パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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移民の私が「ちょっと思い出しただけ」
子どもの頃、互いに好きだった人と12年後にオンライン上で再会し、また離れ、さらに12年後に本当に再会する。離れていた間に彼女のほうは結婚していた。
再会して、お互い相手を好きだったころを思い出し、ありえたかもしれない人生を思う。どうしようもなく切ないけれど、結局は今の自分の人生を肯定し、今後もそれを生きていく。この映画はそれをとてもリアルに細やかに描く。
これだけだと、日本でもどこでもありそうなラブストーリーにみえる。しかし、この映画ならではの個性となっているのは、二人が離れ離れになった理由が彼女の家族の「移民」であることだ。現代の韓国の人にとって「アメリカ(あるいはカナダ等)移住」は普通に取りうる人生の選択肢の一つなのだろうか、と驚きを覚えた。現代日本では、自分の意志で「移民」になろうとする人はそうそういない。
12歳でいきなりアメリカに連れて行かれて、最初に学校に行く日のノラの不安そうな表情。その後、(恐らくさんざん苦労した末)みごとにアメリカで希望する仕事にも就き、アメリカで自立して生きていく人生をつかむ。その途中で彼女はアメリカ人と結婚し、グリーンカードを取得して名実ともに「アメリカ人」になる。
自分はアメリカで生きていくのだ、アメリカ人になるのだ、ということはもう、大人になるまでには決めていたはずだ。最初のオンライン再会の頃にはまだ、国に帰る可能性を完全に排除してはいなかったが、やり取りを終える頃には決意を固めていた。
アメリカ人・アーサーとの結婚は、書類上も「アメリカ人」になるために必要不可欠なステップの一つとして迷いはなかったのだろう。相手は、普通に良い人で自分を愛してくれて、「アメリカの国籍をもった人」であれば良かったのだ。そういう人なら誰でも良かった・・?いや、何かの「縁(イニョン)」があったのだ、と彼女は考える。この広い地球上でその時その場所で出会ったこと自体がほとんど奇跡なのだから。彼女はその縁を信じ、選んだ自分の人生を生きていく。
だから彼女にとっては、どれだけヘソン(と彼が体現する祖国)が懐かしかろうと魅力的だろうとそこに帰る選択肢はない。アメリカ人として生きていく人生を選んだ以上、アメリカ国籍の夫を手放すこともない。彼は単なる「良い夫」ではない。移民である彼女に、アメリカ人として生きて行く文字通りの「パスポート」を保証してくれる人なのだ。
最初から・・少なくとも24年後の再会の最初から、彼女は全部痛いほどわかっていた。だからそれこそ「ちょっと思い出しただけ」(注)。一生忘れない思い出になる再会だけれど、選んだ人生を変えることは決してない、そういう再会だった。
夫、アーサー(ジョン・マガロ)はまた、それを全部わかってなお、彼女を愛している。ユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人)という設定だけれど、それこそ民族全体が「移民」として世界あちこちで生きてこざるを得なかったユダヤ人の血を引く人だというのが象徴的である。
移民した国で生きる困難さ、移民の現実的な生きる知恵(結婚もその一つ)、祖国への郷愁と諦念。アーサーは、移民であるノラが抱えるそれらをみな包み込んで愛している。
現れたヘソンがまっとうで魅力的な男なので心穏やかではないが、ノラの感情も、アメリカ人として生きていくという揺るがぬ決意も、手に取るようにわかるから、二人に黙って寄り添い、彼女を抱きとめる。
移民の国アメリカには、ノラの物語を自分のことのように感じる人々がたくさんいるだろう。この映画も、『ミナリ』も、韓国人(韓国系アメリカ人)が、普遍的な「移民の物語」の主人公になっている。「韓国特有」あるいは「アジア人(非白人)特有」の要素はあまり強調されておらず、どこの国から来た移民でも共感できるだろう物語だ。あえてそうしたのか、意識せずともそうなったのかわからないが、その点は、世界中で公開することが前提の現代の映画らしい、と言えるのかもしれない。
キャスト:
ユ・テオ、多少優柔不断かも知れないがまっとうな良い人の感じがよく出ていた。でもヘソンは韓国を離れることなんて到底考えられない、という人。日本にこういう人はよくいそう。「鍛えまくっている」感じがない体型が、なんとなく安心感を醸しだしていた。
注:「ちょっと思い出しただけ」は、松井大吾監督の素敵な映画のタイトル。
観終わると、初恋の人やかつて別れた恋人に会いたくなる
「視線」を見つめていた映画。 最初のシーンは、NYのバーにいる物語...
「視線」を見つめていた映画。
最初のシーンは、NYのバーにいる物語の主要人物3人を、たまたま居合わせた他人の視点で3人の関係性をあれこれ予想する場面から始まり、その視点は女の視線と交わった瞬間に切り替わる。
交わりそうで交わらない視線、そして一度交わると離れられない視線。
シーンとシーンの間、時間や距離を、緩やかに繋いでいくような音楽がかなり好み。
後半、男がやっとNYに来た場面のシークエンスは、ギターの音色が旅情を誘う。
男は終始女々しくて、見た目もダサいけど、くしゃっとした笑顔やその実直さが憎めない。
2人とも結論は最初から出ているのに、感情は揺れ動き、しかもラベリングできない。
ラスト2分間の長尺、たまらない緊張感。
廻る回転木馬。蛇足に見えた邦題も、込められた意味が分かると、悪くないかなと思えた。
アメリカを選んだ女
もしも経験値のある映画監督だったら、ラストあんな不粋なエンディングには持ち込まなかったことでしょう。ウディ・アレンの『マンハッタン』のように雨に濡れるNYを舞台に、24年ぶりに再会した幼なじみの韓国人男女を、リチャード・リンクレーターの『ビフォア・シリーズ』のような演出で描いてみせた本作は、アングロ・サクソン系の評論家筋にはなぜかすこぶる評判がよろしいのです。
確かに現在の韓国映画界は才能ある女流作家がてんこもり状態なのですが、アメリカ配信ドラマのシナリオに多少携わった程度のキャリアしかない本作監督セリーヌ・ソンを、それと同列に考えるのは無理があると思うのです。過去の恋愛映画から部分的にいいとこ取りをしただけで、本作にはオリジナルの演出やシナリオの捻りをまったく感じなかったからなのです
ではなぜ、他の映画祭ではほとんど無視された本作がアカデミー作品賞にノミネートされるまでの評価を受けたのでしょうか。本作が公開された2023年度は、コロナ開けをまって巨匠系がこぞって賞狙いの作品を出してきたため、アジア系の著名監督がバッティングをおそれ出品を控えたといいます。多様性を何よりも重んじるアカデミー賞にあっては、対面的にバランスをとるために仕方なく、ほとんど経験値のないアジア系女流作家のデビュー作品を無理やりノミネートに押し込まざるを得なかったのではないでしょうか。
そしてもう一つ、本作にはあざといプロパガンダが隠されているのです。本作は基本的に、韓国系アメリカ人のノラが、ユダヤ系アメリカ男アーサーと韓国人男ヘソンの間で揺れ動くメロドラマなのですが、そのヘソンのファッションのダサさ、ならびに、ヘソンがアメリカよりも中国にビジネスチャンスを見出だしていることにまずは注目したいのです。つまりこのノラに未練タラタラの優柔不断男ヘソンを北朝鮮または中国のメタファーと考えると、本作はまったく別の見方をすることが可能なのです。
つまり、過去(Past Lives)に8000のイニョンによって結ばれた北朝鮮または中国(ヘソン)ではなく、現世のパートナーであるアメリカ(アーサー)との友好関係を選んだ韓国(ノラ)のお話に置き換えることができるのです。映画としてはラスト、長い間見つめ合った2人が動いた瞬間にカットする、余韻を遺すエンディングがベストだったと思うのですが、政治的にはっきりと韓国=ノラがアメリカ=アーサーを選択したことをみせる必要があったのでしょう。
見終わった後、いろいろ考えさせられる。
女神の自由の裏側
過去は生きている。
撮り手が観客を信頼している。それが嬉しい。
ビバ!アーサー!
この物語、僕には刺さった
映画を観る前に眺めたレビューの評価は今一つでどうかなと思いながら映画館に足を運びました。で、僕には…見事に刺さりました。
僕もそれなりに長く生きているので、自分の体験やら昔感じた心の動きやらを思い出しながら映画を観ることが多いのですが、実際この映画では過去のいろいろなことが思い出されました。過去に関わりがあった女性に会ってみたい、また相手の気持ち(自分の気持ちも)を確かめてみたい衝動(実際に行動に移したかは別として)やら、妻の元彼(夫)や初恋の人の存在が気になったり(これはアーサーの心の動き)など。また関わりのあった女性と長い時を経て再会したときの感覚、感情の高まりとか。
優等生だったはずのヘソンのあの拙い英語(韓国の人って日本人より英語に強いんじゃないの?)はヘソンという男の今を表現している。野心ある強い女のノラからすれば物足りなさを感じたんじゃないかな。アーサーはノラを深く理解しようと韓国語を勉強しているのとは対照的。結局ヘソンは韓国という枠から出ることのない平凡な男。ニューヨークで自分の人生を切り拓こうとしているノラには合わない。
最後にヘソンがタクシーに乗り込み別れるシーンで12才の二人の階段での別れの場面がフラッシュバックする(映像)、強い女を演じていたノラが泣きながらアーサーの胸に飛び込む。二人の永遠の別れ(少なくとも結ばれることはない)を暗示していて胸が締め付けられた。
✡️最後のノラの涙をどう考えるのかはこの映画の理解の仕方に関わるんじゃないかな。
苦く切ない
グリーンカードのために結婚した女性と大人になりきれない男性の物語
微妙なバランスで成立した、良い作品
日本のプロデューサーが作ったら、つまらないモノになっていたと思う。
ビックリするようなストーリではなく、何なら話の先は読めてしまう。プロモーションのように、大傑作とも思わないし、感涙する様でもないけれど、登場人物それぞれの心情をずっと考えさせる、よき映画体験でした。
日本でこれを制作すると、キャストありきで進行する、いちいち途中で泣く、キーとなるセリフが繰り返されプロモーションでも使われる、マンハッタンの観光地を巡る、ここぞとばかりに劇版が流れるなどが予想されます。
衣装は取り上げるような特徴はないし、米国っぽい食事も出てこないし、ジャズもヒップホップもかからない。地下鉄やUberも全体像をみせない、モントークもただの原っぱしか出てこない、エンパイアステートビルやクライスラービルは遠景だし、ブルックリンブリッジの空撮はなし、自由の女神も横から移す。このため、キャストの表情に集中できる様になっている。
アーサーがユダヤ系というのも良かったのかも知れない。ボーはおそれているのフォアキン・フェニックスみたいにおたおたしている。(日本人が想像するステレオタイプの)WASPとかだと嫉妬して怒っちゃったりして、ぶち壊しになっちゃいそう。クリスマスも出てこないし。
タイトル通り、『縁』がテーマなわけですが、他の国の方がどのような感想なのか興味があります。輪廻ではないけど、『(500)日のサマー』やそれこそ『エターナルサンシャイン』だって『縁』の話しだし、ハリウッド作でも『クラウドアトラス』は輪廻の話しだし(韓国の話が出てくるけどね)。
鑑賞動機:抑制の効いた大人のラブストーリーって最近守備範囲に降ってこない気がする10割
トニー賞かな、と思ったらトニー賞だった。『エターナル・サンシャイン』はよい映画ですよ。
単純な二択で割り切れない心情の揺れ動きを、セリフを抑えることで逆に強く印象づけられたように思う。ただあまりにももどかしく感じられるところもあり、それをストーリーとして楽しめないと、焦ったく感じてしまうかもしれない。それでも終盤のロングカットは息を呑んで見入ってしまった。
グリーンカードは永住権のこと
悪くいえば恋に恋してる女々しい男の話だが
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