「30台半ばのかなえ(真木よう子)は、しばらく休業していた銭湯「月乃...」アンダーカレント りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
30台半ばのかなえ(真木よう子)は、しばらく休業していた銭湯「月乃...
30台半ばのかなえ(真木よう子)は、しばらく休業していた銭湯「月乃湯」を再開することにした。
休業していたのは、かなえの夫・悟が銭湯組合の慰安旅行先で、突然姿を消してしまったからだ。
叔母(中村久美)とふたりで再開したが、やはり女ふたりでの営業は厳しい。
そんなところへ、組合から紹介されたと堀と名乗る男性(井浦新)がやって来た。
無口な男であったが真面目そうでもあり、雇い入れることにした。
また、ある日のこと、かなえは大学時代の友人・よう子(江口のりこ)で出会い、旧交を懐かしんでいたのもつかの間、夫の失踪をよう子に告げ、彼女から私立探偵の山崎(リリー・フランキー)を紹介される。
得体のしれない山崎がかなえに持ってきた悟の報告者、かなえの知らないことだらけだった・・・
といった物語で、正体不明の夫・・・というと昨秋の『ある男』を思い出す。
「アンダーカレント」というのは、地下水流のことらしく、ひとそれぞれの隠された一面の暗喩。
ま、誰しも相手のことはよくわかっていると思いながらも知らないことが多かった、というのはしばしばあることで、山崎が初対面のかなえに対して「あなたはどれだけ悟さんのことを知っているというのですか」と問うが、山崎はその前にかなえから提示された写真を見て悟のことをあれやこれやと推察して、テキトーなことを告げている。
この場面が結構面白い。
ひと皆、相手のことは第一印象のバイアスがかかっていて、だいたいあやふやな印象を引きずったまま、相手を見てしまう。
その態で行くと、テキトーな第一印象を翻す山崎は、意外と人を見る目がある(この時点では、そんなことは微塵も感じさせないリリー・フランキーの演技が素晴らしい)。
さて、かなえの知らなかった悟という人物が立ち上がってくると同時に、無口でほとんで何も語らない堀の過去も立ち上がってくる。
いや、このふたりよりも大きく立ち上がってくるのは、かなえの過去。
トラウマのように何度も夢でみる、水底へ落ちていく自身の姿・・・
そこにあるもの・・・
と、この繰り返される水底のかなえの図は、これまでの今泉監督の撮ってきた画と印象が異なり、パッと観たときに、江戸川乱歩の小説の一部かと思ったほど。
江戸川乱歩的、というのはあながち間違いではなく、最終的に三者三様の心底のアンダーカレントが浮かび上がってくるからね。
ということで、映画の物語的には非常に興味深く観れたのだけれど、気になったところもいくつか。
本作では、フェードアウト&長めの黒味での場面転換が多様されているが、月が変わる際の表現としてはよいものの、同一日のうちなどでも用いられると、時制が混乱してしまう。
別の技法を用いる方がすっきりしていたのではないか。
もうひとつは、堀の過去が立ち上がる際のキーパーソンとなるタバコ屋の主人。
原作での扱いがどうかは知らないが、映画中では少々しゃべらせすぎ。
主人がしゃべることで、映画自体が持つ謎性のようなものが薄まった感じ。
「どうして戻って来たんだい」というのは拙く、「まぁ、戻ってきたんだね」と堀に寄り添う台詞を言った後は聞き役に徹する方がよかったかもしれない。
で、別れ際に「にいさんの沸かした湯はよかったよ」と言って去る、とか。
ただし、そうすると脚本がすこぶる難しくなるのだけれど。
このタバコ屋主人と堀のエピソードとクロスカットで描かれるのが、かなえと悟(永山瑛太)の対峙シーンだが、ここはふたりがうまく、納得。
特に、永山瑛太の繊細な演技が光る。
「きみのことが好きになったから一緒にいるのがつらくなった、と言えばいいのかな」という悟の台詞、「と言えばいいのかな」というところが、台詞としての重み。
人物像が立ち上がってきて、いいですね。
そのほか、いくつかのロケーションを組み合わせて、「月乃湯」のある架空の町を作り上げているのだけれど、下町なのか郊外の住宅街なのか、ちょっと印象がバラついた感じになっているのも気になったところ。
と、いくつか気になる点を挙げたけれど、個人的には好きな映画です。