「異質な2つの物語を1つにまとめたことで「据わりの悪さ」を感じてしまう」アンダーカレント tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
異質な2つの物語を1つにまとめたことで「据わりの悪さ」を感じてしまう
夫婦であれ、親子であれ、相手に自分のすべてをさらけ出して生きている人はいないだろう。相手に伝えていないのは、必ずしも「秘密」とか、「隠し事」とかではなく、「敢えて相手に伝える必要はないだろう」といったレベルのことも多いに違いない。
それは、相手も同じことで、そういう意味では、お互いに100%分かり合えることなどあり得ないし、あくまでも自分の知っている範囲内で「相手を分かっている」と思うしかない。
ただ、そこには、「自分が知りたいと思うことしか知ろうとしない」という作用も働くはずで、必然的に、主観的で独りよがりな思い込みにならざるを得ないのでないか?
そんなことを考えながら映画を観ていると、途中から、どこか「据わりの悪さ」を感じはじめる。
最初の頃は、突然失踪した夫と、風呂屋を手伝いに来た男にまつわる2つの謎を軸として物語が進んでいくのかと思っていたが、突然、主人公が、過去の殺人事件のことを思い出して、その違和感に戸惑ってしまう。
そもそも、いくら「忘れてしまいたい」と強く願っていたとしても、そんなに綺麗さっぱりと過去の出来事を忘れ去ることができるのだろうか?「自分のことは、他人のこと以上に分からない」といったことを描きたかったのかもしれないが、それにしても都合がよすぎるのではないか?
しかも、夫の失踪と過去の事件とは、結局、何の関わりもないのである。
さらに、終盤で明らかになる夫の虚言癖は、明らかにパーソナリティに問題があると思われ、過去の忌まわしい出来事を封印しようとしていた主人公や手伝いの男の秘密とは、まったく事情が異なると言っていい。
「相手のことを、分かっていると思っていても、実はよく分かっていない」ということを描きたかったはずなのに、その相手が、息を吐くように嘘をつくサイコパスでは、「分からないのも無理はない」ということになってしまうのではないか?
いずれにしても、夫の失踪と過去の事件とはまったく関連性のない話だし、鍵を握る男のキャラクターも異なるので、それぞれを分けて、別々の物語として描いた方が良かったのではないかと思えるのである。