「銭湯が舞台なのに、冷たい水が全編を覆うミステリー」アンダーカレント クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
銭湯が舞台なのに、冷たい水が全編を覆うミステリー
今泉力哉監督の最高傑作でしょう、現時点で。冒頭から説明されるアンダーカレントの意味である「心の底流」のとおり、通常では伺い知れぬ深層心理が本作のテーマ。それを映像化するにあたって全編「水」がモチーフで、それも銭湯の温かさではなく冷たい水のイメージが随所に現れる。湯船に勢いよく太い蛇口から放出される湯、のはずなのに全然熱そうでないところがミソ。湯気も一切なく、主人公かなえは素手で蛇口を閉める。幾度となく映し出される水没するイメージ、物事から隠れるように冷たい水底に横たわる。水は透明なのに潜った瞬間に音も遮断され隔離される、そこに見えているのに隠される。
夫の突然の失踪、都合よく領域に入ってきた男、学生時代の旧友との再会、探偵の登場、かなえの隠された過去のトラウマ、そこで起こる常連客の子供連れ去り事件、これらがミステリーのプロセスを以って順次描かれる。謎を観客と共有しながら真相に少しずつ近づく作劇は、昨年の邦画アカデミー賞受賞の名作・石川慶監督の「ある男」2022年とそっくり重なる。表層的には中野量太監督の「湯を沸かすほどの熱い愛」2016年とほぼ同じですが、温度がまるで異なる。タイトル通り熱い宮沢りえ扮する主人公に対し、本作主人公である真木よう子はまるで冷めている、この違いが作品を真逆の方向性に運んでいる。
セリフが良く練られており、次のセリフが何の違和感もなく予測出来てしまう滑らかさ。それを浮かび上がらせる照明も自然光を優先し、半分は影で造形する。緊張感が終始横たわり、緩めのテンポにも関わらず集中力が途切れず、143分の長丁場も心地よい。予告編にも使われた本作の肝のようなシーンはリリー・フランキー扮する探偵から発せられる「人をわかるって、
どうゆいうことですか?」でしょう。
シークエンス毎に印象的なカットで締めくくり、一旦フェードアウト溶暗後には別のシークエンスに移る。原作が豊田徹也氏による長編コミックとは驚きですが、まさに漫画の重点シーンの最後の瞬間のカットをそのまま実写したような趣が秀逸です。当然トドメのカットはラストシーンの井浦新扮する堀の振り絞った告白に顔を上げるかなえの表情ですね。素晴らしいカット、なかなか邦画に無いフランス映画のよう。かなえのみならず観客までもドキッとする指摘です。
「アンダーカレント」なんてタイトルよりズバリ「嘘」の方が分かり易い。3人ともそれぞれ嘘を抱え、押さえつけてきた。でも人間ってのは基本性善説だから嘘を貫くのは実は苦しい、それを吐露する口火を描いた作品なのは間違いないでしょう。それによる結果より明らかにそのプロセスに重きを置いているのだから。ラスト近く、遂に対面した夫との再会、「最後に思いっきりひっぱたいていい?」と言いつつ案の定叩かなかったかなえ。温かい湯は心をほぐすけれど、冷たい水は心を閉ざす通り、最後まで冷めたかなえでした。
理想的なキャスティングが組まれ、デリケートな芝居の醍醐味を味わえる。思いの他出番が少なかった永山瑛太の終盤の登場シーンのロングカットは素晴らしかった。予想通り場をさらってしまうリリー・フランキーの存在感と、かなえに波風立てる旧友役の江口のりこのさり気なさ、脇役の輝き方を熟知されてるようです。タバコ屋のおやじ役の康すおんは美味しいところを持って行ってしまう、今時タバコ屋なんて無いのにね。
おっと、音楽が知的と思ったらエンドクレジットに音楽・細野晴臣と、流石です。