君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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それなりに楽しかった
ネタバレ含むけどいいすかね?ストーリー難解。宵の国?と現世、時空を超えた場所に繋がる洋館。取敢えずアオサギは名前の通り詐欺か!って言うビジュアルでした(笑)もうね、色んなジブリ作品がオマージュされてる様な映像・キャラクター・シーンのオンパレード。シン・ジブリって誰か言ってたけど、言い得て妙だと思います。ロリコン出てこない宮崎駿作品?と思ったけどちゃっかり出てきます。でも子供向けじゃないなぁ。全然子供喜ばないと思う。あ、そうだ。ジブリ作品オマージュだけどルパンVS人造人間とかのオマージュも存分にあります。映像もいつものジブリとは違うテイスト沢山入ってて、一瞬宮崎作品である事を忘れますね。物語の始まりが戦時中である必要がどこにあったんだろう?とか、時系列がちょいと複雑でしっかり整理していかないと無理がある。米津氏の歌は確かに素晴らしいが、逆に庵野氏の匂いがプンプンしてくる。キムタクの声、ダメ。大竹しのぶ氏達の声は素晴らしいので余計に残念。ここまで読んでくれた人は評価が両極端な事が分かってくれると思います。ジブリ全部見てる人はこのシーンは●●のオマージュだ!このキャラクターは荒地の魔女と湯婆場だ!見たいな感じで2時間楽しんで下さい笑
いつかこの映画を振り返りえる事があるのかな
宮崎さんが引退を撤回して長編に挑むと聞いた時には、不安しかありませんでした。ジブリは解散状態だし、監督もお齢だし、しかも原作が「君たちはどう生きるのか」(当時は原作と聞いていた)とは余りに売れ筋を外した路線。本当に完成するのか、完成したとして、説教くさい映画を、鈴木さんお得意の宣伝ガンガンでヒットさせて、がっかりさせられる人を大勢生むのではないか。そんな不安でした。
ですから一切宣伝をしないというのは驚きでした。恐らく監督の、事前情報なしで映画を見てそれぞれに考えて欲しい、という意図だと思います。鈴木さんは本当は宣伝したかったかも知れませんが、映画の脚本で「色々あったけど、あんたは俺の友達だよ」なんて言われたら、好きにさせちゃろうと思ったのかも知れませんね。
今も書いたように、あのキャラは誰、このものは何を意味していると想像するのも楽しみ方の一つと思います。しかしそういう分析的な見方では無く、イギリス児童文学的な不思議な世界観と成長物語に浸るというのも良いかも知れません。
事前の不安は半分当たりで半分外れでした。全体としては、最高とは言い難い出来ながら、所々にはっとするシーン(冒頭とか)があり、あの年での映画の作り方として、工夫した結果だと思います。
「君たちはどう生きるのか」。宮崎さんが子供のころに読んで感銘を受けた本なのでしょう。監督の「俺はかつてそう問われ、こう生きてきたぞ」とでも言いたいようなストーリー、(リトルニモ含めた)セルフオマージュのオンパレードでした。年を取ってから、かつて「君たちはどう生きるのか」と問われたことを思い返して欲しい。そんなメッセージと受け取りました。
最後ですが、うちの奥さんは鳥恐怖症なので、ちょっとお勧め出来ないなと思いました。(何を考えているのか分からない目が怖いんだって。この映画を見て納得。)
賛否両論
主人と、小学生の娘二人と観ました。
下の娘には退屈な二時間であった様です。(誰が観ても分かりやすい映画を好む主人も同じく。)
くすりと笑える&ワクワクする要素もあまり無いですし、説明が皆無なので小さい子供や低学年には不向きでしょうか…。
一方、上の娘は、何度も涙を流していていました。
「途中、吉野源三郎さんの原作とは、全く違うな…と思ったら、観終わった後、初めて吉野源三郎さんの君たちはどう生きるかを読み終わった時と感じたことが一緒だったからビックリした。
(娘は吉野源三郎さんの君たちはどう生きるかの大ファンで、去年、読書感想文も同作にして、この一年で何十回も読み返している経緯があります)
色々な思いで胸が苦しくて切ない…」
と。
間も無く思春期を迎える娘には心揺さぶられ、感じるものがあった様です。
この映画の感想を敢えて一言でまとめるなら、
「私は正直に自分軸で生きたい」
だそうです。
そして私の感想ですが…
多くは語りませんが、映画を観てこんなに泣いたのは、何年振りだろう。
映画としては、少し荒い部分が要所要所でありました。ですが、宮崎監督、最後の作品だとしたら、
個人的には、風立ちぬより相応しいと思えた作品でした。
(風立ちぬも素晴らしかったですが。)
またすぐ観たいです。
期待に対しては、、、
この評価は低いと思うが、内容はわかりやすいし、何よりも過去の母との出会いなど、面白い視点もある。が、それぞれのキャラの立ち位置がすこし不明瞭なのか。この人はいい人、悪い人、それがもやもやしたところかな、
なぜパロディまみれだったのか
わざとである。
「どっかで見たキャラ」「どっかで見た演出」「どっかで見たアングル」が大量に散りばめられており、「ジブリあるある」を自分でやってるような映画である。
最初は「ネタが尽きたか。自分の過去作品からアイデア拾ってくるとは」と思うかもしれないが、もしこのセルフパロディ要素が全て「わざと」だとすると妙に辻褄が合う。
おそらくハヤオは「ジブリあるある」をこの映画で意図的にやっている。
その中を旅させることでこの世界(ジブリ)は厳しい現実から一時的に逃れるための虚構であったと、ある種の自己否定をしている。
ただそれだけではなく、ジブリを見て育った我々や影響を受けた次の世代のアニメ監督などの「確かな存在」に対して石(意思)を託し、「現実と向き合い自らの意思で考えよ」「次に目を向けよ」と背中を押しているのだ。
つまりこれは「ジブリを見てきた君たちはどう生きるか」が本当のタイトルだったというわけである。
「やがて忘れるだろう。じゃあな、トモダチ」
エンドクレジットの「助監督 片山一良」の文字を見て・・・
【以下、制作体制に関する公式の発表がされていない状態での憶測であることを自覚しつつ、あえて断言する】
エンドクレジットの「助監督 片山一良」の文字を見て、映画監督・宮崎駿が死んだことを確信し涙することのみが、真に宮崎駿を愛した者のとるべき唯一の振舞いである。
「君たちはどう生きるか」と題された2時間余分のアニメ映画を監督したのは、宮崎駿ではない。
実質的な監督は、助監督とクレジットされた片山一良さんである。
このアニメ映画には、宮崎駿が手をかけた痕跡が殆どない。
宮崎さんは、レイアウトをチェックしていない。
芝居の内容もチェックしていない。
色彩の設計も投げている。
撮影処理やカットのタイミングの指示も出していない。
アニメの演出家の第一の仕事である、作打ち、色打ち、撮打ち、恐らくは美打ちも、自ら行っていないということである。
部分的には絵コンテすらも人に任せている可能性がある。
宮崎さんが確実に手を下した領域は、大方の絵コンテとイメージボード、絵作りが終了した後のポストプロダクション(アフレコ、音楽、音響)である。
宮崎駿の過去作の制作体制はもちろん、一般的なアニメ制作と比較しても、このような関わり方をした人間を演出=監督とクレジットすることは、一種の詐称である。
このような体制になった経緯、及び現在の宮崎駿の状態については、いくつかの可能性が予測される。
1度目の鑑賞中、宮崎駿は制作の序盤で死んでしまったのではないか、という疑念が脳裏に浮かんだ。
2度目を観終えた今もその可能性を捨てきれず、5%ほどを占めて残っている。
宮崎駿は冒頭20分の絵コンテを切り、全体のイメージボードを描いたところで死んでしまった。
プロデューサー鈴木敏夫は未完成のその作品を、旧交のある片山一良、及び宮崎吾郎、米林宏昌らの共同演出によって制作し、宮崎駿の死を秘匿することを決意する。
未完の映画を託された演出家たちは、宮崎駿になりきろうと宮崎の監督した過去作、更にはアニメーター時代の宮崎が担当したパートを律儀に勉強し直し、宮崎駿が思い描いたであろう映像を考えて絵コンテを描き、演出する。
しかし、残されたイメージボードの断片を繋げてはみるが、シーンとシーンの間に説話的持続が生まれない。
「長靴をはいた猫」や「どうぶつ宝島」の宮崎パートを引用しても、真似事の虚しさが漂うばかりだ。
凡才の物真似が帰結するのは、宮崎駿の抜け殻のような映像でしかなかった。
しかし公開前後に宮崎駿の直近のコメントがサイン入りで公表されているのをみると、どうやら宮崎さんは死んではいないらしい。
次点で思いつくのは、製作途中で宮崎さんは大病を患い、絵コンテを描くことすら不可能な状態に陥った可能性である。これが15%ほどを占める。
小説「君たちはどう生きるか」の著者・吉野源三郎の孫にあたるライターが、自身の招待された関係者試写に宮崎駿が欠席していたことを記事に記していることも、宮崎さんが病床に伏せている可能性を想起させる。
或いは、病気ではないが体力面の問題で、以前のように作画の修正を乗せることが不可能であることを自覚したために、自ら描いた絵コンテを後身の演出に丸投げするスタイルに振り切った可能性もある。
レイアウトを見ると自分で手を入れたくなってしまうので、作画を本田雄に一任するに止まらず、それをチェックする演出家を別に立ててしまったわけだ。
鈴木敏夫は、宮崎さんが既に次回作を構想していると公表しており、それを敷衍した岡田斗司夫は、このスタイルを次回以降も採用することで、ジブリは今後量産体制に入るとの予測を立てている。この可能性が最も現実的で60%ほど。
逆に、後進に演出を任せた今作の出来に怒り狂った宮崎さんが、やはり自身で全てをコントロールするしかないと、従来のスタイルに戻して次回作を手掛けようとしている可能性、これが案外しっくり来て、一縷の望みも相俟って、一番イメージしやすい想定である。
これが残り20%。
というわけで、上記の予測で行くと、80%の確率で映画監督としての宮崎駿の寿命は尽きているわけである。
本作を褒めている人はもちろん、貶している人すらも、本作を宮崎駿が監督していると想定している時点で大いに間違っている。
宮崎さんを真に愛した者であれば、「君たちはどう生きるか」の中に映画監督・宮崎駿の死を直感し、追悼の念を込めて涙しなければならない。
罪悪感から宣伝が出来なかったのでしょう。
説教くさく、押し付けがましく鑑賞中は終始宮崎駿監督の顔が頭に浮かんでしまいました、悪い意味で。
難しい事を考えず映画を純粋にエンターテイメントとして楽しみたい人には向いてないとおもいます。
私もそのタイプですので苦痛の時間になりました。
映像は素晴らしいと言う声が聞かれますが私には表現が押し付けがましく、キャラクターは不気味、風景構成は宮崎駿の影響を受けまくっている新海誠の方が美しく感じましたし、美術やデザイン的にセンスが悪いと思いました。
ジブリとして進歩、新しい感性も感じられずジブリの終焉を感じました。
おそらく制作サイドも出来の悪さを認識しており罪悪感から大衆に勧める事が出来なかったので宣伝無しになったのでしょう。
しかしながらジブリは終わっても日本のアニメ界全体としては進歩しています。
それは宮崎駿の多大なる影響があったからです、有難うございました。お疲れ様でした。
不思議の国のアリス(ナツコさん)を助けに行くお兄ちゃんの成長物語
不思議の国のアリスのオマージュだと思う場面がちらほら。
ならば、アリス役はマヒトのように思えるがたぶん違う。
ナツコさんは作中で誰に呼ばれたか明白になっていないが物語の作りから姉であるヒサ子が戻って来てくれる事を願い搭にいき、不思議な国に迷いこんだと思われる。
助けにいったマヒトが冒険の中で成長し、ヒサ子さんを思いやる事ができ、お義母さん呼びができるようになり、現実に向き合えるようになった、という話なのだろうと思う。
だが、この現実に向き合えるようになるというのは言うは易いが成すのは難しい。
日本が大敗してその時の東京は焼け野原。何もないところのスタートだ。
魔法使いの大おじからの積み木もない。むしろ帰らない選択しもあったかもしれない。しかし、そんな所へなぜマヒトは戻ったのか。
自分より大人のはずのナツコさんをマヒトは躊躇なく助けに行ったのはなぜか。
ナツコさんが妊娠しているからだ。
赤ちゃんについての言及はなかったがナツコさん=妊婦=家族の新しい命がある。
腹違いの下の子だ。
名前を出さない時点で複雑な気持ちがあるのは、想像するに余りある。
マヒトはそれでも現実に帰ることを選ぶ大人に冒険を通じて成長した。そんな話だと思った。
眠いから大味の感想まとめ。また編集するかも
田舎•森•海•塔そして迷宮•••世界がどうなるかは••
まあ、ひどい言われようです。。(期待と違ったからってお金と時間の無駄遣いは言うなら、ただの悪口みたいな評価に時間を費やすのはどうなの?って)
自分が期待していたのは、昭和10年代頃の日本の元風景だっただけに、不思議の国のアリスのような西洋風な風景が散見されることにまず、がっかりしました。自分の印象では「ハウル」の範疇にはいるかなぁ。
これは、きっと子ども向けとは言えない「風立ちぬ」のカウンターなのでしょう。
ただ、今作が子ども向けかというとそれもまた違うような。
とにかくもっとシンプルにストイックに軸がぶれずに「物語」を進めてほしかったというのが個人的な感想です。ベクトルがあちこちに散らかってしまったような。。
ストイックにというのは、こちらが勝手に描いている監督には「日本の自然」をノスタルジックに描いてほしいという思いから遠くはなれてしまったからです。むしろ、水や光の色を巧みに表現しつつ、日本古来の伝統をエッセンスに交えた世界観を描く次世代の監督作品から逆にインスパイアされて迷宮入りしてしまったんじゃないかと邪推すら覚えた次第です。
ゆっくりと流れる序盤に予想されるような戦争後の田舎を素朴に描いただけでよかった。いくつものシーンがこれまでの総決算的なものに見えてしまうのです。
もっと、足下の物語が欲しかった。まぁこれは個人の趣味なんですけど。
監督がこの世に未練なく「後継者」として託せる次世代を見つけることを求められる要素(ハウルにも感じた)が垣間見得ることに共感できる視聴者もいれば、私のように個人的な事情を商業ベースに乗せたことに対して興ざめする者もいることでしょう。何も世界をすくう必要なんてないのにって思うんです。
キャラクター表現については、取り上げるとすれば、、
いくつもの象徴を掘り下げることはなしとして、自分は主人公が喧嘩のあと自身で傷をつけたこと、多くの朗らかなばあやの最後尾に唯一人背筋のシャンとしたキリコさんがタバコを嗜み、料理上手で逞しい人柄に魅力を感じました。
今際の際にある夏子さんが「呪い」を宿したような表情に違和感を感じた人もいるのではないでしょうか?あの時の夏子さんには、今敏風のキャラクターが見えた気がします。これまでの「怖い」モノを不気味ではあっても、怖く描かないできたはずなのに「あれっ?」って。。
あと、声優に関しては、あいみょん(個人的に好き)は流石に違うだろって思いました。(泣き叫ぶ声) もののけ姫の声以来、制作側?(監督とは言わない)の趣味の一貫だと理解したいところです。人の暖かさを描くジブリ作品に「甲高いヒステリックな声」はふさわしくないというのが私の見解なので。
そう言う意味では、他に上がる声優人にも違和感はありませんでした。キムタクはすぐ分かったけど、ハウル同様、我をださずに上手に演じていたし、菅田将暉もはまっていたと思います。(勝手に)
本来は、制作の背景やこれまでの作品を踏まえず中身そのもののレビューをすべきだと思っていて、ネタバレも控えたいし、悪評をわざわざ書くのもどうかと思っていたのですが、わざわざ揶揄するための言葉を探す論評があまりに多く、情けないなと思います。
それこそ、作品内の皮肉の対象(インコ)に身を窶してるようなもんだなと。
好きでも嫌いでも観てよかった作品
感想を読むよりも映画館に行き体験した方が分かりやすいと思います。この映画の1番のエンターテイメントは「事前情報無し」です。始まるまで、始まってから、観ている時はワクワクで止まりません。
そこからの好き嫌いは知りませんが。
宮崎駿さんだって「よくわからない」のに素人が分かろうとしなくていいと思います。
ただ観に行って損は無いです。
私はもう一度観に行きます
意味が分かれば意味分かる
おそらく宮崎駿の最終作品
100年200年たっても名前が上がるような監督と同じ時代に生きてた事や
子供の時から大人になった後も充分アニメ映画を楽しませてくれた事に感謝。
今回は分かりやすいラピュタとは違って一般人に向けて作られていないという印象
では誰に向けて作ったのだろうか?
おそらくは本当のアニメ関係者や業界人へ向けて作った遺言じゃないだろうかと思えた。
エンドロールに総務部や財務部の名前まで出しているのもそういう事だろう 関係者や業界の人の為に向けて作られているのが強い。
・不思議な世界を産み出した大叔父は宮崎駿または高畑勲だろうとは感じる
世界を作り続けて来たが業界自体に限界を感じている
新しい担い手に自分の世界の後を次いで貰いたかったが 次の世代に全てを任せる事に決めた 完全引退宣言
不思議な世界に繋がる塔の声が聞こえるのは『血筋を引いた人』だけ
・血筋を引くのは少年 つまり宮崎駿や高畑勲の弟子筋
少年は戦闘機を見て美しいと言ったりしているので、宮崎駿本人も投影されている気もするが
自傷したりしていたり言葉数の少なさも庵野秀明を色濃く連想させるが
ジブリを引き継ぐ事はせず 自分の世界を進む事を選んだ
・アオサギは鈴木俊夫そのものだろう
人を誘い込んで 騙して 嘘ばかりつく冷酷なプロデューサーだが
そういう人間も綺麗事だけじゃない業界では必要であり、友人だと言うこと
近年 鈴木俊夫は 庵野秀明にべったりでなんとか取り込もうと必死だった所も共通している
・不思議な世界の中で浮かび上がる事を夢を見てるが実際は地獄を見せられているペリカンは堕ちたアニメーターやアニメ製作関係者
(彼らも本来はまっとうな事をしたかったが、純真無垢なホワホワ?を食い物にしないと生きていけない)
ペリカン達は【俺たちは作られた】と嘆いているが
『我を学ぶ者は死ぬ』という代物に殺到していた
宮崎駿のインタビューでも言っているが
『アニメ製作は自分や他人を傷つけ、磨り減らす。
私も若い才能を何人も殺してきた』と言っている
ペリカン達はアニメ制作をしたい!と望んでしまった人達の成功を掴めなかった多くの人達だろう
アニメの世界に縛られながら 本望でも無いことをさせられ続けている
・インコはアニオタやその界隈か
不思議な世界(アニメの世界)にインコをたくさん連れてきたのは大叔父だが増えすぎてしまったという。
増えすぎたインコは 世界を製作者から奪って自分達の都合の良いものに変えようとしており これは2次創作作家やその手の業界なども含んでいると思う。
『インコは子供を食べられない』というのは
コミケ作家やいわゆる萌え豚と呼ばれる界隈でも唯一 手を出していけない物が法に触れる児童ポルノなので、インコがそういう界隈のメタファーなのはほぼ間違いないかとは思う。
正しく言えばアニメという【技法】を愛している訳ではなく、自分の性処理や疑似恋愛の欲求を満たすためにキャラクターや作品をポルノに改変・消費する界隈の人達
・キリコさんはおそらく宮崎駿と二人三脚だったジブリの名物女性スタッフだった人だろうと思うが
分からなかったのは母親とナツコ母が どういう事のメタファーだったのか良く分からなかった
少し話がそれるが【京アニ事件とペリカンの死因】が酷似している。
純真なホワホワ(少年少女)を食い物としているペリカン(アニメ製作者)は火に焼かれて死ぬ。
これだけでは、かなり辛辣なメッセージに見えるが
病院で新しい命(作品)を身ごもっていたであろう母親も火に焼かれて死んでいる。
火で巻かれて死ぬことより産み出せることが素敵だと別れ際に母親は言う
宮崎駿はいわゆる商業アニメを毛嫌いしているものの、当事者達の物を作りたいという気持ちや気概は否定しきれなかったのではないかと見えた。
京アニ事件の犠牲者にはアニメ会のベテラン、ジブリに縁深いアニメーターも亡くなっているのだ。
●この映画はストーリーラインがグニャグニャしており どこが本筋なのか不明。
明確なメッセージがあるわけじゃなく
今のアニメ業界を投影・比喩・描写した パッチワーク的なポエム作品なんじゃないかと思う
業界関係者達に
僕達が好きだった業界はこんなになっちゃったけど、どうすんの?
殺しあいながら犠牲を出してやってくの?
やってくんだね? 頑張ってね!
というただの遺言だと思う
後は制作時期がコロナだったのも大きいと思われる。
コロナは戦争そのものだと良く言われるが ガラリと変わった価値観や社会の先で、これからの人達はどう生きていくのだろうという宮崎駿の単純な疑問がタイトルになっている。
戦争が終わり現実に返されて映画は終わる
※アニメ視聴者を現実に帰らせて終わらせる という終わり方は高畑勲イズムだが、庵野秀明も最後のエヴァで継承していた。宮崎駿もそれに倣ったのだと思える
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作品の感想
◆私的な考えを言うならば 宮崎駿 本人の総括は風立ちぬで完成していたにも関わらず
今作を作った理由は やり残したこと=先輩が認めてくれる作品を作りきれてなかった点にあると感じる。
表の話に裏の設定をつけるのではなく
裏に話のラインを引いて、それを隠すように表にストーリーを乗せる、この形は高畑勲の傑作【かぐや姫】を強く意識している。
かぐや姫は水彩画のような手法が凄いと言われることが多いが、そこではない。
ホタルの墓~おもひでポロポロなど、どの作品も絵だけ見ていると昔話やノスタルジーや反戦などがテーマのように見えるが、実際はかなり真に迫ったメッセージを叩きつけている。
(高畑がかぐや姫で何をやろうとしていたかは、別のレビューを読んでいただきたい)
後輩の宮崎駿は高畑の遺作となった かぐや姫で作家としての文学的力量とアーティストとしての姿勢にコンプレックスを植え付けられたはずだ。
魔女の宅急便で高畑から叱責を受けた後は明らかに作風は変わり、かぐや姫の後 高畑が亡くなってからは更に文学やアートとして深みを持たせたアニメに傾倒していっているのも明らかだった。
宮崎駿も見た目だけの作品を作る人間ではないのだが、高畑にはとうとう認めてもらえないままお別れすることになってしまった。
そんな彼が最後にやりたかったのが亡くなった先輩が喜びそうな作品、先輩にまたあーだこーだ言われそうな文学的・芸術的なアプローチに挑戦したという事が実に泣ける師弟愛なのである。
大人であれば好き嫌いは別に楽しむことは出きる
子供は大人になった時に見返して楽しめれば良い
会場の評価も1と5でしたね
事前情報がない=作品の予備知識が全くないっていうところで作品の評価が分かれているような。広告はある意味その世界観に入り込むための共通認識を作ってくれていたんだなーと。
そうであれば広告とかパンフレットが発売された後にまた評価が変わるのかなって思います。鈴木さんのキャッチフレーズとこれから与えられる物語の説明が今は楽しみ。
情報を与えられないと人ってこんなに頭使わないんだ〜って会場が物語ってた笑これもまた作品なのかも笑風刺画みたい。
フィクションなのか実写なのかファンタジーなのかポスター1枚の先入観で自分たちの中で物語と情報を創造し、その先入観と映画のギャップを毎秒ごとに受け入れていかないと一気に置いていかれて椅子から崩れ落ちそうな人ができあがる..笑
開始1秒の絵と音で時代と状況を説明したくせにっっ思わせぶりもいいところでした(先入観。笑)
でもまあ自分の思考の移り変わりを楽しむのが今回1番の目的だったので。めちゃくちゃ楽しかったです。それを含めなくても面白かったな!
混ざり合う世界の中で
生と死
国と国
現在と過去
さまざまな世界でそれぞれの常識がある。
死の世界での殺生の可否や、人を食べるインコの世界など。
違う世界で生きていた人が他の世界に入り込んだとき、常識の違いや価値観の違いなど必ずずれが生じてしまう
インコの世界に入ってしまったまひとや、死の世界でわらわらを食べることになったペリカンなど
そして少しずつ生まれたズレがやがて大きな破壊を引き起こす
それはどんなに大切にしていたとしても一瞬で崩れ去る
守られていた均衡もズレによって導かれた、誰かの大きなたったの一手で。
それは国同士の戦争や生から死への一手かもしれない
そんな世界で、君たちはどう生きるのか
というような解釈で見ていたが、やはり甘かったように思う
宮崎駿監督と登場人物との関連性の考察をみてなるほどと思いました。
傑作!
最高でした。少し長文になってしまいますが、感想と解説、、というほどのものでもないですがそれを少し吐き出させてもらおうと思います。
まず、第一に本当に面白かった。ストーリーが全く分からなくても美しく躍動感のある映像が私たちを楽しませてくれる。前半は好奇心を煽り、「もっとよく見せろ!」と叫びたくなります。それが中盤になると一変、何もかもを曝け出した素晴らしい冒険の数々が押し寄せてくる。説教くささは殆どありません。私たちに一瞬の休む隙も与えず、まるで急上昇と急降下を繰り返すジェットコースターのように楽しませてくれます。
そして第二に本作の前半から中盤に渡る本筋でもある眞人と母親について。この映画の前半から中盤における本筋は簡単に言ってしまえば主人公の眞人が実の母の死を受容し供養して、夏子お母さんの愛情を受け止めるという話です。夏子お母さんは最初に会った時から主人公に一心に愛情を注いでいます。眞人のことを愛する姉の子供で自分の子供とも捉えている。これは前半の夏子を注意深く観ていれば確かなことで寝顔を愛おしそうに見つめていたり(眞人を憎んでいたり嫉妬していたら寝顔を見てあんなに愛おしそうな表情はできない)、わざわざ食事を作ってあげている(悪阻で寝込んだ後のご飯が美味しくないのは夏子が今まではご飯を作ってくれていたから、父親を好いているだけの女であれば眞人と同じ食事を共有したくないので二人で外で食事をするはず)。その後塔の中に入りますが最初、塔に入った第一の目的は母親が本当に死んでいることを確かめるためでした。しかし、母親がどろどろに溶ける姿を見て母親が死んだという事実を受け止めます。そこからは目的がお父さんの好きな人(夏子お母さん)を探すことに変わりますが依然として実の母親に対する気持ちは残っている。しかし、ヒミに殺されたペリカンと話し、ペリカンを土に埋めることで母親の供養をして母の死を乗り越えます。その後、ヒミに連れられて夏子お母さんと会いますが、夏子は眞人に「大嫌い」と言います。しかし眞人は髪を振り乱し、鬼のような形相を曝け出した本心でも夏子が眞人のことを大切に思っているということに気づき夏子を母として受け入れます。
最後に本作の設定や中盤から後半に渡る本筋である宮崎駿と宮崎吾朗について。まず、この大叔父様というのは宮崎駿を、眞人は宮崎駿の息子、宮崎吾朗を、そしてこの塔はスタジオジブリを暗喩しています。大叔父様は塔を作りその中で自分の創作世界を必死に守っていますがこれに限界を感じ、血縁である次世代の有望な若者である眞人にこれを継いでくれと頼みます。しかし無情にもこれを断られ自分の創作世界の核である積み木をインコの王様(スタジオジブリの人間)に壊されます。大叔父様にとっては塔の中こそが世界の全てで「積み木が崩れると世界が壊れる」なんて言いますがそんなことは全くなくただの脅しに過ぎなかった。塔を出ると眞人が隠喩するものは一転、我々観客に移り変わり、宮崎駿とともに崩れ去った塔からはたくさんのスタジオジブリの人間が飛び出して私たちに糞を引っ掛けて多大な迷惑をかけてきます。それでも大衆はインコ(スタジオジブリの人たちの作品)を見て綺麗ねという。しかも最後には宮崎駿が私達に積み木を渡してきて「そのうち俺を忘れることはわかってる、しかしどうか俺のこと忘れないでくれ」と言ってくる。誠に勝手で滑稽で面白い。
最後の本筋がわからないと話が終わったのにダラダラと続いているように感じるかもしれませんが、実際には終盤は宮崎駿の悪あがきが見れて非常に痛快です。
もはや一貫したストーリーを作る能力がないとしかいいようがない。
※鑑賞後時間をおいて再検討
「君たちはどう生きるか」と仰々しいタイトルを持ってきた割には、映画を通して一貫したテーマがまるでわからない。「生きる力を得ました」「これからの生き方を考えようと思いました」って言っている人、どういう経緯でそう思えるようになったのか文章化して頂きたい。
この映画に出てくるキャラクターは全員、「はじめまして、こんにちわ」の初対面です。初対面の人となりをどうやって把握するかと言ったら、表面上にみえる姿や実際の会話でしか判断できないのです。主人公は継母を好きではなかった。姿がみえなくなった。じゃあ探しにいかないと思ったら、探しに行くんですね。内面は複雑な気持ちを持っていたのかもしれませんが、さっき書いたように「はじめまして、こんにちわ」の初対面。初対面なのに内面を理解しろとか、それは単なるエゴ。こういうエゴが映画の至るところにあってストレス。
意味の分からないシーンの連続でいちいち突っ込むのも大変ですが
〇地下の世界にいって序盤、開けてはいけない門のシーン
誰のお墓?なんでこの門を開けてはいけないの?? というか門以外左右に何もないので、門を開けなくても左右迂回すれば奥に進めますけど??
〇巨大な魚をさばくシーン
これ何の意味があります??生きていくなら他者の生命を頂く必要があるということがいいたいんですか?そりゃまあ大事なことですけど、それを入れる必要あります? 例えば「天空の城ラピュタ」でシータとパズーが二人で逃げるときに、唐突に動物を殺して食べ始めて「いのちを頂いている」なんてシーンをぶち込まれても「はぁ?」としか思えませんよね?テーマは大事ですが、入れる意味がわからない。
断片断片のシーンでそれぞれ何か意味を持たせようとしているのかもしれませんが、それが前後の脈絡関係なく唐突に出てくる。一個一個はなんとなく言いたいことは感じられるが、細切れぶつ切りでちらかしっぱなしで次のシーンへ移動、観客は置いてけぼり。そういう矛盾やらわからない点が時間が経つごと溜まってくるので、どんどんストレスもたまってくる。
年寄りの意味のわからない独り言を、横で座って聞かされているような気分。誰も意見を言えないような立場の人になったんですかね。あとに道を譲って引退されることをお勧めします。
ゲド戦記より酷いっていうので、見たことのない私は検索をしてみたら、宮崎駿監督が、息子の作ったゲド戦記に激怒するという動画を発見。一時間くらいで中座して一言「三時間くらいに感じた」。いや、あなたの映画もそのくらいに感じましたけど。とんでもないブーメランがかえってきたなと感じました(笑)
宮崎駿流ホラー&ハウルの声に一途な純愛を求めるならNG
まず、宮崎駿がホラー映画に挑戦したらこんな感じ。ワラワラというマスコットキャラが唯一可愛いものの、ススワタリやこだまのような単純なのに唯一無二で独創的なデザイン性は皆無で何かのCMで見たような何番煎じもされた造形でがっかり。なにより、他の人外キャラクターが総じて気持ち悪くてホラーを過剰演出してばかりで、画面を見ていると具合が悪くなります。まあ、ホラーなら仕方ないことです、エクソシストやムカデ人間とかもあの気持ち悪さが魅力なので。ただ、私はホラーを見に行ったつもりではなかったので、ハマらなかったです。
また、2人の女性を愛するキャラクターにハウルの声優である木村拓哉さんを起用したのはなんの意図でしょうか? 木村拓哉さんは声優さんではないのもあり、やはりハウルと同じ声に聞こえます。なので、ジブリでは一途なキャラクターを演じてほしい個人的希望がある人にはしんどいかもです。不倫とかではないし時代背景の問題ですが、姉妹で同じ男性に嫁ぐのを現代の純愛モノを楽しむ感覚で楽しむのは無理なので、時代モノだと割り切れる必要があります。
母を失い父が再婚するというデリケートな状態の未成年男子に突然自分の腹を触らせてあなたの兄弟ができるんだぞ受け入れろと迫る継母は私の価値観では好きになれませんでした。主人公はなぜおかあさんと呼べるようになったんでしょう?
そして、異世界では謎の石と契約すると現実の平和の均衡を保つ役目がその血族に与えられるという設定が唐突すぎて意味がわかりませんでした。新海誠のすずめの戸締まりの閉じ師と似たような存在ですが、閉じ師もなぜ閉じられるのかよくわかりませんでしたが、石と契約して云々はさらにまったくわかりませんでした。石の気まぐれなんでしょうか。
そこで、これは宮崎駿の生み出したジブリ13作品を基盤としたジブリと宮崎駿の自叙伝だと思うとたしかに解釈できます。
だけど、それなら見に行きませんでした。
少年の冒険活劇だから見に行ったのであり、宮崎駿の自叙伝なら見ませんでした。
また、この映画のテーマの1つである“1人の男性を愛してしまう姉妹、その子どもと破れた方の姉妹(つまり叔母)の関係、葛藤” も、現在公開中の「アイスクリームフィーバー」の方がよほど納得できました。
なので、この評価で失礼します。
『死の島』をはじめとする、数々の絵画のモチーフは好きですが、それなら美術展に行きますし。
宮崎駿の自叙伝を見たい方には星5の映画だと思います。
君たちはどう生きるか?で、君たちって誰?
はい。良く私のやんちゃ&妄想レビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画って毀誉褒貶が激しいですね。モーゼの十戒か!わからない。つまらない。そんな意見もあります。 それでもいいんです。リリースした瞬間から受け手のものですから、それでもいいんです。でもね・・・ちと、もったいない。私達があんなに愛した宮崎駿を一刀両断で切り捨てていいのでしょうか?
さてと・・・やや個人的な話しです。この映画は鳥が沢山出てきますね?鳥マニアの私はたまりません!
インコ
特にセキセイインコ。可愛い。大好き。動画でお喋りインコを見ちゃう。沢山。そして知能も高い。(ジャングル大帝レオでもライオンキングでも知性の象徴です)
でもね・・・インコって最大の特徴はモノマネじゃないですか?私はアニメーターさんと解釈しました。先輩の技術を真似て、一流のアニメーターさんに成長するのではないでしょうか?
ペリカン
嘴の袋が印象的ですね。これはメディアの象徴ではないでしょうか?クリエイターの作品をガンガン食べて育つ。そして消費する。私達もペリカンかもしれません。
アオサギ
敵なのか、味方なのか中々正体が判然としません。宥めたりすかしたり褒めたり貶したり。
正体は鈴木敏夫プロデューサーです。眞人(まひと)を不思議な世界に導いた張本人ですから。
プロデューサーって大変な仕事。主には予算管理。アニメって映画公開まで一円も儲かりません。つまりスポンサーを探すのが一番大事。ただねスポンサーの意向を聴かないとダメです。具体的に言うとジブリの映画に出て来る調理シーン。美味しそうですね。はい大手食品メーカーがスポンサーです。
天才肌のアーチスト宮崎駿はなんども衝突したはずです。(この辺りは実写映画のハケンアニメでも触れられいます。)
最大の敵であり最大の味方。
映画は終盤に、昔、忽然と消えた大伯父が登場します。主人公の眞人(まひと)と対峙します。不安定な積み木を毎日積み上げています。それはアニメの作画そのもの。
やや混乱。眞人は宮崎駿本人だと思っていたからね。
この方は手塚治虫?高畑勲?いや違う。宮崎駿本人です。
宮崎駿は本質的にはアニメーター。自分で全部描きたい人。では主人公の眞人は誰?
私は息子の吾郎さんの長男と解釈しました。2008年生まれなので現在、14歳か15歳ですね。つまり宮崎駿にとって孫にあたります。
多分ですが宮崎駿は息子の吾郎をアニメ業界に入れた事に色々思うところがあるのでしょう。すぐに叩かれるしね。
宮崎家の一族は駿が超有名人なんで色々あったのでしょう。せめて孫には自由に生きて欲しい。
アニメ業界は華やかな世界じゃないよ。暗い森を分入って、塔にはいる。そこは魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界でもあるよ。
そんな願いが込められています。なんならジブリがなくなってもいい。
そう感じました。
余談ですが京アニの放火事件のあと京アニの映画を観に行ったんですよ。
こんなに美しい絵を描くアニメーターさんが不憫で切なくてね・・・胸がいっぱいになりました。ふと気づくと周りの方々も泣いています。泣く場面でもないのにね・・・
エンドロールにはジブリゆかりの制作会社がいっぱい。熱い熱い。
やっぱりアニメは絵が命。そんな事を思いました。
前半の30分は盟友、高畑勲に捧げられています。火垂るの墓みたいだしね。
そんな宮崎駿のメッセージ。しっかり受け取りました。
日本には手塚治虫と宮崎駿がいる‼️
いやね大谷さんとTONIKAKUさんも誇らしいんですけどね・・・
一応ですが個人的な意見ですよ。
お付き合い頂きありがとうございました。
PS 色々考えているうちに評価が上がりました。そんな映画も有って良いよね!
咀嚼し続けたい
そもそも 、すべての創作物は、受け取る側の期待により幾らでも個の感じる価値が変わる。
人間は あくまで個人の記憶に過ぎないそれまでの経験を 無意識に世界共通の 善悪 や 常識 や 望みだと思い込んで、なにかを観たり読んだりする。
人生の長短に関わらず、実は勝手に自分が求め期待しているものに対して、その至極個人的な欲が満たされなかった時の落胆をレビューという形にするのも、まあ自由だろうとは思う。
意識が高いや低いの話ではなく、こうした場がある以上致し方ない。
ただ、ジブリは子供が喜び誰もが理解出来るものでなければならない、と決まっていたか?
自分はジブリ大好き!でもなく、どちらかと言えば米津氏の主題歌を聴きに行ったクチだ。
結論、主題歌よりも映画そのものに印象が強く残った。また観ようと考えるのはそれが理由。
もっと噛み砕いて味わってもう一口飲み込みたい。子供が喜ばないだろう人間の臭みみたいなものが、あたしには嬉しかった。
だって当たり前に自分も狡くて逃げて情けなくてあちこち傷だらけの臭みたっぷりの人間だからだ。夢見させて欲しいんじゃないのよ、突きつけられたいし頭ガツン、ってなりたいし うーわ、やな自分そのもの見てるわ、ってそれから考えたいのよ。そういうのを受け取るヤツも居るんです。多分監督は昔からそれは表現してきたと思う。子供の無垢さや愛だけではなく。
中島みゆきは 歌は世に出した時点で受け取った人のもの、と昔言っていた。
sionは 自分の歌に蹴飛ばされたり抱きしめられたりする、って言っていた。
己の為の表現ならば、大抵の表現者がそうだろう。なのにエンタメって大変だよね、他者を喜ばせなきゃ総スカン喰らうから。これが画家なら難解でも無責任に持ち上げられたりするのに。
でもいい。あたしは このジブリならばむしろ好きだ。うーわ、うーわって思いながら明日からまた生きる。
言い足りないので追記
映画は楽しくなければならなかったか?
耳と眼を塞ぎたくなるような痛みは表現してはならないのか?
ホラー系はその恐怖を 楽しむ ものだろうが、それ以外の人間の醜さや愚かさは表現してはならないのか?もっと言えば 救いをどこかに入れ込んでくれなきゃ気が済まないのか。
なんか若さのみの恋愛と似ている。
最初はあんなに優しかったのに!あんなにかっこよかったのに!どうして?どうして変わっちゃったのよおぉ!っていうやつに。
愛せなきゃ別れなさいよ、嫌悪しかないなら離れて行けばいいじゃないのとあたしは思う。求めてばかりでも構わないのが観客なんだろうかね。
思い通り期待通りにはならんのですよ、対ジブリも 対だれか も 対己の人生も。人間関係なんて、面倒臭くないもんなんか一つもない。だから解ろうと必死になる互いがなによりステキなんであって、
そしてだからこそ、生きることは面白いんだ。
監督が実はどうだこうだ、んなもんどうでもいいかな。
この映画が自分にとって良しか悪しか、それだけなのだ。
何となくだが千と千尋のテイストを感じる。
無駄にIMAXシアターで見てしまった。
映像的には背景が印象画っぽい油絵の様な感じ。
近影ははっきりしているが、IMAXで見なくても良かったかな?とちょっと後悔。
内容的には何処となくだが千と千尋のテイストを感じる。色々言うと他のジブリ作品にも通じるキャラや内容もある。ジブリ的な集大成なのかも知れない。
しかし一番分からないのはタイトルだ。
この映画の内容で君たちはどう生きる?とは?
原作は全然知らないし同タイトルの本が昔平積みになっていたかな?って感じ。内容は勿論知らない。この映画を見て考えてくれって事なのか。
とにかく説明しにくい。ネタバレを列挙しても内容を上手く伝えられない。
是非映画を自分で見て良いか悪いか判断して欲しい。
最高に感動したとか分かりやすい感じの内容では無い。最高傑作とも思わない。
ただ人物関係は分かりやすいかな。話の筋も分かりにくい訳では無い。説明が難しいのと何を感じ取るのかは人それぞれとしか言えない。
そんな映画。
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