君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全2096件中、1241~1260件目を表示
ジブリ版不思議の国のアリス
宮崎駿監督も自分でも訳が分からないところがあるとコメントされている様です。
不思議の世界に迷い込んだ様な気分になる内容です。
色々なシチュエーションがあり、これまでのジブリ作品が走馬灯の様にフラッシュバックするシーンが多く見受けられた。
“難解だけど面白い”という所までに至っていない
風立ちぬ以来の新作ということでとても期待していたが、
鑑賞後の感想としては少しガッカリしたという気持ちである。
しかしながら、この作品には褒められるべき点もある。
まずは圧倒的な作画力。これに尽きるだろう。
宮崎駿作品の魅力とも言える疾走感のあるシーンは日本を代表するアニメーター集団であることを顕著に表している。特に前半の火事の中走るシーンは今の劇場アニメでも中々見ることができないレベルである。
それだけの作画力のある作品を低評価に陥れているのはストーリーである。
作品に隠された意図、メタファーを盛り込むのは考察する楽しさがあるしとても良いことだと思う。しかし、本作はそれに特化させすぎて純粋に作品として見た時に単純に面白くない。特に言語化されている場面が少なく観客に理解させようという気すらしない。
制作側が作品に込めたいメッセージと観客が理解できるレベルの塩梅を上手く取るのがプロの仕事ではないのかと問いたい。
結論、今回の作品の評価としては、星3とする。
理由はストーリーは難解であり、作品として面白いというレベルに達していない。しかし、正統なジブリ作品として評価できる作画力や世界観ではあるためこの評価とする。
宮崎駿が考える「君たちはどう生きるか」です。
まずはじめに。
映画を見たあと、本屋に寄り「君たちはどう生きるか」
をパラパラ見ましたが、映画は小説や漫画化された
君たちはどう生きるかとはストーリーも設定も違います。
タイトル、テーマだけがかぶっているだけで中身は別物です。
個人的感想は最後に書いてあります。
おおよその流れを長々と書いておきます。
映画の方は、
舞台が戦時中の日本で、主人公マヒトがある日
大人たちが騒いでいる中目覚め、火事を目撃する。
火事の現場が母親の病院でマヒトも現場へと向かう。
母親を亡くし、戦火のこともあり父親と二人で
田舎へと移り住む。そのさきに母親にそっくりな
女性があらわれ、新しい母親と父親から紹介される。
母親にそっくりな女性は母親の妹ナツコである。
お腹には子を宿しており、大きなお屋敷に住んでいる。
お手伝いのおばあやおじいが身の回りのお世話をしている。
母親の死を受け入れられないでいるマヒト。
マヒトとの距離を感じながらも気丈に振る舞うナツコ。
アオサギがあらわれ、マヒトにちょっかいを出し始める。
アオサギが屋敷の離れにある館に向かうのを見たマヒトが
館へと出向く。館はボロボロで上へと通ずる階段は土で
埋もれている。姿を消したマヒトをおばあたちが総出で捜す。
アオサギの羽が落ちているのを見つけ、
おばあが家に帰るよううながす。
館についてナツコからことの成り行きを聞く。
次の日、父親の運転でマヒトは学校に行く。
帰り道に同級生とけんかをする。そのあと自分の右側頭部に
石で傷をつける。おばあや医者に治療してもらう。
父親から誰とけんかしたか問いただされる。
コケただけだとマヒトは主張する。
次の日、アオサギがあらわれ木刀で向かい打つが、
歯がたたず、アオサギから母親は生きていると言われる。
カエルに飲みこまれようとされるとき、ナツコの弓で
アオサギどもを追い払い、難を逃れるマヒト。
その日からナツコのつわりがひどくなる。
おばあたちからお見舞いに行くよう言われ、
お見舞いに部屋に行き、帰り際タバコとナイフを盗む。
おじいにタバコを渡し、ナイフを研いでもらう。
竹の弓を作り、矢先が釘の矢を作る。うまく飛ばないので
池に落ちているアオサギの風切り羽を矢に取り付ける。
そのときに誤って机の上にある本を床に落としてしまう。
君たちはどう生きるかの本に母親の字でメッセージが
書き記してある。ナツコが森の中へと消えていく。
おばあたちがいなくなったナツコを捜す騒ぎに気づくマヒト。
ナツコが消えた場所をキリコと追う。
道の抜けた先に館の裏手に出る。
館に入ると入口が塞がれ、アオサギがあらわれる。
母親は奥にいるとアオサギに案内され、ソファに眠る
母親を見つける。触れると液体になり崩れる。
ナツコの居場所を問いただすとアオサギが
殺してみろと言い、マヒトは弓を引き矢を放つ。
一度は避けられたが、矢はアオサギを追いどこまでもついてくる。
矢はアオサギの上くちばしを貫通し、飛べなくなる。
館の上に大爺があらわれ、アオサギにナツコの居場所を
案内しろみたいなことを言われる。
アオサギ、マヒト、キリコは下の世界へといざなわれる。
マヒトはある島で目覚める。まわりはペリカンだらけで
金の門があり、門には「我を学ぶものは死す」
みたいな文字が書かれている。マヒトが門の前に立つと
ペリカン達が門に押し寄せ、門が開く。
海から船に乗った若いキリコがあらわれ、島に降り立ち
ペリカン達を追い払う。マヒトを助け、呪文を唱え、
後ずさりして船で島から脱出する。
仕掛けた罠を引き上げ、魚を釣り上げる。
ここは下の世界と説明され、生きている者は少ないと言われる。
生き物を殺生できるのはキリコだけで、他の者はできない。
若いキリコがその役目。若いキリコの家に招かれ、魚をさばく。
変な丸い妖精がいる。内臓が妖精の好物らしい。
机の下で目覚めるマヒト。まわりにはおばあ達の人形が取り囲んでいる。
それには触れるなと若いキリコに言われる。
マヒトはトイレに行き、月明かりがまわりを照らすと
妖精が空へと飛び立つ。若いキリコがあれが人間へと生まれ変わる
のだと説明される。ペリカン達が妖精を食べ始める。
全滅しかけたときにヒミがあらわれ、ペリカン達を追い払う。
寝ているときに外から物音がし、マヒトが外に出ると
トイレの横に傷ついたペリカン1匹がいる。
もう命が長くないとペリカンが言うと、妖精を襲った罰だとマヒトが言う。
ペリカンは下の世界ではエサとなる魚が少なく、
妖精を食べるように進化したと話す。
ペリカンは死ぬ。アオサギがあらわれる。
マヒトがスコップを持って、ペリカンを土の中に埋める。
翌朝、アオサギとマヒトがケンカして風切り羽をマヒトが引きちぎる。
若いキリコが二人をなだめ、ナツコ捜しがはじまる。
若いキリコからマヒトにキリコの人形と石をお守り代わりにもらう。
道中でアオサギの上くちばしの穴を塞ぐためマヒトが
木の棒を削り、いろいろ調整してあげる。
ナツコがいる家を見つけたが、インコが家を占拠している。
インコは人間を食べる。
アオサギがインコの気を引き、その隙にマヒトが家の中へ。
家の中にもインコがおり、丁重に出迎えられる。
ナツコはどこだと問いただすとお腹に子がいるので食べない。
ここにはいないと言われる。マヒトが食べられそうになるところを
ヒミが助けてくれる。ヒミの家へと招かれる。
そこでジャムパンを食べる。
ナツコの居場所を案内するためヒミと一緒に行動する。
父親がおばあ達から館のついての言い伝えを聞く。
館は空から降ってきた石であること。
その衝撃で池の水がほとんどなくなったこと。
石を覆うとしたら、何人も死人が出たこと。
いわくつきの館であること。
城の中に潜入し、番号の付いた扉の廊下に出る。
両端からインコが迫ってきて、扉の向こう側に
一時避難。父親がマヒトを見つけるが、
マヒトは元の世界に戻らず、下の世界へと戻る。
その扉はいろいろな時代に繋がっており、
ドアノブを手から離すと、下の世界には戻れない仕様。
ナツコのいる部屋に着き、マヒト一人で部屋に入る。
ナツコを起こすが、マヒトを拒絶し、マヒトとヒミは
気絶してしまう。
マヒトは夢の中?で時の回廊を通り、大爺の元へと行きつく。
大爺は積み木をしており、世界が一日保たれると言う。
積み木と言っているがそれは墓に使う石。
大爺がことの成り行きを話し、
自分の役目を引き継いでほしいと頼まれる。
マヒトは目覚め、インコに調理されようとしている
ところをアオサギが間一髪で助ける。
マヒトとアオサギが合流し、ヒミの行方を探る。
ヒミはインコに捕らえられ、インコの王様と一緒に
大爺の元へとつれていかれる。
マヒトが引き継がないなら、
ヒミに引き継がせるとインコの王様が言う。
ヒミを助けようとするが、インコの王様に阻まれる。
インコの王様と大爺が少しお話し。
そのあとヒミと大爺が言葉を交わす。
マヒトは役目を引き継がない、
ヒミも一緒に元の世界に戻りなさいと諭される。
インコの王様は時の回廊から出ず、経過を見守る。
マヒトとアオサギが崩れた階段から這い出てくる。
目の前に時の回廊があり、先へと進む。
広間に突如、扉があらわれ、扉の先へと進む。
インコの王様もつづく。そこでヒミと再会。
石を飛び先へ、アオサギもつづく。インコの王様もつづく。
大爺とはじめて対面。
13個の積み木を、3日に1個?1日に3個?積み
世界を導くように言われる。
マヒトは自分はうそをついてきた。頭の傷のことも。
そんな自分は役目を引き継ぐ資格はないと言う。
大爺が良い世界にするも、悪く醜い世界にすることも
できる。このまま元の世界に戻っても辛く、むなしい結果が
まっているだけだ。
しびれを切らしたインコの王様が積み木を適当に積む。
こんな積み木で世界の情勢を決められてたまるか的な事を言う。
積み木が崩れ、下の世界が崩壊する。
マヒト、ヒミ、アオサギが時の回廊を抜け、
番号のついた扉の廊下へと向かう。
若いキリコがナツコを見つけ、番号のついた扉の廊下に向かう。
マヒト、アオサギ、ナツコは元の世界に。
ヒミと若いキリコは過去の世界へ。
元の世界に戻ったマヒトはアオサギから
何で下の世界の記憶があるんだと問いかけられる。
なんか厄介なもの?もってないかと聞かれる。
ポケットからキリコの人形がおばあのキリコに
代わる。積み木の石が出てくる。
記憶は早く忘れろと忠告される。
3年後、戦争は終わり、都会へと戻るマヒト達。
ようは全部のジブリ映画の要素を1つの作品にまとめて
作ったらこの映画ができたということです。
風立ちぬのようなリアリティ要素、
トトロや千と千尋の神隠しのようなファンタジー要素、
風の谷のナウシカやもののけ姫のような自然と人間との共生、
魔女の宅急便やハウルの動く城のような心の成長や葛藤など。
面白いかどうかと言われたら、なんとも言えない。
ジブリ特有の表現や見せ方、話の流れや教訓、
教えや人生哲学等、ジブリ映画をたくさん見ている人
ならあるあるなシーンや場面があり、
ジブリファンなら理解できる表現方法がある。
それを楽しめるかどうか。まわりくどい言い回しや
シーンを許容できるかどうかで
面白いかどうかが別れると思う。
主軸は、マヒトの心の成長物語なので
シンプルだけどジブリなので良くも悪くも
一筋縄ではいかず、わかりにくく作られている。
個性豊かなキャラクターが多く、物語に集中しづらい。
なんの説明もなく新たな重要人物が出てくるので、
置いてけぼり。
重要そうなナツコもそれほど掘り下げず
ナツコをエサにマヒトが右往左往する展開。
マヒト、アオサギ、ヒミ、大爺だけの話を
聞いておけばよいです。
補足
ペリカン 自己犠牲、母性の象徴
サギ 神の使い、再生の象徴
インコ 知性 家族の絆 明晰さ
アオサギの声が太田光かと思ったけど、
エンドロールで名前が無かったので誰だったんだろう?
考察厨に見て欲しい
かなり色んなことを考えさせられる作品だと思うのですが、難しいという感想だけで終わるのは余りにも悲しいので、人生で初めて映画のレビューを書きます。出来れば、最後まで読んでいただきたいです。
この映画の主題は、人間がやっていることを動物(インコ)がやっていると怖いと感じることの人間側の矛盾、おかしさだと考えました。
人間は鳥や動物に対して本能で生きていて言語も火も使えないという点で人間のほうが上だと考えています。けれど、鳥が喋れたら?道具も火も使えたら?人間が動物にしているように相手も道具(包丁)を持って集団で取り囲み、自分の食欲を満たそうとしてきたらどうでしょうか。人間は、恐ろしい、怖いと感じるでしょう。でも、人間がこれまでやってきて、これからもやって生きていく事です。この映画を観て、鳥が怖くなったという人、たぶん毎日肉を食べていると思いますが、自分のことは怖いと思わないのですか。漁師さんや、養豚場の人には怖いと感じるのでしょうか。「お腹に子供がいるから食べない」と言ったインコの方がまだ優しいと思います。だって、人間は卵も食べていますし、食べるためだけに育てていますから。
他にも、食物連鎖についても描かれていました。誰かの味方をしようとしても、相手にも相応の理由があるので、どちらか一方の意見だけ聞いて味方をするのは良くないという事を観ながら考えていました。
最後に、私も世界を作りたいと思ったし、一瞬出てくる怪我を負っているペリカンが好きです。
大好きな宮崎駿へ、愛をこめて。
比喩と暗喩に満ちた場面の連続だが、メッセージは明解だと感じた
映画「メッセージ」とテレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」とキューブリックの「2001年宇宙の旅」を足したようなメッセージ性と、背景はルネ・マグリットの絵画や飛鳥の石舞台のような様々なメタファーに彩られた、美しい映画でした。
ただ、監督が伝えたかったメッセージが上手く描き切れたのかというと、消化不良だったのでは…?という気もします。
でも私はこの映画のことは嫌いではありません。
マヒトは、小さな嘘をつく矮小な自分を認めることができて、やっと欺瞞と暴力が渦巻く世界と対峙する決意をしたんですよね。
ナツコはおそらく姉(マヒトの母)に対して引け目があって、姉の授かり子のマヒトと向き合う責任から逃れたかったのではないかな。
ヒミは、自分が死ぬことがわかってても、マヒトをこの世に産むことを選んだ。マヒトと出逢った異世界での期間が、きっと神隠しにあった1年だったんでしょうね。この辺が、子供が死ぬことがわかっていても子供を産む決断をした「メッセージ」の主人公を彷彿とさせました。個人的に。
ヒミは「火は怖くない」というセリフを言いますが、火は生命を燃し、また新しく命を生む役割もあることからでしょうか。
私たちがこの世に命があるのは、絶対ではない。キリコのいた海は子宮で、白い生き物は精子。らせんを描くのはDNAそのものですね。この海での出来事のように、もしかしたら私たちは、あの世にいるときに、誰かに選ばれて生まれたのかしれないし、自分で選んでこの世に産まれたのかもしれない。
陳腐な表現ですが、生命というのは神秘で、人間だけではなく数多の命は全ておろそかにしてはいけないよという、メッセージを感じました。
そこに気がつくまでのマヒトは劇的な変化はみせません。そこにもどかしさや物足りなさを感じる人もいるでしょう。セリフは極力そぎ落とされ、ほとんどのシーンは抽象的です。
大叔父が持つ隕石は、地球に生命をもたらした象徴?大叔父がもっていた13の積み木の数字「13」は、キリスト教でいうところのユダで、すなわち「神に背を向けた男」ということでしょうか。大叔父は、長年行方不明になったままなので、この生命の渦のような世界で、神ではないのに神のような力を持ってしまった者なのかもしれません。戦争を経験した大叔父は、苦しみや悲しみを生む人間界そのものの行く末を、子孫に託したかったのかな?と思われます。
インコは…生命のバランスを欠く、恐ろしい外来種の象徴でしょうか(笑)?
私の推考が正しいのかどうかはわかりません。この映画の背景にある全ては、監督の頭の中だけにあるのでしょう。
ただ、そもそものメッセージはシンプルなものの、そこに至るまでのストーリーが面白いかというと、それほどでもありません。
ただ、最後まで観ることで、じわじわとこみ上げるものがありました。
特に場面場面で思わせぶりな表情を見せるキャラクターの繊細さ、和洋折衷なのに美しい色彩の世界は、もう一度みたいと思わせる中毒性があります。
小中高生より、ある程度人生経験を積んだ大人のほうが、胸に訴えかけるものがあるかもしれません。
我々は映画を観るのではない。宮崎駿を観に来たのだ
普通に面白かったです!!
今の宮崎監督でゲド戦記を作って欲しい
同タイトルのヒット本とはほぼ関係がないですね。
親(主に父)から離れて冒険に巻き込まれる形、その中で異形のもの達との友情など育まれたりと、おなじみのテイストが健在。
なので集大成と言われてるのかもしれない。
これまでの、ナウシカやもののけ姫のような外へ向かうものではなく、千と千尋やトトロなどどちらかと言えば内へ向かう方向性の作品。
内とはいえ、監督の年齢を思えば次々とめぐり来るイマジネーションの豊かさに驚きを禁じ得ない。
マザコンなのは昔から有名なところで、それを逆手にでもとったような感じもある。男性にとって母親というのは大きな存在なのですね…。
己の中の悪意を認める点から、今の監督にゲド戦記を作り直して欲しいなとチラと考えた。
もちろん現実には無理だろう。
追記で。戦争当時、兄が戦死して兄嫁と弟を再婚させることは珍しくなかったのは知っています。当時寡婦になったからといつても実家に美の置き所もなかったのが実態とも思います。
しかし男女逆パターンはどうだろうか?
嫁は頑丈で沢山子をうみ、よく働くことが理想とされてた時代に、体が弱く亡くなった妻の妹をわざわざ選ぶ。それも妻が死んだ翌年には既に妊娠させてる。ストーカーにも似たものを感じて少しゾッとしましたね…。
娯楽作品として見たか芸術作品として見たかで評価が分かれた気がします。
ジブリ最強期に子供でよかった……以上。
最初にものすごく感じたのはラピュタと千尋とハウルともののけをMIXしてみた!って印象でした。
シンプルにつまらなかったです。
途中咳が止まらなくなり、他の人のご迷惑になるなと、退場しようかな、この映画ならまぁいいかと思った自分に対し、ジブリ映画なのに?と悲しい気持ちになりました。
私がジブリに出会ったのは本当に幼少期の頃で、TVでナウシカ、ラピュタ、魔女宅、紅の豚、トトロをそれこそ頭おかしいくらいに観て育ち、小学校中学年くらいに友達と友達のお母さんとポンポコ観たのが映画館では初でした。本当にジブリ作品、宮崎駿監督の作品が大好きで生きてきて、嫌な予感と期待を混じえながら久々に鑑賞し、現在動揺しています。
こういう時、力になるのが鑑賞された皆様のレビューを拝見し様々な考察を見ることなんですが「宮崎駿監督自身の事を作品にした」というのをみて納得し非常に腑に落ちました。
だが、しかし、評価としてはコレです。
それは揺るぎません。
意見として庵野監督の影響を受けているとあり「それだ!」と思ったんですが……シンエヴァを観て「酷いな……」って思った方々……おそらく今回のジブリもそう感じたのではないかと思うんですが如何でしょう?
個人的な見解なので賛否両論あるとは思いますがあえて吐き出します。庵野監督が自分の事をエヴァという作品にのせた事に対して「え」ってなりました。ただ、本人にとってはスッキリした事なのはよくわかります。ただ宮崎駿監督がまさかそれと似たような事をするとは…私は庵野監督のファンではないのですが宮崎駿監督のファンなので今エヴァファンで同意見を持った友人の気持ちが少しわかった気がしました。なるほど胃が痛い……
世間や社会にとって大変大きな存在であり、凄まじい渦の中で素晴らしい作品を作ってくれたので否定する気はしないですしずっと大好きですが、スタジオジブリ作品で育った者としてはやはり一個の作品としてはこの評価しかつけられませんでした。
他の方のレビューにもあった通りこれで本当に引退なのだという事を真摯に受け止め、とりあえずジブリパークにでも行こうかと思います。
瑞々しい
肉体は老いるけど、魂は老いることはない。表現の可能性に限界はない。
作画の美しさと動画の躍動感、キャラ設定の面白さなど、一線を退いたと言われる宮崎監督だけど以前と変わらぬクオリティーを見せてくれた。
久石譲の音楽も相変わらず良い。
おそらくテーマは人間の悪意ということだと思うんだけど、ファンタジーに寄りすぎた結果、プロットがぼやけてカタルシスには至らなかった。それでも幻想的な表現の切れはさすがで、ほれぼれするようなシーンが多々見られた。彼岸と此岸を行き来するような感覚は、宮崎版「銀河鉄道の夜」じゃないかなと思ったりして。
死後の世界や潜在意識の根底に漂うイメージなど、人の意識の深いところから引き出してきたような作画の幻想性は、シュールレアリズムの画家を思い起こすこともあり、また、マルチバース的な世界観はアベンジャーズに通じるところもあって、作品を鑑賞する面白さにあふれていた。
映画タイトルからのイメージに反して
タイトルの元ネタになっているのは吉野源三郎さんの書いた児童に向けた人生指南書なので、まさか高齢の宮崎駿監督が子どもたちに道徳教育のための映画を作るような心境に至ったのでは・・・と思ったけど、ちっとも説教臭いところのない、爽やかで楽しい映画でとても良かった。
元ネタの小説も少し登場していてうれしかった。
昭和初期の上流階級の家庭の暮らしぶりも面白かったし、主人公が旅する地下の世界の、過去のジブリ映画をところどころ思い出させるファンタジックな世界観もよかった。
前作の風立ちぬは大人が主人公だったけど、やっぱり子供が主人公の映画のほうが宮崎駿監督の作風にあっていて楽しく見れると思った。
インコの軍隊とかワラワラとか、癖があってかわいいキャラクターがたくさんいるのに、映像が内緒にされてるのでキャラクターのグッズがしばらく販売されなさそうなのだけは残念。
いつかは映像公開してもらって、たくさんキャラクターのグッズがほしい。
宮﨑駿のラブレター
端的に言えば、「吾朗、後継ぎはお前!」に尽きると思う。
恐らく、大叔父=駿。「血を継いでいる人間を後継ぎにしたい」という発言は駿から吾朗へのメッセージだと思う。
塔(積み木)=アニメの世界で解釈すると、大叔父(駿)が塔に魅せられ、その世界にどっぷり浸かり、殿様となった流れがすんなり入ってくる。だから、所々に過去作のオマージュが挿入されてるのかも。
そして大叔父の積み木の崩壊は駿(ジブリ)の時代の終焉を意味しているのではないのかなーと思ったり。
真人(吾朗)は、今後自分の積み木を実直に積み上げていくのだと思う。
偉大な人間の後継ぎはいつの世も揉めるんですかね。。
どう生きるか、監督はヒントを遺してくれたのか
初レビューです。映画として、点数をつけなければならないのは難しいですね。
君たちはどう生きるか、観ました、2度。
劇場で泣いてしまったんですが
それは「感動」とかそういうものじゃなく
「宮崎駿の死を感じた」
「これからきっと恐ろしい時代がやってくる。宮崎駿が生きた時代よりもっと恐ろしい時代が。その中を生き抜く覚悟をしなければならない」という
2つの恐怖からの不浄な涙でした。
2,200円と4時間使って理解できたのはほんの僅かです。
少なくとも、宮崎駿が我々に問うのは
「君たちはどう生きるか」
これに尽きるのだと思います。
いや「コレだけなら映画観なくても解るだろ」と言われそうなので、言葉をつけ足すと
「俺(宮崎駿)はもう死ぬけど、
で、これからは俺の時代(戦後)以上の苦難の時がやってくるだろうけど、その荒波を
君たちはどう生きるか」
という問いかけ、ではないかと。
もっと言えば
「覚悟しろよ、焼け野原を知らないガキども」
という脅しのような揺さぶり。
我々ガキどもは、この先の荒れる時代を「どう生きれば」良いのか、勝手ながら考察させて頂きたいと思います。
前提として、観客の教養が試されます。
「戦争が始まって3年、4年」「冒頭の空襲警報ください」「サイパン」などのヒントから作中は1944年なのだと、瞬時に理解できるくらいでないとどうしても置いつき辛い部分があります。
それでいて「感受」のアンテナも常に張り続けなければなりません。意味ありげなシーンは7割は実際に何か意味があり、残り3割は「意味がない」ことを意図している、と感じました。シーンの伸びとは裏腹に、視聴者は考えることが次々起きて非常に疲弊します。
今までの宮崎監督作品は「娯楽としても楽しめる」ラインを守ってこられたように思いますが、今作は娯楽面を一切捨ててます。覚悟無しに観ることはオススメしません。娯楽映画が観たければ、スーパーマリオムービーを鑑賞することを強く推奨いたします。
宮崎駿監督は御年82歳、死がテーマに上がるのは当然の気もしますが、自分なりに根拠もあるつもりです。
主人公の真人が、青鷺に誘われて迷い込む「塔」の中、「海」が広がる世界。
このファンタジー世界では、ジブリファンがどこかで観た光景が手を変え品を変え出てきます。
海で会う「黒い人影」は「千と千尋」の「列車の乗客」のようで、
白く可愛い「ワラワラ」達は「もののけ姫」の「こだま」にそっくり、
真人が塔を登る時、「外壁を這うツタが剥がれ、あわや落下」というシーンは「ラピュタ」でも見られ
(うまそうなパンを食う、もラピュタですね)
とにかく宮崎映画の総決算のような演出のオンパレード。
(個人的には、インコたちの「歓呼三声!」「ラァー!」「ラァー!」「ラァー!」というのが、
まんま「漫画ナウシカ」の「クシャナ殿下と部下達」でツボでした。)
コレは宮崎ファンへの最大級のファンサのように受け取れるのですが、一方で違った見方もできます。
「このファンタジー世界(ペリカンは地獄とまで呼んでいる世界)」は「宮崎駿が作った世界」であり「宮崎駿」そのものだと。
物語のラスト、塔の崩壊こそ「宮崎駿の死」の暗喩ではないか、と。
また、塔の崩壊についてはダブルミーニングだと思っていて、コレは「現実世界」でも、同じようなことが言える気がします。
いや、コレはもっと残酷な現実を突きつけられている気さえするんです。
作中は1944年、第二次大戦末期の混沌の中でしたが、この時でさえ「石の積み木」は「揺れている」に留まっていたんです。
積み木が崩れたことを「敗戦」と読むことも出来ますが、
では「積み木の揺れ」はもう終わった過去の出来事なのでしょうか?
寧ろコロナ以後、世界の「積み木」は揺れに揺れていると思います。
今まさに崩れかかっているとさえ。
宮崎駿監督からの警告のような気がするんです。
「積み木は今まさに崩れようとしている」と。
纏めると
「俺(宮崎駿)はもう死ぬけど、
で、これからは俺の時代(戦後)以上の苦難の時がやってくるだろうけど、その荒波を
君たちはどう生きるか」
という問いに見えてくるんです。
少し悲観的過ぎる気もしますが、我々はこれくらいの覚悟が必要なのかもしれません。
ではその崩れかかった世の中を、我々は「どう生きれば」良いのでしょうか。
答えのない問いです。だから難しい。
でも、宮崎駿は少し、ヒントを遺してくれていると思います。
それが真人の答え「友達を作ります」。
もちろん直接的な意味だけにあらず、この答えは
「結束を深める」という意味に受け取れます。
宮崎駿はいわゆるアカ的な人なのでこういう(団結せよ的な)表現がしっくりきますが、もっと単純に
「他者との絆を大事にしよう!」
と解釈してもいいと思います。
単に「真の友を見つけよ」でも良いんです。
恋人でもなんでも、自分を認めてくれ、自分も相手を認められる相手を。
そしてもうひとつ、大事なのが「ウソつきの青鷺」。
作中では何度も、「この世は正と邪だけではない」ということが描写されます。
自分を襲い、ワラワラを食べるペリカンも「食う魚が無く、生きるためにワラワラを食べていた」こと。
ペリカンを追い払うヒミもまた、ワラワラを燃しているという事実。
恐ろしい「インコたち」にも生活があり、互いに支え合ったり、同じ釜の飯を食ったりしながら、卵を大切に温め、インコの命を育んで生きていること。
そして勿論、「自分を騙して母の死を穢したウソつきの青鷺」と共闘し、最後には「友達」と認め合うこと。
ラストシーンでは色とりどりのインコたちが、フンを撒きながら美しく飛び立って行きます。
これ以上無いくらいわかりやすく、「この世は浄も不浄もある。穢れていて、それでも美しい世界」を描いています。
真人が学んだ一番大きな事は「この世は穢れていて美しい、カオスなもの」だということです。
「人間とは慈しみも汚い嘘もある、カオスな生き物」と言い換えても良いでしょう。
真人は自分でキズつけたこめかみを「自分の悪意の証」と言って「(悪意のないまっさらな石に)触ることは出来ない」と言いました。
そして元の世界、奪い合う穢れた世界で生きる決意をしました。
青鷺は最後、「あばよ、友達」と言って真人の元を去りますが、実は真人の元に残っていると思います。
何故なら「全ての青鷺はウソつき」だから。
勿論青鷺としてではなく、「真人のウソつきの部分」として、真人の中に残り続けるのだと。
真人がついた嘘とは?コレは自分の我儘のためについた「こめかみの傷」のことではありません。
産屋で、夏子に言った「夏子母さん!」のことです。
あれは真人と夏子のわだかまりが解け、真実の家族になるシーンだ!あの言葉が嘘なわけない!
と思う方もいるでしょう。
でも、あれはきっと真人が学び身につけたウソ、方便なのです。
だって最後に時の回廊が崩れ現実世界に帰るその時まで真人は「母さんに生きていて欲しい」と願うのですから。
少なくとも真人の中で「久子(ヒミ、母)と夏子が完全に置き換わる」なんてことは無いんです。
それでも「夏子母さん」と呼びかけたのは、真人からの歩み寄りであり、何より「自分についたウソ」なのです。
そして、「ウソ」こそが真人の一番の成長だったのだと思います。
青鷺は去ったように見せても、真人の中に残る。
「ずるくても、賢く、ウソをつける真人」として。
そして何より、生きろ。
作中で、唯一明確な殺意を真人に向ける存在がいます。インコです。喧しく好き好きな声で鳴くインコは
宮崎視点で言えば観客や批評家のことだと思われます。
でも、単純に自分が感じた鬱陶しさをわざわざ映画に落とし込んだわけじゃないと思うんです。
勝手ながら、自分ごと化してもこのたぐいの輩は存在します。悪質クレーマーや理不尽な上司など。しかし、近年最も数が膨らんだインコたちは「SNSの第三者」ではないでしょうか。彼らは彼らの理屈で武装し、他者を寄ってたかって攻撃します。多様性に富むような色をしていても、色は4色顔は均一の喚きながら包丁を振るうインコです。
「妊婦は食わない」「産屋に入るな」など、こちらには意味不明な理屈でもインコ理論にとっては大罪であり、禁忌侵す者殺すべし、というのは、近年のSNS等で見られた事象であり、つい最近にも悲しい出来事がありました。
現実でも崖際まで追い立てられている人がいたら、この映画を見て欲しいです。
宮崎映画にとって何より重要なのは、生きることなのです。
「この世は美しくもあり不浄でもある。みな罪を背負っているかもしれない。人それぞれ生き方も違う。自分が如何に穢れていても、やはり生きるのは素晴らしい。生きよう」
というメッセージは、1990年代のもののけ姫や漫画版ナウシカ等から風立ちぬ、そして君たちはどう生きるかに至るまで、宮崎氏の中で不動のテーマなのだと思います。
――――――――――――――――――――――
宮崎駿は要するに
「ずる賢くてもいいから、上手く生き抜いてみせろ、そして、真の友を見つけろ」
と、我々に、「どう生きるか」のヒントをくれたのだと思います。
感じ方、考え方は人それぞれです。まだ私も、この映画のすべてがわかったとは到底思っていません。
また、同じく映画を観た方と意見を交えることで見方が変わることもあろうと思います。
なのでぜひ、簡単にでも良いので、一人でも多くの方の感想に触れたいです。
宮崎駿のやりたかったこと全部乗せ!最高!
私は小さい頃から宮崎駿監督が大好きで宮崎駿監督で育ちました。未だにジブリが大好きでこれまでのジブリ作品も何度見返したかわかりません。
映画が始まる前は絶対に1回で理解してやるという意気込みとドキドキ、緊張のしすぎでトイレに2回行きました。何本か予告を見ましたが、何にも覚えていません。そこから上映開始2分で、ああ私はこれからすごいモノを見させられるんだと思い興奮し泣きました。そしてジブリらしいアプローチのストーリー展開にワクワクさせられました。もうこの時点で次の回も見ちゃおうかな?と思わされる。何度も見たいヲタモード発動します。
キリコのキャラ設定も登場序盤から気になる存在になっていて本当に素晴らしいと思いました。また、菅田将暉さん、あいみょんさんの声優は私自身初めてでしたが、本当に素晴らしかったです!ハマりすぎです。
演出的には「あ、今の。あの映画のあのシーンに似てる」と思えるシーンが満載で、あのシーンが今のクオリティで見られることに感激しまた泣きました。そうなるとあのシーンはあれが最頂点なのかなとか思えたり。なかなか沢山のことを考えながら見ていました。最後、アオサギがじゃあな、と去っていくシーンでは巨匠がこれで本当に去っていってしまうという寂しさが押し寄せてきてまたまた泣きましたし、EDでは米津玄師さんの歌を天を仰いで泣きながら聴かせていただきました。最高でした。上映後も泣き止むことが出来ず、トイレにこもって泣きました。
私にはこれが最後の作品にしたいという監督の気迫が終始ビンビンと伝わってきてしまい、宮崎駿監督の集大成をIMAXのハイクオリティで見させて頂けていることにも感激でずっと泣いてしまっていたので本来の映画の楽しみ方が出来ていないのかもしれません笑。
この映画では、主人公眞人がタイトルとなった本を読むこと、キリコに労働を教わること等で自分以外の人の気持ちを知っていきます。芸能人への過度な誹謗中傷などもそうですが、この世の中にはなかなか受け入れられないこともたくさんあるけど、そこまで否定出来るものだろうか?自分は?どう?相手の気持ちに立って考えてみれば分かることだってあるよ、と宮崎駿監督に最後に伝えられた気がしています。ありがとうございました。上映中にあと何度か行く予定なので、また感想を書かせて頂きたいと思います。ジブリヲタの感想でした。長々とすみません。
結局どーなの?って思ってたら見て。
映画とかアニメで意味わからないことが起きても「これはそういうもの」って受け入れられる人なら見れる映画。
観ながら考察してたし、何を伝えたいのかとかはその都度理解した上で、「これはそういうもの」って思えないと見れないなと思った。
あと、ぶっちゃけタイトル詐欺みたいな感じだなって。
タイトルから内容考えない方がいいし、タイトルから期待しない方がいい。
見た感想的には面白くもつまらなくもないっていうのが正直なところ。人生観を語ってくるわけでも無いし、むしろジブリ現代ファンタジーって感じでずっと悪夢を見てるような気分だった。伝えたい事は理解出来たって言ったけど、それが全部繋がらない。欲張りセットした感じ。
観たからって何かメッセージ性を感じたかと言われれば何も感じないし、理解した上で「何だこれ」って思った。私はおすすめ出来ない。金ローとかでやった時に見るくらいが丁度いいのでは?と思う。ただ、ジブリファンタジーが好きな人は観ても良いのかもと思う。
最後に、結局気になるけどどーしよってなった人。
どーせ気になるなら見に行こ。ただ、ポップコーン片手に観るくらいが丁度いい映画だってことは覚悟した方が良いかも。
面白い!ぜひ見るべき!
全2096件中、1241~1260件目を表示









