「洗練されているのか間抜けなのかがよく分からない」ザ・キラー tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
洗練されているのか間抜けなのかがよく分からない
同じ「殺し屋」の映画と言っても、「ジョン・ウィック」の対極を行くようなリアルな殺し屋の生態が描かれる。
もし、殺し屋という職業が実際にあるのなら、こんな感じなんだろうなと納得してしまうような「プロフェッショナルとしての仕事の流儀」が丹念に描かれ、興味が尽きることはない。モノローグで語られる主人公の信条や哲学にも共感できるところが多く、それを冷徹に実践していく所作やテクニックも魅力的である。
ただ、その一方で、そんな洗練された殺し屋の物語の割には、どこか間の抜けたような展開に違和感を覚えるところも多い。
まず、冒頭の暗殺の失敗が、とてもプロの所業とは思えない。素人目に見ても、あのタイミングで引き金を引くなんてあり得ないのではないか?
暗殺の元締めが、失敗した主人公を抹殺しようとする理由もよく分からない。証拠を消すためであるならば、暗殺に成功しても同じことをしたのだろうか?あるいは、あんなふうに失敗する度に暗殺者を殺していたら、優秀な暗殺者がいなくなってしまうのではないか?
主人公が、人目につかないようにひっそりと暮らしているのならいざ知らず、誰にでも分かるような豪邸に堂々と暮らしているところも不自然だし、主人公を殺しに来たはずの暗殺者たちが、主人公の恋人を痛めつけただけで、とっとと帰ってしまうところにも疑問が残る。それが、単なる警告だったのだとしても、主人公に復讐される危険性があるとは思い至らなかったのだろうか?
主人公が、レストランで暗殺のターゲットに同席するという行為も、目撃者や監視カメラによるリスクを高めるだけの暴挙だし、結局、クライアントの命を助けてしまうのも、将来に禍根を残す判断ミスとしか考えられない。
もし、クライアントの富豪が強い自尊心や猜疑心の持ち主ならば、どんな大金を払ってでも、自分を殺す可能性がある者をこの世から排除しようとするのではないか?この後、世界中の腕利きの殺し屋が主人公の命をつけ狙うようになるという、それこそ「ジョン・ウィック」のような展開が容易に想像できるのである。
それとも、このエンディングも、そんな続編を作るための伏線なのだろうか?
どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかが分からない、そんな観客を幻惑させるような作りが、まさにデビット・フィンチャー的であるとも言えるのだが・・・