鋳鉄のレビュー・感想・評価
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巨匠イオセリアーニによる、製鉄所での鋳鉄のようすを描く短編ドキュメンタリー
イオセリアーニ映画祭にて視聴。
『エウスカディ、1982年夏』他、短編1編と同時上映。
ルスタヴィ冶金工場で働く工員たちの姿を描いた短いドキュメンタリー・フィルムで、まだイオセリアーニがグルジア時代の作品。
1964年ということは、監督は30歳。
ちょうど『四月』の2年後、『落葉』の2年前といった時期にあたる。
監督はこの作品を撮るために、なんと身分を隠して4カ月もこの工場で精錬工として働いていたらしい(!!) 同じ日に彼の半自伝的映画『汽車はふたたび故郷へ』を観たけど、若い頃のイオセリアーニって結構脱法的というか、かなりめちゃくちゃやってるんだよね……(笑)。
内容的には、ロジカルなカメラワークとモンタージュが縦横に駆使されており、まずは「短編映画」としてきちんと成立している。イオセリアーニが、若い頃から「技術的」にすぐれた映像作家であったことが確認できるはずだ。
コンテの組み立ては、どこか「音楽的」だ。
まず第一楽章にメインテーマとなる「鋳鉄」がガツッと呈示され、中間楽章で冷えて固まった鉄鉱石をこそげとる単純労働と工員たちの束の間の休息が描写され、終楽章にふたたび派手で豪快な溶鉱炉の作業がドカーンと出てくる。そして、工員たちが帰途につくエピローグ。
もとは作曲家だったイオセリアーニらしい、絶妙の感覚だ。
(そういえば、僕はブルックナーの8番や9番のスケルツォ楽章を聴くたびに、なぜか夜の鉄工所で巨大な機械が製鉄している様子を思い浮かべてしまう。)
フィルモグラフィ上は、ジョージアの風土・文化と名もなき民を称揚し、フィルムに焼き付けるという傾向の強かった初期イオセリアーニにとっては、「家族」を描いた『水彩画』、「自然」を描いた『珍しい花の歌』、「古い街」を描いた『四月』に続いて、名もなき工場労働者の姿を刻印した作品ということで、きわめて重要な位置を占める。
このあと、「民族音楽」を記録した『ジョージアの古い歌』、「ワインづくりの職人」の姿を描く『落葉』、「農村の生活」の様子を描く『田園詩』と続けていったうえで、彼はフィルモグラフィとしての「ジョージア探求」に、いったんの区切りをつける。
そして第一次パリ滞在を経て、総括的なドキュメンタリーとしての『唯一、ゲオルギア』と、イオセリアーニ的群像劇の形式でジョージア(グルジア)の暴力史をまとめあげた『群盗、第七章』を結実させることになるわけだ。
『鋳鉄』には、どこかホモソーシャルでインティメットな男どうしの醸し出す空気感や、黙々と完遂される「労働」における身体言語の美しさなど、イオセリアーニの作品を貫く核心のようなものが、ちゃんと備わっている。
これ単品で観てもしょうじき仕方ない気はするが、イオセリアーニの業績を考えるうえでは無視できない作品だと思う。
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