君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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熱中して見ていました
妄想かもしれないし、解釈というところまで昇華できたものではないかもしれませんが。
私はこの話を、眞人、なつこ、眞人の母の3人が
大叔父や眞人の父が作って来た世界に墓石のような積み木を足して生きていくか、それとも古い時代に捕らわれずに1から積み木を積み上げるかを選択していく物語だと捉えました。
だから、全編を通じて、大叔父からのメッセージとして「君たちはどう生きるか」が問われていたと思います。
時代背景も無意味なものではなく、家父長制のもとに言いなりになるしか無かった女性や長男が、戦争の前後という過渡期に、その自由を選びとるという選択肢を示されていたのだと思いました。
ファンタジックな描写が多かったですが
青鷺が眞人を連れて偽の母親に会わせる場面は、父親が眞人を連れてなつこさんに会わせる様子によく似ています
外面ばかりしっかりしている、エゴっぽくて内心は醜さのある父親って、青鷺そっくりではないでしょうか。
私はずっと出てこない父親の代わりを、青鷺の姿に投影して見ていました。
また、「下」の世界を地獄と呼び、生まれゆく命を喰らって生き延びるペリカンは、私には軍人達のように見えました。
ペリカン達に押しのけられ死の扉を開けてしまう眞人くん、ボロボロのペリカンに敬意を払う青鷺。
この辺りは眞人君の将来に「人を殺し殺される人生」の選択肢を仄めかしていたように思います。
また、多くのインコ達は時にヒミや眞人を喰おうとしたり、一方で妊婦のなつこに不可侵だったり、賑やかしてフンを落としたり…
このインコたちは、おばあちゃん達や、クラスメイトを彷彿とさせました。
私はインコたちを「世の中の人々」なのではないかと思ったのです。
世の中の人々は、最終的には眞人の積み木を無理やりに組みあげようとするが上手くいかない。
自由な生き方に対する、世の中の固定概念の敗北だと捉えました。こうしなければならない、という時代が終わったと。
ファンタジー世界の中で、眞人もなつこも、現実ではぶつけられなかった本音を語り合い、互いに互いの事情を知り、前に進むことが出来ました。
「眞人?どおりで死の匂いがプンプンすると思った」なんてフレーズもありましたが、どこまでも本音を隠す子供の名前が真実の人だという皮肉に対するものだったかもしれないですね。
教訓めいたものを見出すのは好きではないですが、敢えて意味深いものがあるとしたら
自由になりすぎた今の時代に、「初心に帰って」、自由の芽生え始めた時代を生きた人々を見てほしかったんじゃないかと私は思います。
父親のような青鷺に翻弄され、軍人のようなペリカンに翻弄され、大衆のようなインコに翻弄され、それでも自分の生き方を見出した眞人に、すごく感動しました。
他の作品ほど分かりやすくはないし、ポップな明るさ可愛さもほとんどないけれど、一場面一場面自分の感覚で落とし込んで見たこの作品はとても意味深いもので
正解、不正解は分からないけれども、私は戦い続ける眞人くん、なつこさん、お母さんにとても胸を打たれました。
手放しには人にオススメできないけれど、私はこの作品が好きです。
今までつくった映画を全部ねんどにしてまぜこぜにしたら
今までつくった映画を全部ねんどにして、まぜこぜにして、もう一度何かを作ろうとしたら、もっとすごいものが出来上がってしまった。そんな感じ。
絶対に見た方がいい。
好きではない映画です
宣伝広告一切なし、観たければ劇場へ。
そういわれると気になってしょうがない好奇心の塊な私はたまらず劇場へ行きました。
率直な感想は…何となく伝えたいメッセージは分かったけど面白くない、です。
作画や美術背景はさすがジブリだなと思いました。
冒頭の火事の場面。炎の演出はとても迫力があり見入りました。あの炎を描けるのはジブリだけだと思います。
そして人物、動物の動き。階段を駆け上がる足の動きや走る動き、アオサギが向かってくる瞬間や大量のペリカンやカエル、インコに襲われる場面が卓越した表現力で描かれており、見応えがありました。
田舎の風景や異世界の景色など世界観を彩る背景も美しく、まさにそこに自分がいるかのような空気すら感じられるくらい引き込まれました。
ただストーリーに関しては…破綻寸前です。
これを完全に理解できた方はいらっしゃらないかと思われます。「意味不明」「何一つ分からなかった」とまではいいませんが、ない知恵を絞って考えながら観賞すると片頭痛に悩まされることになるくらいには難しかったです。
ざっくりいうと異世界に取り込まれた義理の母親を助けに行く少年の冒険活劇(???)という単純なストーリーです。
それなのに何故そこに存在するか分からない要素や出来事がありすぎて、これは『考えるな、感じろ』系の作品なんだと諦めざるを得なくなり、結局よく分からなかった…になるのです。
考察は非常に苦手なのですがそれらしい人物を当てはめると…
大叔父=宮崎駿監督、真人=後継者候補(息子?庵野監督?私たち?)、インコ=SNSに蔓延る口先だけの匿名人、アオサギ=…誰??鈴木敏夫P?
なのかなと思いました。
そして伝えたいメッセージというのは、物語の終盤に出てくる台詞が全てかなと。
「異世界(=ジブリスタジオ?)を保つために後継者になってほしい」「積み木を積んでも積まなくても君の思うままに生きなさい」そして表題の『君たちはどう生きるか』に繋がるのではないでしょうか。
宮崎駿監督の人生を描いているのでしょう、13作品のオマージュもどこかに描かれているのでしょう。でもそんなこと映画内では説明してくれません。
鑑賞して自分なりの答えを見つけなければいけません、たとえ解答したとしても誰も正解は教えてくれません。(後日パンフレットで明かされるかもしれませんが)
答えのない問いに夢中になれる方であれば、今作をおおいに楽しめるでしょうし、何度でも解るまで通いたくなるかと思います。
要は考察が好きな方向けです。
私が好きではないと思う理由はまさにこれです。
つまり【映画は観たものが全て】というスタンスが好きだからです。『2時間』という限られた時間の中で起承転結揃っており、着地も綺麗かつ内容もスッと理解できる作品の方が好みです。
考察しようと思えば考察できる要素もほんのりいれておくけど今回のストーリーの評価を左右するほどのものではない、というくらいが丁度いいと思っています。
一回見てある程度すら理解が出来ない、全て観客の考察任せな作品は映画としてどうなのかと疑問に思っているわたしにとってはまさに今作は賛否でいえば否です。
でもこれは映画をみた一観客の戯言です。
今作はあくまでアートムービー的な立ち位置にある作品なので、観る人の数だけ感想も千差万別であり賛否両論あって当然のものだと思います。なので一個人の意見を鵜呑みにせず、気になるのであれば自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。
インコたちが評価を掻き乱してしまう前に出来るだけ早めに劇場へ足を運ぶことをお勧めします。
ありがとう宮崎駿!ジブリファン以外は観に行かない方がいい!
前半部分は何が何やらという感じでしたが、中盤後半にかけてはジブリファンならすぐに彷彿するであろう名シーンの数々、宮崎駿監督の最後のコメントともとれるセリフには一ファンとして感動しました。
個人的にはこの映画は『脚本』というより『演出』が良かった作品だと思います。なので内容重視やジブリに興味のない人が見に行っても絶対楽しめないと思います。
観に行く時間帯についても学生のいないレイトショーがオスメメです。(笑)
深く、難しく、メッセージ性溢れる “宮崎駿作品”
監督の作品史上 最後にして最も難しいと思う内容の今作は、一度で全てを理解するのは厳しい事でしょう。
ただし見る度に確実に新しい発見がありそうな奥深さのある映画で、魅力的なキャラも登場する紛れもない “宮崎駿作品” でした。
登場人物たちがこの後どうやって生きていくのか。
この作品を作った人たち全てが、この作品を見る人たち全てがこの先どう考え生きていくのか。
ラストの展開が表す本当の意味とは。
宮崎駿監督から難しくも壮大な問いかけとメッセージを頂いたような気がします。
予告も宣伝も無し、タイトルと一枚のイラスト以外全く情報を出さないという事が、見る側の先入観を持たせず純粋に作品を見て何を思うか考えさせる手法なのだと。
私としては自身の映画監督としての姿を、またスタジオジブリとしてのアニメーションの姿を世界観として変えて、まるで作品に重ねているように感じました。
何はともあれ映画館という最高の環境で、巨大スクリーンでまたこうして宮崎駿デザインのキャラクターたちを見れた喜びは何事にも変えられません。
早く皆で堂々とこの内容について語りまくれる日が来てほしいと思いますね。
走馬灯
自分の中で絶賛と酷評が二つある
なので星は三つ
具体的に何か?と羅列するのは難しいが、あくまで気持ちの面で、思いつくままに書いていこうと思う
先ずは何度目かの引退を撤回して宮崎駿のおかえりなさい作品を拝めたのは眼福
でもこれは監督の本意なのか少し懐疑もする
ご年齢を考慮してか今回は絵コンテに徹し、名だたるアニメスタジオの猛者達が作成したとの事で、なんか豪華な感じはするし、なんか胸熱ではある
で、今回、この作品は本当に宮崎駿が作りたいと思って作ったのかな?とも感じた
頼まれて背中押されてそんなモチベーションでつくったのでは?
嫌々作ったのではないにしろ、コクリコ坂と同じようなテンションで関与したのかな?という印象を受けた
(コクリコ坂の時も大人しくはしてなかったようですけど、今回はどうだったのでしょう?)
これまでのジブリ作品のセルフオマージュなのか、サービス精神によるものなのか、それは企画の時点で決定された事なのか、はたまたそんなんじゃなくて単純に引き出しの限界なのか?わからない
確固とした世界観があるようでないような、行き当たりばったり感は千と千尋やもののけ姫でも見受けられたけど、あの作品には夥しい満腹感があった
それはやはり動画、キャラの動きに説得力、こだわり、気持ちの揺れ、それらを的確に演出出来たからだと思う
今作はそれが薄い
きっとこれはセルフオマージュなのかもしれない
でも、だとしたら幾ら何でも分かりにくすぎる…
考察に意味があるのかも謎だが、もしかしたら何も考えずに観るのが正解なのかもしれないが、今度こそ最後かも知れない宮崎駿の絵柄にジブリのブランド?これらが何かを期待させてしまうのだ
それにしても最後のクライマックスで神様っぽくなるところや、エヴァのATフィールド取捨選択のくだりのようなやり取りがあったりだとか、どうしてこうなった感が大きい
かと言って駄作とも思えない
絵画的な美しさや、設定に感じる神秘さには惹かれるものがある
でも、君たちはどう生きるか
そのタイトル回収はいささか投げっ放しがすぎる…
(*'▽'*)
巨匠の最後の作品はこうなるのだろうか。
事前情報一切無し。
宮崎駿監督の最新作、そして「君たちはどう生きるか」のタイトルと一枚のイラストのみ。
こんな事前情報なしで(なんだかんだで)巨匠の最新作を観る機会なんては貴重ですから、せっかくなので初日に観に行きました。
冒頭のシーンでうぉっと思わせつつ、後妻さんの作画の細やかさに流石だなーと唸らせつつも物語は徐々に混沌に……。
思わせ振りなのか意図しての支離滅裂なのか。
それでいて淡々と物語は進みます。
ストーリーに触れるのは御法度っぽいので、結論のみ書くと、これは巨匠の最後の我儘だったのかな、と。
客に見せてお金を取る以上、エンターテイメントの側面はあるのでしょうが、そんことはあまり考えていないのかなと思いました。
1番近いのは夜見る夢を映像化したってところ。
カリオストロ伯爵っぽいムーブの王様(鳥)の追尾シーンで強くそれを感じました。
あとはセルフオマージュというか。
とにかく、監督は好きに作ったのでしょう。
これに対し、ああだこうだ言うのも無駄な気がします。
酷評もしないけど、判ったなんて言うつもりもない。
ある意味、ずるい立ち位置ですが、そんなところ。
良かったです。
評価が分かれていましたので、恐る恐る見に行きましたが、面白かったです。
話の整合性が気になる人は楽しめないかもしれませんが、頭を空っぽにしてみると楽しめました。
あと所々で以前見たジブリの風景がありましたが、それは故意なのか?😏
映画館で見て良かったです。
あばよ、 友達。
あえての宣伝なしに、今までと違ったメッセージを投げかけてくるのかと期待した。しかし、その期待は無意味だった。悪くも悪くもジブリ。けして良くも、とは言えない。それをジブリファンは真意を理解できていないと非難するかもしれない。だけど、正直な感想は、結局ジブリ。メインキャラ、サブキャラ、モブキャラすべてそう。役者を起用した声の配役も従来通り、もはや奇抜さも感じないデフォルトと化した。「ポールのミラクル大作戦」のようなパラレルワールドは若干新鮮味があったかもしれないけど、困難を乗り越える主人公の成長記のストーリーは相も変わらずだった。単なる衣替えしただけの作品だった。たぶん、もうこの手には乗らない。
不親切なジブリ、最高だった!
過去の宮崎作品を横断するかのような
ジャンルレスな構成に衝撃を受けた。
そして中盤から怒涛のように押し寄せる
説明無き展開は分からない人への配慮は皆無、
その代わり分かる人だけが楽しめるという
エゴイズムの域に達していて
宮崎駿の最高傑作はナウシカの原作マンガ(難解)
だと思っている私としては
とても満足のいくものだった。
感覚的な映像表現は今敏作品を彷彿させるほど
シュールでありアートだった。
ストーリーも良い。
余韻が本当に素晴らしくエンドロールで
泣いたのは初めての体験だった。
きっと面白かったのだと思う
観賞したのは公開初日翌日の土曜。小学校低学年の子供を連れていったので、子供も観られるのかが気になったのだが、当時の口コミではまだ検索してもヒットしなかった。
大人はジブリで育った世代も多いと思うが、今の子供たちはトトロくらいしか観ていないのでは?と思う。うちの子供も(分かりやすく面白く作られている)ディズニー作品は繰り返し観ているが、ジブリに対する食いつきが悪く、親と比べて宮崎駿新作に対する熱量が違いすぎる。
今回の作品は、話がごちゃごちゃして、暗喩的なメッセージがよく分からなかったが、アニメーションの静と動の表現に感動した。
冒頭の階段を下りるシーンだけで躍動感に溢れていて驚かされる。その後は、動きの少ないシーンが続き、時々漂う不穏な感じに、子供が楽しく観られているか心配だったのだけれど、その後の塔の世界に行ってからの不思議な物語を楽しんでいたようだ。
子供に観賞後どこが面白かったのか聴いたら、さぎに栓をするくだりのさぎのリアクションだったそうだ。物語がよく分からなかったとは言ってなかったので、子供は大人と違って色々考えないで、素直に面白かったようである。
ジブリパフェ
ジブリであれば何でもよいというほどのファンではありませんが、宮崎駿監督作ということで、ともかく劇場に向かいました。
今の世の中、事前情報がゼロというのは不利なんじゃないかなぁと心配でしたが、公開2週目で、150名規模のシアターは平日でもほぼ満員でした。
内容は、ファンがジブリに期待する要素を列挙してからもれなく詰め込んだような、まるでアイスの下から「あっ白玉だ!」「抹茶ゼリーも!」と楽しく発見して食べ進められるパフェのような感じです。
正直、理屈の通った物語を求める心はまったく満足しませんが、とにかく画がきれいで目が楽しい。時代背景や暗い部分があっても、面白い部分をアピールして宣伝すれば、もっと多くの人が観に行くのではと思いました。
あまり共感できる登場人物はいませんでしたが、現実的でたくましそうなお父さんのエピソードはもっと見たかったです。
今を生きる人々へのメッセージ性を感じる作品
完全にネタバレレビューです。
作品を観た直後『なぜこの内容でこの題名なのだろう。』という疑問が浮かんだままでした。後からゆっくり内容を思い返し、【生きる】というメッセージにフォーカスを当てて 私なりの見解をしたところ、やっと自分の中で腑に落ちました。主人公 マヒトは、戦争で母を失い、転校先では友達からのいじめを受け、馴染めない土地で急に叔母が母となり、父はそんな叔母に夢中。…となれば人というものは孤独であり、悲しみに暮れ、最悪『死』さえ意識するかもしれません。そんなマヒトが迷い込んだ世界では 自分の思うような理想の世界を創り上げられる。しかしその世界は殆どが『死者』であるとの事。その死者の世界の王として暮らしていた大叔父にここに残らないかという選択を迫られる。 しかしマヒトはそこでの暮らしを選ばず 現実の世界に戻る。現実の世界で自分を理解する友達を作り、母の死を受け入れ生きていくと…。現代の世界では悲しいことに人生に悩み、疲れ、死を選ぶ人々が多くいます。そんな方々もこの主人公 マヒトのように 生きることへの苦しみを感じているのではないか。しかしこのストーリーではマヒトはいくら苦しくても、孤独でも この大変な世の中で強く生きていく決意をします。宮崎駿監督はこの作品を通して、多くの苦しむ人々に生きるという選択肢を選ぶ事。そして自分自身で生き方を選んでいく事ができるというメッセージと希望を与えてくれたように感じます。
マヒトは真っ当にこの世を生きるが、悩みが多きひとりの人の象徴でしょうか。アオサギは死の世界へ誘う死神のようなポジションでしょうか。数多くの人を喰うインコ達は現実世界で人の心を蝕む人や物の象徴でしょうか…。
完全に私なりの解釈ですが、直接的な表現ではなく間接的に、そしてジブリの世界観を使い 大きなメッセージを届けてくれたように感じました。
この見解で正解ならば高評価ですが…全然違ったりして(笑)なんて思って遠慮の星3です。
わからん、からこそもう一度観直したい
2017年、自分の中で衝撃が走った。“宮崎駿監督、新作を作る”。引退したはずなのに(何回引退するんや)、もう一度観れるのか。もう期待でしかない。いつ出来るのかと待ちわび、コロナという未曾有の事態を乗り越えられ、ついに2023年に公開。
しかも一切の情報公開なし。
これは自信の表れか?それとも何かの実験か?はたまた広告出しまくり、煽りまくり、いろんな特典をつけてリピーターを生産する宣伝手法へのアンチテーゼか?それでも、何も情報なく観るのは違った、恐いもの見たさをに似たような興味をき引き立てられる。今回は先入観なく鑑賞しました。
正直、わからん・・・!?
ホンマに、どう解釈してええのかわからんのです。ストーリーも、キャラクターの行動も、世界観も・・・謎が謎を呼ぶ展開に「どうしてこうなった?」「どう解釈すれば?」と悩みながらの鑑賞になりました。しかし個人的に事前情報一切なしは正解かと。先入観なく純粋に観てたからこそ、次の展開が気になる。謎が気になる。ゆえに思いの外食い入るように観てしまう。その先入観なき没入感は、不思議と心地良いもの。しかし宮崎駿監督だからこその手法ではないか。他の作品でも余程の自信、戦略がないとやる事すら難しいと思います。
結局はわからん、と思うてしまった本作。しかし、それゆえに、
もう一度観直したい
という気持ちに駆られている今の自分がいる。
若干絵のタッチが変わったかな、とはいえ宮崎駿監督作品によく観られる躍動感は相変わらず流石というべきか。それにタッチも良い感じに変わっていると思います。また、やっぱり映画の魅せ方が上手いというべきか、ぽかーんとなったとしても“面白くない”わけではない。いや、面白い。先の展開が気になってしゃーないんです。それは事前情報がなかったことも関係してるとは思うけども。
ほんでも冒険要素を踏まえたファンタジーに仕立てたのは良かった。個人的には冒険ファンタジーこそ宮崎駿監督の土俵と思っています。最近の作品よりかは冒険要素があったことも魅入ってしまった結果ではないかと思います。
「わからん=面白くない」ではなく「わからん=もう一度観たい」と思える作品。それが本作の特徴ではないかと、個人的には思うています。
もしかしたら、そうやってリピーターを増やすつもりか?そうであれば、あえて言葉選ばずに言えば、“エサを撒かずとも観客を動員できる”映画ということか?はたしてそうなるか、その答えは未来に託すとしましょう。
それに、私自身この映画についてまだまだ考える余地は残されていると思います。再度観て、違う視点を持てた時、またレビューを更新します。まずはこれまで。
夢
千と千尋の神隠しのクライマックスとその感動を今でも覚えている。
その川の名はコハク川・・・
コハクがわたしを浅瀬に運んでくれたのね・・・
もし千と千尋~を見ていない人にそのクライマックス部分だけを見せてもなんのことか解らないだろう。
千尋とハクがスカイダイビング状態でかわす会話に感動できたのはそこに至るまでのストーリーを見てきたからだ。
あたりまえである。
君たちはどう生きるかを見た印象は「知らないアニメ映画の感動的なシーン集」だった。
観客には何がおこっているのかわからないのに眞人とヒミは突如としてクライマックスをやっている。
いきなり感動的なシーンを見せられると案外いらいらするものだ──ということがこれを見てわかった。なんならすこしむかつく。
このむかつきは映画ぜんたいがセルフパロディに見えることにも起因している。
どのキャラクターにも既視感がある。男勝りの鉄火女キリコはエボシやりんやクシャナの路線である。眞人はアシタカでヒミはソフィーである。ワンパターンとは言わないがいずれも宮崎駿が今まで扱ってきたヒーロー像・ヒロイン像を踏襲している。それが悪いと言いたいのではなくセルフパロディに見えるという話である。なぜセルフパロディに見えるのかというとストーリーが見えないからだ。
したがってもっと言えば「宮崎駿の熱烈なファンがつくった超精巧な宮崎アニメあるあるシチュエーション集クライマックス編」。
眞人は『ひみは生きてなくちゃだめだ』と言うんだがその劇的な台詞に観客は追いついていない。追いついていないのに眞人とヒミは千尋とハクのスカイダイビング状態時のような会話を繰り広げている。
わらわらが空へ登っていくときペリカンの群れに襲撃され「みんな食われちまう」とキリコが叫ぶんだが、こちらとしてはまだその白いのにシンパシーをもつには至っておらず、タイミング悪すぎんだろ。もっと上手に昇天しろや。と感じても罪はない。
ものすごく巧いあるあるを見るのと同様に眞人は過去の宮崎駿のキャラクターを想起させるセリフまわしやしぐさを数え切れないほどやる。ただしそれらはみんなハイライトシーンでの劇的な台詞まわしやしぐさなのだ。が、観客の気分はハイライトではない──わけである。
ただしストーリーがまったくわからないわけではない。
あまりにも大きな悲しみを負ったとき人は防御本能がはたらいて観念へ入り込む。そこからは不思議の国のアリス構造になっていてうさぎの案内人をここではアオサギがやる。壮大な夢おちといってもいい。ようするに眞人が母の死を克服する──だいたいそんな感じの話であろうことはつかめる。
が、チュートリアルしないでゲームをしている感じ。それもわりと難しいゲームでじぶんが何してんのかわかんなかったりする。
にもかかわらずヒミは「石がおこってる」とか「ドアの取っ手を離したらだめ」とかいろいろとその世界の特長的構造のことを言うし、なんならドアに近づきすぎて倒れるが、つうかヒミさんて言ったっけね、夏子さんの関係者なんだっけ。いや、おれらなんでふたりでがんばっているんだっけ。・・・。
──という感じでこっちは相関性も話も生煮えなのに、ぐいぐいと「あるあるシチュエーション集クライマックス編」を食わされる。
難解なのではなくもともと漠然としたものを漠然としていることを知った上で出している。なぜそうするのかというと、そうしたかったからでもあるし、漠然としたものを投げてみることができる作家だから──でもある。みんなだって、なんなのか解んないのに、ただ宮崎駿がつくったというだけで、これを買ったんだ。
そうはいっても絵やアニメはいい。
個人的には冒頭がよかった。火事だといって跳ね起きてだだだだと階段をかけおりて、その躍動がすごかった。もののけ姫のドキュメンタリーで宮崎駿がポーズを考えているところを見たことがある。アシタカがすべり落ちるところで腕を十字にするところがあったでしょ。草木が生い茂っているところをあるていどスピードでずざざざと落ちていくから腕を十字にして頭を防御するんだ。それを宮崎駿が自分でやってみてこんな感じだろとか言っているんだ。そういうアニメキャラへの魂入れはやっぱすげえなって思った。君たちはどう生きるかの冒頭見てあのじぶんでポーズしてみている宮崎駿を思い出した。
特長は蝟集と鳥。うじゃうじゃ恐怖症と鳥恐怖症にはつらいだろう。アオサギは醜悪を隠さないし狙ったようなグロテスク描写もあった。まったく子供向けではないと思う。が絵やアニメはよかった。
黒澤明が夢をつくったときに似ている。黒澤明が夢をつくったとき多くの映画ファンが「おれたちは用心棒とか椿三十郎みたいなのを望んでいるんだ」と言って受け容れなかった。しかし用心棒とか椿三十郎みたいなのが見たいって、そんなん当たり前でしょ。黒澤明は枯淡へ入って軸足のちがう映画をつくったんだよ。夢自体は悪い映画じゃなかった。八月の狂詩曲もまあだだよも悪くなかった。
これも単体でみたらすごい技術が集約されている。たしかに「おれたちはもののけ姫やナウシカや千と千尋の神隠しみたいなのを望んでいるんだ」と言いたいかもしれないが宮崎駿も枯淡へ入ってざっくりした夢を披露した──ってことなんじゃなかろうか。
シェフ・ミヤザキの問題作
ジブリは国民食だ。
例えるならラーメン。毎年金曜ロードショーで繰り返される『天空の城ラピュタ』や『風の谷のナウシカ』はなじみの中華料理屋の一杯。渦巻き模様のどんぶりで、メンマ、ナルトが乗ってるような。
設定もりもりの『千と千尋の神隠し』は背脂たっぷり二郎系ラーメン、結核妻の横での喫煙シーンで物議をかもしつつも昭和男のナルシズムを描き切った『風立ちぬ』は激辛蒙古タンメン中本といったところだろうか。
今回は一体どんなラーメンを食べさせてくれるのか......
巨匠宮崎駿......
のれんをくぐって出食わしたのは、創作フレンチのような傑物。
一つ一つの素材は美味しい味がするが、一向に食べ方がわからない。全体としてこれは何という料理だったのか、名前もわからない。シェフのネームバリューがあるので、まずいとは言い出せない。食べ方がよくわからなかったが美味しかった気がする、なんて無難な感想を持ちながら劇場を後にする。
また別の例えをするなら、事前情報なしに初めて蟹を食べようとしたときのような。細かくとれたほぐし身はおいしいが、全体としてどう食べればいいのか正解がわからない、的な。
料理の仕方か、
食べ方の説明があれば、
もっといい映画になったんじゃないかなあ、という作品。
なんとなく惜しさがあるような。
とりあえず、ごちそうさまでした。
でもごめんなさい、星は2つぐらいです。
監督からの挑戦状、評価され試されてるのは私たち
今日鑑賞してきたので感想を書きたいのだけど、正直この作品の感想を書くのはめちゃくちゃ難しいなと感じています。
何故ならこの映画は今までにないジャンルのもので、絵本の見た目をした、自伝であり、エッセイであり、遺書であり、告訴状でもあり、挑戦状でもあるという特殊な物だと思うからです。
特に挑戦状としての意味合いが強く、この強いテーマが先にある分、ストーリー性や娯楽性という物は薄味になっている気もするし、監督の精神世界に入り込む様な展開のストーリーなので、どうしても不安定で混沌とした描写が続いたりもします。
でも、彼が今何に悩み、何を思い、何の為にどうして引退するのか、誰に何を伝えて残したかったのか、それを知る事ができる作品である事は確かなので、ファンの私としては見る事ができてよかったと感じています。
特に異世界のお墓の門に書かれていた「ワレヲ學ブ者ハ死ス」という言葉にはハッとさせられました。意味を知らない人は是非検索して見てほしい。どんな後継者を望んでいたのか分かります。
こういうたくさんの謎かけと隠されたメッセージが随所にあるので、宣伝無しにしたことも含め、「今回の作品は分かろうとしない人には伝わらなくて良い、分かろうとする本物のファンだけに伝えよう」という頑固な部分があらわれていて、駿さんらしいなと思います。
ちなみに、私は駿さんと鈴木プロデューサーとの友情の成り立ちが知りたくてこの映画を見に行った所があったのだけど、その部分に関しては割と詳しく描かれていてよく理解出来ました。
大嫌いでウマも会わないし、憎んでさえいるのに、一番自分の事を理解してくれていて、一番長く一緒にいて、一番辛い時に助け合った仲間を手放せない、そんな気持は私も経験があるのでよく分かります。
劇中ではアオサギという役で出てくる彼ですが、とてもズル賢く、まるで主人公の半身のように真逆の特性を持ち、主人公の苦手な事をこなしてくれる様な存在です。
他にもスタッフやファンや息子さんやジブリの他の監督等も動物に姿を変えて出てきています。
その辺を誰なのかと予想しながら見ていくのも大変楽しい作業でした。
毎日をただ丁寧に、積み重ねる。
製作期間7年と確か、聞く。
しかしながらちょうど、今、この時にマッチするようなモチーフがちりばめられ、まるで昨日おとつい、作られたのでは? と疑いたくなるほどだった。
戦争も、複雑な家庭環境、その母子、父子、居場所のなさ、自傷自罰的行為と子供。もしかしてマルチバースも?
マルチバースは別格として、いつの世にもあるモノなのかもしれないが、どうしても目がいって仕方なかった。
表面的には異世界を冒険するファンタジーである。
そこには救出すべくヒロインがおり、仲間が現れ、出会いと別れが織り込まれ、ピンチと決断に満ちる。
だが一方でどうしても監督自身についてを巡らせずにおれず、
大叔父が長い月日をかけ、一つ一つを積み上げて創り上げた石を中心とした世界こそ「会社」、もしかすると「ジブリ」そのものではないのだろうかとうがってならなかった。
そこに継がせたい者はおれども、自分にはふさわしくないと、自身の世界を生きる事を宣言されるなど悲しすぎ、
創り上げた世界すら、すぐに積み上げることが出来る、と功を奏するあまり本質を見誤った内部者に崩壊させられ、そんなのないよ、と悲しみのあまり熱が出そうになった。
だとしてもう諦めるしかないのは、人生には終わりがあるからで、
だからこそ大叔父も、袂を分かつこととなった主人公へ毎日、少しづつ積み重ねて行く事だけは忘れるな、とメッセージを託している。
それでいいのか。
判断の是非を自身へ問いかければこそ、肯定を求め、根源であり存在理由の「母」は登場することとなったのではなかろうか。
きっと優しく、間違ってないよ、と言ってもらうために。
ああ、やっぱり切なさのあまり熱が出る。
はたして「君たちはどう生きるのか」。
自分たちの手で再び創るしかなくなった現状にお手並み拝見。
問いかけ、挑戦し、おそらくいくばくかの期待をよせていると思いたい宮崎監督の、厳しさが優しい眼光が目の前に浮かび上がって来るのである。
いや、私にはそう見えた。
そして同時にこれを色々なモノに置き換え、なら、わたしたちはどう生きるのか。
手品のように、全てが一度に変わることなど崩壊への序曲なら、
やはりひとつづつ丁寧に、毎日を丁寧に、積み重ねていくほかないと、
心に沁み込ませるほかなく。
最後かもしない監督からのメッセージを握り絞めるのである。
それって、当然のことなのだけど。
追記)
宣伝しなかったのは、一般のお客さんへ向けてつくった作品ではない、という意味ではなかったりしないのかな。
そうおもうと、毎日コツコツ積み重ねは、手書きセルのことで、一気にバババっとやって潰したインコが象徴するのは、3DCGとかコンピュータ技術のたとえでは。。。うがる。
傾倒して本来の姿を失い、バランスを崩して塔は崩壊とか深読みしてしまう。。。
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