画的だ。
⑩子供の頃、「ひょっこりひょうたん島」という番組があって子供心に毎回とても楽しみにしていた。ひょっこりひょうたん島の住民達はみんなとても個性的な人たちばかりだったけれど、自分もひょっこりひょうたん島の住民となって一緒に“波にちゃぷちゃぷ”流されていきたかったのをうっすらと覚えている。思い出してみれば私にとってひょっこりひょうたん島は一種の「ユートピア」のようなものだったのかもしれない。
そしてアダマン号も現代のある種のユートピアを目指している存在かもしれない。
⑪①で“自分の言葉で表せるものがない”と言いながら結構書いてしまった。
まだまだ書けるように思うけれども、最後は私には珍しく監督の言葉を引用して締め括りたい。
“深刻な心の問題やトラウマを抱えた人々も差別されずにありのままの自分でいられる場所、各々の違いを認めて、自分にも他人にも何も押し付けず、自由な気持ちでいられる場所が実在する姿は、まさに「奇跡」。”
“あくまでですよ、あくまで普通の人と普通でない人の、いわゆる境界線というのは、これは境界線があると我々は一応言っていますが、それが本当にあるのかさえも怪しい。その境界線は固い壁のようなものでできているのではなく、穴だらけで、その穴から今日はこちら側にいるけど、ちょっとしたことであちら側に行くこともある。そういうあいまいなものなのではないか、ということに気づいてもらえたらうれしいです。”
タイトルなし
アダマン号、航行するのかと思ってたら係留してあった(大阪で言えば淀屋橋のかき広形式)。とはいえ、川の流れと広々とした景色と降り注ぐ太陽と、すごく居心地が良さそうな空間だった。
生命という大きなものへの愛と、個々の人間の粒立ちやそれへの信頼が感じられて、見ていてとても心地よい。登場人物みな印象的だが、新入りを念入りに確認せし者の存在感と、“前髪垂らして唇分厚く鳩みたい”の話が印象的。
毎日接していると…というのも分かるのだが、毎日接しているからこそこういう感覚を忘れずにいたい。
べてるの家関係とか森田療法関係の映像に近く、あとは『ゆめパのじかん』とかも思い出した。
心の豊かさとは
セーヌ川に浮かぶアマダン号。そこは文化活動を通して精神疾患の人々を支援するデイケアセンター。
カメラはそこに通う人々の言葉や行動をひたすら映し出していく。
インタビューによって何かを引き出そうという感じではなく、ただ彼らの思いのたけを繋いでいく。
音楽、絵画、ダンス、そして対話。世間でいう社会とは別のもうひとつの社会。
文化は心を豊かにする。そう信じたい。
だが、世間でいう社会にいると時々息苦しくなる。
世渡りが上手い人間に対して、「あいつはバランスがいいから」という言葉が一様に返ってくる。
バランス感覚って?
人の顔色を伺いながら、余計なことを言わず、対話をしているふりして、そつなくなんでもこなすことか。
そもそも心の豊かさって一体全体何なんだろう。文化と社会は両立し得るのか。
彼らは少なくとも対話をしようとしている。素直で率直で自分なりの文化を持っている。
他人の問題も自分の問題もきちっと認識している。
ひるがえって自分はどうなのか。まともな対話をしているのか。自らの文化を語ることができるのか。小賢しい技ばかりを身に着けて、いつも真実から目を遠ざけているだけではないか。ひとこと多いと言われないがために、変に自分を取り繕っているだけなのでは?
アマンダ号の小さな社会を観て、なぜか恥ずかしくなった。
世間で言う社会の中で、心の豊かさを忘れかけている自分を垣間見たようで。
エンドロールの出だしが、 avec で始まり、 アルファベット順で...
エンドロールの出だしが、
avec で始まり、
アルファベット順で一気に連ねるのが良かった
以下は余談ですが、
かつて精神疾患の家族がいた私にとって、
この映画の人たちは、驚くほど普通でした
自分を手離してはいけない
働けない、病気がある人達が自由に創作ができて集まれる場所がアダマン号というのが、ユニークでクリエイティブだなと思いました。人は環境に左右される生き物だから、絵本の様なアダマン号だとリラックスできそう。
フランス人らしく、自己主張が強い。かなり危なくしんどくぎりぎりを...
フランス人らしく、自己主張が強い。かなり危なくしんどくぎりぎりを生きてる自覚のある人も、薬でコントロールしてるから多いことがわかる。コミュニケーションの難しそうな人々の集団。でも、確かに、彼らはそのままで皆に迎えられている。その場が成立していること、わがままとも見える彼らが互いにそこにいられることをシェアしてるのが素晴らしいと思う。
想像以上に難しかったかも
監督の前作の流れから医療的要素強いのかなと思っていましたが、その場所というより人それぞれの個性が全面に出ているといった印象で、意識しなければそこはケアセンターのようには見えない─。確かにカオスで現実の場を映しとっていながら、何か現実世界ではないような感じではあったけれど、この作品の中に入り込んでしまうと、個性豊かなキャラクターが想像豊かに躍動しているようにしか思えなくなってくる。よくもまぁあんなにもカメラが彼らの中に溶け込んだものだと、感心というか驚嘆といった方がいいのかもしれません。
正直、この人たちがいったい何なんだ!と思ってしまったわけで、そう思うからこそなおさらにこの作品の難しさを感じてしまいました。
精神病治療に関する考えが根本から違うのかとても自由でアーティスティ...
精神病治療に関する考えが根本から違うのかとても自由でアーティスティックなワークショップ 建物も木造りで窓開閉する様子なんてとてもお洒落 今どきの図書館のよう 居場所が有って楽しそう 通いたくなる外観、自分達で考える、日本には無い発想だなと思った
透明性が高く押しつけがないドキュメンタリー
もう一度見ようかなと思った初めてのドキュメンタリー映画かも知れない。それほど観客の自由に任せてくれて自分もアダマン号の中の一人だった。宝物探しみたいに自分で勝手に発見できた気にもなれた。BGMなく(船の外の場面でほーんの少し)ナレーションはゼロ!これが一番嬉しかった。どんな感じかな?と予告編トレイラーをチラリと見たら日本語ナレーションが入っていて少し絶望した。でも映画館では流れないだろうと信じた。信じたからか救われた!
冒頭の歌「人間爆弾」のフレーズの一つ、「自分を手ばなしてはいけない」がかなり熱くて構えてしまったが大丈夫だった。色んな人が登場する。誰がケアする側でされる側なのかもうわからない!楽しく私達を混乱させてくれる。ケアされる側の彼らは自分を撮影するクルーに話しかける。映しているの?君の名前は?ニコラ(注・これは監督だ!)。いい名前だね。エリック(注・これは音響の人だ!)、君の名前もいいよ。
コロナの時の撮影であることがよくわかる。マスクありとマスクなしのポートレートを互いに写真で撮影してどれがいいか相談しつつ当人に決めさせる。マスクの有無でその人の顔の雰囲気はまるで変わる。新入りさんも多いからかアダマン号では壁に貼られたメンバーの写真(マスクつき&無し)は大事!
みんなでスーパーの向かいのゴミ箱に行って、外見は多少傷んでいても大丈夫なフルーツをゴム手袋してみんなで収穫する。そしてみんなでムースとかジャムとかを沢山作る。裁縫もあるし、歌ったり演奏したり、スケッチしたりたっぷりと色をつける絵を画いたり。絵画タイムはよかったな。必ず当人がみんなに説明する。言語化するって難しいと思うけど言語化する。聞いてる人も感想言ったり、素敵だと言ったり。
ダンスに自信がある女性はちょっといらついていた。みんなで一緒に身体を動かすワークショップで彼女は明らかにフラストレーションを抱えていた。こんな単純で子どもっぽいの嫌だと思ったのかな?その彼女の提案、理路整然としている。でも安易にOKださずに慎重な返答をするスタッフ。すごいと思った。話を中断しないで最後まで聞く。これだけでもすごい。私達は日頃の生活や仕事の中で、どれだけ途中で他人から口を挟まれることか(自分も口挟んでる)!その場しのぎの空疎な言葉が飛び交うこの世界。
服がスタッフ含めてみーんなバラバラ、自分の服であるのがすごくよかった。アクセサリーも靴もお守りも何でも。煙草だってバンバン吸うし。医者との関係の話も面白かった。ドクターと話したい、話すと嬉しい。ドクターも患者と話したいんだ、それで彼も幸せになる。カウンセリングはダメでやはり薬が必要なことをよくわかっている。頭がぼーっとすることもあるけれど薬があるから大丈夫でいられるんだ。
映画フェスティバルの準備、楽しそうだった。「8 1/2」のポスターも貼られていて嬉しかった。
日本だったら、みんなおんなじスモッグ着せられるのかな、名札ならまだしもマジックペンでデカデカと名前がシャツに書かれてしまうんだろうか?
笑ってる人、笑わない人、お喋りする人、黙ってる人、一人で椅子に腰掛けている人、うろうろ動いてる人、妄想か本当かわからないけれど渋い声で語る人。みんなそれでよくてほうっておいてくれる。「みんな」って私はこのレビューで沢山書いたけれど、複数でっていう意味で「全員」ではない。一人でいる人、カメラに映ってないだけでもっと沢山いるんじゃないかな。
こういうドキュメンタリー映画に出会って幸せに思った。よく調べたらこのフィリベール監督のドキュメンタリー映画見てました!「人生、ただいま修行中」(2018)。この映画見たときも言語化の大事さ、看護学生の言語化努力に感動しました。
介護職員である私が見ると、普通の人達に見えてしまった。
この映画は、精神疾患がある人達のデイケアサービスをアダマン号という船で行っていて、そこでの利用者さん達の会話をメインにしたドキュメンタリーです。
なので、面白い面白くないは置いといて、私自身が知的障害、身体障害の方の介護を仕事にしているので、興味があって視聴しました。
美しいセーヌ川に浮かぶアダマン号で、生き生きとした利用者さんが会話をしたり、絵を描いたり、作曲していたり、みんなが自由に伸び伸びをした時間を過ごせる素晴らしい施設だと思いました。
その反面、私が普段仕事で感じている悩みなどが全く描かれていなく、そこはどうなんだろう?と思いました。
それは人によりますが、同じ話や明らか嘘を毎日のように何百回も聞かされて、真面目に聞いてるフリをする事が地味に大きなストレスになる事です。
職員はなんとか我慢しますが、利用者同士だとそのストレスに耐えきれず、喧嘩になる事がしょっちゅうあります。
映画で一回聞く分にはいいですが、エンドレスに繰り返される同じ話を想像してしまって、
あまり感動とかはなかったですね。。。
ドキュメンタリーの力を感じる内容
私は知らなかったのですが、精神疾患患者へは人間扱いしない病院他があるとか。
現代病と思う精神疾患。誰でもなりえる。
船に乗って、貧富の差もなく正面から向き合ってくれたり様々なプログラムもある!素晴らしい!
フランスは個人主義のようでいて、社会保証などもきちんとあり、シングルマザーファザーも特別感ない。
国の印象も良くなった!
そして、人の話を聞く大切さも感じた。
心が洗われる映画でした!
オンラインで見せて頂きました!
世界で一番やさしい空間
オンライン試写の機会をいただけたので視聴。ドキュメンタリーはきっかけがないとなかなか観ることがないのですが、今作に出会えて本当によかったです。
精神疾患の患者が受ける、偏見、奇異の眼、人格、人権の否定、こういうことが世界共通であること、アダマン号は唯一一人の人間として存在できる場所というのがよく伝わってきました。
後半に、一人の利用者が「自分もワークショップを開催したい。資格がないと難しいかもしれないけど、私には人に教えられるだけの知識と経験がある。スタッフはそれをわかってくれない。」という主張をするシーンがありました。それに対してスタッフが、だめだと言っているわけじゃない、自分たちは対応や決定に時間がかかったり慎重なことがあるかもしれないけど、それは今後の課題だよね。このことは話し合っていこう。と答えるこのやりとりが1番強く印象に残っています。
今まできっとずっと否定され傷ついてきたであろう彼女に対して、しっかり向き合って対話している、これがアダマン号のあり方だなというのがよくわかる1シーンでした。
マイナス要素はありませんが、取り立てて言うならあまりにずっとやさしい時間が流れているのでちょっと眠たくなるくらいです笑
余白のなかで生きていく
余白のなかに、ひとの生きる力と想像力、共感力が宿る。ムダを省く効率化が求められる世界には、そのすべてが失われていく。センシティブな人びとは、その状況にとても敏感に反応する。
ナレーションがないことも、作品を観る私たちに考えるための余白と自由を与えてくれる。
同じ船に乗船しているが、行き先も目的も一人ひとりが違うかのよう。でもどこかに余白のなかでの連帯感がある。
彼らはいい意味での「俳優」だ。この作品で自分を表現し、一方で自分と違う別の人間を演じている。翻って「本当の自分とは何か」、考えさせられる。
登場する彼ら一人ひとりがとても個性的。病いの程度に差異があり、その対処法も異なるため、効率を重視する画一的な治療施設では彼らの病いはすくわれない。
日本でもさまざまななユニークな試みが一部で始まっている。しかし多くの精神医療体制は郊外の施設に押し込め、社会から「不可視化」する。
「開かれた」医療。フランスだから出来ることと安易に考えてはいけない。精神医療に携わる多くの人に観てほしい。
良い試み
まず施設の明るくてスタイリッシュなデザインが素敵!利用者も「個性的」ですが「病んでる」感じではありませんでした。映画なので美化されている部分もあるかもしれませんが、素晴らしい取り組みだと思いました。
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