「全盲の視覚障がい者の暮らしと日常を、カメラは傍観者的な視点でとらえ...」目の見えない白鳥さん、アートを見にいく ピラルクさんの映画レビュー(感想・評価)
全盲の視覚障がい者の暮らしと日常を、カメラは傍観者的な視点でとらえ...
全盲の視覚障がい者の暮らしと日常を、カメラは傍観者的な視点でとらえています。
白状を使って独りで歩くさま、という観察する視点としては入門?レベルから、買い物をする、食事をする、IT機器を使う、などなど。想像のつく不便さを次々とクリアしていく様子は、ときに想像を超えた果敢な行動に映ります。たとえば、歩き慣れた道ですらその日に限って工事中であれば、たちまちにして一歩踏み外せば滑落の山道を進むのにも似たリスクの渦中に置かれてしまうという、非日常的なな日常ぶり。
外国映画に出てくる日本が日本でないのに似て、映画に出てくる視覚障がい者というのは概して視覚障がい者らしくないです。障がいは物語のネタにされてますので、脚色されています。しかし本作は違います。ありのまま、素のまま。『そのまま撮ってどうすんの?』とツッコミ食らいそうなぐらいフツーに撮ってフツーに映してます。
視覚障がい者の知人を身近に持たない観賞者には、隣の人間国宝ならぬ隣のエイリアン的な視覚障がい者の生活の覗き見自体が新鮮でしょう。また少しは視覚障がい者の暮らしを存じている観賞者のかたには、全盲でありながら美術観賞を楽しむ術とはどういうものか、という点に惹かれるでしょう。
視覚障がい者と美術館といえば、知る人ぞ知る、この世界では有名な先達がいらっしゃいます。そう、広瀬浩二郎さんです。
普通は触っちゃダメとされている美術館の美術品を触りまくってOKとし、美術観賞の世界を拓いた方です。比べるところではないですが、こちらでは180度ちがう立ち位置で美術館を楽しんでいるという点が、心のなかで比べてみればおもしろい点です。
見えないことで楽しみを奪われているかのように思える視覚障がい者ですが、それはあくまで健常者の健常者的思考であって、全盲の世界に住むことを受け入れて、失ったものを数えることをやめて、その世界での楽しみをあきらめなければ、白鳥さんのように達観の笑みをうかべてこころ健やかに暮らせるんだなという、全人類を明るく照らす光がこの映像の光に重なっているなと気づかされました。無から有を産む楽しみの錬金術は、実はそこかしこにあり、見えない人ほど見つけやすいことなのかも。
白鳥さんの自然体の姿が、ひとつの答えを誘っているようで、全編通しておさまりよいのです。