「鈴木亮平は完璧な冴羽獠!なお…」シティーハンター 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
鈴木亮平は完璧な冴羽獠!なお…
北条司先生による同名漫画の実写化作品。舞台を原作の1980年代新宿から現代の新宿へと移し、都会のスイーパー(始末屋)“シティーハンター”である冴羽獠を鈴木亮平が演じる。
私自身は原作未読、友人の勧めでアニメ版を数話(槇村の死亡回あり)視聴したに過ぎないが、それでも、本作で鈴木亮平が見せた冴羽獠らしさの追求と肉体改造っぷりは素晴らしいものだったと思う。特に、表情や仕草だけでなく、声のトーンもアニメ版の神谷明氏(ニュース音声でのカメオ出演は粋な図らい)に酷似している瞬間があり、彼がこの役にどれほどの熱量を持って臨んだかは、作品を観れば誰もがひしひしと感じ取る事が出来るだろう。
しかし、そんな鈴木亮平の熱演に他のキャスト陣と、何より脚本がついて行けておらず、結果的に【冴羽獠と、何か原作やアニメで見たことあるキャラのソックリさん達】による実写化作品になってしまっている。
早い話、割とダメな部類の実写化作品と言って間違いないだろう。
特に、香のキャラクター設定が酷く、原作やアニメにある“槇村の妹”という設定以外は、殆ど別人と言っていいだろう。
行動は向こう見ずでやたらと事態を悪化させる事が多く、終始無駄に泣き叫んだり声を張り上げたりと、メインヒロインであるにも拘らず作品のノイズとなってしまっている。
特に、獠の事務所の屋上で「槇村と実の兄妹ではない事を知っていた」と語るシーンは酷い。感情的に「知ってたよ!何年一緒に居たと思ってるの!私の方こそ守りたかったよ!」と泣き叫んで内面を全て語る様は、駄目な邦画の典型とも言える。普通、感情というのは徐々にボルテージを上げていくものだと思うし、槇村への思いを語るにしても、叫ばずとも涙ながらに静かに語り、最後に「私の方こそ守ってあげたかった!」と叫べば済む話だし、そちらの方がより感情移入出来ると思うのだが。
このシーン繋がりで一緒に語ってしまうと、それを聞いた獠が、敵地に乗り込む最終決戦に香を連れ出すシーンも違和感がある。槇村に「香を守ってくれ」と頼まれたからこそ、獠はそれまで香を危険に巻き込むまいと行動していたのだ。にも拘らず、射撃の訓練すら積んでいない素人の香をオメオメと戦場に連れ出すとは到底思えない。ここには、如何にもな脚本の都合が見え冷めてしまった。
原作にもあるエンジェルダストという違法強化薬物の扱いも、何故本作のキーパーソンであるくるみが適応出来たのか示されず腑に落ちない。そもそもが荒唐無稽な薬物の為、科学的な根拠等は求めていない。しかし、それでも何かしらの条件を明かす、ハッタリをかます事こそが上手い脚本と言えるだろう。
唯一評価ポイントを挙げるならば、舞台を現代に移した事で、トー横キッズやYouTuber、外国人観光客で溢れかえる排他的な現在の新宿歌舞伎町の姿を切り取って見せ、舞台を現代に置き換えた意義を多少なりとも示していた点か。キーパーソンとなるくるみもトー横界隈の人間で、ネカフェ難民を思わせる生活スタイルを描写するのも現代的。しかし、そこまで現実的な問題を提示するならば、フィクション上の何らかのフォローや前向きな解答も示すべきだったのは間違いない。
脚本の酷さはこれまで述べた通りだが、演出の酷さも目立つ。冴羽獠のアクションシーンこそ、邦画実写では中々のアクションを披露してくれるし、獠の射撃センスをこれでもかと魅せる数々のシーン(特に、同じ場所に正確に銃弾を命中させる)は外連味タップリで迫力もある。しかし、それ以外のシーンがとにかく上手くない。というか、ダサい。
唯一評価出来るアクションシーンも、不必要にやたらとスローモーションを多用するのはワンパターンで飽きる。
それどころか、アクション以外でもスローモーションが使われるのは過剰な演出に思えた。特に、冒頭で槇村が獠にエンジェルダストのアンプルを渡して息を引き取るシーンや、シティーハンターの仕事を知らない香に槇村の銃を使って射撃のテクを披露してシリンダーの薬莢を排出するシーンは、単に映像をモノトーンに変えたり、薬莢もスムーズに落としつつ「これがオレ達の居る世界だ」と語ってみせた方がスマートでカッコイイと思うのだが…。
また、くるみのコスプレイヤーという設定を活かす場として、エンジェルダストの製造に関わる製薬会社のプロモーションイベントに絡めるというのも違う気がする。
そもそも、このプロモーションイベントの演出が、現実でコスプレイヤーとして活躍する人々へのリスペクト精神に欠ける“ヌルい”ものなのが頂けない。恐らく、“セクシーなコスプレにモッコリする獠”というシチュエーション、香に原作の“100tハンマー”を手にさせる為にチョイスされたのだと思うが、だからこそ、イベントの規模やコスプレヤー、所謂ローアングラーという厄介者の描写に至るまで「ま、こんなもんでしょ?」という意識が透けて見える低レベルなものになるのだろう。
クライマックスで、エンジェルダストで強化された(海坊主もどきの)羆という敵キャラクターと対峙した際、獠が口にした「コスプレかよ」という台詞含め、作り手側がオタク文化の理解に乏しい、ともすれば馬鹿にしているのが分かる。
『ヲタクに恋は難しい』という邦画史上最低レベルの実写化作品をはじめ、邦画に於けるこうした姿勢はいつになったら改善されるのだろうか?
繰り返しになるが、鈴木亮平による原作やアニメから飛び出してきたと言っても過言ではないリスペクト精神に満ちた熱演は素晴らしかった。しかし、それ以外の要素が余りにもその頑張りの足を引っ張る物になってしまったのは非常に残念。
続編の可能性もあるそうだが、実現するならば、とりあえず脚本家は変えてほしい。