「欧米では、「縁」とか「前世」とかいった考え方が新鮮だったのだろうか?」パスト ライブス 再会 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
欧米では、「縁」とか「前世」とかいった考え方が新鮮だったのだろうか?
ある程度の歳を重ねてくると、「あの時、もし、あの人と別れていなかったら、今の自分はどうなっていただろう」と夢想するようなことは、少なからずあるだろう。
今でも好意を抱いている初恋の相手と、同窓会か何かで、何十年かぶりに再会することもあるかもしれない。
その点、この映画が描いているのは、誰もが体験し得るような普遍的なシチュエーションであると言えるのだが、逆に、それ以上でも、それ以下でもないのは物足りない。
2人が独身だったり、結婚していても夫婦関係が冷え切っていたなら、再会によって、新たな恋が生まれたのかもしれないが、この映画のように、夫婦仲が円満で、しかも結婚相手が「良い人」であるのなら、例え、初恋の人と相思相愛だったとしても、「ご縁がなかった」と、その気持ちに折り合いをつけるしかないだろう。
だから、この映画の結末は、当然と言えは当然すぎて、「こんな当たり前のことを描くのに、何を勿体ぶっているのか?」とも思ってしまう。
それよりも、自分の妻が、初恋の人と、自分の理解できない言葉で話し込んでいるのを隣で聞いている夫のことが、何だか妙に気の毒に思えてしまった。
男女の「縁」とか「前世」での関係とかといった東洋的な思想が、欧米の人々には新鮮だったのかもしれないが、残念ながら、自分には、心に響いてくるものが何も感じられなかった。
そういえば、夫婦が共に小説家という設定は、「落下の解剖学」と同じですね。
でも、2つ映画の夫婦仲があまりにも違い過ぎて、まったく気が付きませんでした。
奥さんは、この経験を映画にしたけれど、旦那さんはどうしたのでしょうね?
ありがとうございます。
過去に結ばれなかった相手は、やはり「ご縁」がなかったということで、思い出の中にしまっておくのが良いのでしょう。
その点、この映画の2人は、初めから「再会」するべきではなかったとも思えるのですが、それだと映画として成り立ちませんね・・・