ザ・キラーのレビュー・感想・評価
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サヨナラ、アメリカ
殺し屋の男がある殺害に失敗。その報復に雇い主から大切な人に手を出されたりして、関与者に復讐を…といった物語。
終始、静かでスローな展開。
自身の掟を言い聞かせるかのように繰り返す主人公。常に冷静に、感情移入せず非情に任務を遂行しようと動く彼だが…。
所々緊迫したシーンはあるものの、とにかくスローテンションが続くので、スパイアクションみたいなものを期待すると肩透かしかも。
もう少し盛り上がりが欲しいものの、何故か飽きずに見ていられる不思議な魅力はありましたかね。と思ったら唐突に目の覚めるようなアクションw!!見応えあります!!
サスペンス的な要素よりも、殺し屋でありながら人間味を捨てきれない主人公の心情や、冷静を装いつつ戸惑いを垣間見せる登場人物たちの揺れ動く姿を感じるのが醍醐味でしょうか。
好きな人には凄くハマるのではないかと思います。
忍者走りに惚れ
これぞデヴィット・フィンチャー。殺し屋映画に派手な殺しを求める層も...
殺し屋の冷徹さとユーモア
この映画は、ある任務の失敗により雇い主と対峙することになった暗殺者の物語を描き、彼が個人的感情を排除し目的を果たすために戦う様子を追います。殺し屋のストイックな一面と同時に、彼のドジな側面や独自のルールが魅力的に描かれています。
映画は殺し屋の日常を中心に、1人語りで進行し、彼の独白によって観客を引き込みます。特に興味深いのは、テッド・ウィリアムスは4割だが俺は10割という独り言とか、朝マックの独特な食べ方などおもしろさを加えています。
ティルダ・スウィントンとの晩餐からのアクションシーンは緊迫感とユーモアが交差し、引き込まれました。
印象的な静と動
じわじわと面白い!!
殺し屋版の“孤独のグルメ”だ。
長いモノローグ。大げさなリアクションは一切無し。やけに丁寧な描写。シンプルなストーリー。
孤独のグルメの魅力は、松重さんの魅力にのせて、ウンチクなんぞ語らず、日常の食事を一個人の主観で楽しませてくれるところだ。
本作も同じ。マイケル・ファスベンダーの魅力的な殺し屋が、ルーティンを唱えながら、大義なんぞ語らず淡々と仕事をしているのが楽しい。
復讐劇という大義があるようで、結局はクライアント(我々の貨幣を牛耳るファンドマネージャー)に自分をアピールする俗っぽさには笑った。所詮ビジネス。
マクドナルド、アマゾン、スタバといったグローバル企業にしっかり絡め取られており、そういった描写にも「グローバル」「自由主義」ビジネスのダサさがにじんでいる。その点では、“ファイトクラブ”の精神的続編のようだった。
消費社会の奴隷から脱皮し真の自由を獲得しようとした“ファイトクラブ”から24年。資本主義の成れの果ての現代、これからはグローバルよりローカルな場所で愛する人と静かに暮らせばいいんじゃない?
と、ラストを勝手に解釈しました。
雰囲気ある描写はいいが、脚本が未熟。
シリアスな描写はいいが、私的に筋が通らぬと思うシーンが度々あり、本筋自体も?が多い。 高評価にはならず。
私はナレーションが多い映画は好きではない・・。
今作は同じ独り言ナレーションが終盤まで、繰り返す。
なんの意味が・・。
まず、スナイパーは現場では身を隠すのが鉄則。 窓からハッキリ顔を見られるような位置には立たず、空室と思わせてカーテンの隙間からスコープで狙うのが当然。
1発目が外れても、躊躇わず2発目を打つのもプロの常識。
が、本作では・・・。
この時点で既に違和感と、B級を醸す匂いが・・。
失敗の後、身内を○○される事も筋が通らない・・。
そういう組織なら身内を人質に取り、その命と引き換えに、再度目標を抹殺せよと命令が下るはず・・。
これからお楽しみという時にメイドがカーテンを閉めるのでなく、開ける? 兵器庫と呼べるぐらい武器を所有しているのに、路上の闇売り屋からガンを購入したり、目標の近くで車中寝をしていたりと ?を感じするシーンが多々。
BGMまでおかしい。 戦闘シーンに変なクラック音の様な効果音?
唯一、硝煙反応を体から消すシーンは、リアルを感じたが・・。
フィンチャー監督は、今作と同じ脚本家で傑作「セブン」を残しているが、どうやら当たり外れが大きいようだ。
本作をネオノワールと表している解説があったが、1967年作 アラン・ドロン主演「サムライ」を是非見てほしい。 こちらが本物のフィルム・ノワール。 不必要なナレーションもなく、台詞も極端に少ない。 が、常に冷えた空気感を醸す映像からは、もっと多くのものが伝わる・・。
さすが鬼才デビッド・フィンチャー監督
等身大の殺し屋
スミス好きのヒットマン
リーマーヴィンののリメイクだと思っていたら違った。あれはsがついてた。チャン・ヒョク主演の同名もあった。
汎用名詞すぎて検索割れするタイトルだがフランスの漫画の映画化だそうだ。
最初から主人公が語る体で哲学がナレーションされる。概説に(原作は)“漫画”ではなくグラフィックノベルと紹介されており、おそらくゴルゴ13のようにアウトラインを並べないと(=字をいっぱい読まないと)進まない話なのだろう、寡黙な男だがナレーションでは饒舌だった。
かれはメルヴィルのサムライのようなあるいはジンネマンのジャッカルのような一匹狼の殺し屋であり、狙撃に適したホテル向かいのフラットで標的があらわれるのを待っていた。が、なかなかあらわれないのを愚痴っていた。コンテキストはニヒリスティックなのに音楽の趣味はスミスだった。
やがてターゲットはあらわれたがさんざん哲学をのたまったわりにはへっぽこな狙撃ミスで撃ち損じて──からの逃走、報復、復讐という流れ。導入はさすがデヴィッド・フィンチャーだった。
フィルムノワールのムードだが、かれには守るべきガールフレンドがいる。
フィルムノワールという一連のフランス映画群があり、ジャン=ピエール・メルヴィルのサムライ(1967)がその金字塔と言われている。
昔メルヴィルのサムライのレビューに、フィルムノワールの定義ついてこう書いたことがあった。
『私見としては、幸福、饒舌、陽気、人情、楽観などの属性を持った人間がひとりも出てこない映画で、何事にも動じない男が自律や掟に副って生きている。
かれは幸福にならないが、不幸にもならない。なぜなら悲劇臭を出さないのがフィルムノワールだからだ。死のうが生きようが、たんなるファクトとして置かれる。
哀感は多少あってもいいが、訴えるのはだめ。仲間や相棒はいいが、仲良しはだめ。女はいいが、情愛はだめ。ミッションを成し遂げるのはいいが、無償はだめ。生き残るのはいいが、ハッピーエンドはだめ。──それが私的認識のなかのフィルムノワールである。』
いうなれば“失うもののないぼっち”がフィルムノワール。ゆえに愛する者が存在するTheKillerはその括りから外れてしまう。が、変則とはいえRottenTomatoesでは多くの批評家がじっさいにメルヴィルのサムライと本作を比較していた。
個人的にはこの映画がフィルムノワールを拒んでいたのは愛する者の存在以上にモリッシーの歌声だった。なんしろこの殺し屋、四六時中スミスを聴いていて、これでもしGirlfriend In A Comaがかかったらどうなっちまうんだと思ってはらはらしたがさすがにそれは自制したようだった。
imdb7.0、RottenTomatoes86%と63%。
ファスベンダーというとファミリーものや恋愛ものに使われずフィクションかシリアスか悪者かという感じだが、それが価値や意義を生成していて冷酷で潔癖症で手段を選ばない完全主義な気配を巧みに演じた。
予測して即興はよせとか、誰も信じるなとか、対価に見合う戦いにだけ挑めとか、仕事の流儀のナレーションをかぶせつつ、ニコラスウィンディングレフンのドライブやアントンコービンのThe Americanのように“サムライトリビュート”なニヒリズムで孤独な闘いを描いてみせる。
ムードでもっていくので正直なところ話は解りにくかったが映像表現に惹かれた。ただしかえすがえすもスミスは妙味だった。
天才になりたかった凡人
静かな殺し屋の後始末
こういう静かなのもイイですね
フィンチャー版ザ・プロフェッショナル仕事の流儀
あんまりとかいろいろ聞いていたのだけど、やっぱり面白い。何がっていうと絵作りですかね。ワンカットワンカット、特に抜けの背景や景色が選び抜かれていて絵画のように美しい。だから何だ、というのもあるけれど、圧倒的に金が掛かってる感じがハァ〜みたいな。
で、描かれてるのは何てことのないB級アクション映画みたいなたわいもない話。興行は厳しいそうだけど、趣味で作りたかったんだよね〜みたいなものにはちょうどいいザ・スミスを愛聴する殺し屋の失敗譚。パリから始まって南米〜アメリカとB級な割にはリッチな絵作りが続いて、そして当然ながら、各エピソードでいつ殺す、どうやって殺す、のカウントダウンを見ながら、やはりありがちな物語をありがちとはちょっと違うラインで見せていく。やっぱりリッチな気分になる。
描かれるのは、現代殺し屋のリアルなツールを集めて借りて捨てて、というそれだけと言っていい。もちろん感情移入などあるはずもない話の中でひたすらに失敗した職人のリカバリーの仕事を観てる感じ。タイトルはザ・プロフェッショナル、みたいなほうが合ってるのかも
淡々と人を殺す渋め殺し屋ムービー
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