「一般人がキラーになれてしまう現代社会への風刺?」ザ・キラー Flatさんの映画レビュー(感想・評価)
一般人がキラーになれてしまう現代社会への風刺?
開幕の長い語りからの任務失敗という間抜けさに違和感を覚え、そこから散りばめられた主人公のずさんさを表す描写によって、彼が暗殺者に憧れを抱く素人上がりのキラーなのだと思うようになった。
根拠となる場面をいくつか羅列したい。
開幕の配達員が扉を開けていたらそもそも任務が失敗していた点、偽装ナンバープレートを普通にゴミ箱に捨てていた点、購入履歴が残るAmazonやホームセンターで暗殺アイテムを購入していた点、出航したてで港が近いのにも関わらず証拠を海に捨てていた点、ピットブルが生きていた点、防犯カメラに撮られていた点などなど。
主人公と対比で描かれる綿棒ベテランキラーに姿を晒した心理を見透かされたことや、ベテランキラーのように住宅地に紛れずに豪邸に住んでいることなどを含めて、主人公はその道のプロ暗殺者とは異なる様子で描かれている。
また、劇中で主人公がよく聞いていたザ・スミスのバンド名の意味・理由は「スミスという英国でありふれた人名でも目立ってもいいんじゃないか」といったものらしい。(インタビュー談)
本作のタイトルである『ザ・キラー』が「ザ・スミス」、つまり「ザ・一般人」と重なって見えてくるのである。
となると、作中でしきりに描かれていたカーナビやAmazonの通販や配達システム、レンタル倉庫などの現代の便利なサービス達にも意味が生まれてくるように思う。
この作品が示す真の恐怖は、便利になった現代では、一般人ですら暗殺者として仕事をこなすことが出来てしまうという現実であり、日常ですれ違う全員がキラーになりかねない、あるいはキラーである可能性があることなのである。
ここでフィンチャーの記者会見でのインタビュー談を引用して終わりたい。
「この映画を観たら、ホームセンターで後ろに並んでいる人を怖いと思って欲しい。」