君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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君たちはどう生まれ、どう生きるのか
輪廻転生、生と死、あちらの世界、こちらの世界、パラレルワールド、人間の持つ心の闇。
私の解釈ですが、あの塔は、闇を表していると思いました。その奥は生と死の境目の場所。
マヒトは何度も闇に誘われます、人は大切な人を亡くしたら、ついていきたいという気持ちにもなるでしょう。
その誘導に何度も勝つのですが、夏子さんを助けにいくという形で入っていくことになります。
そこで、生死の境目で大叔父さんに現実世界を生きるのか、死後(天国)を守るのか選択を迫られます。
これは凄く怖い選択だと思いました。
天国は一見、夢のように美しくも見えるのです。
マヒトが現実世界を選んだ時、とても安堵しました。
そして、どんなに苦しくてもそこで生きるという意思を感じました。
また、夏子さんを通して、人間が生まれることの壮絶さを伝えられました。
夏子さんはつわりが酷く、自ら闇に誘い込まれるように進んでいくのです。
そこで、もがき苦しみます。
一つの命を守るために必死の形相になりマヒトに酷いことを言う。(ここについては、もっと深い見方ができるので何とも言えませんが)
人間が、生まれるのは本当に大変なこと。
それはワラワラなどを通しても伝わります。
私達は現在の、更に生きにくい社会の中で目に見えるものばかりに囚われ、死にたいと思ったり、それを選んでしまう人もいます。
でも、一つの命の誕生の裏には壮絶な物語があること、生み出す母親の忍耐と愛情の強さとはどれほどのものか、ということ。
それが一度見た時点で大きく伝わってきたメッセージでした。
まだまだ解釈の足りないところはあります。書ききれないところもありますが。。
宮崎駿監督が、もっともっと生きて理解すればいい、だから、もっと生きるんだ、と言っているような気がします。
ちゃんと考えましょう、感じましょう。
自分なりの解釈で良いのです。
難しい、とか一言で済ませるのではなく、頭と心を使うのです。
それが何より大切なこの映画へのアンサーではないでしょうか。
この不思議なファンタジーが良いのよね
ジブリの暖かみを残しつつアニメーションとしてクオリティが上がっていて凄く良かった。
どの場面も美しかったなぁ。特に私はジブリの描く森が好き。
今回は冒頭の火事のシーン凄かった。
ドルビーアトモスで観たから音の重圧感も重なって凄く満足感を得た映画だった。
ストーリーも良かった。
大叔父さん?はこの世の中じゃ良く無いと思って新しい世界での生き方を選んだ。
その生き方を他の人にも共有したかった。
ただ、主人公は戦争する世の中や周りの環境の変化にちゃんとついていけてはなかったり嫌な気持ちもあっただろうけど、現実での生き方を選んだ。
自分の生き方は自分で選ぶ。
辛いこともあるけど、何を大切にして優先して君たちはどう生きるのか。
主人公のお母さん、その妹、お婆さん、みんなあの塔の中の世界にどう生きるのか問われて選択していったのかな。
私(宮崎駿自身)はこう生きる事を選んだ。この生き方に続く物はいないかもしれない。宮崎駿のような映画作れる人はいないかもしれない。この自分が作った世界を残して欲しい気持ちもありつつ、
みんな自分の世界を自分で選び築いて行けば良い。
そんな映画なのかなぁと勝手に解釈(勝手な解釈です)
この映画にしか得られない感情があって心が持ってかれた。
この世界にもっと浸りたかった。
お父さんと新しいお母さんが仲良くしてるのを見たり、つわりのお見舞いの時の、お父さんが一緒に寝てる感じを漂わせる感じ良かったな。
本人は感情を言葉には出さないけど、子供からしたら受け入れるのにも時間がかかるし感情を揺さぶられる事だったって主人公目線のこの表現でよく分かるよね。
もしかして新しいお母さんは、主人公のためにあの世界に行ったのかな。
主人公の気持ちは充分分かっていただろうし。
どうなんだろうね。
あとインコの見た目、凶暴だけどピュアさもある感じ良かったな。
宮崎駿自身も分からないと言ったらしいから、個々の受け取り方でこの映画を観てそれぞれの私の世界観を作ったら良いなと思った。
絶賛や批判いろんな意見が出る映画おもしろいよね。
“難解だけど面白い”という所までに至っていない
風立ちぬ以来の新作ということでとても期待していたが、
鑑賞後の感想としては少しガッカリしたという気持ちである。
しかしながら、この作品には褒められるべき点もある。
まずは圧倒的な作画力。これに尽きるだろう。
宮崎駿作品の魅力とも言える疾走感のあるシーンは日本を代表するアニメーター集団であることを顕著に表している。特に前半の火事の中走るシーンは今の劇場アニメでも中々見ることができないレベルである。
それだけの作画力のある作品を低評価に陥れているのはストーリーである。
作品に隠された意図、メタファーを盛り込むのは考察する楽しさがあるしとても良いことだと思う。しかし、本作はそれに特化させすぎて純粋に作品として見た時に単純に面白くない。特に言語化されている場面が少なく観客に理解させようという気すらしない。
制作側が作品に込めたいメッセージと観客が理解できるレベルの塩梅を上手く取るのがプロの仕事ではないのかと問いたい。
結論、今回の作品の評価としては、星3とする。
理由はストーリーは難解であり、作品として面白いというレベルに達していない。しかし、正統なジブリ作品として評価できる作画力や世界観ではあるためこの評価とする。
宮崎駿が考える「君たちはどう生きるか」です。
まずはじめに。
映画を見たあと、本屋に寄り「君たちはどう生きるか」
をパラパラ見ましたが、映画は小説や漫画化された
君たちはどう生きるかとはストーリーも設定も違います。
タイトル、テーマだけがかぶっているだけで中身は別物です。
個人的感想は最後に書いてあります。
おおよその流れを長々と書いておきます。
映画の方は、
舞台が戦時中の日本で、主人公マヒトがある日
大人たちが騒いでいる中目覚め、火事を目撃する。
火事の現場が母親の病院でマヒトも現場へと向かう。
母親を亡くし、戦火のこともあり父親と二人で
田舎へと移り住む。そのさきに母親にそっくりな
女性があらわれ、新しい母親と父親から紹介される。
母親にそっくりな女性は母親の妹ナツコである。
お腹には子を宿しており、大きなお屋敷に住んでいる。
お手伝いのおばあやおじいが身の回りのお世話をしている。
母親の死を受け入れられないでいるマヒト。
マヒトとの距離を感じながらも気丈に振る舞うナツコ。
アオサギがあらわれ、マヒトにちょっかいを出し始める。
アオサギが屋敷の離れにある館に向かうのを見たマヒトが
館へと出向く。館はボロボロで上へと通ずる階段は土で
埋もれている。姿を消したマヒトをおばあたちが総出で捜す。
アオサギの羽が落ちているのを見つけ、
おばあが家に帰るよううながす。
館についてナツコからことの成り行きを聞く。
次の日、父親の運転でマヒトは学校に行く。
帰り道に同級生とけんかをする。そのあと自分の右側頭部に
石で傷をつける。おばあや医者に治療してもらう。
父親から誰とけんかしたか問いただされる。
コケただけだとマヒトは主張する。
次の日、アオサギがあらわれ木刀で向かい打つが、
歯がたたず、アオサギから母親は生きていると言われる。
カエルに飲みこまれようとされるとき、ナツコの弓で
アオサギどもを追い払い、難を逃れるマヒト。
その日からナツコのつわりがひどくなる。
おばあたちからお見舞いに行くよう言われ、
お見舞いに部屋に行き、帰り際タバコとナイフを盗む。
おじいにタバコを渡し、ナイフを研いでもらう。
竹の弓を作り、矢先が釘の矢を作る。うまく飛ばないので
池に落ちているアオサギの風切り羽を矢に取り付ける。
そのときに誤って机の上にある本を床に落としてしまう。
君たちはどう生きるかの本に母親の字でメッセージが
書き記してある。ナツコが森の中へと消えていく。
おばあたちがいなくなったナツコを捜す騒ぎに気づくマヒト。
ナツコが消えた場所をキリコと追う。
道の抜けた先に館の裏手に出る。
館に入ると入口が塞がれ、アオサギがあらわれる。
母親は奥にいるとアオサギに案内され、ソファに眠る
母親を見つける。触れると液体になり崩れる。
ナツコの居場所を問いただすとアオサギが
殺してみろと言い、マヒトは弓を引き矢を放つ。
一度は避けられたが、矢はアオサギを追いどこまでもついてくる。
矢はアオサギの上くちばしを貫通し、飛べなくなる。
館の上に大爺があらわれ、アオサギにナツコの居場所を
案内しろみたいなことを言われる。
アオサギ、マヒト、キリコは下の世界へといざなわれる。
マヒトはある島で目覚める。まわりはペリカンだらけで
金の門があり、門には「我を学ぶものは死す」
みたいな文字が書かれている。マヒトが門の前に立つと
ペリカン達が門に押し寄せ、門が開く。
海から船に乗った若いキリコがあらわれ、島に降り立ち
ペリカン達を追い払う。マヒトを助け、呪文を唱え、
後ずさりして船で島から脱出する。
仕掛けた罠を引き上げ、魚を釣り上げる。
ここは下の世界と説明され、生きている者は少ないと言われる。
生き物を殺生できるのはキリコだけで、他の者はできない。
若いキリコがその役目。若いキリコの家に招かれ、魚をさばく。
変な丸い妖精がいる。内臓が妖精の好物らしい。
机の下で目覚めるマヒト。まわりにはおばあ達の人形が取り囲んでいる。
それには触れるなと若いキリコに言われる。
マヒトはトイレに行き、月明かりがまわりを照らすと
妖精が空へと飛び立つ。若いキリコがあれが人間へと生まれ変わる
のだと説明される。ペリカン達が妖精を食べ始める。
全滅しかけたときにヒミがあらわれ、ペリカン達を追い払う。
寝ているときに外から物音がし、マヒトが外に出ると
トイレの横に傷ついたペリカン1匹がいる。
もう命が長くないとペリカンが言うと、妖精を襲った罰だとマヒトが言う。
ペリカンは下の世界ではエサとなる魚が少なく、
妖精を食べるように進化したと話す。
ペリカンは死ぬ。アオサギがあらわれる。
マヒトがスコップを持って、ペリカンを土の中に埋める。
翌朝、アオサギとマヒトがケンカして風切り羽をマヒトが引きちぎる。
若いキリコが二人をなだめ、ナツコ捜しがはじまる。
若いキリコからマヒトにキリコの人形と石をお守り代わりにもらう。
道中でアオサギの上くちばしの穴を塞ぐためマヒトが
木の棒を削り、いろいろ調整してあげる。
ナツコがいる家を見つけたが、インコが家を占拠している。
インコは人間を食べる。
アオサギがインコの気を引き、その隙にマヒトが家の中へ。
家の中にもインコがおり、丁重に出迎えられる。
ナツコはどこだと問いただすとお腹に子がいるので食べない。
ここにはいないと言われる。マヒトが食べられそうになるところを
ヒミが助けてくれる。ヒミの家へと招かれる。
そこでジャムパンを食べる。
ナツコの居場所を案内するためヒミと一緒に行動する。
父親がおばあ達から館のついての言い伝えを聞く。
館は空から降ってきた石であること。
その衝撃で池の水がほとんどなくなったこと。
石を覆うとしたら、何人も死人が出たこと。
いわくつきの館であること。
城の中に潜入し、番号の付いた扉の廊下に出る。
両端からインコが迫ってきて、扉の向こう側に
一時避難。父親がマヒトを見つけるが、
マヒトは元の世界に戻らず、下の世界へと戻る。
その扉はいろいろな時代に繋がっており、
ドアノブを手から離すと、下の世界には戻れない仕様。
ナツコのいる部屋に着き、マヒト一人で部屋に入る。
ナツコを起こすが、マヒトを拒絶し、マヒトとヒミは
気絶してしまう。
マヒトは夢の中?で時の回廊を通り、大爺の元へと行きつく。
大爺は積み木をしており、世界が一日保たれると言う。
積み木と言っているがそれは墓に使う石。
大爺がことの成り行きを話し、
自分の役目を引き継いでほしいと頼まれる。
マヒトは目覚め、インコに調理されようとしている
ところをアオサギが間一髪で助ける。
マヒトとアオサギが合流し、ヒミの行方を探る。
ヒミはインコに捕らえられ、インコの王様と一緒に
大爺の元へとつれていかれる。
マヒトが引き継がないなら、
ヒミに引き継がせるとインコの王様が言う。
ヒミを助けようとするが、インコの王様に阻まれる。
インコの王様と大爺が少しお話し。
そのあとヒミと大爺が言葉を交わす。
マヒトは役目を引き継がない、
ヒミも一緒に元の世界に戻りなさいと諭される。
インコの王様は時の回廊から出ず、経過を見守る。
マヒトとアオサギが崩れた階段から這い出てくる。
目の前に時の回廊があり、先へと進む。
広間に突如、扉があらわれ、扉の先へと進む。
インコの王様もつづく。そこでヒミと再会。
石を飛び先へ、アオサギもつづく。インコの王様もつづく。
大爺とはじめて対面。
13個の積み木を、3日に1個?1日に3個?積み
世界を導くように言われる。
マヒトは自分はうそをついてきた。頭の傷のことも。
そんな自分は役目を引き継ぐ資格はないと言う。
大爺が良い世界にするも、悪く醜い世界にすることも
できる。このまま元の世界に戻っても辛く、むなしい結果が
まっているだけだ。
しびれを切らしたインコの王様が積み木を適当に積む。
こんな積み木で世界の情勢を決められてたまるか的な事を言う。
積み木が崩れ、下の世界が崩壊する。
マヒト、ヒミ、アオサギが時の回廊を抜け、
番号のついた扉の廊下へと向かう。
若いキリコがナツコを見つけ、番号のついた扉の廊下に向かう。
マヒト、アオサギ、ナツコは元の世界に。
ヒミと若いキリコは過去の世界へ。
元の世界に戻ったマヒトはアオサギから
何で下の世界の記憶があるんだと問いかけられる。
なんか厄介なもの?もってないかと聞かれる。
ポケットからキリコの人形がおばあのキリコに
代わる。積み木の石が出てくる。
記憶は早く忘れろと忠告される。
3年後、戦争は終わり、都会へと戻るマヒト達。
ようは全部のジブリ映画の要素を1つの作品にまとめて
作ったらこの映画ができたということです。
風立ちぬのようなリアリティ要素、
トトロや千と千尋の神隠しのようなファンタジー要素、
風の谷のナウシカやもののけ姫のような自然と人間との共生、
魔女の宅急便やハウルの動く城のような心の成長や葛藤など。
面白いかどうかと言われたら、なんとも言えない。
ジブリ特有の表現や見せ方、話の流れや教訓、
教えや人生哲学等、ジブリ映画をたくさん見ている人
ならあるあるなシーンや場面があり、
ジブリファンなら理解できる表現方法がある。
それを楽しめるかどうか。まわりくどい言い回しや
シーンを許容できるかどうかで
面白いかどうかが別れると思う。
主軸は、マヒトの心の成長物語なので
シンプルだけどジブリなので良くも悪くも
一筋縄ではいかず、わかりにくく作られている。
個性豊かなキャラクターが多く、物語に集中しづらい。
なんの説明もなく新たな重要人物が出てくるので、
置いてけぼり。
重要そうなナツコもそれほど掘り下げず
ナツコをエサにマヒトが右往左往する展開。
マヒト、アオサギ、ヒミ、大爺だけの話を
聞いておけばよいです。
補足
ペリカン 自己犠牲、母性の象徴
サギ 神の使い、再生の象徴
インコ 知性 家族の絆 明晰さ
アオサギの声が太田光かと思ったけど、
エンドロールで名前が無かったので誰だったんだろう?
比喩と暗喩に満ちた場面の連続だが、メッセージは明解だと感じた
映画「メッセージ」とテレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」とキューブリックの「2001年宇宙の旅」を足したようなメッセージ性と、背景はルネ・マグリットの絵画や飛鳥の石舞台のような様々なメタファーに彩られた、美しい映画でした。
ただ、監督が伝えたかったメッセージが上手く描き切れたのかというと、消化不良だったのでは…?という気もします。
でも私はこの映画のことは嫌いではありません。
マヒトは、小さな嘘をつく矮小な自分を認めることができて、やっと欺瞞と暴力が渦巻く世界と対峙する決意をしたんですよね。
ナツコはおそらく姉(マヒトの母)に対して引け目があって、姉の授かり子のマヒトと向き合う責任から逃れたかったのではないかな。
ヒミは、自分が死ぬことがわかってても、マヒトをこの世に産むことを選んだ。マヒトと出逢った異世界での期間が、きっと神隠しにあった1年だったんでしょうね。この辺が、子供が死ぬことがわかっていても子供を産む決断をした「メッセージ」の主人公を彷彿とさせました。個人的に。
ヒミは「火は怖くない」というセリフを言いますが、火は生命を燃し、また新しく命を生む役割もあることからでしょうか。
私たちがこの世に命があるのは、絶対ではない。キリコのいた海は子宮で、白い生き物は精子。らせんを描くのはDNAそのものですね。この海での出来事のように、もしかしたら私たちは、あの世にいるときに、誰かに選ばれて生まれたのかしれないし、自分で選んでこの世に産まれたのかもしれない。
陳腐な表現ですが、生命というのは神秘で、人間だけではなく数多の命は全ておろそかにしてはいけないよという、メッセージを感じました。
そこに気がつくまでのマヒトは劇的な変化はみせません。そこにもどかしさや物足りなさを感じる人もいるでしょう。セリフは極力そぎ落とされ、ほとんどのシーンは抽象的です。
大叔父が持つ隕石は、地球に生命をもたらした象徴?大叔父がもっていた13の積み木の数字「13」は、キリスト教でいうところのユダで、すなわち「神に背を向けた男」ということでしょうか。大叔父は、長年行方不明になったままなので、この生命の渦のような世界で、神ではないのに神のような力を持ってしまった者なのかもしれません。戦争を経験した大叔父は、苦しみや悲しみを生む人間界そのものの行く末を、子孫に託したかったのかな?と思われます。
インコは…生命のバランスを欠く、恐ろしい外来種の象徴でしょうか(笑)?
私の推考が正しいのかどうかはわかりません。この映画の背景にある全ては、監督の頭の中だけにあるのでしょう。
ただ、そもそものメッセージはシンプルなものの、そこに至るまでのストーリーが面白いかというと、それほどでもありません。
ただ、最後まで観ることで、じわじわとこみ上げるものがありました。
特に場面場面で思わせぶりな表情を見せるキャラクターの繊細さ、和洋折衷なのに美しい色彩の世界は、もう一度みたいと思わせる中毒性があります。
小中高生より、ある程度人生経験を積んだ大人のほうが、胸に訴えかけるものがあるかもしれません。
今の宮崎監督でゲド戦記を作って欲しい
同タイトルのヒット本とはほぼ関係がないですね。
親(主に父)から離れて冒険に巻き込まれる形、その中で異形のもの達との友情など育まれたりと、おなじみのテイストが健在。
なので集大成と言われてるのかもしれない。
これまでの、ナウシカやもののけ姫のような外へ向かうものではなく、千と千尋やトトロなどどちらかと言えば内へ向かう方向性の作品。
内とはいえ、監督の年齢を思えば次々とめぐり来るイマジネーションの豊かさに驚きを禁じ得ない。
マザコンなのは昔から有名なところで、それを逆手にでもとったような感じもある。男性にとって母親というのは大きな存在なのですね…。
己の中の悪意を認める点から、今の監督にゲド戦記を作り直して欲しいなとチラと考えた。
もちろん現実には無理だろう。
追記で。戦争当時、兄が戦死して兄嫁と弟を再婚させることは珍しくなかったのは知っています。当時寡婦になったからといつても実家に美の置き所もなかったのが実態とも思います。
しかし男女逆パターンはどうだろうか?
嫁は頑丈で沢山子をうみ、よく働くことが理想とされてた時代に、体が弱く亡くなった妻の妹をわざわざ選ぶ。それも妻が死んだ翌年には既に妊娠させてる。ストーカーにも似たものを感じて少しゾッとしましたね…。
ジブリ最強期に子供でよかった……以上。
最初にものすごく感じたのはラピュタと千尋とハウルともののけをMIXしてみた!って印象でした。
シンプルにつまらなかったです。
途中咳が止まらなくなり、他の人のご迷惑になるなと、退場しようかな、この映画ならまぁいいかと思った自分に対し、ジブリ映画なのに?と悲しい気持ちになりました。
私がジブリに出会ったのは本当に幼少期の頃で、TVでナウシカ、ラピュタ、魔女宅、紅の豚、トトロをそれこそ頭おかしいくらいに観て育ち、小学校中学年くらいに友達と友達のお母さんとポンポコ観たのが映画館では初でした。本当にジブリ作品、宮崎駿監督の作品が大好きで生きてきて、嫌な予感と期待を混じえながら久々に鑑賞し、現在動揺しています。
こういう時、力になるのが鑑賞された皆様のレビューを拝見し様々な考察を見ることなんですが「宮崎駿監督自身の事を作品にした」というのをみて納得し非常に腑に落ちました。
だが、しかし、評価としてはコレです。
それは揺るぎません。
意見として庵野監督の影響を受けているとあり「それだ!」と思ったんですが……シンエヴァを観て「酷いな……」って思った方々……おそらく今回のジブリもそう感じたのではないかと思うんですが如何でしょう?
個人的な見解なので賛否両論あるとは思いますがあえて吐き出します。庵野監督が自分の事をエヴァという作品にのせた事に対して「え」ってなりました。ただ、本人にとってはスッキリした事なのはよくわかります。ただ宮崎駿監督がまさかそれと似たような事をするとは…私は庵野監督のファンではないのですが宮崎駿監督のファンなので今エヴァファンで同意見を持った友人の気持ちが少しわかった気がしました。なるほど胃が痛い……
世間や社会にとって大変大きな存在であり、凄まじい渦の中で素晴らしい作品を作ってくれたので否定する気はしないですしずっと大好きですが、スタジオジブリ作品で育った者としてはやはり一個の作品としてはこの評価しかつけられませんでした。
他の方のレビューにもあった通りこれで本当に引退なのだという事を真摯に受け止め、とりあえずジブリパークにでも行こうかと思います。
映画タイトルからのイメージに反して
タイトルの元ネタになっているのは吉野源三郎さんの書いた児童に向けた人生指南書なので、まさか高齢の宮崎駿監督が子どもたちに道徳教育のための映画を作るような心境に至ったのでは・・・と思ったけど、ちっとも説教臭いところのない、爽やかで楽しい映画でとても良かった。
元ネタの小説も少し登場していてうれしかった。
昭和初期の上流階級の家庭の暮らしぶりも面白かったし、主人公が旅する地下の世界の、過去のジブリ映画をところどころ思い出させるファンタジックな世界観もよかった。
前作の風立ちぬは大人が主人公だったけど、やっぱり子供が主人公の映画のほうが宮崎駿監督の作風にあっていて楽しく見れると思った。
インコの軍隊とかワラワラとか、癖があってかわいいキャラクターがたくさんいるのに、映像が内緒にされてるのでキャラクターのグッズがしばらく販売されなさそうなのだけは残念。
いつかは映像公開してもらって、たくさんキャラクターのグッズがほしい。
宮﨑駿のラブレター
端的に言えば、「吾朗、後継ぎはお前!」に尽きると思う。
恐らく、大叔父=駿。「血を継いでいる人間を後継ぎにしたい」という発言は駿から吾朗へのメッセージだと思う。
塔(積み木)=アニメの世界で解釈すると、大叔父(駿)が塔に魅せられ、その世界にどっぷり浸かり、殿様となった流れがすんなり入ってくる。だから、所々に過去作のオマージュが挿入されてるのかも。
そして大叔父の積み木の崩壊は駿(ジブリ)の時代の終焉を意味しているのではないのかなーと思ったり。
真人(吾朗)は、今後自分の積み木を実直に積み上げていくのだと思う。
偉大な人間の後継ぎはいつの世も揉めるんですかね。。
どう生きるか、監督はヒントを遺してくれたのか
初レビューです。映画として、点数をつけなければならないのは難しいですね。
君たちはどう生きるか、観ました、2度。
劇場で泣いてしまったんですが
それは「感動」とかそういうものじゃなく
「宮崎駿の死を感じた」
「これからきっと恐ろしい時代がやってくる。宮崎駿が生きた時代よりもっと恐ろしい時代が。その中を生き抜く覚悟をしなければならない」という
2つの恐怖からの不浄な涙でした。
2,200円と4時間使って理解できたのはほんの僅かです。
少なくとも、宮崎駿が我々に問うのは
「君たちはどう生きるか」
これに尽きるのだと思います。
いや「コレだけなら映画観なくても解るだろ」と言われそうなので、言葉をつけ足すと
「俺(宮崎駿)はもう死ぬけど、
で、これからは俺の時代(戦後)以上の苦難の時がやってくるだろうけど、その荒波を
君たちはどう生きるか」
という問いかけ、ではないかと。
もっと言えば
「覚悟しろよ、焼け野原を知らないガキども」
という脅しのような揺さぶり。
我々ガキどもは、この先の荒れる時代を「どう生きれば」良いのか、勝手ながら考察させて頂きたいと思います。
前提として、観客の教養が試されます。
「戦争が始まって3年、4年」「冒頭の空襲警報ください」「サイパン」などのヒントから作中は1944年なのだと、瞬時に理解できるくらいでないとどうしても置いつき辛い部分があります。
それでいて「感受」のアンテナも常に張り続けなければなりません。意味ありげなシーンは7割は実際に何か意味があり、残り3割は「意味がない」ことを意図している、と感じました。シーンの伸びとは裏腹に、視聴者は考えることが次々起きて非常に疲弊します。
今までの宮崎監督作品は「娯楽としても楽しめる」ラインを守ってこられたように思いますが、今作は娯楽面を一切捨ててます。覚悟無しに観ることはオススメしません。娯楽映画が観たければ、スーパーマリオムービーを鑑賞することを強く推奨いたします。
宮崎駿監督は御年82歳、死がテーマに上がるのは当然の気もしますが、自分なりに根拠もあるつもりです。
主人公の真人が、青鷺に誘われて迷い込む「塔」の中、「海」が広がる世界。
このファンタジー世界では、ジブリファンがどこかで観た光景が手を変え品を変え出てきます。
海で会う「黒い人影」は「千と千尋」の「列車の乗客」のようで、
白く可愛い「ワラワラ」達は「もののけ姫」の「こだま」にそっくり、
真人が塔を登る時、「外壁を這うツタが剥がれ、あわや落下」というシーンは「ラピュタ」でも見られ
(うまそうなパンを食う、もラピュタですね)
とにかく宮崎映画の総決算のような演出のオンパレード。
(個人的には、インコたちの「歓呼三声!」「ラァー!」「ラァー!」「ラァー!」というのが、
まんま「漫画ナウシカ」の「クシャナ殿下と部下達」でツボでした。)
コレは宮崎ファンへの最大級のファンサのように受け取れるのですが、一方で違った見方もできます。
「このファンタジー世界(ペリカンは地獄とまで呼んでいる世界)」は「宮崎駿が作った世界」であり「宮崎駿」そのものだと。
物語のラスト、塔の崩壊こそ「宮崎駿の死」の暗喩ではないか、と。
また、塔の崩壊についてはダブルミーニングだと思っていて、コレは「現実世界」でも、同じようなことが言える気がします。
いや、コレはもっと残酷な現実を突きつけられている気さえするんです。
作中は1944年、第二次大戦末期の混沌の中でしたが、この時でさえ「石の積み木」は「揺れている」に留まっていたんです。
積み木が崩れたことを「敗戦」と読むことも出来ますが、
では「積み木の揺れ」はもう終わった過去の出来事なのでしょうか?
寧ろコロナ以後、世界の「積み木」は揺れに揺れていると思います。
今まさに崩れかかっているとさえ。
宮崎駿監督からの警告のような気がするんです。
「積み木は今まさに崩れようとしている」と。
纏めると
「俺(宮崎駿)はもう死ぬけど、
で、これからは俺の時代(戦後)以上の苦難の時がやってくるだろうけど、その荒波を
君たちはどう生きるか」
という問いに見えてくるんです。
少し悲観的過ぎる気もしますが、我々はこれくらいの覚悟が必要なのかもしれません。
ではその崩れかかった世の中を、我々は「どう生きれば」良いのでしょうか。
答えのない問いです。だから難しい。
でも、宮崎駿は少し、ヒントを遺してくれていると思います。
それが真人の答え「友達を作ります」。
もちろん直接的な意味だけにあらず、この答えは
「結束を深める」という意味に受け取れます。
宮崎駿はいわゆるアカ的な人なのでこういう(団結せよ的な)表現がしっくりきますが、もっと単純に
「他者との絆を大事にしよう!」
と解釈してもいいと思います。
単に「真の友を見つけよ」でも良いんです。
恋人でもなんでも、自分を認めてくれ、自分も相手を認められる相手を。
そしてもうひとつ、大事なのが「ウソつきの青鷺」。
作中では何度も、「この世は正と邪だけではない」ということが描写されます。
自分を襲い、ワラワラを食べるペリカンも「食う魚が無く、生きるためにワラワラを食べていた」こと。
ペリカンを追い払うヒミもまた、ワラワラを燃しているという事実。
恐ろしい「インコたち」にも生活があり、互いに支え合ったり、同じ釜の飯を食ったりしながら、卵を大切に温め、インコの命を育んで生きていること。
そして勿論、「自分を騙して母の死を穢したウソつきの青鷺」と共闘し、最後には「友達」と認め合うこと。
ラストシーンでは色とりどりのインコたちが、フンを撒きながら美しく飛び立って行きます。
これ以上無いくらいわかりやすく、「この世は浄も不浄もある。穢れていて、それでも美しい世界」を描いています。
真人が学んだ一番大きな事は「この世は穢れていて美しい、カオスなもの」だということです。
「人間とは慈しみも汚い嘘もある、カオスな生き物」と言い換えても良いでしょう。
真人は自分でキズつけたこめかみを「自分の悪意の証」と言って「(悪意のないまっさらな石に)触ることは出来ない」と言いました。
そして元の世界、奪い合う穢れた世界で生きる決意をしました。
青鷺は最後、「あばよ、友達」と言って真人の元を去りますが、実は真人の元に残っていると思います。
何故なら「全ての青鷺はウソつき」だから。
勿論青鷺としてではなく、「真人のウソつきの部分」として、真人の中に残り続けるのだと。
真人がついた嘘とは?コレは自分の我儘のためについた「こめかみの傷」のことではありません。
産屋で、夏子に言った「夏子母さん!」のことです。
あれは真人と夏子のわだかまりが解け、真実の家族になるシーンだ!あの言葉が嘘なわけない!
と思う方もいるでしょう。
でも、あれはきっと真人が学び身につけたウソ、方便なのです。
だって最後に時の回廊が崩れ現実世界に帰るその時まで真人は「母さんに生きていて欲しい」と願うのですから。
少なくとも真人の中で「久子(ヒミ、母)と夏子が完全に置き換わる」なんてことは無いんです。
それでも「夏子母さん」と呼びかけたのは、真人からの歩み寄りであり、何より「自分についたウソ」なのです。
そして、「ウソ」こそが真人の一番の成長だったのだと思います。
青鷺は去ったように見せても、真人の中に残る。
「ずるくても、賢く、ウソをつける真人」として。
そして何より、生きろ。
作中で、唯一明確な殺意を真人に向ける存在がいます。インコです。喧しく好き好きな声で鳴くインコは
宮崎視点で言えば観客や批評家のことだと思われます。
でも、単純に自分が感じた鬱陶しさをわざわざ映画に落とし込んだわけじゃないと思うんです。
勝手ながら、自分ごと化してもこのたぐいの輩は存在します。悪質クレーマーや理不尽な上司など。しかし、近年最も数が膨らんだインコたちは「SNSの第三者」ではないでしょうか。彼らは彼らの理屈で武装し、他者を寄ってたかって攻撃します。多様性に富むような色をしていても、色は4色顔は均一の喚きながら包丁を振るうインコです。
「妊婦は食わない」「産屋に入るな」など、こちらには意味不明な理屈でもインコ理論にとっては大罪であり、禁忌侵す者殺すべし、というのは、近年のSNS等で見られた事象であり、つい最近にも悲しい出来事がありました。
現実でも崖際まで追い立てられている人がいたら、この映画を見て欲しいです。
宮崎映画にとって何より重要なのは、生きることなのです。
「この世は美しくもあり不浄でもある。みな罪を背負っているかもしれない。人それぞれ生き方も違う。自分が如何に穢れていても、やはり生きるのは素晴らしい。生きよう」
というメッセージは、1990年代のもののけ姫や漫画版ナウシカ等から風立ちぬ、そして君たちはどう生きるかに至るまで、宮崎氏の中で不動のテーマなのだと思います。
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宮崎駿は要するに
「ずる賢くてもいいから、上手く生き抜いてみせろ、そして、真の友を見つけろ」
と、我々に、「どう生きるか」のヒントをくれたのだと思います。
感じ方、考え方は人それぞれです。まだ私も、この映画のすべてがわかったとは到底思っていません。
また、同じく映画を観た方と意見を交えることで見方が変わることもあろうと思います。
なのでぜひ、簡単にでも良いので、一人でも多くの方の感想に触れたいです。
宮崎駿のやりたかったこと全部乗せ!最高!
私は小さい頃から宮崎駿監督が大好きで宮崎駿監督で育ちました。未だにジブリが大好きでこれまでのジブリ作品も何度見返したかわかりません。
映画が始まる前は絶対に1回で理解してやるという意気込みとドキドキ、緊張のしすぎでトイレに2回行きました。何本か予告を見ましたが、何にも覚えていません。そこから上映開始2分で、ああ私はこれからすごいモノを見させられるんだと思い興奮し泣きました。そしてジブリらしいアプローチのストーリー展開にワクワクさせられました。もうこの時点で次の回も見ちゃおうかな?と思わされる。何度も見たいヲタモード発動します。
キリコのキャラ設定も登場序盤から気になる存在になっていて本当に素晴らしいと思いました。また、菅田将暉さん、あいみょんさんの声優は私自身初めてでしたが、本当に素晴らしかったです!ハマりすぎです。
演出的には「あ、今の。あの映画のあのシーンに似てる」と思えるシーンが満載で、あのシーンが今のクオリティで見られることに感激しまた泣きました。そうなるとあのシーンはあれが最頂点なのかなとか思えたり。なかなか沢山のことを考えながら見ていました。最後、アオサギがじゃあな、と去っていくシーンでは巨匠がこれで本当に去っていってしまうという寂しさが押し寄せてきてまたまた泣きましたし、EDでは米津玄師さんの歌を天を仰いで泣きながら聴かせていただきました。最高でした。上映後も泣き止むことが出来ず、トイレにこもって泣きました。
私にはこれが最後の作品にしたいという監督の気迫が終始ビンビンと伝わってきてしまい、宮崎駿監督の集大成をIMAXのハイクオリティで見させて頂けていることにも感激でずっと泣いてしまっていたので本来の映画の楽しみ方が出来ていないのかもしれません笑。
この映画では、主人公眞人がタイトルとなった本を読むこと、キリコに労働を教わること等で自分以外の人の気持ちを知っていきます。芸能人への過度な誹謗中傷などもそうですが、この世の中にはなかなか受け入れられないこともたくさんあるけど、そこまで否定出来るものだろうか?自分は?どう?相手の気持ちに立って考えてみれば分かることだってあるよ、と宮崎駿監督に最後に伝えられた気がしています。ありがとうございました。上映中にあと何度か行く予定なので、また感想を書かせて頂きたいと思います。ジブリヲタの感想でした。長々とすみません。
リタラシーと共感性が試される大傑作
日本アニメ文化を昇華した巨匠のメッセージ性の高い大傑作でした。
ある程度リテラシーや知的素養が無いと作品を完全に消化することは難しい作品だと想いますが、宮崎監督のおそらく最後の作品になることを踏まえれば視聴者はこれを正しく受け止める必要があります。
物語の最初はシリアスな雰囲気で主人公の眞人は空襲の炎で母親を失いますが、疎開先で不思議なアオサギに導かれて異世界に迷い込みます。そこから不思議の国のアリス的な展開で家族のアバター(若いころの姿)などと交流して最終的には、それぞれが深い「理解・共感」と自己肯定にたどり着き、自分の世界に帰っていくという展開で物語が進むにつ入れて明るくポジティブな展開になっていきます。
最後も感動的でまったく無駄のないエンディングでした。象徴的・心象的な表現も多いので理解できないと文句を言っている人が多いですが、ゴミのような異世界転生物が流行っているアニメ業界に対する正統派のアンチテーゼと言える作品でもあります。
アニメーション(作画)のレベルは全盛期にはおよびませんが、そこらへんは全く問題ありません。
「周りの人々を理解することによって世界の見え方が変わる」という素晴らしい映画でした
呼び水
存在する意義 生きてるだけでも尊いけれど自分自身で構築しないと世界は開かないよ若者よ外に出よ的な印象を受けました
昨今、自分に自信がなく価値を見出だせず他人に危害を与えてしまう人が少なからずいます
作品の中では自傷行為として
理由はいろいろ推測できますが
そんな邪悪な心や抱えきれない自分の脆さも包み込んでの人間なんだと
また老いることによる醜さや騙しの世界、食物連鎖など生きることはきれいごとばかりではないといった気持ち悪さの違和感を敢えて加味してある気がしました映像的にはカエル軍団に覆われるとかも
生きとし生けるもの
そこに在るだけでも意味を持つかけがえのない君へエールを送る
生きるも死ぬも自分次第その人次第だけれど…
誰かの気持ちに変化を起こす呼び水となり得る作品でした
宮﨑駿がギアを上げてきた。
宮﨑駿がギアを上げてきた。
今までの主な作品では、
クシャナ、エボシ御前、
湯婆婆、グランマンマーレ等々の役割は決まっていて、
主人公に、
自然界は○、
人間界はX、
と、
お互い奪い合いをしていても、
共存はできない。
自然界も△、
人間界も△、
譲り合って共存するという現実を、
主人公(観客)に体験させる。
今作も船乗りの女性が出てきた。
(名前は出てきたのかもしれないが、わからない)
教えはしない、
主人公に体験させる。
何を倒し、慈しみ、
敬い、鎮めるのかを、
頭で考えるのではなく、
汗と血を流し体感で、
判断し行動する事を覚えさせる。
場所は、国、村、城、塔、
上下左右階層になっている場合が多い。
そして少し成長し元の地に戻る。
というのが、
メインプロット。
カオナシ、わらわら等、
魑魅魍魎の役割も似ている。
タイトルは様々だが、
主題は常に、
君たちはどう生きるか、
だった。
今回は更に、
神話や国生みの物語も、
視野に入れた、
モーゼの十戒や、
フェリーニなど、
君はどう生きるかだけではなく、
少年よ神話になれ、
という内容だった。
それがギアを上げたと感じた理由である。
ダイナミックさ、
スピード感で魅せる、
シークエンスはさすがに少なかった。
が、
ナウシカの原作にも、
あるような、
ひとりの主人公だけの物語ではなく、
宇宙や万物も含めた物語を、
映像で、
エンターテインする力に改めて驚いた。
観た方がいいと思うがそうも言い切れ無くも無い
公開日だけの発表で、ストーリーやキャスト等は全て伏せるというやり方で公開された今作。
このスラムダンク方式は、クリエーターなら誰しもが夢見る方法だろうと思うけど、ジブリで宮崎駿監督だからこそ出来たと思う。
プロデューサーの鈴木さんは震えていたのではあるまいか、いや、信じて座していたのかもしれない。
確かに今作は今までのジブリから見れば異色の問題作だと思いました。
以下多少のネタバレと私見を含みます⬇️
今作を観ての感想としては
幻想小説か不条理小説を読んだ様な気持ちになった。
小さい頃、黒澤明の「夢」をみた時の「・・・なるほど?」感。
きっと、ジブリ!エンタメ!として観るとがっかりする気がする。
アートを鑑賞する気持ちにスイッチすると楽しい!と鑑賞中に気付く。
色々と考えながら観ることができたし、ジブリ作品のいろんなオマージュ?が出てきて、それはそれでエンタメの気持ちを呼び起こしてくれて楽しかった。
ただ、ジブリの疾走感のある絵は、今作ではなりをひそめていた気がするのは少し寂しかった。
この作品のテーマはきっと「死」だと思う。
火垂るの墓の様にわかりやすい形にはなっていないけど、たぶん「死」や「時代の終わり」だと思う。
そして「託す」というテーマに移ろい、作品は終わる。
長編を撮るのは多分最後になるだろう宮崎駿監督の、いろいろな思いを乗せた作品だと思う。
監督自身もこの作品について「自分でもよく分からない」と言っている事も含めて、己の人生の天井が見えてきた監督が、それでも世の中にあるいろいろな映像表現を肯定しつつ『通したい何か』を観客それぞれが想像したら面白いのではないでしょうか。
大ヒットはしないだろうし、子供と観る映画でもないけど
観た方が良いだろうなと思う。
私は観れて良かったし、監督の居る時代に生きれて良かったと思った。
ふと、大好きな高畑監督が亡くなった時を思い出し『ぱやお、元気に長生きしてごろうちゃんを困らせたれ』と勝手に思いながら映画館から帰った。
巨匠の頭の中を覗くメタ的な面白さ
映像としても物語としても開始数分が一番引き込まれました。ファンタジーが苦手なこともあり、後半はかなり退屈してしまいました。
過去作のセルフオマージュは意図的なものだと思いますが、ストーリーのプロット的にも人が一生に創り出せる物語の数には限界があるのかな、と感じてしまいました。(えらそうにすみません)
評価するとすれば、作品のメタ的な魅力です。
・巨匠の世界観
長年日本のアニメを牽引してきた巨匠が今何を思うのか。自分の人生への回顧や死生観、これからを生きる人への想いは存分に読み取ることができました。
・言わずもがなの映像美
ストーリーに没頭できない分、作画や背景、音などのこれまでにスタジオジブリが大切に培ってきたであろう技術だけでなく、戦火のシーンなど新しい表現への挑戦に魅了されました。そういう意味では映画館で鑑賞する価値があると思います。
(どうでもいいのですが、古い家具の扉の閉まる音が実家のそれすぎてなんでもないシーンでツボってしまいました)
事前予告なしの公開スタイルについては、長年私たちを魅了してきたスタジオジブリと宮崎監督への期待値の高さは尋常なものではないので、よほど画期的な内容でない限り向かないのではないかと思います。
今後、監督が積み木を渡したのであろうエンドロールに名を連ねる皆さんが創り出す新しい世界を楽しみにしています。
自分の中の宇宙を冒険する傑作ファンタジー
自分の中の宇宙を冒険する宮崎駿集大成の傑作冒険ファンタジーです。
内容は極めてユング心理学的に感じました。少年が無意識世界に潜り込みの影やアニマとの対話を通して成長していく冒険物語です。
それら、集合的無意識世界の住人が宮崎駿の生み出すキャラクターで描かれている点がらしいなぁと感じました。
絵の中に埋め込まれだ情報量ハンパなく多いジブリ映画の傑作です。キャラクターの動きや、さまざまなメタファーにそれらが現れています。そして、主人公は明らかに宮崎駿そのものであり、彼の心の自叙伝的映画でもあるとおもいます。
まるでスルメ映画であり、見る人のアゴの強さが試されている映画ともいえます。読み解ける人ほど楽しめる作品ですが、そうでない人は消化不良になり、評価がわかれるのでしょう。
ただし作品のファンタジー要素も強いため、舐めるだけでもその片鱗を感じることはできますが、高学年の小学生以上が対象のように感じます。
主人公を自分に重ね合わせることで、さまざまなカタルシスを体験させられ、自分の人生や、この宇宙の奥深さを、教えてくれる傑作でした。
この作品は観る人の心の解釈に委ねられます。それゆえに、先入観を排除するために事前に宣伝ができなかったのでしょう。鈴木敏夫の凄さも感じる部分でした。
悪意のない心で、積み木を積み上げ、この世界のバランスを保つことを引き継いでほしい。
君たちはどう生きるか❔
これは、私たちへの遺言ですかね。
わかりやすく、消費されるコンテンツが多い中、歴史的名著のごとく、映画館で一度きりの体験として、観るべき映画です。
「弱さ」に向き合う
正直、おもしろくはなかったです。観終わってガッカリしました。
もう宮崎駿には心躍るようなエンターテインメントは作れないんだな、と。
ただ、本作がどうしてこのような作品になったのかは理解できます。
当たり前ですが、2時間の映画はテーマが多岐にわたっているので、それら全てについて語ると長大な文になってしまうので、一点だけ、自分が最も大事だと思ったところに焦点を当てて書きます。
前半に眞人が自分の頭を石で殴る場面があります。おおきな傷で、出血もかなりありました。これを父親は学校の生徒による虐めだと断定しますが、眞人は転んだのだと嘘をつきます。そういう嘘をつくことで、父親に虐めがあったのだとより強固に思わせるように仕向けています。
これは、自身を「被害者」の立場に置くことで、他人への加害を正当化する行為です。同様の行いは古今東西で見られます。
最近ではロシアのウクライナ侵攻があります。あれはロシア側の主張としては、西側勢力(NATO)の拡大阻止のための自衛行為です。傍から見ればどう見ても侵略戦争ですが、ロシアの言い分としてはそうです。
また、過去にも大日本帝国は「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」というスローガンを掲げて日中戦争に踏み出しました。これは、「暴れる支那を懲(こ)らしめる」という意味で、当時、排日抗日運動が盛んであった中国を侵略する口実として、アメリカ参戦後は「鬼畜米英」と並んで遣われました。
そのような国単位でなくても、ネット上における保守界隈では、「既得権益」や「公金で私腹を肥やしている」等の風説を真に受けて、在日外国人や女性、マイノリティへの差別・暴力が横行しています。
被害者ぶったやつの弱者への加虐行為。昔からありましたが、ネットが発達した昨今において、とくに増えている気がします。
なぜこのようなことが起こりうるかというと、加虐者の多くは「弱い」からです。それはどのような弱さかというと、知性のなさであったり金銭の貧しさであったり人によって様々です。
映画本編に戻ると、眞人は親の財力に恵まれ、子供ながらに聡明でもあります。そんな彼が、自分より貧しく、おそらく知性でも劣るような田舎の生徒らを陥れます。
これは母親の死や父親の再婚、戦争の激化、慣れない田舎の土地への不満等々の要因により、眞人の心が弱っていたためだと思います。そのように弱っている人は、本当の原因には立ち向かっていきません。近場で適当な弱い立場の人を痛めつけて、鬱憤を晴らすのが関の山です。
もっとも、眞人がおかれている境遇は眞人本人にはどうしようもないものでもあります。母親の死は変えられないし、戦争も止められません。
しかし、だからといって他人を陥れていいのかというとそんなことはありません。
眞人は、塔の中での冒険を経て成長し、自分がやったことがいかに卑怯な行為であったかを自覚します。ここで、題名の元となった吉野源三郎『君たちはどう生きるか』と通奏低音が共鳴します。
「弱さ」と向き合い、克服した眞人は「友達」と「本当の家族」を手に入れます。
なんでこんなことを考えたかというと、映画がつまんなかったからです。本作の公開前に宮崎監督作品を全て観返し、「宮崎駿最高!」という状態で臨んだので、そのガッカリは大きかったです。単純な「おもしろさ」の点では、ワーストの「ポニョ」よりちょっとマシ程度の評価です。
ただし、冒頭で申し上げたとおり、なんで本作がこんなふうになってしまったのかは理解できます。
監督の初期作品である「ナウシカ」はエンタメ作品として上質でありながら、その裏に重厚なテーマがありました。僕が宮崎駿監督に期待するのはそのような作品です。
ただ、もうそういう作品ではダメなんだと監督自身が思ったのでしょう。
一般的な観客は、劇場から一歩でたら「あーおもしろかった。さ、このあと何食べようかな」となり、作品を深く読み込もうとはしません。作品を深く考察するのはオタクだけです。
だから、宮崎監督はあえてエンタメに振らないことで、なんなら構成もストーリーもめちゃくちゃにすることで、フツーの観客にも「考えさせよう」としたのではないでしょうか。「よくわかんなかった」という感想が溢れているのが、ある意味でその証左ではないでしょうか。だって、宮崎駿はやろうと思えばいくらでも「わかりやすく」「おもしろく」作れるんですから(あえて言えば、わかりやすくおもしろく、さらに考えさせようとしたのが「ポニョ」で、結果は……)
その目論見が成功しているのかどうかはわかりません。「よくわからなかった人」は、よくわからないまま次の他の作品へ行ってしまうかもしれません。ただ、過去に作ってきたようなエンタメ作品ではもうダメなんだということはわかっていたから、『君たちはどう生きるか』のような作品をつくったのではないか、と思う次第です。
で、だからといって映画『君たちはどう生きるか』が素晴らしい作品かっていうと全然そうは思わない。つまんねえです。僕の願望としてはまたナウシカみたいなファンタジー冒険活劇やってくれ、です。まあ、そういう客が鬱陶しかったのも本作が生まれた原因の一つではあるんでしょうが。
そもそも元となった吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』も好きじゃない。著述家の菅野完がTwitterで「金持ちのボンボンのセン○リ」といっていたけど、まさにそう。インテリが頭の中だけで考えた道徳の本で、僕も読んだ時は全然いいと思わなかったし、今もそう。
だからインテリ中のインテリである宮崎駿が感銘を受けるのはわかる気がする。きっと宮崎さんは幼少の頃に読んでたんだろうけど、数年前に漫画版がでて再ブーム化したときに「これでいける!」と思ったんだろうなあ。
色々文句垂れたりしましたが、観る価値は間違いなくありました。
早くパンフレットを売って欲しいです。
8/12追記
パンフレット購入しました。
お金を出してモノを買う人を馬鹿にしている内容でした。
映画もこういう姿勢で作られたのかと思うと同時にやっぱり何も考えて作ってないというふうに受け止めました。なので上記の感想を撤回し、評価を☆3→☆1に訂正します。
大勢の人が作って、大勢の人が観る映画を、個人的なものにしてはいけません。
ジブリは劇場で見たい
一体どんなラストになるんだろうとわくわく鑑賞。
私たちは人間の勝手で本当に手酷く鷄を扱っているんだから、逆があったって何も言えないよな〜と思ったり、、、
平和な世の中、人と人の繋がり、食、飛行機、船、ジブリで繰り返し感じてきた魅力を映画館でぶわーっと全身で感じ、ああ〜ほんとにもうこれが最後なのかな〜と寂しさもこみあげ、、、
ジブリ!愛!!!
お疲れ様でした。
後ろにナタを隠し持ってる赤いインコのワタクシが感想を述べさせて頂きます。
(囀ってるインコ達は一般人(観客)と解釈してます)
いろんな情報が耳に入って来る前に観てしまおうと思い観てきました。
自分史録&鈴木氏やジブリで育ったクリエイターの方々へのメッセージだったのかな?
70代のほぼ全てを捧げて作り上げたのは感嘆しましたが、考察ありきの展開に少し辟易してしまった。
先日、ジブリパークとジブリ展に行って来て、吾郎氏は「創作」では無くて「調整」の仕事に長けた人だったのだと思った所でした。
個人的には、監督はまだまだ現役でOVAシリーズ6話完結ぐらいで、泥まみれの虎を映像化して欲しいなぁと思う所です。
キムタクさん声優がとても上手になっててビックリしました。
キリコのモチーフは保田道世さんなのかな?
あと何故かビスタサイズにガッカリしてしまった。(ジブリ作品は全てビスタなのに)
音は普通の劇場で鑑賞なので普通でした。
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