「フィンチャーの仕事の流儀」ザ・キラー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
フィンチャーの仕事の流儀
男は、プロの殺し屋。
完璧主義。“仕事”の後は全ての痕跡を消す。自分の匂いさえも。
冷静沈着。人との接触も最低限ナシ。
自分に課したルールは、計画通りにやれ。予測しろ。即興はよせ。誰も信じるな。対価に見合う戦いだけに挑め。やるべき事をやる。確実にこなす。
絶好のタイミングまで何日だって待つ。退屈に耐えられない人には、この仕事は向いていない。
そして遂に、“その時”が来た。
が…
まさかの失敗。おそらくこの男にとっては初めて。
すぐさま撤収。が、裏の世界のルールは厳しい。
ドミニカにある隠れ家が急襲。恋人が重体に。
男は、雇い主や依頼人に報復を誓う…。
プロット的にはありふれた犯罪劇。B級チックでもある。
『ジョン・ウィック』のような激しいアクションを期待しない方がいい。
唯一のアクション・シーンは中盤の報復相手一人の急襲。それもたかだか数分くらい。
非常に淡々と静か。開幕暫くは男の俺哲学的なナレーションが延々続く。
まさかの仕事失敗でようやく話が動くも、やはり大きな見せ場はナシ。ハラハラドキドキのスリルもいまいち盛り上がらない。
本当に人によっては退屈なだけ。もっとエンタメ性を!
それも分かるが、本作はそういう系統とは違う。
言うなれば、自分のスタイル、流儀。ちとニヒルさやナルシズムさがちらつくが、それがこの主人公、そして監督の体現。
ありふれた題材を、スタイリッシュでクールな映像、カメラワークや編集、音楽やザ・スミスの楽曲を用いたセンス。
犯罪サスペンスやフィルム・ノワールと言うより、ネオ・ノワールに。この鬼才の手に掛かれば。
デヴィッド・フィンチャー。
『Mank/マンク』に続いて再びNetflixと組んだ新作。
フィンチャー常連組の中、脚本を『セブン』以来となるアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが担当しているのも注目。
シリアスでクールに徹しているが、客観的に見ればコメディみたいな設定でもある。
あんなに完璧主義を謳ってたのに、失敗すんのかよ! 言わばこれは、“前フリ”だ。
で、ヤッベーどうする…?
失敗した自分が悪いんだけど、否を認めようとしない。だけど内心動揺。
男だけ始末すればいいものを、恋人に手を出してしまった“組織”も外道。そりゃ怒るわな。
徹底的に調べ上げて一人一人始末していく。淡々と静かだけど、報復相手に近付いていく様はなかなか面白味あり。さすがプロフェッショナル!…に見えて、実は意外と行き当たりばったりも多し。
何だか完璧と危ない橋の境をギリギリの所で渡っているかのよう。
それがフリーランスの殺し屋の生きる世界を表している。冷酷さも。
恋人を襲撃した男女殺し屋を乗せたタクシー運転手から情報を聞き出し、射殺。仕事を回す雇い主のオフィスに現れ、情報を聞き出して殺す。秘書からも情報を聞き出して殺す。雇い主はどうだか分からんが、タクシー運転手や秘書は善人。それを情けも容赦も慈悲もなく、無情に。
直接恋人を痛め付けた男女殺し屋に報復した後、やり残しが無いよう依頼人の前にも現れる…。
徹底的に、完璧に。それが自分に課したルール。
だけど報復の動機は恋人の為でもある。根は彼もまた感情のある人間…?
とにかくひたすらのクールさ、渋さ、焦燥感も滲ませ、最近目立った活躍ぶりが無かったマイケル・ファスベンダーにとって久々とも言える大きな“仕事”。
2時間ほぼ出ずっぱりのファスベンダー。キャストも少なく、ティルダ・スウィントンなんていい意味で贅沢な無駄遣い。
でも見てれば分かる。本作の本当の主役は、殺し屋の男でもファスベンダーでもない。
徹底した完璧主義。
自分に課したルール。
これはもうフィンチャー自身なのだ。
フィンチャーの毎度毎度のクオリティーの高い仕事ぶり。
その根底にあるのは普遍的なものでもある。
開幕の主人公のナレーションがすでに物語っている。
退屈に耐えられない人には、この映画は向いていない。
エンタメ性がどうのとか、芸術性がどうのとか、そんな事はどうでもいい。
自分の作りたいものを作る。挑戦的であっても。
フィンチャーの仕事の流儀。