君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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「君たちはどう生きるか」の題を借用した意味とは?
この映画の感想をどこかに吐き出しておきたい、と思った。
映像と構成は素晴らしかった。
この映画は
「(少なくとも後半については)『眞人』の年齢向けの空想冒険活劇」
「眞人が(当時の)宮崎駿監督本人の投影」
「『大おじさま』が宮崎駿監督の映画創作の投影」
いずれにも受容できるように作ってある、と観た。
そういう意味で、構成の完成度は高い。
ただ、いずれの読み方をしても、正直なところピンと来なかったのが率直なところ。
「すごいのに好きになれない」というのはあまり無い鑑賞経験だった。
本作はあくまで宮崎駿監督のオリジナルで、「君たちはどう生きるか」は作中で主人公が読む本として登場し、実際は全く違う本を下敷きにしているらしい。
ただ、本作はそれでも「君たちはどう生きるか」と題している。
その「本歌取り」の責任を果たしているかというと……個人的には、到底そうは思えなかった。
元の「君たちはどう生きるか」は、太平洋戦争の前、日本が軍国主義的に傾いていくなかで、「人間としてのよい生き方」について、明確に軍国主義へのアンチテーゼとして書かれている。
必ずしも吉野源三郎のスタンスを盲信すべきとは言えないかも知れないが、本作は果たして「君たちはどう生きるか」の「本歌取り」足りえるだろうか。
本作の冒頭は戦中の、まさに「君たちの」発刊よりしばらく後の情景から始まる。
しかし、眞人は「君たちの」のテーマの大半とは向き合わず、畢竟自分の内面と向き合うだけで終わってしまう。
自らの(経済的に)恵まれた状況とそうでない者とのギャップ、人間に対して何を与えうるか……といった「君たちは」のテーマも、そもそも「君たちは」が軍国主義・全体主義へのアンチテーゼであることも、本作では一切触れられないし、配慮もされていないように見える。
インコたちもペリカンたちも、「眞人の元の世界」に飛んできた途端、ただの「可愛い鳥」になってしまう。
眞人は(父の軍需産業の恩恵を受けて)戦中から戦後まで一貫して豊かな暮らしを享受し、何の疑問もないまま本作は終わる。
これが宮崎駿監督自身の投影なのかはさておき、眞人は作中で「君たちは」を読み、涙していたはずなのに、一体何を受け取ったのだろうか。
単に「自身の悪意や弱さに向き合う」だけで、その他のテーマを何ら顧みないのでは、「わたしは好きに生きる」にしかなっていないのではないか。
「君たちは」を冠しながら、自身のエディプスコンプレックスに向き合って終わり……では、原題に応答できているとは到底言えないのではないか。
本作が敢えて事前情報を遮断したことは、国粋主義的なフェイク情報が氾濫するインターネットと距離を取ったのだと思えば、ある意味では「君たちは」に対する現代流の応答になり得たのかもしれない。
ただ、本作を観た限りでは、吉野源三郎に対する応答ができていたとは思えなかった。
何をおいても吉野のスタンスに準じるべし、とは思わないが、原題を借用する以上は、少なくとも「君たちの」に現代の立場から応答するのは当然の筋なのではないか。
それが為されていない、というより放棄されていたように見えるのが、個人的には非常に残念だった。
熱中して見ていました
妄想かもしれないし、解釈というところまで昇華できたものではないかもしれませんが。
私はこの話を、眞人、なつこ、眞人の母の3人が
大叔父や眞人の父が作って来た世界に墓石のような積み木を足して生きていくか、それとも古い時代に捕らわれずに1から積み木を積み上げるかを選択していく物語だと捉えました。
だから、全編を通じて、大叔父からのメッセージとして「君たちはどう生きるか」が問われていたと思います。
時代背景も無意味なものではなく、家父長制のもとに言いなりになるしか無かった女性や長男が、戦争の前後という過渡期に、その自由を選びとるという選択肢を示されていたのだと思いました。
ファンタジックな描写が多かったですが
青鷺が眞人を連れて偽の母親に会わせる場面は、父親が眞人を連れてなつこさんに会わせる様子によく似ています
外面ばかりしっかりしている、エゴっぽくて内心は醜さのある父親って、青鷺そっくりではないでしょうか。
私はずっと出てこない父親の代わりを、青鷺の姿に投影して見ていました。
また、「下」の世界を地獄と呼び、生まれゆく命を喰らって生き延びるペリカンは、私には軍人達のように見えました。
ペリカン達に押しのけられ死の扉を開けてしまう眞人くん、ボロボロのペリカンに敬意を払う青鷺。
この辺りは眞人君の将来に「人を殺し殺される人生」の選択肢を仄めかしていたように思います。
また、多くのインコ達は時にヒミや眞人を喰おうとしたり、一方で妊婦のなつこに不可侵だったり、賑やかしてフンを落としたり…
このインコたちは、おばあちゃん達や、クラスメイトを彷彿とさせました。
私はインコたちを「世の中の人々」なのではないかと思ったのです。
世の中の人々は、最終的には眞人の積み木を無理やりに組みあげようとするが上手くいかない。
自由な生き方に対する、世の中の固定概念の敗北だと捉えました。こうしなければならない、という時代が終わったと。
ファンタジー世界の中で、眞人もなつこも、現実ではぶつけられなかった本音を語り合い、互いに互いの事情を知り、前に進むことが出来ました。
「眞人?どおりで死の匂いがプンプンすると思った」なんてフレーズもありましたが、どこまでも本音を隠す子供の名前が真実の人だという皮肉に対するものだったかもしれないですね。
教訓めいたものを見出すのは好きではないですが、敢えて意味深いものがあるとしたら
自由になりすぎた今の時代に、「初心に帰って」、自由の芽生え始めた時代を生きた人々を見てほしかったんじゃないかと私は思います。
父親のような青鷺に翻弄され、軍人のようなペリカンに翻弄され、大衆のようなインコに翻弄され、それでも自分の生き方を見出した眞人に、すごく感動しました。
他の作品ほど分かりやすくはないし、ポップな明るさ可愛さもほとんどないけれど、一場面一場面自分の感覚で落とし込んで見たこの作品はとても意味深いもので
正解、不正解は分からないけれども、私は戦い続ける眞人くん、なつこさん、お母さんにとても胸を打たれました。
手放しには人にオススメできないけれど、私はこの作品が好きです。
走馬灯
自分の中で絶賛と酷評が二つある
なので星は三つ
具体的に何か?と羅列するのは難しいが、あくまで気持ちの面で、思いつくままに書いていこうと思う
先ずは何度目かの引退を撤回して宮崎駿のおかえりなさい作品を拝めたのは眼福
でもこれは監督の本意なのか少し懐疑もする
ご年齢を考慮してか今回は絵コンテに徹し、名だたるアニメスタジオの猛者達が作成したとの事で、なんか豪華な感じはするし、なんか胸熱ではある
で、今回、この作品は本当に宮崎駿が作りたいと思って作ったのかな?とも感じた
頼まれて背中押されてそんなモチベーションでつくったのでは?
嫌々作ったのではないにしろ、コクリコ坂と同じようなテンションで関与したのかな?という印象を受けた
(コクリコ坂の時も大人しくはしてなかったようですけど、今回はどうだったのでしょう?)
これまでのジブリ作品のセルフオマージュなのか、サービス精神によるものなのか、それは企画の時点で決定された事なのか、はたまたそんなんじゃなくて単純に引き出しの限界なのか?わからない
確固とした世界観があるようでないような、行き当たりばったり感は千と千尋やもののけ姫でも見受けられたけど、あの作品には夥しい満腹感があった
それはやはり動画、キャラの動きに説得力、こだわり、気持ちの揺れ、それらを的確に演出出来たからだと思う
今作はそれが薄い
きっとこれはセルフオマージュなのかもしれない
でも、だとしたら幾ら何でも分かりにくすぎる…
考察に意味があるのかも謎だが、もしかしたら何も考えずに観るのが正解なのかもしれないが、今度こそ最後かも知れない宮崎駿の絵柄にジブリのブランド?これらが何かを期待させてしまうのだ
それにしても最後のクライマックスで神様っぽくなるところや、エヴァのATフィールド取捨選択のくだりのようなやり取りがあったりだとか、どうしてこうなった感が大きい
かと言って駄作とも思えない
絵画的な美しさや、設定に感じる神秘さには惹かれるものがある
でも、君たちはどう生きるか
そのタイトル回収はいささか投げっ放しがすぎる…
(*'▽'*)
巨匠の最後の作品はこうなるのだろうか。
事前情報一切無し。
宮崎駿監督の最新作、そして「君たちはどう生きるか」のタイトルと一枚のイラストのみ。
こんな事前情報なしで(なんだかんだで)巨匠の最新作を観る機会なんては貴重ですから、せっかくなので初日に観に行きました。
冒頭のシーンでうぉっと思わせつつ、後妻さんの作画の細やかさに流石だなーと唸らせつつも物語は徐々に混沌に……。
思わせ振りなのか意図しての支離滅裂なのか。
それでいて淡々と物語は進みます。
ストーリーに触れるのは御法度っぽいので、結論のみ書くと、これは巨匠の最後の我儘だったのかな、と。
客に見せてお金を取る以上、エンターテイメントの側面はあるのでしょうが、そんことはあまり考えていないのかなと思いました。
1番近いのは夜見る夢を映像化したってところ。
カリオストロ伯爵っぽいムーブの王様(鳥)の追尾シーンで強くそれを感じました。
あとはセルフオマージュというか。
とにかく、監督は好きに作ったのでしょう。
これに対し、ああだこうだ言うのも無駄な気がします。
酷評もしないけど、判ったなんて言うつもりもない。
ある意味、ずるい立ち位置ですが、そんなところ。
あばよ、 友達。
あえての宣伝なしに、今までと違ったメッセージを投げかけてくるのかと期待した。しかし、その期待は無意味だった。悪くも悪くもジブリ。けして良くも、とは言えない。それをジブリファンは真意を理解できていないと非難するかもしれない。だけど、正直な感想は、結局ジブリ。メインキャラ、サブキャラ、モブキャラすべてそう。役者を起用した声の配役も従来通り、もはや奇抜さも感じないデフォルトと化した。「ポールのミラクル大作戦」のようなパラレルワールドは若干新鮮味があったかもしれないけど、困難を乗り越える主人公の成長記のストーリーは相も変わらずだった。単なる衣替えしただけの作品だった。たぶん、もうこの手には乗らない。
今を生きる人々へのメッセージ性を感じる作品
完全にネタバレレビューです。
作品を観た直後『なぜこの内容でこの題名なのだろう。』という疑問が浮かんだままでした。後からゆっくり内容を思い返し、【生きる】というメッセージにフォーカスを当てて 私なりの見解をしたところ、やっと自分の中で腑に落ちました。主人公 マヒトは、戦争で母を失い、転校先では友達からのいじめを受け、馴染めない土地で急に叔母が母となり、父はそんな叔母に夢中。…となれば人というものは孤独であり、悲しみに暮れ、最悪『死』さえ意識するかもしれません。そんなマヒトが迷い込んだ世界では 自分の思うような理想の世界を創り上げられる。しかしその世界は殆どが『死者』であるとの事。その死者の世界の王として暮らしていた大叔父にここに残らないかという選択を迫られる。 しかしマヒトはそこでの暮らしを選ばず 現実の世界に戻る。現実の世界で自分を理解する友達を作り、母の死を受け入れ生きていくと…。現代の世界では悲しいことに人生に悩み、疲れ、死を選ぶ人々が多くいます。そんな方々もこの主人公 マヒトのように 生きることへの苦しみを感じているのではないか。しかしこのストーリーではマヒトはいくら苦しくても、孤独でも この大変な世の中で強く生きていく決意をします。宮崎駿監督はこの作品を通して、多くの苦しむ人々に生きるという選択肢を選ぶ事。そして自分自身で生き方を選んでいく事ができるというメッセージと希望を与えてくれたように感じます。
マヒトは真っ当にこの世を生きるが、悩みが多きひとりの人の象徴でしょうか。アオサギは死の世界へ誘う死神のようなポジションでしょうか。数多くの人を喰うインコ達は現実世界で人の心を蝕む人や物の象徴でしょうか…。
完全に私なりの解釈ですが、直接的な表現ではなく間接的に、そしてジブリの世界観を使い 大きなメッセージを届けてくれたように感じました。
この見解で正解ならば高評価ですが…全然違ったりして(笑)なんて思って遠慮の星3です。
わからん、からこそもう一度観直したい
2017年、自分の中で衝撃が走った。“宮崎駿監督、新作を作る”。引退したはずなのに(何回引退するんや)、もう一度観れるのか。もう期待でしかない。いつ出来るのかと待ちわび、コロナという未曾有の事態を乗り越えられ、ついに2023年に公開。
しかも一切の情報公開なし。
これは自信の表れか?それとも何かの実験か?はたまた広告出しまくり、煽りまくり、いろんな特典をつけてリピーターを生産する宣伝手法へのアンチテーゼか?それでも、何も情報なく観るのは違った、恐いもの見たさをに似たような興味をき引き立てられる。今回は先入観なく鑑賞しました。
正直、わからん・・・!?
ホンマに、どう解釈してええのかわからんのです。ストーリーも、キャラクターの行動も、世界観も・・・謎が謎を呼ぶ展開に「どうしてこうなった?」「どう解釈すれば?」と悩みながらの鑑賞になりました。しかし個人的に事前情報一切なしは正解かと。先入観なく純粋に観てたからこそ、次の展開が気になる。謎が気になる。ゆえに思いの外食い入るように観てしまう。その先入観なき没入感は、不思議と心地良いもの。しかし宮崎駿監督だからこその手法ではないか。他の作品でも余程の自信、戦略がないとやる事すら難しいと思います。
結局はわからん、と思うてしまった本作。しかし、それゆえに、
もう一度観直したい
という気持ちに駆られている今の自分がいる。
若干絵のタッチが変わったかな、とはいえ宮崎駿監督作品によく観られる躍動感は相変わらず流石というべきか。それにタッチも良い感じに変わっていると思います。また、やっぱり映画の魅せ方が上手いというべきか、ぽかーんとなったとしても“面白くない”わけではない。いや、面白い。先の展開が気になってしゃーないんです。それは事前情報がなかったことも関係してるとは思うけども。
ほんでも冒険要素を踏まえたファンタジーに仕立てたのは良かった。個人的には冒険ファンタジーこそ宮崎駿監督の土俵と思っています。最近の作品よりかは冒険要素があったことも魅入ってしまった結果ではないかと思います。
「わからん=面白くない」ではなく「わからん=もう一度観たい」と思える作品。それが本作の特徴ではないかと、個人的には思うています。
もしかしたら、そうやってリピーターを増やすつもりか?そうであれば、あえて言葉選ばずに言えば、“エサを撒かずとも観客を動員できる”映画ということか?はたしてそうなるか、その答えは未来に託すとしましょう。
それに、私自身この映画についてまだまだ考える余地は残されていると思います。再度観て、違う視点を持てた時、またレビューを更新します。まずはこれまで。
夢
千と千尋の神隠しのクライマックスとその感動を今でも覚えている。
その川の名はコハク川・・・
コハクがわたしを浅瀬に運んでくれたのね・・・
もし千と千尋~を見ていない人にそのクライマックス部分だけを見せてもなんのことか解らないだろう。
千尋とハクがスカイダイビング状態でかわす会話に感動できたのはそこに至るまでのストーリーを見てきたからだ。
あたりまえである。
君たちはどう生きるかを見た印象は「知らないアニメ映画の感動的なシーン集」だった。
観客には何がおこっているのかわからないのに眞人とヒミは突如としてクライマックスをやっている。
いきなり感動的なシーンを見せられると案外いらいらするものだ──ということがこれを見てわかった。なんならすこしむかつく。
このむかつきは映画ぜんたいがセルフパロディに見えることにも起因している。
どのキャラクターにも既視感がある。男勝りの鉄火女キリコはエボシやりんやクシャナの路線である。眞人はアシタカでヒミはソフィーである。ワンパターンとは言わないがいずれも宮崎駿が今まで扱ってきたヒーロー像・ヒロイン像を踏襲している。それが悪いと言いたいのではなくセルフパロディに見えるという話である。なぜセルフパロディに見えるのかというとストーリーが見えないからだ。
したがってもっと言えば「宮崎駿の熱烈なファンがつくった超精巧な宮崎アニメあるあるシチュエーション集クライマックス編」。
眞人は『ひみは生きてなくちゃだめだ』と言うんだがその劇的な台詞に観客は追いついていない。追いついていないのに眞人とヒミは千尋とハクのスカイダイビング状態時のような会話を繰り広げている。
わらわらが空へ登っていくときペリカンの群れに襲撃され「みんな食われちまう」とキリコが叫ぶんだが、こちらとしてはまだその白いのにシンパシーをもつには至っておらず、タイミング悪すぎんだろ。もっと上手に昇天しろや。と感じても罪はない。
ものすごく巧いあるあるを見るのと同様に眞人は過去の宮崎駿のキャラクターを想起させるセリフまわしやしぐさを数え切れないほどやる。ただしそれらはみんなハイライトシーンでの劇的な台詞まわしやしぐさなのだ。が、観客の気分はハイライトではない──わけである。
ただしストーリーがまったくわからないわけではない。
あまりにも大きな悲しみを負ったとき人は防御本能がはたらいて観念へ入り込む。そこからは不思議の国のアリス構造になっていてうさぎの案内人をここではアオサギがやる。壮大な夢おちといってもいい。ようするに眞人が母の死を克服する──だいたいそんな感じの話であろうことはつかめる。
が、チュートリアルしないでゲームをしている感じ。それもわりと難しいゲームでじぶんが何してんのかわかんなかったりする。
にもかかわらずヒミは「石がおこってる」とか「ドアの取っ手を離したらだめ」とかいろいろとその世界の特長的構造のことを言うし、なんならドアに近づきすぎて倒れるが、つうかヒミさんて言ったっけね、夏子さんの関係者なんだっけ。いや、おれらなんでふたりでがんばっているんだっけ。・・・。
──という感じでこっちは相関性も話も生煮えなのに、ぐいぐいと「あるあるシチュエーション集クライマックス編」を食わされる。
難解なのではなくもともと漠然としたものを漠然としていることを知った上で出している。なぜそうするのかというと、そうしたかったからでもあるし、漠然としたものを投げてみることができる作家だから──でもある。みんなだって、なんなのか解んないのに、ただ宮崎駿がつくったというだけで、これを買ったんだ。
そうはいっても絵やアニメはいい。
個人的には冒頭がよかった。火事だといって跳ね起きてだだだだと階段をかけおりて、その躍動がすごかった。もののけ姫のドキュメンタリーで宮崎駿がポーズを考えているところを見たことがある。アシタカがすべり落ちるところで腕を十字にするところがあったでしょ。草木が生い茂っているところをあるていどスピードでずざざざと落ちていくから腕を十字にして頭を防御するんだ。それを宮崎駿が自分でやってみてこんな感じだろとか言っているんだ。そういうアニメキャラへの魂入れはやっぱすげえなって思った。君たちはどう生きるかの冒頭見てあのじぶんでポーズしてみている宮崎駿を思い出した。
特長は蝟集と鳥。うじゃうじゃ恐怖症と鳥恐怖症にはつらいだろう。アオサギは醜悪を隠さないし狙ったようなグロテスク描写もあった。まったく子供向けではないと思う。が絵やアニメはよかった。
黒澤明が夢をつくったときに似ている。黒澤明が夢をつくったとき多くの映画ファンが「おれたちは用心棒とか椿三十郎みたいなのを望んでいるんだ」と言って受け容れなかった。しかし用心棒とか椿三十郎みたいなのが見たいって、そんなん当たり前でしょ。黒澤明は枯淡へ入って軸足のちがう映画をつくったんだよ。夢自体は悪い映画じゃなかった。八月の狂詩曲もまあだだよも悪くなかった。
これも単体でみたらすごい技術が集約されている。たしかに「おれたちはもののけ姫やナウシカや千と千尋の神隠しみたいなのを望んでいるんだ」と言いたいかもしれないが宮崎駿も枯淡へ入ってざっくりした夢を披露した──ってことなんじゃなかろうか。
毎日をただ丁寧に、積み重ねる。
製作期間7年と確か、聞く。
しかしながらちょうど、今、この時にマッチするようなモチーフがちりばめられ、まるで昨日おとつい、作られたのでは? と疑いたくなるほどだった。
戦争も、複雑な家庭環境、その母子、父子、居場所のなさ、自傷自罰的行為と子供。もしかしてマルチバースも?
マルチバースは別格として、いつの世にもあるモノなのかもしれないが、どうしても目がいって仕方なかった。
表面的には異世界を冒険するファンタジーである。
そこには救出すべくヒロインがおり、仲間が現れ、出会いと別れが織り込まれ、ピンチと決断に満ちる。
だが一方でどうしても監督自身についてを巡らせずにおれず、
大叔父が長い月日をかけ、一つ一つを積み上げて創り上げた石を中心とした世界こそ「会社」、もしかすると「ジブリ」そのものではないのだろうかとうがってならなかった。
そこに継がせたい者はおれども、自分にはふさわしくないと、自身の世界を生きる事を宣言されるなど悲しすぎ、
創り上げた世界すら、すぐに積み上げることが出来る、と功を奏するあまり本質を見誤った内部者に崩壊させられ、そんなのないよ、と悲しみのあまり熱が出そうになった。
だとしてもう諦めるしかないのは、人生には終わりがあるからで、
だからこそ大叔父も、袂を分かつこととなった主人公へ毎日、少しづつ積み重ねて行く事だけは忘れるな、とメッセージを託している。
それでいいのか。
判断の是非を自身へ問いかければこそ、肯定を求め、根源であり存在理由の「母」は登場することとなったのではなかろうか。
きっと優しく、間違ってないよ、と言ってもらうために。
ああ、やっぱり切なさのあまり熱が出る。
はたして「君たちはどう生きるのか」。
自分たちの手で再び創るしかなくなった現状にお手並み拝見。
問いかけ、挑戦し、おそらくいくばくかの期待をよせていると思いたい宮崎監督の、厳しさが優しい眼光が目の前に浮かび上がって来るのである。
いや、私にはそう見えた。
そして同時にこれを色々なモノに置き換え、なら、わたしたちはどう生きるのか。
手品のように、全てが一度に変わることなど崩壊への序曲なら、
やはりひとつづつ丁寧に、毎日を丁寧に、積み重ねていくほかないと、
心に沁み込ませるほかなく。
最後かもしない監督からのメッセージを握り絞めるのである。
それって、当然のことなのだけど。
追記)
宣伝しなかったのは、一般のお客さんへ向けてつくった作品ではない、という意味ではなかったりしないのかな。
そうおもうと、毎日コツコツ積み重ねは、手書きセルのことで、一気にバババっとやって潰したインコが象徴するのは、3DCGとかコンピュータ技術のたとえでは。。。うがる。
傾倒して本来の姿を失い、バランスを崩して塔は崩壊とか深読みしてしまう。。。
まあまあよかった
主人公のキャラがない。そして声がこもっていて主役を見るありがたみに欠ける。継母が塔にこもる理由が説明されない。それはおそらく物語の構成で、主人公に冒険をさせる必要があって、継母を探させることにしたけど、理由については何も思いつかなかったのだろう。意味ありげに匂わせる表現が多々あるが、中身はそれほどないようだ。考えても無駄だと思う。でも改めてもう一度見たい気がする。お父さんがノリノリだ。お母さんが魅力的な少女の姿で現れる。しかもやたらと有能で、頼りになる。それに対して魅力を感じるのは倒錯していてちょっと気持ちが悪い。
往年のジブリ映画風と13個の積み木
面白かったです。確かにストーリーは破綻しているし、テーマも主張も分からないし、成長物語ですらないのだけど、往年のジブリっぽさや、ハラハラドキドキ感もあって、満足できました。
考えてみれば、子供の頃の冒険ごっことか、大きく言えばこの世界の成り立ちとか、ストーリーも起承転結も無く流れていくわけで、この映画の訳の分からなさも、こんなものなんじゃないかと、そんな感じです。
自分が年取っただけかもしれませんが(汗)
追記
菅田将暉が声優をやっているというのでどの役だろうと思って見ていました。主人公かなとも思ったけど、声が若々しすぎるし。で、調べたらアオサギ役をやっていたと!これはかなりの驚きです。というか、めちゃくちゃ上手い。それだけでももう一回観てみようかなと思っちゃいました。
因みに眞人の父が木村拓哉、老婆のキリコ が大竹しのぶ、大叔父が火野正平、キリコが柴咲コウ、ヒミ役・若き日の久子があいみょん、とのこと。豪華だ。
追記
13個の積み木。宮崎さんが監督した13本の映画。なるほど。だから全編過去の作品の繋ぎ合わせな感じなのか。わざとそうしたんだ。それを継ぐことを拒否した眞人。映画自体に二重の意味を持たせているのね。
理由や動機が分からないので、没入できない(ずっと第三者目線
なぜそれをしているのか、なぜそれをする必要があるのか、世界観についての説明や、キャラクターの行動に対する動機の説明がないので、没入できません。
自分事化して、「マヒトがんばれ!」「お母さんがんばれ!」と応援するスタンスになりにくく、どうしてもボーッと起きてることを眺めているだけになりがちです。
その為、こちらの感情が揺れ動きにくくて、退屈な時間が続いてしまいます。
青鷺はマヒトに「お母さんは生きています。お待ちしていますよ。」と伝え、マヒトを建物内(塔内)に誘ったが、なぜマヒトに来て欲しかったのか、建物に入ったマヒトに何をさせたかったのかの説明がないので、観る側に目的を共有してくれません。
おばさんも、なぜ建物内で出産したかったのか、体調が悪い中でなぜ1人で建物内に向かったのか、その理由が分からないので、目的が不明という点では同じです。
パラレルワールドの中のヒミ=マヒトのお母さんも、なぜ鳥を燃やしているのか、理由を教えてくれません。
ワラワラを助けると何が起こるのか、逆にワラワラが死ぬと現実世界で何が起こるのか、説明してくれないので、ヒミの行動を応援してあげることができません。
各キャラクターたちは恐らく大切な事をしているのだと思います。使命感を持って取り組んでいるのかもしれません。ただ、その行動の目的意識や、動機の説明がないので、自分事化できないのです。応援できないのです。
スクリーンで起きてる行動を観てはいるのですが、キャラクターの心情や上記部分の説明がないので、「なんでやってるんだろう?」という疑問を持ち続けながら観ることになります。
例えば、「それをしないと世界が滅んでしまう」とか、「それをすれば現実世界で母が生き返る」とか、「あることをすれば青鷺にかけられていた呪いが解けて人の姿に戻れる」とか、分かりやすい目的や動機があって、その説明が冒頭にあった上で、パラレルワールドでのやり取りが進んで行くのであれば、もっと素直にマヒトの冒険劇として楽しめたと思います。
何かやってるし、何か起きてるけど、理由や背景が分からないので、ただボーと観てるだけだし、悪くいえばそういう風に観させられてるだけでした。
もっと子供たちでも分かりやすく、マヒトの冒険を応援できる理由付けがあってもいいのではと。
ジブリって、そういうシンプルなストーリーでいいんじゃないのかなと思いました。
映画を見ながら想像を膨らませ状況を整理する
※厳密にはネタバレしてないと思いますが、念の為ネタバレにしてます。
ただ淡々と思い出しながら殴り書きになってること、ご容赦ください。(個人的なメモみたいな感じなので)
個人的には、"とても好きな作品"となりました。
たぶんこの話を大枠で考えた時、戦時中という時代背景となっている事で良さをより分かりやすく実感できたなと思ってます。
仮にこの話が現代近い時代だった場合、この家族関係は実現しなかったのでは?と思ってます。
全体的に登場人物が、みんな"人間臭い"のがとても好みでした。
完璧者は基本おらず、良い部分もある中、人によっては悪い、やらない方が良いことをしてしまう部分も持っている。
実際に存在していそうな"人間"というキャラが敷き詰められてて好きです。
そして、話を見進めていく中でそのキャラクターの心理描写(思ったことを台詞として声あてしてるなど)がなかったのが余計にキャラの関係性を考えながら見れました。
事前情報(あらすじなどを含め)全くなかったことで、絵画を見て人によって感じることが違うを映画で体感できた気分です。
細かい伏線を全部回収したい!知ってこその作品と思う方もいらっしゃれば、絶妙に残されることで想像を膨らまし、「もしかしたらこういう事なのかな」を考えるのが楽しい方も生まれるのもまた人間らしいなと見終わったあと、レビューをいくつか拝見して思いました。
(私は後者ですが、、)
この作品をこの年で見れたこと、とても嬉しいです。
隣の家族連れの方はお子さんが冒頭の演出で泣かれてしまっていたので、お子さんには少しショッキングなシーンがあります。
そんな子も今後大きくなって、見て、どう感じたか聞いてみたいです。
ジブリ感は満載も、、、。
事前情報無しで鑑賞。
先ずは子供向けではないなと感じました。
ジブリ作品を見た気にはなりますが、幼少期から見てきたジブリ作品という感じではなく、色んな作品の良い所を取り入れたら失敗しちゃった感じかな。
得るモノが無いので子供に見せたいとは思いませんでした。
あと、「君たちはどう生きるか」というタイトルが間違いだった思います。
作る側は引けなくなり、見る側は付いて行けなかった。
他の作品から取り入れたであろう内容
・異世界もの
・新海誠の世界観
・過去のジブリ作品
ジブリは大好きなので次回作に期待しています。
母の愛に救われるファンタジー
他人の感想を耳にする前に観たくて、公開3日目に映画館で鑑賞。タイトルから想像した説教くささは微塵もなく、母への思慕が溢れるシンプルな映画でした。以下に雑感を5つに分けて記します。
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1. 全開すぎる母への想い
実母が結核で幼少期不在だった体験が「となりのトトロ」で描かれているのは有名。ナウシカの母性溢れるスーパーマンぶりも、母への敬愛と論じられている。男であれば、無意識に女性像に母が反映されているもの。宮﨑映画の女性キャラに同じ傾向があっても不思議じゃない。そてにしても、本作は母への想いが溢れすぎている。
①空襲の中、母がいる病院に向かう冒頭のシーン。風景が溶け、前方に視点が集中する。逃げ惑う群衆、自身が爆撃されるリスク、行っても何も出来ない無力さなんてお構いなしに、ただただ母の身を案じる少年(牧眞人)の視線がとても印象的。
② 疎開先で案内された自分の部屋で、直ぐに寝落ちする眞人。表面上矍鑠としていても、慣れない環境で、知らない人たちと初対面すれば気疲れして当然。自分も幼少期、親戚に気疲れしていた。
③母がメッセージを遺した図書「君たちはどう生きるか」を読み涙する眞人。母の言葉に感じる愛と、もう会えない現実への絶望。
その他、シーンを挙げるときりがないが、尤も印象的なのは最終盤の扉のシーン。
④崩壊する塔から脱出するため、ヒミ(母)に連れられて扉が並ぶ場所に向かう。扉はそれぞれ、異なる時代に繋がっている。ヒミが神隠しにあった時代へ戻ろうとすると、眞人が問いかける「その扉でいいの」(初見なので台詞はウル覚え)。眞人の真意は「お母さんは、空襲で死んでしまうんだから、その時代に行って、自分を救わなくていいの? あるいは未来に行って生き延びなくていいの?」。しかし、塔は崩壊するので時代を選べるのは1度きり。もしヒミが自分の少女時代に戻らなければ、眞人が生まれた事実さえなくなってしまう可能性もある。だからヒミは迷わない。「だって、眞人のお母さんになれるなんて、素敵でしょ」。この場面には、宮﨑監督の母に対する理想像?あるいは実母への絶対的な信頼がある。母は空襲に焼かれる運命が知っていても、自分を産むことを優先するにに違いない! 母は自らの命より、息子の誕生を優先してくれるに違いない! ヒミがこの台詞を、一瞬の逡巡もなく、一切の衒いも重々しさもなく語る事に感動した。あいみょんの手柄か、監督の演出か分からないが、素っ気なければ素っ気ない程、胸に沁みる台詞回しに感じた。
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2. 映画「メッセージ」との相似
未来を知る母の決断が印象的な映画に「メッセージ」(Arrival)がある。言語学者ルイーズは、異星人の言語体系を解読する事で、自分自身が時を越えた記憶を獲得する。つまり、生まれた直後から死ぬ直前までの体験を、現在と同じ様に体感できる。そして、今隣にいる共同研究者と結婚し離婚する事、生まれた娘が不治の病で若くして死んでしまう事を知る。それでも彼女は、彼と結婚し娘を身籠る。この映画を見た時、自分はそこまで強くいられるだろうか慄いた。当然彼女は、娘の病を知った以降の辛さを、産む前から知っていた筈。それでも、その娘を産めるだろうか? 早逝する運命を知った上で、娘を明るく育てられるだろうか? でもルイーズが出産を断念すれば、娘が存在した事実すら無くなってしまう。ならば、自分も娘を歴史に刻むために産む勇気を持てるだろうか?
ヒミは自分の早逝、ルイーズは娘の早逝、抱える十字架は少し違うが、待ち受ける運命を知っていても、愛する子を産むことに迷わない母に、これ以上無い強さを感じた。
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3. 「世界」を滅ぼし、メンターから卒業する映画
幼少期に胸を踊らせた「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」は、世界が英雄に救われる映画でした。ナウシカに至っては、人間の肺を腐らせる腐海の生き物すら救おうとしてました。しかし、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」で主題は家族や少女の内面に移り、「紅の豚」「ハウルの動く城」も戦争の陰をあるが、主題は主人公の内面でした。最期に世界を救ったのは、人間が自然や神を凌駕する室町時代を描いた「もののけ姫」。世界的評価を得た「千と千尋の神隠し」も、少女が異世界で成長するファンタジーで、現実世界は危機に晒されていませんでした。
本作も基本、宇宙から飛来した塔の中でおきるドタバタであり、外部で影響を受けたのは、旧家の4名(大叔父、母姉妹、息子)と女中1名だけ。やはり、現実世界は救われるどころか無変化なまま。一方、塔内に広がる「世界」は完全に崩壊。鳥人間?が息づく「世界」の崩壊は、ラピュタなる最終兵器を葬るのとは大きく異なる。初見直後は意図を計りかねていましたが、2023年12月16日放送された監督への密着ドキュメンタリーを観てよく分かりました。
主人公を塔に誘うアオサギは"鈴木敏夫"P、塔と伴に崩壊する大伯父は故"高畑勲"監督の象徴でした。高畑氏は東映映画入社時から宮﨑監督の先輩で、組合運動からアニメ製作まで伴にした同志。高畑氏が演出で、宮﨑氏がスッタフとして原画や場面設定を担当する作品も多い。ジブリ以降は監督としてスタッフを取り合うライバルにもなったが、知識も豊富で思慮深い高畑氏は頼れる先輩(メンター)であり続けたよう。だからこそ、2018年に高畑氏が亡くなった心の穴は小さくなかった。「君どう」の製作には、高畑氏に未だ依存している自分を振り払う意図があり、大伯父を塔の崩壊と伴に消し去る事は、高畑氏からの精神的卒業の宣言だったそうです。
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4. 何故父はスノッブか?
初見で感じた違和感の1つが、父・勝一の人物像。深手を負った息子を守ろうと動く等、決して悪く父親ではない。ただ、自己肯定感や溢れる自信を内に秘めないスノッブ(俗物根性)さも香る。疎開先も父の職業も、宮﨑監督の実人生と同じ設定。なので、実際のお父様の性格をそのまま反映している?とも思ってました。
しかし、TV放送時にデータ放送に掲載された「企画意図」で違和感が晴ました。企画段階の粗筋は「エディプス・コンプレックス(Ödipuskomplex)に陥った主人公が、幾重の扉に隠された母を救い出す物語」。Ödipuskomplexは、幼い子供が母に異性として惹かれ、父を敵対視する感情。つまり、眞人が母への愛情の裏返しに、父・勝一にそこはかとない嫌悪感を抱くように描かれるのが、そもそもの企画に沿った表現。宮﨑監督の実父がどんな人だったか、駿少年が父にどんな感情を抱いていたのかは別として、本作の勝一はスノッブに描かれるべき存在だったようです。
ただ本作が複雑なのは、母が2人登場する処。正確に言えば、実母には2形態(亡くなる迄の大人なヒサコ, 少女なヒミ)ある。なので、眞人が異性として惹かれた母とはどの母か? 戦火の中、駆けつけようとした病院に居た病弱なヒサコなのか? 塔で出会った強いヒミなのか? 姉にソックリな叔母であり継母になる夏子なのか? どの母も「好き」だから、降りかかる困難に立ち向かえた物語にも感じました。
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5.「わらわら」とは何か?
下の世界で出会う「わらわら」は生まれる前の命であり、浮上してペリカンに運ばれた先で生まれると説明される。しかし、この世界が塔の一部であれば、積石がぶった斬られた時点で一緒に崩壊する筈。塔の世界の住人がインコであるなら、わらわらの大半はインコとして生まれるのか? それとも、生命誕生の象徴として描かれているなら、下の世界は塔の一部ではなく、地球全体の生命の源なのか? 個人的には、我々の世界と禍々しい塔が繋がっていては欲しくはないので、わらわらから生まれるのはインコばかりと考えた方が、心が休まる。
こんな解釈もできるのでは?
・映し出された世界について
「君たちはどう生きるか」という映画を見る中、そして作中の大叔父様の作った世界を垣間見る中で、
僕たちはジブリの過去作を思い出させるようなシーンをたくさん見てきました。
ちょっとメタな視点で見てみます。
作中の大叔父様は、過去のジブリ作品を彷彿させる世界を作りました。
宮崎監督は、過去のジブリ作品を散りばめた「君たちはどう生きるか」という映画を作りました。
「映画を作る」=「劇場という空間に世界を作る」と読み替えると、大叔父様と宮崎監督は同じことをやっています。
そして、それぞれの作った世界は、とても密接な関係にあると言えます。この認識が大事です。
・石について
"石"は"意思"や"意志"とのダブルミーニングだと思います。創作的な面で言えば、伝えたいこと、メッセージと読み替えて良いかもしれません。
世界を作るために積み上げたられた石はとても不安定な状態にあります。
これは、そのまま、自分の創作活動・創作意欲というものが危機的状況にあるという意味にとれます。
悪意のある石については、第3者からの悪意と取ることもできそうですが、自分の内面の話と取りました。
自分の思考や感情はキレイなものばかりじゃなくて、ドロドロした汚い部分もあります。
そういった玉石混交のたくさんの"思い"をふるいにかけてようやく見つけたキレイな"思い"こそ、作品として昇華された13個の"石"です。
大王が石を積み上げて世界を作ろうとして失敗します。
誰かに与えてもらった"思い"をそのまま使って世界を作ろうとしてもダメなんです。
どろどろした汚い"思い"に向き合って、その中からほんの僅かのキレイな"思い"を探し出す、産みの苦しみみたいなものがあって、初めて世界を作れるんだと思います。
13個の石は切って捨てられ、大叔父様の世界は崩壊を始めます。
自分の作品に乗せた13個の"思い"を切って捨てたんです。
大叔父様の創造した世界は宮崎監督自身が創造した世界と表裏一体で、それを崩壊させちゃったんです。
伝えるべき思いも、創造する場所も残されてないんです。
つまり、「僕はもう作らないよ」という監督からのメッセージだと受け取りました。
・映画館での視聴が絶対
作中の主人公は、大叔父様の作った世界に入って、石(意思・意志)を拾って、扉をくぐって現実の世界へ帰ります。
僕たちは、劇場という空間に作られた宮崎駿監督の世界に入って、何かしらの思いを抱いて、ゲートをくぐって日常に帰ります。
同じ構図になってますよね。映画館に行って映画を見て帰宅するという過程の中で、主人公たちと同じ経験をすることになります。
少し踏み込みましょう。
主人公たちは大叔父様の作った世界に別れを告げました。
同じように、僕たちは宮崎監督の作った世界に別れを告げてきました。
そして、今回、宮崎監督が作った世界は、過去の自身の作品を集めたような世界でしたよね。
つまり、僕たちは「君たちはどう生きるか」の世界にさよならする中で、宮崎監督が今まで作り上げてきたたくさんの作品にもさよならを告げてきたんです。
僕たちの約2時間は、宮崎監督の過去作を思い出して、別れを告げるための時間でした。
今作の映画体験は劇場で見て初めて完成します。リビングや寝室じゃだめなんです。だってそこはあなたの現実の世界なんだから。
劇場という特別な空間に作られた宮崎監督の世界に入ること。そして劇場から出て現実の世界に帰ること。この物理的なプロセス経ることに意味がある。
そうやって初めて主人公たちと同じ体験ができる。その体験を通して初めてさよならが言える。そんな仕掛けだと思います。
・タイトルについて
作中の主人公が石(意思・意志)を持ち帰ったのと同じように、僕たちは何かしらのメッセージや思いを現実へ持ち帰りました。
これは過去作からずっと同じで、僕たちは宮崎監督の作品からたくさんのメッセージや思いを受け取ってきました。
でも、大叔父様の世界が崩れるのと時を同じくして、宮崎監督の創造する世界も終わりを迎えました。
もう僕たちに新しいメッセージを伝えてくれることはないんです。だからこそ、今まで受け手でしかなかった僕たちがどうするかを問われるんです。
「君らしっかりしなさいよ」と発破かけると同時に、「君らはどこまでできる?」というある種の挑戦状といえるかもしれません。
タイトルと本編が無関係という事はありません。
・事前情報なしの是非
賛否あるかと思いますが、僕は英断だったと思います。
この映画の目的は、
① 何かしらの思いを抱かせて現実に帰すこと
② 宮崎監督の数々の作品に別れを告げさせること
この2点だと思います。
ターゲットは宮崎監督の作品に触れたことのある全員だったはずです。でも、それができないこともわかってる。
だからせめて、「ジブリ」、「宮崎駿」と聞いて劇場足を運んでくれる人たちにはメッセージを伝えようとしたんです。
そういう人たちに宮崎監督の作品とお別れをする時間を与えようとしたんです。
興行的な面はもちろんあったでしょう。
でも、それだけじゃなくて、造り手としてこの人たちに届けたい、届いて欲しいっていうのを形にした結果が、あのたった1枚のポスターになったんだと思います。
死んだ妻の妹とどう生きるか
妻が亡くなって、
1年経たない間に妻の妹を孕ませて結婚。
宮崎駿が描く家庭とか、
女性像っていつもどこかインパクトある人が多い
事前知識なしで鑑賞した感想は、
レビューで言われるほどわからんってことはないけど、
これが面白いのかというと疑問。
ジブリっぽい設定と台詞ではあるんだけど
なんか取ってつけたような、
ここでは私の力は弱まるわ
振り向かずに下がれ
みたいなシーンも気になったし、
王様インコが帰ってくるのもジブリっぽいけど、
どーでもよかった笑
冒頭の病院の火事の様子を見に、
階段を駆け上がるシーンだけ、
ジブリならではの躍動感に期待度が上がった。
ただ、
観終わったあとの考察を信じるとすると、
納得いくシーンはたくさんあったかもしれない。
最後のオウムが適当に積木を積み上げて壊して
時の回廊へ戻れのシーン
初見は銀魂にありそうな切り返しに
少し吹き出しそうになりましたが
考察通りなら
宮崎駿が時間をかけて積み上げてきた13作品を
商業主義の人間が適当に商売目的で積み上げたところで、
ジブリは救えない。
宮崎吾朗であれば、
血縁者だから救う資格はあったのだろう。
宮崎駿の悲壮と怒りの作品だったんですかね
そう思っといた方が幸せですよね
オウムだったのは、
やっぱり王蟲から来たのかな?笑
アニメは自叙伝の挿絵に過ぎない
『君たちはどう生きるか』
この映画の本質は徹頭徹尾『自叙伝』で、ファンタジー部分は『自叙伝の挿絵』なのだと感じました。
なので、物語的に『なぜ?』と感じたところは基本的に『本に取り憑かれた大叔父が、高次元の存在の力を借りて創造した理想の世界』に過ぎず、『理屈や道理なんてない』のが答えなんだと思います。
私達の多くが『君たちはどう生きるか』が理解できないのと同じで、作中の登場人物達にとっても『大叔父の理想の世界』が理解できないんです。
私達ですら理解できない世界を、主人公だけが理解出来た……。だからこそ後継者に選ばれたのです。
なので、作中に点在する多くの謎の伏線回収なんてものは作中になく、ここでがっかりする人も多かったのかなと。
制作側の目線で言えば、『こういうの描いてみたら絵的に面白そう……というか描いてみたい』だとか『あの本とあのアニメ大好きだからオマージュ入れたろ』だとか、その程度の意味合いのシーンも多いのかな……と。
もちろん、恐らくこういうことだろうと考察できるシーンも多く存在しました。
けれど、それは『物語を通して1番言いたいこと』ではないのです。
再度言いますが、この物語は宮﨑駿という1人のアニメーターの自叙伝です。
宮﨑駿が人生を通して積み上げてきたものは、アニメーションでしか表現できない。
宮﨑駿という男の人生がアニメと切っても切り離せないが故に、ジブリと切り離せないが故に、
『スタジオジブリ最新作長編アニメーション』の形をとっているのです。
ただ、だからこそ最後のシーンの『あばよ』というセリフいうが刺さりました。
培った技術や世界観をこれでもかと見せつけることで、
『これが俺の人生をかけて培ったものの全てだ』
『俺はこう生きたからな』という宮﨑駿監督の声が聞こえた様な気がして。
『君たちはどう生きるか』というタイトルの伏線回収がお見事だな、と。
通算5度目の、しかし今度こそ本当の引退宣言。そして、『君たちはどう生きるのか』という孫の成長を見守る老人のような……、後進への不器用な愛に溢れたラストであると感じました。
故に、自叙伝(書き下ろしアニメ付き)として見ると本当に面白い作品だと思います。
老年の自分語りを、説教などないままにここまでの作品に消化出来るのは彼の才能ゆえでしょう。
宮﨑駿という天才の積み上げてきた素晴らしい技巧に興味のある方は、間違いなく見ても損はありません。
序盤は良いですが…
それ程ジブリや宮崎駿が好きというわけではありませんが、気になったので観に行きました。
宮崎駿作品できちんと見たことがあるのは、「ナウシカ」「ラピュタ」「もののけ姫」くらいで、それ以外はテレビなどでちょっとは目にしているという程度のものです。
タイトルの元になっている本は未読です。
やはりアニメーションとして面白く、音響などもしっくりきますし、鳥や動物などの不思議な迫力のある描写も楽しめました。
ストーリーとしては、時代背景から来る緊張感や謎めいた雰囲気、実母と継母への心情やコツコツと武器を作る様子など、別の世界に行くまでの描写は良かったです。
しかし、別世界に行ってからは、個人的にはあまりしっくりこなかった感じです。
和洋織り交ぜたファンタジーな別世界を旅するロードムービーのような雰囲気は、個人的には好きではありませんでした。
いろいろな経験をして成長した、母の死を乗り越えて新しい母を受け入れることができた、というのは良いかとも思いますが。
戦争で母を失ったところをこういうファンタジーで癒されるという部分が、あまりしっくりこないというか。
母を訪ねて別の世界をめぐり、助けてくれる人間は女性ばかりというところには、母性というものに対する特別な想いは感じます。
大叔父が血縁者に後を継がせようとしたり世界を再構築させようとしたりする部分は、現実の理不尽な世界を再構築すべきだというようにも取れましたし、血縁や跡継ぎにこだわる社会や一人の手によって支えられているような社会は崩壊するというようにも取れました。
ささいながらも悪意のある人間が独裁的な立場に着くのは危険だというようにも。
戦闘機工場を運営しているらしい権力者的な父親や、戦闘機の部品らしいものを美しいなどと表現するなど、戦争に触れる描写はなんだか引っかかりました。
その時代のこととして、あえて善とか悪とかなく描いているのかもしれませんが。
何かモチーフにしている話やメタファーなどがあるのかもしれませんが、抽象的なことを羅列しているように感じた別世界のストーリーは、あまり乗れませんでした。
これまでの宮崎駿の作品世界を横断しているというか混ぜ合わせたというかつぎはぎしているというか、そんな風にも感じました。
これが宮崎駿のネオンジェネシス
最近多い抽象的な表現が多数あり根本のストーリーがはっきりせず展開が盛り上がりに欠ける
胸が熱くなって涙腺崩壊するシーンなどは個人的にはなかった
おばちゃんはエッチで弓シーンは格好良い
作画はエヴァの作画監督さんということで凄い枚数使ってそうで迫力があった
次世代へファンタジー世界の未来を託そうとするが断られインコに一刀両断されるシーンや現実世界に戻った主人公がファンタジー世界の物を気付かずに持って帰るシーンは皮肉と忘れて欲しくないという気持ちが良く乗っていたと思う
ナウシカ(原作含め)やラピュタが好きな自分としてはやはりSFに期待してしまっていた
スタジオの近くにはインコが多いのかなって思いながら映画館から帰りました
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