ザ・キラーのレビュー・感想・評価
全39件中、1~20件目を表示
自称・成功率10割の殺し屋は意外とドジ。
デヴィッド・フィンチャーの真意は知らないが、これは『ゲーム』以来のコメディ作品と見た。ただ深刻そうな空気とクールな劇伴のせいで、日本ではなかなかコメディと認識してもらえないタイプだと思うけれど。
とにかく主人公がモノローグで喋っている。おそらく自ら編み出した、もしくは誰かの受け売りなのかも知れないが、殺し屋としての仕事の心得を心のなかで繰り返し唱え、身体を鍛えたり瞑想したりすることで、集中力を高めている。にもかかわらず、このひとすごい失敗をするのだ。
それも、予期せぬ事態が発生して、とかでもない。われわれ殺しの素人でも、いや、そこは慎重にやったほうがいいんではないかい?と問いたくなるような失態を晒し、それでも自分を必死に落ち着かせ、自分が突き詰めてきたお仕事哲学から逸れないように、ひとつひとつ手を打っていく……はずが、やっぱりこの人、ドジだ。ドジだからこそ、自分に完璧を求め、必死でお題目のように自分に課したルールを唱え続けているのかも知れない。
決して無能でもないけど、伝説の殺し屋でもない。ある意味、失敗もするけどマジメな仕事人間が、自業自得で自分が敷いたはずの道から外れていく。スリリングだけどどこか間抜けな、そして、似たもの同士の同業者に出会ったりもして、殺し屋界隈も大変だなとちょっと同情までしてしまう。決してひとつのジャンルで括れるものではないが、自分的には100%いい意味でヘンテコなブラックコメディでしたよ。
私には冗長で退屈でした
スタイリッシュというより無味乾燥。
ダークというより殺伐。
主人公の冷徹で哲学的なモノローグで始まるが、実際にはいきなり凡ミスをかます。その後の行動もバタバタしてばかりで、いまひとつ「プロ中のプロ」に見えない。なんと言っても、敵の存在感が薄くて盛り上がらない。
制作陣は「これが殺し屋のリアルだよ」という意図かもしれないが、それを知って何になるのか。主人公は独白で「この稼業は(待ち時間が多く)退屈だ」と語っていたが、私には作品自体が退屈だった。
オープニングだけ面白い
オープニングが良い。語りだけで日常や殺しに対する心構えや、ストイックな一面が分かる。標的を仕留めるまでの時間をじっくり描写するのは珍しい。他の殺し屋映画だと見たことないかも。
始まりが良かっただけに、中盤以降はただ主人公が無双するよくある復讐者になって残念。どんな相手にも情けをかけず、徹底して殺しをする姿勢はやりすぎで怖い。
全編通して台詞少なめ、主人公の語りメインで進める手法は斬新だった。ストーリーを楽しむというより雰囲気を楽しむような映画かな。
失敗しないんです?
新宿ヨドバシカメラで競馬の写真をプリントしていたら映画に遅れる所だった。ヨドバシカメラからシネマート新宿まで走る。年寄りにはしんどい。そんな状態でシネマート新宿で「ザ・キラー」を。
Netflixの配信前劇場公開、最近はアカデミー賞でも候補になったりもするから油断ならない。監督はデビット・フィンチャー。
自称成功率10割の殺し屋がフランスでの狙撃に失敗して追われる身に。ドミニカの豪邸にいた妻は襲われて病院送りにされ、殺し屋の反撃が始まる。
成功率10割で高報酬を得ているからか、結婚して豪邸を持ち、複数のアジトや多数の名義のパスポート、クレジットカードを所有していてそれを使って反撃する。
用意周到の割にドジな所があり、ちょっと微妙な殺し屋だ。
「ジャッカルの日」みたいにその狙撃がクライマックスならともかく、狙撃に失敗して物語が動くのに、映画的には、周到な準備をして機会を待つ最初の狙撃までが長過ぎる(上映時間1時間58分)。おまけに「私は失敗しない」と言いながらドジって失敗してるし。
妻を襲撃した犯人を追い詰める後半は見事な所もあるだけに、ちょっと冗長に感じる導入部がマイナスだな。
ゴルゴ13なら、あんな狙撃の失敗はしないと思った。
ザ・キラーって殺し屋も愛の無いAIですむ♥
『東京の朝はハム音』って、『日本は電線の国だから』と今はなき親父が良く言っていた。昔は日本へ戻ると煙草臭かった。
どこかの国のアナウンサーだって、最近はAIに移行していると聞く。
ザ・キラーって殺し屋も愛の無いAIですむ♥
究極の肉体労働だからね。
戦争もバーチャルな世界使ってAIでやればいいのにね。
しかし、ここまで電脳(僕の時代はそう言っていた)で縛られているのに、殺し屋は生き延びられる。それでいて、個人情報の露営にすったもんだする。
PLAN75の対象者や僕みたいなク◯ジジイにはそれだけでも殺されそうだ。
女性ならば、かっこよかったが。また、『裏窓』の様な話だと思ったら、予想外のロード・ムービーだったりして、がっかりって所かなぁ。
なんかダラダラ
散々能書き垂れて失敗、しかも準備に時間かけすぎでは。ターゲットが帰ってきてから銃組み立てたりのんびりしてその前にいくらでもチャンスあった。そりゃ失敗するわ、失敗の原因がとてもプロと思えず最初からちょっと興ざめ。復讐劇だが普通の人まで56してしまうので全く感情移入できない。むしろ段々と主人公が撃たれればいいのにと思ってしまった。
喋り過ぎ
最初は面白かったんだけど、喋りが長いというか、喋り出すと面白くなくなってしまって。
途中から飽きてしまった。
殺し屋にも哲学がある、と言いたかったのか。
スマホを踏んで捨てる。
バッグも捨てる。
結構雑で、防犯カメラにバッチリ映ってそう。
その辺はご都合主義かな。
ミッション達成までの長い道のり
主人公がミッションをやり遂げるまでの尺が長いこと💦
そしてミスを犯し、本来のターゲットに辿り着くまでの尺もまた長い💦
蛇足だと思う箇所を取り除けば内容としてスッキリするが、そこは人を殺すという葛藤を抱きながらも殺し屋をしているってのも何だか変でそれならそれで別の生き方があるでしょと思いました😅
一流を気取った、ポンコツさんでは
手練れのプロっぽく、長々と仕事の俺流哲学みたいなものをモノローグで語るんだけど、語り終わるのを待ってて肝心の仕事のタイミングを逸して失敗という、ありえなさ。バカなの!?
自己評価は高いけど、客観的に観るとだいぶマヌケな、腕だけならまあまあの殺し屋、というちょっと珍しい主人公。
そもそも唱えている「仕事哲学」が、そぉなの? とかなんか違うような気がするところがある。
ツメが甘く、というか全てにおいて雑なので、なんとか目的は達せても犯行と犯人の痕跡がありあり残ってて、足がつくのは時間の問題でしょう、という仕事っぷりの数々。
こういう商売は、無駄なく確実に標的を仕留め、かつ足がつかないように段取りして実行するのがプロフェッショナルと思うが、彼は計画はテキトー、とにかく相手を殺せばよし、なのでさくさく目的のみ果たせていたけど、それじゃただの殺人魔じゃない?
もっとも、仕事だったのは最初の、しくじった1件のみで、あとは私怨による私闘ですが。
こんなスタッフでも抱えざるを得なかった殺し屋派遣業者、相当な人材不足なようです。
酷い目に遭った経験があるにも関わらず、あちこちに手がかりばらまいているにも関わらず、もはや「隠れ家」ではなくなった住処、またはその近くに愛人とともに暮らしているというノーテンキ。
そもそもあんなに目立つ豪邸に住むんだ? 「隠れ家」って。プロなら「綿棒みたいな女性」のように、都会の雑踏に紛れたりして目立たないように暮らすものじゃないでしょうか。
殺し屋としての意識のベクトルがズレてて、彼はこの仕事向いていないと思う。
一流のプロを気取った、ポンコツさんでしょう。
これってコメディだったんだ!? と思いました。
天才ではない殺し屋
ターゲットが現れるのをひたすら待ち続ける一人の殺し屋。
とにかく頭の中ではとても饒舌な男だ。
思考、思考、また思考。
苛立つこともなく冷静に待ち続ける彼の姿から、かなりの手練であることが伝わってくる。
やがて彼の前にターゲットが姿を現す。
「計画通りにやれ。予測しろ。
即興はよせ。誰も信じるな。決して優位に立たせるな。
対価に見合う戦いにだけ挑め。
感情移入はするな。感情移入は弱さを生む。」
男は自分に言い聞かせる。
これがプロの殺し屋の流儀なのだろうか。
そして男はターゲットに狙いをすまして銃弾を撃ち込む。
が、何と的は外れ、無関係のコールガールに当たってしまう。
動揺した男はそれでも証拠を残さないように現場を後にするが、このミスがきっかけで彼は岐路に立たされることになる。
男が何度も自分に同じ言葉を言い聞かせるのは、彼が冷酷な殺し屋になり切れていない証だろう。
彼が仕事に失敗したせいで、何の関係もない彼の妻は襲われ大怪我をしてしまう。
男は様々な手がかりを辿り、自分に殺しの依頼をした人物を含め、事件に関わった者全員に復讐を誓う。
この映画の面白さはやはりこの殺し屋の男のキャラクターにあるのだろう。
いくつも名前を持っているので、どれが本名かは分からない。
めったに口をきかないが、頭の中では相変わらずよく喋る。
殺し屋としては天才ではないのだろうが、狙った相手を確実にしとめる姿は非道であり、寒気を感じさせる。
が、感情移入するなと自分に言い聞かせながらも、相手の要望を受け入れてしまう弱さも持っている。
そしてすべてが計画通りに行くとは限らない。
あえて危険の中に飛び込んでいくのは、彼自身がターゲット相手とはいえ、人との繋がりを求めているからだろうか。
作風はシリアスでありながら、どこかコメディを思わせる部分もある。
ややクセの強い作品なので、好き嫌いは分かれそうだと感じた。
綺麗だなー
滑らか。スカした美的センスに溢れる綺麗な映像がひたすら水のように流れていく。全編そんな感じなので、観ていて引っかかりがなく、映画が薄っぺらく感じてしまった。ながーいCMを観ているみたいだった。
おマヌケコメディ?シリアス映画?
冒頭のパリのシーンは「裏窓」のオマージュだったり、デヴィッド・フィンチャー監督が手掛けるヒッチコック風のスリラー映画。
かと思いきや、冒頭のシーンから殺し屋としては爪の甘い主人公。ルーティンなのか自分の仕事哲学を唱え始めるが、iPodで音楽を聴き始める。「オレは音楽を聴きながらが好きだ」と言っているが、それだと誰か近付いて来た時に気付けないんじゃないかと思うし、肝心のターゲットの暗殺も何回もチャンスがあったのにセクシーなコールガールに気を取られ失敗(笑)
急いで階段で逃げる際も心臓バクバクで、なんか可愛い奴なんですよね主人公。
後でちゃんと殺し屋エージェント会社の社長に怒られますが、第二幕となる主人公は殺し屋のセオリーに従わず、隠れ家という名の家に帰ります。そこで現地の妻が自分のせいで襲われたことを知り、今後の安心の生活の為、殺し屋のエージェント会社や妻を襲った別の殺し屋を消しに向かうという話。
「お前なんで家に帰ったんだよ。普通ミスったら消えるだろ?(バカなの?)」と案の定エージェント会社の社長には言われるわ、秘書を階段からの転落死に見せかけて殺したにも関わらず、そういえば手を縛った時の跡が残ってたかもな(まぁ、いいか)とここでも詰めの甘さが出ています笑
犬を飼っている厳つい殺し屋を、消しに行く際も犬に食べさせる毒を作って食べさせたはずが全然効いてなかったり、厳つい殺し屋が強すぎてめっちゃギリギリで勝ってたり、他にもやり方(殺り方)あったんじゃないかと思うが、ここでも例の仕事哲学を反復し、自分では上手く出来ていると言い聞かせている。
要するにこの人は自分に嘘を付いているんです。
続いてティルダ・スウィントン様が演じる貴婦人風のスタイリッシュな殺し屋との対面。
彼女はプロだったが、目の前にいるのはヘッポコ殺し屋ということに気付かず、レストランで「何でわざわざこの場所に来たの?まぁ、この場で私が叫んでもあなたなら逃げられるんでしょうけど。後始末は大変そうね。」
と、内心ドキッ!としたのかな主人公(しまった!そうだった!)、しかし主人公はすでに自らの死を受け入れたプロの彼女にノリを合わせていきます。
そして今回も運良く返り討ちに合わず殺せてしまいました。
そして最後の依頼主。ここで主人公は決定的なミスを犯します。防犯カメラにバッチリ写ってしまうんです。
依頼主は大金持ちで殺し屋へのツテも多そうだ。
主人公が犯したミスやその後処理など下請け会社任せで本人は全く気にしていなかった。もはやリスクを冒してここに来た意味がない主人公。「オレがこうやってここに簡単に来れたんだってことを覚えておけよ」と捨て台詞をはいて去っていきます。
そして帰宅。
ここで、主人公の締めの仕事哲学。
締めの一言。
Maybe you are just like me.
one of the many.
ボーッとNetflixを観ているこちら側へ投げかけてくる皮肉のこもったラストは如何にもデヴィッド・フィンチャー監督らしい。
配信で十分🤣
10月、地元では劇場公開がなかった本作が
(たぶんw)
11月10日からNetflixで配信されるありがたさ🙏
凄腕の殺し屋、受けた依頼を失敗した事から
罰(報い)をうけるはめに。
そもそも身から出た錆なのに、復讐をするところに
最初は「恋人想いの熱い男だわぁ😍」とか思ったけど
なんか違う🤣
まあまあ関係ない人もサクッとやっちゃうし
呪文のように繰り返されるマイルール
覚えてしまいそうだったわ🤣(もう忘れたけど𐤔)
それにしても、殺し屋の報酬ってそんなに凄いの?ってくらい
ドミニカの隠れ家は素敵だった🏡⋆*(笑)
てか、そんな豪邸じゃ隠れ家になってなくない?🤣
俺流モノローグ…
仕事をミスした殺し屋が、雇い主の粛清に身内を狙われたため、その殺し屋、雇い主に復讐するまでを描く。映画に出てくるような伝説の殺し屋という程の腕前があるわけではないが、ある意味リアリティがある。それはモノローグで、仕事の心構えを何度も復唱するなど、派手さはないが仕事に実直に動く様から、そう感じる。着実に復讐を遂げて行くのが淡々とし過ぎて、エンタメ要素がもう少し欲しかった。
淡々とした殺し屋を淡々と描く
もし神経質な殺し屋がいたらどんな実態だろうか、という話を静かに丁寧に描いている感じ
緊張すれば心拍は上がるし
うとうともしちゃうし
できる限りの集中を試みるけれど失敗もするし
殺し屋に返り討ちにあってボコボコにされるし(アクションすごい
眠らせたはずの番犬に追いかけられるし
美人殺し屋には何故か不必要に近づいてしまう
あとは証拠品の捨て方には合理的な大胆さがある
船から捨てたり
道具はアマゾンで買う
殺したらすぐに飛行機で出国
ただ全体としては緊張感があり、所々に洗練されたスタイリッシュな日常もあり魅了もされてしまう(デスノートを見たときのワクワクに似ている)
集中のためのヨガのようなストレッチ
ホテルの部屋のドアノブにコップを置いたり
釘を打って死ぬまでに猶予を作ったり
犬の餌に薬を入れたり
悪くはない、悪くはないんだけれど、、、どうしても少し物足りない感じがあるのはもう仕方がないのかもしれない
マヌケな殺し屋の逆ギレ物語
冒頭から、殺し屋とは斯くあるべき…なポリシー▪︎格言的な文言とともに描かれるが、あまりにしつこく言いつづけるこれは、裏を返せば自己暗示を入念にかけないとできないからではないだろうか?と感じた。
心拍数を下げるのも時間を要したし、ミスをした瞬間の狼狽ぶりも一流とは思えない。
最後のクライアントを見逃す件もしっくりこない、殺しの請負、仲介の
弁護士が指示した…とかだが、殺しを依頼するような人間が依頼をミスしたあげく逆ギレで自分を殺しに来る人間を放っておくものだろうか?という疑問も残る。
綺麗にまとめようとしたことが仇になった映画かもしれない。
もう少し振り切ったほうが良かったかも。
誰しも持つかもしれない側面
孔子の言葉に「過ちて改めざる、これを過ちという」というものがある。
過ちを改めないことこそが過ちである、という意味である。
デビット・フィンチャー新作「ザ ・キラー」は、ひとりの殺し屋の、過ちを改めない映画である。
冒頭、殺しの仕事に失敗してしまった主人公(殺し屋)は、その代償として自らの代わりに恋人が何者かに襲われる。
殺し屋はそうした報復そのものを許さないこととし、復讐としてそれを行なった者たちを次々と殺めてゆく。
それだけの映画とも言っていい。
深い内容があるのか、メッセージ性は、というテーマを言葉でまとめるよりも、
この男を介して、こんな復讐者に狙われたら嫌だな、という感じを体現したような映画だと思う。
こんな奴いるの?とちょっと思うのは、自らの失敗を反省しないという点である。
そして黙々と次の作業に取り掛かる。それは概ね暴力性を伴っている。
ぼくは、この映画が表したかったことは、ラストの殺し屋の言葉である、「ぼくも(あなたも)多数のひとりである」に集約されていると感じる。
言いたかったことは、自分は特別ではない、という意味で あり、
そして過去そのものを受け入れない、その意志を、
ラストに意図的に言葉にしたように思う。
これは何か。
ひとつとして、資本主義社会はそういうものである、という皮肉にも感じる。
この映画はヒッチコックの「裏窓」のようなオープニングで始まり、途中フリードキンの「恐怖の報酬」のようにジャングルに入ったかと思うと、最終的にはブレッソンの「ラルジャン」のような雰囲気を携えた作品にも思う。
行動から起因したものがどのような事柄を引き起こし、それがどのような結末を迎えるのか、という流れはロベール・ブレッソンの作風に近いと感じる。
だが、ブレッソンと異なるのは、ラストに救済か地獄かといった、まるで天の裁きのような視点が入ることも無く、フィンチャー作品においてのそれは、
まあなんとかなるかもしれないし、ならないかもしれない、のような、キャラクター目線で終わることにある。
フィンチャー作品のそうした「後戻りできない」感じは、何処となく爽快感さえ感じさせてしまうのは不思議だ。
最後の標的となった資産家の男には、まだ〝死への畏れ〟が見出せなかったのだろうか、その標的を殺めないまま幕は閉じられる。
つまりこの殺人鬼(殺し屋)は、相手の恐怖心を求めて殺しにもかかっていた、という、一種の愉快犯だったとしても受け取れてしまう。
他者から命じられた事柄への感情は持ち込まないものの、自ら命じた事柄への感情はガラ空きのように持ち込んでいる。
この、理屈の変なところも、まるで人間味のように伝わってくるから厄介だ。
全体として、〝怖い〟作品であると、ぼくは受け取った。
「過ちて改めざる、これを過ちという」、
そうした意味合いのことを、本当に他者へ伝えられるのは、自らにそれを課し続ける者のみだ。
そうした意味では、誰しもこの作品の殺し屋の側面はもっているのかもしれない。
全39件中、1~20件目を表示