オットーという男のレビュー・感想・評価
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昭和の頑固ジジイ
さすがのトム・ハンクス
いい話しではある。
高齢化社会や孤独死とか、そんな事にまでメッセージは広がりそうな雰囲気もあった。
あの偏屈さを除き、オットーみたいな人は珍しくはないと思う。かくゆう俺も家族がいなけりゃ1人なような気もする。
すすんで隣人と交わろうなんてしないし、東京じゃ隣の部屋に誰が住んでるかわからないし、関わらないのが無難というかエチケットというか…そんな風潮さえある。
なので、自分の何年後かを見てるような気にもなる。
物語の落とし所はすぐに分かる。
あぁ、この家族との交流を経て彼の心は溶けていくのだなぁと。ラストに至り自らを「おじいちゃん」と呼称するオットーが微笑ましい。
彼は偏屈ではあるが、根はいい人なのだ。
彼の良さを見抜き1番の理解者でもあったろう妻が亡くなった事で、彼も死のうとする。
彼女がいない世の中で、何の為に生きていくのか分からなくなっていたのであろう。裏を返せばそれ程までに彼の情は深いのだ。彼が周囲を煙たがる程、周囲は彼を煙たがってはいないってのも、いい匙加減だ。
亡き妻の功績も大きいのかはしれないが。
ブツクサ言いながらもちゃんと助けてあげる描写とかも効いてる。社内では老害のような扱いではあったけど、おそらく彼が退いてからの会社は混乱を極めるのではなかろうかと思えてしまう。
とまぁ、物語の筋が分かっても見てしまう。
これが俳優の力なのかと思う。
オットーの笑顔が見てみたいと思う。
彼の目に慈愛が灯る時を見てみたいと。
きっとトムがそうさせる。
なのだがさすがはトム・ハンクス。オットーが優しく笑うカットも、オットーの目に慈愛が灯る瞬間もなかった。彼は終始、眉間に皺を寄せた頑固なじいさんのままだった。
作品を牽引するってのはこういう事を言うのだなと深く納得した。
本作のトムは痩せたようにも見える。
あの年になっても作品の為に減量とかするのだろうか?するのだとしたら相当キツイ気がする。
だけど、膨よかなオットーよりは、細身のオットーの方が作品にはマッチしたのだと思う。
自分がオットーの年齢に達した時は、どんな風になってるのだろうか?
案外1人も好きなので、そこまで思い詰めるコトもないように思うけど、家族とか家族のような存在ってのは有難いものなのだなぁと思えた。
なんか居たなぁ、こういう頑固な爺さん。
タイトルに昭和と書きはしたけど生まれは大正とかなんだろな。なんだか懐かしいや。
終盤に向かって加速する作品
愛妻に先立たれたオットー。規律に厳しく口うるさく周囲と距離があり、妻の後を追おうとするが悉く失敗。向かいに引っ越してきたマリソルとその家族に巻き込まれるように関わり始める。
車の教習時にオットーがマリソルにかける言葉にグッときた。辛すぎる過去がオットーを偏屈にしているだけで、人の本質を見抜く眼はちゃんと持っている人物。
だから過去と向き合ってからは、自分のできることをみんなに還元し、1人ではあったけど温もりを感じられる最期を迎えられたんだと思う。
歳を重ねてなおトム・ハンクスは良い。
オットー
が、近隣住人や仲違いした友人に、再び心を開いていく。
途中途中に、亡くなった奥さんとの思い出が胸を打つ。
個人的にはラストはシボレーじゃなく、ルーベンのフォードを選んでてくれたらなお良かったかなと。
人は生かされている…
最愛の妻ソーニャに先立たれ、生きる希望を失い、自分の殻に閉じこもる偏屈男オットー。何度も自殺しようと試みるが、その度に近隣の人々の邪魔が入り、お節介をしてしまう。それはまるで天国からソーニャがまだ早い、生きてと止めているよう。近隣の人々との交流を通し、再び生きようとするオットー。その時間は短ったかも知れないが、人は周囲の人によって生きる糧を見出し、またその人々に生かされていると感じた。既視感はあるが、偏屈な老人をトム・ハンクスが好演していた
バカモンだらけの世の中だけど、ハートの大きな幸せがある
私も一人でいる事は嫌いじゃない。大抵映画は一人で観に行くし、その帰り一人外食もよくする。何より、小面倒な人間関係と無縁。自由に伸び伸びと過ごせる。
しかし、ずっと一人で居ると、さすがに退屈してくる。そんな時は親しい友人らと会食したり、そういうのも好き。
と言うか、そう言っている時点で私は一人で居るより人との交流や繋がりの方を欲しているのかもしれない。
結局、人ってそう。たった一人では生きられない。必ず誰かしらと交流や繋がりを望む。
殊に、人嫌いや人を寄せ付けない人こそ、実は本当は人との関係を望んでいる。
この映画の主人公もそう。
オットー・アンダーソン。
初老の男性で、町一番の嫌われ者。偏屈、堅物。口から出る言葉は友好的な言葉よりもまず、相手を不快にさせる言葉。
毎日町をパトロール。挨拶されても返さない。車の停車位置にいちいちクレーム。野良猫にだって八つ当たり。
スーパーでロープを購入。5フィート分の料金と6フィート分の料金を巡って、あーだこーだ。
何かと言うと説教やお小言しか言わない。私はしつこい性格の人が嫌いなので、ご近所にこんな人居たらお近づきになりたくない。
スーパーで購入したロープ。ただの何気ない買い物かと思ったら、ある事に使おうとしていた…。
長年勤めていた会社を定年退職。
さらに半年前に、学校の教師だった最愛の奥さんを亡くしたばかり。
人嫌いのオットーが唯一愛した人を亡くしたのだから、そのショックと悲しみと喪失感は埋めようがない。
生きる気力も亡くし、自殺を…。その為のロープ。
でも、これから死のうって人が料金にいちゃもん付けたりする…?
遂に首を括った時、窓から見える酷い駐車をしようとする車にまたまた勘弁ならない。
って言うか、これから死のうって人が他人の駐車を気にする…?
ひょっとしたら、本当はまだ死にたくないって気持ちがそうさせてるのかも…?
自殺は上手くいかない。天国の奥さんがまだダメって止めたのかも…?
あなたにはこれから、素敵な出会いが待っているのよ。
偏屈オットーに、思いもしなかった出会いや交流が…。
偏屈な主人公が周囲との交流によって…。
よくある話っちゃあよくある話である。想定内以上の事は起きない。予定調和で目新しさもない。
でも、時々そういうのがいいんだよね。
2015年のスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』のハリウッドリメイク。
こういうのは万国共通。皆、好きなんだよね。
でも、それをしっかりと魅せてくれる人が居ないと。
さすがのトム・ハンクス。開幕からの仏頂面でいきなり笑わせてくれる。
ユーモアやコミカルはお手の物。勿論ただそれだけじゃなく、偏屈性格の凝った演技、悲哀も滲ませる。
やっぱりこの人は、映画界の至宝だとつくづく思わせてくれる。
オットーのご近所に越してきたのが、メキシコ系の一家。
夫トミー、妻マリソル、アビーとルナの娘二人。
早速車の停車でオットーの洗礼。
うわ…、ヤな所に越してきちゃったな…と思ったか否か、とにかくこのファミリー、特に奥さんのマリソルが陽気。
どんなにオットーが嫌み言っても全くへこたれない所か、動じない。
寧ろこの町一番の嫌われ者に、こちらからアピール。
そんな事がきっかけで、ご近所付き合いが続く事に。
夫婦で外出の時、娘二人のシッターを頼む。娘二人も何だか懐いているよう。
本当に人嫌いの人にこんなにフレンドリーに接する…?
この一家は町の人々と違って、オットーに対し先入観が無い。
だからこういう人と割り切って接する事が出来る。この一家にしてみれば、オットーは確かに頑固だけど、普通の人と変わりないおじさんなのかもしれない。
実際、そうなのだ。
マリソルとその家族。
ちょっとウザい近所の男。
ある事がきっかけで仲が拗れた旧友夫婦。
妻の元教え子のトランスジェンダー。
それから、可愛い子猫ちゃん。
不思議とオットーの周りに、人が集まってくる。
人嫌いで人を寄せ付けないようにしているのに。寧ろ、人を惹き付ける。
駅のホームから線路へ倒れ落ちた人を救出。周りが助ける所かスマホで撮影する中、咄嗟に。
離れて暮らす息子によって介護施設に入れられようとしている旧友夫婦。悪徳不動産会社が立ち退きを勧告。ひょんな縁や協力あって、不正を暴く。
偏屈であってもなくとも、我々にこれらの事が出来るか…? オットーは正しいと思った事は自分を信じてやる。善人以外の何者でもない。
本当に嫌われている人だったらそんな行動しないし、人が寄って来ない。
皆、本当は知っているのだ。オットーは本当はいい人。そんな彼を、皆好き。
そして何度も何度も思い出すは、妻との思い出。
死のうと決め実行に移そうとしたのは一度や二度じゃない。
でもその度に、決まって思い出が甦る。待ったを掛けるかのように。
君には会いたい。でも、まだ死ねない。
オットーの心の中で、そんな思いが強くなってくる。
バカモンだらけの世の中だけど…。
人に愛され、奥さんを愛す。
人嫌いの偏屈は孤独を隠そうとしていただけ。
人一倍、人との繋がりや思いを大切にしている。それが、オットーという男なのだ。
若い頃、ある病気が原因で軍から入隊拒否。
今また、その病気が身体を蝕もうとしている。
深刻な事態だが、その病名を聞いて、マリソルだけじゃなく見てるこちらもつい笑いがこぼれてしまった。
肥大型心筋症。
つまり、人より“心臓(ハート)”が大きい。
落語のオチかよ!(笑)
でも結局、これが原因で…。
本作が“オットーという男”というオットーの本当の人柄や人との交流を描いた作品だったら、ドライブ出発のシーンでハッピーエンドで終わって良かった筈だ。
が、オットーの死まで描く。若かりし頃や奥さんとの出会い、愛と幸せの日々、思わぬ事故、先立たれ偏屈になってしまった今、死のうとした時思わぬ出会い、周囲との交流、そして人生を終えた。
本作は“嫌われオットーの一生”とでも言うべき、本当は愛し愛されたオットーの人生ドラマでもあったのだ。
バカモンだらけの世の中だけど、幸せはある。ハートの大きな。
やはり、生きないと🌹
人にもよるかと思うが、
男性が伴侶を亡くした方が女性よりもダメージ
が強いのだろうか。
このオットーさん、半年前に最愛の妻を亡くし
後追いを考え実行し始めるところから物語が始まる。
オットーさんという人物、大変きちんとした人で家の中も整然と片づいておりいろんな機械類の構造もわかり修理にも長けている。自宅周辺にも敏感で居住民のことを考え自ら見回りして外部の人間などが勝手なことをしていないか点検し実行犯を見つけたら厳しく注意してくれる。その分他のことにも口うるさい印象を持たれている。が、ジミーなどに好かれている。
また改めて観て気づいたが、職場も酷い。
肩たたきで退職にし向け、祝うような雰囲気の最後。
祝い⁉️のケーキって⁉️
オットーさんの顔を切り刻んで皆で食べるって
残酷気味❗️
辞めたくなる筈だ⁉️
しかし、そういう日常の諸々全てを顧みようという気が起こらず実行あるのみの如く、この世とおさらばしようとするが‥‥。
ことごとく新しく越して来たマリソル家族によって邪魔される。
やはりこのマリソル、賢い知恵者だったのだろうか。お勉強ができるだけでなく人の心を素早く察知して相手が何を考えているか見抜き最善の対処法でやり過ごして来たのではないか⁉️
一人暮らしの高齢男性、というだけでも、どのように暮らしているのかと気になるし、
このオットーさん、とっつきにくいが、心根が優しく親切な人だと見抜いていたのだ。
娘たちの懐き様を見ても一目瞭然。
手作りの料理を持って行っても直ぐに追い返されるし、何を考えているのだろうと⁉️
だから閉め出される前にドアを足で止めたマリソル。
だからか、偶然ももちろんあっただろうが、
偶然を装ってズカズカと入り込むようでつぶさに観察していたのではないだろうか。
火急の時もあるかと。
電話を借りに来た時にも確認したら、やはり。
マリソルはオットーさんが気に入っていたのだろう。
駅で人命を救ったことを取材に来たマスコミに協力してもらい、友人の家を乗っ取ろうとする不動産業者を追い払った人間性、賢さ、友情の厚さなども。
ただ、個人による違いがあるかと思うが、猫には、猫専用の毛布でないと嫌だし、
オットーさんの奥さんの衣類を早々と片付けることには賛成できない。男だから利用できないにしてもスッキリ片付けるのには異論を唱えたい。
オットーさんに生きるべき理由を体現して知らしめ断念させ、実の親子以上の仲に。
ソーニャのお墓参りにも家族みんなで。
いつもながら素敵な美しい花束💐携えて。
三年ほど賑やかな愛情に包まれて、過ごせたのだろうか。
雪かきしていないことで異変に気づいてくれるなんて。
最期にマリソルに手紙を書いておく周到さは
オットーさんらしい。
追記:『幸せなひとりぼっち』もなので、原作だと思うが。
オットーさんのソーニャとの追憶シーン、
出会った時から結婚新婚ぐらいまでの若い頃しか出て来ない。初めソーニャは若い頃に亡くなったのかと思っていたが、半年前だった。
熟年の年頃であっても懐かしい思い出は色々あるだろうに、なぜ描かなかったのかと思う。
心あたたまる ハートフルムービー
妻に先立たれ、人との交流を閉ざしてしまった男が
再生するまでの物語。マンションが増え、人との繋がりが希薄に
なっている現代に問いかけているような作品だと感じた。
リアルでの繋がりの大切さ、そしてネットの力の大きさを実感させる。
トム・ハンクス作品にハズレはないですね。心あたたまる
ハートフルムービーです。
いい人専門トム・ハンクス
スウェーデン「幸せなひとりぼっち」(2015)のハリウッドリメイク。
嫌われ者の嫌みな爺さん役ながら、トム・ハンクスが主演なのだから、
いい人以外ありえないでしょう。
スウェーデン版は、見慣れた役者さんではなかったので、
嫌みな爺さんの行動の、本当の意味がじわじわ来て、
最後、愛しさがこみ上げてきたのだけれど…
車椅子生活になってしまった妻の安全を守るため、頑なに部外者の駐車を拒み、
道路のゴミや、ゴミ収集場所での分別のチェックや近所のパトロールを怠らない。
不器用ゆえの愛情表現の意味の説明が、ハリウッド版はちょっと弱かった気がする。
ただ、トム・ハンクス親子が若き日のオットーと、
爺さんのオットーを演じていて自然だった。
オリジナル越えはなかったけれど、普通によい映画として変換されていました。
こんな男になりたい
街では、嫌われ者の「オットー」という男。
少し性格に難がある所がまた魅力的に映っていました。ただ、実際に居たら少し面倒くさい人だと感じるかもしれない。
それでも困っている人がいたら助けてしまう。
そんなオットーの事をみんな嫌いになれないでいる。
オットー自身は、もともと明るい性格だった妻が事故で妊った子供を失ってしまった事により、人生がどんどん悪い方へ向かってしまう。
そんな事もあってか自殺を試みるも何度も失敗に終わってしまう。
それは妻から「まだ、あなたにはこの世でやるべき事があるから」というメッセージなのかもしれない。
これだけ不器用でありながらも誰よりも誠実であるからこそ素晴らしい人生なんだなと感じました。
切なくて、面白くて。絶妙です。
予告編が気になって、なんとな〜く暇つぶしで鑑賞することに。
ところがどっこい、最初から最後まで引き込まれるようにあっという間に見終わってしまいました。
トムの演じている昭和の頑固親父のような性格のオットーは、過去のバックグラウンドから影があるキャラクターなんですが、マリソルを始めご近所さん達皆んなが個性があって、可愛いいんです。オットーとのバランスが面白い。
キャラクターはもちろんですが、ストーリーもコメディとシリアスのさじ加減が上手で、見てるこっちも笑ったり泣いたりと、色んな感情に揺さぶられます。
個人的なお気に入りシーンは、迷惑そうにマリソルから貰った手料理を「ん、意外と美味しいな」と言わんばかりの表情をして、トムがスペイン料理を食べるシーンが好きです。メモを付けて、翌日の朝にはきちんと容器を返すシーンも几帳面で可愛い。笑
生きることは、誰かに何かを与えること
奥さんのソーニァを亡くし、生きる意味を見失っていた主人公オットー
オットーは自殺を図るが、最近引っ越してきた隣人が気になり自殺未遂に終わってしまう。
マリソルとの交流を通じて、ソーニャとの出来事を振り返るオットー。ソーニャの願いは、オットーが生き続けていくことだった。
その事に気づいたオットーは、旧友の人助けを実行する。
その後マリソルの赤ちゃんと接する事で、今まで他人に与えてきたオットー自身も報われる事となる。
その後、満ち足りたようにオットーはこの世を去った。
家族と個人の在り方を模索して
思いの外、良かった。
普通の1人の人間として、若者2人が惹かれあって結婚し、物語を紡ぎ、そして年老いて亡くなってという現実がオットーという男に収束させる物語の語り口は上手い。
最初、偏屈な漢が定年退職する所から始まる。トム・ハンクスだから、最初のつかみはスムーズだ。物語が始まりそうな予感。周りのみんなに嫌われているというか煙たがられている。
家の前に引っ越してきた脇の甘いマリソル夫婦と子供たちが、自殺しようとしているオットーを間が悪いタイミングで邪魔をする。彼の亡くなった妻への回想が差し込まれる。当然だがこの偏屈な爺さんにも人生があり、それは甘くもあり辛くもあった。マリソルは少しずつそんなオットーの心に入り込む。
なんやかんやあってオットーは過度に過去に囚われることなく自分の出来ること、生きることをもう一度始めることになる。
お話はそこまでだが、なんでこんなに心に響くかというと、アメリカや日本でも家族とコミュニティの在り方が劇的に変化し続けており、炙り出された問題も根深く、今もその模索が続いているからだろうか?別にむかしが良かったとは思わないが、今迄もこれからも大事なヒトの在り方はそんなに複雑なものではないのかもしれない(いい意味で)、と思わせる映画だった。
トムと息子でリメイク
アカデミー外国映画賞にノミネートされたスェーデンの「幸せなひとりぼっち(2016)」のリメイクです、ストーリーもほぼ同じ、注目すべきは名優トムハンクスが気難しい偏屈老人が隣人たちの真心で懐柔してゆく様を演じていること、それに若かりし頃を実の息子のトルーマン・ハンクスが演じていることでしょう。当時トルーマンは映画製作の裏方(制作アシスタント)で俳優ではありませんでした、トムと監督が相談して役者デビューさせたようです。
似たような老人の「わたしは、ダニエル・ブレイク(2016)」ほど社会派ではありませんがDYE&MERIKAというふざけた悪徳不動産業者に抗する様はちょっとは社会派なんでしょう。要は人生捨てたもんじゃないでしょうと孤独な老人を励ます映画が作りたかったのでしょう。
原作も猫ちゃんが好演でしたが本作もなかなか良い味出していました。猫の名はシュメーグル、7歳の雄猫、ただ、CGも多用したとか。
トムハンクスの、人間味あふれる演技
見終わった後、涙腺崩壊した。
町1番の嫌われ者で、映画を見始めたときはほんとに嫌な奴だなと思った。
しかし物語が進んでいくにつれて、オットーという人物の内面が明らかになっていく。すごく嫌な奴なはずなのに、本当は心優しい人。
近所に越してきた家族や、周りの人の影響もあり、オットーの硬く頑丈な壁紙壊されていく。最初から、オットーはなんだかんだ世話焼きだし、周りを気にかけてる。
最後には、オットーという人物の本当の姿を見ることができた。
最後のシーン、手紙の内容も、オットーらしく心優しいものだった。やっぱりオットーは人のことをよく考えてるいい奴だった。
このオットーを演じたのが、トムハンクスだからこそ。
観客はオットーを憎めないし、最後には好きになってる。
人間味のある演技をするトムハンクスにしか、できなかった役だと思う。
後半からラストシーンにかけて、涙が止まらなかった。
物語が進むにつれて、見方が変わり、観客はいつのまにかオットーが好きになっている、素晴らしい映画だった!!
オットー
Amazon Prime Videoで鑑賞(レンタル,吹替)。
原作は未読、「幸せなひとりぼっち」は未見です。
偏屈者と云うか、いちばんマトモなことを言うオットー。
嫌われ者と云うか、めちゃくちゃ好かれているオットー。
確かに取っつきにくい。しかし根底に優しさのあることが分かるので心の底から嫌われず、むしろ好かれるのでしょう。
妻に先立たれ、希望を失っていたオットーが生き甲斐を見つけ、再生していく姿に心温まりました。本当にいい映画だと思います。トム・ハンクス主演作はやはり裏切らない。
心温まる物語
≪本作の評価≫
頑固で嫌われ者の老人が、向かいに越してきた家族と関わることにより、徐々に心を開いていく心温まる物語です。物語の進行は、現在と若い頃の回想シーンが交互に出てくる構成となっていますが、双方のバランスがほどよく取れており、また各エピソードが短いながらも主人公の心の変化が上手く表現されていて、とても観やすく感動できる作品となっています。
≪オリジナルとの比較≫
映画の感想は観る時の体調や精神状態によっても変わってしまうので、純粋に比べるのは難しいと思います。また、オリジナル作品「幸せなひとりぼっち」を観たのはかなり前のことなので記憶も若干曖昧です。それらを踏まえた上で言わせてもらうなら、オリジナルよりもこちらの作品の方が内容も役者さんも良かったと思います。特に回想シーンの二人の役者さんが良かったです。それと、2作品を比べて感じたのは、同じシーンでも演じ方で変わってしまうのは勿論ですが、容姿だけでもかなり印象が変わってしまうという点で、この2作品にはそれがよく現れていると思います。特にハンクス親子と回想シーンの妻役の女性については演じるまでもなく、容姿に人の善さが現れていると思いました。
ただ、オリジナルの方も決して悪い作品ではありません。また、リメイクは元々ある作品をわざわざ作り直す訳ですから、オリジナルよりも良くて当然というか、良くあるべきだと思います。
あなたは本当に死ぬのが下手ね!!
「幸せなひとりぼっち」と「オットーという男」をちょっと比較してみました。
オットー……………………………オーヴェ
大卒……………………………………中学卒業後に技能学校へ
会社を引退した理由
配置転換………………………………解雇
妻との出会い、
オットー
落とした本を届けて汽車賃を借りる
オーヴェ
火事で家が丸焼けになり、列車で寝ていたら動いてしまった。
前の席に座っていたソーニャに汽車賃を借りる
「お金を返す代わりに食事を奢って・・」
と言う彼女たち(?)
(ここは同じです。)
スウェーデン映画はオーヴェと父親の絆が細かく描写されます。
サーブ(スウェーデンの国産車)好きだった父親。
サーブ好きはオーヴェに引き継がれます。
車が原因で親友と仲たがいする所も、同じです。
妊娠中の妻と旅行に行き、事故に遭う。
オーヴェは妻が流産した上に、ソーニャは後遺症から車椅子になる。
オーヴェの方がより波乱の人生です。
「オットーという男」はよく言えばマイルドになっています。
どちらも最愛の妻を癌で亡くして生きる希望を失い「自殺」を
何度も何度も試みます。
首吊りすると天井のホックが壊れて落下するオットー、
オーヴェの場合はロープが切れて同じく落下してしまいます。
あとは、この映画で重要な登場人物。
隣に越してきた身重の妻。
米映画では、マリソル。
スウェーデン映画はパルヴァネ。
彼女のお節介や頼み事に振り回される2人(オーヴェとオットー)
隣家の移民の妻が、ことごとく自殺の邪魔をするのです。
マリソルは明るく騒がしく、パルヴァネは心根が優しい。
そして彼女の頼み事を渋々聞いてやるうちに、なんとなく生きる意味や、
生きるチカラが湧いてくるのです。
「エルヴィス」ではエルヴィスから搾取しまくる極悪の守銭奴のマネージャー。
今度は苦虫を噛み殺した「無愛想」で「怒りっぽい」
町一番の嫌われ者(?)
良い人の代表で好感度満点のトム・ハンクスは、この所、
悪人も変わり者もと、自由自在に芸域を広げています。
オットーは持病があり、道でうずくまって救急車で運ばれた病院で、
医師は、「心臓が大き過ぎる」
これを聞いた隣人マリソルは大笑いします。
心臓が大きい→心が広い→良い人、
とはならないオットーの大きい心臓を、笑いのネタにしてしまう。
医師も「心臓肥大です」とか、「カテーテル手術をしましょう」
とか、「ペースメーカーを入れましょう」なんて
言わないんですね!
そしてここでパルヴァネの(タイトルに書いた)名セリフ。
「あなたって本当に死ぬのが下手ね!!」
です。
優しいパルヴァネ(マリソル)の家族と出会い、
2人の幼い娘たちに慕われ、
野良猫はオットー家の飼い猫になる。
いつの間にか妻のベッドの上。
子供も猫も優しい人は分かるのね。
人を信じる事を思い出したオットー。
晩年の3年間はとても幸せそうでした。
とても後味のいい映画でした。
(オットーの青年時代を演じたのが、実の息子のトルーマン・ハンクス)
(スクリーンへ、突然の出現に驚きましたが、不思議な存在感!)
みてきました。
オットーは、堅物なのかもしれないが誰しも持ってるものだと思いました。人の心に触れやっと普通に生きていいんだって思ったんだと思う。大好きな人が死んじゃうとみんな変わるんだと思うから、リメイクでも泣けたし素晴らしい映画化です。実際の話だから余計この今の世の中で温かい作品ですね。ぜひ観てください
オーヴェor OTTO?
スウェーデン映画の方をすでにみて(2016年、『幸せなひとりぼっち』いたので、米国版のレビューを書くのに困ってしまった。でも、この映画の好きなところはオットー(トム・ハンクス)がソニアの墓地に行って、独り言を言ってる時、猫が段ボール箱から顔出したりひっこめたりするシーン。猫も、ソニアに初めましてを言いたかったようだ。それに、最初のロープを買うシーンから大笑いをしてみていた。
実はリメイク版は先がわかるので期待感がなく、面白くないんだけど、『幸せなひとりぼっち』と大きく違うところはオットーが財産を死ぬ前に名指しでマリソル(マリアナ・トレビノ)に残すこと。オットーにとってみると家族もいないし、偏屈だから特別な団体との関係もないから、財産を寄付するところはなさそうだ。マリソルとトミー(マヌエル・ガルシア=ルルフォ)は子供が三人もいる。その子供の学資にしなさいとか家をあげるよとか遺書に書いている。トミーはITエンジニアで実用的なことはできないまが抜けた役をする。Allen WrenchをAlvin Wrench というが、オットーとメキシコ生まれのマリソルのいうことの方が正しいようだ。そして二人の仲がとてもいいので微笑ましい。二人が出かけるので夜、オットーが子守りをしている時、額のマリソル卒業証書(ロスアンデス大学(多分メキシコ?)と
UC( アメリカ)の大学)に気づく。車の運転を教えている時、オットーはマリソルを叱責したが、卒業証書を見て「ううん。。ちょっと?』と思わせたと思う。
『幸せなひとりぼっち』では隣に引っ越して来たイランからの女性パルヴァネがおせっかいな、人懐っこい、いい役をした。この映画はマリソルはメキシコからの移民である。父親はエルサルバドール生まれで、母親はメキシカンだと。米国が舞台なのでメキシコ人の方がスームーズに行くかもしれない。ペルシア語をよりスペイン語の方が馴染めがあると思うし、トム・ハンクスも使いやすかったと思う。それにしても、マリアナ・トレビノの演技はいい。
主題曲
Til You're Home (コピペして聞いてください)
Lyrics:Written by David Hodges and Rita Wilson(トム・ハンクスの奥さん)
Music video by Rita Wilson, Sebastián Yatra (コロンビア・米国の歌手)
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