君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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まあまあよかった
主人公のキャラがない。そして声がこもっていて主役を見るありがたみに欠ける。継母が塔にこもる理由が説明されない。それはおそらく物語の構成で、主人公に冒険をさせる必要があって、継母を探させることにしたけど、理由については何も思いつかなかったのだろう。意味ありげに匂わせる表現が多々あるが、中身はそれほどないようだ。考えても無駄だと思う。でも改めてもう一度見たい気がする。お父さんがノリノリだ。お母さんが魅力的な少女の姿で現れる。しかもやたらと有能で、頼りになる。それに対して魅力を感じるのは倒錯していてちょっと気持ちが悪い。
往年のジブリ映画風と13個の積み木
面白かったです。確かにストーリーは破綻しているし、テーマも主張も分からないし、成長物語ですらないのだけど、往年のジブリっぽさや、ハラハラドキドキ感もあって、満足できました。
考えてみれば、子供の頃の冒険ごっことか、大きく言えばこの世界の成り立ちとか、ストーリーも起承転結も無く流れていくわけで、この映画の訳の分からなさも、こんなものなんじゃないかと、そんな感じです。
自分が年取っただけかもしれませんが(汗)
追記
菅田将暉が声優をやっているというのでどの役だろうと思って見ていました。主人公かなとも思ったけど、声が若々しすぎるし。で、調べたらアオサギ役をやっていたと!これはかなりの驚きです。というか、めちゃくちゃ上手い。それだけでももう一回観てみようかなと思っちゃいました。
因みに眞人の父が木村拓哉、老婆のキリコ が大竹しのぶ、大叔父が火野正平、キリコが柴咲コウ、ヒミ役・若き日の久子があいみょん、とのこと。豪華だ。
追記
13個の積み木。宮崎さんが監督した13本の映画。なるほど。だから全編過去の作品の繋ぎ合わせな感じなのか。わざとそうしたんだ。それを継ぐことを拒否した眞人。映画自体に二重の意味を持たせているのね。
見る側に考える余地を持たせたゴリゴリなファンタジー
難解が故に、見た後も色々と考える事があって味わい深い。
ジブリきってのファンタジー作品であり、作画も含めジブリの今後に期待せざるを得ない出来であった。
後何回か見てみたいと思わされた。
今までの宮崎作品と違ったのは比較的分かりやすいキャラ立ち(表裏がない)であろう。
こいつは悪いキャラ、こいつはただ可愛いだけ、良き母、この子は正義感の塊のように単純明快だった。
だから、あの可愛いまんまるもどこかでグロテスクな面があるのでは?とドキドキしていたのだが、そんな事は無く。ただただ、可愛いだけであった。
人によってはムスカのように実は裏がありました!と言う展開の方が好きかも知れないが、今回の単純なキャラ設定は物語の難解さを緩和する良い材料になっていると思っている。
ストーリーには触れないが、そこはかとなくブレイブストリー風のジブリ作品と言うのが人に伝えやすい表現かなと思っている。
あそこまで明確なストーリーでは無いがあくまで雰囲気はまぁあんな感じかなと。
個人的には例えばアンパンマンの様に明快な作品が良いとは思っておらず、あれやこれやと考察したり、自分なりに深淵を探ったり、背景を妄想したりできる作品が好みであるので今回の作品はとても"楽しめている"。
映画にとっての"分かりやすさ"は一つの要素であれど全てでは無い。
見る側に何か想像の余地を残したり、考えさせたりする事も手法の一つである。
よって、"分かりにくい"から駄作だと言うのは流石に無理がある主張だと思っている。
極論、ピカソの絵は"分かりにくい"から駄作であると言うのと一緒で、少なからず見る側の器も試されていると思う。
ラストのほう途中で寝ました
わがままで、さいこう!
またハヤオ監督が撮ってくれて嬉しいです。
監督が自分たらしめるものをそのまま描くことにこだわり、覚悟のようなものを感じました。
君たちはどう生きるかは中学生の時は少年に、大人になってからはおじさんに、親になってからはお母さんにシンパシーを感じながら読んてきました。
往年の名著君たちはどう生きるかのタイトルにとらわれていたのは映画の始まりから数分で、それからは監督に考えるな、目の前のスクリーンを観ていろと言われているような展開とすごい、凄まじい画から目が離せなかった。
観ている間、何だこれ、もしかしてすごいものをみせられているのか、すごいすごいと心のなかで大はしゃぎしてしまいました。
とにかく作りて側が、観る側をあまりかんがえていない、とにかく監督が作りたいものを真摯に作ったのだと伝わってきた。こんなにわがままな映画をつくれる宮崎駿監督は凄いし、撮らせたスタジオジブリも懐が広い、そこに感謝。
とかくいろいろ言われがちなジブリ作品だと思うけれど、わたしは最高に面白かった!凄かった!良かった!また観る!たぶんなんども。
画面を見よ、まず絵を見よ
これはもう「画面を見よ、まず絵を見よ」な映画。物語の意味さがしに類することはいろいろ行われるだろうけど、あの老婆たちに『白雪姫』の「七人のコビト」が影を落としているのがあまりにも明らかなように、たぶん出典を見つけてゆくのはむしろ容易すぎるくらい。しかも過去の宮崎作品の記号がくりかえし利用されているのは、誰の目にも歴然。つまりそれらはこの映画では別に「暗号」でもなんでもなく、読み解くことを期待されていない。
そういうふうに絵が物語を伝達する器にすぎないものと理解することから離れて、まっすぐ画面に向き合うことができれば、これほど豊かなテクスチュアを持っているアニメーション作品も、そうはない。
水、風、木の匂い、泥と石の手触り、カエルの粘膜、血の味、火花の痛み、弓の弦の音、等々…。これはそういうものを「絵」だけで作り出して動かしていることのすごさに驚くべき映画ですね。
確かに宮崎駿の原液、そして意味深長
渇望、そして消化不良
「風立ちぬ」(13)から10年の渇望感!事前情報がなくてもあっても、きっと多くの人が劇場に押し寄せたに違いありません。パンフレット発売まで先送りとは驚きましたが(汗;)。関東大震災からの復興をモチーフに描かれた前作と似ているのかなと思いきや途中から「えっ、そっち系?」という展開でした(笑)。そこの分野は宮崎監督の得意技なので、「よし、きたぞ!」という感じでした。といっても過去のエンタメ作品にあったようなグイグイと冒険に出かけていく感じとは違って、心の奥へ潜っていくような感触でした(個人的な感覚です)。ある種の成長譚には通過儀礼が描かれることが多いと聞いたことがありますが、今作でもそれらしき描写があったように感じましたが、正直なところ、消化不良でした(汗;)。たくさんの登場人物間の関係性や様々なキャラクターに当てられたメタファーの意味するところがよくわかりませんでした。「君たちはどう解するか」という夏休みの宿題ですか?(苦笑)
宮崎駿のSDGs
理由や動機が分からないので、没入できない(ずっと第三者目線
なぜそれをしているのか、なぜそれをする必要があるのか、世界観についての説明や、キャラクターの行動に対する動機の説明がないので、没入できません。
自分事化して、「マヒトがんばれ!」「お母さんがんばれ!」と応援するスタンスになりにくく、どうしてもボーッと起きてることを眺めているだけになりがちです。
その為、こちらの感情が揺れ動きにくくて、退屈な時間が続いてしまいます。
青鷺はマヒトに「お母さんは生きています。お待ちしていますよ。」と伝え、マヒトを建物内(塔内)に誘ったが、なぜマヒトに来て欲しかったのか、建物に入ったマヒトに何をさせたかったのかの説明がないので、観る側に目的を共有してくれません。
おばさんも、なぜ建物内で出産したかったのか、体調が悪い中でなぜ1人で建物内に向かったのか、その理由が分からないので、目的が不明という点では同じです。
パラレルワールドの中のヒミ=マヒトのお母さんも、なぜ鳥を燃やしているのか、理由を教えてくれません。
ワラワラを助けると何が起こるのか、逆にワラワラが死ぬと現実世界で何が起こるのか、説明してくれないので、ヒミの行動を応援してあげることができません。
各キャラクターたちは恐らく大切な事をしているのだと思います。使命感を持って取り組んでいるのかもしれません。ただ、その行動の目的意識や、動機の説明がないので、自分事化できないのです。応援できないのです。
スクリーンで起きてる行動を観てはいるのですが、キャラクターの心情や上記部分の説明がないので、「なんでやってるんだろう?」という疑問を持ち続けながら観ることになります。
例えば、「それをしないと世界が滅んでしまう」とか、「それをすれば現実世界で母が生き返る」とか、「あることをすれば青鷺にかけられていた呪いが解けて人の姿に戻れる」とか、分かりやすい目的や動機があって、その説明が冒頭にあった上で、パラレルワールドでのやり取りが進んで行くのであれば、もっと素直にマヒトの冒険劇として楽しめたと思います。
何かやってるし、何か起きてるけど、理由や背景が分からないので、ただボーと観てるだけだし、悪くいえばそういう風に観させられてるだけでした。
もっと子供たちでも分かりやすく、マヒトの冒険を応援できる理由付けがあってもいいのではと。
ジブリって、そういうシンプルなストーリーでいいんじゃないのかなと思いました。
映画を見ながら想像を膨らませ状況を整理する
※厳密にはネタバレしてないと思いますが、念の為ネタバレにしてます。
ただ淡々と思い出しながら殴り書きになってること、ご容赦ください。(個人的なメモみたいな感じなので)
個人的には、"とても好きな作品"となりました。
たぶんこの話を大枠で考えた時、戦時中という時代背景となっている事で良さをより分かりやすく実感できたなと思ってます。
仮にこの話が現代近い時代だった場合、この家族関係は実現しなかったのでは?と思ってます。
全体的に登場人物が、みんな"人間臭い"のがとても好みでした。
完璧者は基本おらず、良い部分もある中、人によっては悪い、やらない方が良いことをしてしまう部分も持っている。
実際に存在していそうな"人間"というキャラが敷き詰められてて好きです。
そして、話を見進めていく中でそのキャラクターの心理描写(思ったことを台詞として声あてしてるなど)がなかったのが余計にキャラの関係性を考えながら見れました。
事前情報(あらすじなどを含め)全くなかったことで、絵画を見て人によって感じることが違うを映画で体感できた気分です。
細かい伏線を全部回収したい!知ってこその作品と思う方もいらっしゃれば、絶妙に残されることで想像を膨らまし、「もしかしたらこういう事なのかな」を考えるのが楽しい方も生まれるのもまた人間らしいなと見終わったあと、レビューをいくつか拝見して思いました。
(私は後者ですが、、)
この作品をこの年で見れたこと、とても嬉しいです。
隣の家族連れの方はお子さんが冒頭の演出で泣かれてしまっていたので、お子さんには少しショッキングなシーンがあります。
そんな子も今後大きくなって、見て、どう感じたか聞いてみたいです。
ジブリ感は満載も、、、。
事前情報無しで鑑賞。
先ずは子供向けではないなと感じました。
ジブリ作品を見た気にはなりますが、幼少期から見てきたジブリ作品という感じではなく、色んな作品の良い所を取り入れたら失敗しちゃった感じかな。
得るモノが無いので子供に見せたいとは思いませんでした。
あと、「君たちはどう生きるか」というタイトルが間違いだった思います。
作る側は引けなくなり、見る側は付いて行けなかった。
他の作品から取り入れたであろう内容
・異世界もの
・新海誠の世界観
・過去のジブリ作品
ジブリは大好きなので次回作に期待しています。
大盛り宮崎駿丼、私たちはどう観るか
母の愛に救われるファンタジー
他人の感想を耳にする前に観たくて、公開3日目に映画館で鑑賞。タイトルから想像した説教くささは微塵もなく、母への思慕が溢れるシンプルな映画でした。以下に雑感を5つに分けて記します。
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1. 全開すぎる母への想い
実母が結核で幼少期不在だった体験が「となりのトトロ」で描かれているのは有名。ナウシカの母性溢れるスーパーマンぶりも、母への敬愛と論じられている。男であれば、無意識に女性像に母が反映されているもの。宮﨑映画の女性キャラに同じ傾向があっても不思議じゃない。そてにしても、本作は母への想いが溢れすぎている。
①空襲の中、母がいる病院に向かう冒頭のシーン。風景が溶け、前方に視点が集中する。逃げ惑う群衆、自身が爆撃されるリスク、行っても何も出来ない無力さなんてお構いなしに、ただただ母の身を案じる少年(牧眞人)の視線がとても印象的。
② 疎開先で案内された自分の部屋で、直ぐに寝落ちする眞人。表面上矍鑠としていても、慣れない環境で、知らない人たちと初対面すれば気疲れして当然。自分も幼少期、親戚に気疲れしていた。
③母がメッセージを遺した図書「君たちはどう生きるか」を読み涙する眞人。母の言葉に感じる愛と、もう会えない現実への絶望。
その他、シーンを挙げるときりがないが、尤も印象的なのは最終盤の扉のシーン。
④崩壊する塔から脱出するため、ヒミ(母)に連れられて扉が並ぶ場所に向かう。扉はそれぞれ、異なる時代に繋がっている。ヒミが神隠しにあった時代へ戻ろうとすると、眞人が問いかける「その扉でいいの」(初見なので台詞はウル覚え)。眞人の真意は「お母さんは、空襲で死んでしまうんだから、その時代に行って、自分を救わなくていいの? あるいは未来に行って生き延びなくていいの?」。しかし、塔は崩壊するので時代を選べるのは1度きり。もしヒミが自分の少女時代に戻らなければ、眞人が生まれた事実さえなくなってしまう可能性もある。だからヒミは迷わない。「だって、眞人のお母さんになれるなんて、素敵でしょ」。この場面には、宮﨑監督の母に対する理想像?あるいは実母への絶対的な信頼がある。母は空襲に焼かれる運命が知っていても、自分を産むことを優先するにに違いない! 母は自らの命より、息子の誕生を優先してくれるに違いない! ヒミがこの台詞を、一瞬の逡巡もなく、一切の衒いも重々しさもなく語る事に感動した。あいみょんの手柄か、監督の演出か分からないが、素っ気なければ素っ気ない程、胸に沁みる台詞回しに感じた。
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2. 映画「メッセージ」との相似
未来を知る母の決断が印象的な映画に「メッセージ」(Arrival)がある。言語学者ルイーズは、異星人の言語体系を解読する事で、自分自身が時を越えた記憶を獲得する。つまり、生まれた直後から死ぬ直前までの体験を、現在と同じ様に体感できる。そして、今隣にいる共同研究者と結婚し離婚する事、生まれた娘が不治の病で若くして死んでしまう事を知る。それでも彼女は、彼と結婚し娘を身籠る。この映画を見た時、自分はそこまで強くいられるだろうか慄いた。当然彼女は、娘の病を知った以降の辛さを、産む前から知っていた筈。それでも、その娘を産めるだろうか? 早逝する運命を知った上で、娘を明るく育てられるだろうか? でもルイーズが出産を断念すれば、娘が存在した事実すら無くなってしまう。ならば、自分も娘を歴史に刻むために産む勇気を持てるだろうか?
ヒミは自分の早逝、ルイーズは娘の早逝、抱える十字架は少し違うが、待ち受ける運命を知っていても、愛する子を産むことに迷わない母に、これ以上無い強さを感じた。
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3. 「世界」を滅ぼし、メンターから卒業する映画
幼少期に胸を踊らせた「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」は、世界が英雄に救われる映画でした。ナウシカに至っては、人間の肺を腐らせる腐海の生き物すら救おうとしてました。しかし、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」で主題は家族や少女の内面に移り、「紅の豚」「ハウルの動く城」も戦争の陰をあるが、主題は主人公の内面でした。最期に世界を救ったのは、人間が自然や神を凌駕する室町時代を描いた「もののけ姫」。世界的評価を得た「千と千尋の神隠し」も、少女が異世界で成長するファンタジーで、現実世界は危機に晒されていませんでした。
本作も基本、宇宙から飛来した塔の中でおきるドタバタであり、外部で影響を受けたのは、旧家の4名(大叔父、母姉妹、息子)と女中1名だけ。やはり、現実世界は救われるどころか無変化なまま。一方、塔内に広がる「世界」は完全に崩壊。鳥人間?が息づく「世界」の崩壊は、ラピュタなる最終兵器を葬るのとは大きく異なる。初見直後は意図を計りかねていましたが、2023年12月16日放送された監督への密着ドキュメンタリーを観てよく分かりました。
主人公を塔に誘うアオサギは"鈴木敏夫"P、塔と伴に崩壊する大伯父は故"高畑勲"監督の象徴でした。高畑氏は東映映画入社時から宮﨑監督の先輩で、組合運動からアニメ製作まで伴にした同志。高畑氏が演出で、宮﨑氏がスッタフとして原画や場面設定を担当する作品も多い。ジブリ以降は監督としてスタッフを取り合うライバルにもなったが、知識も豊富で思慮深い高畑氏は頼れる先輩(メンター)であり続けたよう。だからこそ、2018年に高畑氏が亡くなった心の穴は小さくなかった。「君どう」の製作には、高畑氏に未だ依存している自分を振り払う意図があり、大伯父を塔の崩壊と伴に消し去る事は、高畑氏からの精神的卒業の宣言だったそうです。
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4. 何故父はスノッブか?
初見で感じた違和感の1つが、父・勝一の人物像。深手を負った息子を守ろうと動く等、決して悪く父親ではない。ただ、自己肯定感や溢れる自信を内に秘めないスノッブ(俗物根性)さも香る。疎開先も父の職業も、宮﨑監督の実人生と同じ設定。なので、実際のお父様の性格をそのまま反映している?とも思ってました。
しかし、TV放送時にデータ放送に掲載された「企画意図」で違和感が晴ました。企画段階の粗筋は「エディプス・コンプレックス(Ödipuskomplex)に陥った主人公が、幾重の扉に隠された母を救い出す物語」。Ödipuskomplexは、幼い子供が母に異性として惹かれ、父を敵対視する感情。つまり、眞人が母への愛情の裏返しに、父・勝一にそこはかとない嫌悪感を抱くように描かれるのが、そもそもの企画に沿った表現。宮﨑監督の実父がどんな人だったか、駿少年が父にどんな感情を抱いていたのかは別として、本作の勝一はスノッブに描かれるべき存在だったようです。
ただ本作が複雑なのは、母が2人登場する処。正確に言えば、実母には2形態(亡くなる迄の大人なヒサコ, 少女なヒミ)ある。なので、眞人が異性として惹かれた母とはどの母か? 戦火の中、駆けつけようとした病院に居た病弱なヒサコなのか? 塔で出会った強いヒミなのか? 姉にソックリな叔母であり継母になる夏子なのか? どの母も「好き」だから、降りかかる困難に立ち向かえた物語にも感じました。
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5.「わらわら」とは何か?
下の世界で出会う「わらわら」は生まれる前の命であり、浮上してペリカンに運ばれた先で生まれると説明される。しかし、この世界が塔の一部であれば、積石がぶった斬られた時点で一緒に崩壊する筈。塔の世界の住人がインコであるなら、わらわらの大半はインコとして生まれるのか? それとも、生命誕生の象徴として描かれているなら、下の世界は塔の一部ではなく、地球全体の生命の源なのか? 個人的には、我々の世界と禍々しい塔が繋がっていては欲しくはないので、わらわらから生まれるのはインコばかりと考えた方が、心が休まる。
宮崎駿のイメージの世界
母や祖母を思い出す映画
こんな解釈もできるのでは?
・映し出された世界について
「君たちはどう生きるか」という映画を見る中、そして作中の大叔父様の作った世界を垣間見る中で、
僕たちはジブリの過去作を思い出させるようなシーンをたくさん見てきました。
ちょっとメタな視点で見てみます。
作中の大叔父様は、過去のジブリ作品を彷彿させる世界を作りました。
宮崎監督は、過去のジブリ作品を散りばめた「君たちはどう生きるか」という映画を作りました。
「映画を作る」=「劇場という空間に世界を作る」と読み替えると、大叔父様と宮崎監督は同じことをやっています。
そして、それぞれの作った世界は、とても密接な関係にあると言えます。この認識が大事です。
・石について
"石"は"意思"や"意志"とのダブルミーニングだと思います。創作的な面で言えば、伝えたいこと、メッセージと読み替えて良いかもしれません。
世界を作るために積み上げたられた石はとても不安定な状態にあります。
これは、そのまま、自分の創作活動・創作意欲というものが危機的状況にあるという意味にとれます。
悪意のある石については、第3者からの悪意と取ることもできそうですが、自分の内面の話と取りました。
自分の思考や感情はキレイなものばかりじゃなくて、ドロドロした汚い部分もあります。
そういった玉石混交のたくさんの"思い"をふるいにかけてようやく見つけたキレイな"思い"こそ、作品として昇華された13個の"石"です。
大王が石を積み上げて世界を作ろうとして失敗します。
誰かに与えてもらった"思い"をそのまま使って世界を作ろうとしてもダメなんです。
どろどろした汚い"思い"に向き合って、その中からほんの僅かのキレイな"思い"を探し出す、産みの苦しみみたいなものがあって、初めて世界を作れるんだと思います。
13個の石は切って捨てられ、大叔父様の世界は崩壊を始めます。
自分の作品に乗せた13個の"思い"を切って捨てたんです。
大叔父様の創造した世界は宮崎監督自身が創造した世界と表裏一体で、それを崩壊させちゃったんです。
伝えるべき思いも、創造する場所も残されてないんです。
つまり、「僕はもう作らないよ」という監督からのメッセージだと受け取りました。
・映画館での視聴が絶対
作中の主人公は、大叔父様の作った世界に入って、石(意思・意志)を拾って、扉をくぐって現実の世界へ帰ります。
僕たちは、劇場という空間に作られた宮崎駿監督の世界に入って、何かしらの思いを抱いて、ゲートをくぐって日常に帰ります。
同じ構図になってますよね。映画館に行って映画を見て帰宅するという過程の中で、主人公たちと同じ経験をすることになります。
少し踏み込みましょう。
主人公たちは大叔父様の作った世界に別れを告げました。
同じように、僕たちは宮崎監督の作った世界に別れを告げてきました。
そして、今回、宮崎監督が作った世界は、過去の自身の作品を集めたような世界でしたよね。
つまり、僕たちは「君たちはどう生きるか」の世界にさよならする中で、宮崎監督が今まで作り上げてきたたくさんの作品にもさよならを告げてきたんです。
僕たちの約2時間は、宮崎監督の過去作を思い出して、別れを告げるための時間でした。
今作の映画体験は劇場で見て初めて完成します。リビングや寝室じゃだめなんです。だってそこはあなたの現実の世界なんだから。
劇場という特別な空間に作られた宮崎監督の世界に入ること。そして劇場から出て現実の世界に帰ること。この物理的なプロセス経ることに意味がある。
そうやって初めて主人公たちと同じ体験ができる。その体験を通して初めてさよならが言える。そんな仕掛けだと思います。
・タイトルについて
作中の主人公が石(意思・意志)を持ち帰ったのと同じように、僕たちは何かしらのメッセージや思いを現実へ持ち帰りました。
これは過去作からずっと同じで、僕たちは宮崎監督の作品からたくさんのメッセージや思いを受け取ってきました。
でも、大叔父様の世界が崩れるのと時を同じくして、宮崎監督の創造する世界も終わりを迎えました。
もう僕たちに新しいメッセージを伝えてくれることはないんです。だからこそ、今まで受け手でしかなかった僕たちがどうするかを問われるんです。
「君らしっかりしなさいよ」と発破かけると同時に、「君らはどこまでできる?」というある種の挑戦状といえるかもしれません。
タイトルと本編が無関係という事はありません。
・事前情報なしの是非
賛否あるかと思いますが、僕は英断だったと思います。
この映画の目的は、
① 何かしらの思いを抱かせて現実に帰すこと
② 宮崎監督の数々の作品に別れを告げさせること
この2点だと思います。
ターゲットは宮崎監督の作品に触れたことのある全員だったはずです。でも、それができないこともわかってる。
だからせめて、「ジブリ」、「宮崎駿」と聞いて劇場足を運んでくれる人たちにはメッセージを伝えようとしたんです。
そういう人たちに宮崎監督の作品とお別れをする時間を与えようとしたんです。
興行的な面はもちろんあったでしょう。
でも、それだけじゃなくて、造り手としてこの人たちに届けたい、届いて欲しいっていうのを形にした結果が、あのたった1枚のポスターになったんだと思います。
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