君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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分からない…
観る前に「難解」「分からない」の意見があり、どういう事か?確認も含めて鑑賞。
なるほど、確かに分からない…。
自分の理解度が低いせいか、考える力が足りないせいか…しかし、分かる分からないで、結構半々くらいに分かれているらしくちょっと安心した。
かの有名YouTuber曰く、アート作品であるから例えばモナリザの絵を見て普段からそういう物に触れていて分かっている人には分かるがそうでない人にはよく分からない、という感じらしい。
作者の宮崎駿も途中よく分からんという様な事を言ってたらしいし…笑
個人的には分からないに加えて、なんとなく盛り上がりに欠けるというか、何か大人しい感じがして、宮崎駿も歳とったなぁと思ってしまった。
宮崎駿の劇場版エヴァンゲリオン。あらかじめ宮崎駿という人物考察が必須
個人的にはめちゃくちゃよかった。
良かったというのは、自分が思ってる宮崎駿像を答え合わせてきたという点。
本当にその点に尽きる。
まず先に言わないといけないのは、宮崎駿という人物に興味を持っていないと、まるで言っている意味が分からないだろう。
映像作品そのものとしては、冒頭の小手先のビジュアル的な上手さ以外は、心惹かれないのではないかと思う。
物語の内容は、大きく2点フォーカスが当たっている。
・現在の子供の成長環境の問題(と片親問題)
・ジブリスタジオが歩んできた軌跡(隆盛と衰退。後継者問題)
この2点は宮崎駿本人が、ジブリスタジオ内に保育所を作り、そして直面した後継者問題でもある。
なのだが、それと同時に、宮崎駿自身の個人的な感情をぶちまけた感じになっており、瞬間的な感情をそのままぶち撒けているだけなので、その瞬間何が言いたいかはとても分かりやすく、そして荒い。
全体を通して言いたい主題というのは弱い。
以下雑に考察を書くが、精度は他の方が高いと思うため、流し見程度で見ていただければと。
一つ一つのパーツは分かりやすい。
眞人=宮崎駿が思い描く理想的なジブリ後継者であり監督本人の分身
大叔父=宮崎駿、屋敷=スタジオジブリそのもの(一面ではアニメ業界全体)
大叔父はどう頑張っても1日くらいしか世界を変えられないと自覚している。
しかし大叔父の思想を受け継いでほしいと思っている。
アニメ(ジブリ)に触れる=穢れている構図があり、穢れずに駿本人が認める後継者が見つけられないという現実。駿本人は大人がアニメを見ることをずっと否定している。駿本人が納得しうる絵やテーマを描くことができる人物がいないという現実。
この辺からして大体病んでいる。
そして子供の成長を妨げる片親問題、現代的な子供の孤独、成長環境への危惧、仕事を優先する毒親等…。
前半はこういった要所をそれぞれ描かれていると思う。
最後に場面に鳥の糞の表現がある。
これは鳥の糞でも掛かってしまえ、ざまあみろという監督の悪意にように、個人的は思った。ここの解釈はいろいろだと思う。自分が思っている宮崎駿は、こういうことをやる人間だ。
軍事産業に猛進し金と資本主義の亡者の父親。くそくらえだ。
子供そっちのけで男といちゃついて本心では子供が嫌いな母親。くそくらえだ。
自殺未遂を行う孤独で愛を失い、屋敷(ジブリ)のかけらを持ち帰った眞人。くそくらえだ。
ただ、鳥の糞が掛かっても、それぞれのリアクションは違う。そこに登場人物それぞれの意匠があるように思う。
最終的に積み木の一かけらを持ち帰った眞人
それは純粋ではない欠けら。監督自身が愛したいくつもの純粋な原作作品(ハウルやゲド戦記など原作)とは違う、屋敷(ジブリ)によって生み出されたかけらを持ち帰ってしまった眞人は、この先どう生きるのか。
それが作品の終わりになっている。
あくまで一人の人間の解釈であるが、総括としては以下のような感じだ。
君たちはどう生きるか。→ 自分はこう生きたけど、お前らはどう生きるのか?
それがこの作品のタイトルの問いかけ。宮崎駿人生そのものを書いたに過ぎない。
宮崎駿という超絶アニメーターで一代で作り上げた大ヒット映画監督が、アニメに込めた思いも碌に伝わらないこの世の中で、凡人のお前らがこの世の中の一体何を変えられるというんだ、というプライドからの蔑みも聞こえる気がする。
岡田斗司夫の言葉を借りれば、単純に言えばアート作品。
それがとても的確のように思う。
この作品を最後まで見て、本当にジブリを継ぐものはいないんだなと。
この作品を作って監督は、最後にパクさんに恥じない作品と作ったよというのだろうか? それとも完璧に作れなくてパクさんにまた怒られるなと思っているのだろうか?
そう思うと俺は帰りの電車で思わず泣いてしまった。
追記にはなるが、ヒミが現れたあたりから内容がガラッと変わる。
前半は本人の思っている美しき日本の肯定や内面描写が多く書かれているが、後半は西洋文化の肯定、大きな権力への屈伏、アニメ業界から期待されるジブリスタジオと、理想から現実にガラッと描くものが変わっている。
理想・根源的な動機はこうだったが、現実にはこんな妥協も起こってしまうし実際できなかったんだということが描かれていると思う。この辺りがこの作品をわかりにくくしていると思う。
宮崎版エヴァなのだろう
引退かと思われた宮崎駿監督の新作が見られるということで、しかし全く宣伝が無かったということと、タイトルの地味さが気になってあまり見に行く気はなかったのだけど時間があったので公開日に見た。
前半と後半でまったく舞台が異なっていて、その展開にぽかんとしてしまうところがある。
もっと今生世界と地底世界のつながりを感じられる描き方があるとよかったんじゃないだろうか。
物語の骨格は、大叔父さんがアオサギを使って少年を地底世界にスカウトする話、
少年の母親の死と、疎開先と新しい母親とやがて産まれる兄弟を受け入れられずに悩む話、
これを時代世代を超越した不思議な地底世界を絡めて見せるというもの。
最終的に少年はすべて現状を受け入れることで終わる。
大枠として少年の内面の話になっているので、これはエヴァなのかなと思う。
風立ちぬでは庵野が声優をやっていたし、宮崎監督もそれっぽいのを作りたくなったのかもしれない。
少年の父は聡明で活発で仕事もできて、女にモテる。
死んだ妻の妹を早速孕ませてしまうのだからとんでもないエロ親父である。
真面目な少年はそんな父を苦手に思うのは当然で、新しい母親にもどうにも馴染めない。
そりゃあそうなんだが、地底世界に行ってから特に脈絡もなくこの新しい母を受け入れてしまう。この辺の心理がよく描かれていないように思えた。豹変したように見えた。
そういえば地底世界は崩壊したようだが、だからと言って世界にさしたる影響は無かったように見えた。ただの夢の世界だったのだろうか。消えても良いものだったのか。
全体として、物語を構築するための大事な部分がいくらか抜け落ちているような印象をうけた。
もっと丁寧に作ってくれると良かったと思ってしまう。
なお、ジブリ飯の描写については大いに不満。
今生世界では砂糖に群がる婆しかないし、地底ではシチューが冷めてしまうし。
ただ食パンを無表情にかじるだけ。
特にシチューが冷めるシーンは本当にがっかりした。
どうでもいいから早く飯食いに戻れよって思っていた。
監督が歳を取ってしまって食への執着が薄くなってしまったのだとしたら残念でならない。
追記:
NHKの特集を見たが、大叔父は高畑監督で、アオサギは鈴木プロデューサーなんだそうだ。
なるほどそういうことならこの映画タイトルも納得がいく。
この二人に大いに振り回された自身を回顧した映画というわけだ。
そのうえでお前たちもこんな濃密な人生を送れているかと問うているんだな。
ただやっぱりそのような背景を知らなくても楽しめる作品として作りこんであれば尚よかったと思う。
う~ん、何を言いたいのかわからない。
つまらないの一言かな・・・。
見るのが途中でつらくなるレベル。
転校後、同級生にいじめられていて、なんでそのあと
自分で石で頭を傷つけたのかその思考回路も理解できない。
なくなったお母さんと新しいお母さんがそっくり?
急に失踪をして、不思議な世界へ踏み込む。
なくなったお母さんが生きていると言われるも、
触ると、どろどろにとける。。。
シュールすぎる。
屋敷にいる奇妙なおばあさんたちの存在もよくわからない。
そのうち一人が若い姿で不思議な世界の中で活躍するとか、支離滅裂。
いんこや青さぎ、ペリカンが気持ち悪く描写されていて、
見ていて不快感しかなく。
いんこの王様、なんだこれ? 最後、自分勝手に自滅か?
キャラ的に理解ができないし、共感ももてない。
キャラクター、すべてに興味を持てず、名前すら憶えていないけど、
あの火をまとう女の子も意味不明すぎる。
ストーリーがすごく分断されていて、一貫性がなくよく理解できない。。。
感動もなにも感じない。時間の無駄だった。
こういう映画は、あまり好きではなく、理解ができない人です。
だから、このような辛口コメントで申し訳ありません。
劇場で見たのはお金の無駄だったなと後悔しました。
声優も有名な人を使っているのも、、、、もったいなさすぎる気がします。
宮崎駿全部盛り
まずはアニメーションの描写のこだわりを感じる部分が多くて魅了された。眞人がズボンのファスナーを上げる、水中から浮かびあがる、キリコさんが主に乗りあげる動作などなど、細かい描写にフェチズムすら感じる場面が沢山あったと思う。
ストーリーはさておき、宮崎駿作品の名シーンをセルフオマージュしたような場面が沢山あり、宮崎駿作品のファンなら滅茶苦茶楽しめるのでは無いでしょうか、どうでしょうか
個人的には眞人と青鷺がテーブルに並んでキリコからお茶?をもらっているシーンがポニョに出てくるシーンに似ていてほのぼのして好きでした。
どこかちぐはぐで整合性の取れない設定やセリフのやり取りは、これが監督の頭の中に存在していた存在で、それぞれが独立した世界観を持っていてその世界の条理に従って行動しているからなのではないかと感じられてこれはこれで面白かった。
宮崎駿が自分のアニメーション人生を振り返り終わらせるような内容とも、この某石屋に支配された世界を憂いたような意味深な内容とも取れて興味深かった。(深読みすれば、それが理由で宣伝を打たなかったのかな?など)
向こうの世界での魔術的な要素は最初は西洋的だと思っていたけど、結界的な要素や式神を弾き飛ばすような要素から陰陽的な世界観なんだろうか?
眞人が青鷺の風切羽を使って矢を作ったけど、米を一旦口に含んだことで力を持ったんだろうか、もしくはあの世へ通過するするための神事的な要素なのかしら(君の名はの口噛み酒的な)、など色々考えながら観るのが楽しかった。
あと作品に出てくる沢山の鳥!鳥鳥鳥!鳥が苦手な人はさぞかし苦痛だった事でしょう
あの鳥たちはなんの意味があったんだろう
鳥といえばTwitterを連想します笑
インコはただただ作品をネタとして消費するだけのSNS民への意趣返しだろうかなんてTwitter民の私は思ったり刺さったりしました笑
だとするとペリカンはアニメオタク達かなあ
あのインコたちのフスフスな鼻息がちょっと可愛かった
他にも主とふわふわ達が生殖行為をモチーフにしているだろうという事から、キリコさんは大叔父とそういう関係だったのかも?
久子が2年後に戻ってきたという事はキリコも2年神隠しにあっていたのかな?
宮崎駿は手塚治虫と色々あった、という話をよく聞きますが、最後の青鷺の友達という言葉に、なにか本人達にしか分からないような想いがあったのかな、とうっすら感じました。
個人的に色々考察していくのも楽しいかもしれない映画でした。
エンドロールにまたびっくり
え、菅田将暉だったんだ!!!
原作・脚本・監督:宮崎駿(82)という意味
大ジブリファンというわけではありませんが思ったこと感じたことを書き留めたいと思い書きます。
公開から1週間たち、風の噂にて「訳のわからない映画だった。これを面白いという人は難しいものをわかっているふうに言いたいだけだ。」という評価を耳にし自分はどう感じるのだろうかと思い映画館に足を運びました。
結論から言うと面白かった。率直な感想です。映像、音楽、ストーリーどれをとっても大変感慨深いものでした。
映像、音楽はこれぞジブリと言わせんばかりの出来だったと誰もが言えるでしょう。
しかしストーリーはたしかに説明不足なものは多かった。
なぜそのような行動をしたのか、なぜその人なのか、あの世界はなんなのか等々疑問点を挙げれば色々出てくるでしょう。全てを説明できる人なんて宮崎駿さんしかいないのではないでしょうか。
私はそれらに考えを巡らせるのが面白かった。
このキャラクターはこの人、こういう人達がモチーフなのかな?このシーンはこういう意味なのかな?など他高評価の方が書いてくださっている内容です。
ですが低評価の方達が言うようにこの作品がもしジブリの看板が無かったら?宮崎駿監督では無かったら?と言われると面白くないと感じるかもしれません。
今までのヒット作の様なわかりやすさや爽快さはないでしょう。
低評価の人と高評価の人の違いはスタジオジブリに関するちょっとした知識があるかないかやシーン1つ1つの意味を考えながら見ているかどうかによるのではないかと思います。
ですがシーンの意味を考えながら見る方が偉いとかいう話は全くなく、制作側の裏の意図?を読み取らなければいけない作品は興行的にもいかがなものかという意見なども同意できます。
しかしこれはジブリ作品なのです。宮崎駿監督(82歳)の作品なのです。
今まで何十年、何作品にもわたってどんな世代の誰が何回見ても一緒に様々な世界を楽しめる作品を作り続けた宮崎駿監督の最後になるかもしれない作品なのです。
暴論に聞こえるかもしれませんが最後くらい好き勝手やってもいいじゃない。わかる人にしかわからないメッセージが込められててもいいじゃない。映画と言っても所詮2時間程度です。詰め込める内容にも限りがあります。もっと面白おかしくわかりやすくしようとすれば宮崎駿さんならできたのではないでしょうか。
宮崎駿さんが伝えたかった、やりたかった「君たちはどう生きるか」をジブリ作品として作り上げたのが今作なのだと思いました。
宮崎駿さんの積み立てた積み木が私は大好きです。
ありがとうございました。本当にお疲れ様でした。
(もう1回くらい引退詐欺してもらえるのを期待してます)
簡単につまらないと決めないで〜なぜ鳥か?
レビューの評価が分かれているが、つまらないと簡単に決めないで、私なりの考察を読んでほしいです。
なぜアオサギなのか?
アオサギは西洋で「見ると縁起が良い鳥」とされており その理由は、古代ヨーロッパでフェニックスの由来となる鳥「ベヌウ」とされており、神様のように崇拝されていたから。とある。
片や日本では、青鷺の習性には、真夜中に上空を飛びながら、不穏な絶叫を木霊させているイメージ、他にも浮世絵にも青鷺が妖怪のごとく描かれているとある。
住んでいる国、欧米、と日本では真逆のような意味をしているのだ。その象徴としてのアオサギ。
そして、アオサギには、スピリチュアル的には自立心という意味があり、誰かを頼ったり、依存したりせずに、自分の足で自分の人生を歩いていきなさいという意味を持っていて、もしアオサギに急に出会ったら、誰かの言葉に翻弄されることなく自分が信じた道を進んでいこうというメッセージが込められている、という。
まさに宮崎駿が伝えたい事のひとつがここにあると推察する。
そしてなぜインコなのか?
東京では昔ペットとして飼っていたインコが逃げ出し繁殖して、日本の古来種の鳥達を脅かしている。
ジブリのアトリエの小金井界隈はまさにそうで、インコは無責任な人間によって逃げ出し繁殖した外来種であると言う事。
そしてヨーロッパではローマ時代にすでにペットとして飼育されたことが記録されているとある。
インコは何を意味するのか?
インコ は欧米人、又は西洋化した日本人を意味すると考察、
そのインコを支配するインコ王は?
インコは、西洋では貴族が飼っていたと考えると?
最後にインコの糞をかけられ笑っているシーンがあるが、これの意味することは?
石は西洋、木は日本の象徴だとしたら。
宮崎駿は敗戦した戦後の日本を総括したい、そして、どっぷり西洋化した今の日本を、外国に飲み込まれていることすら気づいていない日本人に、このままでいいのか、君たちはどう生きるのか?と問うていると考えたなら…。
この映画は何重にもメッセージが込められていて、私はまだまだ理解できてないけれど、
宮崎駿は1人でも多くの日本人にこれからの日本のことを考えてほしいと思っているんじゃないかな。
ぜんぶが眞人
また一つの世界で眞人が成長していくのではなく、もう一つの世界そのものが眞人で、成長の過程は個人の中で何度でも訪れて、過ぎ去りて思い出せないだけで、忘れてしまったわけではない。
ということかと思いましたので、もう一回見てみたいと思いました。
あれは宮崎駿作品とは言え無い
世界観や、あらすじ、登場人物の背景は宮崎駿が作ったんでしょう。でも、作品全体をまとめあげる作業はしてないと感じました。人物の表情が死んでるのはあらすじからその場にふさわしい表情を読みとる想像力が欠けてるからでしょう。パンにジャムを塗り過ぎるのは良い食事が何か知らないからでしょう。美味しいと台詞を吐き、美味しそうに食べない。口の周りにジャムを付けすぎてあまつさえそれを拭き取った。相手が母と知って思春期の少年があんなハグをするのか?継母はあんな矢を射れる判断力や経験があったのか?何故あの世界を知っていたのか、何故帰りたく無いと言ったのか、何故妊婦は無条件に保護されるのか、門の先には何があったのか、巨大な船は遺体を埋葬出来るほど土の層があったのか、婆の人形、キリコは持ち込まれたから、いいとして、他の婆の人形はどこから調達したのか、数えるのが難しいほど納得出来ないまとまりの無い行動、回収されない伏線を残した。
宮崎駿は昔、「嘘のレベル感」と言う話をした。(殴って血を吹いても、次のカットで全快出来るギャグマンガであるとか。)あの世界の嘘のレベル感は、塔の中と外で分けられているかと思ったが、蛙の大量発生や人語を話してしまう青サギなどで十分に分けられていない。
鉄則や、大事にして来た丁寧な仕事を投げ出し、過去作から劣化流用した表現が散見される本作が宮崎駿本人の作だと本当に言うのであれば、もう今後の作品に期待する事は何もありません。
ありがとう宮崎駿
偉大な監督の最後になるだろう作品としては物足りないと言わざるを得ないです。
所々過去作品を彷彿とさせるシーンが散りばめられていたりと、完全にファン&監督の自伝的な感じの作品だったのではないでしょうか。
メッセージ性もなく、何を描きたかったのか、よくわからない作品でした。これなら人物を一切登場させずに美麗なアニメでの風景表現だけに注力したほうが良かったのでは?と、残念でなりません。
君たちはどう生きるか
この作品を見てまず感じたのは壮大なクエスチョンでした。話の中に必然性をみつけようとすると無理難題の迷路に迷い込んでしまいます。しかし、その中にあるすべての描写から力強いメッセージが伝わってきました。中でも印象的に感じたのが宮沢賢治との関連性です。要所要所で馴染みの賢治童話を彷彿とされるようなシーンがあり、とくにやまなしとの類似性は強く感じました。また、最後宇宙に帰結するところもとても考えさせられました。
今作品において正解を見つけることそれはとてもナンセンスであり、考え感じることが大切だと思います。何度も何度も見返したくなり、宮崎駿さんという人を知りたくなる。そんな作品でした。
新・銀河鉄道の夜。人生は冒険だ、の集大成。
初日に観に行きました。が、整理がつかなかったので、頭の中でグツグツと煮えたぎってたものを吐き出したいがためにレビューします。
説教臭い映画との前評判。しかし、数々の名作を生み出した宮﨑駿監督、当たり前ですが、登場人物の背中で語らせるくらい朝飯前です。これからの方は、安心して観に行ってください。
ただ、行間の説明が少ないことや比喩的な表現に、頭が追いついて行かないので難しい。分かりやすくは無い映画ですが、観てよかった映画です。
さて、ここからが本題(ネタバレ)。
監督の他の作品である、千と千尋の神隠し、崖の上のポニョ、また他の作品と共通しているのが、異界への挑戦と冒険だと思います。
千と千尋の神隠しは、引越し→湯屋→銭婆、ポニョは嵐→海に侵食された世界→ひまわり園。他の作品も穿ってみれば似たような表現は見受けられます。トトロとかラピュタなど、涅槃や幻想郷とも言うべき世界への旅立ちは宮﨑監督の魅力的な所の1つ。
そこで表現されるのは、生きるための強さ。
今作もまさにそのパターン。
空襲、引越し、新しい家族、馴染めぬ新天地。その生きづらさは、現代でも共有できるものが少なからずあるのではないかと思います。
その環境の中、主人公は、行動力と知性に溢れ、自ら試行錯誤して弓矢を作成し、アオサギと対峙します。監督が求めているだろう、生きるための強さを持っているタイプです。タバコで屋敷の老人を買収する強かさもあります。
ただ際立つのは、独立独歩の精神であり、周りに馴染めぬ主人公の未熟さです。例えて比較するなら、パズーは採掘場やドーラ達大人の協力を得る必要性を理解していましたが、主人公は全部自分で解決しようとします。
そこで登場するのが、未知で不気味なアオサギ。
今作のテーマは、どう生きるかであり、人間が誰しも持つ問題である人間関係の象徴が、アオサギだと思います。物語を通じての1番の敵にしてテーマは彼。
彼は、未知なる他人です。
幼い母は、別れと産み繋ぐ喜びと、生への肯定。
新しい母は、絆を紡ぐことの難しさと、歩み寄ることの大切さ。
老婆は、見守られていることと、生きることの範。
大叔父は、問題提起と自らの失敗と継承。
それぞれ役割があるなかで、アオサギだけが直接、主人公と関わりを持っていない他人です。
見ず知らずの、どのような利害関係をもっているのかも分からない、ある種老獪な雰囲気を纏うアオサギは、現代社会の中の他人の象徴です。
異界に赴き、冒険を通じて、彼とどう向き合ったか。それが、自ら怪我を負った後に、母からの贈り物である本(タイトル)を読んだ彼の変化であり、物語の最後の答えに繋がってきているのだと思います。
そして、冒険からはいつか帰らねばならないと、ピリオドを打つように、終戦→思い出深い屋敷を後にするという新たな旅立ちがまっています。終戦後、どこも苦しい焼け野原の状態。そこで、どう生きていくか。屋敷を出た瞬間、それを問いかけられるわけです。新たな冒険です。
人生は冒険であり、生き抜く強さとは、そしてどう生きるのか、と、一貫して訴えかけてきているのでしょう。他の作品のことを思うと、まさに一貫してメッセージを送っているのだなと思います。まさに、集大成。
観てよかったなと思いました。
余談ですが、頭がグルグルしているうちに、ふと、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に似ているなと、思いました。
あの作品も死後に類似する世界からの帰還と、本当の幸いの体現(生き方の追求)で、締めくくられています。
童話、ファンタジーの違いこそあれ、人が至る、どう生きるかという問いかけを、繋げたからこそ、新だなと感じました。
宮﨑監督と宮沢賢治の意図するところが同じかは分かりませんが、生きている時に、この作品をスクリーンで観られて良かったと思います。
これは宮﨑駿の生き方を知っていればわかる映画
これは元々宮﨑駿が共産主義者として学生運動をしていた事と映画の内容が重なっていると思う。
昔の学生運動では、共産主義世界を実現した北朝鮮はこの世の楽園とうたっていた。ところが現在では共産主義世界の理想は崩れ去り、次の世代は競争社会である資本主義を選択した。
これから生まれてくる子供達が、どのような道を選択していくのか?と問いかけた内容の映画だと思う。
遺言、確かに受け取った
舞台は戦前。主人公の真人は小学生の男の子。
父と一緒に引っ越した疎開先には、亡くなった母の妹(叔母)が義母として出迎えてくれる。真人は亡くなった母を忘れられずに、叔母が義母となり、しかもすでに妊娠している事実に戸惑いを拭えない。そんな中で田舎暮らしをしていたが、家の近くには先祖が建てた塔がありその入り口は異世界へ繋がっていて…というお話。
導入はともかく、異世界はいつも以上にファンタジー色の強いジブリ世界であり、深く考えずに頭を空っぽにしたほうが楽しめる系統の作品と思う。またストーリー自体はメタファーだらけで前後の繋がりがなく必然性のない展開が続くため童話、ともすれば神話を彷彿とさせる(筆者は「不思議の国のアリス」を思い出した)。まぁ、その辺りの細かい議論は考察班に託すとしよう。
今回の映画で受け取ったメッセージは一つだけ。クライマックスでの大きな石をバックにした大叔父様との言葉。
大叔父(妄想)
「君はこの積み木の塔に一つだけ積み木を足すことができる。それは世界のさらなる安定を齎すだろう」
大叔父(現実)
「君はここで積み木を組んで新しい塔を造るのだ」
言うまでもなく大叔父=宮崎駿なのだが、これは以下のメタファーと解釈した。
・石 =宮崎駿の意思
・積み木=宮崎駿の仕事あるいはアニメ制作手法
・異世界=ジブリあるいは既存のアニメ業界
これを有体に抽象化すると
大叔父「既存の仕組みに従って生きるのであれば、君は一つだけ何かを足すことができる(逆にそれしかできない)。ここで私の仕事を継承してほしい」
となる。結果的にいんこ大王=心無い悪意のある大人の手によって積み木は両断され異世界は崩壊へと至ってしまう。この辺りもこれまでの宮崎駿と世間の関わり方を示したメタファーなのであろう。相変わらず作家の主張が激しく前に出ているわけで、またくだらないものを作って…と感じると同時に「この爺さん、自分の正当な後継者が育たなくて寂しかったのかな」と思ったら泣けてきた。
翻って自分の人生を思い返すと、概ね既存の仕組みから大きく外れることなく生きており、日々「積み木を一つだけ足す」作業に没頭しているわけだ。社会の歯車とならざるをえない現実はどうしようもないとしても「他者の悪意に気づき、それを拒絶する感性」まで忘れてしまったときに、自己を見失ってバランスを崩してしまうのであろう。最後に真人と大叔父様のやり取りを掲載して筆をおくこととする。
真人 「それは積み木ではなく悪意に満ちた石だ」
大叔父「それに気づくことのできる君にこそ、お願いしたい」
真人 「ダメだ。僕は外の世界に帰る」
大叔父「外の世界はこれから焼け野原になる。それでもいいのか」
真人 「大丈夫。アオサギのような友達を作ってなんとかする」
私はいまひとつはまらなかった
ラピュタまでの初期作品のファンでわかりやすいのが好きなだけに。。最近の作品は見ており、今回もそれを思い出させる描写あり懐かしかった。
遅いことなどないのかも知れない。 再び現れた監督の深いメッセージは生死のなかの愛に満ちたエールだ。
燃えあがる火の海をかけぬけるのは
大切な人がそこにいるから。
しかし知る、永遠の命などないこと。
哀しみを抱いたままの心。
選ぶ余地もなく変わる人生への不安や戸惑い。
それでもそこで生きていく。
ーーーーー
身の回りに次々と溢れかえる事象を、監督はあえてたくさんの登場人物やその不可思議な言動や空間に表現したように感じた。
単純なようでとても複雑で、柔らかくやさしいようで恐ろしく厳しくて、慣れようとすれば変化して、追いつけばもう離れている。
進化したかのようにみえ退化もし、悲しき争いの教訓は未だ生かされず。
目にしたものをそのまま信じた時代はいつしか遠ざかり、複雑な情報が瞬く間に入れ替わり混沌としているこの世界をそのままに。
この世の厳しい先を深く静かにみつめながら積木を持つ手は幾度も人知れずためらいに震えたはずだ。
しかし監督はあえて振り切った。
それが自分の役割りだと知っているから。
未来への時間をつくりだせる「君たち」に向けて、人を知りものを知ることで考えて歩む意味を伝えるために。
胸がじんとする。
目の底に圧がかかる。
眞人はほかならぬ〝君〟(私)の迷える姿なのかも知れない。
戸惑い、もがき、一喜一憂を繰り返しながらも「君」たちは、傍に離さない〝希望〟と〝意志〟を持つことで前に進める。
未来とはその先にしかない。
うらやましいくらいにまだ続く時間は「君たち」が持つ特権なんだよと。
先を行った人々に見守られ過去から未来へと繋がっている尊い今を、その時々の役割を感じとり、あたまとからだとこころで道を拓くために…君たちは、どう生きるか。
受け止める側のじぶんのあり方を問われた貴重な時間が、帰り道のくっきりした夏の空をなんだか少し滲ませた。
私には眞人ほどの時間はない。
その深い呼吸のあと、監督よりいくらか年上である故郷の両親があたまに浮かんだ。
自分に起きている流れのすべてを受け止めひたすら明るく穏やかな母と、1日でも母より長く生き母を守り通すことを決めているようにみえる病ある真面目な父のことを。
私はどう生きるか、この先の未来を。
何度も問いながら自分らしく生きていきたい。
そんなことを思った。
⚫︎⚫︎追記⚫︎⚫︎
グレシャムの法則さんの追記を読後の追記です。(7月27日)
眞人の足元に落ちた本、それを読んで泣いているシーン。
なぜ、あのタイミングであれだけのカットだったか。
タイトルにしているのに、なぜ?とあっけなく感じるくらいのシーンは〝あえて〟なのだろう。
監督は「君たち」の元へさらりと、そして強烈な愛に満ちた魂を込めてそれを送り込んだのだ。
人が持つ邪悪さを自己に見つけ翻弄されるだろう「君たち」が〝「君たち」自身によって〟気づき、それに命をあたえ乗り越えるための鍵にするために。
タイトルそんなに関係ないんじゃない?のもやもや感が少なからずあったなら、不気味にそびえ立つあの塔が音をたて崩れたときのようになにかが形を変え、まわりの空気を新たにすることがいつかあるだろう。
駆り立てられる思いを表すのに、遅いことなどないのかも知れない。
監督の背中が私たちの前を歩きながら、そう思わせてくれた。
修正、追記、再追記、評価変更済み
内面の旅
これまでのジブリ作品は、何も考えずただスクリーンを眺めているだけみたいな人々も楽しめるような配慮がされていたけれど本作は違う。考えて、自分自身に問いかけてやっと伝わってくるものがある。恐らく低評価勢は前者。
過去作のオマージュが頻出しますがそこは好みでしょう。
-0.5はキャラクターの動きに手抜きを感じる部分があったので。
正直に面白くない。
シンプルに面白く無かったです。
期待して楽しみに映画館に足を運びIMAXで2600円ほど支払ったことに後悔してます。
後半まさかこの流れでこんな感じで終わるのかと逆に笑ってしまいました。
キャラクターや映像も過去の作品の使い回し?
エンドロールの豪華声優陣の名前が自慢げに見えて声優に有名な人を使ったからなんなのかと思いました。
宮﨑駿監督がご高齢だからなのか、なぜこんな作品になったのかは分かりませんが、ジブリの制作会社に「君たちはこれからどう生きるか」と聞きたいぐらいです。 笑
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