アンダーカレントのレビュー・感想・評価
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いい湯だな‼️
ヒロインは夫に蒸発され、おばちゃんと一緒に銭湯を切り盛りする女性。そんな時一人の男が住み込みで働くことになったり、友人より紹介された探偵と一緒に夫を探したりするヒロインだったが・・・要はこの作品はトラウマの映画ではないかな⁉️ヒロインは幼い頃、仲の良かった友達と共に事件に巻き込まれ、友達を死なせてしまった事‼️夫は自分が嘘をつくことで、いろんな人を不幸にしてきた過去‼️住み込みの男はヒロインの死んだ友達の兄‼️それぞれがトラウマを受け止め、頑張ってトラウマと向き合っていこうという物語だと思います‼️終盤、ヒロインと夫との海辺での会話シーンや、ラスト、ヒロインの後ろを井浦さんが見守るように歩いていくシーンがホント素敵です‼️「パッチギ!」から18年、いつまでも魅力的な真木よう子さん‼️
嘘の本音
今泉監督久々の新作という事で鑑賞。遅めの上映だったので人入りは少なかったですがゆったり観れました。原作は未読です。
スローなテンポでの日常ドラマを見せるのかと思いきや、ミステリーの方向へと舵を切っていくという斬新なスタイルの作風に良い意味で振り回されました。
旦那が失踪したため一時期銭湯を休業していたかなえ、近所のおばちゃんと共になんとか営業再開したタイミングで堀さんという方が銭湯に働きに来て…といった感じのゆったりした作品です。
堀さんは寡黙で不思議な人ですが、仕事はしっかりしてくれるし、ご飯は一緒に食べてくれるし、休日でも用事があれば付き合ってくれる、互いに好意は無いにしても少しずつ信頼関係が生まれてくる様子の描き方が本当に上手いなと思いました。
構成自体は前半と後半でガラッと変わるのですが、大きな事件の描写がほぼ無いので怪しげな雰囲気を混ぜつつも根幹にある"嘘と本当"をテーマ的に貫き通していたのには好感を持てました。
失踪した旦那の失踪した理由がその場所にいられなくなった、嘘をつき過ぎて何が何だか分からなくなった、という共感できなさそうで、意外と引っ掛かるところがあるという不思議な共感の仕方ができました。思いっきり引っ叩いていい?と聞くシーンは笑えました。
堀さんがかなえの元にやってきた理由もなんとなくは分かっていましたが、かなえの友達が堀さんの妹で、仕事でふらっと寄った時にかなえが当時のあの子と1発で分かって、どこか罪滅ぼしのような事をしなきゃという使命感だったんだろうなと思いました。優しい人だからこそ忘れようとしても忘れられないというのがビシバシ伝わってきました。
兄だという事を明かしてからのシーンは多く映さず、犬の散歩をするかなえを後ろから見守るようについていく姿と共にタイトルを出して終わるというなんともオシャレな終わり方でした。物語に余韻も残していましたし、今泉監督らしさを再体験する事ができました。
役者陣も今泉組の面々から珍しい人選などなど様々な面で楽しむ事ができました。キチっとした役の多い真木よう子さんが少し抜けた感じな役割が好みでしたし、井浦さんの感情を表に出せない感じがプンプン伝わってくるのも好きですし、出番は多くないけれど存在感バッチリな江口のりこさん、胡散臭さの中にある優しさが沁みるリリー・フランキーさんと豪華な顔ぶれを贅沢に起用していて不思議な感覚に陥る事ができました。
ここ最近は原作準拠の作品が多いので、ここいらで今泉監督のオリジナル作品が見たいなと思っている今日この頃です。
鑑賞日 10/17
鑑賞時間 19:45〜22:15
座席 C-11
題目 "undercurrent" には意味が2つあること、物理と...
題目 "undercurrent" には意味が2つあること、物理と心理、心して観られました。
人にどう見られたいかで、自身を演じる言葉の量が増える人、
人の反応を気にして、ほとんど喋らない人、
対比が象徴的な。
場面の間の暗転の都度、観ているこちら側も、各自で考えることを促されているような。
考えが内省的になってゆき、
過去の傷口を次々思い出す、
それでも一筋の光はあったような、なかったような…
答えは無いと知りつつ。
考える貴重な機会、内心穏やかではない体験でした。
今回鑑賞したシネコン(イオンシネマ市川妙典 スクリーン1)、近隣で爆音上映中だったのでしょうか? 鑑賞中作品とは合わない、外部の衝撃音が、結構届いてきました。
ロングピース
あなた〜わた~し~の〜もと~から〜突然消えたりし~ないでね〜え〜映画🎵
イコライザー観る前に、何か観ようかなぁと探してたら、今泉監督作品があるではないか!
雨ニモマケズ レッツゴ~💨
いやホントよくできた映画
ミステリー仕立てなので飽きないし、曲者揃いの役者陣の魅力炸裂
井浦新の役は昭和で言ったら高倉健ですよ(真木よう子は倍賞千恵子ね)
瑛太はサ◯◯◯スやらせたら最高だし、真木よう子はいい年して独身男性⇠オレ~オレ~オレオレ~♪連盟の支持率爆上げっすよ!
人間というものは誰でも二面性がありナンチャラカンチャラ なんてレビューをみんな書いているのだろうが、オレハそんな小難しいことは書かない(リリー・フランキーにもヤマザキとヤマサキが…ミタイナ)
ただ一つ言いたいのは、今泉作品は鑑賞後アーダコーダ語りたい映画だってこと(数々のミスリードにことごとく引っ掛かったことも追記しておこう)
池と銭湯のあいだに。
酒の席とかでよく「人に言えない話とかある?」って嬉しそうに聞いてくる人がたまにいる。
人に言えない、言いたく無い話があったとしても
そもそも人に言えないんだから
言えない話があるか無いかの有無さえも言わないのである。だから無いと答えるのが普通である。
これが嘘である。
子供の頃自分がやってしまったことで周りの大人たちが慌て出し次第に状況が一変し、
自分では手に負えない状況に急転していく様子を冷静に見ていたことがあった。それを思い出した。
普通の子供なら親に怒られるのが怖いから罪悪感なく
嘘を言い張る。
嘘がバレたら親に怒られて「どうして嘘ついたの!?」「そんな子に育てた覚えは無い!」と
突き放されたものだ。子供は親に突き放されたら寂しくなって悲しくなって結局最後には
親に「ごめんなさい…」って泣いてわめいて謝った。
嘘はいつかバレてそして怒られる。だから嘘はついてはいけない。
いつの時代もそうやって教えられてきたはずである。
それでも嘘を突き通した。そして今まで生きてきた。
ある事件での体験がきっかけで。
それにしても真木よう子の顔は違和感があり作り物のようにいつも無表情な印象。
だが最後の真木よう子の表情の変化と目の演技は最高によかった。
ようやく目が覚めて人間らしさを取り戻したようだった。
かなえは堀に真実を話すのか?
それともこれからも隠し通して生きていくのか?
かなえの迷いが最後の二人の距離間で物語っているようだった。
空白を差し出されて。
これまでも、作品ごとに空白を描いて絶妙な世界観を見せてくれた今泉監督だけれど、
今作は歴代最高の絶品さだと思う。この空白は脚本の中だったり、カットのつながりの中だったりするのだけど、それが空白である以上、言葉では説明不能だ。言えるとしたら何かが在る事に匹敵するほどの空白の存在感とでも言おうか。当然そこでは何も起きてないし、何も行われてない状況だ。今回は日本が誇る手だれの俳優たちのコラボで尚更、シーン内で人物たちが創り出す空白が心地よい。今泉監督がどんなふうにこの空白を差し出しているかなかなか判りづらいと思うけど…1箇所、真木よう子と井浦新が他所の廃業銭湯にボイラーを見に来たシーンで、案内した年配の男性と3人でダメになったボイラーを見ながら呆然とするシーンがある。長い余韻のあとに男性のキャップが風に飛ぶのだけどよくそこまでカメラを回して、それを使ったなと感心する流れがある。本番でここまで回している創作の中に空白が生まれる余地があるのだろう。家路についても、翌朝になっても、この空白を埋める楽しみを与えてくれる。この空白を埋める創造力が備わってないと、なかなかこの作品を堪能するのは至難でしょう。
空白を差し出すという意味では、リリーフランキーさんの存在感も相変わらず素晴らしすぎた!
独特の世界観と、今泉ワールドの融合
今泉監督作品、『ちひろさん』に続き今年二本目。
最初のカットでなんとなく雰囲気がわかる。
なんだかわからないまま進むが、途中から事件が絡んできたり、過去や思いの開示がすぐに連れて、この作品のテーマがわかってくる。
原作があるからか、思ったよりはストレートに伝えてきたな、と印象。
水が重要な役割を果たしており、それをサポートする幻想的な音楽も世界観へ引き込む大事な要素になっていた。
今泉監督といえば、日常描写とクスリと笑うシーン。それもちゃんとしっかり入っていた。
ただ、真木よう子がどうしても、漫画の登場人物を演じているようで、「日常」感がいまいち感じられなかったのが正直なところ。複雑な役どころで難しかっただろうが、芯が強そうな女性という見た目しかハマるところがなかった。
作品の大半を彼女がしめるため、絵面的に惹かれなかったが、その違和感こそが狙いなのかもしれない。
脇を固める俳優陣はなかなか。井浦新ほ毎回似たような落ち着いていて秘密を抱えている役だけど、期待通りの演技。
リリーフランキーは一瞬で作る空気感、康すおんは初めて見たけど、役柄どおり、なかなか粋な演技で魅力的だった。
話の展開も面白かったが、誰しも思い当たる節があるテーマで、自分に当てはめて考えてみたくなる映画だった。
けど、漫画っぽさとわかりやすさは否めなかった。
2023年劇場鑑賞96本目
ギャグエピソード減でシリアス増
原作から、少しニヤリとしてしまうようなギャグエピソードの多くがカットされてしまっており、
それに伴いなのか、一部の登場人物の性格も変わっており、
全体的にシリアスが強調された雰囲気になっています。
堀さんは、終始、悲観的に寄り過ぎている表情、声のトーンと喋り方で、
原作を尊重するのであれば、もっとプラマイゼロというかニュートラル寄りのキャラクターにして欲しかったです。
あとラストは原作と異なる終わり方ですが、
堀さんが泣くシーンは余計かなと思いました。
また、過去のトラウマを思い出して寝込んだかなえが、
看病しに来た堀さんに対して、
自分の首を締めるようにお願いするシーンがありますが、
カメラアングルがずっと引きで撮られているせいで、
堀さんがかなえの首を締めるのでは!と、一瞬見せかける、
視聴者に対してミスリードさせるような演出が分かりづらくなっており、
非常にもったいないと感じました。
山崎も、原作よりもお笑い要素がかなり少なくなっており、
リリー・フランキーがリリー・フランキーを演じているという感じでした。
原作の、遊園地で山崎が風船を空に飛ばすくだりが個人的にかなり好きだったのですが、
違う演出になっており残念でした。
サブ爺も、原作ではチャランポランなダメ人間だからこそ、
最後に堀さんを見送るシーンが際立つのに、
ギャグエピソードがカットされてしまっているせいで、
サブ爺の人となりも掘り下げられず普通のおっちゃんになっており、
コントラストが全く無くなってしまっているのが残念です。
個人的には、原作のギャグとシリアスの絶妙なバランス
からのラストの切ないエンディングがかなり好きだったので、
総じてやや残念、なんだか物足りない、という感想です。
あくまで、原作とは別物として楽しむ事をオススメします。
旦那の失踪の何故?
今泉監督らしい、鑑賞側に問いかけてくるかのような人間ドラマ。
分かった気になっていても他人はおろか自分自身も本当にわかっているのか?
少なくともこの映画を通して改めて考えることになっただけでも意義がある。
ラストシーンはどういう風に解釈するのか?
厳しくも温かい空気が好きだった
今泉力哉監督 × 真木よう子さん
豊田徹也さんの長編コミックを実写映画化したとのこと。
厳しい話なのにこの温かさは一体?
自分のことがわからなくてもがき苦しむ。
他人のことなどわかるはずもなく。
しかし一縷の幸せが見え隠れするアイロニー。
間違いなく心地良かった。これまでの今泉作品と同様にずっと観ていたかった。
てか、今思うとこれまでの作品のほとんどが心地よいファンタジーだった.
真木よう子さん、今作で好きになりました。
細野さんの音楽も好きでした。
この作品が好きでした。
30台半ばのかなえ(真木よう子)は、しばらく休業していた銭湯「月乃...
30台半ばのかなえ(真木よう子)は、しばらく休業していた銭湯「月乃湯」を再開することにした。
休業していたのは、かなえの夫・悟が銭湯組合の慰安旅行先で、突然姿を消してしまったからだ。
叔母(中村久美)とふたりで再開したが、やはり女ふたりでの営業は厳しい。
そんなところへ、組合から紹介されたと堀と名乗る男性(井浦新)がやって来た。
無口な男であったが真面目そうでもあり、雇い入れることにした。
また、ある日のこと、かなえは大学時代の友人・よう子(江口のりこ)で出会い、旧交を懐かしんでいたのもつかの間、夫の失踪をよう子に告げ、彼女から私立探偵の山崎(リリー・フランキー)を紹介される。
得体のしれない山崎がかなえに持ってきた悟の報告者、かなえの知らないことだらけだった・・・
といった物語で、正体不明の夫・・・というと昨秋の『ある男』を思い出す。
「アンダーカレント」というのは、地下水流のことらしく、ひとそれぞれの隠された一面の暗喩。
ま、誰しも相手のことはよくわかっていると思いながらも知らないことが多かった、というのはしばしばあることで、山崎が初対面のかなえに対して「あなたはどれだけ悟さんのことを知っているというのですか」と問うが、山崎はその前にかなえから提示された写真を見て悟のことをあれやこれやと推察して、テキトーなことを告げている。
この場面が結構面白い。
ひと皆、相手のことは第一印象のバイアスがかかっていて、だいたいあやふやな印象を引きずったまま、相手を見てしまう。
その態で行くと、テキトーな第一印象を翻す山崎は、意外と人を見る目がある(この時点では、そんなことは微塵も感じさせないリリー・フランキーの演技が素晴らしい)。
さて、かなえの知らなかった悟という人物が立ち上がってくると同時に、無口でほとんで何も語らない堀の過去も立ち上がってくる。
いや、このふたりよりも大きく立ち上がってくるのは、かなえの過去。
トラウマのように何度も夢でみる、水底へ落ちていく自身の姿・・・
そこにあるもの・・・
と、この繰り返される水底のかなえの図は、これまでの今泉監督の撮ってきた画と印象が異なり、パッと観たときに、江戸川乱歩の小説の一部かと思ったほど。
江戸川乱歩的、というのはあながち間違いではなく、最終的に三者三様の心底のアンダーカレントが浮かび上がってくるからね。
ということで、映画の物語的には非常に興味深く観れたのだけれど、気になったところもいくつか。
本作では、フェードアウト&長めの黒味での場面転換が多様されているが、月が変わる際の表現としてはよいものの、同一日のうちなどでも用いられると、時制が混乱してしまう。
別の技法を用いる方がすっきりしていたのではないか。
もうひとつは、堀の過去が立ち上がる際のキーパーソンとなるタバコ屋の主人。
原作での扱いがどうかは知らないが、映画中では少々しゃべらせすぎ。
主人がしゃべることで、映画自体が持つ謎性のようなものが薄まった感じ。
「どうして戻って来たんだい」というのは拙く、「まぁ、戻ってきたんだね」と堀に寄り添う台詞を言った後は聞き役に徹する方がよかったかもしれない。
で、別れ際に「にいさんの沸かした湯はよかったよ」と言って去る、とか。
ただし、そうすると脚本がすこぶる難しくなるのだけれど。
このタバコ屋主人と堀のエピソードとクロスカットで描かれるのが、かなえと悟(永山瑛太)の対峙シーンだが、ここはふたりがうまく、納得。
特に、永山瑛太の繊細な演技が光る。
「きみのことが好きになったから一緒にいるのがつらくなった、と言えばいいのかな」という悟の台詞、「と言えばいいのかな」というところが、台詞としての重み。
人物像が立ち上がってきて、いいですね。
そのほか、いくつかのロケーションを組み合わせて、「月乃湯」のある架空の町を作り上げているのだけれど、下町なのか郊外の住宅街なのか、ちょっと印象がバラついた感じになっているのも気になったところ。
と、いくつか気になる点を挙げたけれど、個人的には好きな映画です。
骨太俳優たちがすばらしい。
初日舞台上映に参加。好きな俳優、瑛太さん、顔ちっちゃい!
国境を越えて愛されている物語は映画化されて海外から絶賛。
『では質問しますが、人をわかるってどういうことですか?』『生きるための嘘は、罪ですか?』深く刺さる言葉が連発。結局は傍にいるパートナーのことも誰もわかり得ない、相手を思い遣る『嘘』は是か非か、とても考えさせられるスローに流れる描写が絶妙な映画。
原作未読。二度鑑賞。
試写会で鑑賞済みでしたが、舞台挨拶のチケットが当選したので2回鑑賞しました。
淡々とした場面が多い作品なので、二度目は眠くなりました…
原作未読(試し読み数ページだけ)ですが、真木よう子が役柄のイメージに合わず…。
あの女優さんだったら良かったなー、と思う方がいて、ちょっと調べたら過去に「漫画のファンで主人公を演じたい」と言ってたインタビュー記事を発見…(笑)
原作ファンの方がどう思うか分かりませんが💦
キャロルリードのフォローミー
心地好い上品を評すが、随所で微妙に語り過ぎか。
「さよなら渓谷」以来久々に真木よう子にイイ役、でも似た役。
演者陣重複ゆえか山下敦弘側に踏み込んで今泉力哉らしさが減じた感も。
手堅く私的年テン中位当確。
再見したいのはCリードの「フォローミー」。
今泉力哉監督からの挑戦状
Bill EvansのCDは何十枚と持っているが、名作といわれるUndercurrentは苦手だったりする。Scott LaFaroよりPaul Motianの方が重要だと思っているくらいなので、水圧にリズムが抑制された状態がいやなのかも知れない。
今泉力哉監督作は止めておこうと思うのに、ヒトの評価が良いと見逃すのが悔しくて、チケットを買ってしまう。協業もしている城定秀夫監督作はエロ要素がなくても好きなのに、辛い評価をしてしまう。
今作は演技力が高いキャストを配した上に、演技を殺した芝居をさせているように思えた。劇伴はほとんどなく、彩度の高いものは写らないし、終わり方も、そもそも映画自体が水の中にあるような。これが江戸川区か?こういった作品は他にもあり、成功もしているが、今泉監督がやらなくてもいい気がするし、進化の過程とすれば不十分。
とういった順序で撮影しているか不明であるが、序盤は普通の会話をしているし、かなえが泣き崩れるところはつながり悪いし、悟の語りは長すぎて単調だ。映太が少しせりふを咬んだのをそのまま使ったのは良かったのに。深いプールのそこなのに、一部は波がアリ、一部は海流があるような感じ。
そして、たばこがやっぱり登場する。今までは、喫煙所から話がころがる映画だったのに、今回はたばこが全く出てこなくても問題なし。隆之の喫煙するタイミングは、キツイ銘柄をすっているワリには、ニコチン中毒者のそれではなく、井浦新はちゃんと肺には入れてない。たばこシーンを批判する、僕に対する挑発じゃなかろうか(自意識過剰)。原作ではどうなんだろう。
物語としては好きな分野なので、原作は楽しく読めるかも知れないが、今作は何かが欠落しているのだ。沈んでいくのは、池や風呂くらいで、1mもない。僕が見たいのは、Get Outでダニエル・カルーヤがかけられる呪いみたいな、底が知れない静さ、暗闇、孤独なのだ。
それではひとつ聞きたいのですが、人をわかるってどうゆうことですか?
今泉力哉監督の描くミステリー。まあそれで間違いはないのだが、謎解きというよりも人間の心の奥底にしまい込んだ何か(過去、嘘、本当の自分、、)を問いかける物語。映画の中のセリフは、誰の発言とも限らず、今泉監督によって柔らかく伝わってくる感覚がある。それはときに、物語の中のセリフなのに、あたかも自分への言葉のように。
「日本では年間85,000人の人が失踪しているんです。」と探偵山崎は言う。調べると確かに、警察庁発表『令和四年における行方不明者の状況』において、「令和4年は、統計の残る昭和31年以降で最少を記録した令和2年から2 年連続で増加し、8万4,910人(前年比5,692人増加)となった。」とある。前年比増加率が6%を超えているってことにも驚きを隠せないが、まあそうだろうなと頷いてしまう自分もいる。自分でも時たま、このまま何もかも捨て去ってしまえばどれほど気楽かと思うこともあるからだ。でも、実際はその選択はないのだが、何かしらのキッカケや背中押しがあれば、あり得なくもない。
映画鑑賞の後に、原作漫画を読んでみた。当然、映画のセリフと同じセリフばかりなのだが、結末を知ったあとに読む言葉の数々は、すべて結末を示唆したフラグにしか思えなかった。それはネタバレを知ってしまったうえでの興ざめとかの類ではなく、ほらここで君(かなえ)は無意識のうちに真相に気づいているじゃないか、というじれったさ。当然それも、鈍感さに対する苛立ちというよりは、手を差し伸べたくなるような歯がゆさに似てる。
山崎が言う。
「結局ね、わからないことをあれこれ考えてもしょうがないんですよ。わからないことはわからないし、わかることはそのうちわかるでしょう。」
投げやりのような、関心のないような、そんな他愛のないようなセリフでもあるが、これがまたとても愛情深く聞こえてくるのだから不思議だ。
そして続けて言うのだ。
「奥さん、あなたはどうです?あなた自身のことは彼にわかってもらえてたんですか?」
この言葉を目にした瞬間、強く胸を叩かれた。
ふと、是枝監督のテレビドラマ「ゴーイングマイホーム」の中で宮﨑あおいが、失踪した旦那加瀬亮を突き止めた時の場面を思い出した。加瀬亮の理由は、この映画の中の瑛太とは違っていたが、一度は信じた男が自分から気持ちも含めて離れて行ってしまった女の表情という点において、真木よう子と宮崎あおいの顔は、同じだった。
サブじいの言葉が頭をよぎる。
「どう見えるかということは、何をするかということとあまり関係ないことだからな」
世間の人付き合いの真理だ。そして僕が人付き合いが下手で、友達も少ないのは、これに気づいていてるから人に頼ることをしたくないからなんだろうなって、思えた。
自分自身に向き合いながらも誰かに委ねることを問う作品かと思います。
今泉力哉監督の作品は流れる空気感と言うか、世界観が結構好きなんですが、今作も気になっていた作品なので鑑賞しました。
で、感想はと言うと…良いすね♪
独特の世界観でゆっくりと流れる時間。台詞もBGMも光量でさえ、最小限で留めている。和食のような素材の良さを活かす感じで味付けは素朴な感じ。
空気感すらご馳走に感じる味わいは他の方も仰られてますが、文学のような味わい。
ここに昔ながらの薪で沸かす銭湯が舞台と言うのが良い。個人的にはひとっ風呂浴びた後の瓶のフルーツ牛乳やコーヒー牛乳、マミー等をグビッと味わうシーンがあったら文句無しw
原作は未読ですが、漫画が原作と思えないくらいに淡々とした世界観に今泉力哉節が活きている。
個人的に好きなのは場面転換の暗転が多用されていて、何処か演劇のような雰囲気も感じるんですよね。
夫の突然の疾走と謎の男の訪問と突然の就労。近所の女の子の事件とそれぞれの過去の想いと回想。
それぞれの出来事は鷹の爪や山椒のようにピリリと辛くも刺激的な切っ掛けであるけど、それが邪魔している感じはしない。
あくまでもアクセントになっているのが心地好い。
だが、かなえの心の奥底には静かにそして時折澱むかのような水流(アンダーカレント)が存在している。
今泉力哉監督とメイン脚本を担当されている澤井香織さんと組み合わせの妙に日常の静かさと誰もが心の奥底にある水流との対比が文学的なのではないかと。
プロレスで言えば、アメリカンプロレスでもハイスパートレスリングでも無く、キャッチアズキャッチキャンのランカシャーレスリングのような味わいと言うか…って解り難いですねw
真木よう子さんに井浦新さん。リリー・フランキーさん、永山瑛太さんと隙の無いキャスティング。
井浦新さんは自分が観る作品に御目にかかる機会がホント多いけど、良い味を出されているんですよね。
また、探偵の山崎役のリリー・フランキーさんが良い感じ。
雑多な探偵と想いながらも徐々に味わいと独特のニヒリズム漂う山崎が良いんですよね。遊園地のシーンやかなえと悟を引き合わせた海辺のカフェでのコーヒーの配膳の振る舞いなんてシブ過ぎ♪
また、カラオケ屋でのダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「裏切り者の旅」を歌うなんて、変化球かつ皮肉が効いているのが良い。
ただ、個人的に感じた難点も無きにしもあらずで、ラスト30分ぐらいからの伏線の回収と言うか、それぞれの切っ掛け回収はちょっとどうかと。
特に悟の行方が判明した件は良いとしても、2人を引き合わせて、悟が失踪した理由を明らかにするのは個人的にはちょっと余計と言うか、戴けない。
かなえと山崎が悟との待ち合わせ場所に向かうところで止めていても良かったと思うし、ここは観る側の考察に委ねた方がスッキリすると言うか、“らしい”んではないかなと。
悟の今までの葛藤や理由を明らかにされてもちょっと勝手に感じるし、冷静に考えるとなかなかメンヘラでサイコパスなんですよねw
まあ、そうすると永山瑛太さんが回想のみなのでなかなか贅沢な使い方になるんですがw
かと言って、重油ボイラーをもらいに行った先の意味深な火災とか本筋に絡みそうで絡まない出来事もあり、ラストのかなえが犬の散歩をする後ろでストーカーのような絶妙の距離で付いていく堀との描写は観る側に委ねる素敵なラストだからこそ、余計にラスト手前からの回収パートは個人的には少し残念かな。
劇中で「自分は嘘つきです」と言う台詞があるけど、自分を正直者と言う人ほど、嘘臭いと思えるし、台詞にするとちょっとこっ恥ずかしくなる。
自分自身が時々分からなくなる時だってあるのに、ましてや家族と言えど、他者が分からないなんて、普通と言えば普通。
誰しもが自分の心に対しては当事者のようで何処か門外漢なのではないかと。かなえや堀、悟は赤裸々に語れば語るほど門外漢な自分の心との葛藤を悩まされるが、そこに居る人との距離が嬉しかったりするんですよね。
だからこそ、ラストが心になんか染み入ります。
143分と言う上映時間は長いと言えば長い。でも、鑑賞中の時間がなんか心地好く贅沢な時間にも感じる。
薪割りのボイラーの銭湯(また、中の湯船の周りの装飾が良いんだコレが♪)。飼い犬。たばこのピース。縁側。どじょう。ボイラー室の横の休憩部屋。近所の人との交流。エトセトラエトセトラ…と素敵なモノが詰まっている。
慌ただしい日常の中で、雲の流れを見ていたり、川側でゆっくりしてみたり、窓の外を見ながらお茶を飲んだりする時間を贅沢に感じ味わえる人で映画は劇場で観る主義の方なら余計に好きな作品ではないでしょうかとw
なので、是非劇場で味わって欲しい作品かと思います。
人を分かるとは
その人に表れた面から定義をするレッテル張りなのだろう
自分の心にさえ向き合わないように暮らしているのだ
嘘で繕う生活に耐えられなくなった男
癒やしようのない傷を共にすることを選んだ男
真木よう子、井浦新、そしてリリーフランキー!皆良い
細野さんの音楽も
100人/日
希死念慮が付きまとう出だしで、原作は未読だが今作は逃れられない何かを引きづる話だろうと想像する
とはいえ、今泉節もちょいちょい差込まれる 特にリリー・フランキーのおとぼけコメディリリーフは絶品だ それと対を成すかのうような康すおんの爺さん役は始め高名な落語家なのではと見紛った程、独特の節回しがやけに心地よい
父親を亡くし、旦那が失踪し、自分の周りからどんどん大事な人が消えていく憂き目に遭う主人公の喪失感を十二分に表現している真木よう子の演技力はキラリと光る そう、今作は配役が絶妙にピタリと嵌るキャスティングなのだ
1/2の負けの方は、卓球映画『ミックス。』の引用だろう(苦笑)
そして赤ちゃんの仇名は作家町田町蔵ではなく町田 康のギャグ まぁ本筋には全く関係無いところにスルリと入れ込んでくる(苦笑)
本題に戻るが、そんな幽霊的生き方をしている風呂屋にふらりと寡黙な男が求職に訪れる 抑揚を抑えた、何かスネに傷持つイメージを掻立てられる佇まいは井浦新の真骨頂だろう
そして、薪でくべていた燃料を重油に変更する際の器具を貰う約束をしていた別風呂屋の亭主も失踪し風呂屋はボヤ騒ぎを起こし、益々尋常じゃない雰囲気を醸し出す 一種のホラーかも知れない そしてクライムサスペンス張りに常連客である小学生女子が事件に巻き込まれ失踪する(最悪の事態は免れるが)
そこで主人公は初めて観客にその希死念慮の原因を訥々と表明する
そこからは怒濤のクライマックスへと疾走感がストーリーに彩りを付けていく
見付かった夫は"虚言癖"のサイコパスだったことを自ら吐露する 虚構で生きている男は、"子供"だ"ボイラー”だという現実が湧き出るからこそ、あの苦い顔を一瞬表面化する あのシチュエーションは今作の白眉であろう
人は表面のみで他人を判断する 知った振りをする イメージを落とし込む 本当の自分は水の底にしかない 主人公の小さい頃の壮絶な出来事は確かに異様でありトラウマとしてはこの上ない 自分の代わりに毒牙に懸かった顔立ちが似ている友達 その友達はいつも兄が迎えに来ていた その兄を含めた家族も又喪失感に苛まれ一家離散の憂き目に遭う
その兄が不気味な男であり、同じ傷を抱えた主人公に引き寄せられたのだ
本当に不思議で、でも『仄暗い水の底から』寄り添い共存できる関係を構築できる可能性を示唆したテーマなのである
どじょうはそれ程好きではない事実も、黙っていれば誰も気付かない
それでも、本当の自分をせめて米粒ほどでも知ってくれる人が傍にいる そんな幸せを、ラストの微妙な距離感で犬の散歩をしている2人に祈りたい、そんな想いに胸がいっぱいである
※題名は一日の自殺者数
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