君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全2096件中、1221~1240件目を表示
『君たちはどう生きるか』の批判者について考えてみた
『君たちはどう生きるか』で言っておきたいこと二つ、三つ。
否定的な意見が多い理由について。
やってることは、宮崎駿のフィルモグラフィーにおいて、『千と千尋…』の頃から同じ、テーマ的にも映像・演出的にも、詰め込めるだけ詰め込んだ「全部乗っけ」の作品。
この作品だけが酷評されるのはおかしい。
でも、この作品が批判される理由は、よくわかる。
作品内容ではない、観る者に原因がある。
なお、私はそんなにまで、ムキになってかばう程のジブリファンではない。
むしろ、ラナやシータやクラリスを苛める、宮崎駿のいじわるロリコンっぷりが嫌いだった。
ロリコンはロリコンを嫌う。
スタンド使いはスタンド使いと引かれ合うとは逆の標語ですね。
さて、…『千と千尋』以降の、『ハウル』『ポニョ』『風立ちぬ』には、全方位に向かって喜怒哀楽を満足させようとしてくる、宮崎駿のスキゾっぷりがあった。
入れるテーマ、モノは全て入れてある闇鍋カオス状態みたいな内容だった。
でも、ちゃんと面白かった!
では、『君たちはどう生きるか』はどうか?
その違いは、鈴木敏夫プロデューサー主導の、宣伝なし・予備情報なし、の秘密戦略があった。
これにより、これまでの作品の豊富なスポンサーによるヒットを援護する宣伝がなくなった(今作において興行収入的には作戦成功)。
例えばテレビCMなどでの「ハウス食品は、スタジオジブリの新作『ハウルの動く城』を応援します」などがなくなり、つまり、その、CMなどで視聴者に印象付けられる、作品の一部紹介によって醸される【方向性】が一切なくなった。
ああ、これは、こんな話なんだ、と思わされることがなくなった。
⚪︎少女が迷い込む世界での成長
⚪︎おばあちゃんになっちゃった娘を愛してくれる魔法使い
⚪︎海の女王の娘が人間の男の子を好きになっちゃった
⚪︎空に憧れた青年が、航空機の設計士となり、病弱な奥さんとともに、戦争に突入していく
かように、まあ、見る者は、一行で語られるような話の方向性が、CMなど、もしくは作品紹介の数十秒の映像でナレーションとともに植え付けられる。
…だけども、そう言った事前情報がないことによって、映画を「誘導者」なしで観ることになり、自分の観点が進むべき、物語の方向性の道筋を、自ら探す訓練の出来てない者は戸惑ってしまい、つまらなく思えてしまう、のだろう。
いや、先程の一行概略以上に、「千と千尋」以降の宮崎アニメは、凄まじいギミック、サイドストーリー、色彩に彩られる。
そして今回、10年ぶりの宮崎駿の長編新作である。
SNSは、多くの問題をはらみつつも、熟成の時を迎えている。
ホームページ、ブログ、フェイスブックの時代からの意見者は高齢ともなり、批判はあまりしなくなっている。
良いとこを取り出した方が、残り少ない余生を楽しめるからだ。
でも、ツイッター、インスタなどの、比較的新しい、波及力のあるSNSでは、まだまだ、それを活用する者は「若い」「青い」、これは年齢のことではない、批評歴の浅さのことだ、そう言った人は、批判からはじめる。
批判できる自分に優越感を感じている側面もあろう。
巨匠にもの申しちゃう、しちゃえる自分、と言う優越感。
【10年ぶり】の宮崎アニメ新作は、その、恰好のマトになったとも言える。
わからないってことは、なかなか恥ずかしい側面もあるけど、わからないわからないと、それを根拠に批判できちゃう凄さ!
うらやましいほどの、それは「若さ」だ。
で、今回の宮崎駿の新作を見て、それぞれが下した判断こそが、「君たちはどう生きるか」なんだよなぁ。
さて、ちょっと作品内容に触れる話も書いておく。
大おじ様は、不思議な塔の中の世界を左右する、神のような存在であることに専念していた。
異世界に没頭していた。
だが、その世界は終わりを迎えようとしていて、次に、自分の血縁である若い主人公・眞人に、塔の中の世界の管理者を任せよう・移行しようとした。
これは、『エヴァンゲリオン』での、人類補完計画を推進した碇ゲンドウと、現実世界は辛く厳しいけど、そこに戻そう・戻ろうとするシンジ君と重なる。
宮崎駿監督は、この作品でも、まだまだ若く、貪欲で、昨今の流行りの作品に全方位で戦いを挑み、故に、こうしてエヴァも例外じゃなく取り込んでいる。
で、眞人も、シンジ君のように、ファンタジー世界で生きようとはせずに、家族で生きるに辛さもある…、戦争も激しくなる世界に戻って行く。
「君たちはどう生きるか」の答えを出すわけだ。
そして、ファンタジー世界で知り合う、若い頃の母親(不思議の国に迷い込んでいたエプロンドレスのアリスのような美少女)も、確実に死ぬ運命があるのに、【自分が亡き後の世界に希望を見い出し】、自分の現実・時代に戻っていく。
嗚呼、書いていてホロッとしてきた。
この、お母さんのパート、『想い出のマーニー』みたいだし、『まどか☆マギカ』みたいだし、
いや、これだけでなく、凄まじい数の既存作品に、宮崎駿は、若さをもってして、全方位に戦いを挑んでいる。
それは、「俺も、この程度なら同じふうにやれるんだぜ」ではなく、「俺なら、そのテーマをこう表現する、凄いだろ?」の、力を見せつけてきている。
宮崎監督、今作から、宮崎の「崎」の字を改名している。
ザキの右上の作りが「大」の字から、「立つ」の字になっている。
最初みたとき、なんか違和感を感じて、僕は、自分がゲシュタルト崩壊したのかと思っちゃいました。
しかし、これは、うげっ! 😵
新生・宮崎駿の爆誕を意味します。
この人、まだまだ、これから、やるんですよ。
なお、「千と千尋」以降の、混沌混濁した、とっ散らかされた、しっちゃかめっちゃかの宮崎作品ですが、
海外では大ヒットする可能性があります。
それは、海外版だと字幕になるからです。
難解と言いますか、庵野監督の「エヴァ」もそうですが、数々の読み解きを必要とする「千と千尋」以降の宮崎アニメですが、わりと細かいセリフで筋を通してはいるのです。
物語とセリフを詳細に考えていくと、なるほどと納得も出来るのです。
字幕は、その咀嚼により、記憶への定着が深い。
だから、海外での字幕での鑑賞で、評価が高まる可能性がある。
(追記)
と、ここで、新しい情報が入りました。
アメリカなどでは、海外のアニメの上映は、吹き替えが主流なんだそうです。
それじゃ、日本人が日本で鑑賞するのと、まあ、さして変わらない環境なんだね。
ありゃま、俺の終盤の主張が根本から覆された!
宮崎駿を楽しむ
宮崎駿の好きが詰まった作品
宮崎駿監督は、起承転結のあるお話なんて、もう描きたくないのだそうです。
自分の作品の大衆性が低くなっていることは、自覚しておられるのです。
もう晩年です。好きなように描いたことがわかり、胸に迫ります。
(同時にこれまでの作品がやはり受けを意識して成功しているというすごさがわかります)
見ているだけで楽しいアニメーションは健在です。
素晴らしい映像でした。笑いどころもいくつもありました。(インコww!)
本当に、新作が見れたというだけで幸せです。
そこまで興味ない方も、米津玄師の曲を映画館に聞きに行くだけで、価値があると思います。
宮崎駿のイマジネーションが炸裂
本作は元々は同名の小説からインスパイアされたということだが、基本的には宮崎駿の完全オリジナル作品となっている。
ただ、後で調べて分かったが、元となった小説(未読)は主人公の少年と叔父さんのやり取りを中心とした青春ドラマということである。本作にも主人公・眞人の大叔父がキーマンとして登場してくるが、おそらくこのあたりは小説からの引用なのだろう。眞人は大叔父から”ある選択”を迫られるが、これなどは非常に重要なシーンで、正に本作のテーマを表しているように思った。穿って見れば、それは宮崎監督自身から観客に向けられたメッセージのようにも受け止められる。「君たちはどう生きるか?」と問いかけられているような気がした。
映画は東京大空襲のシーンから始まり、眞人の疎開先での暮らし、家庭や学校の日々がスケッチ風に綴られていく。不思議なアオサギが度々登場して眞人をからかったりするのだが、それ以外は極めて現実的なシーンが続く。
映画は中盤からいよいよファンタジックな世界に入り込んでいく。眞人の不思議な冒険の旅は先の読めない展開の連続でグイグイと惹きつけられた。
ただ、ここ最近の宮崎作品は、前作「風立ちぬ」は例外として、理屈では説明のつかないエクストリームな世界観が突き詰められており、本作も例にもれず。宮崎駿の脳内が生み出した摩訶不思議なテイストが前面に出た作品となっている。そこが人によっては難解で取っ付きにくいと思われるかもしれない。
そんな中、個人的に印象に残ったのは、ポスターにもなっているアオサギのユーモラスな造形だった。鳥のようでもあり人のようでもあり、得体のしれない不気味さも相まって強烈な存在感を放っている。最初は眞人と対立しているのだが、一緒に冒険をするうちに徐々に相棒のようになっていく所が面白い。
また、終盤の大叔父との邂逅シーンには、「2001年宇宙の旅」のような超然とした魅力を感じた。宇宙の誕生と終焉を思わせるビジュアルも凄まじいが、何より”あの石”に”モノリス”的な何かが想起されてしまい圧倒された。
他に、魂と思しき不思議な形をしたクリーチャーが天に向かって飛んでいくシーンの美しさも印象に残った。しかも、ただ美しいだけでなく、魂たちの向かう先には過酷なサバイバルが待ち受けている。これを輪廻転生のメタファーと捉えれば、生まれ変われぬまま朽ち果てていく魂もいるというわけで、その哀れさには切なさを禁じ得ない。
このように本作はファンタジックな世界に入る中盤あたりから、常識の範疇では理解できないような現象やビジュアルが頻出するので、ついていけない人にはまったくついていけないだろう。
なぜトリなのか?なぜ女中と亡き母親の容姿が変わったのか?なぜ積木なのか?等々。挙げたらきりがないくらい多くの謎が残る。
しかし、だからと言って本作がつまらないとは言いたくない。個人的には、その謎めいた所も含めて大変刺激的な2時間を過ごすことができた。
ちなみに、もう一つ本作を観て連想したものがある、それはバーネットの児童小説「秘密の花園」である。これも何度か映画化されており、自分は1993年に製作された作品を観たことがあるが、本作との共通点が幾つか見られて興味深かった。例えば、主人公が親を災害で亡くしたこと。トリに導かれて秘密の場所へ引き寄せられる展開。大叔父もとい叔父がキーマンになっていること等、共通する点が幾つか見つかった。
キャストについては概ね好演していたように思った。ただ、一部で違和感を持った人がいたのは残念である。ジブリはこれまでも俳優や歌手、タレントを積極的に起用し上手くハマるパターンもあったが、今回はそうとも言い切れない。
尚、本作は公開前に宣伝をまったくしなかったことでも話題になった。ジブリともなればタイアップやCMは引く手数多だろうが、敢えてそれをしなかった鈴木敏夫プロデューサーの手腕は大胆にもほどがある。もちろん宮崎駿のネームバリューのなせる業なのだが、この逆転の発想は革新的と言えるのではないだろうか。今の時代、全く情報なしで映画を観る機会はそうそう無いわけで、貴重な映画体験をさせてもらった。
集大成
盛り上がりに欠ける・・・・
ジブリという箱庭でこう生きたのか
自分は高畑勲が少し好きなので冒頭で、おお!?となった。
全体的に見ても高畑オマージュ部分の力の入れようは一線を画するものだったと思う。
受けた衝撃を作画に表したのだとすれば、やはりいつまでも宮崎駿の中での高畑勲は特別なんだなと思えて嬉しかった。
それ以降はもう、そういう視点でしか映画を見れなくて、この人物は宮崎駿本人で、これは鈴木敏夫っぽく見えるな。あれって…もしかして俺ら(視聴者)のことか?この子は息子、ワンチャン庵野かもな?笑
というふうに辿って見てたら最後笑ってしまった。
自分はジブリをそこまで詳しく知っているわけではないのでその程度だったが、ずっと追い続けてる人ならもっと深掘り出来るんじゃないかと思った。
一族の私的な大冒険
先週公開された映画「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。10年前に引退した宮崎駿が82歳になって製作した本作は、宣伝を一切行わないという宣伝を行ったため、自分は吉野源三郎の同名小説が原作と勘違いしていた。
吉野源三郎の小説は中学1年の時、地元の学習塾で小説家崩れの講師からプレゼントされ、夢中で読んだ記憶がある。あれから間も無く40年。映画はコペル君と叔父さんの交換日記ではなく、監督お得意の冒険ファンタジーだった。
宮崎駿が人生の最晩年に何を考え何を表現するのか、それはそれで興味深い。年寄りばかりが登場し躍動する本作は、過去の作品のオマージュと言うかパロディと言うか、集大成的な構成ではあるものの、次世代へバトンを託す意欲は感じられた。
また、舞台を戦中に設定しているが政治的・社会的な問題には踏み込まず、広大な宇宙空間や生命の死と再生を描きつつも、一族の私的な大冒険が最終的には子孫繁栄に収斂されているのも印象的である。
映画の評判は芳しくないようで「訳が分からない」とのコメントが目立つ。確かに訳が分からない。しかし、理解の容易な作品が好まれる昨今、あえて突っ込み所が多く、多角的で自由勝手な解釈を可能にしつつも、言わんとしている事は伝わる。
だから、自分は楽しめた。そして、これで終わりじゃないだろう。
宮崎駿らしさを楽しむ映画
この映画の私的解釈と、感銘
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『君たちはどう生きるか』を観ました。
結論から言うと非常に感銘を受けました。
しかし、この映画『君たちはどう生きるか』は、宮﨑駿(宮崎駿)監督が分かり易くは劇中で説明していないので、私的な解釈を交えて、なぜ私がこの映画を見て感銘を受けたのか、書いてみます。
この映画『君たちはどう生きるか』は、先の戦争中の日本が舞台です。
主人公・牧眞人は、戦争中に母・久子がいた建物が焼け、母親を亡くします。
その後、主人公・牧眞人の父は、戦争中に兵器工場で儲けます。
主人公・牧眞人は、疎開も兼ねて東京から父の兵器工場近くの母の実家の屋敷に父と共に越して来ます。
その時に主人公・牧眞人は、牧眞人の父が再婚した、牧眞人の新しい母・夏子に出会います。
牧眞人の新しい母・夏子は既に父の子を宿しています。
牧眞人の新しい母・夏子は、後に火事で亡くなった実の母・久子の妹であることが明かされます。
牧眞人が父と共に越して来た母の実家の屋敷には、離れに塔があることが分かります。
離れの塔は、本好きな優秀な大叔父が建てたと新しい母・夏子から説明されます。
牧眞人はこの新しい疎開場所で、学校の周りの生徒と軋轢が出来ます。
牧眞人は学校内の軋轢から逃れるために自分の頭を少し大きな石で打ちつけ、多量の出血をさせ、(口では否定しながら)周りの生徒から攻撃されたと父を含めて暗に伝えます。
ある時、屋敷の中でアオサギが牧眞人の前に現れます。
アオサギは、火事で亡くなったはずの牧眞人の実の母・久子が本当は生きていると伝え、何度も離れの塔に牧眞人を導こうとします。
その後、新しい母・夏子が離れの塔の付近で行方不明になります。
牧眞人は老婆・キリコと共に新しい母・夏子を探すために離れの塔の中に入って行きます。
牧眞人は塔の中でまたアオサギに攻撃を受けるのですが、以前に作ったアオサギが落とした羽を使った矢でアオヤギのくちばしを射抜き、アオサギを無力化させます。
くちばしを矢で射抜かれたアオサギは、サギ男へと変貌します。
映画をここまで見て、私的には3つの疑問が立ち現れます。
それは、
Q1.アオサギとは何なのか?
Q2.主人公・牧眞人が自分の頭を打ちつけ大きな出血をさせた意味とは?
Q3.大叔父が建てた離れの塔とは何なのか?
の3つの疑問です。
この3つの疑問は映画を最後まで見てもしっかりとした説明はなく明確な答えは不明のままです。
しかし、以下に(私的)解釈出来ると思われます。
A1.アオサギとは、世界から離脱したい欲求のメタファー(暗喩)だと解釈されると思われました。
主人公・牧眞人は、潜在的には実の母・久子が生きていて欲しいと願っています。
そして口には出しませんが、実の母・久子が戦争中の火事で亡くなった原因は戦争にあると思っていると感じられます。
さらに、父がその戦争に兵器工場の経営で加担していることも、暗に牧眞人には違和感があると解釈できます。
そんな父が新しい母・夏子と子を宿したことにも、牧眞人には違和感あると思われます。
牧眞人は、そんな世界から逃げ出したい離脱したいと暗に望んでいると思われます。
そして、牧眞人が世界から逃げ出したい離脱したい欲望のメタファー(暗喩)がアオサギであると解釈されると思われるのです。
A2.さらに、牧眞人が自分の頭を打ちつけ大きな出血をさせた理由は、(そんな世界に立ち向かわず)離脱したい行動の現われとして解釈出来ると思われます。
最後に大叔父が建てた離れの塔とは何なのか?
A3.(このことは後に明かされますが)離れの塔とは、世界から離脱した人達が、「悪意」のない理想的な世界のバランスを理論化し実現しようとする場所なのだと解釈できると思われます。
くちばしを矢で射抜かれたアオサギは、サギ男へと変貌しますが、その後、サギ男は主人公・牧眞人と老婆・キリコを離れの塔のフロアより1つ下の階層に導きます。
離れの塔より1つ下の階層には海が広がり、大量の帆船が漂っています。
牧眞人は島に流れ着き、「ワレヲ学ブモノハシス」と書かれた門を、大量のペリカンに押されて開けてしまい、ペリカンに襲われます。
しかし矢についていたアオサギの羽のおかげで、牧眞人はペリカンに食べられずに済みました。
その後、牧眞人は老婆・キリコの若い頃のキリコに出会い助けられます。
キリコは漁を行い、牧眞人と共に大きな魚のハラワタを取るなど解体します。
そして、白く小さいふわふわとしたワラワラにその魚を解体して出来た食料を分け与えます。
また帆船に乗ったのっぺらぼうの黒い乗組員たちは漁が出来ないことをキリコが説明します。
白いワラワラはキリコが与えた食料を食べて空へと飛んでいきます。
ワラワラはその後、上の世界、つまり人間世界に到達して人間の生命として誕生するとキリコは説明します。
しかしワラワラが地上に達する前に、大量のペリカンが飛んで来て空を飛ぶワラワラを食い散らかします。
それを阻止するために、海中からヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)が現われ、火でペリカンを燃やし空飛ぶワラワラを助けます。
ただ、その火はペリカンだけでなく、少なくないワラワラをも燃やすことになるのです。
ここで4点の疑問がわきます。
Q4.ペリカンとは何なのか?なぜアオサギの羽を持っていた牧眞人はペリカンに食べられなかったのか?
Q5.キリコが行っている漁の意味とは?
Q6.帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員とは何なのか?
Q7.なぜヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)はペリカンだけでなくワラワラも燃やしてしまっていたのか?
それぞれの答えの解釈は以下になると思われます。
A4.ペリカンは世界から離脱した(せざるを得なかった)ある一つの行きつく先のメタファー(暗喩)だと解釈出来ると思われます。
ペリカンは世界から離脱し追い詰められ、ついに人間生命の誕生(ワラワラ)をも食い散らかす存在として現れます。
そして、アオサギは世界から離脱したい欲求のメタファー(暗喩)です。
だからこそ世界からの離脱の存在としてアオサギと同類のペリカンは、アオサギの羽を持っていた牧眞人を食べることが出来なかったのだと考えられます。
A5.キリコの漁の意味は、自分たちが生きる為に生命を殺し対峙する、つまり世界に立ち向かう行動のメタファー(暗喩)として解釈出来ると思われます。
キリコの漁の肯定は、実は世界に立ち向かう人々の肯定につながります。
しかしこの肯定の先には、世界に立ち向かうための争いや、その先の戦争の肯定も暗に示しています。
つまり、キリコの漁の肯定は、牧眞人の父が世界に立ち向かい兵器工場で財を得ていることを延長線上で肯定しているのです。
A6.そして、帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員は、(世界に立ち向かうキリコの漁とは逆に)世界から離脱した存在の一つのメタファー(暗喩)と解釈できると思われます。
帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員は、同じ離脱の存在のペリカンのように追い詰められて人間の生命の誕生であるワラワラの上昇を食べ尽くすことはありません。
しかし帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員は、ペリカンと同じ離脱の存在として、(キリコの漁のように)世界に立ち向かえず、生命の殺傷から目を逸らし、ただ漁をしたキリコから食料を買い取る者として振舞っています。
A7.そして、ヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)は生命の誕生を守る母としてのメタファー(暗喩)だと解釈されると思われます。
しかし、ヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)は、生命の誕生を守る優しい理想的なだけの母という存在ではありません。
ヒミは、時に、生命の誕生のワラワラをも焼いてしまう、苛烈な母としてのメタファー(暗喩)でもあるのです。
映画が進み、牧眞人はヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)やサギ男らと共に牧眞人の新しい母・夏子を離れの塔の中でついに発見します。
この過程で新しい母・夏子が、ヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)の妹であることが明かされます。
離れの塔の中の新しい母・夏子は(お腹の中の胎児を含め)、牧眞人から拒絶されていることを暗に甘受しています。
そして、新しい母・夏子は、牧眞人の離れの塔からの救出を激しく拒否します。
その過程でも1つの以下の疑問が現れます。
Q8.インコの存在とは何なのか?
A8.その答えは、インコとは、離れの塔の離脱した世界で、新しい理想的な世界を反転的に構築しようとする集団のメタファー(暗喩)であると解釈出来ると思われます。
インコは、帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員らとは違って、キリコのように命を殺生することが出来ます。
しかしインコは、キリコとは違って、個々の生命(世界)に対峙しているとは思えません。
インコは、個性を無くした組織的な集団としてオートマチックになることで、個々の生命(世界)に対峙することなく殺生することが出来ているのです。
それが、世界からの離脱を経て、”新しい理想的な世界を反転的に構築しようとする集団”の意味です。
映画の最終盤で、主人公・牧眞人は遂に実際にこの離れの塔を作った大叔父に会うことになります。
そして、大叔父は牧眞人に、絶妙の積み木のバランスで成り立っている離れの塔の理想の世界の、継承者になってくれることを望みます。
しかし牧眞人は、自身の頭の傷を大叔父に見せ、自分にも「悪意」があることを示し、離脱した理想の世界を作る継承者になることを拒否します。
そして現実の世界に戻ることを大叔父にはっきりと伝えるのです。
このことにインコの大王は激怒します。
インコの大王は自分で理想の積み木を立てようと試みますが、すぐに積み木のバランスは崩れ、さらに怒ったインコの大王は自分の太刀で理想の積み木を真っ二つにします。
それによって離れの塔の中の、離脱した理想の世界は崩壊して行きます。
牧眞人とヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)とサギ男はそれぞれの年台の現実の世界につながる扉のある廊下へと逃げ出します。
そして、そこに若い頃のキリコと牧眞人の新しい母・夏子も逃げて来ます。
牧眞人と牧眞人の新しい母・夏子とサギ男は離れの塔に来る前の現実世界に戻ります。
そして、ヒミと若い頃のキリコは、牧眞人たちとは前の、ヒミが牧眞人を産むよりずっと以前の世界に、扉を通じて現実の世界に戻ります。
牧眞人と新しい母・夏子は、扉を抜けて牧眞人の父や屋敷の老婆たちと再会します。
サギ男も扉を抜け現実に戻りアオサギとなって飛び立って行きます。
インコたちも崩壊する離れの塔から現実の世界に殺到しますが、それぞれ可愛らしい小さなインコとして現実の世界に飛び立って行きます。
この映画は、牧眞人が世界から逃げ出す離脱する欲求を肯定しています。
また世界や生命の生死に立ち向かう若いキリコ(あるいは牧眞人の父)も肯定しています。
そして、(映画の初めの牧眞人のような)世界の離脱と(若いキリコのような)世界の立ち向かいの、間を取り持つ、ヒミのような時に苛烈になる母を肯定していると思われます。
一方でこの映画は、離れの塔の崩壊や大叔父の理想の継承の拒否で、世界からの全面離脱への疑義も示しています。
そして、世界や生命の生死に対峙する時の残酷さも示していると思われます。
火事で亡くなった実の母・久子の現実での不在の受け入れも示しています。
この矛盾に満ちた現実の受け入れと、離れの塔を通じたヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)との関係を含めた経験の記憶と、近しい仲間の存在により、辛うじて現実を生きて行くことに決めた主人公・牧眞人の姿に、個人的には静かな感銘を受けました。
今の現在、国内外を含め様々な場所で訳も分からず暴発している人々の存在があり、彼らを迂回させる一助にこの作品がなれば良いのにとも思われてはいます。
この映画は暗く重いですが、世界を伝え切ったところにも感銘しました。
ヘイお待ち!「駿の性癖詰合せ」だよ!
公開早々に周囲の知人友人諸々が観に行った!!との事だったのでネタバレ踏まないうちに焦って観に行きました!
率直に言って、かなり好きな作品になりそうです。
(と、言いつつ幼少期以来ずっとナウシカ、ラピュタ、紅の豚からランキングが塗り変わる事は無いのですが…。)
ただ、初見、予備知識無しでの直後の感想として、
(同僚に鳥がめっちゃ出てくる…とは言われた。確かに。めっちゃ出てきた…。)
宮崎駿やりたい放題!駿の「好き(性癖)」を詰め込んで作りました!元ネタは古事記だよ!!!
…なのかな?と思った次第です。
お母さんが亡くなったと思ったらお父ちゃんがお母さんの妹をいつの間にか後妻に据えて、あまつさえ既にご懐妊とは…いくら時代として珍しくは無いとはいえ、そりゃモニョるわよねぇ眞人君。。。
そして夏子さんだって明るく振舞ったところで、何も感じない訳でもなし。
(しかも妊娠中期~で体調もメンタルも不安定…。)
お母様のご実家はかなりの大きいお家(地主?)の様ですし、元々何かのお血筋だったのかな?など妄想を膨らませつつ…、
(駿さん母を神聖化させがち。)
塔の中で落とされた世界は「根の国」かな?
石の入口は死者の国…黄泉の国…って事は、夏子さんは天の岩戸に籠った伊邪那美神?
迎えに行く眞人君は伊邪那岐神?いや、失敗してたけどお父さんかな?
まぁ、配役的には叔父様が大国主神だろうから…って事は葦原中国を譲りたいので眞人君は邇邇芸命?「国譲り」のお話かな?
などなどなどなど…ひたすら連想に連想を重ねて忙しかったので、よくよく考えたらストーリーが好きと言うよりは、作中に出て来るシーンやモチーフを愉しく、忙しく、目ん玉ガン開きで追っ掛けていた気がします(苦笑)
今後、有識者達の考察を読みつつ、もう1回位は落ち着いて腰を据えて鑑賞したいです。
まぁ、なんにせよ知識と教養がある方がエンタメもより愉しい!って事だな。
たとえそれが偏ったオタク知識でも…。
(「すずめの戸締り」然り)
7/26追記⬇
本作に直接関わる追記では無いけれど、上記に書いた「知識と教養」と他の方の様々なレビュー(感想)を読んで。
「知識と教養」というのは所謂「賢さ」に根ざすものでは無くて…「センサー」みたいな物だと私は思っていて。
そのセンサー(ろ過装置だったり、リトマス試験紙だったり、エコーかもしれないけど)そういった色々なものを幅広く検知出来る機能が知識であり教養なのかなと。
だからどっち側(右左上下…)により感度の良いセンサーを持ってるかによって、みんな捉え方や分析・解析結果が違う。
何を見聴きしてどう感じるかは、結局自分というろ過装置に掛けてみたら何が検知されたか(もしくは何も検知されなかった)って事だと思ってる。
王道ジブリ作品
好みではなかった。
寝た。めちゃ頑張ったんですが、20回くらい寝てた。
導入(中盤まで)と最後おさまってれば、後はストーリー自由だと思ってるようす。
ぽにょと、ハウルを思い出す。行き当たりばったり感。
監督自身がナラティブ的な手法で作っているように感じる。主観の体験という感じで辻褄合わせする気ない。いままでのツギハギにも感じる。
エヴァンゲリオンみたいに、それぞれで補完して考えて想像して欲しかったのかもだけど、上手くいってなくて置いてけぼり。
見たい人は覚悟してみよう。
映画にアートを求めてる人はどうぞ
宮崎駿の期待に応えられなかった我々
悲しい。ごめん。私たちは間違っていた。
宮崎駿は、人の良心というか、悪意に犯されていない意志があることを信じていたし、愛し慈しんでいた。けれど奪いあい貶めあう酷すぎる社会、ますます酷くなっていくこの社会にあって、絶望の底にいる。
空から突如として飛来し、誕生した塔。その中は全く別の時空間となっており、天国、地獄、あの世、彼岸、ニライカナイ、何とでも呼んでいい場所で、死んだ人も生まれる前の命もいる。何より、この酷すぎる現世とは異なる、ここではないどこかである。大叔父様として登場する宮崎駿は、そこが尊い場所であると悟り、すぐに保護した。そして現世を見限った宮崎駿は、広い集めたほんの少しのきれいな石=悪意に犯されてはいない石を積み上げ、世界とした。現世とは関わりを断った場所で積み木をして何十年、年老いた自分に代わり積み木をしてくれる(美しい心だけの世界を継続していってくれる)人を見出だし、あとを託そうとした。
しかし若き眞人は、自分は悪意を知っている、自分はあとを継ぐことはできない、と断る。墓石を墓石と見分けられるような目を持った君ならできる、と食い下がるが、結局短期なインコの王の癇癪によってジブリは、間違えた、異世界は崩壊してしまう。そしてそれが戦前の話であり、宮崎駿が青年期以降生きた戦後から今の時代は、実はすでに素晴らしきもの=美しい心の世界は崩壊していたんだ…
宮崎駿の孤独を埋められるような、同じ世界で会話ができるような人間はついに現れませんでした。彼は伝統とも血統とも何の関係もなく、落雷のように飛来して、美しい心を慈しむという活動を続けてきた。彼の世界を構成するエネルギーは、宇宙からやってきた謎の高エネルギー岩石。結局誰とも繋がれず、後にも遺せず、宮崎駿の活動はいずれ喪われていくのでしょう。
現世のシーンなんて、ホントにちょっとでしたね。酷くて醜いだけのこの世界なんて見たくも描きたくもないのかも知れない。
不甲斐なくてみっともない我々に怒ってくれていた時代もあったんでしょうが、今はただ空しい悲しみとともに死を思っているのでしょうか。
彼に希望や期待を持たせて送ることはできそうにもない。ごめん。ほんとにごめんなさい。宮崎駿。
君たちはどう生まれ、どう生きるのか
輪廻転生、生と死、あちらの世界、こちらの世界、パラレルワールド、人間の持つ心の闇。
私の解釈ですが、あの塔は、闇を表していると思いました。その奥は生と死の境目の場所。
マヒトは何度も闇に誘われます、人は大切な人を亡くしたら、ついていきたいという気持ちにもなるでしょう。
その誘導に何度も勝つのですが、夏子さんを助けにいくという形で入っていくことになります。
そこで、生死の境目で大叔父さんに現実世界を生きるのか、死後(天国)を守るのか選択を迫られます。
これは凄く怖い選択だと思いました。
天国は一見、夢のように美しくも見えるのです。
マヒトが現実世界を選んだ時、とても安堵しました。
そして、どんなに苦しくてもそこで生きるという意思を感じました。
また、夏子さんを通して、人間が生まれることの壮絶さを伝えられました。
夏子さんはつわりが酷く、自ら闇に誘い込まれるように進んでいくのです。
そこで、もがき苦しみます。
一つの命を守るために必死の形相になりマヒトに酷いことを言う。(ここについては、もっと深い見方ができるので何とも言えませんが)
人間が、生まれるのは本当に大変なこと。
それはワラワラなどを通しても伝わります。
私達は現在の、更に生きにくい社会の中で目に見えるものばかりに囚われ、死にたいと思ったり、それを選んでしまう人もいます。
でも、一つの命の誕生の裏には壮絶な物語があること、生み出す母親の忍耐と愛情の強さとはどれほどのものか、ということ。
それが一度見た時点で大きく伝わってきたメッセージでした。
まだまだ解釈の足りないところはあります。書ききれないところもありますが。。
宮崎駿監督が、もっともっと生きて理解すればいい、だから、もっと生きるんだ、と言っているような気がします。
ちゃんと考えましょう、感じましょう。
自分なりの解釈で良いのです。
難しい、とか一言で済ませるのではなく、頭と心を使うのです。
それが何より大切なこの映画へのアンサーではないでしょうか。
この不思議なファンタジーが良いのよね
ジブリの暖かみを残しつつアニメーションとしてクオリティが上がっていて凄く良かった。
どの場面も美しかったなぁ。特に私はジブリの描く森が好き。
今回は冒頭の火事のシーン凄かった。
ドルビーアトモスで観たから音の重圧感も重なって凄く満足感を得た映画だった。
ストーリーも良かった。
大叔父さん?はこの世の中じゃ良く無いと思って新しい世界での生き方を選んだ。
その生き方を他の人にも共有したかった。
ただ、主人公は戦争する世の中や周りの環境の変化にちゃんとついていけてはなかったり嫌な気持ちもあっただろうけど、現実での生き方を選んだ。
自分の生き方は自分で選ぶ。
辛いこともあるけど、何を大切にして優先して君たちはどう生きるのか。
主人公のお母さん、その妹、お婆さん、みんなあの塔の中の世界にどう生きるのか問われて選択していったのかな。
私(宮崎駿自身)はこう生きる事を選んだ。この生き方に続く物はいないかもしれない。宮崎駿のような映画作れる人はいないかもしれない。この自分が作った世界を残して欲しい気持ちもありつつ、
みんな自分の世界を自分で選び築いて行けば良い。
そんな映画なのかなぁと勝手に解釈(勝手な解釈です)
この映画にしか得られない感情があって心が持ってかれた。
この世界にもっと浸りたかった。
お父さんと新しいお母さんが仲良くしてるのを見たり、つわりのお見舞いの時の、お父さんが一緒に寝てる感じを漂わせる感じ良かったな。
本人は感情を言葉には出さないけど、子供からしたら受け入れるのにも時間がかかるし感情を揺さぶられる事だったって主人公目線のこの表現でよく分かるよね。
もしかして新しいお母さんは、主人公のためにあの世界に行ったのかな。
主人公の気持ちは充分分かっていただろうし。
どうなんだろうね。
あとインコの見た目、凶暴だけどピュアさもある感じ良かったな。
宮崎駿自身も分からないと言ったらしいから、個々の受け取り方でこの映画を観てそれぞれの私の世界観を作ったら良いなと思った。
絶賛や批判いろんな意見が出る映画おもしろいよね。
終わった。
とにかく最後まで観て!
全2096件中、1221~1240件目を表示









